欧米社会で多様性(まあ要するに移民だ)の話が後退してるってのは、要するに、我々の現代社会の運営が、広範な倫理と法律だけじゃうまく回らないってことなんだと思うんだよ。多くの国で、もはや、法は人種やら性的少数者に対して明示的に不利益ではない。マイノリティ側ももうそこを論点にしていることは少ない。差別があるのは法のレイヤーじゃなくて、文化とか経済のレイヤーだからだ。
これは逆から語ると、私たちは私たちの社会の運営を法だの行政だのでやってるつもりだったけれど、実はそれらは社会運営の一部しか司ることは出来ないでいて、ましてや全人類的に広範な道徳意識(殺人はめーよ、とか)がそれを支えているなんてのも幻想で、民族だの地方に残ってる社会規範に寄りかかって運営はなされているってことを表している。ここでいう社会規範は、そのデメリットに着目した場合同調圧力と同じものだ。
「そんなのあったりまえだろ」って言う人もいるけれど、これっておそらく結構大問題だ。っていうのは、それって法治の敗北だからだ。法というプログラム言語では社会の挙動を記述できてない、おそらく我々が思っているよりずーっと狭い範囲しか記述できない。多分そういうことだと思うんだけど、しかしだとすると、私たちの社会はもう分断に対抗するための武器が残り少なくなってしまう(移民を追い出して単民族国家にして、国家の外に仮想敵を作り出して、ナショナリズムで国をまとめるんだけど、国民のその熱に煽られて紛争始まっちゃうとか)。
もう一度逆側サイドからみると、「多様性や反差別を謳うのはいいんだけど、それによって社会の統一性は同調圧力があった頃より低下する(分断が発生する)。その低下をどう取り戻すのか?」っていう問いになる。この問いに対して、リベラルは未だ有効な回答をもってないように思える。
もちろん「その回答をする責任があるのは社会全部でしょ? マイノリティや被差別者に押し付けないでよ」という反論は来ると思うんだけれど、でもそれはマイノリティに責任を押し付ける言説へのカウンターにはなっていても、分断が実際癒やされるわけじゃない。
重ねていうけれど、差別や無理解を容認しているわけじゃない。でも、わたしたちの社会っていうのは差別を前提にした同調型の民族文化で形成されている、どうやらそうらしい……っていうのがここ10年の知見なわけだ。言い換えると「私たちはわたしたちが思ってるよりずっと近視眼的で狭量だ」とでもなるかとおもう。そしてそれを書き換える新時代のOSってのはまだ発明されてない。発明されてないところへ、移民という新しいアプリを入れるとバグる(っぽい)。どうしよう? そんな話だ。
ただ単純に「差別やめろ」「お前ら弱者に配慮しろ!」と強者警察をやるだけじゃなくて、この新しいOS、文化を「発明」することがたぶんいまリベラルに求められている使命なんだとおもう。そこを納得できるように理論立てて構築し粘り強く訴えることが。
まーたカスがリベラルに甘えてんのか 「おまえ」がやれ
https://anond.hatelabo.jp/20170907034645 いいですね!今まさにマイノリティを標榜するリベラルに求められてるスタイルって気がしました。素敵。 でもそこまでに至る人間はリベラルの何%なん...
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