2013-03-18

教育は個人の経験ものさしにして語るべきではない

人形が怖い」との意見被爆再現の人形撤去へ…原爆資料館

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1754786.html

まとめとはてブコメント見てたら「怖いとか言うやつは甘え」に分類できる内容が多すぎてビビった。

「あーこりゃ○○も無くなんねーわなー」といつもの感想を持った。

○○にはお前らの好きな社会問題を入れてくれ。

まず大前提として教育は「みんな」のためにあるもの、ということを忘れてはならない。特に原爆資料館なんてもの日本人全員(みんな)が知らなくてはならないんだからなおさらだ。ならば十人見て十人が「不快感なく」というのは難しいだろうが、生理的な拒否反応無く学べるように設計するべき、と考えるのが普通なのではないだろうか。

自分にとって大丈夫だったから、自分も怖かったけどそれが良かったから、などの理由でそれが普通だとする考え方は多くを語るまでもなく、危険だ。

「怖すぎる」というクレームに対して撤去という形で配慮を示した本件ももちろん短絡的な対応だとは思ったが、「怖いのが普通から」「トラウマになるぐらいが丁度いい」「甘えだ」とクレームのものを叩きに回る態度も同じくらい短絡的で浅はかな思考だろう。「こんなのいじめのうちに入らない」とどこが違うというのだろうか。そのような論調を良しとする拠り所が「多数派だから」といったあたりになりそうなのもまた気になる。

繰り返すが、俺個人としてもクレームが来たか人形を撤去するという今回の判断は賢明ものではなかったと思っている。ただしその理由は「過剰なショックを子供たちに与えることのない展示方法もっと模索することはできなかったのだろうか」という至って普通の理由からだ。しか最近はどうもこの至って普通の理由まで辿りつけない早漏野郎が多すぎる。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん