はてなキーワード: デジタルネイティブとは
こんなこと言うと懐古厨とか言われそうだが、20年前のWeb1.0の時代と比べて、明らかにインターネット世界の文章のレベルが落ちている。
具体名は書かないが、とあるメジャーとは言えないスポーツの日本代表決定戦が先日あり、その内容を解説したコラムが某スポーツ系雑誌の公式サイトに書かれていた。
執筆者はその世界ではよく知られたライターであり、その人らしい、洞察に富んだ、かと言って煽動的でもない、かつボリュームの水増しもない、良質なコラムだった。判を押したような定型リライト記事ばかりのキュレーションサイトや、イケハヤやちきりん等に代表される、無駄に煽動的な炎上狙いのブログサイトとは大違い。
「2000年前後までのインターネットは、個人サイトでこのレベルの記事を一杯見れたよね??」
今と違い、キュレーションのパクり元に出来る公式サイトも揃っていない。
何かについて書きたい場合は、少なくともテレビで映像を見るか現地でライブで見た上で、本屋とかに行って専門誌に目を通して不足分を補完しないといけなかった。または、知人からフォローしてもらうか。
そして、ブロードバンドなんてないから、記事は出来るだけコンパクトにしないといけない。1ページあたり100KB未満が限度ラインとされていた。水増しなんてもっての外。
勿論、執筆対象には強い思い入れも持ち合わせていた。そうでなければ書けないからだ。
Web1.0の時代は、これらの障壁をクリアした素人ライターが一杯いた。彼らは報酬を求めなかった。アクセス数と、掲示板の書き込み、ゲストブックの登録が増えることが報酬代りだった。
中には物理的な報酬を求める人も居るには居た。その代表例が、あのDeNA村田マリである。彼女はWeb1.0時代の異端児だった。
今、当時の素人ライターの人達よりレベルが高いプロのライターは何人居るのだろう?勿論、キュレーションに関わる1円ライターや、炎上ブロガーは比較の対象ですらない。
自分の手と足と目を駆使してネタを仕入れ、まとめ、想いを込めて発表する。これが出来てる記事の割合が激減したのが、今のインターネット上のテキスト達である。
末期がんになって3ヶ月
私はひたすら懐かしのビデオを見続けた
子供だった頃流行っていたドラマ、お笑い、映画、バラエティ番組、歌番組
今見ても面白い
しかし色鮮やかに映し出されたこれらの映像に、存命の者は居ない
観客席に居る彼らもほとんど死んだだろう
不思議な気分だった
画面の中では皆が生き生きと、笑い、泣き、演技し
その度にポップなテロップが出る
しかし皆死んでいるのだ
私も年を取りすぎたのだろう、デジタルネイティブだからと言ってずっと時代に付いていけるわけではない
唐突に目頭が熱くなった
画面はお笑い番組を映し出していた
これではまるであの世を覗く鏡だ
この画面が、もう死んだ時代と、まだ生きている時代の境界線になっている
どちらに存在していたいのだろう
考えるまでもなかった
私は医者の元へと向かうため、ようやく重い腰を上げた
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/07/19/000927
要約
はてこ「スパーン!話は聞いたぜ!それは違う!」
みんな「全部は聞いてないだろ」
はてなはもともと理系ユーザーが多くて、理系知識の前提ができている人が多かった。
今も理系専門家としてリアルで職をもった上で余技でブログを書いている人が多い。
ただ、今は特にリアル職業上必要でもないのだけれど、門前の小僧として、
まとまった時間が取れないのに「次はあれをおしえて」と、理系でもかまわずに、言って回る。
そして、「なんで!わからない!」と揚げ足(にもなっていないけれど)をとって騒ぎ出す感じ。
ここでいう「まとまった時間」とは、たとえば、前期講義90分×15単位=座学一単位。
はてこさんは、学ぶ姿勢を見せることでブロガーとして大成したいのかもしれないけれど、
民衆向けの本一冊でえられる知識なんて、授業の1回分かその半分くらいにしかならない。
残りの14回分の知識を同時にバリバリかみ砕ける状況なら当然にわかるだろう。
のこり14回にしっかり出席してくれれば残りもおのずから理解できる(学生もいる、
文系にとっては意味なしナンセンスにみえる定義とか、法則の部分を
500回くらい読んで深く理解しなければ。
専門家にとっては今更「1+1=2ってなるのはどうして?説明してよ私の感覚では3なのよ」と
きかれたようなもので、準備もないし、当惑とか迷惑の対象になる。
それは15冊分の本にわけて書いたから読んでね。高い?知識の対価はいつでも高いよ(義務教育の教科書以外)。
はてこさんの決まり文句は「仲良くしてね」なんだけど、仲良くもなにも、
これ以上からんでいっても基礎知識がないことによる溝が深まるばっかりに見えるけどね。
最終的にうやむやで放置されたブロガーとの対話、今までいくつありましたか。
はてこさんは一定の理解水準に達せず、言葉尻をとらえて「そういう意味ならばいいのよわかりましたさようなら」と勝手にご自分の中でけりをつけていらっしゃる。
理系じゃないほかの専門職ブログについても、同じことをやらかしていらっしゃるのをみかけた。
別にテリトリーを侵すなとはいわないのだけれど(いや言ったほうがいいな)、
ちょっととっつきやすいけれど実は小難しいことを砕いて書いているブロガーさんは
「うちだけはみつからないようにしよう、
見てもあなたには説明してもわからないなどといわずに3か月くらい知らないふりしよう、
そもそも「だれでも楽しめる面白い専門書」なんてうかつなことは絶対にいわないようにしよう」
と思うだけです。まあうちには絶対来ないんだけど。
(はてこさんからみて最初から文章や心が汚いっぽい人のブログにはあのひとは来ないw)
それにしても、覚せい剤で罠にはめられたという飛鳥とおんなじで、
あのくらいの世代の人は内輪話にでもなんにでも自分からつっかかっていくのね。
仲間はずれで寂しいならまず同じ土俵でゲームなり勉強なりをやればいいのにね。うそです、やらないで。
理系にもゲームにも一生来ないでいいし、あなたたちにはもとより別世界のことだし、
デジタルネイティブでない世代は本当にデジタル世界とかを気にしないでほしい。
そのままのあなたでいて。気にせずにね!
追記
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
このへんがわかりやすい。
藤島センセ的には、10代の小娘だしちょこちょこっとお小遣いあげて気持ちイイことして
…そう、奴には”覚悟”があった
やり逃げは許さないとばかりに妊娠発覚して、藤島が「えマジ?ちょ、ちょっと待って」って慌ててる間に、Twitterで結婚発表
ヤフートップに出るニュースになり、オタ界隈どこから一般に広まるニュースになり、
漫画家・イラストレーター仲間から「…お、おめでとう(羨ましい氏ね)」と祝福コメントが出て
おっさん漫画家が、SNSを使いこなすデジタルネイティブ世代のオタクレイヤーに世論形成で勝てるわけがない
ねこむは藤島漫画に出てくるようなぬるーいキャラじゃなくて、ジョジョに登場するような一筋縄ではいかない強キャラだったわけだ
3歳以下の子供が触れる情報媒体の内、タブレット型コンピューターの割り合いが6割を占める事が総務省の調査で判りました。
この調査では、3歳以下の子を持つ親に対し、自分の子供が絵本、絵本以外の書籍、テレビ、ラジオ、スマートフォン、ノート型コンピューター、タブレット型コンピューターの7種類の情報媒体に触れる時間を尋ねて集計したもので、0歳から3歳迄の子供が情報媒体に触れる時間は1日平均4時間。その内の6割約2.4時間をタブレット型コンピューターが占め、2位はテレビの3割1.2時間。絵本は3位の約30分という結果でした。
総務省では「他の先進国でも観られるデジタルネイティブ世代の傾向が我が国でも確認された。これからは電子教科書の普及に応じて、紙の書籍に触れる体験授業の導入も考えられる」と纏めています。
一昨年5月から7月にかけて、県内の小中学生に合計83人の食中毒患者が発生した千葉県。
これを受け千葉県では昨年度から、給食を食べる際家庭から持ち込むマイ箸の使用を禁止し、他の食器類と同じ様に給食センターが箸を提供する方式に変更した所、昨年の食中毒患者数は一昨年に比べ県民全体で13%の減少に留まったのに対し、小中学生では71%の減少と大きな成果を上げていた事が明らかに成りました。
千葉県衛生指導課は「一昨年が特別に食中毒の多かった年という理由も大きいがマイ箸の不衛生さが広く県民に周知された結果でもあり、この成果を次は弁当が一般的な高校や専門学校にも活かしたい」としています。
整体を受けている最中、偶然を装って意図的に射精するという行為を複数の整体院で繰り返していた男が迷惑防止条例違反で警視庁に逮捕された。
男は性的な施術とは無縁の一般的な整体へ赴き、女の整体師に当たるとナニをどうしてか毎回射精を繰り返していたというから驚きだ。
この男、業界では昨年から知られており大手整体チェーンではブラックリストにも記載されていた。
「よその整体院の施術を学ぶつもりで整体院の行脚を始めた。イキやすい体質上迷惑をかけたかも知れない」と述べており、警察は余罪を追求している。
女性はフリーダイヤルだし、テレホンセックスをメインにした番組にかけたので
会話に飢えていたのもあって、ここの所あほみたいにかけている。
短い経験の中でも、テレクラ利用の男性の傾向みたいなものがあって面白い。
・オナニーに付き合ってほしい人
ほとんどの人はこれ。
テレHのチャンネルなので当然ではある。
大体すでにハアハアされており、こちらも乗ってあげれば
順当に達する。達するところは聞かせてくれない人
達すると無言で切る人、一応お礼言ってくれる人がいる。
たまに「いやーいま熟女とセックス中でね」と言っている人がいるが
女の人の声がすごく遠いので、多分AV見てるだけだと思う。
年齢が高いので、いい感じだったら携帯にかけてよ、ということになる。
なかなかハードル高いよ。
・世間話したい人
時間を気にせず利用できる、リッチなおじさんに多い。武勇伝が語りたい人や
女の子のおしゃべりを聞いていたい人。
この前は保険ってどうしたらいいのか教えてもらいました。
あの時のおじさんありがとう。
ひとしきり話すと満足して切る。
・出来心でかけてきた人
若者とマッチングすると、たいていおっかなびっくりかけてきた人。
さくらでないことがわかると妙に喜ばれるけど
デジタルネイティブ勢が多いの、でそのあとはラインやなんかに移動させたりする。
オナニーを聞かせたい人と、テレホンセックスしたい人の違いが面白かったり
さっぱり理解できない性癖が存在するんだなと実感したりできて楽しい。
くだらないけど、女の人はかけてみてもいいんじゃなかろうか。
小学校を丸々6年間海外で過ごして、中学は女子校、高校は共学で大学をこの3月に卒業しました。
みんな初めてGoogleの画面を開いた時のこととか覚えてると思うんだけど、
そういう話をはてなで書いてる人、あんまり見ないなーって思ったのでダラダラ書いていきます!
(OSの出た時期とか、間違ってるところがあったらごめんね。)
初めて「パソコン」に触ったのは小学校1年生の「せいかつ」の授業。
「パソコン」の授業が週1回あった。教室に30台ぐらいのパソコンが並んでて、OSはWindows 95と98が混ざってた。
パソコンは途中で全部98に入れ替わって、6年生になる頃XPになってた気がする。
ペイントで絵を描くのが主な授業内容で、すごく楽しかった記憶がある。ひたすら女の人のスタンプをベタベタ貼ってた気がする。
2年生になると「インターネットエクスプローラーのショートカット」をクリックすることが許された。
「Yahoo!きっず」で自分の知りたいことを「けんさく」してみましょう!
クラスの半分ぐらいはもう「Yahoo!きっず」の事を知っていて、「Yahoo!きっず」では「ゲームができる」んだよと誰かが教えてくれた。
わたしは「Yahoo!きっず」の事を知らなかったのでちょっと恥ずかしかったのを覚えている。
「Yahoo!きっず」はやってみたらあんまり面白くなくて、がっかりした記憶がある。
家に帰ってお父さんに許可をもらってパソコンを触らせてもらった時、「Yahoo!きっず」を開くとお父さんが
と言った。(何故かは分からなかったし、理由を聞こうとも思わなかった。お父さんって絶対だった。)
クラスの子たちは「Google」を知らない子の方が多かったので、わたしはそれから「Google」を使うようになった。
話は少し変わる。先述したようにわたしは小学校時代を入学から卒業まで海外の日本人学校で過ごした。
日本人学校で「日本」の流行りを知っている人、「日本」のものを持っている人はスクールカーストで高い地位を得ることができた。
(たとえそれが半年ぐらい古い情報だったとしても、わたし達にはそれを確かめる術がなかった。)
遊戯王カードも、ベイブレードも、ポケモンの金銀も、コロコロコミックも、持ってる子はたくさん持っていた。
わたしは日本のものをほとんど持っていなかったから日本の話には貪欲で、
たしか小学校3年生の時に当時すきだった男の子から聞いたのだ。
その話を聞いた時、デスノートは日本でもまだ読み切りの短編しか出てなかったはずで、
きっとその子はたまたまお兄ちゃんの持ってるジャンプに載っていた読み切りのデスノートを読んだのだ。
でもその子の「デスノート」の話はわたしを凄くワクワクさせた。
次に日本に帰ったら、きっと「デスノート」を買うんだ!と決めて、次の一時帰国をわたしは指折り数えて待った。
1年が経ち、わたしが4年生になって日本に一時帰国した時、本屋さんにそれは平積みになっていた。
本当は漫画は禁止だったけど、日本に帰った時は欲しいものは(高くなければ)なんでも買ってもらえた。
わたしは頼みに頼み込んで、「デスノート」の1巻を買ってもらったのだ。
本当に面白かった。
「名前を書くとその人を殺せるノート」という設定にびっくりした。
月くんはあまりすきじゃなかった。リュークのことは怖いとは思わなかった。
わたしはLが一番すきだった。
早く続きが読みたかった。次の一時帰国はどんなに早くても1年後。
待ちきれなかったわたしは「Google」を開いて「検索」したのだ。
その時のことは本当によく覚えている。
「デスノート」と検索したら一番上に「デスノートサーチ」が出てきたのだ。
そこからわたしはインターネット(というかインターネット上のBL同人)にハマっていく。
男女のセックスはBLから逆算して理解したし、そもそもセックスで妊娠するということを理解したのも随分後になってからだった。
デジタルネイティブと呼ばれる世代のおそらく先頭集団を走ったわたしの思い出話を、誰かが面白がってくれればいいなと思う。
こんなにたくさんブクマついてこんなにコメント貰ったの初めてです!ありがとうございます!
デスノートが出たのって2004年だっけ...6年生になった春だ...。
なんかもっと昔な気がしてました...。
次からは調べられることは調べてから記憶と照らし合わせます。間違ってること書いてごめんなさい...。
1巻を買った1年以内にもう一度受験のために日本に帰ってて、その時に4巻まで出てて
「くぁswでfrtgyふじこlp;@」って言いながらまとめて買った記憶があるので
それだとそっか、2004年なのか...って思いました!
侍魂も面白FLASH倉庫も見たよ!!!めちゃ懐かしい!!!!!
先行者とか馬鹿みたいに笑ったし、流石兄弟がすきだったなー。あと再翻訳系のネタ!
言われれば思い出すけど、たぶんクラスの子かお父さんに教えてもらったんだと思う。
能動的に初めてGoogleを使ったのが「デスノート」でググった時だったから、その時の印象がめちゃくちゃ強くて
たくさんの人にポジティブなコメント貰ったり、指摘してもらったり、めちゃくちゃ嬉しいです!
間違ってることはどんどん指摘してほしいです!よろしくお願いします!
ただ、わたしは「正しい年表」を作るつもりはなくて、
それを見た人が「面白いな〜」って思ってくれたら、嬉しくてにや〜ってするよ!
ブコメで正しいことを指摘してもらって、自分の思い出と事実がきちんと重なっていくのはすっきりして気持ちが良いので、
また間違ってること書いたらどんどん教えて下さい!お願いします!
[]でカテゴリ設定するのってこれで合ってるのかな...
では、前回のブックマークコメントを参照しながら自論を展開していきたいと思います。
simplemind だが「誰かの悪口を言ったら返ってくる」のは本当に「基本」だろうか?街で「年収○○万円の男なんてw」とdisっても普通怒られたりはしない。「disりっぱなし」は(残念ながら)常識的には正常な「態度」なのでは
http://b.hatena.ne.jp/simplemind/20131224#bookmark-174706694
素晴らしい指摘だと思います。
たとえば私が喫茶店でジュースを飲んでいたとして、そこで隣のテーブルに居る女性2人組が大声で
「年収○○万円の男なんてゾッとするよねー」
とお喋りしていたところで、それに対して私が議論を吹っかけたり、殴りかかったりすることはまずありません(非常識な彼女らにビックリしてチラ見はしてしまうでしょうが)。
私が公衆トイレでおしっこしてるときに、隣でションベンしてるおじさんがオナラをこいたところで、私は「屁ぇこくなよ!」とは言えません。
おじさんと私は友達ではないのですから (ダウンタウンの浜ちゃんは職業病で、そのような状況のときにおもわずツッコんでしまったそうです)。
ところがこれがネット上になると話が変わってきます。「年収○○万円の男なんてゾッとするよね」「結婚しない人間って何考えてるんだろうね」
とブログで言っている女性が居れば、私は彼女達を非難します。また、いつもホットエントリに入っている屁のように臭いブログがあれば、猛烈に叩きます。
もちろん絶対に叩く!というわけではなく、その日の気分によって叩く叩かないは変化しますが。
我々はなぜ街中だと非常識な人間をスルーするのでしょう。我々はなぜネットだと、特にブログやツイッターになると、非常識な人間を見たときに叩きたくなるのでしょう。
私はこの問題を考えているときに、「儀礼的無関心」という言葉を知りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%80%E7%A4%BC%E7%9A%84%E7%84%A1%E9%96%A2%E5%BF%83
私たちは電車に乗っているとき、他人を凝視しません。それは、たとえば特に電車内のマナーにうるさい日本だけではなく、アジア・アメリカや欧州南米でもそれは同じでしょう。
Daniel Powterというカナダ人歌手の「Bad day」という曲のPVを見ると、これには男女の主人公が居るのですが、
男の主人公は電車内で、歴史を感じさせるような老夫婦を尊敬の眼差しを持って見つめます。
女性主人公は幸せそうなカップルを少しうんざりした様子で見ます。けれどここで重要なのは、彼らは決して無礼な態度では観察していないということです。
「お前何見とるんや」
と因縁をつけられない程度の態度で他者を観察しているのです。もしパッと目が合ったら私たちは目を逸らしますよね。
これは現実での振る舞いとして適当でしょう。私たちはそうやって日々を生きています。儀礼的無関心を遂行しているのです。
インターネットではどうでしょうか。我々はいくらでも他者を観察できます。ネットでは「お前何見とるんや」と言われることはまずありません。
他者をいくら観察しようが、いくらイヤらしい意地悪な目で見ようが、その行為の代償を払う必要はありません。
私を含め、古参インターネットユーザーたちはこの2つの世界を行き来していました。儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会。
ところが昨今、特に2013年はそれが大きく変化した年となりました。
2013年を語る上で欠かせないのが、ツイッター冷蔵庫侵入事件です。
デジタルネイティブの若者たちは、コンビニの冷蔵庫に侵入しアイスを靴で踏みつけたり、レストランの備品に自分の身体を擦り付けたり、スーパーの売り物の食品に乗っかって遊んだりして、
そうした行為をスマホで撮影し、ツイッターにアップしました。そうした写真は瞬く間にネット上で拡散されて、ネット社会と現実社会の両方で大きな議論が巻き起こりました。
我々が外食したり、また食品を買ったりするとき、実はそれにはどこの馬の骨とも分からないDQNたちの体液がついてる可能性というものが大きく可視化されました。
主要紙もネットユーザーもバカッターバカッターと彼らDQNを糾弾しました。
「悪ふざけするのは良いとして、ネットに公開するということは全世界に公開するということだ。考えてやらないと。」
「目立ちたいだけだよ。有名になりたい馬鹿たちなんだよ。」
はてな民は偉そうに言っていました。
しかし私はどうも違和感を持っていました。「そもそもあのDQNたちは全世界に公開してたつもりなんて1ミリも無かったのでは?」
たとえば、私がコンビニで買い物をしていたとして、そのときちょうどあのDQNが靴で冷蔵庫の中のアイスを踏みつけていたとします。
私は彼に注意などしません。注意して、彼の仲間たち3人くらいに囲まれたらどうするのでしょう。怖いです。
私はここで必殺「儀礼的無関心」を放ちます。ギャーギャー騒いでる若者たちをスルーするのです。
本当は注意するべきなのでしょう。しかし生活していくなかで、そういうリスクはなかなか背負えません。
みなさんもそうだと思います。関わりたくないことには儀礼的無関心を遂行してやり過ごすでしょう。
さて、それがインターネットで繰り広げられていたらどうでしょう。
冷蔵庫のアイスを踏みつけたDQNたちは写真を撮り、それをツイッターに上げます。彼らは、たぶん仲間内だけに見せるつもりなのです。
「健太が冷蔵庫に侵入した結果www」てなもんです。青春の一ページです。
そうこうしているうちに、偶然にも私はその写真を見つけてしまいます。「あ!あのときのあいつらや!」
私は、現実で儀礼的無関心を強要されたあのときの惨めな気持ち、後ろめたさがよみがえって来ます。
「許せん!」
私だけではありません。DQNに儀礼的無関心を強要された人たちは山ほど居ます。そういう人たちが、DQN健太くんの冷蔵庫侵入写真を見たらどう思うでしょうか。
「恨み晴らさでおくべきか」
となるのは必然ではないでしょうか。
また、そういう恨みが無かったとしても、我々の誰もが買う可能性のある商品に不衛生ないたずらをしかける彼らの姿は、人々をとても不安にさせます。
そう、ここはインターネットです。コンビニで彼らを見たときのように儀礼的無関心をする必要はありません。鬨の声を上げるのは今です。
我々は彼らの個人情報をゲットします。お店の情報をゲットします。お店に電話し、彼らの家に電話し、ネット上に彼らの情報をバラまきます。
怒り狂った2ちゃんイナゴたちは暴れ周り、その結果お店は潰れ、DQNたちの就職難易度はとても高くなりました。
騒ぎが終わった後、DQNたちはどう思ったでしょうか。「ダチでもねぇ奴が勝手に俺らの写真を覗き見して勝手に大騒ぎしていった」と思うのではないでしょうか。
「現実ではスルーするくせに何でネットだと食いついて来るわけ?」とも。
これは儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会との狭間で起きた事件です。
若者たちは混乱しています。「現実では何も言われないからネットでも大丈夫だと思ったのに・・・」
そしてこれはサードブロガーやはてな女子の問題に繋がって行くのです。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
ということを平気で言います。しかもそれを、日本のネット上でも最も気難しい人たちの居る「はてな」でそれを行います。
これはハッキリ言って場違いです。「年収○○万円の男なんてゾッとする・・・」「結婚しない奴の意味がわからんwww」「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
なんてのは、普通はオフラインで言うことです。誰にも聞かれないところで、女子会でやるべきです。喫茶店でやるべきです。
オフラインなら、我々は儀礼的無関心をできます。「酷いこと言うんだなぁ・・・」とは思いますが、彼女らを打ち倒そうとは思いません。
ところが彼女らは冷蔵庫侵入DQNと同じように、オンラインでそれを公開してしまいます。
オンラインでそんなものを公開してしまえば、はてなの妖怪たちが黙っているわけがありません。小難しい理屈を並べ立て、罵詈雑言を浴びせます。
「ほぉーそんなこと言うってことは喧嘩(議論)する気なんやな?オモロなってきたで!」てなもんです。
「友達でもない人が勝手にアタシのブログを覗き見して勝手に怒ってる・・・」
「女子会でこんな話しても誰も怒らないのに何でネットでは怒られるの?」
こう言われてしまうと、妖怪はバツが悪くなって攻撃の手を止めてしまいますし、さらに疑問がむくむくと沸いてきます。
「なんで議論する気ないのにそんなこと言ったの?ここは儀礼的無関心から解放されて忌憚なく議論する場だよ?」
上の言い方では少し強過ぎるかもしれません。もっと適切に言うと「反響が欲しくないのなら何で公開したの?」
ということです。
つまりはてな女子たちは、ブログで何を書こうが、現実と同じように、儀礼的無関心を他の人がしてくれると思っているのです。
冷蔵庫に侵入した若者たちと同じように。しかしその態度は、私にはとても無責任なものに思います。
「私は誰かに関心を持って悪口言うけど、みんなは私に無関心を装ってね?」といったところでしょうか。
はてな民はそれを了承しませんでした。だからはてな女子筆頭の体調わる子は苛烈な攻撃を受け退場して行きました。
「俺は好きなこと言うけど俺に好きなことは言うな」という態度のサードブロガーや虚構新聞も苦戦を強いられています。
この虚構新聞の苦戦に関しては、ネトウヨがネットの外に出て行ったことに強く関連しているので、後日それについて論じたいと思っています。
以上が、私の「現実とネットによる儀礼的無関心の違い」といったところでしょうか。
この儀礼的無関心の取り扱いの違いが、今後どうなっていくのかも後日論じたいと思っています。
http://d.hatena.ne.jp/chuunenh/20131211/1386766614
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
承認欲求!
承 認 欲 求!!!!
また懐かしい言葉ですね。shとみたら勝手に指が承認欲求って打ち込んでしまうくらい、書いた記憶がございます。そう、はしごたんがはてな村に君臨していた頃のお話でございます。
はてなダイアリーがはてなブログに変わって人が流入し、何やら色々リセットされたようですが、基本的にやってることは昔のまま。サードブロガーとか洒落た名前を冠しておられるようですが、その昔にはてな村のステージで喧嘩をしていたあの人達が世代交代しただけではないかと村人は思うのであります。
昔のはてな村にはそんなものが溢れておりました。そしてそれこそがイナゴの大好物だったのでございます。隙をみつけたイナゴは、まず先陣三匹が隙から皮を食い破り、続く怒涛のイナゴたちがブロガーの自意識を食い破ってかれらを発狂させます。そうして何人のブロガーが腐海に沈んだことか…
ちなみに隙のない文章はプロでもそうそう書けないものなので、ブログが流行り始めた頃からネットには「隙だらけ」の文書があふれていました。当時のブログはどこもたいていトラックバック機能を有しておりましたが、これが機能していたとはいいがたく、また今よりもサービス間の連結は疎であったため、自浄作用がはたらきませんでした。しかし、2005年、はてなブックマークがリリース。これにより大量発生したイナゴがゴミを食い荒らし、ゴミをまき散らしうるブログを潰していったのです。これこそが、はてな村が敬遠された理由でした。イナゴにとってはゴミですが、ブロガーにとってそれは宝だったからです。
彼らが自分のブログ・文章を批判されると凄く傷ついてしまうのは、
彼らにとって、「自分のブログ・文章」は、「自分そのもの」だからなのではないかと思っている。
対してやまもとのような古参民は違う。「 自分の信念・感情・思考 → (変換) → 自分の文章・自分が提出したデータ 」にしている。
残念ながら、自分の信念や感情と文章を切り離せるのは一部のプロあるいは釣り師のみ。あのumedamochioでさえ書評を批判されて発狂したのです。基本的に人は、文章と自分を切り離せません。切り離せると思っているのは幻想に過ぎず、またかれあるいはかのじょがそれを無視するだけの尊大な人間であるためなのです。
しかしどうも新参ネット民やデジタルネイティブはそうではないようなのだ。
彼らはまず自分の人格・個人をババーン!と世界に大公表して、それから情報のやり取りを始めるのではないのだろうか。
これは明らかに誤謬ですね。
はてなイナゴとともにはてな村で踊り狂った一族は、個人の内面をまずさらけ出していました。イナゴはそれが大好物だったので、あっという間に飛びつき、貪り食ったものです。そしてそれに火を放つものがおり、さらにイナゴがどこかから飛んでくる。それがはてな村でした。この騒動のなかでひとつ残った言葉が、承認欲求。まるで南無阿弥陀仏を唱えるが如く、一時期は承認欲求の文字がどこでもつぶやかれていたことを懐かしく思います。
思うに、はてなブックマーク時代以前は、mixiのようなSNSで個人情報を垂れ流すか、オープンな全く自分の尻尾を掴ませないか、そのどちらかしかなかったのです。mixi似つかれた人々は穴蔵から這い出し、オープンな世界で自由を謳歌したかのように見えましたが、個人情報を守れど自分自身の中核を守るすべは知らなかったのです。個人情報さえ守れていれば、大丈夫。彼らはそんなふうに思い、SNSの中と同じような活動を使用としました。そしてネットイナゴに食いつくされたのでした。しかもネットイナゴは彼らにとって見ればまさに承認であり、欲求を満たしてくれる救いでもあったのです。
データのやりとりのみを行う方法を知っているのは、SNS発生以前、ブログ黎明期よりもまえにオープンな場所でそだった野生児だけでありましょう。野生児と非野生児はコミュニケーションが取れないものです。そして野生児は少数派なのです。
ちなみに2005年のはてなブックマークリリース後、2006年から2007年にかけてはてなが盛り上がった頃、はてな村界隈ではこのような人々が活躍していました。例に出したのは一部です。どこに入れたらいいかわからなかったネコプさんとかは省いています(あとはいろいろ忘れた)。あとはてな村の外側には大学生自治寮やギーク平原、狼集落などが点在しておりました。
この後、はてな村は別都市の興隆や再開発によって解体・分解しております。とくに2007年以降は、突っ込まれるのは面倒だが承認欲求がほしい人々は増田へ、キャッキャウフフしたい人々はTwitterへと移民していき、イナゴも人の流れに従ってあちこちへ分散していってしまいました。そしてはてな村は生き残った強者だけがつぶやく廃村となったのであります。
ココロ社さん
メレ子さん
はまちお兄ちゃん(Hamachiya2):猟師
てらじさん(TERRAZI):Operaの人だがたまにはてな村に絡む
シナ千代兄さんの場合はてなの図解まとめ人なのだが、なんかはてな村とは適度に距離をおいている感じがする。多分メタだからだろう。
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060217/p1
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060912/p1
あたりは今でもそのままって感じ。
パル氏(pal-9999):的の外れた男女論のためたびたびブクマで炎上。思想はマッチョ。本人は炎上商法のつもりではないのかも
萌え理の人(sirout2):ライフハック系。あんまりはてな村ではない気もする
タケルンバ卿(takerunba):ライフハック系。でもなんか非モテあたりと親和性が高かった気がする
にちのさん(nitino):メンタルヘルス
まさおさん(Masao_hate):非コミュ
ulululunさん:こじらせ
republic1963氏:非モテ
フルカツ氏(furukatsu):非モテ急進派
じゃんくま氏(junkMA):単著もないのに
ここらへんが動くとohnosakikoさんがメタエントリを生成
ともむん氏(tomo-moon):ミサンドリ→結婚後おとなしくなってたが最近は鬼女として復活か
えっけんさん(ekken):なんかよくわからないが炎上してるとまとめに飛んでくる人
蟹亭主さん(kanimaster):揉みごとの人
加野瀬氏(kanose):なにしてるかよくわからないが村長らしい ←すみません素で名前間違えました
花見川氏(ch1248):何故か炎上する武闘派。非モテ(非コミュ?)から後にニコ動画系へ
ふぁー/ぴーは/ぴゃーさん(pha):この頃はネオニート一年生だった
の、のぶたんのこと忘れたわけじゃないんだからね!でもなんとなくれぶたんとセットです。
私は、ずっと IT 技術者として飯を食ってきたが、仕事が楽しいと思うことがあまりなかった。その原因について考えてみる。
私は、中学生のときにプログラミングを始めた。いまは40代なので、だいたい30年前からプログラムを書いていることになる。ただ、中学時代の私は、とんでもない「ぼっち」でプログラミング話で盛り上がれる友達がいなかった。しかも、書いていたプログラムも、開発ツールというマニアックなもので、ゲームとか楽しげなものに関心があまりなかった。プログラミングをすることは、ある種の修行のようなもので、決して楽しいことではなかったし、またそれは自分にとっては社会的な孤立の象徴であった。
社会人になった後、ひょんなきっかけで、IT業界に足を踏み入れ、気がついたら職業プログラマになっていた。才能があるのかどうかは不明だが、子供の頃からプログラムを書いてきた私は、まちがいなくデジタルネイティブであるとは言える。まあ、とにかく、コードを書くことを覚えるのに時間はかからなかった。
ただ、私はどうにもチームで仕事をするのが苦手だった。ITの仕事は、調整が多い。仕様変更は日常茶飯事だ。厳しい納期の下、ソースコードに変更を次々と加えるのはリスキーな行為で、関係者に深い信頼関係がないと、人間関係がギクシャクする。
私は、プログラムを書き始めた時、ぼっちであったので、「プログラミング=独りの作業」という思い込みがあったのかもしれない。それがゆえか、ソフトウェアの設計等に関して、他のプログラマと調整したり妥協したりすることが非常に難しかった。自分がいちばんうまくやれる、という思い上がりもあった気がする。そういうわけで、人間関係が険悪になることが非常に多かった。
最近のいくつかのプロジェクトで、喧嘩別れに近い体験をいくつかしたために、プログラミングの仕事をすることにトラウマに近い思いを抱くようになってしまった。
しばらく仕事を離れて休んでみて、いま思うのは、もうちょっと自分が柔軟になれないだろうか、ということだ。答えは決して一つではないはずだ。もう少し、他者の意見を尊重できる人間になりたい。そしてプログラミングの仕事をもっと楽しめるようになりたい。
プログラミングは、人間とコンピュータの間を取り持つ作業で、コンピュータのもつ潜在能力をこの現実社会で開花させるという重要な仕事である。時には、コードが社会を変えることもある。そういう意味でやりがいがあって然るべき仕事だとは思うんだよね。いまの私の課題は、この仕事をストレスをあまり感じずに楽しむことだ。
いったいどうしたらいいんだろうね。ペアプログラミングでもやってみるといいのだろうか?
突然だが、ネット上にはおっさんが偽装したJD、JK、JC、JSが溢れている。
ネトゲがその最たるもので、ガワは可愛い女キャラだが中の人は30~40代のおっさんでしたなんて話は枚挙に暇がない。
ネトゲ以外でも、普通のSNSで自己紹介文に女子高生と書いてあったのに…などなど、ネットで「本物の」女の子と知り合い楽しく会話するのはなかなか難しい。
特にそれが女子小学生というプレミア感溢れる存在になれば尚更だ。
しかし、pixivでなら、ほとんど確実、98%以上の精度で「本物の女子小学生」と交流を持てる。
何故か。それは、「上げられている絵」が、そのユーザーが本物の女子小学生かどうかを担保するからだ。
プロフィール欄に「小学生」とか「11歳」とか「12歳」とかあれば、次に本人の描いた絵を見て本物かどうか判断しよう。
文字では簡単に12歳だの小学6年生だの書けても、本物の女子小学生感漂う絵を描くのは本当に難しい。絵に関してだけは、偽装できないのだ。
本物の女子小学生の描く、決して上手くはないがキラキラ感溢れる独特の風情は、そうでない者が習得しようとしても習得出来るものではない。
絵が偽装できないからこそ、pixivで絵を上げてる女子小学生は本物である可能性はまず100%と言ってよく、中身がおっさんである可能性はゼロなのだ。
上げられている絵がネットで拾ってきた他所の画像なのではないか…という疑惑も、google画像検索の力で解決出来る。
気になった自称女子小学生ユーザーが絵を上げており、その絵をgoogle画像検索にかけても他のサイトが検出出来ないオリジナルである場合、そのユーザーは本物であり仲良くして大丈夫だ。
というわけで、絵を上げていない自称女子小学生ユーザーはおっさんの偽装である可能性が高いから注意だ。
女子小学生は素直で話してて本当に楽しい。しかもデジタルネイティブ世代の特徴なのか、語彙は豊富であり話していて飽きない。
ボカロの話やゲーム実況プレイヤーの話をすると喜ぶ。彼女達と話していてふと気になったのが、テレビの話は一切出てこないことだ。
全て、ゲーム・アニメ・マンガ・ネットの話。テレビのテの字も出ないし、いわゆる芸能人、有名人の話も出ない。彼女達にとって憧れる実在の人物とは、イケメンゲーム実況者であり、イケメンボカロPなのだ。
女子小学生達は生活も大変規則的だ。当たり前だ。親が彼女達の生活を管理しているのだから…。
24時間眠らないネットの中にあって、そういう当たり前の健康的な事実を久々に思い出した。社会人とネットで交流を持つと生活が崩壊してる人も何人もいるから深夜にメッセ飛ばしても反応があるが、彼女達は深夜にまったく動きがない。健康的で良いことだ…寂しくはあるが。