この考え自体は自分は好きだ。不当な差別は無くなるべきであり、どんな人間であっても幸せに生きる権利がある。
私もそう思う。私は、個人的には、自分の周りの人間もそうでない他人も、皆幸せに生きてほしいと思う。
そして自分も善良で正しい人間としてありたいと思う。そこで問題が発生する。
まず、いわゆる「弱者」について考えてみる。
大学や特定の役職などで増やされる女性やLGBTの割合。それは良いことだ。彼らにもその役職に立つチャンスを用意するべきだ。
しかしポストの数には限界がある。切り捨てられる男性が出てくる。
私は女性やLGBTはもちろん、男性も幸せに生きてほしいと願っている。
さて。ではもし、自分が社会的に成功して何らかのポストを得たら。
自分の中で疑問が出てくるだろう。「なぜそのポストを恵まれない他人に提供して降りることをしない?それが正しいと思っているのに。」
現時点でポストを他人に譲らない人についてはとくに批判しない。自分の考えを他人にも強要するのは正しくない。
とにかく。
私には両親がいる。ならば、孤児院の子供たちと変わってあげるべきだったのではないか。
私には多少貯金できるほどの経済的余裕がある。ならば、貧困で苦しんでいる人達にその金を渡すべきではないのか。
私は食べるものに困らない程度の環境で暮らせている。ならば、食うに困って衰弱している人達にその食べ物を渡すべきではないのか。
私は比較的安全で豊かな国で暮らしている。ならば、そうでない国の人と変わってあげるべきではないのか。
この社会は搾取される人間がいることで成り立っている。ならば、少しでも彼らの負担が軽くなるように、自分はいなくなるべきではないのか。
ポストや金はもちろん、食料や資源は限られている。ならば、少しでも多くの人に行き渡るように、自分はいなくなるべきではないのか。
現時点でポストを他人に譲らない人についてはとくに批判しない。自分の考えを他人にも強要するのは正しくない。
文化の違いや考え方の違い。知能の差。これらを無視して一方的に定義するのが本当の正義か。
長くなってしまったのでここで終わらせよう。
他の生命を喰らうことでしか生きられず、他人の上に立つことでしか生きられず、搾取される他人がいることで成り立っている社会でしか生きられない我々にとって、本当に正しい世界を作ることなんて、はたしてできるのか。
やはり人類は滅ぼすしかないな