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はてなキーワード: 伊藤計劃とは

2022-09-23

伊藤計劃のこと馬鹿にしていたけど慧眼の士だったのかもな

ロシアが核を使って、だが報復も受けなかったなら、虐殺器官に描かれていた『核が使える』世界現実のものとなる。

からウクライナはさっさと降伏しろっていったのに。

2022-08-11

anond:20220806182309

「先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い」(はてな匿名ダイアリー)

これは凄い同感。視聴者の多くは、予防拘禁問題歴史(保安処の日本での議論)とか全く知らなそう

午後11:15 · 2022年8月9日·Twitter Web App

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https://twitter.com/kemohure/status/1557007707189972994

 

kemofure

@kemohure

リコリス・リコイルは、保安処分を行う特殊機関主人公達が所属している訳ですが、これは先行作であるガンスリとかよりも、倫理的、また法制度的に問題が更に大きい。ガンスリは「テロ組織と戦う」という建前がある訳ですが、予防拘禁(保安処分)は「何もまだしていないもの処分する」ものなので

 

kemofure

@kemohure

戦後日本にも予防拘禁(保安処分)を導入しようとする動きは何度もあって、何度も、あまりにも問題が大きいということで反対され未採用歴史があるんですね。リコリス・リコイル世界予防拘禁(保安処分)を行う組織無罪の人々を処刑している世界を『それが正しい』という形で描いているので危うい

 

kemofure

@kemohure

上記訂正 保安処→保安処分

「(日本では)刑法上の法効果として保安処分採用されていない(略)しかし、刑法に保安処分制度を導入しようとする動きは古くからあり、1926年1961年1974年にそれぞれ答申された「改正刑法草案」は、保安処分刑法に盛り込むものであった」ウィキペディア

この辺の話

 

kemofure

@kemohure

リコリス・リコイル的な、保安処分(予防拘禁)により、無罪(犯罪を犯していない)の人々を処刑する国家機関が暗躍する物語は、漫画の「iメンター」もそうですが、iメンター場合はその行為ディストピアとして提示されて、それに内部から抵抗する話な訳です。リコリス萌えの名の元に従っているので..

 

kemofure

@kemohure

リコリス・リコイル架空日本世界の「保安処分(予防拘禁)により、無罪(犯罪を犯していない)の人々を処刑(もしくはそれに類する処分。薬物と電気による廃人化などの処理)する国家機関が暗躍する世界」っていうのは、ソ連などの旧共産圏諸国が行ってきた歴史があり、完全にディストピアなんですね...

 

kemofure

@kemohure

あと、リコリス・リコイルで、よく分からないのは、先行作のガンスリと同じくチャイルドソルジャーの話な訳ですが、チャイルドソルジャーは残虐行為実施精神が壊れてゆくので、ガンスリはそれを薬物と担当官のサポートで騙し騙し使っている訳ですが、リコリスはその葛藤が見えないのが...

 

kemofure

@kemohure

リコリス組織が保安処分ばんばん無罪の人々を処刑していることは1話から明らかで、処刑であるチャイルドソルジャー達に物凄い精神負担が掛かっているはずなんだけど、その辺が描かれていないのが、どうしても誤魔化しているように見える。その点で、ガンスリは良くできていたなと改めて評価

 

kemofure

@kemohure

余談ですが、チャイルドソルジャー精神が壊れてゆくという話では、漫画の「機械仕掛けジュブナイル」とか良くできていましたね。チャイルドソルジャーとして精神が壊れている主人公(シリアル・キラー性質が強く出ている)が、それでも倫理的に生きられるか、幸せになれるかが題材になっている

 

kemofure

@kemohure

当たり前なんですけど、リコリス・リコイルみたいなチャイルドソルジャー物で重要になってくるのは、残虐行為実施は、行う側にも精神的打撃であり、特にその影響は子供兵に大きいということなんですよね...。ガンダムアムロ最初は敵兵を撃てなかったり。リコリスからはこの辺が抜けている

 

kemofure

@kemohure

また余談ですが、チャイルドソルジャーについて描いた小説では、伊藤計劃さんの「The Indifference Engine」がお勧め伊藤計劃さんは天才だと心底から感じたのはこの小説を読んだ時だったな...。現在は同題で出ているハヤカワ文庫JA文庫で読めます

 

kemofure

@kemohure

機械仕掛けジュブナイル」とかのテーマ、人々の命を奪う戦闘により、完全にその中毒になってしまった兵士が、その後どう生きればよいのかは、凄く難しい問題ですね。機械仕掛け~は、デクスターの道を選んでいる。映画だと、アメリカン・スナイパーが傑作。リコリスはこの辺描く気なさそう...

 

kemofure

@kemohure

リコリス・リコイル子供兵に保安処分に基づく戦闘行為やらせ特殊機関が、どう考えても邪悪権化なんだけど(テロも勿論邪悪だが、それを防ぐ組織テロリスト以上に邪悪という構図)、その辺を一切加味しない形で話が進むので、作中の倫理的なことや社会的なことがどうしても気になって混乱する..

 

kemofure

@kemohure

リコリス・リコイルの保安処分は、AI犯罪発生を予言たから未然に犯罪者になると予想される標的を始末せよという託宣に基づいている訳ですが、これだと、実際には作中で直接は描かれませんが、大量に無辜の人々の命がリコリスに奪われている訳なんですよね。iメンターはまさしくそういう話な訳で...

2021-12-20

伊藤計劃ハーモニー読んだけど、無意識集合体になってもいいかなと思ってしまった。

楽じゃん。怒りも悲しみもストレスもない。

でもその場合集合体の核?というか自我ハーモニープログラム

プログラムから自我くそもないか

Watch me入れていない人はそのままなのか。

入れてない側は気付くのだろうか。自分達以外の人間無意識に動いていることを。

2021-10-20

anond:20210921223111

医学だろうね。

 

軍事エロ儲かるのは結果論で、なぜ儲かるかというと、生命危機に対して誰もが必ず必要とするからだろう。

 

書いて思ったけど、マジで伊藤計劃めいてる。

 

2021-09-21

戦争エロ科学技術の発展を牽引する』のような格言を聞いたことがある

誰が最初に言ったかは知らないが

ではここで思考実験

戦争が根絶され、性欲が完全に管理され工場から赤ん坊が出荷される世界では何が科学技術の発展を強く牽引するのだろうか?

思考実験なので「戦争は根絶することは不可能だ」だとか「性欲が管理されたとしても闇でポルノ蔓延るだろう」とかそういうことを言うのは野暮(トロッコ問題とかでも思考実験の前提をちゃぶ台返ししたがる人をよく見かける)

戦争エロ科学技術の発展を牽引する』というのは言い換えれば『戦争エロは儲かる、または開発予算下りる』ということだろう

ということは、この思考実験は『戦争性欲完全管理社会では何が儲かるのか?』という問いなのかもしれない

また、『現実世界戦争エロ以外で儲かるものは何?』という視点からも考えることが出来る(この架空世界特有の儲かるものはこの視点からだと探れないが)

そう考えると……健康欲と食欲だろうか うーん、ちょっと短絡的すぎる気もする

SF小説の題材になっていてもおかしくないような仮定だと思うのだけどな

アーサー・C・クラークとか伊藤計劃とかが似たような題材で書いていないだろうか

幼年期の終わり』の「黄金時代」の雰囲気や『ハーモニー』なんかが近い雰囲気だと思うんだけど

「これこれこういう内容の小説を探す」という内容から逆引きといのはなかなか難易度が高い

追記

一か月前に書いたものがなぜ今のタイミングで……

戦争エロ科学技術の発展に対して『牽引』と表現するほど特別寄与しているか?」という話は大変ごもっともかと思います

それはそれとして、これはSF小説の設定を考えるような遊びとしての思考実験を当時書いていたのであってね

科学技術の発展に寄与する数多のファクターの中から戦争エロが取り除かれたらどうなるのか?

そういう設定の世界があったらどんな世界だろうね?

という空想遊びだったわけですね

なので最初命題(冒頭の格言もどき)が偽であると思うのであれば、より適切な命題もっと楽しい思考実験の設定を提示していただければ幸いです

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -1-

注 この文章は『疾風!アイアンリーガー』を第十三話まで鑑賞した人間が書いています

撒き餌に釣られた者の末路

 とんだ詐欺もあったものである

アイアンリーガー』というアニメを知る人ならば、この「初見人」の慟哭意図を察してくれるに違いない。

 これを呟いたのが、学生生活記憶もとうに色褪せ、メディアを賑わせる人々が自分よりはるか若いことに日々愕然とするようになった齢の人間であり、かつ令和の時代に『アイアンリーガー』というアニメを初めて目の当たりにし、そして今こんな文章を書くに至っているという事実を踏まえれば、なおさら

 何が詐欺か。何もかもである

 多少の表現の違いこそあれ、アイアンリーガーというアニメは「ロボットスポーツをする子ども向け熱血(スポ魂)アニメ」というような説明をされる。

 おそらく、それは間違いではない。間違いではないが――世に溢れる詭弁の数々が皆そうであるようにーー嘘を言っていないことと、それが真実であることは必ずしも一致しない。

 はじめに断っておくが、僕は別にアイアンリーガーというアニメについて「実はこういう真のテーマが隠されている」などと声高に主張する気は全くない。

現実世界に『テーマ』などないように、映画はそこに、ある物語にそった映像を映し出しているだけです。」と、かの伊藤計劃氏も述べているし(伊藤計劃:第弐位相「自腹は神様ではない」https://projectitoh.hatenadiary.org/entry/20060211/p1)、それはアニメも同じであろう※。僕がここに書き散らしているのは、アイアンリーガーというアニメ勝手情緒を乱された人間のお門違いの怨念に過ぎない。諸賢におかれては、どうか哀れみの心で受け止めて(あるいはスルーして)いただければ幸いである。

 話が逸れた。『アイアンリーガー』についてである

ロボットスポーツをする」。何ら間違ってはいない。この物語主人公ロボットであり、「アイアンリーガー」とはロボットスポーツ選手のことである。彼らはスタジアム(他の場所のこともあるが)でスポーツ試合をし、勝利を目指しながら、物語は進んでいく。

 だが、少なくとも十三話までを観て、それはこの作品本質ではないと僕は思っている。(ちなみに、なぜ十三話という中途半端な時点でこんなものを書いているのかと言うと、YouTubeでの無料配信十三話で終わったかである。)

心を持つ工業製品

 作中のロボットたちは、確かにロボットである。彼らはバッテリーで動き、金属身体にはギアが埋め込まれコードが張り巡らされている。外側は一応人間の姿形をベースデザインされているが、人間そっくりアンドロイドではなく、ひと目見て「ロボット」と分かる。大きさも、人間比較すると(その可愛らしい見た目とのギャップ唖然とするほど)かなり、でかい

 それでありながら、彼らには意思感情がある。人間と同じように傷ついたり喜んだりし、迷い、成長し、心を通わせる。彼らの持つ「心」は、ほとんど人間と変わりがない。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、限りなく人間に近い意思を持つアンドロイド人間の、それでも厳然と残っている(とされている)「共感力の有無」という差異も、『アイアンリーガー』では存在しない。

 そんなロボットたちが存在する世界の側も、彼らをほとんど人間と変わりのないモノとして扱っている。アイアンリーガーロボットでありながら、チームと「契約関係にあり、チームの所有物ではない。チームから脱退することも(少なくとも建前上は)、第一話でマッハウインディたちがそうしたように、契約が許す限りにおいては可能なのだアイアンリーガー金も稼ぐし、転職もするし、山にも帰る。

 そうしたロボットロボットを取り巻く世界の在り方は、作品内で自明の理とされている。それについて何ら特別説明をされることもないまま、当然のごとく物語は進む。ロボットたちはガショガショと金属音を立てて歩き、「オイルを飲んだり燃料を食ったり」しながら、人間と全く同一のレイヤーで生き、スポーツをする。

 そして、人間人間関係性の中で生まれる、いわゆる「人間ドラマ」を繰り広げている。

 そのあまりギャップ作品に可笑しみをもたらし、人間とそれ以外のモノがボーダーレス意思疎通しながら共存する世界観は、絵本おとぎ話のような「子ども向け」の空気を感じさせる。

 僕はいわゆる「ロボットアニメ」をこれまでほとんど観たことがないので、そうした世界観が『アイアンリーガー特有のものなのか、この手のロボットアニメではよくあることなのかは分からない。

 だがいずれにしても、この奇妙なまでの人間ロボットボーダーレス世界観こそが、『アイアンリーガー』という作品の(はまる場所、という意味での)「深み」である

アイアンリーガー』における人間ロボット関係性は、もはや「共生」というレベルを超えている。人間ロボットの違いはもはや生命の有る無し「程度」にしかなく、作中でも殊更に「人間ロボットの」違い(と共通点)や、その関係性に焦点を当てることは(少なくとも十三話の時点では)ない。

 もちろん、『アイアンリーガー』の世界には人間もいるので、人間ロボット交流も描かれる。第八話のキアイリュウケンオーナーの話などは、それがメインテーマだ。

 だが、そこで描かれているのは「人間ロボットの」交流ではない。あくまで「同じように意思(心)を持つもの同士」としての、オーナーとキアイリュウケン交流、つまり個人個人交流だ。

 人間ならではの心、ロボットならではの心、という概念は『アイアンリーガー』にはない。『アイアンリーガー』は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のように、アンドロイドロボットと似た存在と考えてよかろう)と人間の間で登場人物が苦悩する物語ではない。あるいは『ターミネーター2』のように、本来自分意思感情のない「はずの」ロボットが、人間との交流の中でそれらを獲得していく、という物語でもない。『アイアンリーガー』では、人間ロボット交流も、ロボット同士の交流も、人間同士の交流も、全く同じものであり、それが世界の前提なのである

 しかし一方で、人間と全く同じ「心」を持つロボットは、人間に「発注」され「納品」され――そして恐らく「売買」される存在であるということが、ブルアーマーの過去が明らかになる第三話、そして(よりにもよって)キアイリュウケンオーナーの絆を描いた第八話で明言されている。

 第三話では、なぜブルアーマーのバグを直さなかったのかという問いに対し「バグを直すよりも新しいリーガーを入れた方が早い」とエドモンドが答える。第八話では、キアイリュウケンが「空手リーガー」であり、本来サッカー野球「用」には作られていない、ということが明らかにされる。作中では明言されていないが、恐らく間違って納品された先がシルバーキャッスルでなければ、彼は工場に「返品」されていたはずである

 ロボットたちは、人間と同じ意思感情を持ちながら、同時に「工業製品」「商品であるという事実が、スポーツ試合の影で徐々に明らかになっていくのである

 彼らが工業製品であり、商品である以上、逃れられない宿命がある。ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される。

 その現実が、第九話から急激に深刻になっていく。トップジョイ、そしてS-XXXの登場である。彼らの存在が、今まで「人間ロボットボーダーレスに生き、スポーツをしている」という、どこか楽しげで夢のあるアイアンリーガー世界観を大きく覆す。

なぜか途中で切れてしまうので 2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)につづく

2021-08-24

ワクチン問題で親との関係性を突き付けられてリアルディストピア

親「副反応心配だし接種日決まったら教えて」

そんなラインが来たので何も言わないのも不誠実かと思い

「接種によるメリットと長期リスク副反応を踏まえたデメリット釣り合ってないと思うので自分は打たないと決めた。言いたいことはあると思うが個人判断尊重してほしい」

と返信したら通話で以下の主張を返された。

一般的には打つの普通。お前にもスタートラインに立ってほしい」

私たち(両親)の安心のためにお守りと思って打って欲しい」

「悪いけど、打たないという判断はズレている」

俺の個人判断尊重してほしいって前置きを完全無視されて感情的になっているので今は何とも言えない、と通話を切ったが今後の対応に困る。

心配されているが故の発言とは分かるが、これを受け入れてしまうと親のお気持ち自分判断に優先されるということを認めてしまうようで、あまり納得的ではない。

自分の率直な意見を伝えるのが誠実対応だと思ったが、適当に嘘の接種予定を伝えとくのがお互いのためだったか

そもそもこんな結果とモヤモヤを抱える関係自体が異常なのかと混乱中。

伊藤計劃ハーモニーの内容がふと頭をよぎった

2021-08-18

anond:20210817222242

いやちょ、何度も言うけど伊藤計劃とかグランヴァカンスとかが星を集めてるのなんなん?

お前の好きなSFをあげてどうすんだよ。あんなのSF初心者が読んだら1ページ目でうわ書き方のクセつよ!意味わからんって投げ出すだろ

まずは三体を10ページでも読め。そして書き方のクセのない作品を紹介しろ

2021-06-18

おすすめSF小説マンガアニメ等教えてくれ

ノイタミナでやってたProject Itohから伊藤計劃にハマって何個か読んだところなんだけど(にわかファンみたいに感じたら申し訳ない)、伊藤計劃小説好きな人間向けのSF作品あったら教えてほしい

古典SFはかなり読んだ

先にお礼としておすすめSF要素あるなろうファンタジー貼っとくから興味あったら読んでみて欲しい

https://ncode.syosetu.com/n0632db/

2021-06-17

三島由紀夫vs東大全共闘感想

ツイートではなくて、こうちゃんとした一つの感想文?としてまとめようとすると前置きとかいい感じのまとめとか必要で、いきなり書きたいところだけ書くわけにはいかず大変だった。あと携帯で長文書くの疲れる。みんなどうやって長い文書いてんだ。そんなわけで構成が雑で尻切れトンボ気味ですが許してください。ほんとひどい文章なのでいたたまれなくなったら消しま

東大全共闘三島の討論のドキュメンタリーを見て三島に強く共感したという話をする。内容の細かい解説はしない。プライムビデオにあったんで見てください。youtubeTBSが上げてるやつはもっとコンパクト

まず、三島議論の冒頭からいきなり始める「エロティシズム」について共有しておきたい。これはサルトルのいう「猥褻」という概念から引っ張ってきたもので、いわゆる一般的性的衝動というよりも衰弱したもの無気力ものを指している。他者オブジェとして捉え、他者予測不可能であること、操作不可能であること、転じて「人間であること」を認めない態度。

文脈的に良いかいかといえば今回は悪いものとして使われてる言葉

他者物体視するエロティシズムというのは、自と他が関係している状態とは違う。関係に入るということはすなわちそこに対立があり闘いがあるということ」と、三島はこの猥褻さを批判しており、暴力にはむしろ人間的な関係性がある、と学生共感ポーズを見せる。議論の出だしにこう語ることで私は君らを頭ごなしに批判しにきたんじゃないよと言いたいのだ。

つづけて、そのようにエロティシズムを批判しつつも三島は「かつては小説家としてただエロティックにの世界と関わろうと願っていた」と言う。

この部分を聞いて、それがまさにいま自分(筆者)がいる次元なのだと気づいた。

振り返ってみるとどうも自分は人と関係するということにいい思い出がなく、関係が強いものであればあるほどその相手といるとき自分が「本来自分」でない気がしてしまう。(実際、関係から開放されると安らぎを感じる) そして世界コントロール不可能であることも常にストレスだ。電車ダイヤじゃなくて自分の都合に合わせて走ってほしい、映画自分の見たい時間に始まってほしい、人の生活音が鳴るときはまず断りを入れてほしい。自分のこうしたストレス根底にあるのは「自分世界フィットしていない」ことを見せつけられることへの恐怖だ。

エロティシズムとは違う気がするが、似たような傾向自覚されてないだけで多くの人間が共有するものだ。(エロティシズム以外の名前を当てようとしばらく考えたけど思いつかなかった)

インターネットを見ていると昨今は「思想トレンド化」が激しく、日々流行りの服を着替えるように思想トレンドを着替えて「遅れたことを言っている人」にならないよう皆必死こいている(一年前まで「男女間に友情はありえない」としたり顔で言っていた人間が今年はしれっとLGBTQを擁護するツイートリツイートしている、みたいなのを何回も見た。もう少し意地張れよ、そんなんだから差別主義者に思想の借り物感を見抜かれるんだよ、と思う)。

つまるところこれは自分の「主観」に落ち着くことへの恐れであり、世界三人称で見たいという欲求とも言い換えられる。たった数年前までもてはやされた育メンという言葉はもはや一種差別用語、下手にフラット思想の持ち主を気取りそんな単語を口に出そうものなら冷ややかな目を向けられる。このスピード感の中で誰が自分主観にこだわりたいと思うだろうか。人の思想を借りて乗り換える、主観は持たず三人称だけを持つ、それが一番楽なのだ。こうして人々はエロティシズムに走る。

しか三島はそれを良しとしなかった。

三島曰くこうした猥褻世界観に欠けているのは他者との関わりであり、それを生むのが「意地」である

「(エロティシズム的な世界との関わりを捨て)どうしても一つの関係に入りたくなっていった。それが当然対立を生むことになって、対立他者というものイリュージョンを作っていかざるを得ない。それで私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めたのです」

三島はここではっきりと「敵にすることに決めた」と言っている。

そう、三島にとって共産主義は敵にしないこともできた存在だったし、事実かつてはそうしてきたのだ。しか三島自分で選ぶことによって共産主義という敵を作り、それにより世界関係を持った。

ここを踏まえれば三島がこの討論の間ずっと楽しそうなのも頷ける。立場の違いは本質的ものではないということをあの場で三島けが知っていたからだ。三島自分思想作品として表現するだけではなく、生の対立の中に身を置かないと気が済まなかったのだ。このへんをよくわかってない全共闘の芥は「作品は自立空間だ。三島がこんなところにデマゴーゴス披露しに来てるのは三島が敗北している証だ」と言い返しているが、三島に言わせれば作品を発表するだけ、一瞬しか続かない解放区を作るだけで満足しているのはエロティシズムに過ぎない。(が、三島は彼を論破しに来たわけではないので強いてそこを芥に認めさせようとはしない。)

右翼左翼だに結局「論理的着地点」などありえないし、あり得たところでそれは本当に世界と関わっているのか?と言われるだろう。少なくとも机をバリケードしたことが実際に世界になんの革命をもたらしたのかといえば、机が汚れただけである。内容が即形態であり形態が即内容である活動他者必要としないので自己完結で終わる。

脱線するが、途中で芥にヤジを飛ばしてちょろっと喋りに来る学生が「現実的実在社会的関係が先行する、それをお前は無視している」とめちゃくちゃセンスのない言い回しで(全体的にこのとき全共闘言葉選びはセンスがない)芥の論を批判するが、これが「その関係を切れっつってんだよ!」という芥だけでなく、三島にも苦笑で流されてるのは「関係現実にあり、それが自らに先行する」というかなりナイーブな決めつけをしてしまっているからではないかと思う。三島の考える関係とはあくまで自らが選んで作る「イリュージョン」だから

右翼左翼本質的な違いはないし論理的な決着もつかないという話に戻る。

これは三島が言っていることではないのだが、つまるところ論理も「意地」の道具でしかないのだと思う。

論理が無力だとは決して言わない、しか論理は使い手に媚びる性質があるのだ。

三島は途中、珍しく自分ノスタルジー全開で天皇腕時計を授与されたエピソードを話す。その時の天皇の姿が自分いかに立派に見えたか三島は強調しており、またそれが個人的経験であることも認めている。

三島はこの経験が彼の愛国主義、つまり「意地」の原点なのだと考えていた。

三島保守ポジションに立つのは「意地」のせいであり、

それは自分個人的体験世界と繋がりたいという欲求の唯一無二の現れ方なのである、だから変えられない、と。

その意地>論理という三島イデオロギーがはっきりと現れたのが以下の箇所。

「僕は論理の通りに行動しようと思ってない。つまり意地だ。もうね、ここまで来たらもう意地だ。」

このとき東大学生の間には「論理捨てるって宣言しやがったよこいつ笑 もう負けたなw」というニュアンスと思われる笑いが起きている。

ここで東大学生はこの日の討論における自分たちの勝利三島の完全な敗北を確信したのだろう。そして三島は翌年に切腹した。

しかし、あれから50年経った今日、やはり正しかったのは三島だったのではないかという気がしてくるのだ。

テン年代では没落していたひろゆきが今、ネット神様から論破神様として転生している現象にそれが現れている。ひろゆきは「善」という概念を持ち出さない。善は常に主観的だからだ。倫理的にいいかどうかは置いといて論理的にはこうでしょ?、というのがひろゆきの基本スタイル

この「判断放棄」はまさに三島が再三述べてきた「他者物体化」「エロティシズム」にほかならない。

彼を崇拝する現代ネットは、かつてないほどにエロティシズムな世界観を求めているのだ。

ひろゆき曖昧だと一笑に付す善には、ただし、こんな側面もある。

伊藤計劃ハーモニーから引用する。

「善、っていうのは、突き詰めれば『ある何かの価値観を持続させる』ための意志なんだよ」

ちなみに小説ではこの「善」は人間の本性に反する歪な概念として批判的に扱われていた。人間とは本来気まぐれな有限の存在であると。

しか三島はこの本性に逆らうこと、持続させようという意志にこそ真の人間らしさがあると考えた。

ひろゆき批判的な態度を保ちつつも彼の動画を見た多くの人はこう言う。

論理的には正しいかもしれないんだけど…

この「だけど…」という違和感を生んでいるのが聞き手の「意地」であり「善を持続させようとする意志なのだ。それは正しいかもしれない、だけど認めたくはない。そう、「正しい」からと言って認めなければいけないわけではないのだ。先程も言ったように論理は使い手に媚びる(論理学の人にめちゃくちゃ怒られそうな仮定ですが…論理とは一つの信仰体系なのです)。とすれば数十年後には真逆のことを論理的説明する人間がいてもおかしくない。

多くの人が誤解しているが、論理は常に偏見という土台の上に立っていて、論理を積み上げることよりもその土台を見直すことのほうがよほど難しいのだ。

ひろゆきみたいなタイプは「人を言い負かしたい」という「意地=土台」が最初にあり、その上に論理を積み立てていくから論破」において強く見えるんだと思う。しか論破目的化してその先がないのだ。

ひろゆきは人の欠点は指摘できるが、自分の考える「理想の世界」の話は絶対にしない。そんな意地を持った途端にそれは自分の論の弱点になるから

ただし、そうして「論破」だけを繰り返した先に何がある?もちろん何もない。仮にひろゆき提案する通りに世界運営してみたら、きっとそこに残るのは論理服従した人間たちの何もない荒野だろう。

全共闘との議論最後

「それで(三島全共闘と)共闘するんですか」

と聞かれた三島はきわめて朗らかにこう答えた。

「今のは一つの詭弁的な誘いでありまして非常に誘惑的であったけれども、私は共闘拒否します」

イデオロギーの違いを超えて人間として認め合う、平田オリザが説く「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)」という思想がその時、三島学生たちの間にはあったのだと思う。

三島個人昭和という時代に生まれ天皇制に基づいた美しい日本を信奉したためその衰退に殉ずる結果となった。しかしそのイデオロギーと、そこに三島を導いた彼の考え方は別であり、それは単に「敗北した破滅思想」だとは思えないのだ。

2021-06-12

百合だなあと思う漫画映画アニメ小説のまとめ

読んだことのある、観たことのある、漫画小説映画アニメ百合だなあと思ったもの感想まとめてみた。

敬称略

漫画

ポプテピピック/大川ぶくぶ →誰がなんといおうと百合なんだよ!!文句言うな!

うさぎのふらふら/隈井 →とてもお気に入り雰囲気最高。なぜ2巻しかないのか?

CCさくら/CLAMP →知世ちゃんが神。わたし永遠アイドル

ハクメイとミコチ/樫木祐人 →うーん百合なのか?作者の今後の展開次第。別に百合方面に展開しなくても大好きだよ!

はなにあらし/古鉢るか →他の百合漫画をすごく研究してるように見受けられる。技巧的な印象

少女革命ウテナ最近でた続きの巻)/さいとうちほ →川上とも子の不在が漫画にまで影響している…悲しい

わがままちえちゃん/志村貴子 →志村貴子

青い花/志村貴子 →志村貴子

・おとなになっても/志村貴子 →志村貴子

・娘の家出/志村貴子 →志村貴子

シャドーハウス/ソウマトウ →百合って括りの読者もいるらしいがピンとこない

・陽だまりに寄り道/嶋水えけ →短くまとまっている。まあまあ

乙女ケーキ/タカハシマコ →超好き。本で持ってたの手放したけど買い直したやつ

少女終末旅行/つくみず →神…!!!泣く。シメジも良い

シメジシュミレーション/つくみず →うーん悩むけど少女終末旅行より好きかも?そもそも四コマって形式が好き

メジロバナの咲く/中村明日美子 →美麗

コレクターズ/西UKO →百合はまあまあだが本好きという設定の人物本屋写真を撮るのはやめましょう

新米姉妹ふたりごはん/柊ゆたか →わりと真剣面白いし登場した料理作ってみたくなる

ゆりこん/久川はる →明るくて好き!時々読み返す

ユリ熊嵐/森島明子 →ふつう面白いアニメ全部観てないです…

・NKJK/吉沢緑時 →お気に入りお笑い×シリアス×百合。時々読み返す

ムルシエラゴ/よしむらかな →ぶっとんでて良い。さわやかさすら感じる

・人でなしの恋(画集だけど)/沙村広明 →捉え方次第では百合

映画

アデル、ブルーは熱い色 →レア・セドゥ最高最高最高最高

キャロル →途中盗聴されるあたりつらいけど好き

オーシャンズ11 →まあまあ

攻殻機動隊(実写) →ファンの作った同人映画って感じが半端ないけどあのシーンは悪くなかった

アンモナイトの目覚め →エンディングの後、どうなるんだろう気になる。想像ちゃう

アニメ

少女革命ウテナ →アンシーが飛び降りようとするところ泣いてしまう本当に

少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録 →人生で一番観た映画台詞含めてもはや美しい音楽

ユリ熊嵐 →最後まで観れてないけど雰囲気は好き

シムーン →「アーエール!!!」のシーンが好き。アングラス……

灰羽連盟 →レキ大好き、最近見返したけど皆良い

THE IDOLM@STER →運動会の回とかいおまこ

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ! →最初から売れっ子で強めで素晴らしい

小説

・茨の城/サラ・ウォーターズ →なかなかに面白い。読み返すかは不明

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ →ルースキャシーへの粘着百合みある

キャロル/パトリシア・ハイスミス →映画とまた違う良さ

・卍/谷崎潤一郎 →悪女さん…周囲の巻き込み方が半端ない

マラケシュ心中/中山可穂 →濃ゆい!!かなり好き

・白い薔薇の淵まで/中山可穂 →ちょいちょいある男サゲはどうかと思うけどなんだかんだ好き

ナチュラルウーマン/松浦理英子 →のっとふぉーみー

ハーモニー/伊藤計劃 →意外とキアンが好きだ

・アステリズム花束を(百合SFアンソロジー) →手放したけど色のない緑がまた読みたくて買い直した

レズビアン短編小説集 →『マーサの愛しい女主人』、『しなやかな愛』が特に良い

■番外 ソロ百合

フラニーとゾーイー/サリンジャー の中の『フラニー』 →男女のカップルの会話中心だけど、なんだろう百合を感じる(フラニーの中に)

フラニーとゾーイー/サリンジャー の中の『ゾーイー』 →兄と話しているだけだけど百合を感じる(フラニーの中に)

2021-06-08

めちゃくちゃゾッとした

Apple Watch | さあ、アクティブな方へ | Apple

https://www.youtube.com/watch?v=EDSOZgGUeU0

このCMを見て、

「これもう伊藤計劃ハーモニーに出てくるWatchMe※じゃん!」

と思った。

伊藤氏の見解は何も間違っていなかった。

※生府に普及している恒常的体内監視システム、またはその役割を担うナノマシン通称

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

2021-05-18

anond:20210518144014

伊藤計劃屍者の帝国

円城塔が引き継いで完成

佐藤大輔皇国の守護者など

展開が盛り上がってくると別の新作出すを繰り返したため、ほぼ全てのシリーズ作品がいいところで絶筆

こういうの記録として価値あるからもっと書いて

2021-04-22

伊藤計劃の「ハーモニー読了

物語としての面白さ、社会実験的な知的好奇心ストーリーロジック共存、全てがすごいとしか言いようのない小説だった。

こんな小説を書く人間夭折したのは社会の損失としか言えない。クローン作成し、クローンとして目覚めた彼に、クローン作成するような社会へのアンチテーゼとしての小説を書かせたい。

2021-03-05

伊藤計劃の「ハーモニー」って、スーパーハッピーエンドじゃん

百合百合した後で迎えるあの終わり方。

あん幸せエンディングたこと無い。

皮肉抜きで、この苦しい世界も早くあのようになればいい。

生きるのつらいけど、ああいエンディング後の姿なら生きていけると思う。

早く自意識喪失したい。

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

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