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はてなキーワード: 学問とは

2023-10-02

アテンションエコノミー研究論文

ワイはアカデミックなことに詳しくないから、イメージで言うわ

まず、少なくともアメリカでは研究助成金を得る必要があるわな

その助成金がどういう根拠で発生するのかというと、社会的関心とかそういう政治の話になるやん

そうすると「一般向けに解説した物理学書」とか、そういうもの意図がわかってくるで (つまり社会的関心の増加やな)

社会からアテンションを獲得した研究助成金が集中するってわけやな

研究ってのは、役立つとか注目されているどうとかじゃなく、幅広く行われて然るべきやと、理想的にはそう思うんやけど、現実には「僕の論文見てください(泣)」って懇願してる状況やん?

ワイが言いたいのはな、学問自称エリートだけの専売特許にすると、回り回って報われなくなるでーって話や

2023-09-30

anond:20230930122726

学問基本的に先鋭化するほど盲目的にもなると思うけどね

変に視野を広げるとそれこそ専門性から言及できないのに社会全体を論評したがる社会学のようになる

2023-09-28

anond:20230927143715

フェミ従属してると思い込んでんのはアンフェだけ。

男性学男性が救われるために自身のことを掘り下げるっていう学問

アンフェは「男がいなくなって困るのはお前らだぞ」チラッチラッみたいな仕草が多くてクソダサい

女が嫌いと言いながら常に女が気になって仕方ないかわいそうな存在

2023-09-27

anond:20230927140527

日本男性学は、学問としての水準はともかく、道徳的にはかなり優れた学問だと思う。

たまに、それでもフェミニズム研究者から自己批判が足りていないと指摘されることもあるけど、女性無謬性をベースにした上で男性性を議論するところは信頼できる。

アンチフェミとは、学習障害なのではないか

フェミニストなのでアンチフェミと穏やかに対話してたんだけど、話がマジで通じない。

フェミニズム思想どうこうとかじゃなくて日本語理解の部分で躓きすぎて本題に入れない。単純な事実とか、すごく簡単構造の文じゃないと理解できない様子。

しかも読み取れてなくても「分からない」とは言わずに、分かってないまま話を進めようとする。もしかしたら何が分からないのかも分からないのかもしれない。分からないのが当たり前なのかも。これは、支援級で見た子たちの振る舞いそのものだ。


旦那や男友達女友達はワイのそのフェミ文を難なく読める理解できるし分かりやすいとまで言っていた。そもそもライターとして寄稿した経験もあるのでワイの書く文章がわかりにくいわけではないと思う。

彼らが話す言葉も、事実学問意見感想などのレイヤーがごちゃ混ぜになっていて、それはあなた感想だよね、そこは意見だよね、それは事実だよね、と整理する必要があって全然噛み合わない。抽象概念理解が難しいようだった。

小学生の段階で勉強に躓いている子は国語ができないと聞いたことがあるが、その子たちが大人になったらおそらくこんな感じなのだろうなという雰囲気

煽りではなく、アンチフェミの方々は殆ど言語理解問題のありそうな人ばかりだった。発達障害とか、境界知能とか。

何かの本で、フェミニストになる女性とは、わざわざ体制権力に立ち向かうような人物なので女性の中でも賢く勇敢な上位の女性が多く、

アンチフェミになる男性とは、男性の中でも障害を持っていたり落ちこぼれだったりする下位の男性なのだというのを読んだことがある。

これは、フェミニストアンチフェミは話が通じないわ、と思った。

フェミニスト博士号持っててばんばん論文引用したりしてくるのに、アンチフェミ感想事実区別がついてないんだもの

世の中の親御さんたち、少しでも怪しいなと思ったら障害支援積極的に受けてください。普通学級や普通の子として育てたい気持ちはわかりますが、必要サポートを受けられない方がその後苦しみます

anond:20230927094236

根拠は?根拠は?って、政治的には0点の質問

数学医学はそれでマル貰えるかもしれんが、論理的思考ができんのやろう。

端的に言うと知能が低いからそんな馬鹿馬鹿しい質問するわけね、周りの人間はお前の質問に答えられないのではなくお前が馬鹿すぎて相手にする価値がないか時間無駄なので話したくないの。理解できる?


まり前例ない政策をできないとなると現行の政策過去ほとんどの政策文句をつけなければならない。新しい政策を試すことができないしな。しかしお前はそれをしない。恣意的にチョイスしたお前の気に食わないものにだけ文句をつけ、お前の知らない政策放置することになる。矛盾してるし馬鹿馬鹿しいしコイツは前提や結果や質問意図自分でも理解していない。質問になってないしお前の言葉の全てに価値がないの。お前の知能が人間じゃなくて猿のレベルからだね

人類政治を何一つ実現できないことになる。

または全人類をとりあえず100〜1000万人単位区分して数世代実験台として犠牲にするしかなくなる。しか社会現象は影響する事象があまりにも多岐に渡る。もしそこに統計を持ち出そうと言うなら、数世代じゃ効かないよね

世代とか膨大な人数を社会実験人類として管理するしかなくなる。

それに文系学問効果的かどうかや根拠があるかどうかを徹底的に重視はしない。数字を求めるのは理系学問仕事であって、文系学問集団が何に基けば幸福を実現できるかとか、効果的な方法模索が人を殺すとかの非人道的方法にならないようにするとか、答えのないものも取り扱う目的学問創造学問からだ。

お前はそもそも政治理解してないし文系科学幼稚園レベルしか理解してない。カスゴミ低脳。これだから池沼ゴミカスなんだよ。他人時間を奪うことを何とも思わない。他人迷惑になることしかしない。論外

2023-09-26

anond:20230926155846

モルガンエンゲルス

ここに欠けているのは、人類進化についての真の理解である。第3章で、G&Wは、人類学の主流派コンセンサスとされる、現存するアフリカ狩猟採集民-「小さな移動集団」で生活する素朴な民-に私たちの採食祖先をなぞらえたことを批判している。そして第4章で、彼らは考えを変える。人類学の主流派コンセンサスとは、オーストラリアアボリジニのような狩猟採集民のことである

大陸を半周し、まったく異なる言語を話す人々の間を移動しても、キャンプ自国と同じようなトーテムの部族に分かれている。このことが意味するのは、住民の半分は彼らに歓待義務を負いながらも「兄弟」「姉妹」として扱わなければならず(そのため性的関係は厳禁だった)、もう半分は潜在的な敵であると同時に結婚相手でもあったということだ。

ルイスヘンリーモーガン1877年)は、いわゆる「分類的」親族関係発見に基づいて、私たち学問分野を創設した。その原理は「兄弟の同等性」として要約できる。たとえば2人の兄弟は、その関係性に関して互いに相手立場に立つ。ある女性は妹に、『あなたの子どもは私のもの、私の子どもはあなたのもの』と言うでしょう。だから子供に関して『私有財産』という概念はない。家族生活は『核家族』ではない。すべての子どもは、数多くの異なる「母親」や他の支援者である親族の間を自由に行き来することができ、大人になるまでそのような自由享受し続ける。

人生がこのように構成されるとき、その結果は並外れたものとなる。誰もが、広大な地域に広がるつながりの鎖の中で、形式的には互いに同等に扱われる「兄弟」や「姉妹からのもてなしを期待できる。この結果のひとつは、国家が成長する土壌を持たないということだ。人々が自主的組織化され、互いに同盟を結び、育児セックスダンス、家庭生活の喜びがより共同的に経験されるようになれば、国家が入り込んで埋めるべきデッドスペース、つまり社会的空白はなくなる。国家に取って代わることな国家廃止することはできず、共同体的な家族生活今日世界では、自己組織化された近隣地域やその他のより広いコミュニティ)は、そのためのひとつ方法なのである

不思議なことに、グレーバーとウェングローはその長い著書の中で、親族関係についてほとんど何も語っていない。グレーバーとウェングローは、モルガンエンゲルスパラダイム批判する代わりに、『家族私有財産国家起源』(エンゲルス1972[1884])におけるエンゲルスヴィジョンをひっくり返している。彼らの言う「はじめにあったもの」は、私有財産宗教、そして国家である。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるもの観念と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。マーシャル・サーリンズとの共著『王について』(2017年)では、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたのだから国家原理人間の条件の不動の特徴であるとさえグレバー示唆している。

アナーキスト私有財産国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、『万物黎明』はそのメッセージに重みを加えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。個人的には、すでに燃え尽きようとしている惑星に、どのような「飛び地」があるのか想像するのは難しい。グレーバーとウェングローは、「もうひとつ世界可能だ」という革命スローガン放棄したようだ。代わりに彼らが提示するのは、「階層平等は、互いに補完しあうものとして、ともに出現する傾向がある」という悲痛なメッセージだけである(p.208)。(p.208)彼らは、どこか別の場所で抑圧を受け入れなければ、ある場所自由を手に入れることはできないと言っているようだ。

ここからどこへ行くのか?

このような批判はあるが、本書の重要な点は、振動提唱していることである。すべての生物には脈動がある。生きては死に、目覚め、眠り、息を吸っては吐き、季節の移り変わりや、私たち生命に優しい地球太陽・月の軌道系のその他多くの周期性によって動かされているのだ。

私たちは、物理的にだけでなく、社会的にも政治的にも、惑星地球をもう一度回転させる必要がある。これは、人々に配慮支配や統制を混同するなと言うことでできることではない。それは、学校ストライキ支援し、そのピケラインで歌い、職場まで行動を広げ、通りで踊り、交通遮断し、資本主義を完全に停止させることによってなされるのだ。

しかし、いったん主導権を握ったら、次はどうするのか?ストライキが長引けば、すぐに飢餓に陥る。だから、揺り動かそう。例えば、週1回の学校ストライキもっと長くし、月に1回実施し、賃金奴隷から人類解放するまで世界中に広げよう。炭素排出量は即座に50%削減される。それから仕事に戻り、必要に応じて再編成する。資本主義に逆戻りしないと確信できて初めて、仕事に戻るリスクを冒すことができる。そして、次の新月には子どもたちとともにピケラインに戻ると誓い合って初めて、それを確信できるのだ。世界が再び揺れ動き、息を吹き返すまで、私たち権力を奪い、それを放棄し続けるのだ。未来を取り戻そう。家父長制でも母系制でもなく、月による支配のようなものを。

それは、最初人類革命階級ジェンダー力学を、今度はより高い次元で繰り返すことだ。このようなことは可能なのだろうか?みんなに議論を開いて、何ができるか見てみよう。それはきっと、活動家であり人類学者であるイヴィッド・グレーバーが望んだことだろう。

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続き

彼らの政治プロジェクト理論

私たち時代における2つの重要問題は、次のとおりである

現在世界社会正義革命を起こすにはどうすればいいのか?

そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たち私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?

このような問いは、歴史を通じて真剣思想家活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:

なぜ人間社会はこれほどまでに不平等になったのか?

意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等起源についての本ではないのか」と。

この本の中心的な主張のひとつは、不平等ヒエラルキー暴力は、あらゆる人間社会組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。

奇妙なスピン

これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類祖先や初期の人類平等であることによって見出し適応、つまり生態学ニッチについて説明する新しい注目すべき学問無視している。つまり、かつて人類平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的無政府主義者マルクス主義者の見解無視しているのだ。

保守派の主張は、農耕や都市生活経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。

彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義奴隷制階級差別人種差別性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。

グレーバーとウェングローが主張する政治論点は、太古の昔から、人は常に支配自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。

彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである

この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。

彼らの主張 - Step By Step

グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。

さら重要なのは19世紀社会ダーウィニズムや、より最近スターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要対象であり、私たちはその両方を共有している。

社会ダーウィニズム歴史の段階説。ハーバート・スペンサールイスヘンリーモーガン19世紀社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的知的進歩シグナである理解されている。

しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代人種差別主義新植民地主義を支え続けている。

左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。

そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスエンゲルス仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論説明も暗黙のうちに否定しているのだ。

これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族起源 私有財産国家』において最も顕著であるエンゲルスはそこで、人間平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。

しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。

アーリア人セム民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコプエブロインディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。

エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。

フランツボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたか自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツボアスは、太平洋西海岸クワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。

フランツボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年ヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命指導者の一人であったソフィーメイヤーの息子である1851年までに、彼女読書グループマルクスエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。

ボース人類学者になった。カナダではバフィン島イヌイット族やバンクーバー島クワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークコロンビア大学教授となった[2]。

1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造であると主張した。1913年当時、ボース母親政治否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民党派として、人種差別を憎んでいた。

ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクトマーガレットミードゾラニールハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類文化進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。

しかし、私たちはもはや1913年時代ではない。1982年エリックウルフ皮肉タイトルの『ヨーロッパ歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史真摯に受け止める人類学の波を起こした。

人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗宗教伝統現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しか悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民大量虐殺アフリカ奴隷貿易白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争正当化するために展開され続けている。

新しい進化論人間適応

人類学者や考古学者たちは、現在人類の不平等起源について、まったく妥当説明を構築している。ケント・フラナリージョイス・マーカスジェームズ・C・スコットがその中心人物である

残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろかにしてしまうことである

グレーバーとウェングローは、かつて人類狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境人間存在物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会必然的平等であったことを否定している。

彼らの主張の第一歩は、人類進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。

過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。

化学的微量分析DNAサンプリング、放射性炭素年代測定質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちヒーローの中には、読み応えのあるクリストファーボームフランズ・デ・ワール、R・ブライアンファーガソン、サラ・フルディ、マーティンジョーンズ、ローラライヴァルの広範な出版物がある。

このような研究は、人類進化人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たち平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察であるしかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である

人間適応についての簡単なまとめ

現在、さまざまな類人猿サル対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係子育て攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類進化理解するための私たち方法でもある。

時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143645

2023-09-23

anond:20230923180859

文系学問教科書論文が全部外国語になってるような分野なら問題なし。英語でもいいから。 

俺の専攻はそうだった。卒業まで日本語教科書が皆無だった。

anond:20230923193842

正直国家公務員キャリア側としては、数1A、2B、3と理科をやった人間なんてゴロゴロいるし(東大卒多いんで)理系科目なんざ外部研究機関から結果貰って話だけ聞けば良いので要らないんだよな

実験自然科学しかできないから国の運営とか政治とか行政文系思考力がなくて全く使い物にならない

しろ民主主義から必要なのは文系学問の方だと思う

anond:20230923093159

>俺が言ってるのは、無印だけをそんな特別視するほどではないんじゃない?ということ

ほうほう、例えば言語学でいう、「学問的に研究対象である言語それぞれには優劣は付けてはダメ」ということですな?

無印ガンダム好きな人ちょっとおかしい説

ガンダム好きな人ロボットアニメ好きな人別にいいんだが、なぜか初代のガンダムを別格にして語る人は格下に見ている

この「格下に見ている」というのは誰がそう見ているのですか?貴方ですか?

あれあれ?じゃあ貴方も優劣を付けていますよね

ダメジャン!

anond:20230923191856

文系学問になると一見分かりそうな日本語説明されるので、分かった気になって自論展開する馬鹿が現れる現象マジで見てるだけで疲れるな

anond:20230923180529

実際ちゃんとやったら馬鹿適当に参加できるような学問じゃないんだけど、なまじっか一見して日本語で書いてるからバカが分かった気になっちゃうんだよな

数学記述記号じゃなくて見たことある単語文章だったらそういう奴が湧いてたと思う

文系不要かい理系って

文系いらない!って言ってる理系たまに見るが、経済も法も哲学歴史も学んだことがない人間ばかりの国とか正気か?としか思えないのだが

旧帝大レベルけが文系学部で学べばという主張も良くなくて、スポーツから学問まで、全ての分野はコミットしている人口の層が厚くないといけない

まあステム学ぶ学生比率増やしたほうが国の効率が良いというのはそうかもしれない

あ、そうかも(突然の転向

自分数学を好きだったのは、数学の中の世界に親が干渉してこないからだった

特に国語なんかは、文章を読むという行為は親でもできることだから、「お前には国語力が無い」みたいなクソ発言をされたりしたので、嫌だった。(逆に、お前に古典評論が読めるのか!と言いたかった)

社会理科英語も、新聞政治面を読んだり、テレビ生物特集見たり、カタカナ語単語だけ半端に知ってたりで、何かしら自分知識があることを主張してくる(俺もその学問を知ってる風な発言。お前とは勉強時間や知ってる量が全然違うんだよ!知ったかすんな!!と言いたかった)ので、嫌になる可能性があった。

ただ、数学は違った。たしか算数のころは、四則演算やら割合やらで、ああしろこうしろ干渉があったが、数学になってからはもう何も言ってこなかった。

連立方程式も2次関数も、親にはもう何もわからなかったのだ。そういう意味で、数学は親から干渉されない幸せ空間だった。

親の、半端で何も本質がわかっていない発言に、下手なダジャレを聞くようなイライラを感じなくて済んで本当に幸せだった。

から、私が数学勉強するという行為は、数学自体が好きだからということ以上に、そういう親から独立手段ひとつだったんだろうと今は思う。

そして自然な流れとして、数学科に進学し、実家の近くにそのような学科は無かったこから物理的にも独立して生活することができるようになった。

本当に幸せを手に入れることができたのだ。

まあ、結果として、数学研究者になることはできなかったのだが、そういう点で今現在でも、数学という学問存在に心から感謝している。

数学は、親という干渉から逃れる精神的な支えであった。数学という抽象的な学問が、抽象的に私の人生を救ってくれたのだった。

2023-09-22

anond:20230922125859

1, 2度聴いただけで歌えるやついたが、あれなんなんだろうな

そういう増田も好きな科目/先生の話は1回聞いただけで覚えたりしなかったか

日常的な会話、学問的な話、歌はどれも言葉だけど、それぞれ記憶の仕方が違うと思うわ

3年間で0から350冊くらいまで本を読んだ話し

文章支離滅裂になるかと思うけど、許してほしい。

近々図書館司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。

そして誰かの参考になればいいな思う。

タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣与沢翼メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発youtuber、俺的名言集など。

今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノート一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。

今考えたら馬鹿まりない。でもそういう知的レベルだった。

「本なんて読まなくても、youtube動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。

そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。

今思えば、陰謀論者みたいだな。

ちなみにその時の自分は37歳。男性彼女なし。

高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターフリーター人生

それ以外の仕事倉庫作業新聞配達、どぶ板営業

そして35歳で借金風俗など)による自己破産

仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である

毎日AV見てオナニー

あと、精神3級レベル精神疾患を持っている。

どうだ?

みんなよりもクソな人生だろう。

メンタルヘルス精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHDASD系統性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分感覚だと3割くらいはその気があると思う。

話を戻す。

書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。

でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutube自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。

図書館に行くきっか

そんな自分図書館に通うきっかけとなったのはパニック発作

仕事プレッシャー職場人間関係からなるストレスから発症したと思う。

(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)

http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347

※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会

症状としては死への恐怖が一番強かったかな。

主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。

「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」

それが図書館に行くことの始まりだった。最初ポジティブ理由でもなんでもない。

「この病気自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。

最初メンタルヘルスうつ病パニック発作パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。

本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。

本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)

ちなみに、この時の自分読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。

ただなんとなく、当時見ていた自己啓発youtubeよりも多種多様情報図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは? 

それくらいの解像度だった。

それから仕事帰りに、ほぼ毎日図書館に通うようになった。

たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。

1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。

いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。

「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。

幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。

パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。

なので自分写真多めの本から読むことにした。

図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記旅行記それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。

旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。

それから宗教学入門書を読んだ。

俺の実家宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。

宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。

その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。

その頃のジャンル宗教学人間関係、旅、メンタルヘルスハンディキャップ、働き方、思考方法など。

そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。

余談だが図書館環境も良かったと思う。自分が通っている図書館音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。

読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。

選書もとても良く、新しい本から古い本、海外翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館出会えたのは本当に運が良かった。

3年後

そうして3年が経った今年。

3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtube自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンル法律社会学経済学起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。

それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。

https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html

リベラルアーツとは ~ 桜美林大学

そして自己啓発動画現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。

Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサー情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。

自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚図書館偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。

何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。

頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。

この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。

今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣革命ファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。

ただ、おかげさまで有益情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。

岡田斗司夫図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロ目線有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。

最近は「得た知識抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。

読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。

本当の意味で本が読めるようになったことに感謝したい。

また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。

新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。

そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。

今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。

だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。

自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである

自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。

ここから先の人生読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。

そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」

ってひがんじゃう自分がいつかいなくなることを願って。

最後

読書楽しい死ぬまで続けたい。これから自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。

そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報youtubeなどのネットで得られる世の中だからだ。

電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。

そんな中、自分リュックから本を取り出し、ひとり本を読む。 

youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益ものは非常に多いが、元をたどると古典などの本から情報であることが多く、だからこそ読書他人差別化が図れるものだと思っている。

これからも続けて行きたい。

いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。

最後まで読んでくれてありがとう

そして図書館司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう

9/24追記

いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。

書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書継続できた理由ひとつは、やはり図書館環境がとても良かったこと。

それからオンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。

読書サークル内では日夜テキストチャット議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。

自分ひとりでは絶対にここまで来られなかったと思う。

いろいろな意味で運もあったのだと思う。

それは、素晴らしい図書館が近くにあったこと。

読書サークルたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。

友だちが少なく、親の介護も無く、仕事要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベート時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。

この文章を書いてからナンパをしていた時代毎日の様に行って、よくたむろしていたビル飲み屋カラオケホストクラブダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。

歓楽街ということもあり、相変わらずの雰囲気だった。

派手な服装女性と、その女性口説き落とそうとしている男性

酔いつぶれた若い男性

ウェーイって騒いでいる学生

エレベーターで降りてきた勤務終わりのキャバ嬢

怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。

仲間で歩いているホストくん達。

そして女性たちに声を掛ける男性

この世界から抜け出せただけでも本当に良かったなと。それだけでも100点以上だと思う。

これから読書は続けていきたい。

ありがとう

2023-09-21

円安は悪い事?

例えば優性遺伝、劣性遺伝は現れにくさの違いであって優劣じゃないとか、その学問内における意味一般的意味とが違う事なんてザラにあるのに「円安日本が安くなってるって事だから悪い」みたいに思ってるはてなあってめちゃくちゃ多い。

anond:20230921201623

ヴィーガニズム思想であって、学問とは無関係

あるものを非動物だと学問が定めたとしても、ヴィーガニズムがそれに従う義理はない

2023-09-19

予定された学問破滅に向かって

いまたぶんアカデミック一般書(特に文系)の書籍刊行って確変状態にあるんだよな、具体的には2010ちょい前-2025年ぐらいのスパンで。それはもちろん団塊の世代が野に放たれたタイミングから暇になって本を読み出したり学び直ししだしたりしたタイミングに合わせてて、それに伴って出版も山のように復刊とか新訳とかを出した。はっきり言ってかなりこの期間の出版はすごいぶ厚い蓄積になっていると後から振り返って思われるだろうと思う。「ニューアカ」みたいなムーブメント以来のものだっただろう。

ニューアカそもそも団塊の世代が毛も生え揃って社会に出て稼ぎ始めたことで、本を買えるようになったのを当て込んでいた。俗に言うバブル経済だが同じことだ。流行り廃りの末にもう誰も見向きもしなくなったかと思ったが、いくつかのもの最近のそういう団塊老人の退職に合わせて復刊や文庫落ちが続出していった。

その結果どういうことになったか? 

Amazonレビュー意気揚々と見当違いの御高説を垂れる老人で溢れかえっている。

だいたい時代遅れの知見とどうでもいい思い出話の開陳だ。読む価値ほとんどない。レビュアーの年齢でフィルターできるようにしてほしい。何の役にも立たない。見たことある人も多いだろう。あれは結局、自分たちのほうが昔からこの著者のことを知っているという、そういう、単に昔から知っているというだけマウンティングに過ぎない。読書においてもっと大事なのは言うまでもなく、その本であれその著者のことをどれだけよく理解しているかであるなのだが、そういう面では頭が固まりすぎて新しい理解を取り入れて自分視点更新していけない老人たちは、新しい知見を単に自分の知っている話とか語彙だけでジャッジしてマウンティングして優位に立ったり評価したりしているポーズをしているだけなのだ。結局、そんな資格はもともとないのだ。

老人には本は読めない。新しいことを持ち出されても理解できない。そして、そういう老人たちの市場に当て込んでいるアカデミック出版業界も同じことだ。早晩、終わりが来る。

2023-09-17

anond:20230917205246

めちゃくちゃ分かりやす解説してくれるじゃん。すごいね勉強なっちゃった

堂々巡り思考の中で自分思想の強い人間なっちゃったんじゃないか不安になりながら書いてた文章からそりゃ駄文だしポエムだよ。最初文章最近起きてるどの問題とも関係してませんよって注意書きの意味だし。開き直ってると言われたらそれまでだけどさ。

でもそんなの思想じゃないって言われて安心したわ。もう少し貴方の言うように、自立するだけの構造?がある思考が出来る大人になれるようにバカなりに頑張ってみるわ。

ただ、思想設計図というのは違和感があるな。他人が同じように試しに組み立てて同じものが完成するのは、思想を通り越して哲学倫理のような学問領域では?

とりあえず、ありがとう

anond:20230916235245

表に出てなくて普通に学問してる社会学者には文句言ってないでしょうが

どの話してもいっつもズレてる宮台とかに「いやそれはおかしい」って毎回言うのも疲れるけど放っておく方が面倒臭くなるからさぁ

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