はてなキーワード: デジタルネイティブとは
娘(5歳)の通ってる幼稚園が地元の年末のお祭りでダンスを披露することになった。地元出身の有名人?と一緒に踊るらしい。そこまではいい。娘は幼稚園でも家でも張り切って練習していた。
ただ、先週先生から「有名人のファンの人が撮影するかもしれないですけど、大丈夫ですか?」と言われた。私はその場で「全然大丈夫ですよー」なんて答えたけど、横で聞いていた娘は違ったようだ。
家に帰ってから「勝手に撮影されてYouTubeに載せられるかもしれないから、絶対に出ない!」と言い出した。娘は毎日YouTubeを1時間は見て自身もたまに動画配信をしている(ゲーム実況で顔は出してない)それだけYouTubeに親しんでいると、「ファンが撮影→動画アップ」という可能性がまぁまぁ高いことに自分で気づくらしい。
旦那が「もしアップされてもパパが削除申請してあげるから」と言っても「アップされてから、気づくまでの間にいっぱい見られちゃうし嫌!」という。
正直、娘の言ってることは正論だ。四六時中YouTubeを見張ることもできないし、一度アップされたら、削除申請をしようがイタチごっこになる可能性もある。
母に相談したら、「アップされちゃっても娘ちゃんに見せなければ良いだけじゃない?」って言われた。娘のデジタルネイティブさナメるなよ。きっと祭り終わった後から検索しまくって勝手に見つけてくるわ。
そもそも娘は自身の肖像権を侵害される可能性がある場所に立ちたくないと主張してて、それをいくら親やからって強制していいのか。
ちなみに祭りは任意参加ながら今のところ全員出席予定で練習も園で毎日してるので、できれば出て欲しい。でもなぁ、娘の言ってることの方が正しい気もする
そんな理由で欠席するなんて!みたいな意見ばかりかと思っていたら全く違っていたので驚いています。すべてコメントを読ませて頂きました。娘の意思を尊重する方向で先生と相談したいと思います。
また、娘のことを褒めてくださっているコメントも多くこちらも驚きました。娘はしっかりしたところもありますが、基本は恥ずかしがり屋の普通の女児です。プリ姫のもとちゃんは本物の王子さまなんだよ〜なんていいながら、今もYouTubeを見てますし。
大学でリテラシ実習とか検索演習などパソコンを使った演習を担当しているが,授業の事前アンケートで大体数人は「コンピュータは苦手ですが頑張ります」とか書いてくる学生がいる.時期的に2000年以降生まれで,たとえ家にパソコンが無かったとしてもこれまでの教育で少なからず扱ってきた世代のはずなので,かなり変なことを言っているように思えるのだがどうだろうか?
もちろんネオ・デジタルネイティブ世代だったとしても家庭環境その他さまざまな事情でコンピュータに全く触れる機会がなかった人なのかもしれないが,その世代が「コンピュータは苦手」と言ってしまうのは「日本語全くわかりません」と発言する並みの違和感を覚える.一種の謙遜なのかもしれないが,あらぬ誤解を与えかねないので控えるべきだと思う.
もしかすると,英語も義務教育+αで5年以上学んだとしても「英語は苦手です」と宣言する人と同じ構造かもしれない.あっちはカリキュラムが悪くてリスニングとスピーキング能力が育たなかったことや謙遜の精神が原因かもしれないけれど.
ちなみに,私が「コンピュータは苦手」と認定するのはキーボード操作の知識が欠けている人,具体的には「+を入力するにはShiftキーを押しながら;が印字されたキーを押す」ということを知らないレベル.単に授業を分かりやすく展開しろという要求なら,当然そのような努力はしているわけで,むしろ分かりにくかったときに改善の依頼を出してほしい.
ネット世論では何かと叩かれる団塊世代であるが、何が悪いのか本気でよくわからない
まず「団塊世代=全共闘」という偏見であるが、1945~1950年生まれであれば大学進学率は3割程度で、しかも学生運動に参加したのはその中の1割程度だ
団塊世代の大多数は高卒か中卒なのである。団塊の行動原理=全共闘メンタリティという説明一発は無理がありすぎる。
よく話題になる「団塊世代のクレーマー」の大多数は学生運動経験なんかない、うるさいクレーマーなのは世代ではなく個人の人格の問題ではないのか
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過去に自分が仕事で接したことのある1945~1950年生まれは数人いるが、工業高校卒か、学生運動には行かなかったおとなしい優等生タイプだった
1990年代に派遣社員でNECの下請けに行ってた当時は、1945~1950年生まれだが最初期のPC98だのをいじってた経験のあるオサーンが普通にいた
1945~1950年生まれならばパソコンとか使い方がわからんのもじいさんだから仕方ないと諦めもつくが、1960年前後生まれバブル世代なのにITにうといオサーンの方がよほど問題ではないか、そーいう奴も大量にいたはずである
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団塊世代を擁護する気はないのであるが、単に「数が多い=目立って問題視される、クレーマーとなる者も絶対数が多い」という話であれば、まさに1970年代生まれ団塊ジュニアの20年後の姿も同様であろう
というか、団塊ジュニアは、非正規雇用の貧乏独身者は多いし、ぎりぎりデジタルネイティブでもないし、ガンダムやら北斗の拳やらの1980年代文化を押しつけがましく振りかざすし、20年後には今の団塊以上にお荷物扱いされるんだろうなあと戦々恐々としている
ここ数日で初めて、やっと、「はてな匿名ダイアリー」が何たるかを知った。
どんな若僧かと思われるだろうか。
hagex氏の事件で、ダイアリーを『見よう』と意識して見たら、はたと気付いた。
点たちが繋がった。
そして、
私が探してたのはこれだ!と。
ありとあらゆるサービスに手を出した。
どのブログサービスにも、とりあえずつくったアカウントとブログ達。
何個か書いて止まる記事。
作り直しては藻屑に返す。
思えば昔、10才の私はWin98を携え、大きな掲示板に入り浸っていた。
2ちゃんではない。
ずっと明確な個人だった。
ネットで「誰か」だった事は無かった。
何だかんだで、最初のデジタルネイティブ的な人間なのかもしれない。
私の発言は私の物だった。
それが窮屈で、恥ずかしくて、もどかしくて、ブログが書けなかった。
文章あれとかどうでもいい。
私は誰でもないから。
良い所に気づいたな。
その通り。寄付なり月額課金で得られる金額なんてーのはゴッホかダヴィンチクラスでもなければ些少。
プロ級ならサブスクライブの数も多いかもしれないが、プロはそもそも報酬で生活できている。
言わずもがな「無料DL生活を続けてきたデジタル盗人達」の為にある「浄財」システムなんだな。
これはクリエイターを支えるためにあるものではない。デジタル盗人たちの自身の今までの罪を正当化するためのお為ごかしの為にある賽銭箱に過ぎない。
デジタルネイティブでデジタル盗人自体の全体数が多くなってきたからこそ、その「賽銭箱」を運営することによりもうけが出ると考えた人々による免罪符ビジネスって奴だよ。
未成年が危ない
ゆとり世代が危ない
ネットサイコパス=集団ストーカーの過激行為=日本のリテラシーの低い日本人に悪影響を与える=集団ストーカーの真似をする=社会の恥さらし的な存在になる。
ネットサイコパスに惹かれる人=アウトローに共感する人間と同類=危険人物化
「過激な行為や反社会的な言動で注目を集める」→「リテラシーの低いユーザーを依存させる」=「オカルト団体や悪徳メディアの仕組み」と同じ。
自意識過剰な「自己愛性パーソナリティ障害者」になると、自分を批判する者に対してレッテル張りをする。
想像力の欠如
倫理観の欠如
エシクス・モラル
教育の失敗
末路
さとり世代はまんまデジタルネイティブに言い換え可能な言葉じゃないの?
e-Japan戦略が策定され、日本に出回る携帯端末のほぼ全てがiモードに対応した2001年に未就学児だった者からがさとり世代に当てはまると思ってる。
1980年代後半から90年代前半生まれはまんまデジモン世代で、まだまだパソコンとかインターネットが憧れの対象だった。
都市部はいざ知らず地方は「島根にパソコンなんてあるわけないじゃん」を地で行くようなところはあった。
生まれ | 大雑把な世代 | 世代の近い総理大臣 | 1945年 (終戦) | 1954年 (高度成長開始) | 1973年 (安定成長開始) | 1986年 (バブル開始) | 1991年 (バブル崩壊) | 2018年 (現在) |
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1925年 | 戦中派(20年代生まれ) 徴兵経験あり | 竹下登(1924) 宇野宗佑(1922) 村山富市(1924) | 20歳 | 29歳 | 48歳 | 61歳 | 66歳 | 93歳 |
1935年 | 昭和一桁世代(1927-1934年生まれ) 焼け跡世代(1935-45年生まれ) 徴兵経験なし | 海部俊樹(1931) 細川護熙(1938) 羽田孜(1935) 橋本龍太郎(1937) 小渕恵三(1937) 森喜朗(1937) 福田康夫(1936) | 10歳 | 19歳 | 38歳 | 51歳 | 56歳 | 83歳 |
1945年 | 全共闘世代(40年代生まれ) 団塊世代(40年代後半生まれ) | 小泉純一郎(1942) 麻生太郎(1940) 鳩山由紀夫(1947) 菅直人(1946) (小沢一郎・1942) (谷垣禎一・1945) | 9歳 | 28歳 | 41歳 | 46歳 | 73歳 | |
1955年 | しらけ世代(50年代生まれ) ポスト団塊(50年代前半生まれ) | 安倍晋三(1954) 野田佳彦(1957) (小池百合子・1952) (岡田克也・1953) (石破茂・1957) (岸田文雄・1957) | 18歳 | 31歳 | 36歳 | 63歳 | ||
1965年 | バブル世代(60年代後半生まれ) 新人類(60年代生まれ) オタク第一世代(60年代生まれ) | (前原誠司・1962) (河野太郎・1963) (枝野幸男・1964) (蓮舫・1967) | 8歳 | 21歳 | 26歳 | 53歳 | ||
1975年 | 氷河期世代(1970-83年生まれ) 団塊ジュニア(70年代前半生まれ) | 11歳 | 16歳 | 43歳 | ||||
1985年 | 氷河期世代とゆとり世代のちょうど隙間 | (小泉進次郎・1981) | 1歳 | 6歳 | 33歳 | |||
1995年 | ゆとり世代(1987-2003年生まれ) さとり世代(90年代生まれ) デジタルネイティブ | 23歳 |
下半分が寂しかったので民進党代表や次期首相候補と言われるような人も括弧書きで追加。
就職氷河期に関する補足→https://anond.hatelabo.jp/20180417161628
1985年をゆとり世代としていたのを修正→https://anond.hatelabo.jp/20180417163706
青少年期に日中戦争・太平洋戦争を体験し、1920年代生まれは徴兵も経験する。
安定成長期(1973-1991)には34歳から71歳。
バブル時代(1986-1991)には47歳から71歳で管理職および経営トップを担う。
現在は80代・90代。
バブル時代に総理大臣を務めたのは中曽根康弘(1918生)・竹下登(1924生)・宇野宗佑(1922生)・海部俊樹(1931生)。
それ以降も小泉純一郎の就任まで、1920年代・1930年代生まれの総理大臣が続く。
1960年と1970年の安保闘争、ベトナム戦争に対する反戦運動、1960年代後半に過激化した学生運動などを大学で体験した「全共闘世代」。
1940年代後半生まれは戦争終結による第一次ベビーブームで生まれた「団塊の世代」。
高度経済成長期(1954-1973)には5歳から33歳で、主に青少年期を過ごした。
現在は70代。
歴代首相では、麻生太郎(1940生)・小泉純一郎(1942生)・菅直人(1946生)・鳩山由紀夫(1947生)。
1950年代前半生まれは団塊から引き続き人口の多い「ポスト団塊」。
高度経済成長期(1954-1973)に幼少期・青少年期を過ごした。
現在は60代。
歴代首相では、安倍晋三(1954生)・野田佳彦(1957生)。
1960年代後半生まれはバブル時代に就職した「バブル世代」。
幼い頃からマンガ・アニメ・ゲーム・バラエティ番組・洋楽などに親しんだ「元祖サブカル世代」「オタク第一世代」。
高度経済成長期(1954-1973)に幼少期を過ごした。
現在は50代。
バブル崩壊後の不景気に就職した「就職氷河期世代」「ロスジェネ」。
1970年代前半生まれは、団塊の世代による第二次ベビーブームで生まれた「団塊ジュニア」。
安定成長期(1973-1991)に幼少期・青少年期を過ごした。
出生率の低下が問題となりはじめた時期に生まれた「少子化世代」。
1980年代後半生まれは、脱・詰め込みの教育を受けた「ゆとり世代」。
安定成長期(1973-1991)に幼少期を過ごした。
現在は30代。
物心ついた頃からPCやインターネットが普及していた「デジタルネイティブ」。
昔、俺はとある界隈のスレで粋がった事を書いた
俺の発言はアイタタタタな厨房のアイタタタタなレスとしてアイタタタタなコピペ化した
そんな俺の黒歴史コピペはその界隈で現在も使われてるし、場合によってはネットしてたら一度は目に入れたことがあるかもしれない
正直死にたかった
だって黒歴史ノートに手足が生えた上に口まで付いて「ワタクシはある界隈のある厨房のイタい歴史でございます。何卒何卒」とか自己紹介してまわってる感じなんだし
それが今この瞬間もオモシロ文字列として各所を飛び回ってるのだ、死にたいわ
インターネットが昔よりも身近で、簡単に誰でもネットの様々な世界を見たり集まりに参加しやすい世の中だからこそ、デジタルネイティブな子供たちに言いたい
調子に乗ってたり、自分が他人よりも凄いと思ってたり、何か自慢したいと思ってもそれを口にしたり、匿名非匿名問わず人の集まる場で書かない方がいい
インターネットは黒歴史に手足どころか羽根が生える、口も付く、姿すら変わる
俺みたいに定期的に死にたいと思うハメになりたくないなら、絶対にするな
コピペならまだ可愛い方だ、特定が大好きなコミュニティーが多い今、場合によっては色々晒される
印刷業界のこととか全然わかんないけど、卑近な例だとうちは読み捨てるようなビジネス書とか流行技術の技術書、残酷な描写とかがあって子供に見せたくないものなんかは電子書籍で買って、それに対して、そのうち子供達が家の本棚から見つけて引っ張り出して読んでくれるといいなって思うような文芸書や図鑑みたいなものは紙で買ってるから、アカウントが異なる者同士の貸し借りとか、同じアカウントの中でも書籍ごとにパスワードかけてアクセスできないシステムとか、大判のデバイスで簡単に閲覧できるとか(図鑑は小さい画面では厳しいから)、そういうのができたら紙は買わなくなるかもしれない。
もう歳がいった私なんかだと、電子書籍ライブラリをザーッとみて興味ありそうな本を見つけるっていうのと、本棚を眺めて見つけるっていうのは別物なんだが、デジタルネイティブにはそれなりの発見方法みたいなものがあるかもしれないしな。
そういうシステムができるのがいつになるのかはわからないし、そうはならないのかもしれない。(利益の問題とかで)
もしならないとしたら、私はもうしばらく紙の本を買い続けるんだろう。
そういう私みたいな需要が今どれだけあるのかはわからないけど。
でももしかしたら、デジタルネイティブの子供達は、どんだけ私が溜め込んでも本棚の本なんか見向きもしなくなるんだろうか。
だとしたら、そこが私にとっては紙の最期になる気がする。つまり、私が子供達が読まないなって思って、紙の本を買うのをやめる時。
あと図書館はどうなるんだろうとか。
図書館の場合は図書館でしか閲覧できないアカウントでログインしたデバイスがずらっと並んでるだけみたいになるのかな。
図書館で借りるとかはできなくなるね。
体がだるいし、目が開けられない。私の寝起きには良くあることだが、今回は一段と重い。
何とか体を起こして立ち上がるが、どうもふらふらする。しかも動悸と吐き気がする。いつものように首筋に寝汗をかいていない。なんだこれは?
温度計を見ると30度とある。熱中症や脱水症状に思い至り、冷蔵庫を開けてお茶を飲み、また横になる。リモコンで扇風機を付けた。冷房は壊れている。
少し経ってもいずれの症状も治まらない。お茶では足りないのか。
どうにか起きてコップに水を入れ、塩を溶かして二口ほど飲む。まずいが仕方がない。
再度横になって様子を見る。
16:00分頃、周期的にこみ上げる吐き気と動悸は一向に回復する様子はない。悪化している?
意識はしっかりしているつもりだが、一人暮らしなので、もし失神でもしたら恐らくアウトだ。
私は緊急社会システムにアクセスすることにした。即ち119への電話である。
電話口の相手には救急であること、住所、アパート名、名前、症状を伝えた。
「熱中症とおっしゃいますが思い当たる節があるんですか?」「30度の部屋で寝すぎました」
「わかりました。今救急車が向かっています。ドアの鍵を開けてお待ちください」
大体このようなやり取りで電話は終了し、私はベッドに倒れる。その後体感で5分程度でサイレンの音が聞こえてきた。
インターフォンが鳴らされたので出る。もう何も考えたくない状態になっており、救急隊員とのやり取りは覚えていないが、症状を説明して歩けるかどうか確認され、身分証が入っている鞄を持って戸締りをしたことは記憶に残っている。そういえば隊員の方に顔が真っ白と言われた。
寝巻きのまま自力で歩いて救急車まで行き、中のベッドに横になる。
そして指や腹部に何やら得体の知れないものを付けられる。どうやら指に付いたもので脈を取るらしい。
次いで血圧と体温をはかる。体温37度らしい。平熱34~35度の私にとっては発熱状態と言えそうだ。風邪でもないのにこんな体温になるとは。
搬送先の病院を見つけて頂く間、ライトで目の確認、痺れや神経の確認などをされる。
3名の隊員に来て頂いているが、常に1人は私の横にいて見張ってくれるようだ。大変失礼だがこの方の目は怖かった。口調は丁寧そのものであるのに。
「お名前言えますか?」「生年月日は?」「年齢は?」「今日の日付は?」「ご実家の電話番号は?もしかしたらご家族に来てほしいということがあるかもしれません」「今の症状はいかがですか?」「ご職業は?」
質問には全て答えられたが、いかんせん体がだるい。喋るのも億劫だったが否やもない。
他には、今まで似たような症状を経験したかどうか、過去に何か大きな病気にかかったか、持病はあるか、普段何か薬を飲んでいるか、などだった。それ以外にもあったかもしれないが覚えていない。一週間前まで夏風邪にかかっていたことを確かここで話したか。
質問の最中には別の隊員の方が私の状況を年齢性別と共に病院に伝えてくれているのが聞こえてくる。2、3回、この病院はかかった事があるかと聞かれるが、全て初診の病院である。金曜午後4時とあってなかなか搬送先が見つからないようだ。付近で行った事のある病院を聞かれたので、以前風邪のとき見てもらった個人のクリニックの診察券を見せるが、すでに診療時間外であった。
今思えばこの質問攻めとも言えるものは、必要な情報を得ると同時に意識を失わせないようにするためのものだったのだろうか。
この間に動悸は治まり、めまいも軽減したようだ。何も考えたくない状態は変わらないが、症状としては吐き気のみになっている。救急車の中の温度が功を奏したのだろう。
やがて搬送先が見つかり、移動開始。車内はゆれるので何かあったら伝えてほしいと言われる。
10分ほど揺られて病院に着いた。体に付いた器具は到着直前に全て外される。
どこにある何という名前の病院なのかもわからなかったが、どうでも良いことだった。ベッドごと救急車から降ろされ、救急室へ運ばれる。
移動中、看護師さんらしき方が「大丈夫ですよ~病院に着きましたからね~」と声をかけてくれる。
救急室に入室。時計をチラッと見てみると、16:28分ごろだった。
救急車のベッドから救急室のベッドへ体を移動する。「ゆっくりで良いですよ」と優しい。
そして胸部腹部に器具を付けられる。心電図か。指にも脈を取るための何かを付けられる。たちまち救急車の中とほぼ同じような状態になった。
症状とそうなった経緯を聞かれたので説明する。もともとロングスリーパーで、前日の22時から寝ていたと言うと驚かれた。
ここで気付いたが、やたらと女性が多い。医師の方も女性であり、経緯と症状を説明している救急隊の方以外に男性がいない。
救急室で何をされたか、おぼろげにしか覚えていない。時系列がぐちゃぐちゃだが思い出してみる。
思考停止状態の私はなされるがままぼーっと目の前にある特徴的なライトを見ていたと思う。手術室にありそうなUFOのごときあれである。
確か、もう一度目にライトを当てられる。首を左右に振られる、などだ。眩暈はしない。
「採血しますよ。その後点滴打ちますからね」なんと。この状況で血を抜かれるのか。まあ、もう任せておこう。「アルコールはかぶれませんか?」かぶれたことはない。大丈夫だ。
じゃあ3本などと聞こえた気がするが、見ていないのでどれだけ採られたのかは定かではない。
点滴の後、それから看護師の方に心臓部に何やらローラーを当てられてぐりぐりと動かされる。なかなか終わらない。鈍痛的刺激である。私の体のせいか、どうやら目的を達しづらかったようだ。医師の方に交代するが、それでも時間がかかっていた。体を左に傾けるように指示される。よくわからないが、これで成功したようだ。
喫煙と飲酒の確認をされる。煙草は吸わないし酒は2週間に一度ぐらいだ。
あとは、目の前に指を出され、目で追ってくださいと言われる。問題なくできた。
めがねのような物をつけて天井を見るようにと言われる。とてもぼやけるレンズで、まともに外界を見ることが出来ない。気持ち悪くなったりしないかと言われるが、大丈夫だった。
「私の指先と自分の額を指で往復してください」これもできた。
親指に何かを打たれ、出血したときにその血を器具で調べるということもされた。結構痛くて指が震えてしまった。チラッと顔を確認される。「痛かったですか?」「はい少し」などと会話して気恥ずかしくなった私は目をそらす。
おおよそ処置が終了したようで、救急室にいる人数も少なくなってきたか。
点滴が効いたのか、この頃になると吐き気もほぼなくなっていた。
実家に電話して頂いたようだが、出なかったのだろう。連絡の付く時間を聞かれるが、今いないのなら深夜でないと連絡不能である。我が両親は忙しい。
迎えのための連絡先を聞き出される。
しかし、連絡先が入っているスマートフォンは持ってきていない(これがまずかった)し、普段の連絡はメールである。デジタルネイティブである私は両親の携帯の番号など全く覚えていない。「おじいちゃんおばあちゃんは?」実家にいるが、祖父はすでになく祖母は離れにいる。電話したとしても聞こえない。「他に近くに知り合いはいないか」いない。
いよいよ困らせてしまったようで、鞄の中のファイルに閉じられた紙に書いてある電話番号を見せられる。「ここは?」「それは職場の人間の番号です」「よくわからないな~」申し訳ない。
そうこうしている間に別の患者が来たようで、私は車椅子で別室に移される。何かあったらナースコールをお願いしますと言われ、カーテンを閉められる。
ここでもぼーっと寝ていた。点滴を見る。かなり速いペースで滴が落ちていて、少し経ったら終わった。まさか25歳で救急車のお世話になるとは思わなかった。天井を見ながら、そういえばネットでふぐの毒にあたった人がこのような光景の写真をアップしていたな、いやあれはただのネタだったか、などと考える。余裕が出てきたのか。
その後、先ほどの看護師の方がやってきた。曰く、連絡が付かないなら無理に付けなくて良い。血液検査の結果が出て問題なければ帰宅。と先生がおっしゃっていたということだった。
またしばらくして先ほどと同じ方がやってくる。「救急車で来た方は、病院が荷物を預かったことになるんです。今回は靴と鞄です。お受け取りのサインをして下さい」なるほど。いつの間にか私の鞄も右に置いてある。気付かなかった。
さらに少し経って医師の方が血液検査の結果を持ってやってきた。2項目ほど異常値だが比較的きれいであり、問題は見受けられない。めまいには二つあって、脳か耳が原因だが、前者は考え辛く、後者をチェックするために耳鼻科の受診をお勧めする。それから、ご家族には今日救急車で運ばれたことを伝えるように。それから暑いので、クーラーを付けないなら窓を開けて寝ること。脱水は正直わからないが、水を2リットルほど飲んだほうが良いことを伝えられる。
次に医師ともう1人の方が水を持ってきた。「体を起こして、飲めますか」問題なく一口飲む。「込みあがってきたりしませんか」大丈夫だった。
最後の確認として、点滴スタンドの取っ手を杖代わりにして立つことを指示される。立てるし、眩暈はない。そして、靴を履いて歩く。歩ける。綱渡りをするように、前に出ている足のつま先に後ろの足のかかとを持ってくる歩き方でまっすぐ歩けるか。できた。
大丈夫そうだ。医師も同じ判断らしく、帰宅の準備に入る。「お帰りはどうしますか?」「どうしましょうね……」「お金があればタクシーが良いですね」なるほど。
点滴を外され、消毒したガーゼを当てられるので、自分で押さえておく。太い針だったようで、少し待つ必要があった。その後テープで固定される。
荷物を持って靴を履く。会計の場所を説明されたので、医師の方に今回のお礼を言って移動する。
そういえばめがねをかけていない。視力が悪いので少し視界がぼやけているが、目を細めながら会計に到着し、救急で来たことを伝える。診断書を書いて提出して待つ。この間に時計を見やると、18:40分ごろだった。少し経つと名前を呼ばれる。
この病院の診察券を発行して頂いたようなので受け取って精算する。合計8000円と少しらしい。持ち合わせの現金では足りなかったが、クレジットカードが使えて助かった。会計後、タクシーの駐輪場所を聞いてそこへ向かう。ちょっと迷った。
最初は寝巻きのまま外を出歩くのに違和感があったが、状況が状況である。気にしたところでどうしようもない。会計では、タクシーが駐輪場所にいなかったら自分で呼ぶようにと電話番号を書いた紙を貰っているが、電話がないのでいないと困る。しかし、運良く一台のタクシーがとまっていた。
手を挙げて乗る意思を伝え、自宅アパートの住所を伝える。タクシー代は1700円と少し。現金で支払った。
帰宅後、何はともあれ水分補給をする。そして熱中症で運ばれたことを家族と友人に伝える。だが、ここで部屋の温度と湿度に気付く。間抜けな!この環境だから事が起こったんだろう。
すぐに窓を開け、付けたままになっていた扇風機の風力を上げる。これで涼しくなる。
何時間か休んだのち、着替えて近所のスーパーへ向かう。ポカリスエットと水とカロリーメイト、そして食料を買った。
ところで私が運ばれた病院はなんという病院なのか?診察券を見てみると……なるほど、女性が多かったのはそのせいか。
なんとも稀有な体験をした一日だった。直接お礼が言えたのは医師の方のみだったが、今回119の電話を受けて下さった方、私を運んでくれた救急隊員の方、処置をしてくれた医師及び看護師の方には心よりお礼を申し上げたい。
反省点
・初期の対処
扇風機を付けただけでは足りなかった。すぐに窓を開けるべきだった。
・部屋の冷房が壊れたまま
早く直さなければならない。
・病院に両親の連絡先を伝えられなかった
・めがねを忘れる
持って行く。
暖かい言葉を頂いてとてもうれしい。私の部屋も暖かいぐらいの温度だったら良かったのだが。
こんなことで救急車呼ぶなと言われるのも覚悟していたが、全くの杞憂だったようだ。
30度でもここまでの症状になるのか。体質にもよるんだろうけど。
素人の推測だが、長時間の睡眠で水分が取れなかったためだろう。目が覚めて良かった。
冷房使わなかった頃は2Lのペットボトルを凍らせてバスタオルに包んで寝てたな。500MLのPBでもタオルでくるんで脇の下、首筋、太もものいずれか(動脈のある部分)に充てるだけでも体内の温度を下げる効果がある。
発想がすごい。これはやってみよう。
あなたは熱中症ですとははっきり言われなかったので真相はわからない。
重症だと意識障害や手足の痙攣などが起こるらしいので、私の場合は熱中症だとしても比較的軽いものだったのだろう。
生まれ持った体質と思って諦めているが、確かに少し調べてみても良いかも知れない。
興味深かったが何故そうしたのかよくわからない箇所でぼかした記述が入ってる。増田は肥満体型で搬送されたのは産婦人科だったのだろうか?
これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブの若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。
情報技術が発展し、情報リテラシーが高まり、他人の多種多様な生き様や頭の中をヴァーチャルに追体験できるようになっていくほど、そうなる。
あるいは、縮小し閉塞感に満ちていく社会において「○○のような人材」が求められれば求められるほど、他人の望む人間になることを是とする人は減り、真逆にあたるこの症候群が増える。
現代は多くの人が情報の海に晒されているが、基本的にはみな、好きで晒されている。
情報から距離を置けない理由には社会的欲求(横並び意識)も関係しているだろうが、根源的な部分で、人間の知識欲ははかりしれない。
ともかく数年もそういう情報収集に没頭するうちに、人はすべての情報を客観的に見るようになる。
言い方をかえると、すべてが他人事になっていく。自分の思想や行動様式と一致する主張ですら、他人事であり、移入することができなくなる。
感動しないわけではない。心酔しないわけでもない。でも、その素晴らしいものは(ゴミみたいなものもだが)、すべて、自分とは別の世界のことだ。無意識に距離を置くようになる。
自分の世界には、何もない。ゼロではないが、大したものはない。そのことに虚しさや悔しさなどを感じる時期も通り過ぎてしまった。きりがないのだ。自分は空っぽでいい。そうなっていく。
はてブなんていうメタツールを使っている人ならその感覚がよく分かるはずだ。
「自分の主観的意見」ですら客観視しだして、「これはくだらない、取るに足らないものだ」と思うようになり、いずれ黙るようになっていく。
自分が言わなくても、自分が思いつく程度のことは静観していれば誰かが必ず言う。それどころかもっと洗練された素養を感じる意見が次々と出る。
たまに黙るようにはならない人もいるが、そういう人は、自己の空虚さを完全に意識から消しているので、傲慢で上から目線な発言をするようになる。覚えがあるだろう。
自己を主体とすることを肯定することは、一人の人間としての人生に埋没してしまうことだ。
それは極めて当たり前のことだが、しかしそうではない、メタな視野の万能感を、我々はもう知ってしまっている。
他人、企業、社会、そういった観察対象の生き様、行く末を見るのは刺激的だけれど、自分がそれに加わろうとは思わない。
できることなら人間をやめて、電脳化して、この先数千年くらいの人類を観察していたい。
それはある意味で、死へのあこがれかもしれない。
そうでないのなら、これは静かなる反抗だ。
あまりにもできの悪い現実に対する?いや、違うだろう。情報を手にしてしまったことに対する、が妥当だろうか。
もう少し踏み込むなら、世の中にあふれる要素に対して、人生があまりにも短すぎることを知らされてしまったこと、
そして「実体験」の価値が相対的に見て瑣末なレベルにまで薄れてしまったこと、その2点に対するハンガーストライキだ。
だから何もせず、社会にも加わらず、ひたすら情報を摂取して、内なる膨張を続けながら生きる。
「労働者」になりたくない。
「親」になりたくない。
「男(女)」になりたくない。
「○○ファン/シンパ(=何かに従属するもの)」になりたくない。
ひとつひとつを見れば、中二病か高二病かといったものをこじらせたんだな、と一笑に付されて終わるかもしれない。
けれどもこうした「○○になりたくない」という思いはインターネットの海で練り上げられて竜となり、
それらが寄り集まった集合体として、漠然とした怪物の姿となる。
その影はどこにでもあり、その姿は気づけば心のどこかに転写されている。
その怪物こそが、何者にもなりたくない症候群の主たる発生源だと思う。
中年になっても、老年になっても、一言で表せるような身分を勝ち取る行動を頑なに起こさず、さまよい続ける境界者であり続ける。
そんな境界者とて、なにか巡り合わせた特定の状況に依存して生きているわけだが、決してその状況を肯定したり、堅持しようとするわけではない。
吹けば飛ぶような場所にいて、弱者であることにこだわり、風が吹くならば死んでも仕方ないと覚悟しつつも、防御行動を取らない人達だ。
そういう人の割合がふえてくると、これまで人類の築いてきたコミュニティの在り方は根底から崩れる。
それが悪いと言うわけではない。いち罹患者として言わせてもらうと、自然の成り行きなのかもしれないし、興味深いと思っている。
トラックバック? これでいいのかな?
初めてホッテントリ入りした。お前らこんなときだけ食いつきやがって。彼女に見られたらどうすんだ。
っつーか母親と会うのもデートって書いてるだろ。それくらいの温度感だよ。まあ正直タイトルは釣りぎみだった、ちょっと狙ってやったんだ。すまない。でもお前らちょっと色恋におわせるとすげえアドバイス飛ばしてくるのな。恋愛の大先輩か。n=いくつだよw 別に会って飲むだけだよ。(事前)
(事後)会ってきた。楽しく飲んできたよ。すげえ楽しかった。
さすがにネット越しだとアレなんで、リアルで名刺渡したりした。
聞けば小学生のころからネットをやっていたとのこと、デジタルネイティブ! 中学でiPhoneを使いはじめ、高校で周りもスマホ持つようになって、大学だとみんな使ってる感じだと。なるほど。
ちょっと詰めるとくしゃくしゃになってかわいかった。そのことを指摘すると「ぜんぶ演技です」とかさ、なにこのひとそういうの上手い感じ?
ともだちいない合戦とか、性格悪い合戦とかした。勝負つかなかったけど。
悩み多き若者、社会に出るプレッシャーがあるようで、でもなんとなく生きてきた俺には的確なアドバイスができなかった。ごめんね。
俺が困惑してたのは、若い娘さんがネットで知り合ったおっさんとリアルで会うことのメリットってないよな、というあたりだったのだけど、「インターネットっていいですよね」という話だった。これ以上説明はしない。
「おっさんってこと強調しますね」というので「おっさんだと色々あきらめやすいんだよ」と。
ちなみにこの増田については彼女に伝えてある。俺は思ってたよりゲスなブコメが多くてちょっと引いてたんだけど、彼女はお前らのコメント読んでニヤけてるとのこと。嘘とリアルの隙間を歩くのは本当に楽しい。
インターネットいいよね!