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2017-10-26

イキイキママって正しさなのかねぇ?

anond:20171026004910

会社単位で見ると戦力外のイキイキママ社員を飼い続けて他社員士気を下げるのは正しいと言えるのか?

無駄正社員椅子キープし続けて、育休中や時短の間は派遣非正規で補え?

派遣非正規教育で発生するコストは誰が払うのか?

いつ妊娠してもいいように経営は常に過剰人数を雇え?

いつイキイキママ復職してもいいように有能な派遣正社員登用させるな?

いくら会社にとって不利益でも?

イキイキママはたいへーん!ってのは、プライベートの話だよな?そもそも公私混同では?他の人にはプライベートないんですか?

せめて被害被ってくれてる同僚に感謝しろよと思うのに

"結婚生活にも一定の図々しさは必要からなぁ。まあ、増田のようなタイプ人間は気にせずこれからもイキイキさせてもらうので、こっちの足を引っ張るような愚痴の垂れ流しとかはホントやめて下さいね。"

↑こんなブコメが付く世界だぜ。

これってどっちが正しいんだ?

2017-10-25

ミクロ弱者マクロに救われるとは限らない

anond:20171023212011

弱者であれ強者であれ個人ミクロ存在なので、マクロから見た場合統計的しか補足できない。

「(マクロ意味で)弱者(の総体を)救えば、(マクロ意味で)強者であるあなた(の属する強者総体)も(一定範囲内で)利益を受ける(可能性が高い)」ってのが真実で、()の中が省略されているだけだよ。

でも個人人生あくまミクロベースなので、個人レベルでの生活論で言えば上記理論に私財(生命しろ財産しろ自由にせよ)を投入すれば、多くの場合不利益のほうが大きい。例えば金持ちが全財産をまるごと寄付して、即座に寄付総額よりも大きな利益を受け取れるってのはまあ、概ね間違いだ。そんな事例は検討する必要が無いほどレアだ。

どっちかって言うと確実なのは弱者虐待しすぎると自暴自棄になった弱者強者をぶち殺しに来るぞ」ってことで、宗教テロにせよ経済格差テロにせよ本質的にはこれだ。強者弱者に気を使う必要があるのは、別の、そして決定的レイヤである物理的な暴力」で逆襲をされないようにするという一点にかかっている。

そもそも最初の「弱者を救えば強者も救われる(利益がある)」ってのにおける「強者が得る利益」ってのは「殺されない(その可能性が低下する)」って言う利益だ。文明が進んで先進国になった現在個人間の格差ジャンルによるけれど、数十倍から数百倍にたっする。例えば資産とか、生涯賃金(稼ぐ能力)とかがそれ。先行者富裕層)絡みて一番イヤな種類の公平はファイトクラブ的な裸で拳な暴力世界であって、その世界では彼らのアドバンテージはなくなってしまう。それはある意味とても公平ではある世界だ。そして現代社会だって一皮むけば中身は全くそのまんまなのだ

でも「すべての人民の間には物理暴力がある」っていうただの現実は、先進国において強者(多くの場合経済的知的富裕層)にとっても、弱者(同じく経済的教育貧困層)にとっても不愉快事実だ。強者から言えば自分たち脅迫されうるっていうのはストレスだし、そもそも弱者側にも武器があるってことを知らせるのが不都合だ。弱者の側から言えば自分たち要求武力を背景にした強請りたかであるってのは不都合な事実だし、人権だとか考えておいたほうがストレスがない。そもそもこの件をほじくり返せば共同体(この場合国家)に「分断」が発生してしまって、それが国力低下を招くのは西欧見ればあきらかだ。臭いものは蓋をしてなあなあにしておいたほうが全員にとって都合が良い。

みんなが自分利益を最大化したいと思いつつも、自分以外の参加者を決定的に怒らせて団結を壊すのは全員の不利益であるので、なあなあでみんなが少しずつ我慢できる結果を模索する――その現場福祉政策政治的合意をさぐる国会であり、今回のような選挙だよ。

2017-10-20

anond:20171020011938

いいじゃない。美人は僻まれる、ブスは虐げられる。どっちにも不利益はある。

美人だというアドバンテージをうまく使えるようになれば、もっと生きやすくなりますよ。

ブスに下手に出て、自分を磨けとか余計なアドバイスをせずニコニコしてればまわりからの印象が楽に良くなりますよ。

快適な美人ライフを。

2017-10-17

自分が生きているのはすべて間違いだった

また企業面接で落とされた。これでだいたい50社は受けたような気がする。

悪い点はいくつか心あたることがある。

年齢がいってること、第一印象が悪いこと、ハッタリをきかせられないこと、コミュニケーションが極度に苦手な事のすべてが噛み合っているのだろう。

一般を求める企業に置いて他の人とは悪い意味で異なる自分は確かに不利益だし気持ち悪いものだ。

こんな気持ち悪いものでも憧れの企業があったが、そこにはすべて落とされてしまった。所詮自分自尊心のおばけだったということだろう。

自分はこのまま社会必要とされないままなんだろうか。もう就職の関連のことを考えるだけで吐き気がしてくるようになってしまった。

なにをどうしたらいいのか、自分はどうあったらいいのかわからない。

コミュニケーション第一印象の悪さはどうしたらいい、誰をお手本にすればいい。

もう生きていていいと思えない。自分なんて生まれなければよかった。

2017-10-14

コンビニの廃棄なんで多いのとかそういう話

特に呼ばれてないけど出てきた。

https://anond.hatelabo.jp/20171014062408

なぜって話なら簡単で、そのほうがわりと得する人多いから。

とりあえず食い物捨てるのもったいねーとかロスチャージがーとかいう話は置いとく。ロスチャージの話はあとでするかもしれない。

えーとまず前提として、廃棄ってのは店舗側にとって「かならずしも」不利益ものではない。というのは、廃棄が出るっていうのはどういう状況かというと「商品が充分にある」ということだからだ。弁当とかは、1日に2回とか3回とか店に来る。朝飯晩飯なんかにあわせて納品があるわけだけど、納品と納品にはとうぜん谷間ってものがある。コンビニっていっても朝昼晩がいちばん混雑するわけだけど、同時に「コンビニでメシ済ます」の状況について考えてほしい。たとえば昼メシ食いそこなったときだとか、残業すっげー遅くて牛丼しか営業してないけど、でも寝る前にせめてストロングゼロくらいは飲みたいよねってなったときに2箇所の店に寄るのすごいだるい、みたいな状況がけっこうあると思う。つまり弁当はいっても、ピーク時「だけ」売れるものではないということで、24時間はいわんけど、ある程度すべての時間帯でそれなりの商品ボリューム感は欲しい。幕の内とからあげ弁当が2個だけ陳列されてるような状況だと買う気になるかって話ですよ。

なんで、弁当とかって基本的に「次の納品にかぶるように」商品を置いておくのが正解になる。つまり売れるギリギリの量を見切ってその上限で発注しつづける。

けどそんな読みどおりに行けば苦労はない。天気予報が外れたー、電車が遅れたーだの予測を外す要因なんか腐るほどある。なので「これなら絶対欠品しねーだろ」っていう上限限界在庫を持つのである。そりゃ廃棄も出る。

もちろん廃棄がまったく出ないように発注することもできるだろう。売れる数に対して少なくとりゃいいんだから。でもそういう店って、結局客からは「弁当の少ない店」って見られるんですよ。ちょっと想像してほしいんですけど、これ読んでる人のなかでもなんとなく「弁当がいつもある店」と「いつもなんか残りものみたいなものしかない店」っていうイメージあると思うんですよ。

「ない店」って思われた店では、さら弁当が売れなくなっていく。発注を減らす。さらに売れなくなる。極端な話、最後には「弁当を買いたい人は行かない店」となる。昔と比較して弁当類売れなくなったっつったって、やっぱコンビニの売上では柱に近いところにあるわけですよ弁当ども。

から要はですね、たとえ廃棄が出ようとも、その金額が「モノがなかったことによって発生しただろう損失」より小さくなれば問題はないわけ。コンビニにとって(あくま経営観点だけですよ)廃棄って絶対悪じゃない。あくまで程度の問題

あともひとつ重要なのは、人の記憶にはネガティブものほど残りやすいってこと。大量廃棄出てもうだめだーっていう記憶は強く残るけど、その一方で、早々に品切れ起こしてチャンスロス大会やらかし記憶ってのは、そのことで客が怒鳴りでもしない限り、あんまり記憶に残らない。「廃棄やばい」の背後には、それ以上の回数の「品切れやばい」が本来存在してるはずです。

本部が「廃棄出せ」というのは、実際には「発注強くしろ」の意味であることが多いと思う。本部としてはチャンスロス絶対に防ぎたい。チェーン全体で、たとえば「おにぎりの弱いチェーン」と思われたらチェーンごとひっくり返るからしかオーナーは廃棄を減らしたい。あたりまえですわ。

もちろん発注を強くしろっていっても、無根拠に強くしろって言ってるわけではないはず。それなりのデータを示したうえで仮説を立てて「だから」これだけ強くしろっていう言いかたをしてくるはず。問題はそのデータ現実離れしたものに思えることなんだけど、これコンビニに限らず、数字って「人の実感」をブチ越えた仮説を出してくることが多い。

さらに、いまコンビニ機械の助けを借りずに発注数を決めるってちょっとないと思うんだけど、こいつがなかなか曲者で、本部としては欠品をとにかく防ぎたいもんだから、とにかく欠品を過大視した数を提示してくることが多い。欠品の回数が多く、時間が長いほど、アホみたいな数字出してくる。

あともひとつコンビニって実は売上があんまり安定してない。全体の売上としてはそこまで上下しないにしても、たとえば弁当っていう単体のジャンルだと、トータルの数が昔より減ってることもあって、昨日10個売れました、今日23個売れましたーみたいなことはよくある。ここまで極端な事例はどうしようもないにしても、ある程度の上下動は廃棄出してでも防がないと、1年後2年後の売上には確実に影響が出てくるってのもある。

えーと、あとはあれだ。あれ。あのー、工場本部工場に対してもある程度の売上を保証しなきゃいけない。ただでさえ無茶な要求してること多いんだから、それくらい保証しないとどうしようもないでしょみたいな。この点から発注数は多いに越したことはない。

じゃあ本部の過剰な発注数の要求問題ないのか、なにも悪くないのかっていうと、そうは思わない。ここがロスチャージ問題なんだけど、本部は廃棄出しても腹痛まない。腹痛くないところで「本気で」廃棄を削減しようと思うかって話だ。逆にいえば、廃棄があまりに過剰でない限りは、本部工場店舗も廃棄は「出たほうがいい」わけで。あとは立場によって程度の違いがあるだけである。あ、でも工場でも見込み生産で廃棄出るから、そこはないほうがありがたいよな工場としては。

個人的には本部が「廃棄を出すことを目的に」発注指導をしてるとは思わない。いや結果的にそうなっててもだよ。ふつうに考えたら会社全体で「へっへっへ廃棄出させて俺たちだけ丸儲けだぜ」なんてやってたらバカすぎるじゃん。正確には「自分たちの腹は痛まないので、できるだけ商品を多く陳列させて欠品を防いで、チェーンの競争力を上げる」だと思う。あたりまえだけど、廃棄出すより売れたほうが本部いいわけ。売れるってことは店舗競争力が上がるってことじゃん。チェーン全体にもいい影響あるじゃん問題は「廃棄が出ても本部別に困らない」のほう。そのしわ寄せが店舗に来る現実のほう。このことって、現象としては一緒かもしれないけど、考えかたとしてはぜんぜん違う。もちろん「売れるはずない」と思われるような量を発注させるのは別の悪。ただこれもなー、3個並んでると2個しか売れないものが、12個積んでありゃ「ふだん弁当買わない人が、なんか話題商品かと思ってまちがって買う」というかたちでの副産物があって、弁当での総数は伸びたりするんで、難しいところなんよ。

からって本部が正しいとも思わない。俺を含めてコンビニ関係者って、廃棄のことは投資とか経費くらいにしか思ってないけど、モノは食い物だよ?捨てるの?投資とかじゃないでしょ?っていうあたりまえの人の実感に立ち返ってみれば、なにもかもがおかしい。この「欠品ダメゼッタイ」とかも競争力落ちると死ぬっていう状況も、要は過当競争のなせるわざであって、その状況を招いたのはだれだよって話でもある。

なお、この手の話題ときにかならず出る「冷凍とかでどうにかならんのか」の話なんですが、その昔、午前午後という名前コンビニがあってな、そこではとれたて弁当という名の冷凍食品解凍して売っておって、あれけっこうおいしくて俺好きだったんだけど、そのチェーンがどうなったかは……ええ……。とれ弁好きだったんだけどなあ……。

最後に。

俺はあくまで現状がいいとは思ってない。そもそも現行のコンビニビジネスって、たぶん平均の売上がもっと高かった時代にその骨格ができてる。ロスチャージおかしい、廃棄が出まくるのもおかしい、そりゃそのとおりですよ。それでも早い話、儲かってりゃだれも文句言わない。そして過去にはそれが可能だった時代があった。余裕ないすよどこも。その余裕のなさが最悪のかたちで破裂する前に手を打つべきは、個々のオーナーじゃないと思います

……オチがねえな。

2017-10-08

死刑の改善案

死刑制度賛否について、実生活だとキチガイ認定されると面倒なので、本音と建前を使い分けてます

死刑仇討ちの違い

応報刑論と目的刑

本音説明

自分家族や大切な人が殺されたら、その憎しみ・恨みを晴らすために、犯人自分の手で殺したい。(仇討ち派)

死刑制度があると、自分の手で殺すことが正当化されない。(死刑制度仇討ち邪魔になる)

死刑制度がなければ、自分犯人を殺しても、自分殺人罪を問われて死刑になる心配がない。(安心して仇討ちができる)

 

こんな理由説明したら、お前は野蛮な奴だ!と叱られちゃうから言えない。

現代仇討ち

私刑復讐連鎖を呼び起こすからダメだという批判もありますね。

しかし、現代でも犯人自分で殺す「仇討ち」は絶えません。

 

(例)6歳娘を強姦され犯人を射殺した母親 多くの親が「気持ちはわかる」(米)

http://japan.techinsight.jp/international/2017/09/yokote201709021811.html 

アメリカじゃ被害者遺族が犯人を射殺する事件がよく起こってます

 

遺族への償い

遺族が本当に望んでいるのは、死んだ被害者が生き返ることです。

死人が生き返るなら、犯人にも死んで同じ苦しみを味わえ!と憎む必要もないでしょう。

 

しかし、死人が生き返ることはないので、その代わりに犯人には死んでもらいたいのです。

犯人が死んでも、被害者を失った喪失感回復されないので、100%満足はできないけどね。

死刑改善

死刑制度は存続させるとしても、欠陥の多い制度なので改善余地があります

 

中国は今も囚人から臓器を摘出している?

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4454.php

 

より良い死刑仇討ちを実現するために、良いアイデアがあれば教えてください。

2017-10-07

https://anond.hatelabo.jp/20171007093640

禁止されてない。

ただ活動歴が別のところで不利益に斟酌されることがあるので、その辺をもって禁止されてると勘違いしたのでは。

2017-10-02

anond:20171001185948

「一部の事実無視している」「KADOKAWAの善性の見積りが過剰」「いま出ている情報KADOKAWA叩きになっている。KADOKAWAは新しいコメントを出す自由があるが行使していない」「なんで不利益を被りそうな視聴者権利者のことを案じてやらなければならないのだ」などの意見相手理解度が低いことにして、自分の主張を押し付けいるからでしょ。

そちらの意見を聞いた上でこちらも返しているのに、そちらはなーんでわっかんないかなーって言ってるだけ

ついで煽りに対して煽りで返すのも、業界人として話しているのなら、業界人としてスルーしなさい。はたから見れば煽り合いを楽しんでいるようにしか見えない。(個人的にはすでに業界人ってとこは信じてないけどね)

・・・ところで今レスしてる相手って本当に元増田なんだろうか・・・

2017-10-01

anond:20171001173801

読みました。

社会全体で見たとき利益最大化」を追求すべきって観点ですね。

↓の話とかも近いかもしれないですね。

WinnyCD売上を減らさず~慶應助教授研究に迫る (1/3) - ITmedia Mobile http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0503/29/news097.html

おそらく仰っていることの核は、

>KFPAは、最大限の譲歩である「(制作を辞退されるという最悪の事態を避けるためなら)12.1話でもなんでも自由にしていいよ」

>という切り札を当然持っていたにもかかわらず、それを切らなかったことが、シンプルに罪だと言えます

この判断を、たつきからの「暴露」が起こる前に、

よりスピーディにすべきだった、というところになるのでしょうね。

実態的には、たつき氏はファンが求めていることに対するセンスもあり、

彼の行動によって作品の根幹にダメージを負うようなことは無いだろうと私も思いますし、

仰ることはよく理解できます

「なんでも自由に」までは行かなくとも、

彼に関してだけは、作品に関する種々の情報発信を縛らない契約を結ぶことは可能だったかもしれません。

突き詰めれば、私個人の肌感覚でも、製作委員会側は、

「その結果が、我々の収入に結びつくなら良いですよ」という判断をすると思います

しかし、その条件をヤオヨロズ提示するために、各権利者に交渉し、状況整理するには時間が要るし、

たつき個人に、何か間違いを起こしたときリスクを負わせる必要だってあります

また同時に、事業的な観点から見ても、たつき個人権限を与えすぎることには、リスクがあります

関わっている人数から考えても、それを進める上での判断時間がかかってしまうのは、

KADOKAWA責任ではないように思えますが、いかがでしょうか。

コンテンツは水物ですし、ファンが喜んでくれなければ意味がないのは、私もよく理解できます

スピード感重要なのも同意します。でもどうしたって、現実的な難しさもありますし、

あのような暴露ツイートをした際のお互いにとっての不利益を冷静に考えて、

今しばらく、ヤオヨロズ社がたつき氏の手綱をとるべきだったはずと改めて思います

2017-09-24

問題のない発言で抗弁に時間取られたり辞任させられたら政治が混乱するから不利益じゃん

2017-09-19

anond:20170918230437

精神科生業としている。

もし心配なら、彼氏の親と連絡を取って、彼氏宅に突撃が吉。

親に連絡がまず最初精神科的に危険状態精神保健指定医判断されれば、本人の意思がなくとも、家族同意入院させることはできる。(精神保健福祉法医療保護入院

外来については、強制的受診は、家族警察以外にはさせられない。

警察官職務執行法3条による、精神障がい者保護によって、警察が連れていくことは可能

家族特に法的な根拠はないが、危害を加える目的が明白でない限りは、親族相盗になると思われ、病院受診が本人の不利益になることはないので、極端な話、取り押さえて担ぎ込んでも恐らくは大丈夫

入院しろ外来しろ、この家族の中には婚約者は入らない。よって、受診させたければ家族に連絡。

元増田はむしろ、そこまでする状態かどうかで迷っていると思われる。彼氏への進め方として、食欲不振や不眠など、うつによくある症状がないかきいて、それの改善目的に、受診を進めるのがセオリーかも。

現状は変わらないが、ゆっくり休むこともよい考えをするためには重要。落ち込んでいるときは、良いアイデアは浮かばない。

健闘を祈る。

追記

うつ病かどうか」判定するためには、精神科受診するしかないので、入院外来とどういう枠組みで治療するかはおいておいて、彼氏家族とは状況を共有しておいたほうが良い。

精神科医療への批判は甘んじて受けなければならない。診断にあたって生物学的マーカーを持たないために、診断の妥当性を真に検証することができず、治療への反応性という診断的治療に関してもプラセボ効果が大きいために、確証を得ることができない。このようなあいまいさは、治療がうまくいかなかった場合に容易に不信を招くだろう。

うつ病については治療によく反応する人としない人がいて、常に100%の良い結果を残せるわけではもちろんない。ただしこのことは、病態が明らかにされ診断と治療確立されているほかの身体的な疾病に関しても、同様であろうと考える。

現実的に、メンタルヘルスにかかわる問題が起こったときに、家族以外で真剣にかかわってたよれる機関は、精神科医療以外に選択肢がないことが多い。

手の届かない状況で、大切な人が苦しい思いをしているかもしれないという状況は、とても苦しい心情と察する。もし、精神科など医療機関受診することになったとしたら、信頼できる精神科であることを祈る。

2017-09-17

差別する自由なんてねーよクソが

差別する自由」はある

https://anond.hatelabo.jp/20170916180720

共同体ルール尊重すべきもの差別ではない」と言う人がいる。

しか因習という言葉で示されるような差別的ルールは、元増田が示したように現に存在する。確かに私たちからすれば、それは差別である

はいえ、それは今自分らが属する共同体から見た意見であって、実際には共同体同士の意見の相違、西欧に端を発する価値観に身を浸した自分らが勝手に「差別だー」と言えるだけかも知れない。その定義からして差別であることに違いはないにしても、その共同体には差別以上に大切なことがあるのかも知れず、それを無視して私たち価値観押し付けるのもいいことなのかどうかわからない。

そういうふわっとした文脈で見るならば、この問題は「差別するのも自由ね」ということではなく、「その風習が「差別」だとしても気にしないある共同体価値観」が尊重されている、ということになる。つまり単純に、差別云々よりも優先される大きな枠組みがある、ということだ。

話は変わるが、「男女は違うのだから区別必要だ」などと言いながら無根拠ジェンダーロールを押し付ける人がいる。これは一つの例えで、「◯◯は区別差別ではない」ということを言う人が、そのじつ差別をしていることは多い。だから差別区別根本的に同根だと主張することには「あなた区別だと思っているそれは差別かも知れませんよ」という啓発の意味がある。実際問題区別する以上はそこに区別する意図があり、その意図区別される側からすれば不利益を被るものである場合、更にそのことに区別する側が無自覚場合(事実、往々にして無自覚である)は、こうした啓発には十分な意義がある。

しかし、差別区別は違う。何が違うって、単純に言葉が違う。区別差別と考えることは(ある意味で)わかりやすいかも知れないが、それでは人類差別主義者となってしまう。「生きるのは罪なことだ」と嘯いているうちはまだいいが、そこから「だから私も当然差別をする」までの論理的距離ゼロである。「差別」という言葉告発されるべきアホみたいな現実は山ほどあるし、それは生きる上で「区別」することを避けられない人間において、それでもこりゃあないよと言いたくなるような、一線を超えたものである

ちなみに、以上のような話題になると、「私も当然差別しているが、差別していることを自覚している」という人が現れる。自覚の有無で人間としての高貴さを測ろうとするこのタイプは、実のところ、自分差別-区別スキーム他人押し付けているだけで、過去の人たちが作った「差別」という言葉には興味がない。その「自覚した差別」を「区別」と呼び、「無自覚差別」を「差別」と呼べばいいだけなのに、なぜか自分用語法に拘る。それは、彼らが本当は差別に興味がない、あるいは差別をなくそうとは思ってないからだ。「差別がなくならない世界を知っている私」を誇っているだけである

長々と関係あるのかないのかわからない話をしたのは、「差別する自由」というのは、「差別がなくならない世界を知っている私」のどうでもよいアピールの亜種でしかなく、本当にクソみたいな話だと思ったからだ。別にそれだけなら勝手に言ってろという話だが、改めて言うと、そこから「だから私も当然差別をする」までには何の論理的手続き必要としない。その結論を止めるのは、ただ現実にクソどうでもいいことでアホみたいな差別されて不利益を被っている人の声を聞くことだ。

がんばれクソども。

https://anond.hatelabo.jp/20170916201454

あくまで「差別」と言うのは本人が理不尽に感じていることがベースにあって、

他の人と同じ選択肢が選べず大きな不利益を余儀なくされるのが原則

まれ地域だけで仕事につけなくなる部落差別とか、

まれ性別で異性と同じ仕事ができなくなる性差別とか、

好きで障害者になったわけでもないのに区別される障害者差別とか。

モスクの例は、ファッション制限したいという考え方の人だけが

好きに集まってるだけの場で、全員が理不尽に参加強要されれば差別だが

別に行かない自由があるので差別にあたらない。

モスクに行く人にしても、宗教自由の下で自分イスラム教を選んでいるんだから

「本人の力ではどうにもならない」わけではないし。

ファッション制限が嫌ならイスラム教をやめるかそのモスクに行くのをやめればいいわけだし

別に世界中を見ればファッション自由解釈イスラム教なんていくらでもある。

ちなみに、イスラム教女性がああいった形でファッション制限しているのは

男性を刺激しないようにしなさいという教えからで、

それを自分で選んで信じてるイスラム教徒からすれば、

それを理不尽に感じることは無い。

2017-09-16

anond:20170916220644

死にたいなら死んではどうか

仕事に向いていないんじゃなくてお前は人間社会に向いていない

残念ながら適応することができなかった

淘汰されることは自然なこと

うつ病気自殺病気というなら病気死ぬのは罪ではない

社会的不都合があるから自殺は悪だとされているけど、ただの病死自然淘汰と何も変わらない

環境適応できなかった個体は淘汰されるだけ

そうやって何億年も生き物は生きてきたんだから病死だろうが自殺だろうが何も変わらない

適応できない個体を生きながらえさせるほうが、集団にとっても不利益である

2017-09-13

まじでどうしたらいいんだ

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい

からやなんだよ

この仕事に向いていないんじゃなくて俺は人間社会に向いていない

残念ながら適応することができなかった

淘汰されることは自然なこと

うつ病気自殺病気というなら病気死ぬのは罪ではない

社会的不都合があるから自殺は悪だとされているけど、ただの病死自然淘汰と何も変わらない

環境適応できなかった個体は淘汰されるだけ

そうやって何億年も生き物は生きてきたんだから病死だろうが自殺だろうが何も変わらない

適応できない個体を生きながらえさせるほうが、集団にとっても不利益である

anond:20170913010926

これだけ色々な文化圏他民族で、範囲は違えど共通して近親相姦禁忌がある、ってことは何かしらの不利益があるのは間違いないはずなんだよね

それについて一番最もらしい説明をしているのがレヴィ・ストロースで、それ以上のことは俺は全然専門じゃないので、言えるのはここまでですわ

まあ何かしら参考になる点があれば何より

2017-09-12

anond:20170912180205

不利益になる近親がどの範囲かはその状況により異なるので、個人レベルでは利益になる近親相姦はあり得ること

・本当に集団の全員が集団利益だけを考え、集団認識する範囲が共有されているなら、増田の言う通り規則必要ない (そういう前提が成り立つ状況があればの話)

これで納得できるかしら

徳島県警誤認逮捕事件の前に、奈良県警で近い事例があった

前に、と言ったが、詐欺事件の発生は奈良の方が遅かった。

奈良では濡れ衣被疑者逮捕されず、経緯をブログに書いたため今回より先に公表されていた、という意味である


今回の徳島県警誤認逮捕事件

徳島県警察誤認逮捕事件についてまとめてみた

http://d.hatena.ne.jp/Kango/20170910/1505065248


まとめで一番わかりやすかったし時系列も整理されている。


奈良県警類似事例

予期せぬ形でチケット詐欺に巻き込まれ東京から奈良まで行ったので経緯をかくよ

http://plus14.hateblo.jp/entry/2017/05/20/064024


同様のチケット転売詐欺事案で奈良県警から嫌疑をかけられ、東京から奈良まで任意事情聴取のため旅するも、逮捕勾留

免れた方のケース。この方はツイッター徳島冤罪事件をうけて諸々つぶやかれています


つの事件からわかること

徳島では事件発生が2016年8月奈良では2016年12月冤罪被害者警察捜査をうけたのはどちらも2017年5月

チケット転売は、昨年から規制本人確認強化など話題になり、古物商許可が無いとして転売ヤー逮捕される事件もあり。

業界団体による公式チケットリセールサイトチケトレ」が今年5月にオープン

その5月に合わせてチケット転売詐欺を挙げよう、という目論見が警察サイドにあったのやもしれず。


まとめると

1.どちらも未成年女子犯行ヤンチャな一部若年層女子の間で手口の共有がされている可能性が高い。

2.徳島県警奈良県警チケット詐欺事件捜査を県警本部ではなく所轄警察署で行っている。

3.所轄警察署には十分なネット犯罪捜査ノウハウがない。勾留を続けた検察・認めた裁判官も残念。

4.それが通用するほど、自分名前口座で出品・受領してばっくれるだけのイージー詐欺師も多いのかも。


今回の犯罪は、犯人ネットの様々な経路名義を使い分けて被害者から金を盗みつつ表面的外形的な犯罪の流れを別人にな

すりつけるという、ネット犯罪詐欺の複合領域。でありながら犯人デジタルアナログ証拠隠滅は垢消し程度しか

しておらず警察真摯捜査をしていれば真相にたどりつくことは可能だった。にも関わらず、今般のような冤罪長期勾留

が発生したのは、個々の所轄警察はこういうエマージング新規性の高いネット事件捜査に対して能力経験不足だから

また検事裁判官という法の番人も事件被疑者勾留して得られる利益とそれで生じる不利益比較することができない

壊れた天秤であったため。

いい加減代用監獄への勾留証拠王様自白を引き出す道具にするのやめなー?


バッドコップ「お前がやったんだろ!認めるまで返さないからな!」ドン

グッドコップ「まあまあ落ち着け。な?カツ丼でも喰うか?」(被疑者自費負担

という昔ながらのドンカツ捜査ではネット犯罪捜査は立ち行かない。

所轄の地域になじまないネット犯罪は県警本部レベルで扱うとかさ、扱う事件数も増えて経験値も上がるでしょ。

なんて素人でも思いつくことは知能犯相手にしている知的な本職の方々はとっくに思いついてるんだろうが。

なんつーかちゃんと頼むよおい。

https://anond.hatelabo.jp/20170912140155

anond:20170911141152

それなら答えられるぞ

昔の村とか、未開の部族とかなんて、集落は5家庭でみんな親戚、とかそんなんなわけじゃん

で、その村だけで採れるものには限りはあるし、敵対する勢力があれば同盟関係の村があった方がいい

というわけで、物々交換のためや軍事同盟のために、近隣の村とも親戚関係を作り、外交官としてパイプになれる人物がいた方が、双方の村に利益があるわけ

そこで、若い女を仲良くしておきたいよその村に嫁がせることが最適解になる

それなのに、村の若い女を全員、村長が嫁にしたらどうなる?

村長はウハウハだけど、集団としての利益はあるか?

から集団利益を考えると禁止にするんだよ


ここで問題になるのが、どの範囲集団と考えるか?だ

天皇家藤原家なんかで考えると、同盟関係でありたいよその集団なんて存在していなくて、唯一絶対天皇の妃となって、次代の天皇の母、祖父となるのが究極目標になる

しかし、もともと天皇の妃を狙える位置、というのもある程度近い位置、つまり姻族含め親戚でなきゃいけないので、勢力の隆盛に合わせて、権力闘争藤原家天皇家内での近親相姦バトルになってくる

これは、大きなくくりでいう親戚内が世の中全体で、もっとさな親子間程度をひとつ集団と考えた動きをみんなしている、ってことになるな

そして、この王族血縁っていう利益をよそに渡さないために、むしろ近親相姦奨励したりするんだ


そういう特殊な閉鎖的な関係を除き、生きるか全滅するかの200人レベル集団が点在している場合、どう考えても集団内で若い女を消費するのはもったいないって考えが出てくる

よその村と協力がないと全滅しかねないからだ

もちろん集団内での派閥闘争もあるから集団内で消費される女もいるが、親子間や兄弟間で消費されるのは無駄

つうわけで、自然近親相姦禁止するしきたりのようなものが出来上がるんだ

有史以前からの話だから、明文化された法律以前に、村のしきたりみたいな感じから始まっている

時代が進めば法律禁止されるわけだけどね

はっきり決まりにしとかないといけないのは、性豪のバカ若者が村にいたり、腕っ節だけのバカが村での権力を握った場合、そういうしきたりがないと村の勢力が落ちるから

集団内での女の消費は、集団としてのメリットはないけど、嫁をたくさん貰える集団内でハーレム作れる男にとって個人レベルではメリットから

集団への不利益だけで、誰もしなくなるってほど簡単な話じゃない

面白いのが、民族集落ごとに、禁忌とされる関係が異なるという点

線引きが近いところ遠いところあるし、母方のこれはいいけど父方のこれはダメとか、複雑なルールのある部族もいるそうだよ

2017-09-10

anond:20170904204228

似たような事情自傷痕持ち。

暑いときついよね。

参考になるか分からないが。

自分彼氏がおり、先方の両親への挨拶も済ませ、たぶんそのうち結婚する。

そして今後も普段と同じように振る舞うというか、適宜長袖は装着していくつもりでいる。彼のご両親の前でも、ママ友にも見せないようにするかな。

誤解や偏見肯定する訳じゃないんだが、そういうものから身を守るというか、単純に、スムーズ生活したいから。あと自分自傷痕で子ども不利益がくる事態は何としても避けようと思っていて。

子どもができたら、子どもから傷を隠すのは難しそうだし、その対応は頭をひねらないととは思う。まあ1歳とか2歳だったら「熊と戦ってきた」「〇〇レンジャー遅刻して間に合わなかったから私はひとりで熊と戦うほかなかった。お前は遅刻する大人になるなよ」(大人の秘技でさりげなく話の力点をずらす)みたいな感じででかわせるんじゃないかと思うし、だから、どう説明するか考える時間猶予はあるよね。その間に子ども性格も観察して、最適解を考えて...

個人的意見だけど、今現在結婚子育てが考えられる心身・社会的状態(経済的なこととか)なら、家庭を築く夢を自分から諦めなくていいんじゃないかと思う。理解してくれる人は存在するし、そういうパートナーリスクヘッジしながら生活して、問題が出たらその時考えるようにして。

難しいけど、「リスカする人間人間としてだめだ」とか、否定的価値観を内在化しないことが大事な気がする。

人の目が気になるなら、一年ほとんどが長袖がデフォみたいな所で暮らす選択肢もあるしな。

長文ごめんな。

2017-09-07

多様性

欧米社会多様性(まあ要するに移民だ)の話が後退してるってのは、要するに、我々の現代社会運営が、広範な倫理法律だけじゃうまく回らないってことなんだと思うんだよ。多くの国で、もはや、法は人種やら性的少数者に対して明示的に不利益ではない。マイノリティももうそこを論点にしていることは少ない。差別があるのは法のレイヤーじゃなくて、文化とか経済レイヤーからだ。

これは逆から語ると、私たち私たち社会運営を法だの行政だのでやってるつもりだったけれど、実はそれらは社会運営の一部しか司ることは出来ないでいて、ましてや全人類的に広範な道徳意識殺人はめーよ、とか)がそれを支えているなんてのも幻想で、民族だの地方に残ってる社会規範に寄りかかって運営はなされているってことを表している。ここでいう社会規範は、そのデメリットに着目した場合同調圧力と同じものだ。

「そんなのあったりまえだろ」って言う人もいるけれど、これっておそらく結構問題だ。っていうのは、それって法治の敗北だからだ。法というプログラム言語では社会挙動記述できてない、おそらく我々が思っているよりずーっと狭い範囲しか記述できない。多分そういうことだと思うんだけど、しかしだとすると、私たち社会はもう分断に対抗するための武器が残り少なくなってしまう(移民を追い出して単民族国家にして、国家の外に仮想敵を作り出して、ナショナリズムで国をまとめるんだけど、国民のその熱に煽られて紛争始まっちゃうとか)。

もう一度逆側サイドからみると、「多様性反差別を謳うのはいいんだけど、それによって社会統一性同調圧力があった頃より低下する(分断が発生する)。その低下をどう取り戻すのか?」っていう問いになる。この問いに対して、リベラルは未だ有効な回答をもってないように思える。

もちろん「その回答をする責任があるのは社会全部でしょ? マイノリティ被差別者押し付けないでよ」という反論は来ると思うんだけれど、でもそれはマイノリティ責任押し付ける言説へのカウンターにはなっていても、分断が実際癒やされるわけじゃない。

重ねていうけれど、差別無理解容認しているわけじゃない。でも、わたしたちの社会っていうのは差別を前提にした同調型の民族文化形成されている、どうやらそうらしい……っていうのがここ10年の知見なわけだ。言い換えると「私たちわたしたちが思ってるよりずっと近視眼的で狭量だ」とでもなるかとおもう。そしてそれを書き換える新時代OSってのはまだ発明されてない。発明されてないところへ、移民という新しいアプリを入れるとバグる(っぽい)。どうしよう? そんな話だ。

ただ単純に「差別やめろ」「お前ら弱者配慮しろ!」と強者警察をやるだけじゃなくて、この新しいOS文化を「発明」することがたぶんいまリベラルに求められている使命なんだとおもう。そこを納得できるように理論立てて構築し粘り強く訴えることが。

2017-09-04

anond:20170904115859

契約期間未満の場合は、残契約年数で割るのが一般的

ただし代替者を据えるための諸費用イメージダウンにより生じた不利益などのコスト

違約者の責任分はある程度補償する必要が生じる。

なので、違約理由によっては、元の契約金よりも高くなることも理論上はありうる。現実では聞いたことないけど。

2017-09-03

ベーシックインカム社会保障トレードオフではない?

経済学専門家ではないので間違っていれば教えて欲しいのだが。

BIの財源について、多くのシミュレーションでは現行の社会保障費を削って、その分を割り当てるもの仮定されることが多いのだけれど、いろいろ考えてみた結果、実はそんな必要は無いのではないかという結論に至ったので、ちょっと一緒に考えてみて欲しい。

車輪再生産かも知れないので、その点も指摘して欲しい)

 

ちなみに結論を先に言っておくと、私はBIの財源には法人税増税分(および個人事業主に対する所得税増税分)を充てるのが適切だと思う。

理由は、そうすることで、現行の経済の仕組みをほとんど崩さずに(新たに得をする人も、損をする人も、ほとんど生まずに)BIを導入することが可能になると考えられるからだ。

なぜそんなロジックが成立するのかについては、以下で詳しく説明をしていきたいと思うが、その前にBIを導入する目的について確認しておきたい。

 

そもそも私がBIを導入すべきだと考えている理由は、

という究極の目的のため、

という施策を行う必要があり、そのための方法としてBIが有用だと考えられることにある。

 

BIの推進論者の中には、例えば、社会保障の一本化による効率化や、現行の分配システムによる不平等の解消など、上記以外の効用をBIに求めている人もいるかも知れないが、それは私の考えるBIの目的とは異なるので、ここでは考慮しないことにする。

 

では早速、私の考えるBIの枠組みを説明していきたいと思う。

 

まず、BIの金額を設定する。ここでは、人間一人が最低限生活するのに月額10万円が必要である仮定し、それと同等の金額が全国民に一律支給されるものとする。また、BIの導入に合わせて、現行の解雇規制を大幅に緩和する。職を失っても最低限の生活保証されている以上、企業が好きなとき従業員解雇しても問題はないという考え方を取り入れる訳だ。

 

さて次に、とある会社(A社)の給与体系をモデルケースとして設定する。

 

[A社(従業員3名)の各給与

従業員1】
従業員2】
従業員3】

 

さて、ここでA社の月あたりの人件費の合計は80万円であるが、BIの開始によって、各従業員会社以外に国から現金支給を受けることになる。

従業員世帯毎のBI額は以下のとおりである

 

従業員1】
従業員2】
  • 10万円(本人)
従業員3】
  • 10万円(本人)

 

会社は、各従業員世帯収入がBI導入以前と同等になるよう給与を減額し、その分を法人税(BI税)として国庫に納めることとする。

 

[BI導入後のA社の各給与

従業員1】
従業員2】
従業員3】
  • 0円

 

極端な例を示したため、従業員3の給与が0円なってしまい、これでは従業員3が離職してしまうのではないかという懸念が生まれるかも知れないが、問題はない。

BIの導入によって、国内のあらゆる企業給与水準は(単身者場合10万円ずつ低下しているため、理論上は、(流石に0円では困るが)1円でも給与が発生するならそこにはインセンティブ存在するものと考えられる。

はいえ、現実には1円で働く人など誰もいないだろう、というツッコミが聞こえてきそうだが、やはり大丈夫だ。問題はない。

なぜなら、実際には「従業員3」の給与は1円よりもずっと多くなることが予想できるからだ。

原資となるのは、解雇規制撤廃によって可能になったリストラによる余剰人件費である

A社の場合、例えば月給20万円の「従業員1」を解雇してより安価人材へと置き換えることによって人件費のムダを省けば、その分の人件費を他の従業員へと割り当てることが可能になる。

現状、企業側の一方的解雇労働者に著しい不利益となるため厳しく制限されているし、特に家族を養わなければならない「従業員1」のような人を解雇することは企業倫理的にも難があったが、BIによって扶養家族も含めた世帯収入が最低限保証されているのであれば、リストラも許容されると考えるのだ。

なお、ここで「解雇規制を導入したからといって企業生産性が向上するとは限らない」から「余剰人件費が生まれるとは限らない」という主張は当然ロジックとしては成立するものの、今回のシミュレーションにおけるBI導入のそもそも目的が「解雇規制撤廃雇用の流動化」による「日本企業国際的競争力向上(生産性向上)」である(上述)以上、その点については既に定義として肯定されていることに注意いただきたい。

(つまり解雇規制撤廃すれば生産性が上がる」というのは大前提となる仮定なので、ここでは議論しないよ……ということ)

 

さて、以上が私の考えるBIプランの大枠であるが、このプランメリットについて、もう少し詳しく触れておこう。

最初に述べたように、この方法でBIを導入した場合社会保障の枠組みは、現行の制度に特段大きな変更を加えることなく、そのまま運用することが可能となる。

保険制度年金制度をBIに統合しようとすると、どうしてもBIへの移行は大掛かりで複雑なものにならざるを得ないし、その過程で必ず、得をする者と損をする者、そして利権が発生する。

現状、様々な面で破綻や不平等が指摘されているこれらの社会保障制度と一本化を行おうとすれば、全方位から圧力が加わってろくな制度にならないであろうことは予想に難くない。

であるならば、いっその事、BIはBIとして独立して導入を図った方が実務の面でも難が少なく、システムが単純な分、透明性も高くなることが期待できるはずだ。

また、そもそもの筋論から言っても、BIの導入によって世帯収入の一部が補填され、それによって企業人件費の削減が可能となり、その分の増税可能になるという循環ロジックこそが、最も自然なBIの在り方であるはずだ。

 

と、ここまで説明してきたが、最後に上記のシミュレーションでは触れなかった細かいケースについても解説を行っておきたいと思う。

 

[元々の月給が10万円未満の人はBIの導入によってどうなるのか]

まず前提として、今回のシミュレーションでは人間一人が最低限生活するのに必要金額が月額10万円である仮定している。

にも関わらず、10万円未満の給与の人が存在するとするならば、その人はBIの導入以前より自活できていないことになる。

例えば、仮に月給5万円の人がいたとして、この人は生活するため必ずどこかから月にもう5万を入手していなければならないということだ。

そこで、ここでは仮に親から仕送りが5万円あると仮定しよう。

 

【本人】
【親】

 

BIが導入された場合、単純に数字を当てはめると以下の通りになる。

 

【本人】
【親】

 

本人の給与マイナスになってしまったので、当然、本人は仕事を辞める選択をするだろう。この場合、困るのは働き手を失った企業の側だが、これは、そもそも人間一人をひと月拘束しておいて、人間がひと月生活するのに必要金額を支払っていない方に明らかな問題があるケースだ。

BIの導入は、むしろこういったブラック企業を淘汰する役割も果たすといえるのである

 

無職扶養家族)の場合にはどうなるのか]

専業主婦ニートに対してもBIは支給される。一見すると、これらの人々はBIの導入によって得をしているようにも見えるが、前述のシミュレーションを見れば分かるように、そもそもこれらの人々は誰かの扶養に入ることで生活を成り立たせている。BIの導入によって稼ぎ手の給与扶養家族の分も合わせて減少するため、結果として世帯では収支に変動は発生しない。

 

生活保護場合にはどうなるのか]

唯一、生活保護についてはBIと一本化を図る必要があるだろう。もともと生活保護は「健康で文化的な最低限度の生活」を実現する水準……つまりはBI相当額を支給する制度と考えるのが一般的なので、それまで申請しなければ受給できなかったものが、無条件で受給できるようになるというだけの変化が起きるに過ぎない。

無論、財源は理論上、それまでの生活保護予算で賄うことが可能だ。

 

企業のBI税額をどうやって算出するのか]

単純に「(従業員数+従業員扶養家族数)×BI金額」で算出する。

企業に算出させると過少申告が起きるかもしれないので、各個人に申告義務を課しても良いかも知れない(BI支給要件として)。

 

以上、個人的妄想をつらつらと書き綴ってみたが、矛盾論理破綻などあっただろうか?

各位のご意見をお聞かせ願えれば幸いである。

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170902004239

サイコパスでも、正常に社会生活を送れている人が大半ですよ。

一方で、重篤な犯罪を犯すのもまたサイコパスなのです。

こんなことしたら嫌われることになって結果的不利益を被るからやめようとなる。

こんなことしても、お前は立場上、俺を嫌うことができないなって考えれば、どんな酷いことでもできるのがサイコパス

https://anond.hatelabo.jp/20170902005635

悪いこと=罪に問われること とするならそうだろうけど

悪いこと=誰かが不利益を被ること とするならどうだろう?

確かに元の書き方じゃ罪に問われさえしなければ悪くないと聞こえるだろうけど

言いたいことはそういうことじゃない。

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