はてなキーワード: 出来心とは
高杉麻里ちゃんていうんですけど。
この子はAV女優さんで、VR作品にも多数出演しており、私は毎日のようにVRゴーグルを装着して麻里ちゃんとのアバンチュールを楽しんでいます。
麻里ちゃんは親密さの演技がとてもたくみで、まるで本物の恋人がそこにいるような気分になれます。
大好きな女の子が目の前にいる、その子も自分を好いてくれていることがわかる、そんな幸福感とともに脳内や身体のいろいろな場所に何かがジュワァっと分泌されていくのがわかります。
私はVRゴーグルの中で麻里ちゃんと知り合い、VRゴーグルの中でしか麻里ちゃんとは会ったことがありませんでした。
ある日私はなんの気なしに「通常(2D)作品の麻里ちゃんも見てみよう」と思いました。出来心でした。
そこでは、麻里ちゃんが知らない男に犯されていました。
複数の男たちに、かわるがわる。
VR作品は一人称視点ですが、通常作品は三人称視点なのです。つまり女優が男優といたしているのをユーザが見学するスタイルです。
麻里ちゃんは愉悦の表情を浮かべ、うれしそうに一人ひとりの男性に奉仕し、乱れ、悶えていました。
私のそれは嫉妬に猛り狂いました。
抜ける。これは抜ける
なんか、TwitterでFaceAppで阿部寛に男性化エフェクトかけても何も変わらんみたいな話がバズってたので、
へーそんな性別反転なんてできるんだー今のアプリってすげーなーとか周回遅れなことを考えて
ふと出来心でFaceApp入れて自分の写真で男性化を試してみたんよ
そしたら引くほど若い頃の父親に似てて、何というかすごいショック
父親に似てる事がというか、ほとんどいじったところない(髪型ベリショにして化粧剥いで眉太くしたくらいな)のに父親に激似になったことがショック
どうも前々から化粧頑張ったり髪型いじったりしてもなんかブスというか、男が女装してる感があるんだよなと思っていたが、元が実質男ということじゃないかこれは
はーただでさえ今年35歳の女という悪条件でアレなのに婚活やる気が更に失せたわ
昭和の価値観がこってこてで、今の子が読んだら時代遅れになるよ。
ドラえもんはあまりにもスタンダードになってしまって、無害と思っている人多いけど、あれ、のび太がどこでもドア使って、しずかちゃんの風呂を覗きまくっているからな。
小5男子がきもいデレ顔で堂々と性犯罪を犯しているのに、当の女子は「のび太さんのエッチー!」というだけで、たいして怒ってないのすごく違和感ある。
実際あんなことあったら、トラウマになって2度と顔もみたくなくなるし、しずかちゃんの親は何をしているの?
「そのぐらいで騒ぐなよ、軽い出来心だろ」で済まされた、セクハラ上等の時代だったのだからしょうがないのかもしれないが、そういう昔の価値観を今の子供、特に女児に植え付けたくない、と思う。
Drスランプも覗きのシーンがあった記憶があるし、あの時代の少年漫画は今ならヤバイ性犯罪の描写がナチュラルに出てくる。
あさりちゃんは少女漫画だけど、暴力シーンと言葉遣いが結構やばい。
あの時代の漫画に出てくるお母さんって、のび太のお母さんもそうだけど、専業主婦でストレス満載で毎日イライラしていて、暴言とか暴力とか日常茶飯事で描かれてる。
本人が読みたがるならしょうがないけど、あえて親から勧めたりはしない。
そもそも古すぎる漫画だから、親から勧めない限り読む機会もないんじゃないか?
こんな加齢臭のする漫画ばかり出してきて、低学年女児でプリキュアがでてこないのはなぜ?
本や漫画って、親から勧められたものはたいてい読みたくなくなるので、子供を本屋に連れて行って選んだものを無条件で買うのがいいと思う。
大学生の期間すっ飛ばして、社会人になってからできた3人の彼女たち、その中の1人に私は心をかき乱されていて、つらい。
過去は過去だし、そもそも私の心をかき乱している女性と交際していたのは2年前とかそのくらい前なのに、私はその人のことを考えると精神不安定になってしまう。
日頃彼氏に女の影などはなく、浮気なんて疑ってなかったし、ただ「Twitterでどんなツイートしてるのかな〜」くらいの気持ちで覗いてしまった。
LINE、インスタのDM、アプリ一覧、Twitterのツイート、ありとあらゆるものを見たけど、女の影どころか私以外の人間と定期的に連絡をとっている様子すらなかった。
画像フォルダをかなり遡ると、女の子とのツーショットが出てきて、直感で「ああ、元カノだなあ。」と分かった。
でもそれ以外の女の子との写真はなくて、ただ消し忘れたかのように数枚その女の子との写真が残っていた。
私とのツーショットの写真は、LINEで送っても保存しないのに元カノとのやつは残してあるんだね とか
ツーショットの中に1枚だけ元カノのエロい自撮りがあって、「人に画像フォルダ見せてるときに出てきたら気まずいから」って理由で私とのハメ撮りとかは撮らないのに残してるんだね とか
元カノ、かわいいなあ。雰囲気似てるから、私のスーパーアップデート版だなあ とか
そういうこと考えてしまい、その日は眠れなかった。
その日からしばらく経つが、私は依然として精神が不安定で、とうとう数年ぶりにメンクリに行って安定剤をもらってきた。
安定剤を飲んでも、ぼんやりと元カノの顔を思い出してしまい、眠れない。
私より愛されてた気がする元カノを思い出しては、憎み、嫉妬し、悲しくなって、涙がとまらなくなる。
早く楽になりたい。
もうこのまま前みたいに付き合えないんじゃないか。
そもそもマトモな若者は自粛してるし、仮に自粛してても大学や高校と自宅だけを行ったり来たりで、食うためにバイトとか出ざるを得ないわけでもなく家族が養ってくれるわけだし、20代社会人だって自粛してるのはテレワークできるくらいの仕事についてるような、ここのITエンジニアたちの増田みたいな人たちばっかりなんだから、まともな奴はちゃんと自粛しててコロナになんかかかってないのになんの問題があんの?
感染してるとか感染拡大させてるのって、それこそ歌舞伎町とか六本木とか川崎市とかにいる、生まれも育ちもド底辺の35過ぎたら人生詰んで花と散るみたいな生活してる底辺DQN男や低知能バカ女みたいなのばっかでしょ?
ネトフェミだって存在さえなかったものとして扱うくらい、なんの利益も生み出さない存在同士が、濃厚接触しあって感染しまくってるだけで、ちゃんと自粛してる普通の学生や社会人は、それこそ今こそチャンスだとばかりに若い貧困女性や貧困男性を金で釣って漁ろうとしてる、性欲と出来心に狂ったアホみたいなのが自己責任で感染して高熱で「アッアッアッアッアッ」とかもがき苦しんでハゲてテンカワアキトみたいに味覚障害起こすだけで、そんなのだって若者の中では少数派なわけじゃん、自己責任で十分問題がない、金かけて国が対策する必要なんかない。
例えば、そういうDQNが安っぽいNTRエロゲーみたいにお嬢様やエリートイケメンたちに言葉巧みに近づいてバンバン濃厚接触に持ち込んで新型コロナに感染させに、積極的な諜報活動ばりの侵入を繰り返してしてくるっていうなら、警察が何とかしなきゃレベルの大問題だが、結局ちゃんと自粛してる若者と、そんな底辺DQNたちとは関わり合いがないんだから何の問題もないのに、自由権の侵害だとか老害が若者を不当に弾圧してる!って鼻息荒い人たちは、なんでそんなに必死になってるんだろうね
個人的にはまだ買い時じゃないと思ってるので売却することにした。
メルカリ見たら10万超えてたので、日頃転売野郎を憎んでいる自分も相場に乗った。
右から左に流すだけで4万程度の利ザヤをいきなり得てしまった。
おいしいので、抽選があればまた応募するだろう。
俺みたいな職業転売ヤーじゃないけどカジュアルに相場に乗る一般人はかなり多いと思う。
こういう一大転売イベントで転売側に初めて立って得た感情と知見を以下に書いてみる。
上記だと今回はヤフオクが削除しまくってるようなのでメルカリで売った。
つーかヤフオク久々に覗いたが、かんたん決済がどうとか、プレミアムがどうとかややこしいな。
・開始直後の価格設定が難しい。
価格が大きく上下して相場形成している時期なので、いくらくらいで出すか迷った。
俺のようなカジュアル転売一般人は利ザヤがでればいいので、頭と尻尾はくれてやるつもりで相場やや低めで売った。即売れた。
株だわこれ
いろいろな注意書きを見て、そんな難癖をつけてくる人もいるのかと軽く戦慄した。
高額商品なだけに慎重になってるんだろうか。
喫煙者いないとか、ペットいないとか、そんなん書く必要あるのか。
・一番きくのは購入後未払い放置
支払い方法をコンビニ払いにしていつまでも払わなければその間転売ヤーはその商品を再出品できないので効果的な嫌がらせになる。
売却に影響あるかというとまったくないと思うが、5chのノリで会話し始めるのがややうっとうしく感じる。
いまだにインム語が飛び交うので内容的に中高生が多い気がした。
・売る側は意外にストレスある。
そして今回のps5レベルの注目度のある商品だとことさら転売側は憎まれているのが伝わる。
「違うよ、俺は普段は一般人で今回出来心なんだ…」と同じような出品者が概要欄で言い訳してたが火に油を注いでるだけだった。
規制する気配が全くない。
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200904203318
ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツを精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。
特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事そのものが精神的に不健康である」という意見には唸らされた。
一般に販売されているゲームで、自分がクリアしたことのあるものに該当はなかった。
やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲームは審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。
それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。
なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人が制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。
以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。
見た目はほんわかしているが、中身はエログロ(特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。
プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。
ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。
どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。
特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。
私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。
あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?
違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛や嫉妬や絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。
大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子。旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。
パズルゲームでの得点によって物語が分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズな誕生日パーティーをしたかっただけなのだ。
プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイルや画像データが現れたり消えたりする。
最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。
いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。
以前の作品である「愛と勇気とかしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味でビビらせることに全力を注いでいる。
プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームはプレイヤーを驚かせてくれる。
数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康な作品だ。
ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年は絶対にプレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。
体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。
作者、特に2周目の恐怖演出を担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味な演出だった。
「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷なゲームを作って社会に復讐しようとしたんじゃないか?」
私はそう推測した。
「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的な確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメントと一貫性。
プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームをクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームをクリアできた。俺はチキンじゃない!
終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味な演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームをプレイした時間が無駄だったと認めることはできない。
そんなことをすると自分は愚か者だったことになる。だからこそ、個性的なゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由のひとつだ。
今までにないタイプのゲームだったのは間違いない。ホラーゲームが好きな人にとっては珠玉の一品だったと思う。私も、このドキドキ文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。
名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。
この作品は、上下巻の約700ページ(しかも行間がほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。
①ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする
②騒ぎの最中かその前後のパートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる
③ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る
エログロ小説と世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サドは貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターンで小説を書き始めたタイプの人だ。
この小説が有名になった理由のひとつは、サド自身が社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。
哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説のキャラクターは喋りの量が半端ない。ドストエフスキー並みだ。
※一部のみを抜き出した。この場面の文字数は引用箇所の軽く数倍はある。
「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」
「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者は自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16
今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。
悪徳の栄えで論じられている思想はニーチェやハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。
私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。
今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。
私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ちに気持ちを打ち明けるところだ。
※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。
「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいないからそう言うが……」
「なら全部すっかり話してください!」
「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」
「どうしたと言うんです?」
「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしまう必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」
ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております」
「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58
ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエットは修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。
その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄えの醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。
物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間は自然に有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者が翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。
年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。
いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。
この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。
アメリカの田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭りの観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。
という言葉が脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。
この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。
メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。
巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。
運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元の警察に相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。
実際、一度はルースの家から脱出に成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。
ルースやその子ども達からの虐待はさらに苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…
この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。
今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックスに映画があるらしい。今度見てみることにする。
作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。
あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界の経営者として成り上がっていくというもの。
昭和の時代の話なので、解放同盟や共産党や右翼にヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。
問題なのは、ノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。
作中では、実際に存在した人物の名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。
作者と新潮社は解放同盟から怒られた。出版元である新潮社はHPで謝罪文を出している。作者である上原氏もnoteで反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。
巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。
初めまして。
先日ふとした出来心でツイステッドワンダーランドに関するお気持ちブログを読んでしまい、それ以来色々と考えてしまっている別ジャンルの腐女子(いい歳)です。
まずはじめに、私のスタンスとこの文章で何が言いたいかという結論だけ先に書いておきます。
私はツイステのことを特別好きでも嫌いでもないし、作品自体になんらかの罪があるとは思っていません。(そのうち気が向いたらやってみたいなと思っています)
その上で、
「この作品はコンテンツとして公式に供給されているものだし、それを楽しむことは何も悪くない。しかし作品の性質上、苦手な人にとっては極めて苦手なものになると思うので、楽しんでいる人もちょっとだけ、苦手な人に配慮してあげたらいいんじゃないか」
と思っています。
ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
私が言いたいことは以上なので、ここで引き返していただいて全く構わないのですが、色々と考えたので以下に雑考も置いておきます。
どうしてそういう思いに至ったか、が気になる人はどうぞ。長いです。
私自身は特別ディズニー作品に思い入れの深い人間ではないのですが、ツイステが発表された時は、それでもかなり驚きました。
ディズニーアニメといえば、「おとぎばなし」、「メインキャラクターは可愛い動物やプリンセス」、「海外アニメ特有の絵柄」といったイメージが強く、実際にこれまで公式に配給されるコンテンツはその大枠を出ないものであったと思います。
これに対し、ツイステはそうした従来のディズニーアニメ作品のイメージをよくも悪くも覆すものでした。
(※ディズニー作品でも実写映画はもうちょっとダーク&アダルティな雰囲気のものも多いと思うので、ここではツイステと、ツイステの中でモチーフとして使用されているディズニーのアニメ作品のみに絞って考えています。)
ディズニーアニメとは、「大人も子どもも楽しめて、教養やユーモアに富み、映像は美しいか、または可愛らしい。血が出ない。グロくない。一般的な感覚ではエロくもない。子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」だと思っていましたので、「そうした作品群を原作(モチーフ)とした、サブカル的な作品が、公式コンテンツとして配信された」というのは素直に驚きです。
ひと昔前、ディズニーには「著作権にめちゃくちゃ厳しい」というイメージがありました。
近年はディズニーに限らず、版権元がファンアートに寛容な雰囲気が広がっており、ここ数年の間にはディズニー関係のファンアートを目にする機会が大幅に増えた(体感)と感じています。
ですが「ディズニー作品は手を出してはいけない聖域あるいはハザードゾーン」というのが暗黙の了解、もとい暗黙の常識だった時代は確かにありました。なので、いかにも女性オタクに受けそうな(というと語弊がありそうですが、私自身女オタクで別に女オタク蔑視はしておりません)、二次創作が盛り上がりそうな毛色の作品を、あのディズニーが、公式コンテンツとして出してきたのは驚きを通り越して衝撃です。
こうした驚きを経て、私が次に思ったのは「この作品、面白そうだけどヤバそう」でした。
なぜそう思ったのか、というと、居並ぶ美麗なイケメンたちを見て「これエロ同人とか描く人が出てくるよね?」と咄嗟に思ったからです。
エロ同人が悪いとは言っていません。好きです。
ただ、「ディズニーのエロ同人がまかりとおる時代になる」なんて一昔前なら考えられないことでしたから、エロ同人もたしなむ年代物の腐女子として、素直に「ヤバくね!?」と思ったのです。
そして、ディズニーはそういう日本のオタク文化をも許容するのだろうかと驚き、首を傾げ、同時に「この作品を蛇蝎の如く嫌う人も出てくるだろうな」と感じました。
以前拝読した「お気持ち」ブログで、「ツイステはキャラクターの性的搾取」という文言を目にしました。
その意見の正誤、公式のコンテンツが性的かどうかはさておき、あたりを見回してみると現に「ツイステキャラに性的な目を向けている人」が少なからずいるということは間違いではありません。
もちろん、すべてのツイステファンの方がそうではないと思いますが、事実としてツイッターのTLには「●●くん、えっち」「R18同人誌買いたい」という声が、ごく普通に流れてくるようになりました。
元々そういうTLですので、それ自体に驚きはありません。
公式はそれすら意識して売り出していると思いますし、「そりゃそうなるよね」という感想です。
あんな美麗なキャラ達を並べ立てられて、ストーリーもよいという評判。
それを受けて、このサブカル大国で世のオタク達が何をし始めるのか、天下のディズニーが想定していないわけがない。
個人的には、ツイステを発表したことで、ディズニーはツイステに関して「多少のことは許容する」という方針なのだと解釈しています。
ですから、二次創作してる人を白い目で見ることもないですし、楽しみたいように楽しめばいいと思う。
でも一方で、「従来のディズニー作品が好きだった、ツイステは受け入れられない」人の気持ちを考えると、辛い気持ちになります。
(※従来のディズニー作品が好きで、ツイステも好きになれる人は今一点の曇りもなくハッピーだと思いますので、ここでは考慮していません。)
子供の頃から慣れ親しんだ大好きなキャラクター、をモチーフとしているキャラクターがいる。
そこまでは多分許容範囲でしょう。でも、それを「えっちだ」と言ってはばからない人がいる。
中には「原作は知らないけど」と言っている人もいるかもしれません。
「原作もツイステも好きで楽しんでる人」にとっては問題ないかもしれませんが、「原作は好きだがツイステは苦手な人」にとっては、その状況は辛いだろうなと思います。
「AはBをモチーフとしたキャラ」と、「BはAのモチーフになったキャラ」では主体が違いますよね。
元々Bが好きな人からしたら、なんでこんなことに、となるのは、自然な感情かなと思います。
さらにAが有名になって一人歩きし始めて、AもBも知らない人にAの情報だけが残る、ということにもなり得る。それは悲しいし、悔しいですよね。
でも、公式という一次ソースが提供しているものを消費者が消費して楽しむことは何も悪くないのです。
では怒っている人は何に怒っているのだろうと考えると、私は、「ツイステを公式のものとして送り出した公式」に腹を立ててる人が多いんじゃないかなあと予想しています。
与えられたコンテンツを楽しんでる人たちが悪いわけでないとしても、作った公式が、それに乗っかる世の中が、悲しくてしんどくて、結果的に多少的外れな言論になったとしても、吐き出したくてしょうがなかったんだろうなと思います。
ディズニーアニメ同様、「子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」にカテゴライズされるだろう作品です。
オタクになっても、腐女子になっても、その作品は私にとって特別な存在であり続けました。
キャラクターを擬人化(美形化)した二次創作を読んでみたこともあるし、それはそれで楽しんでいました。
でもそれには「二次創作だったから」楽しめていたという側面があります。
なぜなら、「原作者は絶対にそんなことをしないはず」と(勝手に)信じているからで、私も私の好きなジャンルで公式がツイステのようなコンテンツを出してきたら恐らく発狂します。
(ネタ、ギャグの一環で片付けられるジャンルであれば別かもしれません。)
言葉が悪くなってしまいますが、「ツイステでディズニー作品が汚されてしまった」と感じる人は、「ディズニー公式のコンテンツとしてこういうものはありえない」と(勝手に)信じていたのだと思います。
今まで「ありえない」と思っていたものが、公式的には「(実は)アリだった」というのがここへ来て明らかになった。「勝手に信じて勝手に裏切られただけ」という人もいるとは思いますが、私個人的には、ディズニーはそう信じさせるムーブをしてきたと思っています。ですから裏切られたと感じる人がいても無理はないと思うし、そういう人達にはお気の毒と言うより他にありません。
公式が敵に回ると本当にひたすら辛いんですよね……だって、どんなに嫌でも公式なんだもの。
二次創作だったら「二次創作だから」で目を瞑れることも、公式にされたらしんどい。逃げ場がない。
そういうモヤモヤを抱えて、でもどうすることもできない人達がいるということを頭の片隅に置いてみませんか。
「みんな住み分けるべきだ!」とは言いません。ただ、「住み分けたい人が自主的に住み分けられるように、手伝ってあげられませんか」と申し上げたい。
フォロワーさんたちがどんどんハマっていった結果、TLがツイステ関連ワードで溢れ、本来探したい情報が埋もれるという現象は私のTLでも既に起こっております。
今はワードミュートしていますが、他の方が指摘されていたとおり、タグや作品名の表記なしで回ってくるファンアートは防ぎようがないのです。
私はツイステが特別好きでも嫌いでもないので、周ってきたら「最近本当多いな…(アカウントごとミュート)」で済みますが、ツイステが苦手な人にとっては、それらを一瞬目にすることさえ苦しいと思うのです。
「勝手に苦しんでいるだけ」「嫌なら見るな」と思う人もいると思います。その言い分も、分かります。
でも、楽しんでいる側は特に困っていないのですから、「嫌な人には届かないようにしてあげる」くらいの配慮はしてあげてもいいと思うのです。大した手間ではないし、タグをつけておけば探す側にとっても容易で一挙両得ですよね。
ちなみに外野的には、ファンアートの投稿時にはキャラ名だけでなく作品名も一緒に入れてほしいなと思います。
(キャラが多いうえ、あだ名で呼んでいる人もいたりすると、ワードミュートでは拾い切れないのです。)
最後にもう一度、ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
なんでこんな自分にとって毒にも薬にもならないことをとくとくと考えてしまったかというと、昨年、大好きだったとある作品のとんでもない続編が発売され、「公式がこれを公式のコンテンツとして出してくるのか」と憤怒と憎悪を滾らせてしまった自分の気持ちを思い出して、「ツイステが苦手な人」に共感しすぎてしまったのです。
辛いうえに、気持ちを吐き出したら反対意見がどっと押し寄せて、なおさら辛くなったよね。そう思ったらますますしんどくて、その気持ちもわかるよ、そう思っちゃっても仕方ないよって、聞こえなくても言いたかった。
そのブログによって傷ついたツイステファンの人もいるでしょうから、どっちが悪いとかいうことではないんですが、吐き出さずにはおれなかった人の気持ちもわかるんです。
ミュート徹底してもトレンドに上がってたら防げないし。でもツイッターやめられるわけでもないし。自分の問題でしかないけど、辛いものは辛いですよね。
ねえちょっとまって。
「貧困に窮してる女性その人の、女性その人自身がもうからない」ということなんだけど。
各個人で見知らぬ人に対して安全確保だの事前確認だの制約の厳守だのセルフマネジメントできるわけじゃないじゃん。
だと割のいいプラットフォームに乗りたいと思うよね。売れてるお店で働きたいって。
そうなると、それで儲かるとみた競合がでてきて、相互に成り立たないと不利益になる条件や相互に抑制しあう状況になるよね。
売れる所には売れっ子がでて、そこで売ったほうが高効率だけど入れないとか、じゃあその次、その次の条件だけどしかたなくその次、と下がっていくよね。
商売で競合に並ぶとはいわずとも同じ市場で生き残るためには、内容も相応だけど価格も相応に顧客の満足が「価格、機会、品質」のバランスを料金と等しいと感じる位置に設定する必要があるよね。
まさかブランドバッグと100均の袋が一緒と思ってる人はいないとおもうけど、100均の袋はそんなもん買う必要がないとして売れてないわけではないよね。数量としてはブランドバッグより売れてより多くの機会で使用されているよね。
逆に100均でカバンうってるからってブランド品がカバンの総量について危惧することはないよね。
風俗店に行くって言ってる時点でそのプラットフォームの市場に乗るってだけの話で、やくざが不条理にその市場を閉鎖的にしているため安いサービスは存在していない、従業員の扱いについて下の下にする必要がないというかそういうプラットフォームは参画不可になるという実情がない現在、素人が低価格で短期間に機会を衒う、ほんとにはした金で生命の危機に瀕する事もでてくる可能性があるわけだよね。逆にほんの出来心であとくされなく一度だけ体を売るってこともできるわけだろうけど、そこで生命の危険などに関わるハズレくじをひく可能性もその後になにかすべき手段もないわけだよね。
そもそも女性が貧困になることが多くなる、身持ちの良い人がそこに落ちてくるって時点で男性もたいがいに貧困に足つっこんでるはずだよね。だと起こりえるトラブルと市場のランクは想像つくんじゃない?
トラブルが増えればそれを阻止しているという名目でピンハネは大きくなっていくだろうし、競合や市場が大きさを増せば金のない客層にも売るために大幅に価格は下がるでしょう?
それでいて女性本人に割のいいとはいえなさそうとは、想像に難くないと思うけど。
じゃあ安い町工場で働けよって言うかもしれないけど、そこをクビになってきてるわけでしょ。
まともに8時間立ち仕事で工場勤務なら寮完備で工場勤務もあるかもしれないけど、それができない人がいるわけじゃん。それでセーフティーネットって話になるんでしょ。
一時間で5千円ほどもらえたらわりにあってないたかい報酬かといわれるかもしれないけど、体を危険にさらすのが楽な仕事ってわけないじゃん。
労働に見合った対価とかでいえば、ワンクリックで一時間五千円ほどになる証券取引とかオンラインでしてるのはどうなるの?税率9割とかにしないとおかしくない?
ね、女性にぜんぜんいいことないと思うんだけど、これしないですむ方法があるなら、チャットレディとか増えるとかならまだぎりいいかもとおもうけど、それよりその市場やプラットフォーム整備をおっさんがしておっさんが設けるために女性が安く仕入れることができるチャンスがくるっていい方とかそういう市場の作り方ってあまりよくないと思うんだけどどうかな。
恋をしたのはもう10年も前のことだ。
そしてなにより人と付き合ったことがないから、この年にして処女というのがコンプレックスだった。
この春、社会人になった。
大学まで女に囲まれて過ごした私は、世の中の男女が恋バナしかしないということに気づかなかった。大学の友人と話すことといえば、好きな俳優のことや好きなアニメの話だったのに、同期が振ってくる会話は彼氏いる?気になってる人いる?同棲してる彼氏がね、このあいだ婦人科健診で…といった具合だ。余計にコンプレックスが刺激された。
そしてディルドを買った。処女コンプレックスの私でも、棒を入れることができれば処女ではないな!という、謎の根拠から買った。同期があまりにも彼氏や彼女や恋愛の話ばかりして、気がおかしくなっていたのだ。Amazonで翌日に届いた。
わたしは小5からオナニーというものを覚え、多い時は週に4回ほどしていたが、ほぼクリトリスを刺激するという方法だった。
指は出来心で何度かチャレンジしたことはあったが、1本はなんとか入っても、2本目となると激痛で入らないのである。
そんなわけで、届いたその日、まずクリを刺激して局部を濡らし、指を一本抜き差しし、そしていざディルドを挿入しようと思ったが、全く入らなかったのである。
絶望した。
もう一生誰かとセックスなんてできないし、まともな人間の生活を送れないと思った。
そして次の日も同じような状況で、ディルドはクローゼット行きとなった。
それから3日後、どうしても買ったものが気になって、自己開発を進めた。指を2本、スムーズに入れるための特訓である。
毎日刺激して丁寧に進めていくと、自分の感じるスポットがわかるようになり、そのうちに2本入れても痛くなくなった。ディルドを入り口にあてがいながら試行錯誤してみたが、しかし入りはしなかった。ただこの時、ディルドを固定しながらクリトリスを弄ると最高に気持ちいいとわかり、今までにない快感を味わえた。
それを毎日続けていき、ついに昨日、ディルドが入ったのである。
感激した。
全く気持ちが良いとも思えなかったし、どこが良いのかわからないが、とにかく私は処女ではないという心地になった。いや処女だが。
もう5年とか前だけど。
完全に私だけが悪いんだけど。
音楽の好きな人で、丁度上映されていた映画が好きなジャンルの音楽がテーマだというので、普段自分がアクション映画とかB級ホラーとかばかり誘ってて申し訳なかったので前情報も特に仕入れず、映画館に行った。
映画、彼氏は気に入ってサントラとパンフレットも買ってたんだけど、私はちょうど辞めたばかりの職場の上司のパワハラぶりがフラッシュバックして怖くて途中から泣いてた。
で、大変申し訳ないことに、彼氏に会うたび映画館でのフラッシュバックを思い出して、会ったあと寝込んだり逆に眠れなくなったりして、結局半年しないくらいで別れた。
最近自分の首を絞めるのが癖になっている。比喩的な意味ではなく。一度出来心で寝る前に自分の首を両手で絞めてみたらしんどい反面なんだかすごく心臓の音が大きく感じて、たくさん呼吸をして、何故か無性に安心してよく眠れた。
それ以来寝れないなと思うとそっと首を絞めてしまう。秒数を決めているからしんどくても決めた秒数までは絞める。多分まだまだしんどいとか死ぬとかそんなラインには達していない。手を離したらゼーハー息切れするくらい。ただ本当に癖になっている。会社でもエレベーターで1人の時、そっと首に手を持っていってしまう。絞めたいな、安心したいなと思う。やめないといけないのか、なおさないといけないのか。でもやっぱり首に手を添えるとどこか安心する。
30代前半の女。
ちょっとした出来心で「エロいサービスのあるマッサージ屋」に行った話。
お客さんの口コミを見ると「あんな事までして頂けるだなんて」「忘れられないサービスでした」「気持ち良すぎて今でも夢見心地」等と暗にエロいマッサージが受けられる事が伺える。
決心をして電話をかけるととあるマンションの一室を指定され、扉を開けるとマットだけが置かれたワンルーム。
まずはシャワーを浴びるように言われ、その後マッサージが始まるのだが、始めは普通に首や背中周りを指圧される。
それが次第に腰周りや鼠径部を刺激するようになり、気付けばセックスしていた。セックスのテクニックも可もなく不可もなく、という感じ。
「本当は5,000円だけど1,000円で良い」と言われて支払ってマンションを後にした。
数日後、すんごい後悔が襲ってきた。
あれだけ後悔したのに、この可もなく不可もないセックスの事をたまにふと思い出す。