はてなキーワード: 不利益とは
帰宅は早くて9時。いつも終電で帰って、日を跨ぐのがいつもの生活。
そうした人はどこで食事をとるのか? 例えば、コンビニで買うとかファミレスであろう。
そうした人のために夜間営業を行うのではなく、逆に営業時間を七時など早くに終えてしまえば良いのではないか?
又は、深夜営業を行うとより不利益を被るようにすればいいのではないか。
実際、私の住んでいたヨーロッパの地域では七時くらいに閉まるから早く帰っていた。勿論、土曜は早く閉まり、日曜は休業している。
こうした仕組みになっていないのは、経営者の経営努力や政治家への働きかけが成功している結果であり、大衆が無知・無関心・無行動に因るものでもある。
日々仕事をしていく中で、自分だけがテンパっていて、周りの同僚はなんとなくうまく、楽しくやっているように見える。でもそれは、自分の思い込みだということが最近わかった。
先日の飲み会で、同僚の一人がいかに自分が不幸かということをこれでもかと話し続けたので、さすがに苛々した。と同時に、ああその感覚って俺にもあるやつだなあと思った。その不幸自慢の同僚からみた俺は、それなりにうまくやっている人間に見えているのだろう。
確かに自分は、仕事で追い詰められているときでも平静を装う。でも頭の中では思考はフル回転している。
だけどこれって、社会人ならみんなそうであるはず。自分が辛い目にあっているなどとわざわざアピールするのは、大人ではない。
このすれ違いは、家庭に当てはめることができるように思えた。
妻から見た夫の姿はきっと、自分の苦労など知らない生意気な男に見えることだろう。残業数時間でくたびれて帰ってきたときでさえ。
夫から見た妻は、大して労働もしていない癖に口だけは達者な煙たい女に見えるだろう。具体的にどんなストレスを抱えているのか知ることもなく。
理性的な大人でさえ、自分を中心せずに物事を考えるのは難しいことだと思う。みんなもっと、他者が苦労していることを意識した方がいのではないか。
そういう話ならかまわないんですけどね
「相手が今まで特定の目的で使っていたものを、その目的で使用不可能な状態にする」という明確な不利益を強いる行為である自覚がない人が沢山いらっしゃるんですよね
「それそもそも現状でだって本当にその目的果たせてる?」とか「その不利益より我々が受ける不利益の方が大きい」とかいう理屈ならわかるけど
「選択肢を作るだけで、夫婦同氏でやって来た人々に影響がないのに反対するのは不条理だ」みたいな論調の人が少なくなく、
彼らの存在は反対派の態度を強硬化させ、選択的夫婦別姓の導入には却って障害となるでしょうね
影響はないだろ馬鹿か。結婚式で呼ばれるのが幸せだとか意味不明な意義しか提示できないのに他人の人生に手を突っ込もうとするクズしかいないじゃん
夫婦同氏においては姓は「最小の社会集団=夫婦を中心とした家族の呼称」で、姓を家族の呼称として使えなくなるのはそういう用途で使いたい人には不利益ですし
あるいは選択的夫婦別姓によって子供の姓に関してほぼ確実に何件も起きるであろう家庭内紛争も、子供は社会全体の共有資産という考え方から、夫婦同氏派にとっては不利益と言えるでしょうね、子供の不利益は社会の不利益
それが本当に夫婦別姓にしたい人の自由を制限する理由に足るほど大きな不利益か、という程度の話をしないといけないのであって、安直に影響がないと断定するような極論で反対派を非難する人がいるような現状では、選択的夫婦別姓の実現は遠いでしょうな
儒教的男尊女卑と無関係な夫婦別姓かどうかは個人が決めることではなく社会が決めることでは。
夫婦別姓を許容することでそれに乗じて儒教的男尊女卑を取り戻そうとする動きが全く生じないとは言い切れない。
わかってもらおうとすること、構ってもらおうとすること自体は否定されるべきことではないと思う。
ただ、わかってもらい、構ってもらうための装飾した「かわいそうな自分」を作り上げるのは結果的に自己に不利益をもたらすんじゃないかと。
https://anond.hatelabo.jp/20171112000738
https://anond.hatelabo.jp/20170222223450
初めに言っておくけど、私は妊婦や産休を取得する人間を非難したり揶揄したりすることには全く賛同しない。そのような言説には与しない。人口再生産という共同体に不可欠な任務を請け負った人間は社会から出来うる限りサポートされるべきであり、また、就業に関しても最大限考慮されるべきだと考えている。
その上で言いたいのは、だからといって私は妊婦を叩く増田を非難できず、また非難したくはない。
皆リベラル的な言説(例えば悪いのは妊婦ではなく会社だから会社に言え、仕事を切り上げさっさと帰れ等)という言説を正論であると主張している。しかし、何をもってそれを正論と言い切れるのか?
個人の自己決定よりも同質的な共同体の繁栄に重きをおけば、正論となるのはむしろ保守的な価値観(性役割分担やモーレツ企業)ではないだろうか。(私は自己決定に重きを置くので反対だけど)
はてブが正論として扱うものは、本当に正論なのだろうか。そんなものは存在するのだろうか。結局は価値観というものに収束してしまうのではないだろうか。
ミクロに見れば、あなたが元増田と同じ苦境に陥った時、果たして仕事を無視して定時で帰ったり上司に人員補充を進言できるのだろうか。上司や会社から不当な扱いを受けたり解雇されるかもしれないのに?
私だって労働者の権利は守られるべきであり、時代に合わせた経営が行われると嬉しいと考えている。
しかし元増田がその理想を実行しようとして、結果不利益を被った場合、誰がどうそれに報いるのだろう。理想のための礎となれと強要するのであれば、戦中の日本やISとどう違うというのだろう。
元増田にかける言葉として「こちらの価値観に賛同すれば回り回ってあなたにも利がある」という言説はまだ説得力を持つが、「こちらの価値観に賛同しないものは不利益を被っても我々の関知するものではない」というのであれば、それは結局全体主義と何が異なるというのか?
多様性の中で認められるものには、旧来の家父長制や性分業といった価値観も含まれる。リベラルというのはこういったものも包括してお互いに強制せず、認めあうものではなかったのか。そしてそのために対話があるのではないのか。
自分たちの思想に賛同しないものを、旧弊な価値観から抜け出せない蛮族として扱うことこそ、下劣で野蛮な行為だと私は思う。そして元増田のような苦境にある人物と対話するときに重要なのは、働く女性の苦境を繰り返し説いてわかってもらうこと、また過渡期に発生する元増田のような苦しみに対し、出来る限りの理解に努めることではないのだろうか。
追記
私は共同体に重きを置く価値観を「持っていない」、だけども「働く女性を的外れに叩くバカ」であっても安易に叩くことはやめませんか、と言ってんだけど読めてないんか。
あと性役割からの解放を目指した結果今の産休制度とかがあるんだと思うんだけど…
id:ooishikuranosukenowakenai
共同体に重きを置く価値観を持つのは勝手だけど他人におしつけたり因果関係のない性役割だのモーレツを持ち出すのはやめような。あと働く女性が戦ってるのではなく働く女性を的外れに叩くバカが叩かれてるのが現状
http://b.hatena.ne.jp/entry/348633710/comment/ooishikuranosukenowakenai
https://mainichi.jp/articles/20171109/k00/00e/040/237000c
その女性は第一生命という保険会社に勤務していたんだけれど、結婚して姓が変わったことに伴い作り直した名刺や判子などの費用を会社から負担させられたとぼやいていた。曰く、結婚したのは自己都合だから、らしい。
そんな理不尽なことを大手企業がやるとは思えなかったし、そもそも自己都合も何も名刺など業務上必要とされるものを被雇用者が負担すること自体おかしいので「(第一生命とは)業務委託契約なのでは?」と尋ねたが「いや、正社員である」との返答が返ってきた。
友人は社会経験が乏しくいわゆるコンプライアンス的な発想を持ち合わせておらず、勤め先の対応を愚痴りはするものの「当然のこと」として受け止め消化していたため、私も「そうなんだ」と相槌を打ち、それ以上深く話を聞こうとはしなかった。「正社員だが基本給はない」などと謎の台詞を口走っていたので、私は「彼女は何か雇用形態をしっかりと把握していないんだろう」と思ったのだが、いったい事実はどういうことなんだろう・・・。
君らはなんか不利益被ったらポリコレ棒ぶん回せばいいだけじゃんw
例えば兄貴がヤクザでもパパが前科者でもやっぱりそれに理解のある恋人じゃないと困るけど
彼らは振り回す武器なんかねえんだぞ
奇形の顔「受け入れられない」…家族が手術拒否、ミルク飲めず赤ちゃん餓死(読売新聞(ヨミドクター)) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171105-00010000-yomidr-sctch
なんかよくわからん。結局何だったんだ、その赤ちゃんの家族。受け入れられなかったのは障害その物よりも「顔」だったのかな?
僕はその亡くなった赤ちゃんよりも遥かに重度の障害を持って生まれて来たが、手術を受けてすっかり治り、今はピンピンしている。余命10年を宣告された身だが、今年でもう35歳になる。
今はピンピンしていると書いたが、実は後遺症が残っていたのか、子供の頃は人よりも疲れ易く息切れしやすく、追いかけっこをすればすぐに座り込むし、持久走は常にビリ。だが周囲は僕を怠け者でズルをしているだけだと思っていて、僕を一方的に批判していたのだけれど。
目に見えない障害というのはそういう厄介なところもあるが、しかしお陰で僕は命拾いしたところもあるのかもしれない。見たところ他の子供と違わない僕を死んでも仕方の無い者とは誰もおもわなかったのだ。
見た目のインパクトは恐ろしい。簡単に人を絶望させてしまうのだろう。
ところで全然関係無い話なんだけれど、今日ある男性が一人の赤ちゃんを引き取ったという話を聞いた。男性と赤ちゃんは血が繋がっている親子だ。赤ちゃんの母親が育児も男性との結婚も拒否したので、男性が未婚のまま赤ちゃんを引き取ったそうだ。
という話だけ聞いたので、諸々の手続きはどうやったとか赤ちゃんは実子扱いなのか養子扱いなのかとか詳細は謎なんだが、非嫡出子差別もなくなったから特に赤ちゃんに不利益ってないのかな?わかんないけど。
男性は育児の事何も分かんないからミルクの飲ませ方から何から全部ネットで検索して赤ちゃんのお世話をしているらしい。
普通、そういうのって母親学級とか両親学級とか、それに生まれた後に病院で指導受けて覚えるもんじゃない?あとは出生届出した時に山のように貰うプリントに書いてあったりするもんだが。
しかし赤ちゃんを産んだ当人がものすごく育児意欲低いと、母親のかわりに赤ちゃんを育てる事になった人には全然そういった情報が行かずに、非常に困ったことになるんだなぁ。
ということに驚いた今日だった。
裁量労働制だから残業代はつかない、だから会社の不利益にはなっていないって、そういう問題じゃないだろ。
健康管理の問題とか、電気代とか、ブラック企業に見えるとか、なんかそういうマイナスのポイントがあるだろ。(うまく言えないけど)
例えば自分が人の上に立つようになってもそういうサビ残をしていたら、下の人が帰りづらくなるだろ。
Twitterでバズっているおもしろ小話のリプライ欄を見ると「嘘松」という言葉が決まって並んでいる。
最近では「嘘松判定員」なんて人まで出てきて、そのツイートの矛盾点を探して指摘している。
正直、異常では?と思ってしまう。
確かに「おもしろ小話ツイート」にはあからさまに嘘だろ!と思ったり、嫌悪感を覚えてしまうようなツイートも多くある。
だけど、そのツイートが嘘だったとして自分になんの不利益があるんだろう。
なんのために嘘松認定をしているんだろう。
ツイートが事実かどうかなんて確かめようがない。それなのに必死になってバズっているツイートを見つけると「嘘松!」とリプライを飛ばす。
たぶん嘘松判定員は誰でも良いからマウントを取って優越感に浸りたいだけなんじゃないだろうか。
きっと嘘松判定員って自分自信が持てないような人が多いんだと思う。
本当に嘘かどうかもわかないのに思考停止して「嘘松」とリプライを飛ばし悦に入る。
周りには同じく嘘松リプライを飛ばす思考停止した人々がいるから自分が正しいと勘違いして、自信をつける。
誰かを貶して自身をつけるなんて、どうなんだろう。
世の中案外、自分を肯定してくれる人間は多く、わざわざ嘘松判定員になんかならなくても自分に自信をもつ方法はいくらでもあるのに。