2021-05-01

意外と自分努力を正しく認識できていないという話

最近調子ええねんな。なんでかよー知らんけど。

 

前提自分は、全然頭も良くなくて、他人と比べてもインプットアウトプット効率が悪いから、努力する時間を増やしてコツコツなんとか生きながらえてきたみたいなタイプ

から正直他の人と比べても、人に話せるような人生面白みなんて全く無いし、真面目だけが取り柄で、仕事くらいしか人生でやることないねんなーと割と本気で思っている。

 

というか仕事くらいしか自分存在意義を感じられないということでもあると思ってはいて。

仕事は頑張れば、頑張らない人と比べて評価される可能性が高いから、まあ居場所もできるし、だからこそ努力はできる。そんな感じ。

 

でも、部署変わって仕事するようになってから自分なりに頑張っても全然報われないなーと思うことが多くて、自分にどこか問題があるんかなー、学習障害とかADHDとかの病気なんかなーと考え始めて、このさきどうすればええんだろ、のループに入りドツボにハマっていた、というのがちょうどここ1年くらい。

 

でもそれが割といい感じに解消されつつある、というのが今。

 

なんでかというとめっちゃ簡単で、勉強時間とかの努力した時間スマホで、測るようになった。これだけ。

この無料アプリ使ってる。

https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.bondavi.timer&hl=ja&gl=US

  

なんやそんなことかい、って思われるかもしれんけど、これが結構大きくて。ほんまに。

 

これまでは昼に起きて、だらだら本とか読んだり、仕事のこと考えたり、資料作ったりで、一日振り返って「俺めっちゃ頑張ったやん、素敵やん」みたいな思考に至ることが多かったけど、実は実態としては全然時間をかけられていなくて、ほんの2-3時間くらいの努力過大評価して、俺はすごい頑張ってる!なのに報われない!自分自身に問題あるんじゃね?→もうどうしようもない→人生オワタみたいな発想に至るみたいなループ

自分で言っておいて恥ずかしくなるくらいにはアホ。

  

でも時間を測ることによって、正しく努力の量がみえるようになったから、

「あ、全然人よりも努力してなかったんか、自分なりに頑張ってたつもりやけど、全然やん。まだまだ努力せなあかんやん。」みたいな現状認識をそれなりに正しくできつつある。

 

認識がずれがちな理由はいくつかあると思うけど、アニメ見るとき勉強するとき体感時間全然違っていたりすることとか、年齢で昔受験勉強していたころの感覚と違っていたりとか、簡単にできるアウトプットに慣れてしまって、時間をかけてじっくりと向き合うことができなくなってしまったりだとか、正直色々あるとは思う。

 

アマプラみるのと、本を読むのとで、体感での努力量が違いすぎんねんな。。。

 

まあめっちゃ自分あほやなーと文章書きながら思ったけど、意外と自己認識は難しいので、これを機に取り組んでみてほしいよーという話でした。

ちゃんちゃん

 

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