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大人気アニメ進撃の巨人の三期。確かこの時はリヴァイ兵長のおじさんケニーと調査兵団達の戦いがメインの話だったような記憶がある。
やっぱり人気シリーズだけあって面白い毎回先が気になると思いながら見ていた。それにしてもジョジョもそうだけどグロくてエグい作品が人気って凄いなぁ…と思う。日本は定期的にエログロ作品大人気ブームが来るのだろうか。
おそ松くんがおそ松さんとして大ヒットしたので、今度は天才バカボンも!という感じで始まったであろう作品。おそ松さんから一部メイン声優を続投していたのにこちらはイマイチ話題にならず人気も出なかったのが残念。
古田新太氏のバカボンのパパが結構ハマっていて好きだった。実松さんに似た「リアル天才バカボン」という話もあったけどあまり受けなかったなぁ。ケツメイシのEDが良い曲でお気に入り。
鉄血のオルフェンズの設定考証を担当した鴨志田一原作のライトノベルのアニメ化作品。1クール放送後に劇場版アニメまで製作されたあたり中々人気があった事が窺い知れる。
内容としては主人公の男の子が何らかの特殊能力を持った女の子と知り合い事件に巻き込まれる…という涼宮ハルヒの憂鬱シリーズに少し似た雰囲気だった。ハルヒよりはSF作品臭薄めだけど。
いかにも「萌え」な男性向け作品かと思いきや、純粋に恋愛物として楽しんでいる女性ファンが意外と多くて驚いた作品。咲太くんみたいな彼氏が欲しいという気持ちは分からなくも無いなぁ…。
前作から12年振りに製作された久々の「ゾイドシリーズ」新作。ワイルドとタイトルにある通り、とにかくワイルドに行こうぜ行こうぜ騒いで行こうぜな作品。コロコロとタイアップしていた事もあり、基本的には低年齢児向けな作風だった。
OP、ED、挿入歌ととにかく音楽がよくそれだけで最後まで視聴決定した。4クール作品という事もあって戦闘シーンはガンダムシリーズやマクロス7並にバンクが多かったので気になる人も居るかもしれない。新技も中々出て来ないし。
国同士が思想信条を掲げて戦う訳ではなく、ゾイドも銃火器で武装せず自前の爪や牙で戦い、前述した通り作風も低年齢児向けという事もあって従来のゾイドファンからとにかく叩かれた。恐らくGガンダムやガンダムSEEDくらい。
1クールの終盤にあるメインキャラが退場してから少しずつシリアスな要素が増えていき、特にラスボスや敵幹部周りの描写は本当に低年齢児向けかこれ…?と言いたくなるほど凄惨な物もあった。これが朝放送してたのか…。
批判も多かったけど快く受け入れる従来のファンや初ゾイドとしてワイルドを楽しんでいる子供も相当数居たらしい。放送終了後にゾイドワイルドZEROという続編が作られた事もあり、ゾイド復活一作目として中々受けたみたい。
宇宙よりも遠い場所、南極を目指して女子高生達が色々と頑張る話。花田十輝氏がシリーズ構成を務めるという事で当時話題になっていた気がする。男性キャラが殆ど登場しないという事でGL好きに受けていた気がする。
メインの女の子達は友達が居なかったり、周囲から嫌がらせにあっていたり、浮いている子同士で友達になった感じだったと思う。1クールで良く纏まった良い作品だったと思う。
あのグレンラガンのキャラデザ、作画監督を務めた錦織敦史監督による完全新作ロボットアニメ。2018年一発目のロボットアニメは確かこれだった気がする。
OPが耽美、官能的な雰囲気だった。異性の子供達がパートナーになり、女子の臀部から生えた操縦桿を男子が握りロボットを動かす操縦法など比喩などでなく割と直球で性を意識した描写が多かった。
ロボットアニメではある物のロボットが擬人化された少女のような容姿である、恋愛要素も多いという事でロボットアニメに興味が無い人でもそれはそれで楽しめる作品ではないかと思う。
2クール目からは展開が駆け足になり、終盤は意味深に登場したキャラが次々死ぬなど何だか消化不良な印象を受けた。それでも主人公とメインヒロインの恋愛を描いたボーイミーツガール物とすれば、悪くないような気もする。
15分アニメになっただがしかし。一期は正直30分という尺を持て余しているような印象があったのでこれくらいで丁度良かったと思う。キャラデザが微妙に一期と異なるけど、どっちもいいと思う。
月刊少女野崎君のスタッフが送るオリジナルアニメ。少しの間だけ日本に留学してきた外国人の女の子と日本人の男の子の交流(?)が描かれる。タイトルでは恋をしないと言われてるけど、普通に多田君恋してるよね。
主演の声優さん二人は後にフルーツバスケットでもかなり親密な関係のキャラを演じていてちょっとニヤリとした。このアニメの収録中に梅原裕一郎が急病を患い、終盤代役になっていたのは残念だった。部長は良いキャラしてたから。
主人公の恋敵キャラが性格の良いイケメンで、ヒロインと結ばれなかった後にヒロインの侍女と結ばれるのは誰も不幸にならない感じで良かったと思う。そういうところ少女漫画っぽいなぁとも思ったけど。
TIGER & BUNNYのスタッフが送る新作アニメ。ベテラン刑事と新米刑事のバディを主人公にした人情SF刑事物アニメ。タイトルのダブルデッカーは「二人の刑事」と「2階建車両」のダブルミーニングらしい。
お洒落な雰囲気で良い感じのアニメだったけどタイバニほどのヒットには至らなかった。病気が末期の父親のために息子が自分の花婿姿を見せようと頑張る話が特に好きだった。
明らかに続編を作る事を前提とした意味あり気なラストだったけど、放送から3年経った今も特に続編が製作される気配が無いのが残念。バカボンもそうだけど、二匹目のドジョウを狙おうとした作品は受けない法則あるのかな…。
何故かいきなりゲームに似た異世界へ召喚されたプログラマーが、ふとした事で莫大な経験値を得て最強になり異世界をフラフラするという話。主人公のCV堀江瞬に惹かれて見始めた。
内容はあんまり覚えてないけどそんなに嫌いじゃなかった印象はある。作画もキャラデザも中々悪くない、人並に優しい主人公が女の子達を助けながらハーレムを形成していく感じの作品だった気がする。
現代が舞台の吸血鬼物の話だった気がする。吸血鬼物の話が好きなので視聴決定した。主人公は人間と吸血鬼のハーフで純粋な吸血鬼よりは吸血衝動が薄い…という割とお約束な設定だった気がする。
吸血は性行為の暗喩という事もあってか、中々エロティックな雰囲気だった気がする。ヒロインの声が進撃の巨人のミカサと同じ石川由依氏なんだけど、ミカサとは全然雰囲気が違うおっとりぽややん系で驚いたような気がする。
この作品も原作が連載中の漫画という事もあって中途半端な所で完結してしまったのは残念だった。月刊モーニングtwoで連載されている漫画だからか、全体的に女性向けな雰囲気だった。吸血鬼系はそういうのが多い。
大人気WEB小説のアニメ化作品。現在も三期が絶賛放送中で、人気の高さが窺い知れる。放送開始当初は丁寧にやりすぎてテンポが悪いとか色々文句言われてたけど、結果的に大成功だったのであれで良かったんだと思う。
現実世界で突如通り魔に殺害されたおじさんが異世界にスライムとして転生するという話で、「蜘蛛ですが何か?」など後発の人外転生系の作品にも影響を与えたらしい。転生した時声が可愛らしい女の子になったけど。
スライム形態の主人公が青いパワプロくんみたいという印象が強い。途中で人間形態に変身する能力を得るんだけど、元になった人間が美人だからか明らかにヒロイン達より可愛らしい美少女として描かれている気がする。
意外だったのが男性というよりはむしろ女性に大人気で、鬼滅以前は女子に一番人気がある漫画と言えばこの作品のコミカライズだった。イケメンが多い事もあってか二次創作は主人公愛され精神的BL物が非常に多かった。
二作目から8年振りの禁書アニメ三作目。原作小説14巻目以降の話が描かれる。原作未読だけど、それでも駆け足にアニメ化している事だけは伝わってきた。1作目から10年経っている事もあって、懐かしい声優さんが多かった。
大人気漫画七つの大罪アニメの二期。確か一期の戦いの後で潔白を証明された主人公達が復活した新たな敵と戦いを繰り広げる話だった気がする。七つの大罪最後の一人、エスカノールが初登場するのも確か二期だったような。
お世辞にもあまり作画が良いとはいえず、話も毎回あまり進んでいないような気がするのは往年のジャンプ作品という感じがする。マガジンの作品だけど、原作者の鈴木央さんは元ジャンプ作家だしまあ似たような物だと思う。
以前SNKと著作権云々でアニメ化が一度お流れになった漫画が改めてアニメ化された作品。作中でSNKの作品が出ず、主にカプコンの格闘ゲームが題材になっているのはそういう事なんだろうなぁ…。
1990年代前半のゲームセンターが主に舞台という事で、当時主人公達と同世代でゲームセンターに通っていた層に特に刺さる作品だと思う。ゲームに興味が無くても甘酸っぱいボーイミーツガール物として楽しめると思う。
正直視聴前に想定していた以上にメインヒロインの大野さんが可愛く、終盤で主人公にデレるあたりでもう堪らなくなった。ツンデレはツン期が長いほどデレた時の破壊力が高いのはマジだと思う。良い作品だった。
大人気格闘漫画「グラップラー刃牙」の続編のアニメ化作品。前作グラップラー刃牙は既にTVアニメ化されているという事で二作目がアニメ化されたのだと思う。
黒塗りで隠されていたとはいえ、地上波アニメにしてはかなり残酷でグロテスクなシーンが多かった。とにかくベテラン声優を揃えたキャストが豪華なアニメで、非常に力を入れて作られていた事が分かった。
作画は極端に良い回とそうでもない回があったけど、良い回は原作漫画の再現度が高く非常に良かった。OPでグラップラー刃牙最大トーナメント編の名シーンをアニメにしてくれたのもファンとして嬉しかった。
作画の負担を減らすためか時々CGが使われていたけど、手描きと比べるとあんまりだった。バキの次にアニメ化されたケンガンアシュラではCGの出来がとても良くなっていたので、バキの時は過渡期だったんだなと思った。
久々にTVアニメ化された封神演義。2クールで全23巻の漫画をアニメ化するなど無理な企画でしかなく、ダイジェストにもなっていない原作の場面をその場その場で再現する飛び飛びアニメになっていた。
それでも作画はそれほど悪くなかったので色々と惜しいなぁ…と思った。新キャストは割とハマっていた方だと思う。OPとEDは割と好きだった。素直にVS聞仲編かVS妲己かVSジョカ編をアニメにしておけば…と思わずにはいられない。
リアルタイムで初めて見たプリキュア。近年のプリキュアの中では特に恋愛色が強い方かな?5とか恋愛要素が強いプリキュアが好きだった自分には特に刺さった。歴代プリキュアの中でもかなり好きな方だと思う。
プリキュアの敵勢力が会社という所も5に近い気がする。5の名敵役のブンビーさんもゲスト出演していたし。敵の女性キャラが追加プリキュアになるのだけど、そのタイミングが歴代プリキュアの中でもかなり早い方だった。
倒した悪役が消滅せず改心して人間世界で生活を営んでいるというのもシリーズの中でも珍しい方だと思う。プリキュア恒例の敵が味方になる展開が好きな自分としてはそういうところも性に合ったかな。好き嫌いは別れると思う。
それでも敵キャラを増やしすぎたせいか、敵のハリネズミキャラが終盤改心する所はかなり駆け足で急だったと思う。そういうところは明確な欠点だと思うけど、まあそういうところも込みで全体的には好きな作品。
ラスボスの正体が主人公の未来の○○で、愛故に悪になり、最後には愛で救われる所も好きだなぁ…未来改変系のお話であるせいか改変前の未来から送られてきたあるキャラの存在が不可解になったけど。
山田風太郎の小説「甲賀忍法帖」のコミカライズ作品「バジリスク」の続編漫画のアニメ化作品。前作後に伊賀と甲賀が和解した時代に新たな敵が現れて…という作品。
主人公兄妹が前作主人公の子供という事で設定的に無理があるのではないか?とよく突っ込まれていた。前作主人公達に瓜二つで兄妹で恋愛感情が仄めかされている事もあってちょっとインモラルな感じだった。
基本的に外国スタジオへの外注で作られた作品という事もあって作画はあんまりな感じだった。それでも女性キャラだけで何とか可愛く描こうとしていた所に何らかの意地が感じられてそういう意味では嫌いになれなかった。
アニメの結末は漫画版とも異なるとの事だった。名作の続編としては割とガッカリ作品なのは否めない。まあ初めから原作小説との繋がりは無いし漫画版の作者も異なるという事で、よくある別物続編と解釈すれば良いかもしれない。
往年の名作少女漫画のアニメ化作品。現代が舞台という事で30年以上前に描かれた原作とは異なり作中にスマートフォンなどが登場し、原作ファンに突っ込まれていた気がする。そういう所も込みで、評価は中々高かった。
主人公がギャングのボスの愛人という設定で、同性すら魅了する美少年というあたり萩尾望都や竹宮恵子などの流れを汲む「少年愛」的な少女漫画だったんだろうな、とは見ていて感じた。
原作漫画は男性が読んでも面白い少女漫画とはよく言われていたけど、ストリートキッズ同士の抗争や派手な銃撃戦などはアクションが目当ての男性が見ても楽しめるのではないかと思う。
全19巻のアニメを2クールでアニメ化したという事で、原作ファンからはカットされた部分についていろいろと文句を言われていた気がするけど、アニメから入った自分はそういう所をあまり気にせず最後まで楽しめた。
石塚運昇さんの遺作もこの作品だったと思うけど、最後まで声も演技も衰えていると感じず本当に凄い声優さんだったんだなぁ…と思った。King GnuのEDがとにかく良い曲でお気に入り。でもこの世界の男はゲイ多すぎだと思う。
女子バドミントン漫画をアニメ化作品。美少女が緩く部活をやる所謂萌えアニメ…ではなく、スポ根物というかスポーツが全てという価値観の人間の負の面まで描いている思ったよりシリアスで重い雰囲気の作品だった。
アニメ化の際に原作から結構展開が変更されているらしく、原作ファンからは別物だと文句を言われていた。やっぱり原作漫画を読んでおらずアニメしか知らない自分は最後までそれなりに楽しめたけど。
スポーツ物のアニメだけど作画はそれなりに良かったと思う。OPがとにかく元気で前向きな気分になれる良い曲なので一度は聞いてもらいたい。
これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。
まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分が増田で書いた文章「子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的・社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。
rag_enさんは以下のように、「『社会的コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズムの肯定」や(判断力が未熟な当事者を保護する)「手段としてのパターナリズム」自体を強く批判されています。
未成年に対しては愚行権を含む自由権に一定の制約を課すべきだという社会的コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルのパターナリズム(保護者的統制主義、当事者の能力やリソースの不足を社会が保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない
いやもうこれ、『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。
そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。
ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?
現行の日本の法律が、年齢によってその人物の判断能力を推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童を保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法で判断能力を吟味・裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁の判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います。
憲法学の世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年者自身の目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人の判断能力の不十分さを補うために後見的措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。
そして、未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスクが懸念されているからです。[^1]
[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスクは存在しているといえます。10代の妊娠中絶経験者の68.1%は妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精や安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報や理解力の不足した判断)、③相手が避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産・育児は不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的な判断)など、当人の判断能力の不足によって、望まない妊娠と人工妊娠中絶に到っています。
この前提において、当事者の自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズムの議論の中で整理されている話です。
「ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。
1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、
2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、
4. その他、実質的に自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html
そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家の法制度に含まれています。性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童の人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家が議会立法などの民主主義的手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会的コンセンサス』の賜物でしょう。
だから先ほどのrag_enさんの、「『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念を法制度に組み込んでいる全ての国家や社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか。
現在の日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者の主体的判断によるものであっても、相手は強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断の不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。
私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。
あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在の法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許を付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなく、ペーパーテストと免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。
※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト+免許制という提案は、パターナリズム的な観点(判断力が未熟な当事者を保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害のリスクなどを鑑みて、本来は無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者の能力・知識・技術を総合的に認証したうえで特別にアクセス権を付与するもの、つまり自動車免許や医師免許に相当するものであるから、パターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います。未成年や児童が関わる性行為について、当事者の不利益よりも他者危害のリスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。
しかし、そのような制度---国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力をペーパーテストで弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分は国家による生-権力的介入・管理のアプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順な身体〉の構築」というフーコー的テーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。
また、自動車免許の社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えます。セックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センターで受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用をイメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム的保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的な提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会的コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。
ゲームの利用規約には演者も視聴者も気をつけていこうって風潮があるのにYouTubeの利用規約には中指立てていくダブスタがどうにもしっくりこない。
https://www.youtube.com/static?template=terms&hl=ja&gl=JP
本サービスの利用には制限があり、以下の行為が禁止されています。
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切り抜き動画のアップロードや収益化が違反というわけではなく、切り抜きに使う素材の調達自体が規約違反⇒規約違反の素材で作られた切り抜きも(存在自体が)規約違反という話。
現実的には配信者(動画・配信の権利者)が問題視していない(なんなら推奨さえしている)しYouTubeも特段取り締まる気がなさそうだから問題にはならないだろうけど、
ゲームの利用規約(特に配信関連の記述)には目くじら立ててる人も多いのにYouTubeの利用規約はスルーしてるのが納得いかない。
念の為に補足しておくとゲームの利用規約もスルーしろという意味ではないし公式・公認切り抜きの類はこの限りではないです。
チャンネル管理者は管理画面(YouTube Studio)から動画・アーカイブをDLでき、それを元に加工・編集すればなんの問題もないので。
長々としたお気持ちは三行まとめのあとにあるので結論だけ見たい人は三行まとめだけ見てくれ。
三行まとめ
腐(マイナスなイメージの一文字)=BL=マイナスなイメージになってしまう。
BL以外の二次創作にはマイナスなイメージ一文字で表すものはない。
自称も他称も含めひとつの嗜好カテゴリをマイナスで呼称はよくない。
下記はSNS上で見かけたものや一次二次含めて長く活動してきた中での所感を含め短くまとめていない方。というかなにもかもまとまっていない方。
(※あくまで二次創作の嗜好というカテゴリの話であり現実の同性愛者やLGTBやジェンダー論とは一切無関係として読んでほしい)
今回の発端は例の漫画(作品自体を貶す意図はないので出典の明記は避けますが)。
まず最初に感じたのはこれがこの出版社から発表されていいのか・という点。
幾人かがSNSで言及していたように同出版社はBL嗜好の女性に対して辛辣なコメントを出した過去がある。また女性は読者ではない・本誌の対象者は少年であると明言した過去もある。
増田がまだ物心つく前には本誌アンケートの意見は性別欄で女性を選択すると反映されないとの噂もあった。これは噂の域をでないが記憶にある限りで公式から真向な否定等はない。どの年代でもそういった操作がなかったかしっかりと調べて声明を出してくれなければ当時男性と偽ってアンケートを出した必死な応援は成仏できないとの発言も見かけた。(これは噂のでどころや真偽のほどは本当にいつか確認されたらと願う)
つまり同出版社には女性読者(とくにBLを嗜好とする)に対する姿勢へ信頼がない。
にもかかわらずBLを嗜好とする女性をネタにする漫画を是とした。話題になるようにCPのアンケをとるなどもしていた。
バズらせ・面白がっている部分が作品ではなく完全に『二次BLを嗜好し争う女子』だった。
こうなってくると作品の出来がいい悪い・面白いかそうでないは問題でなくなってしまう。
(作品自体が面白かった・上手いという意見もかなり多くみられたがそれでもその部分単体でべたぼめしている人はほとんど存在していない。)
二次創作BLをしている女性の多くはプロフィールに「腐」というマイナスなイメージの言葉を明記しており・自己紹介の意味で使っている。本人たちが自称しているのだから腐女子と呼んでバカにしていいのだという土壌を作ってしまったのは責任の一端がある。
かつて腐女子という単語が出始めた頃・自虐の意味が込められているとされていた。確かに原作にない関係や性的嗜好を捏造し形にする行動は正しくはない。しかしそこにBL・GL・HL・の差をつける意味はあるのか?と増田はここ数年で疑問が大きくなっている。
エロ妄想をするので・・と卑下になる方もいるかもしれない。しかしその卑下はエロのみのHL・GLがマイナスな単語で表現されない理由にはならない。
二次創作内で登場人物を傷つけたり辱め・節度をもたずに垂れ流し見たくない層まで届く形で発表しているならばそれはある意味腐っていると称して間違っていないがそこにBL・HL・GLの区別すべきではない。
上記注釈の昨今風潮の波に乗るのは格好悪いと思いマイナス呼称を名乗り続ける人も存在しているがこれは本件に限らず意識高い系wwと笑う層なので別問題とする。
二次創作は確かに原作をねじまげていて人の威を借りて作品を作っているからどんなに時間をかけて作品を作っても堂々とすべきではないとの意見も勿論間違っていない。(二次創作を悪用したりさも自身の実力であると勘違いするのは別問題)
腐とつけている一定数の方の多くは原作への敬意をはらうべきとして自省・自虐を込めている。
原作への敬意をはらう・同性愛及び登場人物の性的嗜好を変えた創作物を見たくない層への配慮と・二次創作を楽しみ同士の創作物を尊ぶ行為は両立できる。
問題は自虐や軽蔑が二次創作によりつくられた他者の世界へも向いていて・尊いとほめているうらで所詮二次創作だと嘲笑っているのと同じではないかとも感じる。
自虐・自省の言葉を入れずとも原作を尊重し配慮を忘れない創作は可能だし・逆に尊重も配慮もしない人間が堂々としている場合もある。
自虐的な単語を自称する事で先に版権もとに悪い事をしていますが勘弁してください・と謝っているのだろうかと疑問を持った折・過去に二次創作BLを嗜好する女性がそれ以外の二次創作者からひどく迫害された記憶が蘇った。当時増田はまだ叩かれるほど自分で創作を行ってはいなかったが二次創作BL創作者が匿名掲示板に晒された事実は見ていて・自分もBLを創作するのであれば隠れなければいけないと強く刻まれた。(これはBL好きだけではなく夢等も悲しい歴史があり今なお根深い問題があるけれどそれはまた別なので割愛)
自虐を名乗り先んじて謝っている対象は原作だけではなく大きくカテゴライズすれば同じ『オタク』である人種でもあった。彼ら彼女らがBL以外の二次創作で活動していても・だ。気持ち悪くてごめんなさい。と。
気持ちの悪さでいえばオタクそのものが気持ち悪いでしょう。と言ったら怒られるかもしれないがこれは何かに夢中になっていると気持ち悪さは生まれるので仕方ない。TPOをわきまえずに騒ぐのがよくないとの意見もあったがどんなジャンルや嗜好であってもマナー違反なので二次創作BL者に限った話ではない。TPOはわきまえようね。18歳以下が見れてしまう状態でR作品を掲示するのはやめようね。
話が逸れた。
同類の中で嗜好のカテゴリが違うだけで謝らなければいけない・マイナス呼称を使うべきなのはおかしいというだけの話だ。
二次創作BLが原作をねじまげているという理由でマイナス的な単語を自称する弊害として大きく同人女子やオタク女子・ひいてはアイドル好きの女子まで何故か『腐』と呼ばれている問題がある。詳しくない人間からすれば同じなのも想像に難くない。好きなものを好きなだけで蔑まれる・しかも他人が勝手に自虐でつけている呼称を利用してというのは理不尽ではないか。
そもそも二次創作BLを好きだとしてもマイナス的な単語を名乗らなければいけない謂れはないのはつらつらと書いた文で理解してほしいが。
『オタク』がマイナス呼称とされる時代もあった。今もマイナスとする場面はあるが『オタク』という文字列自体にはマイナスはない。隠れるべき特殊性癖とされるグロ・リョナ・NTR・ロリショタ等もその作風を指す単語であり厳密にマイナスな言葉を使ってはない。オタクが最も嫌う転売ヤーですら転売という行為を表す言葉であって単語自体のマイナスではない。
特定の何かを好きというだけでマイナスな呼称を名乗る・名乗らせる風潮・そろそろやめませんか。
ついでに
話が戻り例の漫画への疑問なのだが掲載媒体を長く愛読しているオタクであれば絵を見ればすぐわかるのにナゼ作家の名前を過去作と変えたのか。二次創作BLを扱うデリケートさを危惧してならばそもそもなぜ今変えていこうとしている層が存在する『腐』を使ったのか。起こるかもしれない炎上から作家さんを守りたかったのか・『腐』を扱う上で名前を変えなければ恥ずかしいと感じたのか。どちらにせよやはり『腐女子』という単語は新たに広めてしまう可能性があるって意味でも大手出版社が今使うべきではなかったよね。
おわり
このエントリは多分世間一般に言う腐女子にしか関係ないもので、第三者的には関係ない話です。
腐女子じゃない人による腐女子叩きは本筋と関係ないのでご遠慮くださいね。
「腐女子」という呼称を嫌ってる人がいる、というのは知ってる。
LGBTQへの理解が急速に進みつつある昨今、「同性愛の物語を好む人を腐ってるというのは自称も他称もやめませんか」という言説があるのは腐女子の端くれとして把握している。
事実同性愛は腐ったものではない。2020年代を生きる者としてその認識に異論はない。
だから「腐女子(腐男子)」というのをやめないか、とその言葉そのものの使用を縮小させたがる傾向にある。
が、待って欲しい。
ざっとネットで検索したところ、少なくとも2015年にも同じ議題を投稿している掲示板を見つけた。だが結局6年経った今、その掲示板に挙げられている呼称は浸透していない。
「BL好き」とか「BLを好む人」でいいのではという意見もあると思うけど、結局それは代替"単語"ではない。
今どき海外のドラマに腐女子が出てくることも珍しくない。日本語字幕の文字数には1秒3文字という制限がある。その限られた中で「BLを好む人」として「腐女子」と書けば今の日本人のほとんどがその意味を理解できるだろう。代替単語としてはそのくらい短くて、かつ浸透しやすいものじゃないと腐女子並の市民権は得られない。
方法としてはドラマだの漫画だのバズるメディアが代替単語を使い始めるのが手っ取り早いとは思うけど、ここまで確立されてる単語を塗り替えるのはこのネット社会では簡単なことではないと思う。そもそも「腐女子」という単語の歴史も結構長いでしょ。そんな簡単に塗り替わるわけがない。
「Shipperはどうか」という意見がある。実際私のいる海外BL界隈では「最近ドラマでBLにハマったんだろうな~」って人がShipperと使っている印象がある。
が、待って欲しい。
海外のスラングとしての「Ship」は「カプ」という訳が概ね正しいと認識している。つまり男女の指定がない単語だ。
My shipと検索すると男男、男女、女女のめいめいの推しカプが出てくる。
つまりカプを指定していないShipperの正しい訳としては「カプオタ・カプ厨」が正しいのであってBLだけを指す「腐女子」とはニュアンスが異なる。代替単語にはなっていないのだ。
このことを理解しないまま「私Shipper(BLだけ好き、HLやGLは嫌い)なんですよ~」「私もShipper(HLが好き、BLやGLは嫌い)なんですよ~」なんて会話を想像してみて欲しい。事故である。完全に事故である。
もう既に男女指定なく使われている単語を腐女子(BLを好む人)が横からかっさらってBL専用単語に仕立て上げるなら、それは色々と腐ってる行為ではないだろうか。じゃあもう腐女子でいいでしょ腐ってるんだから。
理想としては腐女子だの百合豚だの、同性愛の物語を好む人の呼称なんざ撤廃してHLと同じように特に何も単語がないニュートラルな趣味として扱われるのが理想なんだと思う。
ただ現状、宗教的に/生理的に同性愛が受け入れられない人がいる中でそれは不可能に近いし、オタクは割と何かに属することを好む人が多いので属性を示す単語がなくなることに不安を覚える人も多いだろう。
そんなわけでダラダラと書き連ねましたが代替単語もない上に世界が変わり切ってない中で「腐女子」って単語を一方的に狩るのは勘弁してほしいっていうぼやきです。
あとマジでShipperって単語を腐女子の代替単語として使うのをやめて欲しい。人から勝手に言葉を奪うな。この2点に尽きる。
一次創作小説を書いている。ジャンルは説明しづらいが、主にファンタジーとGL。たまに文フリなどに出す。部数は30くらいではけたりはけなかったり、弱小サークルであると言って差し支えないと思う。カクヨムなどに上げてもアクセス数は50程度。それでもたまには感想をもらったり、ファンですみたいな人が現れたりする。ありがたいことである。
ありがたいことなのは分かっている。
しかし、感想というものの居心地の悪さ、あれはなんなのだろう。「素晴らしい文章で涙が出てしまいました、どうやったらこんなふうに書けるんですか?はあ……語彙力……」みたいな感想をもらうと、なんというか、たじろぐ。そんなに感動してくれてありがとうございます、でもこれそんなに感動するようなやつでしょうか?
アマチュアで文章を書いているひとを全員上手い順に並べることができたとして、先頭からかなり遠いのは自分でよく分かっている。かつ、一番後ろの方ですよと卑下できるほどプライドが低いわけでもない。その上で、上手くなくても良い作品というのはあるから、そういうふうに思ってもらえてるんだろう……と考えはするのだけど、その頭での理解と感想への戸惑いは別で、「え、こんなに下手なのに?」「なんでプロじゃなくて私の文章を読むんだろう?」と思ってしまう。もっと精神の調子が悪い時には「ろくな文章読んでないから私くらいで感動できるんじゃねえの?」まで行ってしまう。創作をしてる人からの感想で、しかもその創作が自分の好みじゃないと、「尊い……語彙力……とか言ってないでちゃんとやれば?」とか「この程度の人に褒められても嬉しくないな……」とか、全く口に出せない感じになる。
全部の感想にそう思うわけじゃなくて、自分でもよく書けたなと思ったところを褒められれば嬉しいし、自分より上手い人に褒められるとやる気が出る。「この人はちゃんと読んでくれてるな」とわかる相手から的確な批判を受けると燃える。アクセス数は何度も見に行ってしまう。褒められたくないわけじゃなくて、相手を選んでるのだ。ばかだな。
ツイッターの女性文章書き界隈みたいなところでは「文字書きは感想もらえると泣いて喜んで創作意欲めっちゃ湧くからみんな軽率に感想書いてこ!!」というような話がときどきバズる。それを見るたびに情けなくなる。なんで私は素直に喜べないんだろう。あまつさえ読者を馬鹿にするようなことまで考えちゃうんだろう。私も泣いて喜んでやる気を出して次を書くみたいなことしたかった。
オチはありません。
前提自分は、全然頭も良くなくて、他人と比べてもインプットやアウトプットの効率が悪いから、努力する時間を増やしてコツコツなんとか生きながらえてきたみたいなタイプ。
だから正直他の人と比べても、人に話せるような人生の面白みなんて全く無いし、真面目だけが取り柄で、仕事くらいしか人生でやることないねんなーと割と本気で思っている。
というか仕事くらいしか、自分の存在意義を感じられないということでもあると思ってはいて。
仕事は頑張れば、頑張らない人と比べて評価される可能性が高いから、まあ居場所もできるし、だからこそ努力はできる。そんな感じ。
でも、部署変わって仕事するようになってから、自分なりに頑張っても全然報われないなーと思うことが多くて、自分にどこか問題があるんかなー、学習障害とかADHDとかの病気なんかなーと考え始めて、このさきどうすればええんだろ、のループに入りドツボにハマっていた、というのがちょうどここ1年くらい。
でもそれが割といい感じに解消されつつある、というのが今。
なんでかというとめっちゃ簡単で、勉強時間とかの努力した時間をスマホで、測るようになった。これだけ。
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.bondavi.timer&hl=ja&gl=US
なんやそんなことかい、って思われるかもしれんけど、これが結構大きくて。ほんまに。
これまでは昼に起きて、だらだら本とか読んだり、仕事のこと考えたり、資料作ったりで、一日振り返って「俺めっちゃ頑張ったやん、素敵やん」みたいな思考に至ることが多かったけど、実は実態としては全然時間をかけられていなくて、ほんの2-3時間くらいの努力を過大評価して、俺はすごい頑張ってる!なのに報われない!自分自身に問題あるんじゃね?→もうどうしようもない→人生オワタみたいな発想に至るみたいなループ。
自分で言っておいて恥ずかしくなるくらいにはアホ。
でも時間を測ることによって、正しく努力の量がみえるようになったから、
「あ、全然人よりも努力してなかったんか、自分なりに頑張ってたつもりやけど、全然やん。まだまだ努力せなあかんやん。」みたいな現状認識をそれなりに正しくできつつある。
認識がずれがちな理由はいくつかあると思うけど、アニメ見るときと勉強するときの体感時間が全然違っていたりすることとか、年齢で昔受験勉強していたころの感覚と違っていたりとか、簡単にできるアウトプットに慣れてしまって、時間をかけてじっくりと向き合うことができなくなってしまったりだとか、正直色々あるとは思う。
アマプラみるのと、本を読むのとで、体感での努力量が違いすぎんねんな。。。
まあめっちゃ自分あほやなーと文章書きながら思ったけど、意外と自己認識は難しいので、これを機に取り組んでみてほしいよーという話でした。