はてなキーワード: 初デートとは
どこに行ったかは秘密だけど、なかなか楽しいイベントで、二人で思いっきり盛り上がった。
彼は少し控えめな感じだったけど、何度か一緒に写真を撮ろうって言ったら、快く応じてくれた。
彼との距離が縮まった気がして、内心ワクワクしながら楽しく過ごしてたんだ。
デート後、撮った写真を見返してみたら…衝撃の事実が発覚した。
一枚目を開いてまず目に入ったのは、私の髪にしっかり止まってる、あの黒光りする小さな生き物。そう、ハエだ。
しばし沈黙。は…?って頭が真っ白。何が起こったのかすぐには理解できなかったんだけど、目をこすってもう一度確認したら、間違いなくハエ。私の髪にくっついてる!完全に思考停止しちゃった。
「え、ちょっと待って嘘でしょ…?」って言いながら他の写真もどんどん確認していったら、どの写真にも、あのハエが私の髪にしっかり止まってる。
そう、イベント中ずっと!もう叫びたくなる衝動を抑えながらも、あの時の彼のちょっと引いた表情を思い出すと、うわああ、そういうことか、と妙に納得しちゃったのよ。
彼がなんだか終始よそよそしかったのは、これのせいだったんだよね?これじゃあ「髪にハエがついてる女」って思われてたってことじゃん!
写真を彼と共有しようね、って言っちゃったから、送らないといけないんだけど、どう考えてもこのハエが邪魔すぎる。
どうしたもんかって頭を抱えた結果、写真を加工してハエを消そうと決意。
でも、加工がバレたら「気付いたんだ」って思われるのも嫌なんだよね。なんか気付かずそのまま送るのもどうかと思うし…いや、でも、待てよ、彼はそもそも気付いてないかもしれないし、いやいや気付いてたからこそ距離取ってたんじゃないのか…って考えがぐるぐる巡る。もうどうしようもないじゃん。
はてなには氷河期世代が非常に多いからバブル世代当事者的なエピソード(特に女性によるもの)って出てこない印象がある。
母の話によると赤文字系がピンクハウスを馬鹿にするようなノリはあったみたい。
(上位赤文字はピンクハウスの存在が視界に入ってない。下位赤文字がピンクハウスを目の敵にする)
ピンクハウスは装飾的で手入れが必要な高級ブランド服なんだけど、
・髪の手入れなしノーセット(ボサボサの、腰まであるようなロングヘア)
・ノーメイク、ボサ眉
ピンクハウスの広告モデルは瘦せていてメイクもしっかりしているのに、実際に着ている人が太っていてノーメイクで髪がボサボサだと「広告とのギャップが凄まじい」ということで嘲笑されていたのかもしれない。
赤文字系ではメイクとヘアスタイルが非常に重要な要素として度々特集されていたのに、ピンクハウス族はフル無視していて全く文化が違った。
ピンクハウス族は「洋服から降りた人」ではなく、服には執着していたからなんともいえない人たちだった。
それから時間が経って、原宿にロリータファッションの人たちがいた時期。2000年代かな。
ロリータ服のモデルや下妻物語の深キョンに寄せようと髪、メイク、体型管理を徹底、非現実的世界観を追求している完璧派と、
・体型管理をしない(ピンクハウス族の露骨な肥満よりはましで、体脂肪率が高そうなインドア特有のゆるんだ体型で必ず足が太い程度)
・髪の手入れなしノーセット(ボサボサではあるけど、ロングヘアは腰までクラスではなく肩下くらい)
・ノーメイク、ボサ眉
こういう子たちが3~4人で原宿に来て、お互いを可愛い可愛いと褒めあったりしていた。
完璧派のロリータ族に「デブロリ」とか言われていた。「デブに着られるなんて可愛いお洋服が可哀想、可愛いお洋服をデザインした人が可哀想」などのイタコ芸もしっかり観測できた。
デブロリ、芋ロリの系譜がノーメイクアクシーズ同人女としてネットで叩かれるようになったのを記憶してる。
Twitterの流行とも一致するかな、「ノーメイクアクシーズ族あるあるイラスト」みたいなものがバズるようになった。
ピンクハウスより、デブロリより、クセが強い要素はかなり薄まったけど、それでもやっぱ芋として叩かれてたな。
同人イベントで芋同士可愛いと褒めあう駄サイクルは相変わらずやってたのかなと思う。
2020年代の装飾的ファッションは、ノーメイクアクシーズを叩くバズイラスト等の流れもあって芋がかなり消えたように思う。
装飾的で女性的モチーフをガン盛りした服装ジャンルについては、
・ぴえん系
・ホス狂系
など、髪・メイク・体型が管理されている人が目立つようになった。
以前のピンクハウス→デブロリ→ノーメイクアクシーズのような「アンバランス層」の行き先は、
・鑑賞者への転向:容姿に全体的にコストをかけない選択をしてバランスを調整、美術展などで見られる
結論としては装飾的な服と手つかずのその他というバランスが極端に悪い層は現在では減少傾向にあり(原因はTwitterの揶揄イラスト)、
特にノーメイクアクシーズ以降、そうした層は姿を消しつつあるんじゃないかと思う。
全女性がバブルの赤文字系や完璧派ロリータみたいに全部に気合を入れるなんてことは不可能なので、
高コストでバランスを取る派と、低コストでバランスを取る派に分かれ、その間はグラデーションになっているのでは。
あと男性のオタクの状況になってくると、バランスの問題どころではないんだよね。
基本的な衛生管理の問題(洗っていないギトギト髪、衣服の臭い)、あとは撮り鉄の迷惑行為とか、他害について言われるようになってきてレイヤーが下がる。
2010年代に「木こり」と揶揄された男子大学生の量産型ファッション、2020年代にコムドットのコピペみたいな若い男性が増えたことなど、
しかし撮り鉄やカードショップ激臭オタクみたいな話題のほうが、どうもネット上では人気を獲得しやすいように思う。
量産型ファッションの男性はTikTokやインスタなど視覚優位SNSにいて、はてなにいる人には存在が見えていないんじゃないかと思う。
多分、量産型男子のファッションブランド具体例とか出しても誰も分からないだろうね。
「成人の初デートでサイゼはちょっと…」で炎上したり、激臭オタクを嫌がるのも「いじめ」扱いするくらい男性はハードルが低くてこう、驚く。
文字系のインターネットに居ついている男性の多くは、服・髪・体型のすべての水準が最底辺のレベルでバランスが保たれており、それを「資本主義への勝利」と認識しているのだろうなと思う。
それといっしょに、
この部分を読んだとき、男性にもそういうのあるんだなーと安心感を覚えた
大学生の頃の私は本当にこの通りの考え方をしていたし、そういうのを拗らせて男性嫌悪にもなっていた
元の増田に勇気をもらったので誰かの参考になったらいいなと思いながら大学に通っていた4年間の間にこじらせていた男性嫌悪とその時から今にかけての恋愛の価値観を書いていこうと思う
大学に通ってた4年の間、私は色々と痛い行動をし続けていた
X(当時はTwitterだったけど)で頻繁に男性批判を展開していいねとリツイートを稼いでいた
男の性犯罪の報道に引リツをして「#また男か」「クソオスは去勢しろ」等と投稿し怒りを募らせ、たまに絡んでくる弱者男性系のアカウントとレスバする毎日を送っていた
ネット上に溢れる『特定の』愚かな男性の振る舞いをあげつらって笑い、それを男性全体に当てはめて見下していた
私の脳内では男性のすべてが潜在的にモラハラセクハラクソ野郎であり、女性より劣った低知能のカスなんだと本当に信じていた
じゃあリアの日常はどうかというと基本的になるべく男性に関わらないようにして生きていた
大学のサークルには入らなかったし、ゼミや必修で一緒になる男子もなるべく話さないようにした
けど、リアで痛いことをしていなかったかといえばそんなことはない
最大の黒歴史を例にするなら、たとえば食堂で面識のない男子二人組にいきなり口論をふっかけたこともある
(恥ずかしすぎて記憶もおぼろげなんだけど、たしかその男子たちは萌え絵か何かのネット上の議論を話していて、ひとりが口走った萌え絵擁護の意見に腹が立って「それってどいうこと!?」って突っかかりに行ったはず…)
少し自分語りになるけど、男性嫌悪を拗らせたときの振る舞いの根源なので、私の過去のネット上での振る舞いについても触れておきたい
しかも拗らせている腐女子だったので、高校の頃からはいわゆる自治厨的な『愚痴垢』での活動を始めていた
知らない人のために補足しておくと、愚痴垢というのは自分の気に入らない人に粘着して陰湿に監視し陰口を言いまくって共有する誹謗中傷垢のことだ
例えば鍵垢にせずR18のBL絵をTwitterに投稿してる人を片端から引リツして仲間内で晒し上げた
(当時未成年なのにエロ絵を見て回っていた自分のことは棚上げだ)
カプ名や地雷展開をタグ付けせずに投稿してる人にも粘着してひたすら叩きまくった
いわゆる『腐女子の村の掟』を破る人をいちいち監視してぐちぐちぐちぐちぐちぐちXで文句を言いまくっていた
BLの掟にとどまらず、例えば露出の多いコスプレイヤーなんかも晒し上げまくっていた
鍵垢の引リツで「芋女が調子乗ってる」「キャラが汚れる」とめちゃくちゃに叩く
その人がBOOTHでエロ系のコンテンツを売っていればすかさずサンプルを晒し上げて「お腹に手を当ててデブなのを隠したいのかな〜????笑」とか「デブ専風俗のパネルみたいw」とか普通に訴えられたら全面敗北するような誹謗中傷を投稿しまくっていた
大学生の頃は通常の垢、愚痴垢用の垢、男性嫌悪投稿用の垢の3つを使い回していて、段々と男性嫌悪垢の運用時間が長くなっていっているような状況だった
「今にして思えば……」ってやつだけど、私の男性嫌悪と愚痴メンタルは根っこの部分で繋がっていたのだ
例の初デートサイゼリヤ論争のとき、私は論争そのものよりもその後に現れた、イラストをパロディーしたコスプレイヤーの女性に対して憎悪を募らせた
初デートサイゼのイラストと同じ構図で胸の谷間を強調しながらフォークを口に運ぶ女性の画像だ
お察しの通り「ブスが調子に乗ってる!!!!!」「弱者男性ごときにチヤホヤされたいとかブスの承認欲求終わってんな!!!!!」系の誹謗中傷をぐちぐちしまくった
私は男性嫌悪系の投稿もそうだけど弱者男性を擁護する女性への嫌悪を強めていった
お気づきの人もいるかもしれないけど、実は私は男性を嫌悪している以上に「男性にちやほやされている女性」に嫌悪を持っていたのだ
別にいじめというほどのいじめはなかったけどカースト上位の女から強いられる同調圧力に私は苦しめられていた
カースト下位の私は上位の女が我が物顔でクラスを支配してる中でタンスに隠れる虫か何かのように息を潜めていた(という自意識を拗らせている)
別に、カーストのトップオブトップ、陰キャにも優しい美人の完璧超人とかはいいんだけど、いわゆるギャル系の女は嫌いだったし、カースト上位でもないくせに妙に男子と仲の良いサブカル女なんかはもう本っっっっっっ当に嫌いだった
嫉妬と言ってしまうと私のプライドがズタズタになって耐えられないので否定したい
とにかく男子に媚びを売る中〜下くらいの女が嫌いだった
そういう自意識を拗らせていたから自分は男子と距離を置いていた
・可愛い服を身に着けていいのはカーストトップオブトップの女子だけ、中途半端な女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない
・化粧をしていいのは可愛い子だけ、ブス女の努力ほど見苦しいことはない
・彼氏を作っていいのは綺麗な子だけ、ブサイクと付き合ってるブサイクは何がしたいの?目が腐るんですけど????
当然私は『選ばれなかった方の女』だから、身分相応に地味な格好をして地味な化粧をしていた
そして、私と同じかそれ以下の女が彼氏を作ったり男子と仲良くしてると殺意を抱いた
世の中の人を「天上の上級国民」と「私と同等以下の非人」に勝手にカテゴライズして、後者から前者に行こうとしてる(ように見える)人をぶっ叩いていた
要は酸っぱい葡萄だと思う
・私の嫌いなあの女たちが好きになっている「男」なんてのは本来大したものじゃないのだ
・大したものじゃない「男」に必死に尻尾を振っておしゃれして金をかけて取り入ろうとするなんてあの女たちはバカだ
・私はああいう尻軽クソビッチ低脳女とは違う賢い女だから本質を見抜いている
書いてて本当に恥ずかしい
だから男は全般叩きまくっていたし、男に媚びている(ように見えた)女も叩きまくっていた
叩かれる方じゃなく叩く方にいるために腐女子界隈の同調圧力に身を浸し、小学校の頃にできなかった「〇〇さんが悪いことしてました!良くないと思います!」みたいな振る舞いをTwitterの仲間内に行って自尊心を慰めていた
そういうわけで大学生の間中はひたすら男(と腐女子の掟を破る者と男に媚びている女)を叩きまくっていた私だけど、社会人になってからこの嫌悪感は一気に解消された
それは新卒で入った会社でリアルの等身大の男性とコミュニケーションを取る機会が増えたからだ
流石に学生の頃とは違って会社では同僚男性と密に話さないといけない機会も増えた
入社前の私は男性嫌悪の拗らせが最高潮になっていたので「私に舐めた口を聞いてきた男は公衆の面前で論破して泣かせてやる!」「場合によっては金玉を蹴り上げて潰してやる!正当防衛だ!」ぐらいに高ぶっていた(全盛期の宇◯美里かな?)
セクハラやパワハラも行われなかったし恋愛的なアプローチも一切なかった
職場の会議ではこっちの意見を尊重してくれるし、昼休みや飲み会の席でもこっちの気持ちを察して適切な距離感を維持してくれた
当たり前といえば当たり前の話なんだけど、世の中には尊敬に値する男性もいるという現実を目の前にして男性嫌悪も段々と自然に薄まってきた
Twitterから拾ってきた情報だけを頼りに脳みその中でこねくり回して発酵させていた男性像は実在の男性とはかけ離れていた
大学生の間中ずっと動かしてきた男性嫌悪垢のフォロワーさんのつぶやきに対して「いやそれは言いすぎでしょ」とか「この人イメージだけで男を叩いてそう」といった感想を持つようになって、結局社会人になって一年経たないうちにアカウントを消した
さっき書いたことの繰り返しになるけど、尊敬に値する普通の男性だ
ただ、男性嫌悪を拗らせてあれこれ自分で自分に抑圧をしていたせいで、彼氏ができてからかえって失ってしまったことへの後悔がとんでもないことになってきている
彼氏の好きなポイントを発見するたびにそういう後悔で胸が苦しくなる
体育祭で上着の袖をまくってノースリーブみたいにしてハチマキをカチューシャみたいに縛って可愛い子ぶりたかった
何の恥じらいも無く放課後に制服でデパコスを物色してイブサンローランのコスメを買いたかった
今の私はかつてあれほど憎んでいたサブカル系の女子にすら憧れている始末だ
ギターのケースを背負ったまま帰り道にアイスを食べたりとかしたかった
男性嫌悪を拗らせていたせいで貴重な10代を棒に振ったという後悔で本当に胸が苦しい
私の顔面じゃキラキラした青春を送れたのかわからないけど、それに挑戦することはいくらでもできたはずだった
段々何を言いたいのかわからなくなってきた
幸い私は元の増田のように精神科にかかるほど重症化していたわけじゃなかった
もしあのとき新卒で入った会社でセクハラなり何なりされていたらもっと男性嫌悪を拗らせて酷いことになってたかもしれない
引用欄が怖すぎる。
「ママ友」って、そこまで特別に気を遣って誠心誠意尽くさなきゃならないような相手だったの?
@tamago_tabibito
·
昔、ママ友(金持ち)のお宅にこのホワイトロリータ様をお連れしたら嘲笑されて誰も食べてくれなかったことがあってから、私はホワイトロリータ様を傷付ける奴らとは仲良くしないって決めてる。
https://x.com/tamago_tabibito/status/1850084099060338699/quotes
引用欄では婚活の初デートにサイゼとか、推しへのプレゼントにコンビニ菓子とかにたとえている人がいるけれど、
全然違わない?
元ポストの人は別にママ友に惚れ込んで愛してるとか、生涯を共にしたいとかいう訳ではないよね?
「ママ友」に、そこまで畏まった付き合いをするイメージがなかった…。
ママ友って単に子供の関係で知り合いになって親しく付き合うようになった、気の置けない間柄だと思ってたんだけど…
それこそ幼稚園や小学校の友達と同じような存在なのかと思ってた。
こういうのを見ているとママ友付き合いこえーってなるし、
マチアプで出会った男の話なんだけど、もうとにかく衝撃だった。
もうなんか、穴だらけの服で現れたのね。普通、第一印象大事じゃん?
デートに着てくる服装としてはあり得ないだろうって思ったんだけど、その穴の感じが、ただのボロボロなやつじゃなくて、どこかで見たことある感じだったんだよね。
それで思い出したんだ、あれだよ、ジョジョのフーゴ!フーゴの穴あきスーツっぽいデザインで、彼もそのファッションがカッコいいと思って着てきたんだろうけど、こっちは正直びっくりだよ。
で、その服装だけでもう「帰りたい」って気持ちがムクムク湧き上がってきたんだけど、ど服はたぶんメゾン・マルジェラ。
穴あきデザインはこのブランドの代名詞でもあるんだけど、そもそも日常的にこのブランドの服を着てる人って少ないし、なんなら初デートにこれ着てくるのも謎すぎるでしょ。
ちなみに、このメゾン・マルジェラってファッション界ではちょっとした異端児的存在なんだよね。
創設者のマルタン・マルジェラが匿名で活動していて、服そのものにアイデンティティを持たせることを目指してたらしく、服にはタグにブランド名すら入ってないんだって。
しかも、あの有名な「タビブーツ」とか、着る人を選ぶアイテムが多いことでも知られてて、それを日常で着こなすのって結構な練度じゃないと難しいのよ。
穴だらけの服を着て、ファッション語りされてもこっちは困るって感じ。
まあ、さすがにすぐ帰るわけにもいかないから、とりあえず近くのカフェに行くことにした。
彼はすごく自信ありげに「このカフェ、パンナコッタが美味しいんだよ」って言ってたけど、私は普通にケーキが食べたかったから、ショートケーキを頼んだの。
パンナコッタとかも全然悪くないんだけど、その時はもう普通に甘いものが食べたかったんだよね。
で、世間話でもしてみるかと軽く質問をしてみたんだけど、もうその返答がいちいち微妙。
たとえば、どんな音楽が好きかって話を振ったら、なんか急に「まあ、俺は音楽とかあんまり聞かないけど、あえて言うならクラシックだな」みたいな。
もう『俺すごい』感を押し出してきてさ、いやいや、クラシックなんて全然興味ないなら無理して言わなくていいから、みたいなこと思いながら相槌を打ってたのよ。
ていうか片足でずっと貧乏ゆすりしてるのが見えたんだよね。
もうその時点で「やばいやばいやばい、これ絶対にやばい奴だ」って確信した。
貧乏ゆすりってだけでちょっとイラっとくるけど、さらに会話の空気を読むこともせず、勝手に話し始めるし、全然こっちの話には興味なさそうな感じが伝わってきて。
最後に、店を出るときも「あ、会計は別々でいいよね?」とか言ってきたし、もうそこでも「はぁ…」って心の中で溜息。リアルでもちょっと漏れてたかも。
いや、別に会計は別でいいんだけど、言い方!もうちょっとスマートにできないものって感じ。
正直、次に会うことはないかなって感じ。フーゴはいいけど、リアルで穴あき服を見せつけられると流石にちょっと引いちゃったわ。
っていうか別に今も弱者男性やってるんだけど、ここ2年ほど精神科に通ってカウンセリングを受けるうちに自分の思考の歪みに気づくようになってきた
生きづらさを解消するためのメンタルトレーニングとして、恥ずかしかったり屈辱的だったりする過去の黒歴史を実際に紙に書きながらそれを受容して未来への糧にするためのアドバイスを受ける……みたいな感じのをやっている
最近、トレーニングの一環として俺が弱者男性拗らせていた頃の恥ずかしい恋愛観を紙に書いていた折、これをあえて衆目に晒せばここ最近の弱者男性界隈の考え方の理解になるのではないかと思った
ここのところ、フェミ関連の論争や弱者男性界隈の論争を見るにつけ実は弱者男性の思考の歪みの傾向って一般の人にはそんなに知られていないよなと思う場面が増えた
同情してほしいとか共感してほしいというのではなく、相互理解のための補助線として弱者男性の恋愛観の一類型をお披露目しつつ反省の弁を記しておこうと思う
これはメンタルトレーナーからも言われているので、あえて断言させてもらう
思春期の多感な時期に自己肯定感を育てられず、人とのコミュニケーションに支障が生じた
自己肯定感を育てられないとどうなるか
まぁ色々な方向性の悪影響があるそうだが、俺は他人を心の中で馬鹿にするようになった
当時の俺は例に漏れずオタクであり、アニメ漫画ゲームにハマっていた
で、いじめっ子たちはことあるごとにそれを馬鹿にしてくるわけだ
すり減った自尊心を保つために俺は「こいつらは芸術の素養がない馬鹿だ」「教養がない低能だ」と心の中でそいつらを見下し、逆に自分は教養があふれるがためにかえって大衆からは疎まれる存在になってしまったのだと思うようになった
これが恋愛観にどう作用したかというと、「モテているやつは底の浅い馬鹿ばかり」「俺はそんな底の浅い恋愛ではなく真の恋愛を成し遂げるのだ」と思うようになった
ここでいう真の恋愛とは、
といったものだ
『自分の趣味ではないディズニーに付き合って楽しんだふりをする』
こういうのは真の恋愛ではなく、単なる見栄と性欲のためのゲームだと思っていた
世間一般の皆様がやっているゲームのような恋愛と俺の脳内にある真の恋愛
この二項対立でものを考えるようになるので、非モテはますます加速した
無論俺は初デートサイゼ論争においてサイゼを否定する女のことを嫌っていた
だって俺は当時自意識を拗らせすぎてサイゼやガストや牛丼チェーンくらいにしか行けなかったから
おしゃれなレストランに行って頓珍漢なことして恥をかくのが耐えられない
自分の見知らぬ場所に行って人から笑われるようなことをしてしまう恐怖心が、サイゼはあり得ないと言っている女性への怒りに転嫁されていた
「真の恋愛ならば相手がサイゼに行くことを受容するはずだ。だって高級なレストランに行って恥をかく恐怖を理解してくれるはずだから。女はパートナーの弱さを察する優しさを持つべきだ。そんな優しさすら持てずサイゼに行くことを馬鹿にする女はみんな低能だ。自分のことしか考えてないビッチだ」
色々と理論武装してサイゼ否定派をぶっ叩いていた裏で、無意識の本心としてはざっとこれくらいのことを考えていた
「こちらの弱さを無条件に受け入れて慰撫してくれる存在」がいたとするなら、それは親もしくはカウンセラーであり、恋人という一番近い距離にいる他人に求めることではない
最近の俺はこれを受け入れようと努力しているのだが、それでもやっぱり疑問が湧くことしきりだ
世の中には真の恋愛をしている人たちも存在していて、相互にお互いの全てを無条件で許容しあっており、自分を高めたり相手を受け入れたりする努力を一切せずただありのままを受け入れあっている
そういうカップルがいるはずだと思えてならない
でもどうやら現実は違うらしい
相手の望む自分であろうと努力して、慣れないレストランを予約してみたり恥をかきながら勉強したりするのが正しい恋愛でありコミュニケーションのあり方なのだそうだ
恥をかくのが怖すぎてずっと逃げ続けた結果、いい年して中学生みたいな化け物になってしまった
カウンセリングの場で、俺と同じような恋愛観を持っている人は多いと知ることができた
恋人のために何かを我慢するなんてことはあってはならない、恋人は無条件で自分を安心させてくれる存在でなければならない
グループワークでそういう話を聞くたび正直わかるわかると頷いてしまった
と、同時にやはりこういう恋愛観は幼稚でまともな大人の思うことではないという背反した考えも頭の中に流れたりもする
とりとめもなくなってしまったが、弱者男性的な恋愛観とはそういうものだ
世の中から色々なものを奪われてきたという自意識を拗らせているので「相手に合わせて〇〇する」という恋愛の初歩的な気遣いができない
それを要求されようものなら「これ以上俺から奪うのか!!」と怒り狂ってしまう
だから優しくしろと言いたいのではなく、フェミ関連の論争に興じる際には弱者男性のそういう思考の傾向を踏まえれば少しは話が通じるようになると思うのでぜひ頭に入れてほしい
人間ものの考え方だけでこうも生きやすくなるのかって感動するぞ
思った以上に反響をもらえて嬉しい
投稿から日が経ってしまったが誤字脱字を直すついでに寄せられた疑問に答えようと思う
これは俺の書き方が悪かった
経緯としては、
↓
カウンセリングも受けるといいですよと勧められる
↓
カウンセリングも受けるようになる
って流れ
だから厳密に言えば精神科での治療とカウンセリングは別ものなんだが、まぁ医者も心理士と連携して色々やってるらしいのでセットのように記載してしまった
今は月1のカウンセリングと数ヶ月に1回薬もらうために精神科へ通院するというスタイルで過ごしている
弱者男性の定義については色々あると思うが、一応ASDと抑うつで精神障害3級の認定を受けた上に今は実家暮らしで仕事も事務仕事の時短勤務、童貞非モテ、収入もゴミカス、病院行くにも親からお小遣いをもらってる在り様なので一応弱者男性仲間に入れて欲しいなぁと思う
唯一親の支援を受けられているという点では弱者性は薄いかもしれないが弱者男性の全員が親と険悪ってわけでもないだろう
もちろんそっちも努力している
っていうか今回はあくまで恋愛面にフォーカスしただけで俺の生きづらさは友達付き合いから仕事、単純なコミュニケーションまで多岐に及ぶ
そもそも精神科に行き始めたきっかけも職場で嫌われてうつ病患ったから
前は普通の正社員やっていて転職も3回経験があるんだが、どの職場でも人間関係がうまく行かず嫌われたり煙たがられたりしていた
そしてついに3つ目の職場で精神的に折れて実家に逃亡、精神科受診って流れ
今の職場では一応なんとか嫌われてはいないっぽいので(変わった人認定されているきらいはあるが)、精神科とカウンセリングの両方面でのケアの効果はかなりあるなと感じている
単純に応援してくれているらしい反応や否定的な反応についてはここでは特に言及しない
一部創作の疑いをかけられていたようなのでその方面への補足のために上記を回答してみた
精神科に通ううち、自分のプライドや内的な欲望を一旦脇において「なぜ自分は人から嫌われるのか」「どうやったら生きやすくなるのか」「どうやったら人と適切なコミュニケーションがとれるのか」って現実的な視点で人生を見つめ直すことができた時に、少なくとも俺は生きる辛さをいくらか軽減できたように思う
たとえば暑苦しい気候で会社員がそれでもジャケットを羽織るのは、全くもって気が狂っているとしか思えない。自分もそれは望まない。
さりとて環境にそぐわない服装を要求される場面は多々ある。良い悪いの問題ではなく、いくら暑くともTシャツ一枚で冠婚葬祭に赴くのがズレているのは間違いない。
自覚的であれ無自覚であれ、そういう場面でズレてるとつまらない損をする。馬鹿げたナッシュ均衡でも、崩そうとするよりはそれに従ってテキトーにやり過ごそうとするのはそうおかしな心理でもない。
人生の時間も、(大抵の人間にとっては)一日に絞り出せるやる気も有限だ。アイデンティティなりポリシーなり生きがいなり、よほど強い関心がある訳でもなければラクな方を選ぶ。こういう態度が現状を補強するんだろうなという自覚に蓋をしながら。
「普通」ではない人間を炙り出す対象となるのは自分だけではない。自分の選択だけではなく、鬱陶しいと思っている風習であってもそこから逸脱した他人を白眼視する事さえある。馬鹿げたコードだとは思いつつ、それに敢えて反発するのもラクではない。
ある種のコードだけでは見極められないヤバい奴だっていくらでもいるだろうけれど、少なくともそこで擬態すらしないような人間は判別出来る。逆にそういうとこばっかり見てるとヤバい奴が「まとも」に見えてもしまう。
無自覚でやってるのなら物を知らない奴という事だし、自覚的にやっているのならメンドクサイ奴なんだろう。現状を変える勝ち筋が見えているのならともかくとして。
安全圏の部外者が画面越しである種の内輪ノリを非難するのと、自分の身を以て抗議するのはまるで違う。おれはその手の「メンドクサイ」人間に対する忌避感はあまりない。単に現状を変えようとするコスト(怠惰という錘も含め)が変えて得られるものよりも高くつくと見積もっているのだと思う。
ただその手の奴を強く嫌う人間も少なからずいるようで、そういった連中はむしろ積極的にその構造を補強しようとしているのかもしれない。おれは「べき」に抗議するよりも、そうやって「べき」をそれとなく支持する奴の方がめんどくさいと思う。
TPOに応じたコードには煩わしさと、良い悪いは別にしてこういう特定の機能がある。どこまで共有されているのか分からないような美意識も。
実在するかは知らんけど、初デートでサイゼリヤを選ぶの選ばないのというのもそういう事なんだと思う。
単純にケチであるとか見栄の感覚のギャップだとかの問題ではなく、よりメタ的な部分で品定めするのもそうおかしな事ではない。
初めてのデートで格安チェーンを選ぶという、コードからのズレをどう評価するのかという。
ただデートなら集団ではなくあくまでタイマンな訳で、そこはやっぱり「社会のマナー」と違うよなって思う。
双方が「普通」のデートの作法を煩わしいと感じたのなら、日本中の会社員がいっせーのでスーツを脱ぐよりも遥かに簡単だ。
今日マッチングアプリで会って初デートした男性に「面接みたいでつまらなかった」といわれブロックされた
コミュ力ない自覚はもちろんあって、傾聴重視で話しすぎたのが駄目だったんだろうな
とはいえ自分から話してもくそつまらない話しかできないし、大体「~~らしいよ」 「~~なんだって」 「~~です」で終わる。
話の上手い人はなんてことない「事実」から枝葉のように会話を発展させていくんだろうが、私は想像力がなく記憶力もないのでほとんど「~~です」でおわる
そのうえ会話のセンスがずれてる。面白くないというより、M1地方予選のつまらない芸人より何とも言えない、いたたまれなさがあると思う。。
デートで卓球部だった共通点があり、「私カッコいいと思ってずっとペン型のラケット使ってました。でも手の大きさがラケットに合ってなくてうまく握れなくて、案の定弱かったです。」って話をした。は?
この後ペン型ってかっこよくないですか?って話つなげようとして、相手も返答に困ってた。
こんなコミュ力なので大人になってから友達も知り合いも一人も増えてないし、小中学校、大学の友達しか残ってない
小学生の友達は付き合いも長いので、私のコミュ力を気にせず話したいこと話したりくだらないダジャレ言い合ったりしてる
来週パートナー契約の紙を出しに行くんだけど、相手が独身のときと全く変化がなくて不安。
会社が傾いてるから、就活したほうがいいんじゃないかと伝えているけど、生返事。
家のローン組んじゃうよ?将来が不安。
酒も1日ストロング三本飲むし、早死にするからやめてほしいけれど、本人の楽しみだから強く言えない。言うとしょげて元気あからさまになくなるし、、。
アニメ見てゲームで徹夜して昼頃起きてって生活を続けてて、37になるのに、その生活はやめてほしい。自分の中のやめてほしいセンサーに引っかかってるだけで、誰にも迷惑かけてないから本人に言えない。
そもそも10年前に初デートで酒飲みすぎて外で間に合わないからって野原に立ちションしたのも衝撃だった。
体質的にフケがでやすくて皮膚がぼろぼろとれるのは仕方ないけれど、腕毛も顔ヒゲももじゃもじゃなのは清潔感がなくてやだなと思ってて、、でもこれも好きでもじゃもじゃしてるって言うから、あまり言わずに好きにさせてる
共学高校→工学系大学→自動車業界と歩を進めてきた私にとっては、高校の部活の同窓会というのは男女比がほぼ5:5になる唯一のコミュニティだ。
大学に入って以来女子のほうが多い飲み会に参加した記憶などなく、仕事帰りに男女で居酒屋に入っている集団を見ると例外なく殺意を覚えたものだが今回ばかりは私がその男女の集団なのである。
そんな飲み会に参加できるのであれば、妻との交渉にて使ったHäagen-Dazsなど安いもの。
ただ一言だけ断っておきたいのは、私は決して浮気不倫等の社会倫理に悖るコトをしたいのではなく、ただ単純に旧友に会って話がしたいということのみであり、ついでに女子が多く場が華やかであれば尚良しというただそれだけのことである。
さて高校3年間、16~18才の所謂"青春時代"をともに過ごしたメンバーであるから、破局したカップルがいたり、叶わぬ片思いの相手がいたりと愛憎渦巻く飲み会であった。
元カップルが、現在全く別の相手と結婚していたりいまだ独身だったりするのであるから、それは破局したと言って差し支えないだろう。
全員アラサーであり、良くも悪くも大人なので昔の恥ずかしくも甘酸っぱい思い出を語るようなことはせず、もっぱら話題は結婚、出産、子育て、マイホーム、転職、近況が主な話であり、それぞれ自分の人生を歩んでいると思った。
マイホームとその予算。子育てと仕事との折り合い。転職と投資。今の日本を覆う諸問題は、眼の前の旧友たちにも例外なく振りかかっているようだ。
そんな中、私の元片思い相手は絶賛彼氏募集中という話を聞いた。
一番結婚から縁遠そうな私が結婚したので、妻との馴れ初めや結婚式の話をしていると、そのようなコトを言っていたのだ。
どうやらマッチングアプリを使ってはいるものの、なかなかいい人と巡り合っていないという近況とのこと。
それを聞いたときの私の心情というのが今回の文章の主題である。
温めの燗酒と炙ったイカをお供に私の舟唄を聞いてほしい。
その件の相手というのは高校の同級生で、入学したとき私の前の席だったのを覚えている。
どちらかと言うと明るいが奇妙奇天烈な性格で、典型的なオタク女という分類になるのであろう。
意識したきっかけは何だったか、はっきりとは覚えていないが確か魔法少女まどか☆マギカの映画化に際して、今度よかったら一緒に観に行かない?と(おそらく向こうにとっては)なんの気無しに言ったお誘いだった記憶。
女子からなにかに誘われるということはそれまでの人生で1度となく、胸が高まったというのだけは覚えている。
地元のイオンモールに2人で買い物に行ったことがある。私の人生初デートである。その時の目的もはっきりとは覚えていないが、確か何かしらのアニメグッズを買いに行くのが目的だったはずだ。
そこから約1年。同じ部活のメンバーとして練習をしたり、みんなでカラオケに行ったりという何気ない日常が続いていた。
その頃にはもう好きになっていたのであろう。
まどか☆マギカを観に行かないかという誘いは、そして果たされることになる。
201X年の12月24日。県庁所在地にある映画館にて映画を見に行った。
当時アマガミという恋愛シミュレーションゲームにハマっていた私は、クリスマスデートというのは絶対に抑えておきたい高校生活のメインイベントだった。
彼女にその気があったかは私は知らないし、知ることはないだろうがそれでも私にとってはデートだった。
親に出かけるといい、精一杯のおしゃれをして、なんとなく親には察され、待ち合わせ場所に向かった。
地元の駅で待ち合わせ、映画館に向かう間は私は緊張してあまり喋れなかったように思う。
映画を観終わって帰路をたどっている最中、私はどうやって告白するか、それだけを考えていた。
もう少し正確な表現を心がけるなら、おそらくその日は1日中告白することだけを考えていたのだろう。
恋愛シミュレーションに毒された高校生が、12月24日に映画館デートをしているのである。
意中の相手とクリスマス・イブに2人で出かければ、意識をするなという方が酷な話であろう。ましてや17才の青春真っ盛りの高校生であれば、恋愛脳であっても誰からも咎められはすまい。
だが私は結局言い出せなかった。
告白なんかできる雰囲気ではなかった。言えるタイミングがなかった。言い訳を挙げればキリがないが、要するに怖気づいて言えなかったのだった。
部活はまだ続いていく。告白して失敗し、気まずくなるよりはリスクを冒さずに現状維持することを選んでしまったのだ。
この選択は正しかったと15年たった今でも自分に言い訳を続けている。
年が明け、年度が変わり高校3年生になった。私は理系、彼女は文系なので違うクラスに。それは部活を引退すれば疎遠になるということだった。
インターハイが終わり、私の高校での部活は終わった。これからは大学受験に向けて各々勉強する時期である。
とはいえ、高校生活はまだ続いていくからイベントはある。文化祭や体育祭、球技大会などクラス単位で楽しむイベントはまだ残っている。
当然私も自分のクラスで、文化祭や体育祭など全力で取り組んだ。文化祭の出し物の打ち合わせで22時過ぎまでファミレスでクラスメイトと話し合いをして、追い出されたのはいい思い出である。
彼女と同じクラスで出し物ができる、文系クラスの友人を羨ましく思った。
私は英語が大の苦手で、このままでは英語が足を引っ張り不合格になるであろうことが予想されていた。
両親の方針で、地方でひとり暮らしをしてでも浪人は絶対にNGとのことだったので二次試験に英語のない地方の大学に目標を変えざるを得なかった。
詳しくは知らない(し、未だに彼女がどこの大学に行ったのかはよくわかっていない)が彼女は実家から通える都内の大学を受験すると聞いた。
2人の距離が、どんどん開いていくような気がした。
3月になり、私は地方の大学でひとり暮らし。彼女は都内の大学に通うことが決まった。4月になれば離れ離れである。
卒業式が終わり、付き合っているわけではないが彼女との別れが近づいてきた。
私は彼女が秋葉原のメイド喫茶と池袋のアニメイト本店に行きたいと言っていたのを覚えていたので、彼女をデートに誘ったのだ。
私は当日が楽しみだった。普段は見ない朝のテレビ占いなんかもみて自分の運勢を確認したくらいである。
そしてクリスマスの日にできなかったことを今日こそはとも思った。
何しろもう後が無いのである。月末には私は地方に行かねばならない。
都内でのデートは非常に楽しかった。私の青春の集大成と言ってもいい。
行く先々でカップルと見られるのは心地が良かったし、この時間が永遠に続いてほしいとも願った。
どうしても遠距離になってしまうし、現実的には厳しかったのも理解していた。
ただこれからが絶望的な以上、クリスマスのときのように比べる天秤がない以上、一兆分の一の可能性を信じたかった。
地方に引っ越しをした時が私の人生で一番寂しかった時期だろう。
知らない街、知り合いは誰もいない中で、選別に貰ったキーホルダーが失恋を常に思い出させた。
失恋から6年後、キーホルダーが壊れてくれたお陰で、私は青春と漸く決別できたのである。
同窓会で再開して、彼氏募集中のようであったとしても、私にはもう人生をともにする伴侶がいる。
今の妻と別れてもう一度青春を取り戻すべきであろうか?
それが不可能であり、すべきでないことは論じるまでもないであろう。
綺麗な思い出は綺麗なまま保管せざるを得ないのである。
せめても彼女に、佳き人が現れることを願う。