はてなキーワード: 80年代とは
当たり前ではないですよ。ただマイノリティの声って最初はとにかく時間かけないと世の中には理解されなくて、この手の妨害は性別人種その他諸々関係なく活動したら出てきますので、長い時間をかけて歴史積み上げながら対策して頑張ってください、ということをお伝えしたわけです。時間はかかりますよと。例えば今は痴漢は犯罪なのは当たり前なんですが、80年代は痴漢は万引きレベルの認識みたいだったのを、当事者団体がそれは違うと訴えたわけですよ。こうゆうことの積み重ねなんじゃないですかね、社会活動って。
「痴漢は犯罪」ポスターが生まれるまで 大阪「性暴力を許さない女の会」の28年
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2ab5551b20b44565cb374f724984e27220efce50
もう半世紀以上生きてるジジイですが、
あー、これ今回の終末的な恐怖って割とガチかなーって思い始めてる。
70年代の子供の頃はノストラダムスの大予言で脅されて
90~2000年代の気候温暖化とか、ジャングルが開拓される衛星写真とかみてても
また同じ手合いの奴かもとか楽観的に構えていた部分もあったけど、
さすがに北極、南極のここ数年の氷の解け方や、twitterのタイムラインに出て来る
ここ100年の二酸化炭素量や、平均気温や海水温がここ近年でアホみたいに
急激に上がっているのを見ると、もう引き返せないラインを越えてるんじゃないかって気がしている。
科学の力と人類の総意で問題を解決しないといけない感あるけど、
なんかもう、戦争とか、資本家や政治家のやりたい放題を見てると、
そんなん絶対無理じゃんって思えて来る。
環境活動家でもなんでもないけど、みんなで地球なんとかしないといけないんじゃない?
って思うけど、どうにもならん感があるなあ。
日本の教育は、戦争の目的は何だったか、戦争で何が変わったかという視点が欠けている
振り向けば第一次世界大戦では4大帝国が革命で新体制になり、植民地体制は縮小されていったわけだ
一方、仏蘭は植民地を返還しないので日本は主に仏蘭の植民地を狙った
第二次大戦後も仏は戦後ベトナム戦争の火種を抱えた(本来は戦勝国)
戦中から自主返還していたが、ガンジーは暗殺、香港返還は80年代、今もイギリス連邦王が君臨
革命にならなかったのは植民地利権と保険利権の勢力が強すぎたのと、思想統制や大本営発表の騙しや欲得もあった
だから英米原爆と占領と新体制が出来たというだけで良かったとは思えないな
憲法(天皇被告裁判官保護)、女性選挙権、生活保護制度、国民健康保険(医師保護)、銃所持禁止ぐらいではまだ不十分で、ほんと罷免国民選挙制度ぐらいあってもいいだろ
割と真面目に考えたっぽい結論が、『言葉を尽くして他の表現をしよう』なの絶望的すぎて笑う。
褒めるっていうコミュニケーションは相手が評価してほしい点を評価することで成立するのであって、失敗したりいじられたりしているような、本人が恥ずかしいと思ってる部分を評価するのは褒めてるんじゃなくて『馬鹿にしてる』んだよ。想像してほしいんだけど、お前が仕事でミスした時に常連の男から「ミスして焦ってるところめっちゃ可愛かった〜🥰」って言われたらキモいし、仮にそれが「普段しないミスして焦ってたところ、あんま見られない顔見れて嬉しい🥰」ってなってもよりキモいだけだろ。
ただこれはコミュニケーションの話であって、可愛いところを褒めてもらいたい(それが配信者の本音かどうかはともかくとして、少なくとも仕事としてそれを割り切っている)配信者もいると思うので、そういう人を推すのをおすすめします。今のままだと、スポーツ選手に性的なコメントを送る人と同類だよ。
その程度の話ならセクハラに例える男が間違ってるよ?
人気VTuber、活動休止の背景に “母親ヅラ” ファンの暴走…「距離が近いから厄介」「コアファンあるある」共感の声続々(SmartFLASH)
実際に活動を休止する配信者がいる問題に対して、『その程度の話』といえる無神経さがすごいですね。あと現在ではセクハラとされている多くのことも80年代ごろまでは『その程度の話』だったので単に理解が進んでいるかどうかの違いだと思いますよ。
自分は男のセクハラコメントについてもやめることを強気で求めていますけど、それは置いとくとしてもなんでそれが反論になると思ったんですか?セクハラコメントが減らないことが元増田が意識せずハラスメントをしていることやそれを指摘することににどう影響するんですか?
物価上昇率が2%を超えているし、いま消費税を上げるタイミングじゃないの?
これまで「リフレ派」の人たちは「デフレで消費増税とか標準的な経済学に反している」などとさんざん喚いていただけど、物価上昇率が2%超えても消費増税してはいけないの?
「消費が加熱して景気がいいわけじゃないから」と言うんだけろうど、諸外国の付加価値税もインフレ不況がひどかった1970年代から80年代にかけて上昇しているよね。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/103.pdf
そもそも消費増税反対派は、増税反対の声が大きい一方で、予算と人員の不足で苦しんで現場が崩壊寸前のいる教育、介護、保育の状況には全く関心ないよね。明らかに「増税の前に無駄な人を減らせ!」という政治の犠牲者なのに。
https://twitter.com/gamerobotlov/status/1682435734320607232
#NECアベニュー は
これには一般オタク老人会からも総ツッコミ、さらにPCエンジン関連の開発者たちがツッコミ。
https://twitter.com/Shingi/status/1682503628479946758
https://twitter.com/hor11/status/1683076902591037440
https://twitter.com/snapwith/status/1683084722354917377
もちろん「この影響で」というのは当時を知っている人間であれば完全なガセであり否定されて然るべきものなのだが、このオッサンが一切認めようとしない。
いわく「80年代からPC-88/98が圧倒的シェアだったと言ってもそれは一部の富裕層オタクだけのもので、一般に普及したのはWindows95以降だから間違ってない」だの「2000年にNECのシェアが高かったのはネットの記事にそう書いてある」だの、まあ一部の視点については完全には間違ってはいないんだが、肝心の「PCエンジンの影響で」という部分がソースもなにもない思い込みなのだから始末に負えない。
そもそもWindows95以降に爆発的に一般層に普及したといっても、まだまだPCは業務用のものであり、コンソールゲーム機の影響でPCが売れるなんてことは仮にもなかった。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010222/idc.htm
オッサンが挙げていたこちらの記事においても、出荷実績1,400万台中家庭向けは約50%の724万台だったという。
シェアトップ3のNEC、富士通、日本IBMといえばビジネスPCの御三家であるから、台数のうちかなりの割合が業務用だろう。
家庭用のうちNECのシェアがどのくらいあったかだが、これがWindows以前のPC-98全盛期なら90%くらいあったんじゃないだろうか。体感だけど。
Windows以降になると、NECはPC98-NXというAT互換機に移行するのだが、他の互換機との差別化は難しいため埋没していく。
それでも広告や店頭販促はかなり打っていたので雑誌やショップで見かける機会は多かったが、NECがシェアを取っていた感覚はまったくない。自分の周囲を見てもほとんどがソニーのVAIO、でなければソーテックやコンパックあたりの廉価機だったと思う。iMacが爆発的に売れたAppleのシェアも無視できないほどあったように思い出される。
さらにいうと、2000年頃は自作ブームだったのだ。98年頃のCeleron 300AやK6-2ブームを経て、2000年頃はPentiumIIIやAthlonが流行だった。メーカー製PCを買うより圧倒的に安く組めたので、自分もこの頃は自作機だった。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20001122/nmb14.htm
こちらの記事によると自作PCが市販PCより2倍も多かったとある。PC Watch読者だからある程度マニア層のアンケートとはいえ驚きである。
ということで、「90年代、2000年代はNEC製PCが凄く人気でした」というのも家庭向けに関してはかなり怪しいし、ましてそれがPCエンジンの影響であるなんてことは誰が聞いても「?」となる話なのである。
前述の通り90年代前半ならPC-9801/21のシェアは圧倒的だったはずだが、本人が「PC-88/98はマニアしか買ってないから論外」って言ってるんだから除外すべきだろう。
なぜ(当の開発者たちに否定されてまで)PCエンジンのおかげでNECのPCが売れたことにしたいのかはわからない。話が通じないから深掘りすることもできない。
自分のチャンネルに誘導したいから炎上上等なのかガチなのかはわからないが、あまりの無敵ぶりに開発者たちも苦笑いしながら撤退するしかなかったようだ。
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。
おしえてください
本宮ひろ志さんで、舞台は江戸時代、とある地方に、とにかく厳格かつ仏頂面で有名な殿様がいて、笑わせたら褒美をとらす、という場面で、若い男性が猿回しを披露する体裁で面会し、その芸のオチで猿かその男性本人かどっちか忘れましたが、ヘソ踊りの尻バージョンで尻にその殿様の目と眉を描き、鼻として人参を尻の穴に刺して「似顔絵」ってヤッちゃったのですが、周囲が無言で騒然とする中、堂々としていた若い男性芸人に向かって破顔一笑した殿様、立ち上がって唐突に男性の玉袋を服の上から掴み、後の事は任せた、みたいなセリフを伝えて、周囲の部下たちが「ちんちん公が後継者を定めた!」と大騒ぎするシーン、
「広末と俺のこと、知りたくない?」「言いたいことはヤマほどある」とか言ってしまうのは、80年代後半に生まれた連中に特有のヤンキー文化と、インターネットのない頃までの言ってはいけないことを言ってしまえていた頃のボーダーで、テクノロジーの発展によるシンギュラリティが生まれてしまい、この時期を境にして全ての日本人は発言に責任が生じてしまう時代になってしまい、発言が言質になると言う認識が持てないラストな時期だたと思う。テープレコーダーやら家庭でも使えるようになったわけで。そして、ちょうど脳が老化してコモンセンスを受け入れられなくなったのが、この年代と。
ジャニーズ事務所の長期的な弱体化は不可避 ジャーナリストの松谷創一郎氏が会見
https://www.youtube.com/watch?v=GrguzAYY3Wg
はじめまして松谷と申します いきなり始めてしまって その中で自己紹介 もしたいと思います ジャニーズ問題から考える構造の話を ちょっとしたいと思うんですけれども (略) このジャニーズ事務所なんですけども 近年いろいろちょっと起きました (略) ただその根っこにあるのがですねやはり 2016年末のSMAPの解散騒動および解散だったと思います 皆さんもご存知だと思いますけども これフジテレビ のSMAP×SMAPでゴールデンタイムに 5人が並んでお騒がせしたすみませんっていう 謝罪をしました これは公開処刑だいろいろ 言われてますけれども 最近あのいろいろその裏話っていうのは明らかになりつつありますが やはりこれ メリーさんがどうも仕掛けたということ らしいです ただこのぐらいからジャニーズ事務所おかしいよなっていう ようなことが 言われましたよね そしてこの中で3人がですね 後に 翌年ですか、 2017年の9月にジャニーズ事務所を退社をします もちろんこの後 SMAPが解散をすると この退所した3人、香取さん、草なぎさん、稲垣さんの3人ですけども 2017年 9月に退所して 番組がテレビ番組が相次いでなくなります テレビ朝日の番組が2つ、フジテレビ、そしてTBSの番組が相次いでなくなるんですね ただNHKのブラタモリ、これナレーションですけどもそれは 継続を今もしています ここで何かあったんじゃないかというふうに 当然みんな思うわけですね 思うんです けどもやはりその通りで 2019年7月17日、これジャニーさんが亡くなって8日 後のことなんですけども 公正取引委員会がジャニーズ事務所を注意をします これは元 SMAPの3人 をテレビ出演させないように圧力をかけた疑いと これはですね、おそらく共演NG かタレント引き上げみたいなことを匂わせたという風に今考えられますけれど も 具体的にジャニーズ事務所がどういうことをやっていたかというのは私も聞いてますけれども かなりえぐいことをやっていたようですね これで公取委が注意をします (略) ジャニーズ事務所がこういう注意を受けた後にどういう対応したかというと ですね ここはね結構面白いんですけども 自分たちが圧力をかけた事実はないと 公正取引委員会からも独禁法の違反行為があったとして行政処分や警告を 受けたものでもありません という風に 言ってるんですけども 公取委がやったのは注意なんですね だから注意されたのは事実なんだけども 行政処分や警告ではないですよって ジャニーズ はこういう なんていうのかなあのすごく ずる賢い言い方をするのが ジャニーズ事務所だったわけですね で、そういう やり口っていうのは今回もいろいろ見られ ますけれども 基本的にもともとこういう会社だったんですよってことはご確認いただければと思います (略) ジャニーズ事務所に限らず芸能界では 公然と移籍制限っていうのがありました これはあのスポーツ界でも行われていたようなものと 近いような 引き抜き防止のカルテルですね (略) で、今のが基本的なベースラインの話なんですが ここから構造的な問題に、 いよいよ本題に入っていきたいと思います 全体像として見ればですね 日本の芸能界、80年代以降に非常に活性化をして かつ同時に内閉化状況、 ドメスティックに ビジネスモデルが完結をしてしまった状況 が進むんですね ピークは、どこをピークとするかなんですけども 音楽産業 のピークは1998年なんですね その辺、90年代中期から後半ぐらいがピークであろうと そういうふうに捉えていただければいいと思いますけれども 結構その、いわゆるバブル崩壊からちょっと遅れたぐらいがピークだったんですね で、その中では先ほどもちょっと申しました、 独自の商慣習が続いていました その引き抜き防止カルテルであるとか、 それに伴う新興勢力の参入障壁になるわけです、それが あとはタレントとの対等ではない契約、 プラス、メディアコントロールこういった ことが続いてきたし これジャニーズだけではなくて 大なり小なり行われてきたと いうことなんですね ただその状況にも大きく変化が生じてきて います それはインターネットとおよびそれによるグローバル化です コンテンツの グローバル化によって かなり相対化をされ つつあるというのが2010年代で プラス、公正取引委員会が問題視をした これ2018年 以降なんですけども これがジャニーズの問題、 2019年の7月のジャニーズの注意によって より明らかになったということ (略) で、芸能プロダクションというのは この今で いう芸能プロダクションの体制ってのは 実 はこのテレビとかなり関係をしています (略) で、今のがまあちょっと前提的な話なんです けども 最後にあのジャニーズ事務所の性加害問題に関してお話をしたいと思います 昨日もですね喜多村先生がちょっとお話をさ れていましたけども まあいろいろ 歴史的にですね 過去の告発等がありました 中でも北小路さん、光GENJIっていうものと 99年から2000年にかけての週刊文春の報道、 この 辺はすでにご存知の方多いと思いますけど も かなりやはり当時としては芸能ゴシップ扱いをされていましたね でどちらかという と告発ではなくて暴露という形でもありましたし 昨日も喜多村先生ご指摘だった通り、 週刊文春もホモセクハラという表現をしていますし ある種その 男性の同性愛に対してすごく侮蔑的な見方、 ある種まあ嘲笑するような見 方自体があったのは 確実だと思います それはまだ男性同性愛に対しての理解が進んでいなかった当時の時代もありますし 媒体的な特性というのもあるのかもしれません (略) ひとつ付け加えるんであれば、現役のタレントがジャニーさんに対してものすごく何て言うかな親愛の情を テレビ 番組とかで示しているというところもあったと思うん ですね ジャニーさんの口癖「ユーは何々だよ」とかそういう言い方を真似したりしていて 本当に性被害を受けてる人か何でこんな こと言うんだろうっていう風に まあそこの整合性が取れなかったわけですね で、今回 やっぱりBBCのモビー・アザーさんが やった一つすごく大きな功績っていうのは そこにグルーミングっていう概念をですね 日本にちゃんと伝えてくれたことです これはあの性犯罪においては 非常によく知られていた概念だったそうなんですけれども 私は知らなかったので ようやく 納得ができたんですね 現役タレントのそのジャニーさんに親しげな表現をすること あるいは親愛の情と性被害っていうものが ある種両立をするんだ ということに すごく納得がやっとできたという印象です 何よりですねそのジャニーズ事務所の 性加害問題が 報じられなかったっていうのは メディア コントロールがあったからなんですね で、それはやはり各社内にジャニーズ担当者がいてこれはジャニーズへの窓口連絡窓口を 一括するものです でこれジャニタンって言われるんですよね ジャニーズ担当者、 これ はもう新聞社とかにもいますし NHKにもいますし、NHKには制作側と報道側に1人ずついるというふうになっています で、まず ですねそのジャニーズ担当者のが目を光らせていて そこでまず なんですかね 忖度が働くと 自己検閲が生じるメカニズムが働くんですね なので私たち 早い段階で その朝日新聞グループプラスという媒体で 民放テレビ局が官邸や政府よりずっとおそれているのは 間違いなくジャニーズ事務所だっていう風に書きましたけども これ私以前から言ってますけども 残念ながらその後の報道を見ると やはりそうだったということが確認でき ました で、民放テレビ局としてはですね やはりコンテンツと報道の天秤をかけた時に コンテンツを取っているんでしょうねっていうことですね で、例外的に違うのが、 初期段階ではTBS は違いましたよということと 日本テレビも迷いながらもやっていると テレビ朝日とフジテレビはちょっと腰が引けてるけど フジテレビ は最近やり始めたなっていう印象ですよね で、このコンテンツと報道の天秤なんですけれども まあ実際そのこれは19時から 23時台までのレギュラー番組ジャニーズのレギュラー番組なんですけども 各局 こんな感じなんですね、バラエティ、ドラマ これ4月ですけれどもこんな感じであります 一番やっぱまあそうですね あの結構TBS実はね番組が多いんですよね あとフジテレビも結構多いですね フジテレビなんかもう 金土日も1週間に4日19時台に 出来上がるそれぐらいあります テレ朝は実は結構 薄く見えますよね NHKも今大河ドラマですね 松潤の大河 ドラマをやってるので 全く無関係でもないし ここにはないですけど NHKもBSで ですねあの少年倶楽部っていう ジャニーズ Jr.の番組を長くやってます という風にですね 各局、大なり小なりジャニーズ事務所との深い関係ってのがあります で、ここで注目するのは実はこの表で色が ついてないところなんですね ここなんです ここ何かって言うとテレビ朝日の ミュージックステーション で、ご存知だと思い ますけども 1986年から続いているゴールデンタイムの音楽番組です この番組1988年からジャニーズタレントがレギュラーなんですね 総集編を除く1369回のうちジャニーズの 出演がなかったのは13回だけなので1%を 切っていてこの13回のうち4回はですね うち1回がコロナで あと3回が特定の アーティストの特集みたいな感じなので ほぼレギュラーだという風に考えて いただいていいと思います でこの番組の特徴はですね ジャニーズの 競合の男性グループ、 アイドルグループが出演をしにくいことなんですね 長らく言われているのが 1997年11月14日にですね DA PUMPっていう 紅白に5回ぐらい出ている 最近再ブレイクしましたけども そのグループが 出演をする日にですね これ予告されていたんですけども 当時売り出したばかりのデビューしたばっかりのキンキキッズの出演が キャンセルとなったことがありました これを最後にDA PUMPは 10何年後かな 20年近く後まで出演ができなかったん ですね そして今もですね、 JO1、BE:FIRST、Da-iCE、INI という男性グループ のアイドル、 男性アイドルグループが出演をできていません でこれはJO1とINIにはですね まあ一人ずつジャニーズジュニアがいます で、BE:FIRSTをプロデュースした 日高光啓さん この人も元ジャニーズJr. です そういうことが関係しているのではないか というふうに考えられますけども 何 にせよ競合しやすいグループていうのは出にくい んですね ただ例外があって K-POPとLDHは必要もできます K-POPちょっと話を長くなのでやめますけども これはジャニーズとうまく取引 をしたからです LDHに関しては丸坊主で髭を生やしているような グループはできますけども 若い人ではでき ないようですね で、他方でTBSの CDTV ライブ! ライブ! という番組が今 ありますけども、月曜日に こっちは忖度なくて今は一緒に出演できます 押さえておいていただきたいのは 実は今回の 報道の姿勢が この音楽コンテンツと結構 同じようなノリだっていうことですね TBSは積極的 にやるけども、 テレ朝は一番腰が引けている これはコンテンツの中身と 結構 似てるような感じがありますよね テレビ朝日がじゃあなんでこんなに ジャニーズに対して腰が引けているのかというと その要因としてやはり考えられるのは 過去に圧力があったからではないか ということですね 例えば実際にテレビ朝日の皇達也さんっていう この番組を、ミュージックステーションを立ち上げた方がいらっしゃいます 皇室の皇って書いてスメラギさんて読むんですね 亡くなったんですけれども この人がですねジャニーさんが亡くなった 時にですね 週刊新潮にジャニーさんから 「ただ、うちのタレントとかぶるからうちは出さない方がいいね」 っていう風に言われ たっていう風に 実際に圧力があっ たってことを 亡くなった時に美談として言ってるんですよ ジャニーさんには 「そんなこと言わないでくださいよ」 って言ったんだけども、 「わかったよ」とジャニー さんは納得してくれたって言ってるんですけども あの先ほども言いましたけれども まあ競合グループはDA PUMPも含めて 出られていないんですね だから全然美談でも何でもないだろう と思うんですけども 要はこれはタレント 引き上げの圧力をジャニーズさんが 示していたということです なんでテレ朝とこう、 ジャニーズがこんな 深い関係なのかっていうと まあ長らく知られていることとしては テレビ朝日の社内に、社内というか社屋内に ジャニーズ事務所のレッスン場があったと いうことです これは旧社屋なので旧社屋って、2000年代前半ぐらいまでまあ今の六本木ヒルズができる前まであったんです けども 3階建てプレハブの3階の第2リハーサル室だという風に言われてます これはですねテレビ番組に出てベテランタレントが懐かしい話としてよくするん ですね だからまあ知ってる人多いと思い ます 私が文章で確認を最近したのは 少年隊の錦織さんが 1977年7月に 六本木のテレビ朝日のリハーサル室に来てくれというふうに言われたと だからその頃 から 旧社屋がある頃ですから 2000年ぐらい まであったんだろうなというふうに予想さ れます 今回、実名で告発をしてる 二本木さんとか平本淳也さんが レッスンや公 の場とかレッスン上でジャニーさんが 少年愛的な行動をしていたというふう なことを 証言をしてます これがテレビ朝日のレッスン場かどうかは確認はできませんけども 多分そうなんじゃないかなという感じがしますね あとここにはちょっと書いてないです けれども NHKにも2000年代以降には レッスン場が 少年倶楽部って番組の関係であったという ふうには言われています (略) 私はですね構造的な問題を話すんであれば こう いう風にテレビ局がジャニーズを退所した人に対して忖度をし続けること自体が共犯だと思ってるんですね なぜかというとこれをやっ てる以上はジャニーズが離れられないから なんですね ジャニーズに留まったらジャニーさん から性的な課題を受けるかもしれないし 性的な被害を受けるかもしれないし ジャニーズから離れたら今度は芸能界で 活躍できないかもしれない となると この構造自体がですね まあ今回の性加害を生じさせてしまったということになるん ですね で、テレビ朝日が今もまだこれを続けているんならば テレビ朝日が今もまだここ に対して共犯であるということだと私はとらえています 最近、元SMAPの3人がフジテレビの番組に やっとバラエティーとかドラマにも出 られるようになったので 状況はフジテレビ とかは結構変化をしているけれども なかなかこういう状態を本当にまだ続けて いくのであればちょっと問題としては より追求をしなければいけないのかなという ふうには考えてます 同時にですね 今回ちょっと未成年者の話自体が 注目をされていますけれども 未成年者の話には限りません これはそこだけご留意いただきたいと思います ちょっと時間が過ぎていたので 次もう ちょっと最後少し言いますけども 今後の課題についてお話をします 今言ったような芸能プロダクションと メディアとの環境を変えない限りは 今後はジャニーズの今のポジションに 他のプロダクションが入って 同じことを 繰り返す可能性があります なので 移籍で独立の自由度をより高めて 忖度が生じない制度を作っていかないと また同じようなことが起こりかねないと私は考えてます で、同時にですね、 芸能人が救済を求められる窓口というものが明確にはありません もちろん 各都道府県の単位で言えばあるんですけれども 例えばアメリカにはですね協同組合があっ て 韓国にはまあ準政府機関として 機関があります、窓口があります 韓国にはこの準政府機関というのは コンテンツ振興院って言って 日本でいう文部科学省の傘下にある 準政府機関ですね 日本で言うと 独立行政法人みたいなところがあるそこに 窓口があります プラスですね組合なんですけども 日本にも ね声優が入る日本俳優連合っていうのは存在するんです なので日本の声優さんに 関しては実は 移籍とか独立ってかなり自由なんですよ なので現実問題としては まずここ日本俳優連合に タレントさんが 俳優さんとかが入っていくことが 解決には近くなるだろうなというふうに 考えてます でこの日本俳優連合なんです けども 会長は西田敏行さんでそこは俳優さんがやってるんですね この経緯はちょっとわからないですけども で、最後に指摘しておきたいのは こういう芸能プロダクツの他の問題 近年すごく 起きてます それは今回のジャニーズの加害問題とも近いものがたくさんありますので ここだけ ご確認いただきたいと思います (略) (以下、質疑応答は省略) (TBSの元キャスターの金平氏が質問する場面あり)
アマプラで無料の『世界を変えたテレビゲーム戦争』を観てたら、
No way. We are engineers. We don't know anything about manufacturing.
(とんでもない。僕たちはエンジニアであって、製造業のことなんて何も知らないんだから)
というセリフが出ててきた。
これは、アタリ設立前のノーラン・ブッシュネルが、『Pong』の成功を受けて仲間のエンジニアに
「(Pong を大量生産するため)製造業に乗り出そうよ」と提案したのにたいする返事なんだけど、
「頭脳労働であるエンジニアリングと、手作業としての製造業をハッキリ区別してるんだ」と思ってハッとした。
というのも、日本だとエンジニアは作業服を着て仕事してるイメージがあったから(特に60~80年代は)。
作業服は無意識レベルで「あなたは油汚れや工作機械の操作が想定される現場にいますよ」
というメッセージを伝達するから、そういう価値観・世界観なんですよね?きっと。
一方、英語のマニュファクチャーの「マニュ」は「手の」に由来するから、
雇用主の「手先」となって肉体労働をする工場労働者と(現代日本では社畜と言い換えて差し支えない)
机上で設計作業を行うエンジニアを区別したくなるのかもしれない。無意識的に…
【追記】
余談だけど、リドスコの映画『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』では、
レオタードはもともとアクロバット用のものだった。40年代に存在はしていたが、寒いときの重ね着だった。ヒートテックみたいなものか?
60年代の理想の女性像は、女性的で成熟したものから、ほっそりして若々しいものに変化した。きれいな脚が魅力的とされ、スカートが短くなる流れと一致している。
レオタードはこの頃の運動着で、水着のようなものと全身を覆うものがあった。水着タイプは下にタイツを着ることがあった。レオタードと対照的な明るい色のタイツが流行った。
長袖、半袖、袖なしがあり、首まわりは丸いのからタートルネックがあった。
70年代になると、ファッション全体は60年代のサイケデリックな傾向を脱したが、レオタードはまだ人気だった。しかし、微妙な違いがある。70年代になると、60年代の活気のある色と模様がおとなしくなった。人気のあった色はピンク、ベージュ、茶色、暗い緑や青だ。タイツはレオタードの色に合わせることが多い。
驚いたことに、レオタードは70年代には屋外の運動着としても採用された。
ただし、exersuitと言われるもので。ボクサーショーツや紐のついたパンツの下に着られたものだ。外観は40年代の運動着に似ている。
以前ハンガリーのレオタードについて書いたが、ハンガリーの場合は屋外で水着タイプのレオタードを着るものだ。
80年代になると、たとえば袖なしでVネック、レッグウォーマーつきといったデザインが出てくる。
ファッションは70年代のものと近いのだが、アクセサリが増えてくる。たとえば、バンドやレッグウォーマーだ。
この頃はフィットネス熱の時代としても知られる。ジムが出会いの場所にもなりさらにおしゃれになった。写真を見ると、なぜかレオタードの上からブルマーのようなものをはいているのもある。
これで60年代~80年代のレオタードの違いがわかるようになった。
一方で、レオタードの衰退については、この記事には記述がない。
https://thevintagewomanmagazine.com/history-of-exercise-fashion/
その兆しは中央テレビで放送された「新体操」の番組だ(ロシア語から和訳したのでこの訳語が正しいかわからない。オリンピック競技とは別物なので「新式体操」とでも訳すべき?)。
レオタードを身に着けた女性が、エアロビや体操のブームを引き起こした。
保守派の人びとの反感にもかかわらず、「新体操」の起源は音楽やリトミック教育に起源をもつ。20世紀初頭のスイス人作曲家、エミール・ジャック・ダルクローズに始まる。
もともとリズム感を鍛えるために、身体をリズムに合わせて動かすことを発明した。
有酸素運動は60年代に米国のケネス。クーパーにより開発され、女優ジェーン・フォンダにより人々に広められた。元々彼女にとっては体操は趣味であった。
当時のソ連の運動は労働者向けに作られた30年代のものが踏襲されていたので、新しいものが導入された。西側的であるとの批判をかわすため、番組は「新体操」と呼ばれていた。
https://kulturologia.ru/blogs/160519/43125/
同じレオタードが流行った時代でも、タイツをどんな色と合わせるかなどの流行りすたりがあったことは知らなかった。「うる星やつら」とか「キャッツアイ」とか学研の頭脳開発ビデオ「わくわくひらがな」でみたレオタードなども、その時代を反映していたのだろう。
また、時代のよって女性の理想のファッションや体格が変わってきたのも再確認できてよかった。人気のハリウッド女優によって金髪やブルネットの人気が変わってきたのは知っていたし、楊貴妃の頃はぽっちゃり系がモテたとかそんな話を聞いていたが、ここでも実証された。
世界史を学ぶ醍醐味はここにある。自分の好みや思想もその時代の趨勢とは無縁ではないし、価値観なんてあっという間に変わってしまう。好きなファッションをすればいいし、価値観は自分の頭で考えないと大勢に流されっぱなしになってしまう。
そういえば以前書いたが、ソ連のほうがレオタードの導入が早かったらしいことは興味深い。
先ほど述べたが、レオタードの上からショーツ型(パンティー型)の服を着るケースがあるが、なぜだ?
https://www.elle.com.au/health-fitness/workout-clothes-throughout-history-12669
ブルマのショーツ化の流れとも関係しているかもしれないが、証拠を見つけるのは難しいだろう。当時の美意識を(フェティシズムを?)反映していると立証するのはどうすればいいのか。できるのは、同時期のファッションだったという指摘をするだけだ。
最初の項目で引用した記事は他の運動着についても記載しているので、そのうち概略を説明する。全訳すると著作権的にまずい。
ほかにも、へそ出しファッションが許されるようになったのはいつか、ビキニとはどれくらいずれているかについても調査したい。考えてみればビキニの歴史も意外と知らない。
また、レオタード衰退の理由も知りたい。上のへそだしとも関連するが、スポブラタイプの運動着が流行ったのはいつからについても気になる。
ところで、最初のブルマーについての記事を投稿してから3年が経った。速いものだと驚きもするし、自分のオブセッションの変わらなさに呆れもする。