はてなキーワード: 駄々とは
慣れないイベントとかで頑張って笑顔でみんなに対応してくれてありがとう。人見知りだからファンとはいえ全く知らない赤の他人には面白いことなんて何一つ言えないような不器用な性格だけどそんなところも好きです。何百人も対応するのは本当に疲れることだろうに笑顔の写真をSNSにあげてくれてありがとう。またやりたいです、って嘘でも言ってくれてありがとう。接触では基本的に8割「ありがとうございます。」ばっかりだしそっちから話を振ってくれたりなんてもってのほかだけど一人一人目を合わせて丁寧に対応してくれようとするのが伝わります。ありがとう。舞台はどんなものでも真面目にやってくれてるよね。舞台によって多少やる気というか、熱量の差はやっぱ違うんだなってSNS見てると感じるけど、本番は全力でやってくれてるのがわかります。ありがとう。ファンからのプレゼント使ってくれてありがとう。よく同担たちも喜んでるよ。服が部屋に溢れかえっていないか少し心配だけど。自撮りは好きじゃないらしいのに謎自撮りをあげてくれたりすることろも推せるなって思うよ。
でもね、例えば「地方から来ました!」って言うとさ、みんな「わ、ありがとうございます〜」って言ってくれるじゃないですか。いや有難いよ、有難いしこっちが好きでやってることだからそんな言及することじゃないけどさ。そんな遠くから来てくれるファンが自分にもいるんだなってホクホクしてくれてるかどうかは分からないけどさ。
君に一目会うためにさ、こっちは朝早く起きて、または深夜に夜行バス乗って、お尻や背中や腰をバキバキにしつつ東京に着いて、バスじゃよく眠れないから寝不足で頭グワングワンさせながら東京歩いて、早朝とかに着くと時間有り余るから体調不良の状態で漫喫やらマックやらでうずくまりながら時間潰して、知らない道を地図頼りに歩いて、イベントや舞台が終わればまたすぐ長い時間公共交通機関に揺られて帰るんだ。腰背部はマジギレ寸前だしお尻は怒りを通り越して呆れてる。そんな感じ。家に着く頃には体はボロボロ。でも次の日は普通に仕事だったりして。
「遠くからありがとうございます」って言ってくれてありがとう。でも、本当にそう思ってる?私がお金や魔法を使って楽にピョーイと東京に来たと思ってない?なんだかんだ地方から来てるんだって実感わいてないでしょ?いやそれはまあ仕方ないとこもあると思うんだけどさ。
私は君がイベントとか舞台とか、誠実に、真面目に、喜んでやってくれてると当たり前に思ってるし。推しは私たちファンがプレゼントとかチケット確保とか、好きでやってくれてるというだけでその裏苦労してお金注ぎ込んでるとまでは多分思ってない。
見てないだろうけど見てるか。推し。君に何千円も何万円も使うことが当たり前じゃねえからな。日々死にたい死にたいと思いながら働いたお金を君に投資しているんだ。時間を体力を、君に使ってるんだ。分かってるのか。意識してくれてるのか。君は人間だし、何なら私たちも人間だ。君と同じようにバックグラウンドがあって今の生活がある。例え無意識だとしても、「自分にお金をかけてくれる人たち」という認識で、括りで、見ないでくれ。それはそんな簡単なことじゃないんだ。大変で難しくて、でも君にその価値があると信じてるからやってるんだ。
けどこれが全てファンのワガママだというのは重々理解している。
私たちからすれば推し1人へ向ける意識だけど、推しからすれば何百人のファンのバックグラウンドを理解しろだなんて酷な話だ。一体どれだけの人の生活を背負えばいいのって話になる。
そしてファンも推しも出来るだけ綺麗な部分だけを見せ合いたいと思ってる。そんなデュエルの中で、裏の泥臭い部分も察して労われよ、なんて無理難題。
推しを心労で潰したいわけでは毛頭ないのに、心のどこかで駄々をこねる自分がいてしまう。
推しよ、一つだけ、一つだけ忘れないでいてほしい。知ってほしい。
スカイツリーや浅草が近くにあるからかその辺りに観光しに行くババア集団を通勤中よく見かける。
80%はめかしこんだババアオンリーのグループだけど、たまにジジイが紛れてる時がある。
でもジジイは大体一人か二人でババアに囲まれて嬉しそうにしてる。
あと大体ハゲだ。
電車の中のババア集団よりうるさい生き物はこの世に存在しないので奴らの会話はよーく聞こえてくるけど、ハゲはそのババアの誰かの夫というわけではないよう。
そもそもどういう集まりかわからないのでハゲがどんな役割なのかは知らないが、○○さん○○さんとやたらとババア達に慕われてるケースが多い。
それにしてもババア達に慕われるハゲの生き生きとした顔ときたら。
はっきりと言って羨ましいの一言だ。
同じ電車で抱えたリュックと同じくらいグッタリとくたびれたサラリーマンや、手に持ったスマフォのLINE開きっぱなしで個人情報駄々漏らししながら居眠りしてるOLにその精気を分けてやってほしい。
あのハゲ達がどんな人生を歩んできたかは知らないが、これだけは言える。今の日本にいる数少ない勝ち組の高齢者だろうと。
もしかしたら電車の中ではキラキラしてるか、実生活はゴミ屋敷暮らしで…という可能性もあるかもしれない。
でもそれはそれで構わないじゃないか。昼間から女性(ババアでも)に囲まれて色んなことに挑戦してる。
家にこもってソファに張り付いてテレビに怒鳴ってるうちの祖父に比べれば500倍はまし。
女性でさえ、30年後にはキャッキャとはしゃいで外に出る元気がなくなっているんじゃなかろうか。
もう人事異動とか転勤とかやめようよ。
営業は一生営業、新宿営業所勤務なら一生新宿営業所勤務で良いじゃん。
専門性が高まって、生活も安定して仕事に専念できる、それに何の文句があるんだよ。
異動すんのは希望者だけで良いじゃん。
来たら来たで、やったこともない生産管理やらされるし、引継ぎなんて形だけだし。
職場って視点で見たとき、前任者レベルの仕事の質に戻るのに何年かかんだよって話だろ。
おまけに家族と離れて、糞田舎の糞汚い寮に押し込まれて、モチベーション駄々下がり。
そりゃ前任者が退職したとか、前の職場は縮小するとかなら多少は我慢もできるよ。
でも実際の理由は、「5年経ったからローテーション」とか、馬鹿かよ。
海外見てみろよ。
たいした理由もなく無関係の職種や勤務地を無理やり変えるなんてしねーよ。
みんな、特定の職種かその近い職種を続けることで専門性高めてるし、単身赴任なんて馬鹿げたことせず住みたい場所に住んでんだよ。
若新雄純のことですね。
発起人の若新雄純のことですか?私は若新じゃないのでわからないです。営業トークがむちゃくちゃうまいので大学内でうまくやったんだと思います。
儲かるとは思っていなかったけど、楽しく少しでも稼げるかな?と思ったけどでかい声の基○外が暴れてるだけで嫌になって辞めました。
ネットで話の通じない人ってたまに見かけるじゃん?
物理的なことで言えば、満員電車が嫌で暴れて取り押さえに来た係員に噛み付いたりするような人が在籍しています。ちなみにその人は生活保護受給者です。
ニー株に入れば実感できますよ!体験したければ二次募集でぜひ入社を!
まともな人達とは仲良くなれましたよ。基◯外とは相容れないですが。
まともな人が減って基◯外濃度が凝縮されてきたので2次募集で薄めようとしてるけど更に濃くなる可能性大。
ニートのふりした個人事業主やフリーターが集まって、「オレは普通のニートとは違うぜ!」ってマウントとる会社
初期:
・入社時に6000円で株を購入
・税金や維持費などは稼いだ金の一部で賄う
現在:
・現代表取締役の1人が駄々をこねたので稼いだ金は会社に入れない
・税金やら維持費やらがなくなる(元から誰も稼いでないからないけど)ので毎年全員3000円の会費を払う
レンタルニートのことですね。本人はいると言っていますが実際はどうなんでしょうね
ちなみにあの客引きは千代田区の条例違反で見かけたら通報しちゃってOKです
立ち上げた当初は話題性もあり様々な企業からコラボ依頼が来ました。
例えばリクルートの開発したアプリをニー株がプロデュースするというコラボがありましたが、あまりのダメっぷりにリクルートがなかったことにしたため、現在は他社の記事がかろうじて出てくるだけです。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/140207/prl1402071608066-n1.htm
会社からの命令で働くということはありえません。全員が取締役なので一応全員が対等な立場のためです。
上記のような他社からの依頼があった場合は社内でやりたい人が手を上げるといった感じでした。
最初に仕事をくれた会社も一度関わってフェードアウトしていきました
まさにこのとおりです。
最初は面白がって声がかかってきたのですが、関わると皆さんフェードアウトしていきます。
全員対等で始まったはずがいつの間にかマウント取り出すやつが出てくるんです
烏合を集めたらゴミ溜めになったという話です
まとめブログの人はこの内容をまとめたら1PVにつき1円をニー株被害者の会に寄付して下さい
「迷惑防止条例違反等に該当するおそれのある行為が散見されており、予断を許さない状況です」
いじめ…
う…頭が
詳細はNEET株のwikipediaを参照してください。リアルねこあつめなど様々な不祥事があります。
ニートは精神障害でもないし、ニー株は自助グループでもないし、なんでその話持ってくるのか。
口だけは達者
「働けるけど働かないだけ」と思いこんでるやつしか来ませんでした。ニートに市場価格の数倍するクソ高い名刺を売りつける業者もメンバーの一人でした。不思議なことに購入している人が多かった気がします。ニートは情弱なのでしょうか。
世の中には福祉が必要な人もいます。ニート株は働いている人たちばかりで、真性ニートは少数派でしたが、重要なのは福祉が必要な人と不必要な人を同じコミュニティに入れないことです。
知りません。よろしければ詳しく教えてください。
ほとんどが本職持ってての冷やかし参加なので面白半分のネタっていうのは当たっています。自営業者が営業のために来て自家製名刺の販売をしたり、若新にお近づきになるために来た人も何人かいました。
仲さま?大吟醸?どっちの放送にしろ時間とギガの無駄遣いは早めにやめたほうがいいです。
内部を見世物にする基○外動物園的事業の話はありましたが「オレはまともだ」と思ってる人たちから猛反対にあいました。
こういう「じゃあこういうのやればいいじゃん!」といった自称アイディアマンはニー株にたくさんいました。懐かしいです。
ニー株では唯一の議決権を持つ株主となりました。外では何をやってるのかはよくわかりません。地方創生やタレントなどいろいろやっているようです。
全員が対等に自由を謳歌して、全員が対等に責任を放棄する会社です
54人かな
大企業の上位職ならマウントをとるのも分かる。そこに行き着くまでに普通の人より何かしら秀でていたと思うから。
でも、ニー株でマウンティングする人は実績もたいしたことない、むしろ「お前らよりすごい」と思い込みだけでマウントとる質の悪さ。
隠れマウンティング探しなら、二次募集用SNSを覗いてみるのがオススメ。言動でやばいやつすぐ分かる。
でも作った本人は覗いてないからフィルター掛かる前に全員入社させちゃうんだろうな。
お前がカネだけもらって消費したいだけだろ!自分もだが
議決権を持つ者が若新一人になったため、それもできなくなりました。
初対面のニー株メンバーの女性に「俺の子供を身ごもれ」とセクハラしたり、穴兄弟の疑惑あったり・・・
ビル建てるらしいですね。住みたいです。
私も子供達が産まれたばかりの頃は、まとまった睡眠時間が一時間半を超えない日々が続いてふらふらだったなぁ。でもそれなりに辛かったけど、夫を怨むような事にはならなかった。
というのも、細切れ短睡眠しか出来なかったものの、定刻に起床してこなさなければならない用事が基本的に無い、というもしかすると特殊な家庭環境だったからなんだと思う。
何でそういう家庭環境なのかは説明すると長くなりそうなので適当に流すけど、要は夫の仕事の関係、自分が無職であったこと、そして就園就学した子供はいなかった事によってそういう環境となっていた。
前夜どんなに眠れなくても、絶対に何時までに起きてしなければならない事があるのでなければ、そんなにイライラはしないのだ。眠いのは眠いけど。滅茶苦茶眠かったけど。
日中は母子だけで過ごしていたが、同居人が誰もいないって、家事を手伝ってもらえないのは痛いけれど、一日中パジャマで赤子と一緒にゴロゴロして、僅か数分でも自分のタイミングでうたた寝が出来、思い出した頃にカロリーメイトとか酷いと食パンだけみたいないい加減な食事をモゴモゴ頬張りながら、おっぱいをさらけ出し赤子に授乳したり、うんちのオムツ替えたり、などという事をしていても、誰も何も言わないし見ていないというのはとても気楽だった。
勿論誰も何も言わないのをいいことに掃除や溜まった洗い物の片付けは完全に放棄していた。
どう見ても、人として最低限の健康的文化的生活レベルを大幅に下回る動物に近い生活だった。
夫は元々すぼらであまり色々な事を気にしない人なので、帰宅したら電気も点いていないくっそ汚い部屋の敷きっぱなしの布団に妻子が転がって爆睡していても平気だったし、休日は私と子供と一緒になってごろごろぐうたらしまくっていた。
人間並みの生活ではなかったけれども、あの頃は私達家族にとっては幸せな時期だったと思う。
今では上の子が幼稚園児で、下の子は3歳で遊び盛り。子供達は徐々に手がかからなくなっていっているけれども、上の子の入園以来、しんどさは増す一方だ。
まず第一に、夜中に下の子が何度目を覚まして愚図っても、朝は6時には起きて家事を始めないといけないし、どんなに子供達が駄々をこねても予定通りに送迎や色々な用事をこなさないといけない。
外に出て人に会わなければならない事も多いから、忙しくても自分の身繕いもしなければならない。抜かれば、心配という体でダメ出しや嘲りを他人から受ける。こっちの事情など一切汲まないクソバイスのシャワーを浴びせられるのも日常だ。
自分自身の意識も、産後の朦朧がすっかり消え去ってクリアなぶん、細かい事が一々気になる様になった。自分の中の要求水準が上がっている。何が何でも人並みの暮らしがしたい、いやするべきだ、と思ってしまう。
つくづく、人間の子育てが辛いのは人間らしく生きたいという欲があるせいであり、動物並のクオリティまで落とせればそこまで苦しいものではないんだなと思う。
子供のうんちも寝ゲロも舐めて処理するだけでおKなら洗濯物も出ないし楽チンだ。そんなこと出来っこないけれど。
しかし、夫を含め誰かに色々な事をして貰うこともいいけど、逆にすることを減らす、可能な限り人間らしさを捨てていって、最低すれすれの状態を家族で適当に過ごしてみるというのも一つの手だと私は思うのだ。
成り立たないことをきっちり説明してやったのに「理屈なんか関係なく成り立つったら成り立つもん!」と駄々をこねるだけで
「商品名だと思っていた」という勘違いへの批判も、「リンクを張ればその記事に同意したということ」という詭弁への批判も無視か。
なーにが「ということにしてやるよ」だよw だっせえなw
たとえばAppleが新旧モデルに便宜的に名前を付けているというとこういうページもあるけど
https://www.apple.com/jp/shop/browse/home/specialdeals/mac
これ見たら「13.3インチMacbook Pro 2.9GHzデュアルコアIntel Core i5 Retinaディスプレイモデル - スペースグレイってなんてダサい名前なんだ!」って言っちゃうの? ねえねえ?
ふと気づいたのだが、ネットで声のデカいこれらのアホはあまりにも思考回路が似通っている。
よってひとまとめにしてひとつの病状で言い表されるべきだ。
実際、層は近いと言うどころじゃなく被っていることだろう。
非モテ、ラノベ、ネトウヨ病の一般的な症状は、「客観的に見れば欠点がすぐわかる自分(の好きなもの)を、とにかく現状はまったく変えないままで屁理屈だけで他人に認めさせようとする」ところにある。
自分でも萌えや燃えくらいの評価しかできないのにラノベを芸術として認めろとか言い出す。
他国を批判するときは人権や平等性の問題点を理解できるのに、日本が批判されると「それの何が悪い」「ここは日本だ」で通して恥じもしない。
子供の駄々と言えばそれまでだが、匿名インターネットでいい加減に放言できることを差し引いても度が過ぎている。
無責任に唱え続けるうちに、自分でもそれが正しいと無根拠に信じ始めているのだろう。
だから、改めて「客観的にわかる欠点」を問われると、ただ発狂する。
こういう話を思い立ったのも、ネットの某所で久々に、相も変わらぬ「文学だって昔は低俗だった」論を壊れた機械のように繰り返している非・ラ・ネ病者を見かけたからなのだが、その「低俗だった」小説を東大卒のインテリがよってたかって批評し、創作し、芸術性を証明したからこその今日の文学だというだけの話を何故理解できないのだろう?
文学だけではない。
かつて低俗とされ今はそれなりの地位を築いたものは全てその初期に「これは読む(見る)価値のあるものだと証明してやる」と意気込んだ先人が、科学考証を緻密にしたり、作画、芝居、ストーリーテリングの隅々にまで拘って、作品の力そのもので世の中に価値を認めさせてきた結果である。
断っておくが自分自身は、90年代のラノベに退屈な既存文学のオルタナティブになるパンクな文学の萌芽を見たものである。
しかしそれらを感じさせた作家も消え、ラノベは当時よりももっと「ライト」な、消費材としての物語を量産し続けている。
何が悪かったのか?
時代が悪かったのか?
失われた20年とやらの、国全体がネトウヨじみた、いじけた空気に包まれている時代に生まれてしまったから、ラノベもいじけるしかなかったのか?
世が世なら、昭和の漫画、アニメのように負けん気の強い先人が「子供向けのラノベでも芸術性のある作品が作れるんだって証明してやる」と心血を込めて、結果子供たちを熱狂させ、延いては大人にも読まれるような作品を書くことになったのか?
はたまた、出版社主導で、何ヶ月に一冊きっちり出版計画を立てて乱発すると言う、あまりに余裕のない制作体勢のなせる業か。
なんにせよ、こんな志のない作品群が先達たちのように芸術的と認められる未来などというものは、万に一つもあり得ない。
ミソジニストの非モテがモテること、レイシストのままの日本が世界に認められることと同様に。
彼らがかような恥知らずな言動を常態化させてしまった背景には、匿名文化のいい加減な事を言いっぱなしにできる特性が一因としてあることには疑いがない。
さらにネットは、大多数の読者が「くだらない」と思っている事実も覆い隠す効果がある。
「くだらない」戯れ言を世界に発信し、ごく少数の生真面目な読者がそれに反論することで、彼らはそれが「議論に値する」意見であるかのように錯覚する。
いくら自分自身でもどう考えても「くだらない」はずの放言でも、そう彼らは錯覚している。
だから脳機能を正常に作動させて、自分自身の言ってることを客観的に見直すことができない。
客観的にものを見れば、横柄な男は嫌われ、低俗な小説もどきが芸術として相手にされず、人命を軽んじる国が世界から歴史から認められるはずがないのは、「考えれば」などという言葉を使うことすら大げさに感じるほど当たり前に認識できる。
それができないのはまさしく病気であって、これら非モテ・ラノベ・ネトウヨ論者に共通する病状こそ現代日本に蔓延った根本の病を顕著に代表するものであると考えられる。
海外のテック記事で「同じことを繰り返しながら違う結果を期待するものを狂人と呼ぶなら、それはソニー(の携帯事業)のことだろう」という批評を読んだことがある。
この前半はアインシュタインの言葉とされる名言らしいが(違うらしいが)、ともあれ、これはソニーのみならず現代の日本を覆う理不尽な空気をもっとも正しく表す言葉だろう。
いつ、それに本当に気づけるのか。
少し前の話だが、ばあちゃんが死んだ。
ばあちゃんと言っても血は繋がっていない。隣に住んでるばあちゃんだ。
うちは母子家庭で、当時40になったくらいの母さんと、小学生のおれと、弟の3人家族だった。
まぁ母さん一人の稼ぎじゃもちろん裕福ではなく、地味な暮らしをしてた。
小学生だった俺ら兄弟はまだ金の使い方も知らなくて、友達の持ってるゲーム機とか、はやりのソフト、
カードゲームなんかをいいなぁと思いながら、ま~子どもと言ってもその辺の雰囲気は分かるから、
いい子ちゃんしてわがままもそんな言わなかった(小学1年の弟はまぁまぁ駄々をこねてたけど)。
それより俺らがしんどかったのは、母さんが全然家にいないことだった。
小4と言ってもまだまだ子どもなので、寂しいは寂しい。
朝俺らを送り出して仕事にいく母さんは、9時10時まで帰ってこなかった。
そうなると俺は小1の弟を放っておけないから家に居がちになるし、夜はどうしても家で2人ぼっちになって、
母さんが作ってってくれたご飯やら買っておいてくれたパンやらを食べて、テレビを見たり2人で小突きあって時間を過ごした。
そんな俺らに救世主が現れた。隣の家のばあちゃんだ。いま思えば60代前半のばあちゃんは
「おばあさん」ていう歳ではなかったのかもしれないが、俺らはばあちゃんて呼んでた。
ばあちゃんとじいちゃんは、月4万5千円のボロ戸建てに住む俺らの家の隣の、それなりに広くてきれいな一軒家にずっと2人だけで住んでた。
日本家屋って感じの畳部屋ばっかの家で、中庭があってっていう少し広めの家だ。2人の子どももいたけど、あまり見かけたことはない。
ばあちゃんとの出会いは、笑っちゃうんだけど、柿どろぼうだった。
ばあちゃん家の庭には大きな木が何本かあって、中でも2階以上の高さの柿の木は、毎年沢山実をつける。
俺らは塀越しに手を伸ばして棒とか使ってとってたんだけど、ある時、「上の方のならもっと獲っても気づかれなくね?」
ってなって、こっそり隣の庭に入って木に登って獲ってたんだ(普通にDQNだな)。
ガラって音がして家の窓が開いて、あ、ヤバイってそっちを見たら、にこにこしたばあちゃんが顔を出して、「おとなりの●●くんと●●くんね」って言われた。
俺らは怒られるものとばっかり思ってたから拍子抜けして、「こ、こんにちわ~」って間の抜けた返事しかできなくて、
そしたらばあちゃんが「柿が好きなの?沢山持って帰りなさいね」って。
「え、いいんですか?」って聞いたら「私たちだけじゃ食べられないし、木にも登れないから、窓から手が届くところ以外は鳥のえさなの。
だったら沢山食べてもらった方が柿も喜ぶからね。お母さんに持ってってあげて」って言った。
緊張が解けてどっと安心して、ずうずうしく「あざ~す」みたいにそのまま沢山とって、ばあちゃんがくれたビニール袋に入れて持って帰った。
夜に母さんがたくさんの柿を見て驚いて、勝手に入っちゃったけど怒って無かったよって言ったら、ちゃんと謝ってこい!って怒られた。
翌日母さんに持たされたりんご持って謝りに行ったら、「そんなことよりうちにあがんなさいよ。蒸しパン沢山作ったのよ」
って言われて、またほいほい中に入って食わせてもらった。
それをきっかけにお隣によく上がりこむようになって、ご飯だのお菓子だの沢山食わせてもらった。
一度、「柿盗んでた時なんで怒んなかったの?」って聞いたら、「うちにはもう息子たちも寄り付かなくって孫にも中々会えないから、
何かあの木に登ってるところ見たら嬉しくなっちゃった」って言ってた。
今思うと、ばあちゃんも寂しかったのかもしれないし、何より隣だから母さんは母子家庭だってことを話してたと思うし、
ばあちゃんは俺らが2人だけで家で過ごしてることとか、うちがあんまり裕福じゃないこととかもわかった上でそう言ってくれたのかなぁって思う。
チビだった弟はことさらばあちゃんになついて、子犬みたいにばあちゃんの近くをうろうろしてた。
多分話を沢山聞いてもらえることとか、すごいねえらいねって褒めてもらえることとかが嬉しかったし、やさしいばあちゃんが好きだったんだと思う。
家庭環境からお察しだが、今まで周りにじっくり話を聞いてくれる大人なんかいなかったから。
そんなこんなでばあちゃんには沢山世話になって、俺が高校入って部活に精を出したり、
弟も大人びてきて友達と外で遊んでばっかりだったりして通う頻度は減ったけど、ばあちゃんは変わらず俺らを可愛がってくれてた。
ばあちゃん家に呼ばれた日のご飯は育ち盛りのおれらを意識して、どんどん肉が盛り込まれ、量もすごいことになってた。
夏は庭で花火をして、すいかやトマトやらきゅうりやらを冷やしながら食べた。
(もちろん、じいちゃんも色々世話をやいてくれたし、ばあちゃんがそんだけ俺らに手をかけてくれたのもじいちゃんの広い心のたまものだと思うからめちゃくちゃ感謝はしてる)
そんな時だった。ばあちゃんが脳溢血で倒れて、後遺症からじいちゃん一人では世話が難しく、しばらく入院した後施設に入ることになった。
俺らは病院へお見舞いに行ったりしたけど施設となるとなかなか行きづらく、
施設も遠くて、大学に入って日常生活がにぎやかに忙しくなっていた俺は自然と疎遠になってしまっていた。
弟はたまにお見舞いに行ってたみたいだ。
そこから2年ほどで、ばあちゃんが死んだという知らせがきた。
母さんから電話でその知らせを受けて、俺は泣きだしてしまった。でも、泣き出してしまった自分に驚いた。
なぜなら遠くに住んでた方のじいちゃんが死んだ時は、葬式では少し涙ぐんだが、こんなに泣いたりはしなかったからだ。
堰を切ったように自然と涙がボロボロ出てきて、ああ、家族が死んだんだ、もう会えないんだっていう寂しさつらさがガーって襲ってきた。
急いで家に帰ったら、同じく飛んで帰ってきた弟がいて、顔を合わせた瞬間またボロボロ泣いて、
「にいちゃんばあちゃんが死んじゃった」って子どもみたいに泣いてて、ああ、こいつも同じなんだなって思った。
通夜にも告別式にも出た俺らはあちゃんばあちゃんってボロボロ泣いて、花入れて出棺する時はことさら泣いた。
しわくちゃになったばあちゃんが、穏かな顔で寝てるみたいで、手を触っても硬くてひんやりしてて、たまらない気持ちでいっぱいだった。
実際の孫たち(もちろん顔見知りではあった)はそこまで泣いておらず、
じいちゃんは、俺らのそんな様子を見て、「ありがとうな…」って涙ぐんでた。
ばあちゃんがいない喪失感は大きく、何か実感がわかないなぁってしばらく思ってた。
ばあちゃんは俺らの本当のばあちゃんだったよ。沢山可愛がってくれたばあちゃんは、本当のばあちゃん以上に俺と弟のばあちゃんだった。
血のつながりも大事だ。だけど人と人の絆には、血縁は関係ないと思う。
一緒に過ごした時間や思い出が多ければ多いほど、繋がれるものなんだと思う。
だから、俺らとばあちゃんを一緒に過ごさせてくれた全部と、ばあちゃん本人に感謝してる。
ばあちゃん、愛して育んでくれて、ありがとう。
原作改変にあたり、いくつかの根回し方として
原作者が執筆中に、かつアニメ化決定の前年までにはTwitterでエロゲ風のルート分岐やパラレルなどのうちのひとつであることを匂わせる、
アニメ制作決定の段階で協議の末原作者了承のもと世界観に広がりを与えるためにシナリオ変更をすることにしたとはっきり言うこと、
などなどが必要
それをせずにいきなりルート変更をする場合、概ね原作者が根回しできなかったり円盤売れなくても知りませーんとかいうバカか、製作委員会にいる一度言い出したら融通の利かないバカか、スケ圧迫でどうやっても消化できないから別ルートに逃げざるを得ないアニメ制作会社のバカか、いちいち原作改変ごときでぴーぴーおもちゃ屋で駄々こねるガキみたいに発狂するバカのどれか(複数回答可)が問題を起こしている。
ちなみにそのアニメは知らん。
所詮はモテない女やモテない男が自分が不細工で性格も悪くて性根が腐りきってるからモテないってのを社会のせいにしてるだけだろ?
世の一般大多数の方々からすれば、いきなり女のケツや胸を揉んでも問題ない権利が認められた社会だとか、いきなり男を逆レ〇プしても文句言われないアマゾネスのごとき権利が認められた社会なんて求めてねーからな、ポリコレ棒振り回す方々の話聞いてたら、まるでそれを求めてるかのような物言いだけど
こういうのが劣等感と承認欲求拗らせて、最後はエコテロリストみたいな系統のポリコレテロリスト組織とかになっていくんだろうなって考えると、迷惑極まりないから男も女もどっちも消えてくれと思うわ
顔が不細工ならなら仮〇ライダーみたいに顔面を中心に整形外科で改造手術でも受ければ?コミュ力がないのなら精神科で催眠療法でも受けて芸能人崩れのギャル男みたいな性格に替えてもらえば?
所詮テメーらは自分らがすべき当然の努力やわきまえに納得いかないから、社会が悪いと駄々こねてるだけの「クソガキ」なんだよ
この天下泰平の法治国家日本だからなあなあで許されてるが、同じことアフリカや中東の紛争地帯で叫んで来いよ、ハチの巣にされてるわっての
なんでうちの奥さんは怒ると子供みたいにキャーキャー感情を爆発させるんだろう。自分には兄弟もいないし喧嘩には縁のない生活をしてきたから、PMS的なものなのか、性格的なものなのかなんだかよくわからないんだよなぁ…。
口論しているときって、ケンカ腰になったり怒鳴ったり無口になったりそういうのはよくあると思うんだけど、奥さんは「うるさい!うるさい!」とか「やだやだー!」って幼児が駄々をこねてるときみたいに叫ぶから凄く怖い。
将来が不安だ。
こんなこと言ったら避難されるのはわかっているけど、TENNさんって人は卑怯だと思う。
遺書には、自分からの謝罪と相手を許すようなことが書いているけど、それで死ぬのって確実に当て付けだよね?
自分から気持ちが離れた人をそこまでして縛り付けるのって、とても卑怯だと思う。
不倫は間違いなく悪いし上原多香子をフォローするつもりもないけど、自分がかつて愛した人なんだから自分への気持ちが離れたなら、せめて少しでもこれからを幸せになって欲しいと願うものじゃないかな?
ぼくは妻が不倫したら嫌だけど、離れた気持ちはどうしようもないから素直に別れるよ。相手の男にも怒るし慰謝料も取るかもしれないけど、少なくとも駄々はこねないよ。
それが普通じゃないのかな?
とりあえず現状日本では「キモくて金のないオッサン」(こういう表現好きじゃないけれど)というのはどこに存在するかと言うと、
☆☆☆ここ!☆☆☆
くらいじゃないかなと思ってるんですけど。ものすごくざっくりしているし、男性同性愛者と女性同性愛者の違いや個人差、場合によって違いがあるのはちょっと目をつぶっていただくとして、それでもいわゆる弱者男性とされる人たちは結構上の方に行くのでは。
多分弱者男性(と主張する人たち)は自分たちはもっと下にいるし女尊男卑と認識しているから話がおかしくなっているのでないだろうか。
日本では女性と男性の賃金にかなりの差があるのはもうご承知の通り。管理職も女性はぐっと少なくなる。議員数も言わずもがな。能力の差だと思われるだろうが、子持ちの女性議員が結構バッシングされているのをはてブでも見たのでは。妊娠すれば仕事はなくなり、母になれば正社員に就くのも難しい。映画館などのレディースデーとかはそれを見て女性でも来やすいようにっていう配慮だったけど性差別との声があったのか今ではほとんど見ない。誰でも割かメンズデーが併設されているのが大体だろう。
女性専用車両は?あれは痴漢が多すぎるから出来たものであって、本来ならそんなものない方がいいに決まっている。こんなやり方でしか解決できませんなんて恥ずかしすぎる。それに男性専用車両も作るなら反対しませんと大方の女性はアンケートで答えているはず。なのに男性専用車両が出来ないのはこれは鉄道会社の責任で女性のせいではない。なのに女性専用車両にわざわざやってきて怒鳴り散らし、その様子をご丁寧に動画にアップしている馬鹿もいる。その情熱をもっとどこかに費やしてください。
女性ホームレスはいないじゃないか。そりゃレイプの危険性があるからだよちょっと考えたらわかるでしょう。
男性の方が自殺率が高いのは。これも印象だけで語ってはいけないと思うが、やはり今までの価値観だと男性が家や社会を支えなくては、というような世界だからではないか。その価値観を壊したらもっと生きやすくなるかもしれない。
エマワトソンの該当発言を読んでいないのだが、フェミニズムに少し足を踏み入れた私の視点から言うと、「キモい」(かなり主観入りすぎてそもそも基準がわからない)とか「お金がない」(私もない)とか「童貞あるいは恋愛経験少ない」(以下同文)みたいな属性で誰かを排除するのはやめよう、それに当てはまる人も、そういう属性がマイナス要素に傾いている、他人は自分を嫌がっていると勝手な価値観で落ち込むのも良くないよ、誰もそこまで気にしてないよ、少なくとも私は、というのが恐らく彼女の言いたいことだと思う。私もそう思う。
エマが付き合うのはみんないい男の金のある男だ!ってそりゃ彼女がいるのは俳優界なんだから同業者やそれに近い人間とどうしても付き合いが増えるからでしょう。社内恋愛と同じと誰かが言っていたが言い得て妙だと思う。わざわざお恵みでまったく知らない男と付き合えセックスしろと言う主張はさすがにみっともなくないか。
男女が付き合わなくては、結婚しなくては勝ち組ではないという呪いから解放された私はとりあえず今のところ楽にはなった。お金はないけど趣味は出来るしなんとか生きてる。
弱者男性の主張をあまり読んでなくて申し訳ないが、貧困や経済格差はなんとかしなくてはいけない。誰であれ貧窮した時や困った時に誰かに助けを求めるのは恥ずかしいことではない。恋愛経験の多寡で差別することはおかしい。姿形の良し悪しなんて主観に基づいたものは無視していい。もちろんそう簡単にはいかないだろうが、これではダメなんだろうか。自分の価値観は自分で壊すしかない。他人の目とか幻想だ。
いわゆる勝ち組男性(とされる人たち)が饅頭三個、弱者男性が饅頭二個を持っているとして、その他の人は饅頭なかったから少しずつでいいから一個ずつ分けてね、というのが現在や少し前の話だと思う。勝ち組男性がそれでも二個持ってるの変だからそこも改善していきたいね、という話をしているのに、弱者男性と叫ぶ人たちは、不当だ!俺たちの饅頭なのに!ずるい!ひとかけらだってやるもんか!と駄々をこねているように見えているんだ。
キモくて金のないオッサンとやらが嫌がられているのはキモいからでも金がないからでも年を取ったからでもなく、充分権力を得ているのに自分が弱者ですと哀れっぽく叫び、まだ自分の権利は足りてないんですくださいと言っているからではないか?しかも大体の場合こういうことを言う人は自分たちより弱い人間のことを口汚く罵っていることが多いので嫌気が差しているのだと思っていた。
うまく書けたかわからないけれど私はこう考えている。色々穴があって申し訳ない。
トラバが案の定文章読めてなさすぎて笑った。貧困をなんとかするのはそれはもちろんみんなでやってかなくちゃいけない社会の問題。私にキレてもなんもならんよ。私もお金ないもん。みんなそれぞれしんどい。だからそれをみんなで考えよう、公的な支援が必要ならそれをもらいやすくしよう、楽になるようにしようねという時にいちゃもんつけるのはだいたい弱者男性を名乗るidだった気がするが。
多数の怪我人が出てる時の災害時のトリアージを思い浮かべてね。より重傷の人から治療するのは道理ではないか。あなた方のやってるのは、血まみれで死にそうな人間を治療している時に、ほんのかすり傷の人間が「こっちが先だ!こっちの方がつらい!お前が痛かろうがこっちだって痛いんだよ!どうせそんなの詐病だろ!」とわめく行為だと思うよ。
文句言うべきは社会であってフェミニスト(を名乗るのはとても恐れ多いくらいだし自称したことは一度もないが)にいちいち絡みに行ってお前らは俺たちのことを無視してる!攻撃してる!って被害妄想すぎてみっともない。