はてなキーワード: 賢明とは
そうなのか。他人が彼自身の生まれや地域をdisってるだけで、増田のそれとは一切関係ないのに、それでも気分を害するのか?
その感覚は全然ピンとこない…。なんでだろう?感受性の問題?「人はみな家族や故郷をリスペクトするべきである」という信念を持ってる?
これについては、東京や海外に出てそれなりの環境に身を置くと、周りの人がみんなそのタイプになるので、劣等感が強まるというのはあるよ。
横だけど、自分が育ったところや家族をここまで悪く書いてるの見たら気分は悪いでしょ。
他の人は本人良ければそれでよし、ってスタンスみたいだけど。
例えばこの親が暴力しまくったとか、元増田に金を無心してる、とかなら同情するけど、
この場合、怒りっぽいってくらいで、直接元増田に害を与えてるわけでもないし、
博士まで援助してくれたんでしょ?(どこまで援助してもらったかは分からないけど、"金銭的に十二分な援助をしてくれた"とはあるし。)
怒りっぽいって言っても、もう定年過ぎる年齢なら、例え若いころ賢明だった人でも急にちょっとおかしくなって
怒りっぽくなることもあるし、ある程度は仕方ないこと。
妹だって一応働いてるんだから、そこまで悪いわけでもなかろうし。
そう考えると、なんか、自分だけ立派に育って、育ててくれたことを感謝してるとは言ってるものの、そんなことは関係なく
うちも親父は定年近くで、最近ちょっとおかしな事言うようになってきたかな、とかやけに頑固になったな、とは思うけど、
それに対してこんな風に家族を否定する事は絶対しない。
なんだろ、みんなそんな酷い家庭環境で育ってきたのかな?(少なくともこの元増田の環境はそれほど悪いとは思えないけど...)
変更を厳しくするなんて処置より、
増して社会的属性や犯罪歴を隠ぺいするようなツールを与えるべきではない、
日本人と同様に遇するのはムリです。それは差別と対立をあおってるだけですよ。
通名は一律禁止にし、制度上朝鮮・韓国人はアンフェアな商取引や社会的振る舞いが出来なくなった。
優遇措置は欲しい、でも区別はされたくない。そんなのはムリです。
それが続く以上、在日っていう属性にはそれなりの扱いを日本人はするしかない。
それだけのお話でしょう。報道も併記が基本になっていくだろうしね。
一人の社員がAndroidアプリのプロトタイプ作成に手を挙げます。
彼はなんとか自力でHackして仕様を満たせるよう努力しました。
そんな折、彼に信じがたい言葉を投げかける人がいました。
「まず報告しろ。」
たしかに、彼は報告を怠った。それは社会人としてあるまじき行為だった。
叱責や処罰の対象だろうか?
私は、そうは思わない。
「よちよち歩きでOKでちゅよ」
これはPerlの父、Larry Wallの言葉だ。
我々は、いつでも好奇心と研究心を歓迎するし、真に自由を愛している。
そういうとキチガイじみているが、狂気とmoralの境目くらいは認識している。
私はYellow Hackerだ。
黄色は警告の色だ。
私は警告する。
そのやり方は正しくないし、賢明でもないし、"The Answer"でもない。
それが私の唯一の答えであり、ドンキホーテのように立ち向かった証でもある。
最後に一つだけ。
プログラマー諸君、元気を出して働こう。
人間だ。
Because we are human beings.
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あなたは何もわかってない。
http://anond.hatelabo.jp/20130720072435
先日読んだある山月記の評論では、「李徴が虎になったのは虫がよすぎる。人間であった時の所業を反省するなら、それこそ虫けらにでもなるべきだった」とか、「もし袁參ではなく妻子と出会っていても妻子のことより詩業のことを先に気にかけるだろうか」とか、「どうして虎としての最初の体験が兎を食うのでなく人間を食っていた方が衝撃度が大きくて面白いのに」とか無責任に書き放ってあった。
読んでいて面白い発想であるとは思ったが、かなりこいつは歪んでいる、こいつこそハイエナが何かになってしまえなどど思った。
これらの設定は、元にした『人虎伝』を踏襲しているので仕方がないことなのだ。
『人虎伝』にはなくて『山月記』に書き加えられているものである。
一つ目は、依頼の順番が詩の伝録の次に妻子のことという順に入れ換えられていること、二つ目は、李徴が詩人になろうとしていること、三つ目は、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」の登場、四つ目は運命論である。
これら書き加えられた部分は、中島敦が『山月記』で書きたかったテーマと密接である。
そして、これらが「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」「李徴が虎になった理由」を考える糸口になる。
まず、「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」について考えよう。
妻子の事より自分の詩業を気にかけるような愛情不足や人間性の欠如という考え方がある。
本当に人の深い所から揺り動かすような作品は、作者が全てを犠牲にし命を削ってこそ始めて生まれるものである。
李徴の場合、なまじ妻子のことを気づかっているからこそ第一流の作品にならないのだと私は思う。
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」とか言っているが、結局は心理と態度の不一致、何やかんやと理由をつけて、詩業に専念しようとしない怠惰が「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」であると私は思う。
自尊心なら自尊心、羞恥心なら羞恥心を描ききれば、それはそれで第一流の作品になったのではないだろうか。
次に、「李徴が虎になった理由」について考えよう。
李徴は最後に妻子への愛情不足だと言っているが、妻子の為に詩業を諦めて再び役人になろうとしているのだから充分に愛情一本のチオビタお父さん振りを発揮している。
その前に、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と意味ありげな言葉を弄しているが、授業でも考えたようにこれを自分の詩業に当てはめて語っている部分は理路整然としているようで全く矛盾に満ちていた。
それに、「自尊心」と「羞恥心」、「心理」と「態度」など矛盾するものが同時に存在することこそ、人間が人間である証拠なのである。
それは、先週の『探偵ナイト・スクープ』の越前屋俵太の調査でも明らかである。
その矛盾が飼い太った結果虎になるというのは可笑しい。
李徴は色々考えようとするがどれ一つとして理由になっていない。
とすれば、残ったものは「理由もなく押しつけられ、理由もなく生きている生き物のさだめ」、つまり「運命」としか説明がつかない。
人間は主体的にありたい自分の意志に生きたいと思う気持ちが非常に強いので、「運命」などというものを認めようとせず、あれこれ屁理屈を考え出すのである。
項王のように全て天命のせいにし天命に逆らわずに生きる生き方をする以外、この内部矛盾から解放されることはないのである。
多くの人が気にしていた問題は、その後の李徴は人間に戻れたかという点であった。
この答えは、虎になった理由の延長線上にある。
最後に李徴が袁參に虎になった己の醜悪な姿を見せることによって、李徴は内部矛盾から解放されたありのままの自分になることができた。
もとの「臆病な自尊心」などが復活した時にこそ再び「人間」に身を落とすのである。
賢明な人はもう気がついただろう。
「虎」になることが不幸で「人間」になるのが幸福と考えるのは、思い上がったいかにも「人間」らしい発想なのだ。
「人間」とは矛盾に満ちた不条理な生き物であり、「虎」こそが純粋なありのままの自分でいられる生き物なのである。
また、最後の部分が「再びその姿を見なかった」であって「その姿を見せなかった」ではないことを指摘している人がいたが実にスルドイ。
「見せなかった」の主語は「李徴」であるが、「見なかった」の主語は袁參であり読者である。
そして、『人虎伝』にあったその後の様子を中島敦が書かなかったのも、中島敦にとって問題が解決していたからだろう。
女学校の教師を続けるか作家になるか、文学を取るのか妻子の生活を取るのか、自分の中にある「二つの私」をどう処理するのか、これら中島敦自身の問題が、一応解決した、あるいは再び深い絶望の淵に陥ったのか、いずれにせよもはやこれ以上書くことは必要なかったのだろう。
偉大なる先増田様
たぶん結婚したのが間違いだったような、そういう二人ではある。だけど子供も生まれてるし、間違いだとしてもなんとかうまくやってほしい。
けどそれでうまくやれるなら家庭裁判所とかいらないですよね・・・
ここ数日、頭が煮えている。とにかく吐き出す。
弟は十五年前に私の友人に一目惚れし、その恋はいまだ終わらずに続いてる。
弟は貧相な体格でぼそぼそとうつむき加減に喋る少年だった。いじめられたりはしなかったようだが、クラスでは冷遇されがちで友人は少なかった。
そんな弟が一目惚れをきっかけに体を鍛え始め、ファッション雑誌などを買ってくるようになった。
友人は成績優秀な明るい美少女だったので、少しでもふさわしい男になろうとしたんだと思う。弟の努力は凄かった。
弟は変わった。筋肉がついて体が大きくなったし、表情も変わってよく笑うようになった。他人の目をきちんと見て話が出来るようになって、別人のようになった。
この成長は私をちょっと感動させた。これで弟と友人が付き合い始めたらいい話ぽいのだが、そうはならなかった。
元々顔立ちが悪くなかったのもあって弟はわりとモテるようになった。可愛らしいクラスメートに告白された弟は、あっさりとその子と付き合い始めた。
別にいいとは思う。身近な誰かに目を向けることが正解ってこともいっぱいある。
だけど弟の人格はこの頃から少しずつおかしな方向に変わり始めていった気がする。
他の女性と付き合っている間もずっと弟は友人のことが好きで、これは大問題だった。
女神のように神格化された脳内の友人と、短所もある現実の女を、弟は容赦なく比べた。
だから歴代の彼女たちとの付き合いは長続きしなかった。オレほんとは他に好きな人がいるけど頼まれたから付き合ってあげてるんだよね、君のあらゆる欠点はオレをうんざりさせるけどそれでも我慢してあげるね、という思いを弟はありありと出していた。
弟は人当たりが柔らかい。"オレってフェミニストで女に優しい"と酔ってるところもある。だから普段は気づきづらいが、相手を恐ろしく見下していることが時々ばれて、修羅場になる。
弟が私の前で愚痴をこぼしたことがあって、その内容も酷かった。
「性格は悪くないけど、顔が好きじゃない。メシを作らせるとまずくはないけどものすごく旨いわけでもない。これって付き合ってるメリットが乏しいよね?」
「我慢できるから別れてないだけ。結婚したくはない。期待させたらかわいそうだから『君と結婚とかありえないから』と言ったら泣かれた。うざい」
当時私は結婚を考えていた男性と別れたばかりだったので、弟の発言がむかついてしょうがなかった。
私は弟の発言がいかに失礼か指摘した。弟は私の言葉を「感情的で非合理的でわけわからん」と片づけた。"合理的で論理的で決して感情的にならないオレ"というセルフイメージを弟はとても大事にしている。
こんなやつもう知らんと私は思った。弟も私の発言が気に入らなかったらしく、その手の話をあまりしなくなった。
あれだけ執着しているくせに、弟は本命の友人に対して何もできなかった。電話だの食事だのお出かけだのは何度も繰り返したようだが、そこからさきには全然進まない。
振られるのが怖かったんだろうけど、きっとそれだけじゃない。
弟は歴代の恋人たちに、頼まれたから付き合ってあげると宣言した。相手が不満を言うと「なら別れようか」と笑った。
おかげで弟は圧倒的強者として色々思い通りに出来た。これが駄目だった。
昔の弟は逆だった。何でも周囲の言いなりだった。嫌な思いもいっぱいしたと思う。
相手に合わせることしか知らなかった子供が、相手だけが合わせてくれる関係を知っちゃった。その結果が、今の弟なんだと思う。こっちの方が楽だし上手くいくと思ってるんだろう。弟は話し合いが苦手だ。相手と自分の要求を突き合わせて妥協点を探るという考え方をしない。どっちかがどっちかに合わせる。これしか知らないみたいに見える。
だから弟は大好きな友人が相手でも、自分から行けない。頭を下げるようなことをしたら終わりだと思っている。合わせるより合わせてもらう関係にしようと一生懸命だ。
私、姉としてひどくないか。こんな分析して何になるんだ。今更全部手遅れなのか。
弟は友人に対してちょくちょく恋愛相談を持ちかけた。弟の相談内容はいつも決まっていて、
「今の彼女とうまくいってない。別れそう」
のどちらかだった。
要するにオレを口説くなら今だよ、というアピールを何度も繰り返していたわけだ。
受身の恋愛しか知らない弟にとってはこれが唯一知っている必勝パターンだったんだろう。本当にバカな子だ。こんなの相手が自分に対して好意がある時しか有効じゃない。
弟の恋愛を終わらせるのはいつも女性の側だった。物腰柔らかな暴君に我慢できなくなった女性がある日爆発する。
「浮気もしてない、暴力もギャンブルもなし、なのになんでオレは振られちゃうんだろうね? 女の人を信じるのが、どんどん難しくなる。みんなワガママで感情的」
弟のアホなコメント。本命の友人以外の女とは何回破局しても弟は平気で、どうして破局したのかその理由を学んで次に生かそうとか、そういうことも全然考えなかった。
弟の恋愛は始めることも続けることも終わらせることも、ぜんぶ相手任せ。自分で決めたことがない。
だから弟の暴君ぶりを全部我慢できる女性が相手だと、その関係は終わらなくなる。
とても我慢強い女性が弟の暴君ぶりに耐えきった。絶対に自分から別れようとはしなかった。そうやって彼女は結婚まで押し切った。
散々嫌がったけど弟は自分から別れを告げずに時間だけが経って、とうとう結婚することになった。一年後には子供も生まれた。
披露宴を三ヶ月後に控えたある日、たまにはきょうだいでゆっくり飲みたいからと私は弟に連れ出され、焼鳥屋に行った。
「どうしてこうなる。どうして、なんでだ」
「どうしてだ、なんでだ。なあ」
弟が血走った眼をこちらに向けた。
「ねえさん教えて。なんであの人はオレを選ばないの? 放っておいたらオレもう他の女と結婚しちゃうのに。手遅れになってもいいのかな」
あの人というのはもちろん友人のことだ。
「あんたマジでアホでしょ。他の女はどうでもいいから、結婚する相手のことだけ考えろ」
「教えてくれよ、なんか聞いてないのか、なんであの人オレに来ないの?」
「我が弟ながらホント気持ち悪い。あんたって思わせぶりにするばっかりで、自分の気持ちを伝えたことないじゃん。今更そんなこと言うなら、自分からもっと動けばよかったのに」
「それはできない。ダメになったら気まずい」
「この話きいたせいで今後、私はあんたの奥さんと顔を合わせるたび気まずくなるんだが。ふざけんな」
「だってあの人はねえさんの友達じゃないか。オレ、ねえさんのことだって大事なんだよ。オレのせいでねえさんとあの人が気まずくなったら嫌だから、慎重にしようと思って」
私はその瞬間、人前であることもわきまえず弟の横っ面をひっぱたきそうになって、がまんした。
「わたしたちの友情を尊重するためにあんたは自己犠牲の精神でどうでもいい女と泣く泣く結婚してやるってことか?自分が何言ってんのか考えてみろ糞野郎。ゴミ野郎。クズ野郎」
弟は小さい頃と同じ怯えた表情を浮かべ、身を縮めた。
弟が交通事故に遭ったのは、妻の妊娠が判明してすぐのことだった。
大した事故ではなかったのだが、これが原因で弟はある厄介な疾患を患った。
弟の場合、主な症状は頭痛と倦怠感。気圧の変化で症状が悪化するため、台風が近づいてきたりすると一日中寝たきりになってトイレにも一人で行けない。当然会社も休みがちになる。弟は職場にいづらくなってしまった。
弟の妻は優しく笑ってこう言った。
「大丈夫よ。私の稼ぎがあるし。夫婦は助け合って生きるものでしょう?」
その後夫婦は話し合い、弟は会社を辞めて在宅で仕事を始めることにした。妻は出産後ちょっと休んで仕事に戻り、家事と育児は弟の役割になった。
弟は妻に対して今までずっと強気できた。「なら別れよう」と簡単に言う弟に妻が縋りつく形で関係が成立していた。
その力関係が逆転した。弟は経済的に妻に縋りつく立場になった。
彼女があまりに我慢強かったので弟は気付かずにいたが、弟の妻は寛容な女性じゃなかった。
彼女はこれまでずっと耐え続けただけで、一度も弟を許したことがなかったんじゃないか。たぶんずっと恨みをためていた。
数か月に一度、弟は私に電話を寄こす。いつも深夜だ。妻に見つからないよう家の外に出て、小さな声でひそひそ話す。
弟の妻は変わったらしい。昔とちがう別人みたいだと、弟は怯えた声を出す。
弟の作った食事がまずいと言って捨てる。赤ちゃんの首筋のあせもを指差し、育児放棄だ虐待だと怒鳴る。話しかけて弟の返事が遅れると、テーブルの表面をバンバン叩く。
普段は穏やかなのに何かの拍子にスイッチが入ったように荒れるので怖いと、弟は言う。
弟は涙声で「ワケがわからん」と繰り返すが、話を聞いていると根本原因はなんとなくわかる。妻は弟を信じていない。自分は愛されていないという疑いが常にあって、ちょっとしたことでその疑いがふくらみ、荒れるのだ。
弟は見栄っ張りだ。全てがうまくいっているみたいに見せたがる。大学も会社も、世間では一流といわれる場所に入れた。資格職についている賢明な妻を持ち、フリーランスで働きながら郊外の人気住宅地に住んでいる。"何もかも恵まれた幸せなオレ"というセルフイメージを弟は必死に守りたがっている。
だから弟には愚痴をこぼせる相手がいない。感情的で非合理的なことを言う、四つ違いの姉しかいない。これまでそれほど密に連絡をとっていたわけでもないのに。いま私たちきょうだいは子供時代に戻ったみたいに、たくさん話をしている。
弟は大人しくてまじめで素直なこどもだった。姉の後ろをちょこちょこと付いて回り、私が繰り出す理不尽な命令に従った。
家中駆け回って材料を集め、SFに出てくる宇宙基地みたいな人形の家を、二人で作ったりした。一緒にたくさん叱られた。
弟は私が何か言うと真剣な顔で耳を傾けた。何もかも弟より上手くできる姉に尊敬のまなざしを向けた。四つも年が違うんだから当たり前なのに。
たぶん弟の心のどこかに、まだあの頃の感覚が残っているんだ。だから「ねえさんどうしよう」と途方に暮れた声を出すんだ。
そういえば弟がおねえちゃんじゃなくてねえさんと呼ぶようになったのも、私が頼んだからだ。何かの本を読んで影響された私が
「これからはねえさんて言って。おねえちゃんてなんか子供みたい」
と言ったんだ。子供だったくせに。弟はこくんと頷いて、あれからずっと私のことをねえさんと呼んでいる。
弟はそう言うが、離婚すればほぼ確実に親権は弟の妻のものになるはずだ。法律は元々母親が有利なようにできてるし、妻の方が経済的にも安定している。
弟の妻は子供のことは可愛がっていて、家にいる間はよく面倒をみている。家事の中心は弟だが、妻もかなりやっている。
この状況で弟が親権をとれるはずない。
子供と離れるのは絶対に嫌だから離婚しない、いつも弟の結論はそうなる。
弟は時々夢見るような口調で友人のことを話す。
あの人はどうしているかな、あの人に会いたい、あの人に似合いそうなピアスを見つけた。
「バカ野郎、そんなだからあんたの妻はいつまで経ってもあんたが信用できないんだよ」
「だけどあの人のことを考えている時が一番楽なんだ。その時間がなくなったらすごく辛い。支えなんだ」
弟が結婚する半年前に友人は仕事の都合で引っ越し、一緒に携帯も変えた。友人の新しい連絡先を弟は知らない。
友人と私で話し合い、知らせない方がいいと判断したのだ。
ところがバカ弟はあの焼鳥屋の夜、私がトイレに行っている隙に私の携帯を調べたそうなのだ。ロックはかけていたが単純な暗証番号だったので、なんとかなったのだろう。
それでも弟は三年我慢した。時々携帯の画面に友人の連絡先を呼び出して、それを眺めることが心の支えだったという。
そして二週間前の夜、またしても妻に怒鳴られた弟は何かが切れてしまったらしい。家を飛び出し友人に電話して、
「どうしても話を聞いてほしい会って欲しい」
と頼んだ。
友人は弟のただならぬ様子に驚き、自宅のすぐ近くにある終夜営業のカフェで話を聞くことにした。
そんでもう、ほんとに今更、お前十五年間何やってたの、何で今なのと私は弟の肩を揺さぶってやりたいんだが、ずっと話し続けて空が明るくなってきた頃弟は「あなたがすきです」と友人に言ったらしい。
「そんなの言われても困る。奥さんに恨まれるの嫌だし、家庭のある人とどうにかなる気はない」
と友人から連絡を受けて頭がカーッとなったというのが、私がこの文章を書いた動機だ。
すごいよね、よくこんな長文書けたよ、自分で感心しちゃうよ。これ書くのに二日かかったバカみたいだ。
友人は弟に「このことはねえさんには話さないで」と頼み込まれて悩んだ末に、それでも黙っていられないと思ったらしい。本当に申し訳ない。うちの愚弟が。マジで愚弟が。ほんとに愚弟でどうしよう。
連絡先が流出してしまった件について、友人には謝罪した。今後弟が彼女を悩ませた場合についても話し合い対策も用意した。弟が予想を越えた暴走をしなければ、なんとかなりそう。
あと他に私ができることってなんだろう。
根本原因は弟夫婦の問題なので本人同士でしっかり話し合ってもらうしかない。お互いの主張と気持ちを突きつけあって、利害の調整をするということをしなかったから、あの夫婦な今みたいになってる。どれほど辛いとしてもまず話し合いだ。私が絡む余地はない。
ということを弟に言いたくて電話を掛けたのだが、繋がったのは最初の一回だけだ。弟が友人の連絡先をどうやって入手したか聞き出したところで妻が帰ってきたらしく、途中で切れてしまった。弟は妻の目の前では絶対に携帯を触らない。弟が携帯で誰かと連絡をとることを、妻が嫌がるからだ。だから弟は夜中隠れて電話するわけで、なんか書いててあらためて気付いたけどこれ結構異常なんじゃないのか。
私だって結婚していて、一番大事なのは自分の家庭で、弟夫婦のゴタゴタなんか巻き込まれたくないので、もう放っておいていいのかな。
だけど甥っ子は可愛いんだよな。うちまだ子供いないからなおさら。両親がうまくいってないというのは、甥っ子のためにも悲しい。
弟夫婦の関係は異常なんじゃないかと書いててあらためて思ったんだけど私の感覚が正しいのかどうかわからない。誰か教えて。
うちは子供がいないから共働きでも時間には結構余裕がある。だからわからないことがいっぱいありそう。子供のいる家庭だと余裕がなくてギスギスするのは当たり前、と一度言われた。そんなことないだろうと思うんだが、確信持てない。
電話の終わりで弟はいつも「でも大丈夫。うちはうまくいってる。妻も優しい」と言うんだけど、うそ臭くてしょうがない。でも私が姉ばかで弟のことを心配しすぎてるだけかもしれない。本当は言葉通り幸せな家庭?
うちの両親に相談するのが一番いいのかもしれないけど、弟に激しく口止めされてるんだよなあ。もう喋った方がいい気がする。でも親巻き込むと大ごとになりそうだし、弟にも弟の妻にも恨まれそう。
ほんといくら書いてもまとまらないな。
大人になったら人間て賢くなると思ってた。全然違う。年取るほど実感する。
深夜電話で思ったんだけど、弟夫婦の関係ってちょっとDVぽくないか。考えすぎな気はするけど、一番怖いのがそれ。二番目に怖いのが弟がストーカー化することなんだけど、弟がそこまで出歩く自由なさそうだから、こっちはあまり心配しなくていいだろう。とにかくDVだったらどうしよう。こんな長文書いてる場合じゃない。
だけど弟と連絡がとれないから、動けない。
とりあえず留守電きいた弟が今夜くらいに連絡くれるといいんだけど。明日休みだから遅くても話せるし。
勉強出来る子だったんだよなあ弟。だから本人も含めてみんな弟をバカだと思ってないんだけど、私はバカだと思う。そんなことを思う姉はひどいよな。ごめん弟。とにかく、電話して来い。姉はけっこう心配してます。
人間は生物である以上、子孫を残そうとすることはまったくもって自然な事である。しかしながら最近は、子供を産むことがまるで馬鹿げたことであるかのような論調を少なからず目にする。そこにはどんな理由があるのだろうか、8つに分類してみた。
1. 子供を作るより他に成し遂げるべき大義がある
世界で自分にしか出来ない重大な仕事があり、そのためには子供を作ることで失われる僅かな時間すら無駄には出来ない人達。ご苦労な話だが、こういう優秀な人にこそ子孫を残して欲しいものである。
2. 勘違い野郎
自分を1に分類されると勘違いしている人達。実は代わりなんていくらでもいるくだらない仕事をしていたりする。本人には気の毒だが、せいぜい頑張って社会の役に立ってもらおう。
3. 自己中
子供を育てるなんて大変すぎる!と言って、孫を待ちわびる父母や祖父祖母の気持ち、衰退する社会の事など考えもしない。そんなだから老後は誰にも看取られず孤独死する運命。こんなのが増えても困るだけなので、お家断絶させて正解。
今は元気でもやがて肉体も精神も衰え、ただ社会に寄生してきた過去を嘆く虚しい老後を送ることになること、自分の命がここにあるのは、先祖が何千年、何万年と命をつないできた結果であり、自分が子供を作らなければそれがここで終わること、子供は未来そのものであることなどが理解できない。要するにバカ。彼らにもまた清く死に絶えていただきたい。
5. 自分自身が失敗作
頭や見た目が悪い、社会に必要とされていないなどのコンプレックスがあったり、兄弟親戚に障がい者がいるなど、遺伝的に欠陥がある可能性が高いなど、自分の遺伝子を残すことは賢明でないと判断しているケース。ただし遺伝的欠陥は将来の医療で克服可能になる可能性も高く、こういった人達が子供を作らないと言うのはやや勿体無い気もする。
6. 甘えん坊
今の世の中で子供を作るなんて無理!お金がない!などといつも人のせいにしてる人達。運命を自分で切り拓く能力が欠如してる人達とも言える。まあ3-5に分類される奴らが、自尊心を守るため6になっている可能性もあるとすればかわいそうな話。
7. 迎合主義
何で子供作らないの?周りが作るのは馬鹿だって言ってるから。要は自分の意見無し。子供を産まないのも人生の選択肢なんて言うのは、基本子供が欲しくても出来ない人達への慰めでしかかない事にももちろん気付かない。
でも正直にそう言うと、周りに気を使わせてしまう。だから要らない、作らないという人達。悲しい話である。上記2-7に属するようなバカどもは放っておいて、彼らこそ医療や社会で救っていくべきではないだろうか。
他にもあれば追加して欲しい。
左翼は、「外国人にも参政権を!」と言いながら、たとえ日本人であっても改憲を叫ぶ人間には「このような精神病患者については、参政権を剥奪しろ!」などと考えている。
もちろん、口にする時は、さすがにそこまで直接的には言わないが、「護憲派=大人」で「改憲は=感情に流される子供」みたいな論調で、そのような「子供に憲法を判断する知能はない」みたいな物言いは平気でする。
そんな差別主義者に、ついていく者は少ない。
「日本人」は、左翼達が思っているよりも、賢明で差別というものが嫌いな民族である。だからこそ、慰安婦発言で橋下への嫌悪感は醸成されたし、それと同じくらいの差別的言動が見え隠れする左翼団体も嫌われるのである。
いい年をして「恋」と「愛」の区別がついてない輩は得てしてこういう錯乱したことを言う。
やや古いネタだが、いわゆる盲目的な「恋」の持続期間は、一般的に3年程度であるという説がある。
これは、恋愛の本能的な目的であるところの妊娠・出産・育児に最低限必要な時間が3年と設定されているためと言われている。育児期間が2年なのは、子が親なしには食物の正しい摂取行動ができない期間、すなわち生物として本当に最低限の保護期間がこれだけだということだろう。
つまり、それを過ぎたら次の出産に取り組んでよい、そしてその際にはパートナーを変えてより遺伝子のスクランブルを起こすべし、ということ。
それは本能のプログラミングであり、人間の精神活動が作り出した社会における倫理とか理想とか善悪とか、そういうものとは無縁なありよう。いいも悪いもない、生命体として種の存続を優先する合理的な手続きである。
とまぁ、そんな説に従うならば、カップルの情熱というものは生まれた子供を途中で放り出さないための安全装置に過ぎず、子供が生命体として独り立ちをする3年が過ぎれば解除されるものと言える。
かつて「3年目の浮気ぐらい大目に見てよ」という歌詞があった。実に興味深い符合である。
しかし現代の多くの人間社会において、カップルの最初の3年は平均的に結婚、つまり正式な番(つがい)にこぎつけるまでの時間になった。うまく事が進んでもせいぜい種付けするかしないかという頃合いである。
そんな段階で安全装置が外れてしまっては、生まれた子供がうまく育たない。子供が生物として安定するまでは、その子イコール新しい自分の遺伝子を守ろうとする親に命がけで保護され、せっせと食べ物を運んでもらわなければならないのだ。
そこで人間は理性を操り、「愛」というものを編み出した。ついでに「結婚」という契約も作った。3年を超えてもパートナーと一緒にいる理由を作り上げ、これをもって安全装置の動作期間延長を図ったのである。
「恋」は種の保存を後押しするエネルギー源だ。出産・育児には少なからぬ困難がつきものなので、これを乗り切るための原動力として大いに燃えてもらわなければならない。
対して「愛」は情熱的である必要はない。本能に根付かない感情だからあれこれ理由付けや美化をして維持する努力が必須だが、うまく運用できれば複雑化した人間社会における生活や感情を安定させる手助けになる便利なものである。
「恋」の主成分である情熱や激情はドーパミンを大量放出する不安定なものであるため、これを「愛」にまで持ち込まなければならないという事はない。
そのかわり、ハゲだのシワだのデカいパンティーだのといった生命体における衰えを示す外的要因などは「恋」においてはマイナスに働く可能性があるが、結婚という人生における一大契約の礎たる「愛」の理屈の前には無力である。
「恋」の期間を過ぎた者は、新たなパートナー、つまり次の「恋」のアテがないのならば、「愛」の運用について前向きに考えるのが社会的かつ精神的に賢明と言えるであろう。
※ 言うまでもないことだが、子供のいない夫婦が存在的に悪であるという趣旨ではない。「恋」「愛」は脳の機能、「出産」は精子と卵子、子宮の機能である。
http://anond.hatelabo.jp/20130521042421
これは、変態視点で言えば「マーキング」行為です。つまり「○○ちゃんに対してセクハラできる僕」を周囲に対しアピールすることによって、自分とターゲットとの特別な関係を宣言。もちろん、ここまで来るには変態側からは、長い長い積み重ねがあることは言うまでもないです。何度かすれ違った、とか、この女は言っても大丈夫そう、と思わせる言動を見かけた、とか。
はい。最悪の対応例きましたー。メモって置きましょう。変態視点では、これ「肯定」に他なりませーん。「僕ちんが、ちょっと勇気を出して踏み出してみたら『拒否されなかった』」と変態は解釈してまーす。変態にとって、黙示のNOは「Yes」、明示のNOは羞恥の「Yes」、抵抗されても「嫌よ嫌よも好きのうち」の「Yes」、なんです。周囲もたしなめなかったようで、これも、変態視点では「もう周囲も認めてる」と考えていておかしくありません。今後は、彼に忠告めいたことをする人間は、ことごとく「人の恋路を邪魔するお節介野郎」であり「馬に蹴られて死ねばいい人間」認定されることとなります。
では、どうすれば良かったのか? 正しい対応は、周囲を巻き込み大騒ぎ、です。『うわっ!何この人、キモッ!ねえ、いま何言ったのこの人!聞いた?聞いた?マジ受けるwwww何様wwwwおええええええwwwwww信じらんねー!ゲラゲラゲラ!!』ここまでやって初めて、「あれ?僕ちんの勘違いだったかも…」と思うのが変態です。とにかく周囲を巻き込む。1対1は絶対に避ける。これは変態への対応の基本です。増田は初手で相手をまともな人間(白眼視されたら凹む程度の普通人)扱いするというミスを犯しました。
(2)ステージⅡ(甘い会話編)
さて、マーキングとその周囲への誇示が済んだ♂は、何をするか。そう、いよいよ意中の♀への直接行動です。
「おとなしい顔して夜になったらズコバコやってんでしょw」(意訳)
訳します。その♂は「やらせろよ」と言ってるんです。しかも本人は「性的経験豊富」さを気取ってカッコをつけてるつもり。あと、♀の性的魅力を誉めているつもり、でもあります。「イヤらしいお前の本性をオレは知ってるんだぜ」ってことです(嘔吐。
そして、それに対する増田の対応が、またお手本にしたいくらいの最悪対応。
相手の発言を「自分への性的アプローチ」と認めた上で、無視するでもなく普通に応答してる。つまり、変態の耳にこれは「アンタ私とセックスしたいの?」という風に聞こえています。もう変態♂は有頂天ですよ?
(意訳)「僕たちを邪魔するものなんてないさー、オレは何も怖くないさー、カッコイイオレさー」
分かっていましたか? 分かっていなかったでしょうね。
そして、実際セクハラを訴えも何もしない増田。変態♂はいよいよ自分のアプローチが成功しつつあると確信したことでしょう。
「うわああああああああっっっっっっ!!!!」と大声を上げて泣き叫びながらその部屋を飛び出して周囲の誰彼に今言われたことを泣いて訴え回る。大声で泣き叫び、男が近づいたら恐怖感をあらわにしてぎゃあぎゃあ泣きわめく。上司が「今日はもう帰っていい」と言い出すまで、とにかく大声で何を言われたかを周囲に訴えまくるです。そこまでして、初めて変態は「あれ、今日の僕ちんのアプローチは、ちょっと失敗だったかな?」と思います。言っておきますが、もう、あくまで「今日の」です。すでに、この関係は周囲公認と思っている変態ですから、少々のことではめげません。
(3)ステージⅢ
♀が自分を受け入れるような発言をしたと思った♂は、次にどのような行動に出ると思いますか?そう、「子作り環境の準備」です。♂は、♀が集団の中にいるときは性的に不活性だと考えているので、♀を周囲から切り離して落ち着いて子作りができる環境をせっせと作ろうとします。♂というのは、まあそういうものです。そういう文脈で、次の流れを見てみてください。
「この仕事を今夜中でやってほしいんだけど」
「皆忙しいから、誰にも頼めないよ」
と、男はうすら笑っていた。
さて、賢明なそこのあなた。男の「うすら笑い」が何を意味するか、もう分かりましたね? 男は性交の期待に胸トキめかせているのです。泣こうがわめこうが邪魔の入らない状況での二人きり。時は深夜。お疲れミッドナイト。朝までオールナイト。変態的にはムード満点の状況で、深夜、一人夜勤中の増田の側には差し入れの栄養ドリンクをもって「さりげなく」ほほえむ(ニヤつく)変態の姿……もうヤルことは一つしかありません。
それに対して増田は、
こうなったら何時までかかってもいい、一人でやってやる。
……
……
……
あちゃー……
……
…
バカ?
もし、これ口に出して言ってたら最悪です。だって、これは変態と二人きりで一夜を過ごす宣言ですよ?変態にとっては愛の告白も同然ですよ? 仮に態度だけとしても、変態はもはや増田との確かな絆を心にしっかりと感じたことでしょう(一方的に)。二人きりで一夜を過ごそうと提案したらこばまなかった。やっぱり!と変態は思っていますよ? もう、この次に二人きりになるチャンスがあったら、増田に対しては何をしても大丈夫、くらいには思っています。人気のない会議室とか、暗い夜道とか、独り暮らしの増田の自宅(待ち伏せ)とか。
正しい対応は……、もう言うまでもないですか?
この続き、今日は以下のようになりました。
手隙の人を集めて規定の時間で終わらせることができた。
増田は何も分かっていないようですが、マークされていたのは増田ではなく変態社員です。増田が困っていたからみんなが助けた、ではなく、変態が目を付けたおにゃのこを無茶な仕事振って残そうとしている、社内レイプやばい!会社潰れる!……というので、皆必死になっていただけなのです。あなたは、変態との付き合いが短いので警戒心が少ない、職場では数少ない人間の一人で、だから変態にロックオンされており、そしておそらくみんなそのことには気づいています。
気づいていながら、変態も、その状況も放置しているのかって? だって、変態に恨まれるなんて、誰だって嫌じゃないですか。アルバイトは代わりがいるけど、社員はそうそういなくならないし自分も自由には動けないのだから、犯罪がおこるまでは、まあできるだけ大事にならない程度にだけさりげなく介入しつつ、あとは放置しとこうか、てなものでしょう。自分に火の粉がふりかからないうちは、積極的に関わることは避けるというのが、大方の社員のスタンスなのではないかと思います。そして、それをいいことにして、変態はぬくぬくと、ときどき事情を知らないアルバイトを生け贄にしながら、リーマンライフを楽しんでいるというわけです。
(4)まとめ
以上見てきたように、変態の行動は、霊長類に属する中型動物の♂として見れば、実にストレートでノーマルです。相手は言葉の通じない、盛りのついた猿、と理解し、適切な行動を取るよう心がけるのがよいと思います。くれぐれも油断なさらぬよう。
2013年4月26日、アーケードゲーム業界に突如現れた大型爆弾、それがけいおん!放課後リズムタイムである。
今時ケータイをいじれば無尽蔵にあるようなゲームが、アーケードに登場した。
アーケードに興味のない方、またTCAG業界に詳しくない方も居られるだろう。ここで軽く紹介しておく。
TCAGとは、トレーディングカードとアーケードゲームを合体させたジャンルである。
カードを集めて、手持ちのカードを使って何らかのゲームを行う。
分かりやすく説明すると、ソシャゲーに筐体がついて多様かつリアルタイム性のあるゲームがプレイできるものである。
TCAGと言っても戦略ゲームやスポーツゲーム、シューティングゲームにリズムゲームなど、カードを使ってどのようなゲームを行うかは多岐に渡る。
ソーシャルゲームとの大きな違いはプレイに対して課金が必須であること、そして独自のインタフェースや機能が自由に設計できることにある。
一般的にソーシャルゲームよりもグラフィック面で大きく有利であり、凝った演出や操作がウリの一つでもある。
また、大人向けの戦国大戦やベースボールヒーローズなども有名であるが、一方でアイカツ!やジャイロゼッター、ムシキングなど子供向けゲームが盛んなジャンルでもある。「カードが手に入る」というのが子供にウケるのだろう。
けいおん!放課後リズムタイムはリズムゲームを題材としている。
つまり、けいおん!の絵が描かれたカードと、けいおん!の楽曲を使って音ゲーをプレイするのだ。
なるほど楽しそうだ。きっとアイドルマスターのように名もないクラスメイトのカードがカスカードとして出てきて、初音ミクProject DIVAのようにキャラクターを使ったPVが見れるのだ。
そして「ちくしょう軽音部のメンバー揃わねぇじゃないかよ!……でもこの子かわいいな!」となるわけか。期待に胸が膨らむな。
……賢明な諸氏ならお気づきかと思うが、ここで取り上げているのだから上記のような真っ当なゲーム要素は一切存在しない。一切。
では、実際の様子を順を追って見ていくことにしよう。
まず君は筐体に1コインを投入する。
すると、あずにゃんのSDキャラクターがゲーム上の注意を喋ってくれる。
なぜあずにゃんがメインキャラクターなのかと言うと、ランキング一位のプレイヤーの推しメンだからである。
つまりこのゲームは筐体一位を取ると筐体のナビゲートキャラクターを変更できるのだ。
カードが排出される。このゲームには描きおろしカードは一切存在しない。最上級のミラクルレアでも既存絵である。
画面が変わる。軽音部の五人から使用キャラクタを選ぶ。ここでカードは必要無い。今後のプレイではナビゲート役があずにゃんから使用キャラクタに変わる。
次はカードスキャンだ。スキャンしたカードが画面に表示され、合計ポイントが計算される。
もし組み合わせが良ければコンボポイントが追加される。例えば、3枚とも同キャラのカードで揃えるとか。
カードの意味はここで終わる。単にポイントとしての役割しかない。
ゲーム中に選んだカードによってスキルが発動するだとか、服装がチェンジするだとか、そういった機能は一切無い。
カード特有の要素は何もないのだ。ただ唯一、スキャン時にカードの画像が表示されるのみ。
次は曲の選択だ。2013年に出たゲームなのに、アニメ一期の曲しか無い。一応キャラソンも入ってはいるが。
ゲームを進めると追加される、と思ったら甘い。
このゲームは本当に一期の曲だけしか無いし、そもそもユーザー登録は無い。
曲のロード画面が映る。黒背景に白字で「ロードしています…」と表示される。他には何も無い。文字のスクロールすら無い。こんな殺風景なロード画面見たことない。せめてキャラクターの画像でも貼ってくれればいいのに。
ゲームが始まる。円形のライン上を赤・青・緑のアイコンが滑り落ちてくる。
同じラインで現れるのでボタン配置が分かりづらいが、1プレイもすれば慣れる。
最高難易度でもさして難しくない。長押しや同時押しが存在しないので、ゲームとしてはただ単調である。
だんだんと背景を見る余裕が出てくる。
……一枚絵だ。一枚絵がゆっくりと拡大されて、縮小して、また別の所が拡大する。
なんだこれは。3Dでダンスしたり、せめて、アニメ映像が流れたりはしないのだろうか。
百歩譲っても、スライドショーにはならなかったのか。同じ一枚絵が、ずっと、ずーっと表示されている。当然、この背景も既存絵だ。
ちなみにこの筐体はブラウン管であり今時のゲームとしては解像度が異様に低い。
というのも数年前のゲームである「めちゃモテ委員長」のゲーム筐体を流用しているためだ。
しかしめちゃモテ委員長は着せ替えができて3Dでダンスしたし、メモリーカードを利用したユーザー登録もできたのだが……。
「50コンボ!」唐突に言われて初めて気づく。このゲーム、コンボ表示が無い。
50コンボごとに声と表示で知らせてくれるが、リアルタイムのコンボ数は一切表示されていない。
選んだキャラクターがプレイ中に関係するのはこのコンボ音声だけである。
そういえば、合格ラインも無い。何点以上とか、何割以上とか、そういった基準が全くない。
かろうじてスコアは表示されている。しかし比較対象が無い状況で数字だけ見せられてどうしろというのだろう。もちろん、曲のハイスコアは表示されていない。
現れるアイコンに合わせて黙々とボタンを押す。背景も見飽きた。
…………ゲームが長い。一番が終わったかと思ったら間奏に入って二番が始まってしまった。
約4分、延々と代わり映えしない背景を見ながら、3ボタン単押ししかない音ゲーをやり続けることになる。
そもそも体力ゲージが無いのでどんなヘタクソなプレイをしてもゲームオーバーにもならない。
ハッキリ言ってTVサイズでも飽きる。それを4分。地獄である。
ようやく曲が終わる。ロード画面だ。「ポイント集計中」の表示が黒背景に踊る。いや、踊らない。ただ無機質に表示される。
ポイントは三種類の評価が下る。カード点、ゲーム点、コンボ点である。これを合算して最終スコアとなる。
「良いカード」を使って「ノーツが多い曲」で「フルコンボ」を出すことが稼ぎプレイの必須条件だ。
これはセーブがないのもあるが、「高スコアを取ってもどこにも発表されない」という意味でもある。
では得たスコアはどうなるのかというと、「使用キャラクターに」加算される。
これは軽音部五人の投票数ランキングであり、決してプレイヤーのスコアではない。
このランキングで一位のキャラクターが筐体のナビゲート役になるわけだ。
もちろん投票数は合算スコアなので、一位を追い抜くためには相当数のプレイが必要になる。
君が継続プレイするモチベーションは「自分の嫁をナビキャラにする」の一点のみ。
もしカードがほしいだけならばカードだけ買うモードがあるのでそちらで延々買われるのが良いだろう。
ただし、全て既存絵だが。
そしてプレイする動機となるランキングはスコアで決まるため、本当に必要なカードは「ポイントの高い上位3枚」に絞られる。
より高位のカードを手に入れた瞬間、これまでのカードは完全に単なる下位互換にしかならない。
さて、ようやくプレイを終えた君は立ち上がって横を見る。
アイカツの筐体と、そこで楽しそうにプレイする幼女が見えるだろう。
ここは大型ショッピングモールの子供向けゲームコーナーである。
このゲームはなぜか女児向けにデザインされており、多くの場合は他の子供向けアーケードゲームと横並びで設置されているのだ。
アイカツではスキャンしたカードと同じ衣装を着た3Dのキャラクターが画面内を所狭しと踊っている。
ジャイロゼッターは高らかに明滅しながら筐体が変形し、ロボット操縦レバーがせり出している。
いい機会だから断ることを学びましょう。
あと、旦那はあなたとの相性でダメ人間の回路が花開いてしまっているから、別れた方が賢明かもしれません。
もしくはあなた自身が変わって関わり方を変えて、新しい関係を作るしかありません。ただ時間がかなりかかるので根気が必要です。
まず断ることができない、ことについては根底に断ったら嫌われるかもしれない、という恐怖と不安が支配していることは間違いありません。
それを克服していくしかないでしょう。
頼まれたとしても、断ったって良い訳です。あなたから相手との関係を断絶するという、圧力をかけることも本当はできます。
そうやって人との適度な距離を保たないといけません。
あなたが苦手なタイプはごねて、断れないことをいいことに居直るという、そういうのが上手いです。
実際断られれば相手も困るわけですが、そういうときに前述したようなあなたの恐怖と不安が、その抑止力を使えなくしてしまうのです。
そこをつけ込まれ相手は暴れてわめいて人を操ってくるわけです。意識するわけでなく、そのタイプは無意識で行ってきます。
旦那はその素養が元からあったか、開花したか、もしかしたら旦那は次男なんじゃないですかね。
そういう人は甘えることで人を操れることを知っていたりするので、面倒見が良すぎるあなたとは、よくも悪くも相性が良いんですよね。
そしてあなたはあなたで頼られることで、人と人との関係を構築するタイプなので「楽」なんですね。それで付き合ってしまう。
でもそれが行き過ぎると旦那のように極限までダメになるし、あなたはギリギリまで要求をのみ続けて、最後は爆発するしかないのです。
あなたが克服しなければいけないのは、断ったら嫌われるかもといった、そういう不安感とか恐怖なんですね。
実際に起こっていることや価値に関係なく、その感情は、まさにパブロフの犬的にわき上がります。
逆に正常というとおかしいのですが、普通に人との関係を保てる人は、そういうときにそんな恐怖などに襲われることなく、普通に断って、ある一定の距離をとって人との関係を築くわけなんですね。
じゃあその恐怖とどう対抗するのか?と言うのがあるのですが、イメージレーニングや瞑想なんかがい良いのかなと思います。
どういう環境に置かれても、ある一定の落ち着いた気持ち、感情に回復できるようなトレーニングをしておけば、
頼まれたときに、断るという選択を、恐怖や不安などの感情にとらわれずに判断することができるようになるかと思います。
というわけで、頑張って下さい。
あと、断ろうと何しようと、ちゃんとあなたのことを大切にしてくれるように関係を築いてくれる人も間違いなくいますので、
旦那さんのような人ばかりじゃないと言うことを忘れないで下さい。
この手の女の子の思想っていうのは、犬になりたい、尽くしたい、好きになる、と言うことを楽しみたい、タイプなんですな。
だから本物の彼氏っていうのはちょっと冷たくて、ちょっと自分に関心がないような感じがして、そんで男性の好みとしては完璧で、という相手です。
そういう条件のもと、好きである、ことを基本的には楽しんでいます。
しかも元からモテる気質があるので、優しくされることには慣れています。
そしてその優しさに甘んじることができます。
だから彼氏がそれを満たしてくれないので(故に燃え上がるのですが)
異常に近いです。童貞男の手には余ることでしょう。
この甘える相手が、純粋な童貞男の場合、その男はガチで恋をしてしまうわけですが、
あれ、このひと、いつもと違う、素敵な友達じゃん。
で、相手がやりちんの場合、その男のレベルがある程度高ければやれます。
やれる上に前述の「犬になりたい、尽くしたい、好きになる、と言うことを楽しみたい」というのを満たせるくらい、
という確率が高いです。
という性質です。しかもこの手の女の子はそういうことをしている自覚がないので、童貞気質の手には負えません。
早めに撤退しましょう。
それか早めに手を出して思い出的にやっちゃって撤退、というのもありかも知れませんね。
まあ、うまくいくとは限りませんが。
このまま突っ走ると痛いしっぺ返しをうけて、裏切ったな!とかそんな展開もあり得なくもないです。
まとめとはてブのコメント見てたら「怖いとか言うやつは甘え」に分類できる内容が多すぎてビビった。
「あーこりゃ○○も無くなんねーわなー」といつもの感想を持った。
○○にはお前らの好きな社会問題を入れてくれ。
まず大前提として教育は「みんな」のためにあるもの、ということを忘れてはならない。特に原爆資料館なんてものは日本人全員(みんな)が知らなくてはならないんだからなおさらだ。ならば十人見て十人が「不快感なく」というのは難しいだろうが、生理的な拒否反応無く学べるように設計するべき、と考えるのが普通なのではないだろうか。
自分にとって大丈夫だったから、自分も怖かったけどそれが良かったから、などの理由でそれが普通だとする考え方は多くを語るまでもなく、危険だ。
「怖すぎる」というクレームに対して撤去という形で配慮を示した本件ももちろん短絡的な対応だとは思ったが、「怖いのが普通だから」「トラウマになるぐらいが丁度いい」「甘えだ」とクレームそのものを叩きに回る態度も同じくらい短絡的で浅はかな思考だろう。「こんなのいじめのうちに入らない」とどこが違うというのだろうか。そのような論調を良しとする拠り所が「多数派だから」といったあたりになりそうなのもまた気になる。
繰り返すが、俺個人としてもクレームが来たから人形を撤去するという今回の判断は賢明なものではなかったと思っている。ただしその理由は「過剰なショックを子供たちに与えることのない展示方法をもっと模索することはできなかったのだろうか」という至って普通の理由からだ。しかし最近はどうもこの至って普通の理由まで辿りつけない早漏野郎が多すぎる。
先に言っておく。今からする話は、「非常に贅沢」だ。なぜなら、ざっくり言ってしまえば「イケメンが、何故自分がモテるか分からない」とひたすら愚痴る話だからである。
これを読んで少しでも嫌悪した人は、とっとと読みとばしやがれ。こちとら、ひたすらブヒって現状に安穏としてやがるキモオタどものために、わざわざ時間裂いてキーボードぶっ叩いてんじゃない。悪いことは言わない。読まないほうが賢明だ。
……などと書いておきながら、かつては僕もデブオタだった。脂肪の塊で、オタだ。いわゆる鍵っ子で、無駄にアクティブだった。うぐぅあぅ~うにゅ~と連呼しながら、昭和記念公園でバニラアイスを食し、元町商店街でスーパー前のベンチで来るはずのない誰かを待つ。ひたすら己の道を行く、オタだった。ちなみに元町商店街にたいやき屋は無い。クレープ屋はあったが、たい焼きは売ってない。うぐぅ。。
などと言いつつ、色々あってダイエットをした。ぶっちゃけ彼女が欲しかったから。0.1tあった体重を、60㎏代まで落とした。ただ、それでも彼女はできなかった。だから、今度はオシャレに目覚めた。会社の同期や妹(いずれもパンピー)の助けを借りて、それなりの店で服を買い。美容院で髪の毛を切り、ついでに眉毛も整えるようにあり。おかげさまで、それなりのイケメンになった。少なくとも、事あるごとに「笑顔がステキ」とか言われ、行きつけの飲み屋のおばちゃんに「アンタはカッコいいんだから自信持て」と酒おごられる程度には。
ただし、いかんせん「イケメンだ」っていう自信が持てない。っていうか、「自分を褒めやがる女性」が信用できない。女性が自分をほめればほめるほど、自分をキラキラお目目で見れば見るほど、相手が信用できなくなる。「こいつら、僕をおだててるけど。その実ドッキリしかけてるんじゃなかろうか」と疑ってしまう。例えば飲み屋の女の子。ひたすら物を貢いで金つぎ込んで、アドレスを交換する。で、いざその子からメールがくると「あぁ、この子僕が気前がいいからメールしてんだ」と思ってしまう。んで、一人幻滅する。これが素人、例えばサークルの後輩だろうと同じ。
だから彼女なんかできっこない。プロアマ問わず、自分に好意を抱く女性に対して、信用できない。お前ら、アタマおかしいんじゃないの、と。なんでこんな僕を「イケメン」とか「きれい」とか言ってんの、と。
かつての自分に言いたい。痩せればモテる。オシャレになればモテる。単純に信じていた、かつての自分に。いくら見た目を変えようが、モテないものはモテない。いくらモテても、信じきれない。むしろ、キモオタだろうとデブだろうと、モテてるやつはいる。
ちなみに痩せる前から、男にはなぜかモテる。その点にかけては絶対の自信がある。だから、嗜好さえ変えれば幸せになれるんだろうな、と薄々思いつつ。
読んだ。
医療保険が要るか要らないかについて未だに議論している人がいるので驚かされる。
まあテレビをつければガンガンCMが流れてくるし、雑誌では根拠不明な特集やランキングばかりやっているので惑わされるのも仕方ないが、
それでもやっぱり無駄金を使うことになるので考え直すことをお勧めしたい。
こういう話をすると、保険会社に何か恨みでもあるのか等と聞かれるが、別にそういう訳じゃない。
ただ自分は、2005年~2007年に明るみになった例の不払い事件を忘れていなくて、あれから保険会社が悔い改めたとはとても思えないのだ。
たとえば、特約の請求の仕方。
なぜ特約の請求は一つひとつ個別にしなくてはいけないのか理解に苦しむ。
女性が女性疾病特約を追加していて、乳がんで入院した場合、女性疾病特約で上乗せされるはずの保障は、基本の入院保障とは別個で請求しなければならない。
特約が一つだけならまだしも、あれこれ特約を付けている人(保障太り)からすれば、ややこしいことこの上ないと思うのだがいかがだろうか?
だいたいこのシステムは、特約がきちっと出るとか出ないとか、保障されるにしても約款の定義が意地悪だとか、そんな次元の問題じゃない。
ただ単に消費者を面倒くさがらせているとしか思えないし、もしや特約を追加したことを覚えてない人の「請求漏れ」を期待しているのではないのか。
さすがにそこまでコスい連中ではないと思いたいが、そのように邪推されても言い訳できないと思う。
あんな、消費者のすべてを敵に回すような不祥事を業界全体で起こしておいて、誰もこの仕組みに異を唱える者はいないのだろうか。
では、そうした請求の仕組みだとか、組織体制を変えてくれれば医療保険を見直すのかと問われれば、「それでもまったく要らない」と言って退けたい。
自分は勝つ見込みの少ない「保険ギャンブル」をする気がないからだ。
月々数千円の保険に何十年も加入して、支払った保険の総額よりも多くの保険金を受け取る可能性はどのくらいあるのだろうか。
毎月3000円の保険に30年入ったとしたら、払込総額は108万円だ。
高額療養費があるおかげで、一般所得者1ヵ月の医療費は8万円か9万円ほどで済むことになっている。
1ヵ月の入院を10万円と多めに見積もったとしても、108万円の元手を取るには計10回以上の入院が必要になる。
しかも高額療養費制度は、1年のうち4回申請するとそれ以降の医療費は一律4万円4000で済むので、実際はもっと入院しないと保険料はペイしない。
そう考えると、ほとんどの人の保険料が保険会社の懐に消えていることが分かるのだ。
がんだってそうだ。
保険会社は、「日本人の2人に1人はかかる」という国立がん研究センターの統計をもとに不安を煽っているが、
それは高齢者も含めて計算した生涯罹患率の平均で、50歳までの罹患率はたった2%。
では、この数字トリックを知っていながら、なおかつがん保険やがん特約に加入し、がんになって保険金が降りたとしたら、ギャンブルに勝ったと言えるだろうか。
答えはノーだと思う。
なぜなら、がんは「治療期間」は長引くかもしれないが、保険で保障される「入院期間」は他の病気とそう変わらないと思ってよいからだ。
つまり、やっぱり保険料の元は取れず、結局は貯蓄で対処するしかないことが分かる。
それに、がんは未だに軽度のもの(上皮内新生物)は給付対象でない商品も多い。
がんが発覚するのはほとんどが上皮内新生物のときであるのに、この意地悪さだ。
このように、不足の事態に大した助けにならず、結果的には足を引っ張りかねない保険商品なら、すべての余剰金を貯金に回した方が賢明ではないだろうか。
ってな事を、ツイッターでアカウント作ってやろうとしたけど、文字制限とかうざったいのでこちらでやってみることにした。
あらかじめ言っておくけど、ここでは「法律的な解釈」については論じない。
最近、彼らの攻撃対象の拡大っぷりが、はっきり言って度を過ぎていると思う。
無断転載を行った本人やそれを擁護した人間ばかりではなく、彼ら「無断転載批判クラスタ」に対して、批判的な考え方をつぶやいた人間ですら彼らの攻撃対象になっている。
もっともそれ自体は、彼らにとっての「おいしい標的(直接的な無断転載行為を行った人間)」が、それほど簡単に見つかるわけではない事を表しているのかも知れない。彼らが活動を活発にすればするほど、彼らの批判対象が減っていくのも当然だからだ。
駐車監視員が頑張って取り締まり件数を稼ぐほど、それに反比例して駐車違反が減る=彼らの取締件数が減っていくのと同じだ。
それ自体は、彼らにとって(本当に無断転載という行為の撲滅が目的ならば)喜ばしい現実のはずだ。
ところが、「彼ら自身の批判者」すら攻撃対象にするという事は、彼らにとっては、必ずしもそうではないという事を明確に表していると思う。
知られているとおり、彼らは、概ね一定のパターンで行動している。
1.まず、エゴサーチで「索敵」を行い、リツイートで「仲間内の回覧」を行う。
2.当然彼らは、自身らの行動に対する批判的言動に対し、脊髄反射で「敵」と認定する。
3.そしてその敵に対して、挑発行為を行うようになる。相手の汚点をできるだけ収集して晒し、より醜く見えるように誇大に宣伝する。
ここで相手が応戦してきた場合は、概ねみなさんが予想通りの「泥沼の炎上祭り」となるわけだが、中には面倒な議論を避けるために逃げ出す人間もいる。(むしろ、その判断の方が賢明であるとは思えるのだが)そんな相手を追撃するために、別のアカウントを用意している人間すらいるようである。
彼らの行動の原理は、おそらく彼ら自身が表明している以上「法律遵守の為の啓蒙活動」なのであろう。
(繰り返しになるけど、法律に対する解釈についてはここでは言及しない)
彼らの最大の問題点は、「日本の法律」と「ツイッターのルール」さえ守っていれば、「後はどんな手段を使っても構わない」という考えを抱いているという点である。
エゴサーチで「索敵」し、そして「ストーカー紛いな行為」(ご存知のとおり、日本の法律では「恋愛感情に関するもの」以外のストーカー行為は違法ではない)で「敵」を精神的に追い詰め、そして逃げ出した「敵」をもう一方のアカウントで追撃する行為、更にネット上で「私刑」するという行為は、彼らにとっては「法律を遵守するための正しい行動」なのだそうだ。
確かに、いずれの行為も、日本の法律では「違法行為」には該当しない。モラルとして、人としてどうなの?とは思うが。
(日本における、mixiのような既存のSNSに慣れてきた人間にしてみたら、複数のアカウントを所持することが、モラルに反しないかどうかについては、議論の余地があるとは思うが)
ところで本題の「無断転載批判クラスタ」から身を守る方法だが、「自らの発言が、彼らのエゴサーチに引っかからないように気をつける」以外思いつかない。
例えば文字間に空白を入れるとか、任意の文字列を入れるとか、もしくは隠語を利用するとか・・・(因みに「人が描いた絵を勝手に使った人間に対して、勝手に怒り狂ってる連中」という表現ならば、彼らのエゴサーチには引っかからないらしい。今後は解らないし、ツイッターの文字数制限上無理があるんだが。)
余談になるが、「無断転載批判クラスタ」(なんか長いから略さね?「ムテクラ」とか「ムヒクラ」とかみたいなの)と一言で言っても、決して一枚岩ではないらしい。
中には、話せばある程度話のわかる穏健派もいるし、ゴリゴリの価値観で思考停止し、やたらとヒステリー起こしまくってる鬼女もいるようだし、ただ単に騒ぎたいだけのガキも混ざっているようだ。
乱暴な話だが、「内ゲバ起こして内部分裂起こしてくれれば、それが一番だよね」とも心底思っていたりもする。
うつつを抜かしているのも、困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。
物事をぶち壊したり、台なしにしたりするには、手腕ではなく腕力があれば十分だ。
バカであろうと粗野であろうと、何も困りはしないのである。
キレて逆上した連中は、ものの三十分もあれば、すべてをメチャクチャにしてしまう。
これを埋め合わせるには、
英知と先見性を持った者たちが、百年にわたって熟慮を重ねても足りない。
従来のシステムの過ちや弊害は、誰の目にもハッキリと映るため、
たいした頭がなくとも容易に批判できる。
ましてや絶対的な権力を握っているのであれば、ひとこと指示を出すだけで、
それらの過ちや弊害をなくすという名目のもと、
システム全体をぶち壊すことができるだろう。
かかる姿勢は怠慢にしてせっかちであり、
横着を好みつつ何かせずにはいられない。
はたせるかな、新しいシステムをつくり上げる際にも、
議会は困難に直面しようとしなかった。
物事をこれまでと正反対にするのも、安直さにかけては、
すべてをぶち壊すのといい勝負である。
問題点を指摘されたところで
「とにかく一度やらせてみよう」という雰囲気さえつくることができたら、
あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる。
対象的なのが、システムを維持しつつ、同時に改革を進めていくやり方である。
新たな要素がつけ加えられる。
ここでは大いに知恵を働かせなければならない。
システムの各側面について忍耐強く配り、
従来の要素と新しい要素を
どう組み合わせたらいいかを決めることが求められるのだ。
「いまのシステムには飽き飽きした」と軽率に見切りをつけたがったりもするので、
こんな反論が寄せられるかもしれない。
「それでは遅すぎる。議会の偉大さは、普通なら長い歳月かけて達成される事業を、
成果があがるまで何年も待たねばならない。」
むろん、そうだろう。そうあるべきなのだ。
その一つは、変化が起きているとは思えないほどペースが緩慢な点にほかならない。
慎重に用心深く作業を進めるのが賢明であることは、大工や職人も承知している。
われわれはレンガや木材を扱っているわけではない。
ひどく悲惨な結果を招くことになるだろう。
平気で改革を進めていくことこそ、
偉大な政治家の条件だと見なされているらしい。
だが、私の考えはまったく異なる。
真の政治家たるもの、温情あふれる心をもっていなければならない。
そのような人物は祖国と同胞を愛しつつ、
おのれの能力をつねに疑ってかかる。
到達すべき目標をとっさに把握する才覚をもっていたとしても、
実際の行動においては一歩一歩じっくりと進んでいく。
政治を良くしていくには、人々の心をまとめあげねばならないものの、
これは一朝一夕にはできない。
力任せに押し切るより、我慢強く気長に頑張るほうが、
「フランス革命の省察/エドマンド・バーク (1790年刊行)」訳 佐藤健志
これ以上の橋下批判は聞いたことがない。
急進的な改革は上手くいかない、やるなら徐々に行うべきだ。
後はどういう失敗の仕方になるか。
橋下が改革を成し遂げられず失敗するか、改革をやり遂げた結果、フランス革命のように全体主義を呼び込んで失敗するか。
後者なら目も当てられない
僕は今、小さな会社に所属している。ぶっちゃけ先の見えない((実際のところ僕は精々二三年が限界だろうと踏んでいる))とても小さな会社だ。 日々の業務は相当自由にさせて頂いており、全く文句がないと云っても差障えないくらいには厚遇されている気がする。 フリーランスとしてプラプラしていたところを拾って頂いた経緯もあり、せめてもの先細い会社が滅びる日までお供しようかとさえ思っているくらいには会社に恩義を感じていた。 その恩義も最近では薄れつつある。来年 1 月より課長職へ昇進することが決まったのだ。 当然のことではあるが、役職には相応に負うべき責務というものがあり、会社から繰り出される糞みたいな要求も、ある程度は我を殺して従わなければならないこともある。 というか(それを見越しているのか)現時点で、最近「それ」を要求されること露骨に増えており、ぶっちゃけまじありえない要求ばかりで、いつもの僕ならさっさと退職して会社生活という名のクソゲーを放棄している頃合いのはず。 でも辞めてないのが今の時点での事実だ。僕はこの後どうするべきだろうかと頭を悩ませている。 考えられる対応のひとつは、昇進を辞退して何時でも抜けられる体制を用意しておくことだ。たぶん課長職に進まなければ責任は発生しない訳だし、今まで通りの生活が期待されるのではないだろうか。 しかし会社側から見た場合、この対応は宜しくないような気がしている。 上記の通り、枯渇しつつあるとはいえ、多少なりとも「会社が喜ぶよう事を運んでいきたい」そういう気持ちはあるので、積極的にこの対応は取りたいとは思っていないのが正直な印象である。 他の対応としては、高額な(それも定期的な)収入のために、ここはひとつグッと我慢して嵐が過ぎさるのを待つことが挙げられるだろうか。 嵐が過ぎ去った後のことは予想が難しいが、少くとも最も手堅くかつ賢明な対応のひとつかもしれない。 だがしかし嘆くべきかな、僕にはそれだけの賢さは持ち合わせていないようにも思われる。何せ「我慢するだけの理由が見当たらない」のだ。実際問題として守るべき家族を持たず、支払うべきローンもない浮き草みたいな若者に、自身の信念を捻じ曲げてでも、ぐっと歯を食いしばり瞳を濁らせながら日々の業務を全うするだけの理由があるだろうか。僕はないと思う。嫌なら辞めてしまえばいいのだし、生活できなくなったならくたばればいいだけのことで、それが大した問題だとは僕には感じられていない。 僕のちんこはここ十年ほど仕事をしていない。とりあえず家でも買うべきなのだろうか。