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はてなキーワード: 制作とは

2024-07-22

1:30

アニメOPとかって曲の長さが変則的な奴以外ほぼ1分30秒で統一されてるよな。

多分統計学的だか経験則的だか知らないけどテレビ放送という商業的な枠が決められたなかで24分のアニメを観てもらうにあたって絶妙にちょうどいいのがその長さなんだろう。

サブスクが全盛になる前のころだけど、好きな曲を自分が盛り上がるタイミングとかで切り貼りして1分30秒にまとめて勝手にTVSizeバージョン作って聴いてたりしたんだけど

曲の開始からちょうどいいとこが終わるまできれいに1分30秒でまとめてる曲ってのが意外とよくあった。

たまにちょくちょくある感じ。

そこに合わせて曲作りしてるんだ……ってのを思わされるのもなんか興ざめ感あって

そういうのに当たると勝手に「お前……!《商業》の側かっ!!」みたいになってた。




追記

思いのほかトラバブクマあつまったな。みんなサンキュー

5年前だけど、supercellryo自分のことを「89秒の職人」って言ってたな(たぶん放送の都合で多少の余白が必要から1秒短い?) https://natalie.mu/comic/pp/cencoroll/page/3

実際は1:30でなく1:29。『枠は90秒ですが、音響ルールで曲の始まりと終わりに0.5秒の無音をつけなくてはいけないというものがあり、そのため89秒で制作される』 https://j-animedb.com/?p=3879

放送上の都合で音楽前後に無音0.5秒を入れる必要があるため89秒

はえーそこまでちゃんと決められてるんだな。ほんとに職人世界

最近のだと「怪異乙女神隠し」っていうおっぱいアニメがあって

OP曲(遊遊 - ハザードシンボル 作詞作曲編曲まふまふ https://youtu.be/UqTd2xkHWcI)がそんな感じでちゃん最初の部分がそんままOP(https://youtu.be/qkcXtORCwYg)だったわ。

作品の設定を反映しつつも踏み込みすぎて解説みたいいにならない独自世界観って感じで歌詞がいいのよ。

先生の白い嘘』」・三木監督は「弱虫ペダル」などの作品で知られている。

弱虫ペダル映画って、

滝川クリステルのいとこが自転車で転倒して

半身不随の寝たきりになったやつじゃん。


無茶な撮影する監督だよ。

男女の性の格差を描いた『先生の白い嘘』」との記事(註)を配信すると、たちまち大きな反響が起きた。監督三木康一郎氏が「インティマシーコーディネーターの起用要請を断った」と明かしたからだ。

画像10枚】「これでインティマシー・コーディネーター無しってアリなの…?」 奈緒イメージを覆す過激な出演シーン

 ***

 映画先生の白い嘘」は7月5日から全国ロードショーが始まっている。主演はNHK連続テレビ小説半分、青い。」で注目された奈緒鳥飼茜氏の同名コミックモーニングKC)が原作で、三木監督は「弱虫ペダル」などの作品で知られている。

 そしてインティマシーコーディネーターとは、映画テレビ撮影舞台上演などの制作に関与する専門職だ。一般的俳優身体的な接触を行ったり、服を脱いだりなどする場面で、演出サイドと俳優サイドの意向を調整する。

hoyoの自社制作ショートアニメ・2024夏ver

https://www.youtube.com/watch?v=OKtykgWbMR0

ハァ~~2次元美少女になってこの中に混ざりたい人生だったのは全人類共通認識ですよねェ!

2024-07-21

anond:20240721181411

増田みたいなファン層がAdoちゃんの危うさだと思うんだよな

ゆうて本人もロールモデルがどうこう言いながらルルみたいな楽曲出してますけど

増田みたいなファン層向けなのか、Adoちゃん意向なのか、

ドラマ制作から『うっせぇわ』と『阿修羅ちゃん』みたいな感じでオナシャス言われたのかは知らんがの

2024-07-20

なんで日本アニメ技術を安売りするの??

日本アニメ技術世界一なのに

どうして日本アニメ制作者は

中学生が見るようなしょうもない

作品ばかり作らされてるの??

今期の「隣のアーニャロシア語で話しかけてくる」みたいなアニメ見たんだけどさ

ほんっと、クソしょうもない

このアニメを作ってる人たちは、

世界レベルアーティストなのに、

何が悲しくてこんな、ポルノ作品に毛の生えた程度のアニメ

せっせと作らなきゃいかんのか

こんなもん、生成aiで描いた絵30秒ごとにスライドさせときゃいいと思う

アニメじゃないけど、鳥山明もそうだよな

彼も、史上トップレベルアーティストなのに、

最後まで、週刊少年誌のしょーもないエンタメ作品作画担当で終わってしまった

国家的損失だろコレ

anond:20240720152556

中国に夢を見てるのは俺じゃなくてアニメ業界

中国で一発当てるのを夢見てどっかで見た設定と展開のクソみたいな異世界モノばっか乱造してアニメ離れして久しいわ

ま、日本制作スタジオ待遇改善に乗り出した背景には

中国による引き抜きもあるし

業界中国関係無視できんよ

日本アニメーターが企業に軽視されないよう中国には頑張ってもらいたいね

anond:20240720042028

トラック運転手は足りてないけど、絵師仕事より多い。

絵の仕事を重視せず、絵柄を確立したイラストレーター発注せず、絵柄を劣化コピーした自社制作にするという事件結構あったし、その度に「プロ発注しなよ」と批判されてた。

……だから運転自動化AIは「速度制限」せず、お絵かきAIは「速度制限」する。

ってのはどう?

2024-07-18

AIって単純で正確性が求められるタスク向いてない?

なにかの概念思想について教えてっていうと、正しそうな答えを出してくるけど、

ピンポイントで〇〇という人物について教えてっていうと、生年月日が違ったり、ググれば秒でわかる単純な間違いを含んだ答えを提示してくる。

小学生でもしないミスなんだけど、これって今のAIの延長で改善するの?それとも本質的な弱点?

イラスト映像制作みたいなクリエイティブ仕事はもう置き換わりがはじまってるんだろうけど、

単純作業事務員がいなくなるのは以外にも当分先の話?

アニメキャスティングに困りそうな例

恋が終わったのに、ぜんぜんつらくないんだ

本当に本当に大好きで、大切に思っていたとしても、一ミリも伝わらないものだろうか。

世界の全てがその人になるような恋がおわってからわたしは何もわからなくなってしまった。その日、わたし好きな人は、3年間毎日既読を欠かさなかったインスタのストーリーを見るのをやめた。そのまま一生変わることはなかった。本当につらくて、何が起きたかからなくて、たくさんの友達相談したけど、そのたび何故かベッドにいた。本気で話した困り事がこの人の性欲のアペタイザーにしかならないことが悔しい。音楽を作る人は世界に沢山いるけど、どこを探してもあの人はいなかった。

仕事出会ったBは、ぜんぜんわたしの生きてる世界とは合わなそうな見た目と、合わなそうな退廃的な顔をして、わたしの前に現れた。先輩に可愛がってくれと頼まれたのでたくさん良くしてあげたり、お仕事を頼んだら、ものすごく話しやすいことがわかった。初めて話した日から打ち解けて3時間電話をかけて、その日から毎日のようにLINEするようになった。わたしの展示のために東京にまた来てくれるという本気か嘘かわからないのがうれしくて、東京じゅうを連れ回して、新宿路地裏、かわいい声に気づいたらキスをしていた。Bはわたしが熱中していたことを知っているから、仕草パーソナリティーがあの人に似ているせいでしょう、というときがあった。これは半分図星で、半分は嘘だと思った。わたしの大好きだった彼は、わたしを抱きしめてくれても、わたし存在も作るものも一つも認めてはくれない。救いになるようなことを言ってくれたことは、最初デートの時しかない。Bの存在わたし創作活動革命的な勢いをもたらしてくれた。

でも、思えばあの人の影をずっと追い求めているような気もする。どうしようもない焦燥感や痛みを止めて、つくりつづける楽しさをわたしに取り戻してくれたBは、その後にした会う約束3つ全てを破った。わたし、待ってたのに。待ってたのにな、と思って迎える有給の日ほど地獄の時はない。忙しいのに休まなければよかった、ああ神様がくれた休暇なんですねと自嘲する。なんでいつもいつも、信じたくなってしまうんだろう。絶対約束に来る人よりも、ギリギリ来なそうな子が来てくれるほうが嬉しいなんて、そんなわたしからから罰がくだるんだ。

うっかり酔って抱きしめた勢いで男性はこわいんだよ、だめだよ、と優しく教えてくれて、本当にはじめてで動転するわたしをみて、朝まで一緒に寝て、そのままジュースを奢ってくれた彼の言うとおり、わたし半年後に友達レイプされる。余りに悔しかたから逆に利用し返そうと一緒にODしてみたりしたけど、幻覚はうまく見れなくて、もっと傷付いただけだった。負の連鎖は続いて、とにかく性欲を向けられることが増えて、なんだかもう絶望し始めていた。今までインドア系の部活しかいなかったせいもあるかもしれない。美しくないのが怖い、わたし身体ってなんだったっけ?

ぐちゃぐちゃの毎日を過ごしていたら、珍しく2人で遊んだのにわたしのことを性的に見ない男性がいて、わたしは久しぶりに人間のことが好きになりそうになった。キスハグもしていない、性欲もきちんとあり、わたしの大好きなニッチ性癖の話も相槌を打ってくれるし、ご飯もごちそうもしてくれるし送り迎えもしてくれるのに、わたし言動のどこかを性的同意だと思わないでただわたしに優しくしてくれただけのことがあるんだと、男性のことが、気になって仕方がなかった。恋よりも性欲じゃないかなこれは。わたしはもう壊れているんだと思う。全然顔が好きとかじゃない。でもなんかひとと2人きりになっても人間として見られたのが久しぶりで、嬉しかったのかもしれない。あたしは触れ合うことがすきじゃなかったのかな。

なんかそうやって大切にされているうちに、わたしは、自分人間に生まれたことを思い出した。今まで酷い扱いをしてきた人間の全てに怒れるようになってしまった。だからみんなに言って回った。Bにも連絡した。なんで来てくれなかったのって。好きなのに、って。そういえば告白するくらいにはBのこと好きだった。なんで約束破って、謝るでもなく、自分都合の話を進めようとするのって。でも酷いことばかりなのに連絡してくるのってわたしのことが好きだからじゃないの?って、正直に書いて、すっごく泣いた。LINEは何日見ても未読のままだった。

日経ったらなんかミュートした彼の投稿ちょっと減った気がして、気のせいかなと思ったけど、意を決して見たら全部のSNSブロックされていた。

ああ、呆気ないなぁ。彼の送ってくれたデモソングを聴きながら遅刻してる中自転車を爆走してスタジオに向かった日、辛いことがあっても彼のために頑張った日、動画制作手伝った日、自分終電犠牲にして送って帰った日。なんでこんなに好きなのに、好きはいつも嫌いになって帰ってくるんだろうか。誠実であることは、誠実を求めてしま行為なんだろうか。わからないよ。

でもすこしだけ爽快感があった。「誠実にできない人にもう関わるべきじゃない」って世の中に教えられている感覚というか。

そして、わたしが気が狂うほど大好きだったあの人が3年間もわたしを手放さなくて、いまでも明確な拒絶をしないでわたしが好きでいる余地を与え続けている理由は生殺しだと思っていたけど、それは本当に愛なのかもしれない、と、改めて愛のないBの反応を見て思ったのだった。わたし人生はこの先も、ずっときみに守られ続けている。優しい愛に。

縞パン流行ブラウン管が廃れたのが原因だ

貧乳コンプキャラ、15年前の縞パンに似てる

https://anond.hatelabo.jp/20240718120400

上記文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラスト流行した縞パンを語りたくなったので書く。

ブラウン管が全盛期の時代1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツレースフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースパンツが好まれていたという訳でもない。CGコンピューターグラフィックスイラスト製作する側の都合が大きな理由だ。

当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性服装にはやたらとレースフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUIユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感表現できたのである

【参考】→ 『 「昔のドット絵ブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267

こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフト機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドット手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度わずか640x400しかなかったのだから

しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタ流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニック通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである

この頃にレースパンツに代わって流行したのが縞パンである

フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。

ちなみに、ラグビーユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。

レースパンツから縞パンへと、美少女イラスト流行が転換した時期は1997年だと私は考える。

美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeafアクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期であるエルフドラゴンナイトシリーズ同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart1997年)、こみっくパーティー1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツ縞パンが多かった印象にある。

1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1ゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲーム流行が「エルフPC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースパンツからLeafWindows液晶モニタアニメ調・縞パン」へと転換したこと象徴と言っても過言ではないだろう。

実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里アクアプラス所属)の作風が主流になったこから明らかなことだ。

インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツ縞パンであることが好まれるようになったのだろう。

とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列情報誌ぽよよんろっく渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことからインターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。

そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクパンツ縞パンとされた訳でもないのに、ファン勝手縞パンイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。

ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおんアニメ1期の6話である文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒ししまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンである隠喩的に表現するシーンがある。パンツのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パン認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。

【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929

葬送のフリーレン、誰も語らなくなる・・・

薄情な奴らだ。

こうしてコンテンツ短期間で消費するだけで

オタクは何も生産しないくせに、アニメスタッフ制作文句ばかり言う。

2024-07-17

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

他の仕事馬鹿にする絵師が多かったなって思う

自動レジが出てきてレジ打ちの人が減ったり、自動運転トラックドライバー雇用を減らすといわれたり、アマゾン倉庫で大量のロボット活躍しているといわれたり。

そういうとき「誰にでもできる仕事」だから壊されて当然みたいにあぐらをかいていて、自分たち絵を描ける人間は「人間しかできない特権的スキルがある」という姿勢をとっていた絵師が多かった。

レジ打ちができない人間もいるんだけど。

トラック運転できない人間もいるんだけど。

倉庫で働けない人間もいるんだけど。

クリエイティブ職の人間が見下しているクリエティティが無いとされる仕事にも向き不向きがあるんだけど。

特に体力とか空間認識能力とかマルチタスクとか、やれと言われたことを体動かして処理するだけでも、できる人とできない人がいるんだけど…

なんでTwitterではデジコン創造けがこんなに偉くて、ほかの職業を「単純作業」と見下す行為が横行していたの?

 

追記営業職やマネジメント職を憎む声も多かった。インターネットPC使って家で一人で制作・開発・創造するタイプ業務のみを持ち上げて、出勤しなければならない・人と関わらなければならない内容の業務を貶す人は多かったよ。

今年のウディコン豊作だらけでヤバい

大作&豊作だらけ。 https://silversecond.com/WolfRPGEditor/Contest/entry.shtml

数年制作してて今年応募した人マジで可哀想。まあ時と運も実力のうちだから。  あと毎年参加してる優勝者とか居るけど、過去優勝者は応募禁止にしないと新参者表彰台に上がれないから何とかした方が良いと思う

2024-07-15

Mrs green apple差別主義認定していた人たち

今どういう気持で生活してるの?

煽りとかじゃなくて、素朴な疑問。

ネイティブアメリカンに嫁いだ日本人ブログに、「一番納得した」とか「恥ずかしながら知らなかった」とかにたくさんスターがついてたみたいだけど。

結局彼らの「コロンブス」は、コロンブスが行った歴史破壊肯定して、ネイティブアメリカンに対する差別的思想表現することが目的だったのかということ。

もしそうだったとしたら、公開停止して謝罪する程度で終わる問題ではないよね。

制作過程を明らかにして、一つ一つのシーンについても検証したうえで然るべき団体当事者に向けた謝罪がないとだめだよね。

まさか第三者ブログ検証した内容だけで事実認定なんてできるわけがないし。

それすらなく、そんなやばいやつが未だに毎日のようにテレビに出て歌ってる状況は国際問題にもなりかねない状況なわけでしょ。

あのとき彼らを差別主義認定してた人たちは、そんな彼らがテレビに映る度にどんな気持ちになってるの?

勘違いしてほしくないのは、あのブログが嘘であるとか、原住民の反応が嘘であるとかそういう話をしたいわけではないのね。

そう感じるのは当然個人自由であるし、意図するしないに関係なく、そういう風に見えてしまたことは否定ができないから。

問題は、「そういう意図で作られたものだ」と断定していた人たちなのよ。

なぜかって、それがそのまま「差別主義であるから

この違いが解るかな。

「そういう風に解釈できる」と、「だから彼らは差別主義者だ」の間には、本来越えられない壁があるってこと。

なぜなら、そこには事実認定必要から

今回の件において、その点についての事実認定はまだ行われてない。

差別主義風のMVを作った人たち」までは事実認定だとしても、「差別目的としてMVを作った」という事実認定はされてない。

この違い、わからないよね。

わかってるくらいなら、あのブログあんブコメスターなんて集まらないのよ。

ここで質問です。

事実認定さえされていないことに対して、自らの主観だけで事実認定を行う人をなんて呼びますか?

そうです。差別主義者と呼びます

差別主義批判しているつもりが、自分差別主義者だったと気づいた気分はどうでしょう

受け入れられないですよね。

からいなくならないんですよ。差別主義者って。自覚がないから。

そういう意味では、あのブログ差別されてきた人に寄り添うはずの人が、MVの解釈説明するだけで終わらずに、ほぼ事実認定に近い形での言及を行っていたことは正直残念でした。

「偶然はこんなに重ならない」というのは、陰謀論が広がるときに使われる常套句のようなもので、むしろどうとでも解釈できるようなものを都合のいい解釈として並べてる時点で偶然でもなんでもない、意図的なものしかないわけです。

ちなみに自分はMrs green apple擁護者ではありません。

実際に被害者存在する歴史問題を、自らの勝手解釈矮小化したという意味では、ある意味彼らも差別主義であると思います

多くのブクマカ達が行った差別主義認定とは全く違う解釈ですけど。

あのとき振り上げた正義の拳は、彼らがテレビ画面に現れる度にどうしてるんでしょうか。

今でも元気に振り回してるんでしょうか。

anond:20240715004005

私たちは「男女以外の第三の性別」を求めていません。(声明文)

 

声明
私たちは「男女以外の第三の性別」を求めていません。

 

  私たちは「日本性分化疾患患者家族会連絡会」と申します。

 

  「日本性分化疾患患者家族会連絡会」は、いまだ日本では誤解や偏見の多いDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)について、海外の各種DSDs患者家族会サポートグループ国際的人権支援団体の皆さんのご協力をいただき、DSDsの正確でサポーティブな情報提供する活動を行っております

 

 日本で唯一、当事者立場からみたDSDsの情報を発信している支援団体として、現在では、DSDs「臨床」専門医療・ケア関係者臨床心理職、海外人権活動に関わっている人、生命倫理研究者などのご協力もいただきながら、患者家族会連絡会として活動させていただいております。近年では、本会のホームページを見て、各種DSDs患者家族会を創設される当事者家族の方も増えているところです。

 

 性分化疾患という用語、初めて聞かれた方もいらっしゃると思います性分化疾患(DSDs)とは、外性器や内性器染色体構成など、いわゆる「体の性のつくり」が、生まれときから一部、一般的な発達とは異なる体の状態を指します。

 

 今回、アメリカでのパスポート男性女性以外の第三の性別としての「X」欄が設けられたというニュースがいくつかの報道機関によって報道されました。中には「男女両方の特徴」という誤った説明をする報道機関もありました。

 

 たしかに今回アメリカパスポートで「X」の欄を認められた人は、何らかのDSDsのひとつをお持ちの方である国際的人権支援団体からも聞いております。ですが、その方はたまたま「男でも女でもない」という「性自認」をお持ちの方でしかなく、DSDsとは全く関係なく個人の「性自認」が認められることは大切だと思いますが、私たちのDSDsの体の状態をして、「男女以外の性別」のように思われることは人権侵害に他なりません。

 

 DSDsに対しては、社会では「男女以外の性別」「男女両方の特徴」など、神話的な両性具有イメージで見られることが多いのですが、実はなによりも私たちは、自分の体の状態が、世間の人々から「男でも女でもない」「男女以外」であるかのように見られてしまうということこそを恐れて生きているのです。

 

 そして国際的当事者人権支援組織も、私たちのような体の状態がまるで「男女以外の第三の性別であるかのような誤ったイメージを広めたり、私たち身体を使って男女以外の性別欄を求めようとすることは、DSDsを持つ子どもたち・人々を他の集団の人々の道具のように取り扱うことであり、私たち生活人生に広範囲の害を与える危険性があると表明しております

 

 現実に、学校でのLGBTQ等性的マイノリティの皆さんについての授業で、DSDsを持つ人々がまるでグラデーション中間領域存在であるかのような説明をされて、不登校になった当事者女の子のケースや、男女以外に「その他」が設けられているの性別欄を見て、自殺未遂に至った当事者女性などの相談も受けている状況なのです。

 

 センセーショナルイメージではない、大多数のDSDsをもつ人々について詳しくは、人権先進国ベルギー公的機関調査報告書翻訳しております。ご参照いただければと思います

ベルギー国家機関DSDs調査報告書

 

 

 また、私たち作成した「DSDs報道ガイドライン」も添付させていただきます

DSDs報道ガイドライン

 

 

 報道各社の皆様には、DSDsに関する報道番組制作に際しては「専門家」「有識者」だけではなく、DSDs当事者経験者の声を取り上げていただきたくお願い申し上げます当事者不在、実態に即さなイメージが拡大していくことは、私たち当事者家族人生生活を脅かします。

 

 私たちDSDsを持つ人々は、そうでない人たちと同様、ただの女性男性に過ぎません。男女の中間に無理やり位置づけられ、「男女以外の性別」と言われたくありません。どうか私たちも当たり前の人間としての尊厳人権が守られるよう、皆様には深い配慮を頂きますよう、お願い申し上げます

https://www.nexdsd.com/post/we-are-not-the-third-sex

2024-07-14

anond:20240714144904

呉座にしてもピエール瀧にしても、「鎌倉殿の13人の制作からおろされるのはしゃーないけど仕事クビはやり過ぎ」とか「オラフ下ろされるのはしゃーないけど映画補助金取り消すのはやり過ぎ」とか妥当なところで収まってるとしか思えないんだよな

漫画小説におけるトリレンマ

ブロックチェーントリレンマ表現する数式を発見―性能・安全性・分権性のうち2つだけが成立することを立証 https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2024-07-04

を見て思ったんだけど、漫画小説にもこの種のトリレンマがある気がしてきた。

漫画小説面白さの要素として、心理描写(思考合理性含む)、緻密な世界観ストーリー進行を挙げる。ここでのトリンレンマにおいても、この中での2つまでしか満たすことができないという仮説だ。

具体例を挙げる。

世界観ストーリー進行型:ワンピースコナンハリーポッター進撃の巨人

世界観心理描写型:ハンターハンター村上春樹小説魔法少女まどかマギカ

心理描写ストーリー進行型:ピンポン

世界観ストーリー進行にまず焦点を当て先に大枠を作ってしまうと、辻褄を合わせるために人物心理面や思考面の造形が不十分になる。

一方で世界観人物思考だけ決めて、初期条件だけ決めてシミュレーションするように人物を動かしてストーリーを作る方法もある。こうすると、自然な積み上げになるが特に村上春樹のようにストーリーとして面白いかはかなりぶれが生じる。ハンターハンターストーリーとしても面白くなるようにチューニングしている一方、そのせいで作者は制作に異常なほどの労力が必要になっていると考えられる。

緻密な世界観を捨て、心理描写ストーリー展開に焦点を当てると、面白い展開と自然思考が得られやすくなる。ただこの世界真相はこうだった、というSFミステリーでよくある面白ギミックはない。

まとめ

ストーリー進行ありきではめ込んで行く作り方か、人物造形を決めた上でシミュレーションして作品を作る方法があり、両者は作品として大きく異なる。

また、世界観の緻密さや複雑さをある程度犠牲にした場合心理面とストーリーが高度な作品を作りやすくなる。

2024-07-13

anond:20240713221745

でも実際にアニメ制作してるとこ燃やしたの男なんだよなあ

anond:20240713221745

そりゃ乙女ゲーなんかは俺らのような男が楽しめる要素ないしウゲっと思うだけだが

男性インターゲットの美少女もの別に本来誰でも楽しめる作りになってるせいだろ

それは生殖的な異性に対する関心の差があるから仕方ない

現実世界歴史上ずっと男にとって他の男は生殖競争上のライバルしかなく長い付き合いでもない限り容易に親しみを持とうと思わない

一方で女にとって女はとくにライバルになることはなくむしろ権力的な意味弱者同士コミュニティにおいて互助的な疎通を図ろうとする

これは男が種をいくらでも撒ける強者総取り構造なのに対して女は身籠ったら半生が拘束されることで競争状態から離脱することに起因している

から女性ってのは男性に対しても女性に対しても親しみを持ちやす構造にあるんだよ

しろ女性ヅカ系みたいに同性相手にすら恋慕を示すことが商業的にも示されているわけ

もちろんカッコいい系女のみならずカワイイ系女にも女性は好感を示すがこれはきっとロールモデル的な称賛や共感が入っているんだろう

一方俺らのような男がイケメンを称賛しようものなら自分に目を向けてくれる異性が減る一方で自傷行為しかない

イケメンを素直に褒められる男ってのは男の中でもすでにトップ層の地位確立してる強者か、生殖競争から離脱してる超弱者だけなんだよ

美男子ばっかり出てくるゲーム微塵もやりたいと思えない俺ら男とは発想が違うんだよ

から男性インターゲットの作品女性が楽しめてしまうのは自然の摂理だし男向けなのなんだのに執着するのは筋が悪い

制作側が女性ユーザー層を意識したモノづくりをしてしま場合があるのが嫌なのは分かるが

それが嫌なら少なくとも全年齢向けをやるのは間違ってる

2.5次元の誘惑 (アニメ)

2話から急に失速した。いきなり消化試合に入ったというか、原作淡々とこなしてる感じ。とりあえず制作に愛が無いのは判った。ガチャ外れっすね。

リサが癖のあるキャラなんだから2話でじっくり定着させて、3話を全部ミカリ回で良かったんじゃないか。多分夏コミ終わりまでやるだろうし忙しいのは判るけど、キャラもっと大切にしてくれ

2024-07-12

anond:20240712212723

才能のない人間に何かを制作企画させると、女のグロか女の裸体か女が死ぬ話か女が奴隷になる話ばっか出てくるからだろ、異常な割合

犬や猫ならやらないくせに

アート芸術(笑)の名を借りて、女体遊びする芸術(笑)多すぎますけど、これ無意識差別ですよね?

が言われてるんだと思うぞ

人種で考えたら分かるだろ

黒人死ぬ話とか黒人グロ裸体の芸術作品(笑)ばっかだったら明らかな差別だよな

anond:20240712165905

an_shida🌐@an_shida

これ調べてみたけど「韓国舞台ウェブトゥーン中国Bilibiliがアニメ化制作スタジオ韓国)した際に舞台中国に変更、ただし日本版日本ローカライズされているマンガ版固有名詞人名等)を採用しているため、3カ国の要素が混在」になってるぽい。

2024-07-11

石丸氏のポスター訴訟敗訴こそが首長たりえない一番の問題

石丸氏が自身選挙ポスター制作費を未払いしていた問題で、最高裁が上告を棄却して敗訴が確定した。

これについて、表面的な「裁判敗訴」のみで批判している人も多数見かけるが、

この問題は「石丸氏の契約締結・履行能力」が問われる非常に重い問題に思われる。

事の経緯は、安芸高田市長選で石丸氏が選挙ポスター制作を依頼した印刷業者間との契約内容のトラブル

石丸氏は「公費」での制作を依頼し、それを印刷業者が承諾したが、肝心の「公費」の金額が明示されていなかった。

印刷業者制作後に代金(106万円)を請求したところ、「公費」で賄える金額(34万円)から超過していることが判明。

残額(72万円)が未払いとなっていた、とのこと。

この未払いについて印刷業者提訴

一審、二審ともに敗訴していたが、7/5付で最高裁が上告を棄却し、敗訴が確定した。

石丸氏は恐らく軽視しているのであろうが、

この一件は「高々72万円の支払いが確定した民事裁判」で片づけられない、非常に重大な問題に思われる。

そもそも裁判沙汰になった根本的な原因は、印刷業者との契約をしっかり詰められていなかったかである

無論、契約には双方の合意必要であるが、先般の裁判石丸氏が敗訴していることは

契約に際して石丸氏側に問題があった、との司法判断が下ったといえよう。

これが最初に挙げた「石丸氏の契約締結・履行能力」に対する疑念である

では、契約能力が無いことの何が問題なのか。

経済学では、組織は「契約の束」と表現されるが、それは自治体にも当てはまる。

自治体契約によって成り立っているのである

例えば、インフラ整備について自治体業者発注すれば、そこには契約が発生する。

自治体職員は「任用」であるため労働契約関係では無いという見方もあるが、労働の対価として給与支給という点においては

労働契約関係解釈することも可能であろう。

そして、これらの契約により成立する自治体の長が知事であり、市区町村である

石丸氏の裁判の件で問題となった「契約」は私法契約自治体の「契約」は公法契約であるため、

同じ「契約」であってもその意味するところは異なることは留意必要である

とはいえポスター制作費の契約すらもまとめられない石丸氏に、

数多の契約を締結する自治体の、その首長を任せられるだろうか??

繰り返しになるが、本件敗訴は石丸氏の首長としての能力に関して、

致命的なほどに疑問を呈する判決であるように思われる。

首長として立候補されても絶対に票を投じたくないと思っている。

もしも、この認識を変える捉え方があるとおっしゃる支持者がいるのであれば、具体的に示していただきたい。

私は頭が固いので、「ああ石丸氏は首長にしてはダメだ」となってしまっているのである

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