はてなキーワード: 英語学習とは
ルール:Nettouochiさんにもらったスターの分だけコマを進められる。10個集めてハワイに辿り着けばあがり。
2.硫黄島:硫黄臭い井戸水を飲んで、お腹を壊して増田に書く。1回休み。
3.グアム:ブクマした英語学習法が火を吹き炎上。ネットではアメリカ出羽守を振りかざす。
4.ウェーク島:駆逐艦が戦闘機の機銃で撃沈される。艦これプレイヤーのみ2回休み。
5.天皇海山群:天皇警察になって並び方がおかしいと文句をつける。
6.ミッドウェー諸島:古戦場も今は鳥を保護するための立ち入り禁止の無人島である。見つかるまで4年4ヶ月自給自足の生活をおくる。
7.北太平洋:鉄粉を散布して藻類の活動を活発化させる。スターをもらい1つ進む。
8.フレンチ・フリゲート環礁:やはり無人島のため見つかるまで4年4ヶ月自給自足の生活をおくる。
9.ハワイ北方200海里:なぜか三頭の虎に襲われる。脱糞して増田に書く。
10.ハワイ諸島:マウナケア山頂の望遠鏡を使ってNettouochiさんのカラースターを探す。はてなーの旅は終わらない。
正しい英文法を強制しすぎ(S+V+Oとか、数学かプログラムを連想させる)なのと
それに加えて日常で英語無くてもなんとかなってしまうことが大きいかな
私は、これは単に勉強量が足りないせいだと思う。試験勉強は沢山しているのかもしれないが、試験の無い時、授業や宿題以外で英語にどんだけ触れるのか?っていう。そんなに身沁みて勉強しないでしょ普通。
ていうか、難解な構文や単語をどんだけ覚えたかとか日本語でも中々読まないような小説や論説文の読解や翻訳などをテストしただけで英語を学習した・させた気になるのがおかしいと思うし。
私は、英語を読む聴く書く話すにおいて、何の道具も無しに自力で母国語の様にやる必要なんか無いと思っていて、辞書や文法書片手でもいいんじゃないかって。
辞書や文法書を引きながらなら、子供向けの絵本位は読めるしちょっと書く話すくらい何とかなるし、まあ聴くのは中々難しいかもしれないけれども、ともかく「英語ができる」というののレベルを低く下げてしまえって思う。
このテーマでググると時々このことについて考えて書いてる人がいるね。
茂木健一郎は教科書検定の労力に原因を求めている。https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8348791.html
富士通総研の研究員さんは教員の指導方法の多用さを確保するためだと言う。http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/report/newsletter/2015/no15-004.html
「英語学習もろもろ」というブログの方は日本の教員の教えたがり具合と教科書の価格制限が原因ではないかと疑っていらっしゃる。http://76871734.at.webry.info/201011/article_27.html http://76871734.at.webry.info/201011/article_28.html
算数・数学教科書のあり方-国際比較を中心に- 長崎栄三(国立教育政策研究所) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/tosho/004/gijiroku/08100711/004.htm ちょっと古い話だがアメリカでは教科書を薄くしろと教育省が提言をしているそうな。実際アメリカだけ飛び抜けて厚いという比較表も。
田口重憲さんという研究者がこのテーマを追っているようで、名前でググると論文が出てくる。http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/6316/1/111208005.pdf この中の表を見るとアメリカの5倍の厚さの教科書は10倍の値札が下がっている。日本の教科書は価格面ではなかなか優秀なようだ。でもアメリカは貸与、日本は小中無償でもらえるという違いがあるのか。
英語を趣味で勉強している者だが、1対1での外国人とのチャットの場合は何の問題もなく楽しく会話できるのだが、先日知り合いの知り合いの外国人が遊びに来た時は中々英語で話すことができなかった。
その時のメンバーが
・自分
・知り合いの知り合いの外国人1
・知り合いの知り合いの外国人2
の4人だったのだが、こうなった場合、1対1とのチャットとの違いは英語が話せる日本人がいることだ。
この英語が話せる日本人がいることが自分にとってはどうにもネックで「自分の英語が下手くそだと思われてそうだなぁ」とか知り合いはネイティブの英語でペラペラ横で喋っている中で自分の拙い英語で間に入ることに中々勇気がいるし、相対的に比べられていそうでメチャクチャ恥ずかしくなる。
英語が話せる人が横にいると確かに安心はするのだが、英語学習者にとっては外国人に自分の英語を聞かれるよりも、日本人に自分の英語を聞かれる方がよっぽど恥ずかしい。
本当はそんなこと思っている人ばかりじゃないと思うが、学生の頃から染み込まされきたネイティヴレベルの発音じゃないといけない、とか、カタカナ英語は通じないから絶対外国人の前では使うなよ、とか、そんな感じの妙に完璧思考の英語に対する考えを持った日本人が多いような気がして、日本人がいる前で外国人に「How are you?」とか「It's very good!」とかそんな単純な文章ですらも躊躇させてしまう空気感があるようで辛い。
この気持ちって何なんだろうな…。どうやったらこのマインドを変えられるのだろうか…。チャットだけでもとても楽しいのだが、やっぱり声に出して会話したい気持ちはすごくあるのに、周りの日本人の目が気になってしまうよなぁ…。
通学中使ぅ ぃっものアプリ、今朝も会えるかな、大好きなぁの人
占ぃを叩いて ドキドキしてた。 ァァ、ぃっものパンティー、また会ぇたね!
見てぃるだけで 恥ずヵしくて、オフパコしたぃな、でも無理カナ
でもね、でもね、それでぃぃの。
スポーツが嫌いで、英語学習もできて・・・全部、アタシ知ってるょ。
ハイクで誰とやりとりをしてるだとヵ、
全部、ブクマ、知ってるょ。
ぃっもお知らせを気にしてるね。 女子はてなーにもゃさしぃょね。
信じられなぃ、こんなに好きなのに。
互助互助しくしたぁぃっのブログ、大炎上…シテル!☆(・ω<)v
die好き!☆・☆・☆・☆・☆!
☆☆☆☆☆(好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。)
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die好き
ころがす、ころがす、ブクマころがす。
チキンクリスプとホットコーヒーを頼んで、ゆっくり新書でも読もうかと思っていた。
最初に座った席は、左隣に座っていた眼鏡黒髪パーマ豚女がノート広げてイヤフォン付けた状態でずっと低音の唸り声をあげていた。
たまにブツブツ独り言を呟いている。英語学習?してるようにも見えるんだけど、周りの人に気にする様子もなく、完全に自分の世界に入ってしまっている。
うぜぇぇぇぇぇぇぇ!!!!
唸り声をあげたいなら家でやれ!!!!!
低音の唸り声に耐えられず、1回目の席移動。
次に座った席は両隣で10代の子供がiPhoneを弄っていたのだが、右に座っている刈り上げの眼鏡サルが絶えず体を忙しなく動かすのだ。
いや、お前がADHDであろうと単なる落ち着きのないガキだろうと良いのだ。私の人生には何の関係もないのだから。
ただ、ゆっくりコーヒーを飲みながら読書しようかというときの隣人としては迷惑なことこのうえない。
10分くらいは何とか耐えたが、イライラのあまり胃がチキンクリスプを拒絶し始めたあたりで2回目の席移動を決めた。
こんな感じで、マクドナルドではベストポジションが定まるまで遊牧民族さながらの移動を繰り返してしまう。
ツイン・ピークス S3を7話まで見た。ネタバレしないと何も書けないので何も書かないが、世界の裏を見ろ! ということについていろいろ考えさせられた。
色々思うところはあるのだがダイエット業界について。単純に日々摂取する炭水化物を少し減らすだけで、思うように体重が減っていくことを知った。少し茶碗を小さくしたり、パンを6枚切りから8枚切りにしたりとかいったことだ。それを数ヶ月続けるだけで、小太りからガリガリまで体重が減っていく。ダイエットとはこんなに簡単なことだった。
ではいままでダイエット業界がやってきたことは何だったのか。思えば、ダイエット法に効果があり、本当に痩せてしまったら、それでダイエット業界は終わりなのだ。特に、炭水化物を減らす、というような、一銭もかからないどころか、単に支出を減らすだけで痩せてしまう、そんな手法が公になった時点でダイエット業界は死ぬしかない。
なぜ「炭水化物を減らす」というような単純なことを行わず、「りんごダイエット」だの「レコーディングダイエット」だの、「運動しろ」とか「脂肪を取るな」とか「動物性蛋白質はダメ」とか嘘ばっかり言ってきたのか。
少し考えれば分かることだが、運動すると腹がへるので、そこで食べるのを我慢するとストレスが溜まる上、運動で傷んだ身体が修復されずダイエットは成立しない。脂肪は必須栄養素なので、それを減らすとどうしても食欲が抑えられず痩せられない。炭水化物がただのエネルギーにしかならず、蓄積された脂肪を燃やせば代用できるのと違って、タンパク質や脂肪を減らしては身体がおかしくなるので身体が食事を求める。「炭水化物を減らす」「運動など余計なことはしない」それだけでよかったのだが、それが公になれば一大産業が死んでしまうのだ。
それと同じことが英語学習にも言える。英語学習業界もまた一大産業であるが、本当に英語ができるようになってしまっては業界が死んでしまう。なので本当に出来るようになる方法は言わず、嘘ばかり教えている。
某CMで有名になった「英語なんて言葉なんだ、やれば誰だってできるようになる」これは事実だ。ただし、わけの分からない学習法を実践して無駄な努力を積み重ねなければだ。まあその話はまたの機会にしよう。
英語がつらい。
やっぱり辛い。
たぶん幼稚園の英語でなんかやってたみたい+中高6年間+浪人自体の英語特訓+大学の英語+趣味や業務での英語学習.....ずっとやってきたけどつらい。
英語を読むのが辛い。俺は理系なんだが、文法の問題とか、すごく得意で、毎回高得点を取れるので、英文法はできると思うんだが、単語が覚えられない。いや、中学高校の単語帳に乗ってるようなものは覚えてるよ。けど、英語でさ、技術系の論文読むときに、わけわからない単語が出てくるんだわ。そのさ、その時に辞書引くじゃん? 今は、んでさ、調べている間に、読んでた内容がすっとんじゃうわけ。
もっとつらいのは、知ってる単語、その文の主語とか文法は分かるんだけど、その一文の意味がさっぱり分からない時があって、それもつらい。その時ってのは、その文自体が、なんか特別な言い回しだったりするわけ。まんま、なんか流行ってる言い回しなら調べたら解決する場合があるから、良いけど、ちょっと捻ってるのわからない。どうすりゃいいんだ。
もっとつらいのは、英語の聞くときだ。本当にわからない。いろんな方法を試したんだけど、ほんとうにダメ。無理。ほら、TEDやら5分のニュースあるだろ?あれ、僕全然持たないんよ。その最初は、頭の中で、英語の文をつくる感じになるじゃん? そして、日本語にすんの。なんというか、英語の音=>英文=>日本文=>意味みたいな流れをずっとやってるわけじゃん? あれできるやつどうやってんの? 大分負荷が高いよね? 1分ぐらいで頭が沸騰するんだよ。
いや、もうだめ。英語。ほんとダメ。同僚はすごくできるのに。いくら、日本語で書かれた難しい技術が理解できたってダメだと思うんだけど、もうね、ダメだと思う。
「型システム入門」「分散システム」「On Lisp」「ガウディ本」「メイヤーのオブジェクト指向入門本」....いろいろ日本語の本であるならば、全然読めるんだよ。けど、英語が読めねぇんだよ。
なんで、こんなに英語がダメダメでも、いろんなライブラリ使えてきたかって、実装を読めば分かるじゃん。英語のドキュメントは読めないけど、コードを読めば、どう動くか分かるじゃん。だから、なんとなってるけど、限界を感じてきたんだよ。なぜかって、仕様なのかバグなのか分からないんだよ.......だから、英語の仕様読むしかないんだけど.....本当につらい。
単語や文法に触れる前に、本物の英語を知る必要がある。教科書に書かれているI have a penのような文ではなく、実際に使われている英語から、その意味を体感させる。単語や文法による分解は、まず英語を知った後でいい。
子供の気を引くためには、やはりアニメだ。シンプソンズのような良質のアニメを国家予算で買ってきて、編集して教材にする。アメリカらしい、ナマの英語を感じてもらう。
しかしまず発音が難しすぎて聞き取れないので、ゆっくりはっきり喋るように音声を再録してもらう。語彙レベルもギリギリまで下げる。英語では(日本語でもそうだが)、難しい語彙も基本語の組み合わせでほとんどは表現できる。
小学校で学ぶべきは、give, take, get, go, makeのような横綱級に使い倒すことになる基本動詞達や、on,off,in,out,with,withoutといっ前置詞、副詞達、do, have, can, could, will, would, should, must, have to, be going toといった頻出助動詞、where,whenのような5W1H、this, that, it, a, the,といった基本語達を感覚で捉えられるようにする。これらは理屈では難しく、幾つもの実例に当たって感覚を磨かなければわからない。さらに、句動詞としての意味の変化や、頻出イディオムなど、理屈を覚えると逆になんでそうなるのかわからないものも、フレーズ単位で丸暗記させ、アニメのシーンとフレーズを関連付けて覚えさせることで感覚的に理解させる。
You can say that again(もう一度それを言っていい→全くその通り) 大人になってから真面目に英語の勉強を始めてすぐ、このフレーズに触れたのだが、その時の衝撃は計り知れなかった。なんでこれが「全くその通り」になるのか、あまりに納得いかなくて寝込みそうになった。
しかし英語の勉強を続けるにつれ、そっちのほうが英語の本質なのだと思うようになった。英語は字面にそんなに意味がないので、とくに口語では、なんでそうなってるのかさっぱりわからないイディオムが大量に出てくる。単語や文法にこだわるより前に、まず英語のいい加減さを受け入れなければならない。
I'm onto you(お前の企みを知っている)、He is up to something(彼は何か企んでいる)、You can't get away with it(その罪からは逃がれられないぞ)、You bet(まかせろ/どういたしまして)、I mean it(俺は本気だ)、頻出慣用表現は小学校時代に全部見せて覚えてもらう。
そして、小学校時代に鍛えておくべきは発音だろう。まず発音記号を覚えさせる。教えられる先生がいないかもしれないが、真面目に教材を見ながらきちんと正しい口の形を練習すればすぐできるようになるはずだ
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この本のDVDは役に立つ。Rの発音はこのやり方ではダメだが、そこはYouTubeとかでやり方を探してちょっと練習すればあっという間に発音は良くなるはずだ。
まずアニメを、英語字幕つきで見せる。意味が分かるということはないだろうが、長い単語も一瞬で捉えて認識する力が速読には不可欠だ。英語字幕を追っていれば、その能力は否応なく鍛えられる。
英語字幕は名詞と冠詞を緑、助動詞をピンク、動詞を赤、前置詞をオレンジ、副詞を青、形容詞は黄色、接続詞、関係詞は白、強く発音する単語は大きな文字、弱いところは小さな文字、修飾節はメインより一段小さい文字にする、イディオムは斜体にする、といった工夫をこらす。最初は意味がわからないだろうが、いずれ実際に英文を読むようになった時に、品詞ごとに色がついて見えてくるだろう。
まずは一周、楽しんで見終わる。5分ぐらいの長さを想定している。どういうストーリーだったか児童たちに推測で話をさせ、答えは言わない。
このためには、英語がわからなくても映像だけで楽しめるようなアニメでなければならない。シンプソンズのそういうエピソードを使う。
そして二周目に入る。今度は発音記号を字幕にする。色分けや大小などは英語字幕に準じる。キャラクターが喋るごとに一時停止していくモードにする(この教育法には 高度なシステムが必要である。教室の前方にはみんなに見える大画面があり、さらに児童1人ごとにタブレットを配り、作り込んだ英語学習アニメアプリを使うことを想定している)
大画面でアニメを再生し、キャラクターが一文を話し終わるごとに、発音記号の字幕を見ながら、みんなでアニメの声優の真似をして発音する。日本人の英語の先生では本当の英語の発音を教えるのは無理なので、ネイティブの声優を真似る。
発音が終わったら、さて、ここでなんと言ってるでしょう?と児童の一人に聞く。適当な推測で構わない。推測が感覚を磨く。
さあ、答えは何でしょうか、といいながら次に進むと、日本語の答えが表示される。それと同時に、英語字幕のルビ部分に単語やイディオムの意味が日本語で表示される。一画面に日本語と英語とルビの日本語が出てくることになる。
それで最後まで進んだら、三週目である。発音記号の字幕とともに、キャラクターが一言喋るごとに発音するところは同じ(さすがに退屈するかもしれないので、3週目は発音練習は飛ばしたほうがいいかもしれない)。その次は英語字幕と、ルビ部分に単語やイディオムの意味が日本語で出てくる。
さて、このシーンはどういう意味だったでしょうか。児童全体に問いかける。単語やイディオムの意味の日本語を見て、児童の1人が先程見た正解を類推で思い出して大きな声で言うはずだ。その後、日本語の正解が出てくるので、みんなで正解を言っていく。一体感の中で、英語ができているような気分がするだろう。この過程で日本人の英語コンプレックスは溶け去るはずだ。
次は個人学習にうつる。児童一人一人のタブレットで、アニメを見させる。先程のように、英語字幕一場面ごとに再生が止まる。
単語やイディオムをタップすると、4択で意味を答えるクイズ画面になる。答えを思い出して選んでいく。間違っていたら即×がつくので、4択の他の選択肢をタップして正解を探す。正解だと単語やイディオムのルビに正解の日本語が表示される。全単語の意味を正解したら、文全体の意味も4択から選ぶ。アニメ全部を正しくタップして日本語で意味を取れたら、ご褒美として日本語字幕でアニメを見られるモードがアンロックする。これでおそらく、授業時間中に終わらなくても、家に帰って自らアンロックのためのタップ作業をし、ご褒美の英語音声日本語字幕も家で見るようになるはずだ。
ルビから単語やイディオムの訳語を覚え、訳語の羅列から文全体の意味を推測する。この作業を繰り返していけば、確実な英語力の向上が見込める。
それとともに、英語音声を発音記号レベルでしっかり認識し、強く発音する所弱く発音する所を字幕からビジュアルに知って真似することで、音声的な部分も強化できる。リスニング力もかなり強化されるはずだ。
学年が進むに連れて、内容を高度にし、発音も現実のものに近づけていく。本物の役者を使ったドラマも入れていく(これはセリフを録り直して編集しても口がシンクしないので、新しく作らなければならないだろう)。
小学校卒業時には基礎的な語彙と、感覚的な英文読解法が身につき、TOEIC400点ぐらいには至っているはずだ。ここまでで読書のための基礎が身についたことになる。
英語話者は皮肉や冗談が好きな人が多く、語った言葉と意図している内容が違うことがよくある。日本語と同じように、空気を読んで相手の意図を探る必要がある。
たとえば映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、マリアと大佐が初めて出会うシーン。ここでマリアは勝手にボールルーム(パーティーで踊るための部屋)に入り込み、一人で踊っている所を大佐に見られてしまう。マリアは驚いてそそくさと部屋を出るが、この時、大佐はマリアにこのように言う。
In the future, you'll kindly remember there are certain rooms in this house which are not to be disturbed.
直訳
「今後、あなたは親切にも覚えてくださるでしょう、この家にはいくつかの乱してはいけない部屋があることを」
「今後も用のない部屋には入らぬように」
「覚えといてください、許可なく用のない部屋を覗かぬように」
フォーマルな英語なので、「入るな」の婉曲表現として「乱してはいけない」(not to be disturbed)と言っている。この"disturb"は「部屋に入って掃除をしないで下さい」とホテルの部屋のドアノブに吊るしておくサイン"DO NOT DISTURB"で使われる言葉だ。さらにkindly remember(親切心から覚える)と相手への配慮をしているように見えるが、このkindlyは実際はすごく皮肉を込めている単語で、言いたいことは「勝手にその辺の部屋に入るな」である。(*1)
このような皮肉は、日本語にしても文化の違いにより伝わらないため、日本語版では直接その意を述べている。
英語でも日本語でもそうだが、文を見ただけではその文の意味することは分からず、言葉を発した人の意図などの非言語的な要素を補って理解する必要がある。
英語話者が「今のは皮肉や冗談じゃなくて言葉通りの意味だ」と言いたいときの定番フレーズとして"I mean it"がある。
英語にはこのような定番フレーズが無数にある。あまりにも自然に使われているので、イディオムとして認識されていないが、実際は慣用によって、その意味するところが文字通りの意味から離れている。
特に口語ではそういった定番フレーズはかなりの割合を占めているので、避けては通れないのだが、その意味を知らない英語学習者は「I mean it? 私はそれを意味している・・・?」などと混乱してしまうことになる。
meanが「意図して言う」という意味になることを知っている学習者なら、「私はそれを意図して言っている」という意味だと分かるだろう。だが、「それ」とはなんだろうか。
日本語では「自分がさっき言った内容」を指して「それ」と表現することはないので、日本語を介した英語理解はここで限界を迎えることになる。
しかし映画を見ている時に、役者が真剣な顔をして"I mean it"と言っているのをみて、さらに言われた相手がうろたえながら、さっき語った内容について反論を始めたならば、"I mean it"は「俺は本気で言っているんだ」と言っていたことが分かるだろう。
日本人が英語を日本語を介して理解するのには限界がある。しかし、空気を読み、非言語的な要素を感じ取ることで、意味していることを理解できる場合がある。
そして、使用されている状況から"I mean it"というフレーズの真剣さを感じ取り、それが頻出することから定番フレーズであると知ることが出来る。そこまで分かれば、真剣に「今のは本気だ」と言いたい時に、自然と"I mean it"というフレーズが口から出てくるようになる。フレーズを自分のものとし、スピーキングでも使うことができるようになる。
これはネイティブがやる語彙の増やし方と同じだ。ネイティブは新しい表現に出会うと、状況からその意味を読み取り、なんとなく理解する。その表現に何度か出会えば、いままでに出会った状況を加味して、無意識レベルで総合的に意味を判断し、表現の完全な理解に至る。その表現を気に入ったらすぐに自分でも使うので、新しい表現をみんなが気に入ると流行語になる。
ネイティブは知らない表現に出会っても、意味を理解するために辞書を引くことはあまりない。新しい表現であればそもそも辞書には載っていない。
なぜ辞書を引かなくても意味がわかるのか、不思議に思うかも知れないが、人間の脳には本来そういう能力が備わっている。我々日本人も、子供の頃に日本語を習得するために辞書を引いたということはほとんどないのではないだろうか。
さらに言えば、言葉の本当の意味は辞書を引いてもわからない。辞書を引き、言葉の意味を別の言葉で説明しているのを見ても、腹に落ちるような理解が出来ることは稀だ。たとえ腹に落ちたと思っても、実際には説明を理解して納得できたというだけで、本当に言葉の意味を理解できたわけではない。言葉を本当に理解して自分のものにするには、状況から感じ取って自分の物にするしかない。
このように自然に語彙を増やす方法については、こちらに詳しく書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170526220542
文法的に正しく、意味も合っているけれど、自然でない言い方というのがある。
Lang-8で非ネイティブスピーカーの日本語を読んでいると、たとえば「今日私はコンピューターをしたい」といった文に出会う。文法や意味がおかしいということではないが、「コンピューターをしたい」という言い方はせず、「パソコンをしたい」というのが自然だ。
これは英語でも同じで、発せられた言葉が自然かは文法や意味ではなく、慣用によって決まる。みんながそういう言い方をするなら自然な表現であり、しないなら不自然だ。
たとえば冷静になれ、と言いたい時に、英語では"Keep our cool"という言い方をする。私達の冷たいをキープしましょう、というような文法的におかしなフレーズだが、みんなが使っているので自然な表現だ。
これに対して冷静という言い方がわからず、平常心になれと言おうとして"Be a normal mind"と言ったとしよう。
文法がおかしいわけではないし、normalやmindの意味を誤解しているわけでもないのだが、"normal mind"は「正常な精神」を意味している。"Are you suggesting I'm insane?"(あなたは私がイカれてると言いたいのですか?)などと怒らせてしまうことになりかねない。
「慣用されている自然な表現であるか」も、文そのものからは分からない非言語情報になる。そしてこの自然さを感じ取れないと、ライティングやスピーキングでおかしな文を作ってしまうことになる。
イディオムというのは慣用されることでもとの意味から離れてしまった表現のことであるが、そもそも慣用されていない表現は不自然になる。「コンピュータをする」のような、使われていない表現は、その言語の表現として正しいものとは認められない。
言葉というものは、単語と文法で構成されたものではなく、実際は慣用の集積である。そして全ての言語表現が、文字通りの意味から少しだけ離れているか、大きく離れている。文字通りの意味から大きく離れたものはイディオムと呼ばれ、少ししか離れていないものは呼ばれない。
英語をやりこんでいくと、全フレーズがそのフレーズに固有の感覚を持っていることを感じるようになってくる。それはネイティブたちの間で概ね共通した、そのフレーズに出会った時の体験から来ている。
つまり、同じような時にネイティブは同じような表現を使うので、ネイティブたちは同じような場面で同じような表現をしているのを見ることになる。こういった共通の体験により、その表現に固有の感覚が生まれ、それはネイティブたちの間で共有される。
なので、全てのフレーズにこめられた感覚を理解し、自分の中に取り入れていくべきだ。そのためには膨大な学習が必要になる。
しかし、たとえば、「なんでそうなるの?」と言った場合、我々日本語ネイティブの間では、あるコメディアンが自動的に想起される。そのコメディアンに固有の感覚が「なんでそうなるの?」というフレーズにはこびりついている。しかし、それを外国人が感じ取るのは、限りなく難しい。ノンネイティブがここで完璧を目指しても、克服不可能な壁に当たるだけなので、ある程度で妥協せざるを得ない。
そこまで目指さずとも、まともな英語表現をするためには、その表現が慣用されているかどうかを知っていなければならない。「コンピュータをする」は使われないが「パソコンをする」は使われる、ということを知っていれば、「コンピュータをする」を避けて「パソコンをする」と言える。しかし、これにも膨大な学習が必要だ。
後半 http://anond.hatelabo.jp/20170529005228
**1 文法で考えると、ここでのyou'llはWill you ~?(~してくれますか?)のひっくり返っていないバージョンで、返事を求めない、有無を言わせない依頼、つまり命令文だ。You willが命令文になる場合にはwillを強く発音すると言われているが、別に強くしなくても良い。この場合はWILLの強い感じが状況とそぐわないので、You'llと引っ込んでいる。なのでyou will(you'll) kindlyは「~していただきます」といったような、丁寧な命令文になるが、kindlyは丁寧すぎて言外に何か含んでいる時に使うことが事が多い単語で、このように皮肉に使われたりもする。 ただ、こういう変な文は文法で考えるとやたら難しくなる。意味は雰囲気でわかるはずなので、この解説自体忘れて、you will kindlyはバカ丁寧な命令表現とフレーズ単位で感覚的に覚えてしまうのが得策だ。
日本人にとって、直訳という言葉は「機械的に文法に沿って訳語を並べて、意味不明の訳文を作ること」といった印象が強い。意味が通じる翻訳をするには、意訳、つまり元の文を理解した上でその内容を自分の言葉で書き直す必要があると考えられている。
しかし英語で直訳を表わす"literal translation"は、そういった言葉ではない。もちろん、機械的に置き換えて意味の通じない文を作ってしまうことも言うのだが、"literal translation"は「原文に忠実である」というポジティブな側面を持っていて、formalで立派な翻訳という感覚を伴う。
それはつまり、「意訳」に良い印象がないということでもある。それは「意訳」に当たる適切な英語表現がないことでも分かる。
https://www.onehourtranslation.com/translation/blog/literal-translation-vs-conveying-sense-text
ここでは"literal translation vs. conveying the sense of the text"(直訳 vs. テキストの意味を伝えること)というタイトルになっている。日本人から見ると「"直訳 vs."と来たら『意訳』が来るに決まっているだろう」と言いたくなる。しかし、英語で意訳という言葉は、直訳とvs.出来るほどの市民権を得ていない。
英語の翻訳はフランス語やラテン語といったヨーロッパ圏の言語から知識を取り入れるために行われることが多く、ヨーロッパ圏の近縁語同士では直訳は有効な方法論だ。結果として、"literal translation"は立派でフォーマルな翻訳という意味合いが生じた。
対して、訳者が勝手に自分なりの表現を加えてしまうと、fidelity(原文に対する忠実さ)が欠けているという批判の対象になる。
たとえば、私は素人ながらアニメの英語翻訳に関わったことがあるのだが、海外のアニメオタクは意訳を嫌う。佐藤さんはSatou-san,斎藤先輩はSaitou-senpaiだし、学校の先生の敬称は英語だとMr.なのだが、犬塚先生はInuzuka-senseiだ。
たとえば、アニメのセリフに「ありえなくね?」と出てきたら、文字通り"That's impossible, right?"と訳すのが好まれ、意味を汲み取って"Are you kidding?"と訳したりすると、"over-translation"とか"liberal translation"などと言われて叩かれてしまう。日本人の私から見ると、とても理不尽に感じるが、彼らの感性はそうなっている。
この問題についてググっていたら「literal translationが良いというのは神話だ」という海外の人の意見を見つけた。これを言っているのが日本語の英訳をしている人だというのも示唆的だ。
日本では英語文献を翻訳するのが主なので、literal translation、直訳はほとんど役に立たず、ひどい翻訳の代名詞のようになっている。英語話者にとっての日本語の英訳でも同じだろう。
基本的に、英語圏でTranslationと呼ばれているものと、日本で翻訳と呼ばれているものは、行為としては似ているが、内実は全く異なっている。
英語圏で行われているのは直訳であり、我々がやっているのは意訳だ。英語圏でやっているのは文法ルールと訳語を覚えて他言語に当てはめ、原文を出来るだけ変えずに英語に直すことであるが、我々がやっているのは「他言語を(何らかの方法で)理解し、その内容を自分なりに日本語で作文する」という行為である
直訳が役に立たないということは、つまり文法ルールを覚え、日本語の訳語を覚えて適用しても、英語を理解することは出来ないということだ。
これは残酷な現実であるが、「いくつの文法ルールを覚え、何万の訳語を覚えても、英語を理解することは出来ない」
これは文法や訳語が不必要だと言っているのではない。文法や訳語はヒントにはなる。だが、答えにはならない。
はっきりいえば、ヒントを一生懸命集めて暗記しても、意味がない。文法ルールをいくつ暗記しようと、英単語の訳語をいくつ暗記しようと、それは英語力ではない。
身も蓋もない言い方になってしまうが、法則化出来ないなんらかのプロセスによって、英語を直接理解する能力。それが英語力だ。
そして直訳が出来ない、つまり英語を日本語に変換して理解するための法則が導けないという事実から分かるのは、日本語を理解している我々の脳をどういじくっても、それを英語に適用することは出来ないということだ。
それはつまり、「英語を理解するための脳の回路を、日本語とは別にゼロから構築する必要がある」ということに他ならない。赤ん坊が新しい言語を習得するときのように、何年もかけて、少しずつ脳を開発していき、英語を理解できる脳を構築していくしかないのである。
どこかの英語学習体験記で読んだことがあるのだが、「留学に行った所、フィンランドの学習者と同部屋になった。フィンランドの学習者はひたすら単語帳を眺め、英単語だけをひたすら覚えていたが、それによってあっという間に英語が出来るようになっていた。だから、私も一生懸命単語帳を眺めることにした」といったものだ。
これがつまり、直訳が可能な言語を使用している脳と、直訳できない言語を使用している脳の違いだ。欧州の人々は基本的に、母国語を理解するために使っている脳を英語向けにアレンジするだけで、英語ができるようになる。我々はそうではない。
たしかその体験記の終わりは、「一生懸命英単語を覚えた結果、留学を終える頃にはかなり英語ができるようになっていた」となっていたように思う。しかし私が声を大にして言いたいのは「それは英単語を覚えたおかげではない」
日本の英語学習界には、留学神話がある。「留学さえすれば英語は出来るようになる。留学しないといつまでたっても英語ができるようにはならない」というものだ。
もちろん留学さえすれば英語ができるようになるというのは嘘だ。それはもちろん神話でしかない。「留学して、英語を使わざるを得ない環境に自分を追い込み、一生懸命英語に取り組めば英語は出来るようになる」というのは正しいが、「留学はしたものの、日本人同士で固まって遊んでいただけで、勉強はしていない」といった生活で英語ができるようになるはずもない。実はそういう日本人留学生は数多い。
しかし「留学しなければ英語ができるようにはならない」というのは真実を突いている。
日本の英語教育に従って、文法ルールを覚え、訳語を覚え、どんなに努力を続けても、英語ができるようにはならない。留学して、日本の英語教育から離れ、ただがむしゃらに英語と格闘すれば、それだけで英語は出来るようになる。
そして「がむしゃらに英語と格闘する」ためには、留学は別に必須ではない。がむしゃらに英語の本を読む事もできるし、映画を見てもいい。海外英語フォーラムに書き込んでもいいし、Lang-8で英語で日記をつけてネイティブに添削してもらうのも、アジア圏のネイティブとスカイプ英会話をやるのも良いだろう。
がむしゃらに英語と格闘することが必要なだけだ。そしてそれ以外に英語ができるようになる方法はない。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H1M_V20C15A5CR0000/
全国の公立中学・高校の英語教員のうち、英検準1級以上かそれに相当する資格を取得しているのは中学で28.8%、高校で55.4%だったことが25日、文部科学省の2014年度英語教育調査で分かった。政府の教育振興基本計画は17年度までに中学で50%、高校で75%との目標を掲げている。英語教員のいっそうのレベルアップが必要な状況が浮かんだ。
高校の英語教師で英検準一級が55%、半分近くが英検準一級を持っていないということだ。準一級を持ってないということは、日本の文法・単語の暗記中心の教育をする能力すら疑問符がつく。
準一級の問題は、日本の英語教育で教えられたとおりに暗記した単語を当てはめ、文法ルールにそって直訳すれば理解出来る、日本人向けの英語もどきでしかない。それが分からないということは、英語もどきを教える資格もないということだ。
もちろん教師は聖職として尊敬されるべき存在であり、それを指揮するのは霞が関文部科学省のエリート官僚であるから、自分たちが教えているのが「実際には役に立たない英語もどきです」とは言えない。「私たちは英語がよく分かりませんし、『生徒をちゃんと英語が出来るようにしろ』と言われても出来るわけありませんよ。むしろ、そんなやり方を知っているなら教えて下さいよ」などと口が裂けても言えるはずがない。
それに対して一方では「聞き流すだけで英語がペラペラに!」とか「たった100語で英語は出来る!」とか「頻出フレーズを暗記すれば日常会話はバッチリ!」とか、英語教育界はオカルトだらけである。
もちろん商売でやってるのであるから、「がむしゃらに英語と格闘しろ、それ以外ない」などと言えるはずもないのだが、そんなことを言っていても誰も英語が出来るようにならない。なんとかならないものだろうか。
私が実践してきた、オススメの、実際はがむしゃらにやるだけの英語学習法を紹介しておく。
http://anond.hatelabo.jp/20170526220542
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
コメントを頂いた。本を読んでもTOEIC3000語が覚えられない、ということだった。
TOEICのリーディングは結構速読が必要なので、その実力が身につくまで、100万語ぐらい、500ページのペーパーバックを12冊分程度読まないと、普通は最後までたどり着かないんじゃないかと思う。12冊分を辞書を引きながら、単語や表現の感覚を感じ取りながら舐めるように読めば、どうやっても8000語程度の単語を感覚的に理解できる、生きた語彙力が身についてるはずだ。必要なのは暗記力ではなく、文を深く読み、英語表現の意味を感じとる力だ。記憶は忘れるけれど、感覚は忘れない。忘れたと思っていても残っていて、何度か同じ表現を見かければ、その都度感覚は強化され磨かれていく。
単語を覚えるというのは読書の途中で自動的についてくるもので、ピクニックの途中で摘める野イチゴのようなものだ。しかし英語学習者は読書というピクニックには出かけず、ピクニックの準備だけを念入りに行っているように感じている。「自分にはピクニックも難しい。ピクニックに出かけたらヤマで遭難するかもしれない。その時のために食料を買い込んでおこう」と言いながら、辛い奴隷労働をして腐りかけのイチゴを買い込んでいるように見える。ヤマに出ればいくらでもおいしい野イチゴが摘めるのに、ヤマに行っても腐ってて使い物にならない表面だけの単語知識を必死で暗記しているように感じている。これは本当によくないことだと思う。
もう一つコメントを頂いた。学習者は英英辞典はオックスフォードでなく、ロングマンをやるべき、というご意見だ。
辞書から得られるものは単語の理解ではなく、ヒントでしかない。ヒントを英語で貰っても基本的に英語学習者にはわかりにくい。英英辞典自体を読み物として楽しめないなら、英英辞典を見ても英和より効率が悪いと考えている。もちろんロングマンが読み物として楽しい、読んで頭に入りやすいという方がいるならその方が良いと思う。私はオックスフォードが読み物として楽しいので使っているが、面倒な時はウェブリオに走っている。
この記事は長文すぎて最後が切れていたので、二つに分割したものの後半部分だ。前半部分はこの記事と繋がりがあるようでないのだが、いろいろと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170529095534
ネタがなくなったので、多分この増田で吠える英語考察は今回でしばらく休止するかと思います。今まで長文をご覧いただいた方、コメントを頂いた方、ありがとうございました。
さて、今回は私の英語学習法の核心、「英単語の暗記をしない」ということについて語ってみたい。
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
ここで前回リスニングについて語った内容には、凄まじい反響があった。私は1500というブクマ数にoverwhelmされてしまった。
いきなり何を言ってるのか、と思われるだろうが、私の感覚の中では、1500ブクマという気分を一番表せるのは、日本語の「圧倒された」ではなく、英語の"overwhelm"だ。
この単語はただ「圧倒された」だけでなく、「圧倒的な力に晒されて、疲弊してしまった」という感覚がある。もしこれが増田でなく普通のブログだったら、プレッシャーで何も書けなくなっていたかもしれない。
他にも、前回の「英語をあるがままに受け入れなければならない」という結論の部分は、最初は「英語をあるがままにembraceしなければならない」と書いてあったのだが、伝わらなさそうなので書き直した。embraceは「抱擁するように受け入れる」というような感覚だが、日本語で書くと何のことやらわからない。
英単語を覚えるということは、こういった単語に伴う感覚を一つ一つ身につけていくことだ。そうすれば英単語が自分のものなり、ライティングやスピーキングでも自然に単語が湧いてきて、自由に使うことができるようになる。
英単語それぞれに固有であるこの感覚をどう身につけるのか、というのがここで語りたい話題である。
英語学習の世界で良く出て来るスローガンに「英語は英語のままに理解しなさい」「日本語に訳して理解してはいけません」というのがある。
しかし「英語は英語のままで理解しろ」と言われても、初心者には何のことか分からず、何か魔術的な、自分には絶対にできない思考法によってしか、英語は理解できないのではないか、という気にさせられてしまう。私も高校生の頃に、このスローガンを聞いて、そんな絶望感に襲われたことがある。
日本語しかできない日本人にとって、言語で思考する際に使える唯一のツールは日本語だ。英単語の意味を知りたいなら、日本語の訳語なり、日本語で書かれた説明によって理解するしかない。
日本語の訳語を当てはめ、文法ルールに従って語順を並び替えて、並び替えた日本語から文意をつかむ。ノンネイティブである学習者はそこからスタートするしかない。そして大学受験レベルになっても、難関校を受験するのでなければ、その方法論で通用するだろう。
そのレベルの英語力が欲しいならば、訳語を覚えることは有効だ。
ただ、「英単語を覚えるぞ!」と単語帳を開き、そこに記された訳語や例文を見たり、書いたり、発音したりしてみても、それで記憶できるのは記憶力がいい人だけで、普通は無理だ。
そしてそのレベルの、日本語の訳語を並べ替えるような英語力では、現実世界にあるほとんどの英文は読めず、あまり役に立たない。日本語と英語はあまりにも違いすぎるので、逐語訳、直訳はほとんど通用せず、日本語の訳語をそのまま適用しても英文を理解することは出来ない。
なので、受験と関係ない大人にとって、日本語の訳語による英語の理解は、目指すべき目標にはなりえない。
「『英語は英語のままに理解しなさい』か。ならば英英辞典を使って英語で意味を覚えよう!」と考えるのは自然な発想だ。しかし、これもうまくいかない。
日本語を介して英語を理解する段階を超えるには、英単語の持つ固有の感覚を覚える必要がある。
英単語から日本語の訳語が想起されるようではいけない。それと同様に、英英辞典に書いてある語の定義が想起されるのも、その隣に書いてある同意語が想起されるのもアウトだ。そういった余計なものが出て来るようでは、リスニングはできるはずもないし、リーディングにも苦労を伴うことになる。
日本人にとっては、日本語の単語が持っている感覚を想起するのは容易い。一方、英語から感覚を想起するのは難しい。英単語と感覚を結びつけるという意味では、日本語の訳語を介したほうが早い。
しかし、日本語の訳語と英単語では、意味に違いがある。日本語の訳語を介して英単語を理解しても、不正確な理解にしかならない。しかしそれは、英英辞典に書いてある定義にしても、同意語にしても同じことだ。同意語といっても、単語が違う以上はニュアンスの違いがあり、辞典の短い説明でそれを完全に言い表すことは出来ない。
なので、単語を覚えるために英英辞典を使うべきではない。(*1)
英和辞典や英英辞典では、英単語が持っている本当の感覚を掴むことはできない。
英単語の本当の意味は、その単語が実際に使われたシチュエーションの中にあり、その中にしかない。その単語を発した人の感情であったり、伝えたいメッセージがその単語の中に込められる。それを感じ取ることが出来れば、その単語の本当に意味するところが伝わってくる。
もちろん人によって、単語に込める意味には多少の違いがあるし、一度や二度その単語に出会っただけで、その感覚を本当に自分のものに出来るかはわからない。その単語に何度も出会い、修正を重ねながら、感覚を確かなものにしていく必要がある。
いずれにしても、実際にその単語が使われている生の英語を、深く理解し、言葉を発した人物の気持ちやシチュエーションをしっかりと読み取ることで、そこに出てきた単語の本当の意味を掴むことが出来る。辞書の定義や、ぶつ切りにされた例文からでは分からない。
小説や映画のシチュエーションを深く感じ取って理解し、記憶の中に蓄積していくことで、そこで出てきた英単語やイディオムといった英語表現の意味を、実感を伴って理解することが出来る。やがてその英語表現は自分の身体の中に染み込んで、感覚的に使いこなすことができるようになる。
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
私が以前ここに書いた学習法では、「辞書を引きながら小説を読む、映画の英語字幕を一時停止しながら解釈する」といった事が勧められている。それは小説や映画が、人物の心情があり、シチュエーションがある生の英語の塊だからだ。そして「自分が楽しめるものを見る」ことを勧めているのは、そうでないと登場人物の心情に寄り添ったり、シチュエーションにハラハラすることが難しくなり、英語を感覚的に深く読み取ることができないために、著しく学習効果が落ちてしまうからだ。
ここで使う辞書はもちろん英和で構わない。ただし辞書の記述はヒント程度にとどめ、単語の本当の意味は作品の中から感じ取ることが重要だ。辞書からは単語の感覚を理解することは出来ず、実際に使用されたシチュエーションを蓄積することでしか、単語を自分のものとすることは出来ない。
単語やイディオム等、全ての英語表現は、小説や映画や実体験などから、記憶の中にその表現が使用されたシチュエーションが蓄積されることで、その表現に固有の感覚が醸成されていく。
そのシチュエーションが印象深いほどに、感覚はより明確になり、記憶への定着率も上がる。そしてシチュエーションの数が増えるほどに、感覚はより正確に、記憶はより強固になっていく。
シチュエーション自体は時とともに忘れてしまう場合が多い。しかしその表現に染み付いた感覚は、シチュエーションを忘れた後も残っている。
そして英語表現からその感覚が直接想起されるようになれば、日本語を介さず「英語を英語のまま理解する」状態に至ることができる。その状態に至れば、その英語表現を感覚的に理解し、適切な時に適切な形でアウトプットすることも出来るようになる。
そうはいっても、「私の英語力では小説も映画もとても歯が立たない。それは語彙力が足りないからだ。まず単語を覚えなければ」と考える人は多い。
そして単語学習のあまりのつまらなさ、記憶の定着しなさに絶望して諦めてしまうというという人が後を絶たない。しかしそれは根本が間違っている。
辞書というものがある以上、英語を解釈するのに語彙力は必須ではない。テスト問題を解くためには、辞書なしで英語を読み解く力が必要かも知れないが、小説や映画を味わうために必須なものではない。
「単語を調べるためにいちいち辞書を引いていたら、話が先に進まず、読書体験がぶつ切りになるので楽しめない」という考え方もあるだろう。しかし私は「辞書を引きながら頑張って読んだからこそ、心に深く残る読書体験になる」と考えている。
通常の母国語の読書では、立ち止まり、辞書を引き、文法構造を考え、熟考しながら読み解くというような作業はまず行わない。学習者が文章を理解するために行うそれらの作業は、文章を深く読むことにも役立っている。
最初に読んだ一冊、私の場合は"There's a Boy in the Girls' Bathroom"という児童書だったが、当時の私には非常に難しく、何度も立ち止まり、辞書を引き、検索し、英文法に立ち返り、悪戦苦闘した。ただ、これは本当に素晴らしい本で、読む価値があると思えたから頑張ることができた。登場人物の心情に寄り添い、シチュエーションにハラハラしながら、苦しいながらも素晴らしい読書体験をすることが出来た。
一冊目を終えれば二冊目はずっと簡単に読めた。三冊、四冊と進むに連れて英語力がぐんぐんと増していき、読書から苦が減り喜びが増していった。やがて「ゲームの達人」のような大人向けにも手が出せるようになり、刑事ハリー・ボッシュシリーズにハマる頃には映画を英語字幕で存分に楽しめるようになっていた。
そして今はKindleがある。単語を長押しすれば辞書が引ける、検索も直ぐに出来る、洋書はなんでも安くダウンロードでき、スマホに入れて持ち運べる。これは英語学習のために存在するような素晴らしいツールだ。
Kindleがあれば語彙力は読書の障害にはなりえない。ただし、児童書レベルでも英文を読むためには、ある程度の文法力が必要だ。そのためには受験参考書を活用してほしい。日本の受験英語界には素晴らしい文法解説がたくさんある。
日本語を介してしまうと英語を深く感じ取れないため、基本的に日本語訳は使うべきではないと考えている。
ただ、どうしても理解できない英文に出会うことはある。いくら時間を費やしても理解できない、そういう時には、日本語訳を見る。日本語字幕であったり、訳書であったりだ。プロフェッショナルの訳からは、独習では得難いものが得られることも多い。
世の本屋には「基本単語1000」とか「TOEIC必須単語3000」といったような、頻出単語とその意味を並べた参考書が大量に並んでいる。
「英文に登場する単語の90%は1000語に含まれる、だからこの基本語をまず暗記して、それから英文を読むのが効率的だ」などと言う人もいる。しかしこれはほとんどデタラメである。
英文に登場する単語の大半が基本語なのは確かだ。しかし500ページそこそこの参考書に1000個も意味が書けるほど、基本語の内容は浅くない。私は今でも日常的に、基本語を辞書で引いている。そしてその単語のさまざまな使い方を見て、基本語の奥深さを噛み締めている。
英語は読むにしても、書くにしても、聞くにしても、話すにしても、基本語は身体の一部になるぐらいまで深く理解する必要がある。実際の英語の中で気が遠くなるほど何度も遭遇し、使用シチュエーションを蓄積し、自分でも使ってみる、そういった積み重ねの中でしか、その本当に意味するところは分からない。参考書レベルで基本語を分かった気になっても、少し派生的な意味で登場しただけで分からなくなるのがオチだろう。
そして英語の語彙の中で特に難しいのは、基本語の組み合わせによって発生する熟語、イディオムである。イディオムの意味は単語が意味するものから大きくかけ離れていることが多く、故にイディオムと呼ばれるわけだが、この知識も参考書ではほとんど得られない。このように、90%とされる基本語の中にも、参考書に含まれていないものが大量にある。
「それでも、頻出単語の基本的な意味だけでも抑えておくのは重要ではないか。小説などでランダムに出て来るのに任せたら、時間がどれだけかかるかわからない」そう思う人もいるだろう。
しかし、頻出語は頻出するから頻出語と言われる。基本単語1000ぐらいなら、小説を1冊読む頃には否応なく頭に染み付いているはずだ。それも単語の参考書で得たものとは違って、単語から想起される感覚を伴った、生きた英単語として身についている。
TOEIC3000語も、何の本でも数冊読めばほぼ頭に入っているはずだ。3000語を感覚的に理解できるようになれば、その3000語で構成された文は、日本語を介さず感覚的に理解できるようになり、「英語を英語のままで」理解できるようになる。そうなれば読書がスムーズに進むようになり、インプットのスピードが上がり、それが英語の上達を加速させる好循環に入ることができる。成長の実感は英語学習のモチベーションを高め、それがさらに成長を加速させる。3000語を感覚で理解できる頃には、英語学習にドハマリして抜け出せなくなっているはずだ。
高難度の単語は出現頻度が低くなるので、そういった単語を網羅的に学習するのは、小説や映画ばかりを偏って見ているノンネイティブには難しいかもしれない。英語上達完全マップによると、多読などの自然な方法に任せると二万五千~七千程度で語彙力は伸びなくなるという。
現在私の語彙は2万5千~7千と思われますが、多読などの自然なボキャビルにまかせると、この当たりで語彙の伸びは止まるようで、ここ10年くらい同じレベルにとどまっています。 http://mutuno.o.oo7.jp/05_training/05_training06.html
それ以上の高難度の単語を網羅的に学習したい場合は、単語の参考書を使うのは有効だろう。高難度の単語なら基本語のように意味が派生したりイディオムになったりということは少なく、参考書レベルの理解でもなんとかなるかもしれない。
ただ、参考書による単語学習はやっても覚えられないので、私はやらない。無数にある見たことのない単語の予習に励むより、知らない単語が出てきても、話を追い続ける力を磨いたほうが現実的だと考えている。
何の学習法でも言えることだが、自分が今やるべきでない学習法、自分に合ってない学習法は、やってみると身体が本能的に拒否する。そういう学習法は、無理にやっても身が入らないのでやらないほうが良い(もちろん私の勧めている学習法も含めて)。
気持ちよくて、クタクタに疲れられる学習法と出会ったら、それをやるべきだ。疲れているということは脳が働いているということで、気持ち良ければずっと続けられる。
そのうちに慣れると疲れなくなってくる。トレーニングしても疲れていない場合、上達は見込めない。そうなったら学習法をアレンジし、負荷を上げて、気持ちよく疲れられるところまで調節する。誰かに教わった学習法でも、こうして自分の今のレベルに合った形にアレンジすることで、効果を高めることが出来る。
追記:
*1 しかし英英辞典自体は、それを使いこなせる英語力が身についた後ならば、英語学習の強力な武器になる。 私は普段はオックスフォード英英辞典を使っている。グーグルの使用言語を英語にして単語をググると、一番上にオックスフォードの記述が出てくるので、まずこれを見る(出てこない場合は検索語にdefinitionを加える)。Kindleに無料でついてくる英英辞典もオックスフォードだ。 オックスフォードでは、英単語をより難しい英単語で説明している。その単語も辞書で引くことで、際限なく難しい単語に出会えるため、いくらでも語彙を増やすことが出来る。単語の定義も難解で味わい深く、その文章に触れること自体が英語力を向上させてくれる。
前回ここでリスニングの学習法を書いたところ思いのほか反響を得ることが出来た。
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
今回は実際のところどうやってリスニングしているかをまとめてみようと思う。
リスニングは無意識下で行われる実に精妙なプロセスで、自分でもどうやっているのか正確にはわからないが、注意して観察すれば大まかなところは分かってくる。
まず単語について。日本語は「交渉、高尚、考証、公傷、公称」のように同音異義語が多い言語だ。「こうしょう」は広辞苑で50の見出し語を持っているという。対して英語は単語の意味が時代とともに付け加わり多義的になっている。Random HouseでTakeを引くと126の意味が登録されている。
どちらにしても、音を聞いただけでは単語の意味を特定することは出来ず、文脈から単語とその意味を導く必要がある。
文脈が分かっているということは、あらかじめ相手のいいたいことが予想できているということだ。現在のトピック、話の向かっている方向、相手のいいたい結論がわかっていれば、リスニングは格段に楽になるが、我々学習者はそれを簡単に見失ってしまい、リスニングは著しく困難になる。
相手の表情や身振り、口調などは文化的な差が大きいが、これに慣れることで相手の話したい内容が事前に予想できるようになり、リスニング力が上がる。
文脈を踏まえ、相手の言いたいことを察知した上で、相手の話の最初の数語を聞く。そこで出てきた単語や文法構造を元にして、その後に続く文を人の脳は予測することができる。
正確に言えば、英語を学習した脳において、文の最初の数語、動詞が出て来るまでを聞けば、その後の展開として考えられるさまざまな可能性は、あらかじめ学習によって脳の回路に刻みこまれているので、その回路が後に続く文を効率的に解釈してくれる。
我々は学習によって脳の回路を育て、「始めがこうなら、文の続きはこうなる」という様々なパターンを繰り返し刷り込んで、文を解釈するために必要な脳の回路を作り上げている。そのおかげで、音を聞いてリアルタイムに文として解釈することが可能な脳が構成できている。
あまり適切な用語ではないが、これを便宜的に脳による予測と考える。あらかじめいろいろな展開に備えた準備を入念にしているので、「その展開は俺の予測の範囲内だぜ!」といった返しが、どんな文の展開が来ても出来るような状態にあるということだ。
予測の中に正解がなかったら、リスニングは失敗する。文のパターンを大量に仕入れて、最初の数語を聞いただけで引き出せるようにしておくことが必要だ。
相手の話が進むにつれて、予測された文の解釈の候補が次々と脱落していき、相手の話す一文の終わりにはその解釈も一つに定まる事が多い。
詩的な文では、それが何を意味しているのか一つに絞りきれないことがある。そういった場合複数の解釈が渾然一体となって聞き手の脳内に残り、深い味わいを残すことになる。
日本語と英語では思考の順序がまるで違うので、英語を最初から順番に解釈していくのは多大な困難を伴う。しかしそれが出来ない限りリスニングは不可能だ。このときに頭のなかで何が起きているのかできるだけ詳細に追ってみようと思う。
英語は単語ごとに区切りがなく、滑らかにつながって発音される言語で、それが日本人による聞き取りを著しく困難にしている。
ただ、最初の一語に関しては前に繋げるものがないので、ネイティブにとって少し無理をしたような発音になり、変な音が漏れることがある。これを単語と誤解しないようにしなければならない。
また、変な音の発生を避けるために一瞬「ウェ」という音が入ることがあり、これは喋ることを考えている時に文頭に出てくる単語"Well"とされ、日本語で言うと「ええっと」とか「まあ」にあたる。しかし実際は最初の一語をスムーズに発声するための準備運動という意味合いが強い。
最初は主語としてのHeとかIとかTheyとかWeのような、非常に出現率の高い単語が出てきやすい傾向がある。
日本語では主語の省略が頻繁に起こるが、英語では発音の省略が起こる。日本語では言わなくても分かることは言わずに省略するが、英語では言わなくても分かりそうなことは発音がいい加減になる。
文頭のTheyやWeなどは一瞬th音やw音が聞こえるだけということも珍しくない。一般的に、出現率が高い単語ほど発音がいい加減になる。
文頭が聞き取れないとその後も何を言ってるのか分からなくなってしまいがちだ。最初の語が聞き取れなかった場合、主語は重要でなかったのだと考え、とりあえず先に進んでみるのが重要である。
ちなみに英語でもIt isは省略されて全く発音されないことがある。しかし英語字幕の中では、ないと不自然なため補われていることがあり、学習者からすると「字幕と言ってることが違うぞ!」という困った事態になる。
英語字幕では話し言葉としては自然だが文法的に間違った表現が直されていることがよくあるため、注意しなくてならない。
主語の次は動詞か、あるいは助動詞がくる可能性が高い。その中でも、一般動詞ははっきり発音されるので聞き取れるはずだ。
助動詞、あるいはbe動詞は非常に出現率が高いため、ほとんど発音されないことがよくある。
w音が来た場合はwillかwouldである。ほとんど聞き取れない一瞬の休符を感じたらそこにはcanが入っている可能性が高い。r音を感じたらYou're, They're, We'reの'reの部分だ。
そういった出現率の高い音を覚えて一瞬の音を聞きのがさないことが重要だ。
助動詞の後には動詞がくる。その後に来る文のパターンはそれぞれの動詞によって変わってくる。
動詞はその次に目的語をとるもの、補語として形容詞も取れるもの、go toのように前置詞を置かないと目的語が取れないもの、目的語が二つ取れるもの、二つ目の目的語の前に前置詞が必要なもの、二つ目の目的語の位置に動詞の原形が入るもの、ing形が入るもの、to+動詞が入るものなど、様々なものがある。一つの動詞に様々な使い方があり、句動詞と言って動詞の後に続く前置詞や副詞のコンビネーションにより意味が大きく変わるものも多い。リスニングを成功させるためには、動詞ごとの文の展開の全パターンを把握し、脳に刷り込んでおく必要がある。
ちなみに、前置詞の後にくる目的語は、動詞の目的語と考えず前置詞の目的語と考えるのが正しい文法用語のはずだが、私は区別していない。正しい文法用語で思考している人には不便だろうが、ご容赦願いたい。
目的語の中には自分の言いたいポイントになる目的語と、そうでないどうでもいい目的語があり、どうでもいいものは弱く、ポイントになるものは強く発音される。
目的語を二つとれる動詞giveで説明すると、「I gave him a ○○」私は彼に○○をあげた、という場合は、何をあげたかに話の力点があり、彼にあげたというのは話の流れから明らかな場合が多い。
このhimのように、「出現率の高い単語の発音はいい加減になる」というルールに当てはまり、話の力点も乗っていない単語は、音が省略され聞き取りは非常に困難になる。例を挙げると、himは「イム」、herは一瞬「ァ」themは「エム」itは一瞬「ィ」といった発音になる。
前置詞も非常に出現率が高く、話の力点が乗ることもあまりないので発音が省略されやすい。ofは一瞬のv(ヴ)音、withは一瞬のth音といった感じになる。
thやvは日本語にはない音なので、聞き取るのが難しいが、注意して聞いていれば分かるようになってくる。正しい発音の仕方を覚えて、音読時に実践していると、さらに聞き取りやすくなる。
それでもやはり、日本人にとって、音から単語を正確に識別するのは難しい。それに英語にも同音異義語はある。
それが母国語であれ外国語であれ、単語は「音、文の形、文脈」の3つの要素から、無意識下で総合的にリアルタイムに判断される。
たとえばwantとwon'tの違いが音から分からない、という事が私にもある。この二つはそもそも発音が異なるので、ネイティブなら区別は容易なはずだ。しかし日本人にはなかなかそうは行かない。
助動詞は本来弱く発音されるが、否定形のcan'tとかwon'tのようなものは否定であることを強調するために比較的強く発音されるため、普通の動詞との判別が難しい。また、I want you to ~のように「君に~をして欲しい」の~の部分に力点が置かれる場合、I want you toの辺りはゴニョゴニョと発音されて弱くなるので、won'tと区別がつかないといった事が起こる。
しかし、ウォントの後にtoやyouが来れば「さっきのはwantだった」動詞が来たら「さっきのはwon'tだった」と判断し、名詞にも動詞にもなる単語が来たら、文脈やリズムから名詞か動詞か判断する、といったことで区別が可能だ。このように、様々な情報を無意識下で総合的に使うことでリスニングは成り立っている。
これは実は母国語でもそうで、日本人の話す日本語でも、発音が曖昧だったり、失敗していることは結構ある。注意して聞いていると、聞く側が自然に補って意味を汲み取っていることが分かる。音から言葉が分からなくても、他で補って総合的に判断するというのは、人の脳が持っている能力だ。
日本語と英語の発音は大きく異なり、日本人には英語の音を判別するのは難しい。けれど周りの情報を使うことで弱点を補うことが出来る。
たとえば一瞬しか発音されない前置詞を日本人が聞き取るのは難しいが、動詞から現れる前置詞のパターンが予測できていれば、一瞬の音でも聞き取りやすくなる。たとえ聞き取れなくても、予測した文の形に当てはめてみることで、文脈から前置詞を補い文を完成させる事もできる。
英語は動詞によって文の形のパターンが大体決まっていて、文の展開の予想を立てやすい。もちろん動詞を副詞で修飾したり、toやed形,ing形などを介して名詞を修飾することで文章を飾ったりもするが、修飾部は文の屋台骨である主語動詞目的語とは発音のリズムが変わるので区別できる事が多い。
それでも問題になってくるのは関係代名詞who、that、それと「関係代名詞の省略」のパターンである。
関係代名詞who,thatは出現率が高く、発音が省略されるので聞き取れないことがよくある。一瞬のh音やth音を聞き逃さないことが大事だ。
関係代名詞の中は修飾部なので、文のメインとなる主語、動詞、目的語よりも一段弱い感じで発音することが多いが、区別は難しい。話の力点が関係代名詞の中にある場合もあり、その場合は同等かより強く発音されることもある。
ちなみに英語において、弱く発音されるということはゴニョゴニョと、速く発音されるということであり、聞き取りにくくなる。英語は重要度が低い部分は聞き取りにくく、速くなり、重要なことははっきりと、遅く発音することで、文の構造をリズムで表現する。
主語や目的語のあとにいきなり主語動詞が出て来る、つまり「主語、主語、動詞」や「目的語、主語、動詞」の形が出てきたら、関係代名詞が省略されているか、あるいは関係代名詞が聞き取れていない。
関係代名詞が主語を修飾している場合は、その後でメインの動詞が来ることになるので、それを忘れないようにしなければならない。「主語 who 動詞」や「主語 that 動詞」で関係代名詞を聞き逃すと、ただの「主語、動詞」と認識されるので、その後に動詞が出てくると激しく混乱することになる。
関係代名詞を聞き逃さなかったとしても、文の途中で他の文を処理して前の文と頭のなかでつなぎ合わせるのは難しい。そういう複雑な文の構造を使いたがる人は、さらにandで繋ぎたがる傾向があり、そうなるとお手上げということになってしまいがちだ。
一文が長くなってくるにつれて、何の話かわからなくなるのは誰にでもあることだ。それが外国語であれば避けては通れないように思う。
文全体の構造を見失ったとしても、今いる部分の意味を追い続けることが重要だ。文脈、話の向かう方向さえ追えていれば、その先の話を聞き取るのに不都合が生じる可能性は低い。混乱しても立ち止まらずに話を追い続ければ、言いたいことの要旨は分かる可能性が高い。
関係代名詞whatや関係副詞where, whenなども弱く発音されるので聞き逃しやすい。I know where you live(あなたの住所を知っている)と言った時にはwhereとyouが弱くなってウェユリヴ、what it is(それが何であるか)といった場合はwhatもitもisも頻出語のため全部ごちゃっとなってワリリズといった感じになる。
英語において「場所、時」は文末にいきなり現れる。なのでwhere,whenはどんな文でもいきなり出てくる可能性がある。
さまざまな場面で、w音は聞き逃すと話を見失う原因になるため、注意して聞く必要がある。
英語において音の省略はインフォーマルな、友達や職場の同僚との会話の時などに起こりやすい。目上の人との会話や、フォーマルなスピーチでは、いい加減な発音は起こりにくく、日常の何気ないところでは発音が崩れて、聞き取りの難度が格段に増す。
これも結局のところ、フォーマルな会話は重要なのではっきりゆっくりと喋り、プライベートは重要な話ではないので発音がおろそかになって、ゴニョゴニョと早く喋っているということだろう。
私は英語があまりできない日本人が「日常会話ぐらいなら出来ます」といってるのをよく見かけるが、あれはおかしな表現だと思う。日常会話を聞き取るのはかなり難しい。
フォーマルな場では、日常使われるような基本単語を用いた分かりやすい表現は避けられ、婉曲で難解な言い回しが知的な感じがして好まれる。これはこれでとても難しいのだが、インフォーマルな場では砕けた発音やスラングが出てくるので、これもすごく難しい。そういった英語の癖を掴んで、そういうものとして受け入れてやっていくことが大切だ。
さて、いろいろ書いてきたが、実際のリスニングの場で意識してこれらのことを実践することはできない。リスニング中にゆっくり考えている時間はなく、全て反射的に無意識に行えなければいけない。
英語の理解を反射にまで高めるためには、音読や、集中して繰り返し聴くことを行い、反復して脳に刷り込んでいくことが必要になる。
頭の中で黙読している時でも、英文が自分のモノになっておらず、反射にまで至っていない場合、スルッと頭に入らず、引っかかる感覚がある。それに出会ったら、繰り返し音読したり黙読したりして、スムーズに頭に入るようにする。その積み重ねによって刷り込みが行われ、文が反射的に理解できるようになり、リスニングや、返り読みなしのリーディングが出来るようになっていく。
リスニングの上達は基本的に無意識レベルの刷り込みによるものだが、注意すべきポイントを理屈の上で意識していれば、脳内の処理も効率化されやすく、上達も早くなるように思う。
また、これらのポイントが意識できていれば、「何だこの発音は! 全く聞き取れないじゃないか! 納得いかない!」といった混乱をすることが少なくなり、学習がスムーズに行くのではないかと考えている。
私の英語学習は混乱の連続だった。日本語と英語がなぜこんなにも違うのか、私には今でも納得いかない部分がある。怒りと諦めがないまぜになったような感覚と、それでもいつか理解できるんじゃないかという希望が私を英語学習に駆り立てている。
それでも、納得できないうちは頭に入ってこないので、なんとか納得して折り合いをつけて、受け入れて学習をすすめなければならない。
字面と全く意味が違うイディオムを受け入れ、ゴニョゴニョした発音を受け入れ、増えていく単語の意味と勝手に作られていくスラングを受け入れ、知的すぎて難解な言い回しを受け入れ、優秀なキャリアウーマンが話す信じがたいほどの早口を受け入れなければならない。
私は英語を趣味にして久しく、英語学習法などいろいろ探したり手を付けたりしてみたが、リスニングに関しては出来るようになりそうなのを見たことすらない。なので自力で手法を開発していくしかなかったのだが、その手法はなかなかの成果を上げ、最近では自分の納得いくリスニング力にかなり近づくことが出来た。嬉しいので今回その手法をシェアしてみようと思う
私は大人向けのドラマや映画を見ながらリスニング力を鍛えたが、子供向けのものも実はリスニングのレベル的には大差がないので、より面白く感じてモチベーションを保てるものをやっただけだ。自分の好きなものを見て、楽しく続けるのが結局は一番効率的になる。英語教材は高いが映画のDVDなら100円で借りてこれるのでお金もかからない。
スポーツや勉強など通常のトレーニングでは、考えて仮説を立て実際にやってみて実証するといったプロセスをとる必要があるが、リスニングは考えても出来るようにはならない。英語音声を何回も聞いてみて、必死で意味を考えてみたところで何を言ってるかわかるようにはならない。
まず第一に音を覚える必要がある。だから英語の字幕が出ない映画やドラマなどは見ても意味がない。英語字幕ありとパッケージに書いてあるものを借りてきて見なければならない。
英語字幕を出さずに視聴をする意味があるかというのは実は大きな問題である。最初は何を言ってるのか全く分からないはずなので字幕なしで見る意味はない。
字幕を出しながらの視聴でもネイティブがペラペラしゃべっていると字幕を読むのすらついていけないという人も多いだろう。一時停止をしながら意味を確認しようとしても、映画やドラマに出てくる口語表現やイディオムは難しいため一時停止しても意味がわからないということもある。その場合はまずリーディングの訓練をすることをおすすめする。簡単な英語の小説なら普通に読破出来るくらいのリーディング力がないと、ドラマや映画を視聴するのは難しい。
ある程度のリーディング力がつけば、一時停止して字幕を見ながらネット検索などで一つ一つ意味を確認していく、という作業を全体通して2,3周繰り返すことで、字幕の英文の意味を全て把握することが出来るようになる。そうしたら字幕を消して視聴し、役者がしゃべっているセリフと頭のなかにある英文を比べていく。一致してるように思えない場合は、字幕を出したり消したりしながら同じシーンを繰り返し視聴し、字幕の英文を繰り返し音読し、テレビの中の役者のセリフに近づけていく。これは出来るまで100回でもやる価値がある。
1箇所を100回やっても分かるようにはならないが、長期間やり続けることで音の解像感が上がっていき、役者の話している音ひとつひとつが捉えられるようになり話している言葉も徐々に分かるようになってくる。
音を聞いて頭の中の英文と比べる作業は初めはものすごく疲れるし、うまく出来ないので辛くなるだろう。わからない箇所を100回音読する作業を全体通して3,4周するのが理想だが、別に10回でもいいし、1周でもいい。やり続けることが一番大切なので出来るペースでやっていくことだ。初めは一時間のドラマ一話に一ヶ月かかるかもしれないが、そのうち音読が必要な箇所が減り必要な音読の回数も減り、聞き取れるまで何周もする必要もなくなるので、一日かからず出来るようになる。
わからないシーンを何回も聴き直すためには、巻き戻しを効率的に行えるようにすると良い。このためにはDVDを取り込んで再エンコードし、キーフレームの間隔を狭めるという作業が必要になる。これは多大なPCの知識が必要で、法的にもグレーなので自己責任で行って欲しい。
それと、動画の再生はパソコンで行うこと。Media Player Classic Home Cinemaのようなソフトが良い。「前のキーフレームに戻る」「次のキーフレームに行く」「字幕のオンオフ」「再生/一時停止」のキーボードショートカットを覚えて自由に使いこなせるようにしておく。私は全て矢印キーに配置することで快適に操作できている。
役者の音声と英文の対応をとっていくうちに、様々な役者の様々な発音、訛り、音響による音の違いなどが頭に入ってきて、やがて初見の音でも何を言ってるのか分かることが増えてくる。そうなればいよいよ映画を予習なく最初から字幕なしで見るというトレーニングが出来る体制が整う。
音は覚えられたが、話のスピードが速くてついていけない、途中で疲れて集中が途切れてしまって意味が取れない、といった場合がある。そういった問題に対処するためには、脳の動作スピードを上げる筋トレのような作業が必要で、このために字幕を出さずにそのまま聞くトレーニングは有効である。
この脳の動作速度の問題は、実は大半がリーディングでも鍛えることが出来る。返り読みなしのリーディングをスラスラこなすことが出来るなら、リスニングでも音さえ取れれば意味を捕まえることは難しくない。リスニング能力の向上に行き詰まったら、リーディングのトレーニングも併用することをおすすめする。
私のおすすめのトレーニング法は、ただ辞書を引きながら英語の小説を読んでいく、というものだ。児童文学にも大人の鑑賞に耐える楽しいものが多いので、そういったところから徐々にレベルを上げていけば良い。小説は児童文学でもいろんな語彙が出て来るので、辞書を引いていけば自然に語彙力もついていく。
日本人の一般的な英語力では児童文学でも読破はかなり難しいが、そこは学習参考書とかネット検索、質問サイトなどを駆使しつつ根性で何とかする。最初さえ越えてしまえば後は「小説を読む」「映画やドラマを見る」といったことだけで英語力は際限なく上げることが出来る。楽しくて実用にもなる最高の趣味になることは保証できる。