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はてなキーワード: 考察とは

2022-06-08

anond:20220608172134

あんまり叩かれてるの見たけどないけど、重要なのは「どこがどう叩かれてたか」じゃね?

ただ叩かれてたって印象の主張だけじゃ何の参考にもならん眉唾もん

どういう視点酷評されてたのか、それによってはそのオタクコミュニティ審美眼すげえってなることもあるだろう、例えばXX考証の面では杜撰すぎて作品全体をスポイルしてるとかそういう系の考察の類よ

オタクオサレアニメ嫌いってことはないし、まあその作品ハードボイルド系のだから萌えオタク的にはnot for me感出やすいかもしれんが

例えばR.O.Dみたいな作品なら女性主人公かつある意味似たようなオサレ感でオタク評価高かったと思うし

2022-06-07

anond:20220606174313

学術論文を書くときならそういうお作法もわかるけど、元の記事学術論文じゃないよね。書いた人も学者じゃないだろうし。俺も自分論文なり総説なり書くときには査読された論文引用しているけど、査読なし論文が参考にならないわけじゃないしね。未査読論文を子細に説明していることについて不誠実かというと、むしろ「子細に」説明できるなら未査読でも良いんじゃねって気はする。「本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべき」ってところは俺もその通りだと思うけど、そこまでやるなら、少なくともnote記事に書くくらいの文章では査読ありでも査読なしでもどっちでも良くない? なので、査読なしにここまで突っかかるのもなんかちょっとずれているように感じる。

ちなみに、Google Scholarで調べると、Kendall (2007)の引用は71、Bhuller et. al. (2013)の引用は194で、査読あり論文でも一桁から何万までバラツキがあることを考えると、被引用数ではどっちも大して差がないね信頼性に雲泥の差があるまで言ってしまって大丈夫なのかどうかね。どんな形で引用されているかまでは調べてないよ。それは興味ある人がやってくれ。

なぜこんなにもオナニーセックスがしたくなるのかについての考察

成功体験

オナニーセックス気持ち良いのは間違いない。

それが脳に成功体験として紐づいてしまっている。

ギャンブラーギャンブル勝利した際にその後の差し引きにおいてはマイナスになっていても脳には成功体験として焼き付くことで誕生すると聞いたことがある。

それを応用するなら、セックスのために無駄金を使ったりオナニー後に虚しくなったことより、射精前後快感だけを脳が強烈に覚えているということなのだろう。

失敗しないことへの自信

アルコールを始めとした薬物中毒者の脳では「薬物使用をしても大丈夫だ」という思い込みが発生するようになるらしい。

これは強烈な快感成功体験を忘れられない脳が自分自分を騙す、というよりも脳の中に産まれた我々が自我と呼んでいる決意思決定システムが、それ以外の意思決定システム本能と呼ばれているより即物的意思決定機構)によって説得を受けている状態なのだろう。

自分意志自分の脳の中において絶対存在であると思い込まなければ、薬物中毒に抗おうとする自分と従おうとする自分がぶつかりあってしま自己矛盾を単なるバグ以外のものとして客観的に見ることが出来る。

それ以外の有力な選択肢の不在

なにか別のことに熱中していたり危機的状況に陥っているとき、暇な時と比べてセックスオナニーに心惹かれる程度がハッキリと下がるのがわかる。

これは暇つぶしとしてセックスなどを選択しているというよりも、他の選択肢のほうが明らかに優先度が高いときには除外される程度の選択肢として感じているということだろう。

逆に性欲が危機的に高まるとあらゆる事よりも性欲解消が優先されるのは、選択肢としての価値高まることに起因すると判断できる。

まり人生オナニーセックスに振り回されたくないなら、それよりも魅力的に感じられる選択肢人生に増やすべきなのである

これは同時に、まともな選択肢を用意できない人生では性欲に振り回されていたほうが幸せであるということだ。

anond:20220607130235

考察は何を書いて欲しいかを考えるといいで

anond:20220607124717

暗記しかしてないか考察できないんだと思う

もっと頑張ろうな

生物大学生なんだけど、実験レポート書くの辛すぎ。文章読むことや書くことに慣れてなくて考察書くのしんどい。二年になってからかなり楽になってきたけどクソみたいな考察しか書けない。時間自体はあるけど、疲れやすくて有効活用できてない。どこでも眠れるようにした方がいいかな。

anond:20220606174313

インターネットが普及すると、なぜ性犯罪者が増えるのかって?

そりゃ、被害者私生活を探るのが容易になったり、犯罪者同士の情報交換が盛んになったり、

グーグルマップ犯行現場や逃走経路の下見をしたりと、諸々の理由で、性犯罪がやりやすくなるからでしょ。

インターネットポルノが観放題になって、年がら年中発情状態になるから性犯罪が増える・・

なんて考察としては頓珍漢すぎるだろ。

2022-06-06

[] 賢者モードアナル

現在オナニーして賢者モードになっているアナル増田です。

最近ブログを通してアナル活動をしているので増田があまりできませんが、今後もっとアナルを普及させようと考えています

さて、そのブログ今日記事は、

賢者が語る女人のアナル

賢者として、アナルがどのように映るのか、考察しています

時間があれば、ご一読いただければ幸いです。

アナル増田

【再追記あり】手嶋海嶺氏の知的不誠実さ

hesopennです。私はある誤解をしていたので、それを説明しておきます。私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間批判修正が入っているとはちょっと想像していませんでした。申し訳ありません。この誤解をしていた旨を堂々とここに追記しておくべきでした。またそのような誤解を読者に与えていたのであれば(与えていたと思います申し訳ないです。

とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりません。無査読論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナル掲載された論文提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究自分目的のために恣意的に歪めて紹介する行為からです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計からポルノ性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学研究の蓄積において明らかに重要である判断されているにも関わらず)無視する行為です。経済学という学問の正しい理解を妨げ、学問政治化する人間論文を扱う資格はないという意見に変わりはありません。

手嶋海嶺氏の 「性的表現性犯罪性的攻撃性」の関係最先端科学的知見に迫る~ (https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298) を読みました。この文章では私は手嶋氏は完全に知的誠実を欠いていることを説明します。手嶋氏は自分結論に合う論文のみを子細に説明し、それに反する論文を軽視しています

手嶋氏の論考では二つの論文を軸に性的表現性犯罪性的攻撃性の関係について考察をしており、前半はKendall (2007)の解説に紙幅を割く構成になっています。Kendall (2007)は学術的にそこまで重要論文なのでしょうか?手嶋氏も述べていますが、この論文はUnpublished Manuscriptです。いわゆる査読されていない論文で、2007年に発表されたものが最新のものです。経済学においてはまだ査読されていない論文をWorking Paperという体裁で発表することはよくありますが、2007年論文2022年まで査読されず残っているということは、一般的には著者の個人的事情アカデミアを辞めるなど)か、その論文問題があるということを表しています

このKendall (2007)を詳細に紹介した後、手嶋氏は手短に、その手法問題点が指摘されていることをBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を引用して述べています。この四人の著者からなる論文Review of Economics Studiesという、経済学のいわゆるTop 5の雑誌掲載された論文です。Unpublishedのまま2007年から更新されていないKendallの論文と、RESに掲載された2011年の彼らの論文、どちらがより信用に足るかと言われれば、事前情報なしでは経済学者の100人100人後者と述べるでしょう。では、なぜ手嶋氏はKendall (2007)の中身だけを扱って、Bhullerらの論文の内容を紹介しなかったのでしょうか?

それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したこと示唆する論文からです。この論文ではノルウェーにおいて、インターネットが普及した地域においてレイプ、およびその他の性犯罪が増加したことが述べられています。そしてAbstract最後では、”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.”、つまりインターネットによって性犯罪は増加したこと示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう、とまで述べられているわけです。

追記:ここではPossiblyという表現をおそらく、と訳すのは不正確でした。もしかすると、という表現の方が適切だったと思います。ただこのこと自体は私の主張を崩すものだとは思っていません。詳しくは(https://anond.hatelabo.jp/20220607234113)を見て頂ければ幸いです。

このように、手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学トップジャーナル掲載された論文無視しています百歩譲ってKendall (2007)が重要論文で、説明する価値があるにしても、それと相反する結果が出たBhullerらの論文結論を述べず、手法問題点が…と曖昧引用するのは全く理解できないことです。これこそ手嶋氏が誘導したい結論合致する論文のみをとりあげる、知的誠実さを欠いた行いです。

追記:一番上の追記で述べたように、私は手嶋氏が初稿で両者の論文を把握していると誤解していました。実際には指摘を受けて追加した、ということのようです。しかし本稿の趣旨意見に変わりはありません。その点については一番上の追記を見て頂ければ幸いです。

本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべきです。手嶋氏はあたか科学的、中立的であるような風を装いながら、自分の意に沿う、決して評価が高いとは言えない論文のみを詳細に取り上げ、学術的に評価が高い論文を軽視(無視)しています。またそれにより、あたかもこのテーマについて学問的なコンセンサスがあるような、間違った印象を読者に与えていますこのような行為学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです。

手嶋氏には論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません。

論文リンクを張っておきます

Kendall (2007) : http://pirate.shu.edu/~rotthoku/Liberty/internet%20crime.pdf

Bhuller et. al. (2013) : https://doi.org/10.1093/restud/rdt013

追記

「手嶋氏は指摘を受けて修正した。だから誠実ではないか」という意見があります。これは大きな間違いです。Kendall (2007)は未査読のまま15年経った論文であり、Bhuller et. al. (2013)は査読を受け、一流の雑誌に載った論文です。この二つの論文信頼性には雲泥の差があります。この二つの論文を対等に扱うことすらおかしいのです。ましてや手嶋氏のようにKendall (2007)のみを子細に取り上げることなど、常識的研究倫理を持つ人間ならまずありえないことです。

そして修正された文章を見ても、そもそもBhuller et. al. (2013)がKendall (2007)と異なる結論を導き出していることは読み取れません。私は最初、おそらく多くの読者と同じように、Bhuller et. al. (2013)はより洗練された手法でKendall (2007)と同じ結論を導いたものだと理解していました。手嶋氏は明らかにBhuller et. al. (2013)の結果を隠し、間違った印象を読者に与えることに固執しています。この追記あくまお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれています

繰り返しますが、手嶋氏が真に知的に誠実な行いをしたいのであれば、Bhullerらの論文吟味したうえで、それでも自分の主張が正しい、もしくはKendal (2007)のほうが説得的な論文であることを議論すべきです。そうでないなら、経済学という学問価値規範に沿って、未査読のKendall (2007)ではなく、Bhuller et. al. (2013)のほうを重点的に解説すべきでしょう。失礼ながら、手嶋氏は経済学の専門的な教育を受けていないようなので、これらの論文理解し、その信ぴょう性を比較する能力があるとは思えませんが…。

ちょっとかい論点(および追加的な説明)について追記しました。ごちゃごちゃしてすいません。

https://anond.hatelabo.jp/20220607234113

追伸:

はてなブックマークを見たところ、この問題点を指摘しているのは私だけのようです。研究者としての訓練を(修士しろ博士しろ)受けたものであれば、Unpublished Manuscriptを子細に取り上げ、トップジャーナル掲載された論文を軽視するやり方に一目で違和感を抱くはずだと思います。このような初歩的な問題点を無視することもまた、知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう。

2022-06-05

VCT 6/5 CR vs IGZ 2map 6R rion選手スパイク爆破シーンの考察について (舐めプ判断しません)

前提としていわゆる舐めプか否かは判断できません。(インタビュー説明は建前かもしれないし、本音かもしれないので)

また大会試合中の一瞬での判断から~という背景は考慮せず、プレー自体がアリかナシかを考えたいです。

アタッカー目線での該当シーンの状況として、

スパイク起爆間近(最速解除ムーブなら間に合う)

アタッカー:Bホールヴァンダルスキルなし・35カット 味方はカバー不可の配置

ディフェンダーウインドウジャッジレイズ・グレなし・ルンバなし?(シャワー確認できていたか不明)

ここでrion選手ホール側でナイフを振りながら体を晒すオーバーピークを選択するもクラシック2発HS被弾しデス、ラウンドは取得したもの武器回収されてしまいました。

【rion選手意図

・味方のカバーが不可の配置で最速解除が間に合うシチュエーション

・敵レイズのウルトがあと1ポイントで貯まる状況のため、できればキルせずにラウンド取得したい(被キルについては言及ナシも、ウルポ観点からから相手のキルにもさせない)

ナイフピークだと1ちゃん半分いかれてジャッジからの解除あった

→(いわゆるジャンプピークの隙に窓から降りて解除され接近戦する事を拒否するため、できるだけ身体晒し続けて窓をロックたかった?)

結果、移動が最速となるナイフを構え、2度ホール通路CTオーバーピークするもデスし武器を献上

個人的には良いプレー選択ではなかったと思いました。

今回の優先順位として

①ラウンド取得(スパイクの起爆)

②できるだけ相手にウルポを与えない

という点になるかと思います

①に関しては負け筋をなくすため、スパイク解除に向かわせない牽制時間稼ぎのためジャンプピークはせず、オーバーピークでの対応選択

ただこのプレーに関してはホール側での切り返しではなく、(CR ade氏の言及もあるように)CT側に寄るほうがベストではあったと思います

ただ、②のウルトポイントを貯めさせない、という目標を考えると最善手ではなかったのではないでしょうか。

②の観点で考えると下記のような順で好ましいはずです。

相手だけを巻き込ませて自分生還>両者巻き込まれてデス>自分がキルしてお互いに+1P>キルされてしまいお互いに+1P&相手にキルボーナスマネー&相手武器を渡す可能

しかナイフでのオーバーピークを選択した結果、「キルされてしまいお互いに+1P&相手にキルボーナスマネー&相手武器を渡す(可能性)」という

ラウンド取得した場合では最悪の結果となってしまいました。

もちろん戦略成功する可能性も十分にありますが、ウルポを与えたくないながらもデスしても仕方ないピークをするという部分の若干の矛盾が生じてしまったと思います

この部分が今回の「舐めプ騒動の原因になってしまったのではないでしょうか。

(これは私の個人的意見ですが、あのピークではプロ選手であれば十分にキルを狙える状況ではないでしょうか。)

ノータイムに近い状況でもあったため、3秒程度時間を稼ぐだけでラウンド取得できた事を考えると、リスクを負ってまでナイフオーバーピークを続けたrion選手選択よりも、

身体晒しながらAR牽制/キルで良かったのではないか、と思いました。

個人的結論としてはrion選手選択は甘えたプレーだった、という結果だったと思います

Twitter上で今回の""プレー""に対して、「良い」プレーであったというツイートが多く見受けられたため、

結果論と言われるかと思いますが、最善の選択ではなかったのではないか、という疑念を感じたため書き留めておきます

建設的なご意見をお待ちしております

2022-06-04

考察

この書き込みは、タイトルも内容も、明らかに昨日400ブクマを記録した「個人的に『勇者ミーリは58歳』を全く評価出来ない理由」(20220603170344)」を意識した書き込みなんだけど、ちょっとメモしておこうかと思ったので書く。

昨日17:03に投稿された「評価できない理由」は、丁寧な分析、対案も含めた議論の説得性、作品や作者でなく選考への疑問として書くなど、セミプロ以上の犯行を匂わせる投稿でずいぶんブクマがついたが、そのツリーにやけにつっかかるレスが多いのが気になり、

いちいち真っ当な指摘だと思う。この増田の言うことにみんななんでそんなに攻撃的になってるのか?ふしぎ。(22:31)

レスしたら、2分で「本人必死だな」というレスがついて驚いた。めっちゃ早いやん?

いや、確かにブクマも多い記事だったから見てる人も多いんだろうけど、それにしてもなあ…と少し違和感があった。で、今日になってこの「傑作であると断言」投稿、この、元記事をとにかく徹底的に否定したい、でも引用はしない、そして、感情的にただ「違う、違う、すごい、すごい」しか実質言えてない浅い投稿を詠みながら、なんとなく「こいつ、昨日の即レス増田じゃね?」と思ったんだ。

まあ分かる。増田自作自演とか本人とか同一認定とか議論しても無意味だ。普段ならオレも「本人とか…w、アホやなあ」でスルーする程度の話だ。でも、それで改めて昨日のツリーを見直すと、明らかに他の投稿と毛色の違う、「単レスで内容への反論でなく投稿者への人格否定に走る」一連のレスがやけに目についた。それは、投稿の9分後からまり、元投稿を少しでも肯定的に捉えるレスに対しても、ことごとく同系統レスがついてることも気になった。ただただ声を封殺したいみたいな熱意を感じたわけよ。でもって、時間を調べてみるとこんな感じだった。

人格批判レス 17:13、17:17、17:46、18:23、18:36、18:37、19:40、20:06、22:29 の9回。全部同一人物かは分からないが、系統は似てる。それから、少し肯定(中には冷笑も?)ある投稿への、人格批判系レスは、

18:32 → 18:34(2分後)

18:42 → 18:53(冷笑系、11分後)

そしてオレの書き込み

22:31 → 22:33(2分後)

参考までに、それなりに主張を込めて「評価できない理由」に反論した書き込みへの賛同書き込みにも、同じく単レス人格批判系の同意レスがついていて、

18:56 → 19:00(4分後)

……とまあ、こんな感じだった。どうやら、このツリーには「論理的批判を返せず、感情的人格否定を繰り返す」人が張り付いていて、即レスを繰り返してたことは、どうやら確かなようだった。

これが「傑作であると断言」増田と同一人物かどうかは、完全にオレの邪推なんで、そんなことは全然いかもしれない。だが、申し訳ないけど批評の質として「断言」投稿は、前の「できない理由」に比べて数段劣ることは、見る人が見れば分かることなので、そのレベルであまり無理筋擁護を繰り返すほど、元作品評価も下がってしまうのではないかと思った。そして、自演いくら批判封殺しても、そんなことは無意味だよ、と。まあそんな感想を抱いたというメモを残しておく。

anond:20220604165433

漫画とかアニメとかゲームとかのシナリオ考察は気になるものの、

インターネットドヤ顔レビューオタクを目の当たりにすることによるストレスを加味してもなお有益であるとは言えないため、

パブリック・サーチを行うことができず「なんかよくわかんないけどおもろい!」する笑顔のアホになるしかなくなってしま

でもその方が楽しさ的にマシだからいいよね

間違っているのは己の方なんだ

悔しいだろうが仕方ないんだ

anond:20220604130549

短絡的かつ近視眼的かつ無考察で「これぞ女の意見」という味がよく出てていいですね

100点!

anond:20220604130549

たこ話題か… いいぞ、もっとやれ

と思ったけど、

考察がテキトーすぎるし、そもそもなにを訴えたいのかわからん

やり直し

anond:20220528014545

体の結びつきを凹凸のそれに限定する(*)としたら、女同士はできないってことになるから

心の結びつきは、もちろん(見る側の知らないところで本当のが)あるかもしれないけど、

全般の傾向として、体の結びつきには嫉妬するけど、心の結びつきには嫉妬しない…のかもね?

言われてみれば確かに…と思って遅ればせながら思いついたこと書いた

でもこれ普遍的なことだし百合BLもとっくに研究対象から研究とか考察いっぱいありそう

(*)これは男はそうなりがちな考え方だと思うし、Vのリスナーそんなにアップデートされてる感じしない…

2022-06-03

なんかnoteがつまらなくなってきて悲しい

序文

2019年にnoteをはじめて、最初めっちゃしかった。

2020年末の例の炎上騒動あたりから過疎がはじまって、最近とくに面白くなくなってきた。

2022年のnote創作大賞が終わったあたりからさらに過疎がひどい。

「ああつまらない、面白くない」と愚痴っても生産性がないので、私はここに考察したい。

そして可能なら希望見出したい。

【1】「書き手読み手が消えた」

note公式では「ユーザー数がうん百万人を突破!」みたいなことを宣伝してますが、ユーザー数がいくら増えたところで、

実際にログインする人、記事を書く人、ページを読んでくれてる人、が大事。(それぞれ専門単語があるんでしょうけど専門家に任せます

それを考えたら、1日1人あたりのページ巡回数が明らかに減ってる。(公式では発表してないと思いますが)

代表的な方の記事を見ても、以前(2020年とか)と比較して、「スキ」の数が減少している。

まり活動ユーザー数が減っている。つまり、過疎が進行している証左

【2】「過疎が進行しているのに企業アカウントは増えている」

むかし(とくに断りがない場合は2019年~2020年)はユーザー同士がキャッキャウフフしてて楽しかった。

ほんとうに「街」のようでした。

それが現在企業アカウントが目立つようになって、おそらくnote社も企業アカウントに注力していて、

結果として一般ユーザーを見ていない=一般ユーザーはなんだか面白くない=なんだかわからないけど記事を書かない=ログインしない=過疎になっている、も一因。

看板だらけの街。広告だらけの街。

以前より整備されてきれいなはずなのに、人がいない企業看板だらけのゴーストタウン。(になりかけている)

【3】「noteコンテストって結局はステマじゃない?」

コンテストを定期的にやっている。

企業が協賛して「仕事で感動したこと」とかの記事一般ユーザーが書いて投稿して、優秀者にはプレゼントとか当たるやつ。

ふと思ったんだけど。

これって結局はステマじゃない?

noteユーザーのうん百万人がその企業名を目にして、読んで、何千人かは記事を書く。

どこにも広告なんて書いてないけど、広告だよね??

そして、この広告コンテストnote社の収入源になってるはず。いくらコンテストを開催できるのかは知りませんが。

ユーザーもうすうす感づいてるのか知りませんが、古株の常連さんはもうコンテスト投稿すらしてない。

コンテストステマを思いついたのはnoteの大きな発明だったと思います

【4】「note創作大賞で現実知って意気消沈

そして過去最大のコンテストが2022年2月に開催されました。

結果は4月に発表。詳細はnoteを見てください。

結果的に予想通りかもしれませんが、プロセミプロ当選

noteユーザーの大半を占める素人勢はかすりも(かすった方もいらっしゃいますが)しなかった。

当然私もかすりもしなかった。

そこで現実を知りますコンテストキャッキャウフフやってたけど、いざ、プロも交えて真剣勝負したら、素人なんてかすりもしない。

「このままでいいの?」

・いい人→最初からそんなたいそれた気持ちで書いてない→そんな人は残って書き続ける→でもそんな人の書く記事面白くない→面白くない記事だらけ

・よくない人→プロとの力量の差で呆然とする→noteキャッキャウフフやってる場合じゃない→真剣プロを目指す(公募チャレンジ!)→noteから消える

これですよ、現状は。面白くない理由は。note創作大賞はパンドラの箱を開けた。

第一次世界大戦が2020年の炎上騒動なら、第二次世界大戦note創作大賞。

【5】「企業広告モブキャラだけの街」

ねえ、そんな街、面白い?

スキなプロがいて、その人の記事を読みたい人は残るかもしれない。でも、私はとくに課金していないし、読みたい記事が減っている。ほぼない。

【6】「では問おう。面白記事とはなんぞや?」

インターネット面白さって「カオス」だと考える。

種種雑多な記事がどんどん更新されて「なんだかわからないけどこの人達キチ○イだな笑」が量産されたら楽しい面白い。大好き。

まり今のツイッターが一例。

noteもむかしはツイッターみたいな感じだった気がする。

時代とともに(横軸:時間カオスが減って(縦軸:カオス)あとに残るは企業アカウントの硬いステマ記事と、プロ課金目隠し記事と、モブキャラのどーでもいい日記

【7】「じゃあどうしたらいいのか?」

そろそろ書くのも疲れてきたので、改善点を列挙します。

(1)以前のように記事の1行目だけ表示させる(タイムライン題名しか載っていない=題名で読ませる変な記事が多い=1行だけでもお試しで読ませれば内容・力量がすぐにわかるのに)

(2)スキをなくす(または非表示にできる)(スキを気にしてカオス記事が書けないでしょ?)

(3)くだらないコンテストをやる(企業協賛してなくていいから、note社員が自腹でもいいんじゃない高校文化祭みたいで楽しいでしょ)

(4)ダークサイドnoteをつくる(note1がいまのnoteなら、note2をつくって、もっとカオスやばい人を集める)

個人的に1>2>3>4かな。

【8】「note社員への宿題

今週末にやること。

(1)mixiがなぜ過疎ったのか考察する(二の舞いになるよー)

(2)noteアクティブ数(滞在時間)がどの時期から減ったのか考察する(データはあるので真剣考察して打ち手を考えよう。今のようにユーザー数だけ追ってたら焼き畑です。日本人口は限られてます

(3)社員ユーザーに向けてもっと発信する(そろそろなんか言ってもいいんじゃない?「知らないあいだに大きくなって」みたいな他人事だと、心あるユーザー離れますよ)

【跋文】

ここまで読んでお分かりのとおり、私はnoteがスキだ。毎日ログインしている。でもつまらない。

このままだとある日突然、ぷつっと、ログインしなくなるでしょう。

そろそろ臨界点だと思ったので、警鐘を鳴らしたくて、この場を選んだ。

こんな記事noteに書いても読まれないし。運営黙殺されるし。

cakesが閉鎖する。炎上騒動からカオス記事がなくなったせいだと私は考える。

noteも、このままだと閉鎖する可能性がある。近い将来。

そうならないように、願いと祈りをこめて、この記事を残します。(所要時間76分)

2022-06-01

法律テクニックだけではない。

以前どこかで耳にしたことがある。

かに一度規定された法律を事案に適用する作業だが、

法律学でも数学でもその楽しみは、1+1=2のような単なる技術的な操作だけに終わるのでなく、

「それを用いることは鉄板」「多数の問題に頻繁に出てくる」といったある種の、テクニックを超越した仕掛け、大技が隠されておりこれを一般トリックという。

例えば数論の証明過程をみていて始終見るのが、フェルマーの小定理という有名な定理がいたるところに出てくることであり、それを使うのは鉄板といったものが多いことである

法律でも、テクニカルにその理論考察するだけでなく、その中には、裁判所による判例生成技術三審制、などなど

法律適用技術を超えて多大な効果のあるトリックが多数埋め込めているのであり、法律理論の中にこのトリック発見して確立実定法学の中で使うことも一つの大技である

2022-05-31

野生の思考とシンウルトラマン

【シン・ウルトラマンネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】

 

 

 

 

 現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。

 ところで、その感想叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの

 別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロース名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミ言葉ネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味考察をちょっぴり披露させてほしい。

 

 

 

 

●要約と見出し
①『野生の思考』を超要約すると「いわゆる”文明人”の思考と”未開人”の思考根本構造的な違いはないよ。つまり両者の思考のものに優劣はないよ」だよ

 

 

②ザラブ、メフィラスは地球人類をいわゆる『未開人』と見ていたよ。ゾーフィもたぶんそう。

 

 

③『野生の思考』がリピアくんあるいはこの映画に与えた影響は不明だよ

 

 

 

 

①『野生の思考』(クロード・レヴィ=ストロース/1962)

 1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学思想が「西欧文明における思考と、アジアアフリカ中南米の未開文明思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術文化の面での進歩史観優越感、啓蒙思想資本主義と結びついて植民地主義覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身人類学レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想もつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。

 

 

 内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義特に西欧文化を中心とする思考科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。

 「文化構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているか研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。

 

 

 「野生動物思考方法」みたいな生物学の本ではない。

 

 

 

 

②ザラブ、メフィラス、或いはゾーフィの考え方とは

 ザラブにしろメフィラスにしろコミュニケーションの初手は「自分科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感無力感……謂わば絶望によって人類心理的支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。

 

 物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷植民地後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。

 宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。

 使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマン意思感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステム自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。

 そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。

 

 

 逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。

 しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類歴史悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン

 

  

 自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったかなのだ

 

 

 

 

レヴィ=ストロースウルトラマンにどれだけ影響を与えたか

 結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。

 というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがピアくんの人格形成思想信念の確立寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロース思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。

 そもそもピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。

 

 

 文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。

 

 

 

 

結論

・『野生の思考』という本は生物学ではなく文化人類学の本だよ

・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ

・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ

以上

2022-05-30

「『映画秘宝』の記憶執筆者から皆様へ

 一連の「雑誌映画秘宝』の記憶」という記事執筆した増田から、以下のとおりお伝え申し上げます

1 謝罪

 初めに、町山智浩の後輩男性(以下"X氏"と表記します)の元・妻である女性たちに対して、私の記事によって名誉を傷つけたこと、精神的な苦痛を与えたことを、心より謝罪します。誠に申し訳ありませんでした。

 次に、X氏に対して、事実とは異なる情報事実であるかのように流布し、また、誤った人物評価を行い、名誉を傷つけたこと、精神苦痛を与えたことを心より謝罪します。誠に申し訳ありませんでした。

 私は、町山智浩批判しているつもりでいながら、実際には町山の共犯者となっていました。これは、私の大きな過ちでした。X氏の元・妻の女性たち、X氏御本人に対して、お詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。

2 私は、どのようなことをしたのか

 大きく分けて、次の二点になります

(1) 町山智浩雑誌インタビュー記事で語った「X氏が町山に対してX氏の妻(※当時、現在離婚成立済み)の身体を触ってよいと持ちかけてきた。自分(町山)はそれに乗って彼女身体を触った」という主旨の話を、事実であると誤認した上に、その誤認情報他者へ伝播した。

(2) その誤認情報に基づいて「X氏は配偶者を町山に献上するような人物である」という人物評価を行い、それをはてな匿名ダイアリー記事として発信した。

(3) しかし先日、町山智浩が「インタビューの内容は盛って話していたことであり、事実ではない」とTwitter上で告白したこと、また、町山の告白を受けたX氏も「事実ではない」と証言したことから、私の事実誤認及びその誤認に基づいた誤った人物評価が明らかになったため、この度、上記1のとおり謝罪するに至ったものです。

3  過去投稿した「雑誌映画秘宝』の記憶」と題する記事について

 一連の記事のうち問題の有る箇所(*)、すなわち「町山智浩が実際には行っていなかったセクシャルハラスメントについて言及した箇所」や「X氏に関する誤った人物評価を私が行った箇所」を含む記事について、この記事投稿した後、はてな運営担当者宛に削除依頼申請する予定です。

 私自身の手で削除しない(できない)理由ですが、一連の「雑誌映画秘宝』の記憶」と題する記事に付記した番号で示しますと、これらのうちNo.60までについては、記事執筆した当時のはてなアカウントの退会手続きを既に済ませていることから私自身の手で削除作業を行うことができない状況にあります

 また、町山智浩告白から削除に着手するまでにタイムラグが生じたのは、全記事を読み返して問題箇所(上記*印を参照)の有無を確認する作業に手間取ったことが原因です。本来は、町山智浩告白及びX氏の証言を受けて、速やかに記事を削除するべきところを、それをしなかったことについても心よりお詫びいたします。

 また、削除申請対処していただく、はてな社の方々に対しても、御手数と御迷惑を心よりお詫びいたします。(2022/05/3112:26、はてなサポート窓口 法務連対応チームから問題記事の削除処理を済ませたとのご連絡をいただきました。担当者をはじめ、はてな社の方々には御手数を取らせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。)

 なお、問題箇所(上記*印を参照)を含まない記事については、削除申請をしない方針ですが、問題箇所を含む記事を私が見落としている可能性もあります。もしも、それらについてお気づきの方があれば、コメントなどで通知していただければと思います。なにとぞ御協力をお願いいたします。

 取り急ぎ私から皆様にお伝えすることは、以上になります

 現在問題箇所を執筆した動機や当時の心理についても、私の反省するべきところを考察して、別記事に分けて説明することを考えています

anond:20220530213745に少しだけ、考えたことを書きました。

2022-05-29

物語過去編って必要か?

とにかく過去編が嫌い

だいぶ物語が進んだ後にメインキャラの凄惨過去回想をシリーズ連載してしまうのが最悪

過去って基本的に変わらないわけじゃん。悲惨過去があったらしいって情報で十分なんだよな。結果が分かりきってるのに何ヶ月もその話読まされるのが苦痛

ワンピースでいうおでん過去ワンピースという物語における重要伏線描写も兼ねてるから読者視点でも考察余地があって面白いんだけどね。

とにかく如何に悲惨だったか描写することが目的過去編は最悪。マジでどうでもいいし、大体過去に何が起きたかなんてライブ感で書いてるから元々捉えてた初期のキャラ描写乖離して違和感がでかくなりすぎる。

女友達パパ活やってました的な偏見を持ってしまうのでやめてほしい

2022-05-28

anond:20220528172351

お、俺のせいかも知んない…

男女タグ関連の考察系は結構出してる…

なんか最近、人少ないなと思っていたが…

2022-05-27

anond:20220524181842

まだ悩んでるんだけど、ここで言及した可能性について考察したい。

可能性としては「性欲は結構あるしムラムラするけど、逆に理性を高めて邪心を抑える」って方法も、ないとは言い切れないはず。

anond:20220525213803

男性の性衝動には多寡がある。居ても立っても居られない男がいれば、常に平静さを保てる人もいる。加害を未然に防ぐのを考えているのだから欲望の強い個体をどうするかに焦点をしぼる必要がある。

彼の性欲を抑える方法として、AV などのセックスファンタジー摂取役割果たしているのは否めないと思う。夢精で済ますのが理想的と見る立場からは、ファンタジーは性欲を煽って高めているように見える。でも一方で、吐精を促して賢者化するハンディ手段という側面は確かにある。

私が提示した ❶ 夢精で済ます ❷ 理性を高める、このふたつは効率の側面で女性威迫型の虚構を超えるだろうか。厄介さは夢精体験がいつ起こるのか予測不能な点にある。あまり知られていないが、成熟した男性器は夢精しないらしい。生産された精子を体内に吸収してリサイクルする能力が完成しているからだ。不幸にして未成年の多感な時期に、夢精トラブルは起こりやすい。

目覚めたとき夢精しているのに気づいて対処に追われた男子も多いと聞く。なんとか親にバレないように隠蔽しなければいけない。登校前に。

ここにも男性文化の弱さがある。夢精が恥として扱われているのだ。しかし、隠していたエロ雑誌玄関にこれ見よがしに放り出されるという、ダブルバインド

女子初潮は、赤飯を炊いて祝う文化があったのを思い出して欲しい。夢精の処理をクリーンに行うために未然にする準備は、女子ナプキンタンポンほどには整備されていない。いやさ全く開発されてないと言っても過言ではないと思う。男性器は収縮があるのでラップを巻いても就寝中に外れてしまう。粘度の少ない状態の液は、隙間から流出やすい。進歩した技術現実的安価解決策を作れるだろうか? 検討される間も無く、積極的な吐精か消極的夢精かの選択は、まるで自明のように積極性へと舵を切っていた。事実上少年たちは選択権を持ってないと言える。

理性を高める方法は、輪ゴムを使った方法が知られている。アルコール依存症の方々などが使うやり方で、お酒を飲みたい欲望が高まってきたときに、腕に巻いた輪ゴムを弾いて、我に帰るのである。極めて即時性が高いので、おそらく性加害を防ぐためにも有効だと思う。だが困難もある。アルコール依存対処としてトリガーとなる刺激、お酒広告などを避ける。コンビニスーパー酒類のある場所に近づかないようにする。日々注意して生きるのは社会生活を送る上で間違いなく辛い習慣だが、性欲での回避行動は輪をかけて厳しいはずだ。あらゆる場所女性はいるのだから

スク水揚げ」を目撃しただろうか。要するにただの魚の水揚げの報告に集まったブックマークコメントは、しかし主旨とは全く異なるものだった。少女性的に消費する祭りが大々的に興る一方で、それを注意する活動はおろそかにされてる。増田だってベロベロ舐める女性への威迫が、そこかしこに付けられてるのに、ほぼほぼ咎められてないよね。回避行動の困難さの他方、

社会活動レベル男性性欲の発露を抑える活動は、補うどころか蔑ろにされているんだ。

理性を高める何かは、個人的努力範囲では手軽さはなく、むしろ厭世家修行のような格好になってしまうだろう。言語でのコミュニケーション媒介にして厚く行われる必要がある。いま私の中に浮かんでいるイメージは、往年の非モテ論壇のありようだ。非モテ男性同士がブログを通じてトラックバックを投げ合っている様子は、現在中島イデアとは似ているようで大きく異なる。

中島が友だちの弱者男性、磯野を誘って東京ドームキャッチボールするイメージは、弱者男性の共助のロールモデルとして深く増田たちの心に刻まれた。牧歌的光景は、まるでもともと孤独の救いの原風景であったかのようだ。しかし混じりなき善意にも関わらず、中島の救いは、磯野を言葉で説得することでは為されてないことに注意してほしい。

キャッチボール前後で磯野の価値観アップデートされてなどいない。

非モテ論壇の議論結論は無かったかもしれない。しかし、彼らの価値観作用したのは疑う余地がない。男性性の「善きあり方」を模索していく方向性は、未達のままに放棄された希望だと思う。その先に道を探すべきだ。内心の自由の内側にこもるのでなく。

2022-05-26

よろしかったでしょうか

気持ち悪い敬語としばし論争のネタになる。

俺は「他責言語」と名付けている、いま名付けた。

ググったが前例は無いようだ。流行らせようと思う。俺が名付け親な。

商標登録はしないので自由に使ってくれ。

以下考察説明をさせていただきますよろしかったでしょうか

 

日本意思決定判断他人押し付けあう文化

権利を保持しながら責任義務他人押し付けるのが利口な処世術とされ

それを咎め社会動態は無い、儒教が悪い

上位の人間はいつでもちゃぶ台をひっくりかえしてクレームできる余地を残したい。

だけど下々も防衛はしたいわけで

これが言語に現れた

「よろしいですね」「よろしいですか」「こちらですね」

いずれにしても

あなた意思を私はこのように解釈理解しました」

判断責任パーセンテージが高い

そこで「よろしかったでしょうか

と軽く逃げておけば

あなた意思を私はこのように解釈理解しましたが、最終確認はそちらでしてください」

最終判断ボール相手に投げ返せる。

せっかく責任相手に投げつけたつもりなのに投げ返された図となる。

これがイライラモヤモヤの原因。

 

同じ確認応答に見えても言葉尻で最終意思決定所在、その配分が大きく変わる。

 

「でしょうか」以外のフレーズもほぼこの構図で見ると合点がいく

「させていただく」系も

「いたします」と責任をがっつり受け取らず

「私の判断ではなくあなたの指示と意思に従って行動します」

と投げ返す意図

 

【ケース1】

れいい感じね、頂こうかしら(曖昧意思表示)

こちらでよろしかったでしょうか曖昧確認

(チラッ、アッ)やっぱりこっちもいいわね

 

【ケース2】

れいいわね、頂くわ(比較的明瞭な意思表示)

こちらですね(明瞭な応答)

(チラッ、アッ)ごめんなさい、やっぱりこっちに

 

【ケース3】

れいい感じ、頂こうかしら(曖昧意思表示)

こちらですね(明瞭な応答)

(チラッ、アッ)違うわよ、勝手に決めないで

デザインは気に入ったけど色はこっちの方がいいわ

ちゃん確認してちょうだい

 

【ケース4】

これが気に入ったので(判断)、これください(明瞭な意思決定

ありがとうございます

 

 

日本意思決定した人間評価しない。

また意思決定しなかったことの責任も問わない。

 

芸能人政治家曖昧言語空間意思判断を示さないのが利口とされる。

示したところでベネフィットは無い。

 

ところが、そんな社会なので明瞭に意思意見判断を見せる人間一定の支持を受けることができる。

坂上池上はこのギリギリのところを狙う。

しかし実際は責任意思を示しておらず言葉尻、立ち居振る舞いが上手いだけ。

 

島田紳助はこれをズカズカと踏み込む

ビートたけしは緻密に避ける

 

結局ね、日本社会で賢く生き延びたけりゃ

よろしかったでしょうか」を貫くのが利口やねん

かに言語的には間違いだが、気にすんな

100点満点、八方美人は無理、不可能アキラメロン

若者弱者防衛

稀に揶揄されたり、叱責されても、心の中でベロ出して謝ってりゃいい。

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