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2017-01-11

[] hip hip hooray

ヒップヒップ・フーレイ(英: Hip hip hooray 若しくは Hippity hip horray Hoorayは、hoorah, hurrah, hurrayなどとも綴ったり、

発音される)は、英語圏若しくはそれに準じる地域で何か若しくは誰かを称賛する為に喝采を送り叫ぶことである

一人の場合感動詞の形となり、複数人場合、唱和の形となる。 喝采は一人の人の"There cheers for ...[someone or something]"

もっと古風では"Three times three") からまり、 そして"hip hip"(古風には"hip hip hip")と三回呼びかけ、 それぞれ"hooray"と

返す。

  

この掛け声は19世紀の始めのイングランド乾杯に関連して記録されている。 18世紀辞書によると"Hip"は1790年から続く注意を引く

感嘆詞と載っている。 "Hip-hip"は19世紀初期1806年より後に乾杯の前の呼びかけとして追加された。

1813年までには近代の形であるhip-hip-hurrahとなった。 "

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4

2016-09-15

[] kodiak

ディアック(英語:Kodiak、ロシア語:Кадьяк)はアメリカ合衆国アラスカ州ディアックアイランド郡にある市。

ロシア帝国時代にはロシア領アメリカの中心地であった。

現在アメリカ合衆国沿岸警備隊最大の基地ロケット打上基地存在する。

  

ヨーロッパ人が到来する以前のコディアックの主な住民は、ユピク系のアルティイク人であった。

現在でもコディアックには多くのアルティイク人が居住している。1740年代から現在アラスカロシア人が多く訪れるように

なり、現在のコディアック周辺にもロシア人が到達した。1784年にはグリゴリイ・シェリホフ率いる探検隊がコディアック島を訪れ、

スリー・セインツ湾(Three Saints Bay)沿岸最初入植地建設した。さらに1790年アレクサンドル・バラノフが島の北東に

居住地建設したが、これが後のコディアック市の原型となった。 1867年アラスカロシアからアメリカ合衆国に売却されると、

ディアックにもアメリカ合衆国から入植者居住するようになった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AF

2013-01-23

橋下改革が失敗する理由、フランス革命を批判したバークが指摘してる

議会が改革と称して、既存制度の廃止やら全面的破壊やらに

うつつを抜かしているのも、困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。

物事をぶち壊したり、台なしにしたりするには、手腕ではなく腕力があれば十分だ。

そんなことに議会はいらぬ。暴徒にやらせておけばよい。

バカであろうと粗野であろうと、何も困りはしないのである

キレて逆上した連中は、ものの三十分もあれば、すべてをメチャクチャにしてしまう。

これを埋め合わせるには、

英知と先見性を持った者たちが、百年にわたって熟慮を重ねても足りない。

従来のシステムの過ちや弊害は、誰の目にもハッキリと映るため、

たいした頭がなくとも容易に批判できる。

ましてや絶対的な権力を握っているのであれば、ひとこと指示を出すだけで、

それらの過ちや弊害をなくすという名目のもと、

システム全体をぶち壊すことができるだろう。

かかる姿勢は怠慢にしてせっかちであり、

横着を好みつつ何かせずにはいられない。

はたせるかな、新しいシステムをつくり上げる際にも、

議会は困難に直面しようとしなかった。

物事をこれまでと正反対にするのも、安直さにかけては、

すべてをぶち壊すのといい勝負である

前例のないことを試すのは、じつは気楽なのだ

うまくいっているかどうかを計る基準はないのだから

問題点を指摘されたところで

「これはこういうものなんだ」と開き直ればすむではないか

熱い思いだの、眉唾もの希望だのを並べ立てて、

「とにかく一度やらせてみよう」という雰囲気さえつくることができたら、

あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる。

対象的なのが、システムを維持しつつ、同時に改革を進めていくやり方である

この場合既存制度にある有益な要素は温存され、

それらとの整合性を考慮したうえで、

新たな要素がつけ加えられる。

ここでは大いに知恵を働かせなければならない。

システムの各側面について忍耐強く配り、

比較力や総合力、さらには応用力を駆使して、

従来の要素と新しい要素を

どう組み合わせたらいいかを決めることが求められるのだ。

また人間は、あらゆる改善を頑固に拒んだり、

「いまのシステムには飽き飽きした」と軽率に見切りをつけたがったりもするので、

その手の主張にもじっくり対処していく必要が生じる。

こんな反論が寄せられるかもしれない。

「それでは遅すぎる。議会の偉大さは、普通なら長い歳月かけて達成される事業を、

 わずか数ヵ月のうちにやってのけることではないか

 あなたが言うような方法で改革を進めては、

 成果があがるまで何年も待たねばならない。」

むろん、そうだろう。そうあるべきなのだ

時間をかけて物事を変えていくのは、さまざまな長所を伴う。

その一つは、変化が起きているとは思えないほどペースが緩慢な点にほかならない。

慎重に用心深く作業を進めるのが賢明であることは、大工職人も承知している。

おまけに社会システム解体したり構築したりするとき

われわれはレンガや木材を扱っているわけではない。

この場合、素材となるのは生身の人間である

彼らの地位や境遇、あるいは習慣を不用意にいじり回すなら、

ひどく悲惨な結果を招くことになるだろう。

現在、人々がいかなる痛みを味わおうと、

平気で改革を進めていくことこそ、

偉大な政治家の条件だと見なされているらしい。

だが、私の考えはまったく異なる。

真の政治家たるもの、温情あふれる心をもっていなければならない。

そのような人物は祖国と同胞を愛しつつ、

おのれの能力をつねに疑ってかかる。

到達すべき目標をとっさに把握する才覚をもっていたとしても、

実際の行動においては一歩一歩じっくりと進んでいく。

政治を良くしていくには、人々の心をまとめあげねばならないものの、

これは一朝一夕にはできない。

力任せに押し切るより、我慢強く気長に頑張るほうが、

じつは成果があがるものなのだ

フランス革命省察エドマンド・バーク (1790年刊行)」訳 佐藤健志

これ以上の橋下批判は聞いたことがない。

急進的な改革は上手くいかない、やるなら徐々に行うべきだ。

後はどういう失敗の仕方になるか。

橋下が改革を成し遂げられず失敗するか、改革をやり遂げた結果、フランス革命のように全体主義を呼び込んで失敗するか。

後者なら目も当てられない

 
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