オリンピック競技場、ロゴ、安保法案と一連の流れを見てて痛切に感じたのだけど、どうやら大人モドキが増えたっぽい。
顕著だなって思ったのは、デモに参加した若者が法案可決後に涙ながらにインタビューに答えている姿。
口をついて出る言葉は達者なんですよ。一見して知識があるっぽい。
「危険な法案の可決が悲しい」「戦争が恐い」「民意が無視されて悲しい」とかって言ったり言われたりしてはいるんですけどね、なんというか、兎に角まず悔しくて涙が止まらなくて、言葉はその後に付けられてる感じっていうんですかね。
要するに、「自分の思った通りにことが進まなくて悔しい」という姿にしか見えなかったんですよ。
なんというか「誰にも意見を聞いてもらえず、意固地になった挙句に泣き出す小学生」っていうんですかね。
誰でも一度はありますよね。振り返ると真っ赤になるくらい恥ずかしい経験って。
なんで恥ずかしいかって、あの時の本気さと、今考えればそれがどれだけ幼いことだったかがわかるからなんですよ。
つまり、それを恥ずかしいと思うのはそれだけ大人になったってことなわけですよ。
ところが、いい年になってもまだそんなことを平然としてのける人がいるんです。
一見すると知識とかあって口ばっかりは達者だったりするんですけどね。
運良く(悪く?)苦悩や挫折をしないで歳ばかり重ねてしまったような人たちっていうんですかね。
そういう人たちって、いまだに万能感を捨てられていないんですよ。
だから、どこかに最後には自分の思った通りになるっていう根拠の無い自信を持ってるんですよね。
身体縦に揺らしてラップのリズムでデモすれば法案が廃案になると思った?
逆に聞くけど、それを理由に廃案にするような国に住んでいたいの?
こういう大人モドキが増えてるのって、抗えない運命に対峙する機会のない平和な世の中の弊害なんだろうな。
まだ自公政権の退陣ある訳だが何達観してんだか