はてなキーワード: カウンセラーとは
やはり、面接で聞かれる過去の職歴と、退職理由について説明するのが辛いですね。相手は書類選考の過程で把握しているはずですが、改めて自分の口から述べるのと、それに対する相手からの質問に答えることに、ものすごいエネルギーを使います。
退職理由は若干のごまかしや嘘もあったりするので、自業自得ではあるのですが(誰もが先行き明るい理由で退職したりしてませんよね…)。
また、私は高校を中退したことがあり、その理由を伝えることもかなりの負担です。あまり触れられたくない、トラウマになりかけている過去に対して根掘り葉掘り聞いてこられるのが苦しい。遠回しに「家庭の事情で」と答えているのに、「それはどうしてですか?」とどうしても詳細を引き出そうとしてくることに疲れます。大学中退している方も、しつこく根掘り葉掘り聞かれているのでしょうか…?
過去の仕事では、些細な自信をつけたとしても、それ以上のパワハラや人間関係の悪化で潰れてしまうことが多かったです。「あんなブラック企業でよく頑張ったよね」と周囲には言われますが、その頑張りは、残念ながら自信向上にもメンタル増強にも繋がりませんでした。
そうです。まず医師の診察を受けて、その後医師がカウンセリングが必要かどうかを判断し、臨床心理士に繋ぐ、という形です。
今まで心療内科等に通ったことがありますが、結局投薬だけで、2回目以降の診察も「お薬出しておきますね」だけだったので、今度はきちんと話を聞いていただきたいですね。
自分は3箇所の精神科かかったことがあるけど全部の病院に臨床心理士いたから。
詳しくないけど精神科開く際は臨床心理士がいることが必須条件なんだと思う。
医師がいないカウンセラーだけでやってるカウンセリング事務所(?)的なところもある(指摘してくれた増田が言ったのはこういう所のことか?)
そこにもいい人がいるんだとは思うんだけど行ったことないからよくわからない。
カウンセラーは国家資格でないから民間資格が乱立してて色々な人がカウンセリングしてるみたいだけど、
でも臨床心理士とかカウンセリングは経験が大事なので勉強も大事ではあるんだけどそれだけじゃない。
働き手不足ということもあって、
ミスしたところで辞めさせられる人って滅多にいないような気がするし(犯罪犯したとかぐらいな気がする)、
仕事をある程度やってみないと自分がどこでミスしやすいかわからなくて、
ミスを減らすための試行錯誤や対処法も作れないし(自分はマルチタスクが苦手で手順書書いてそれに付箋貼るの必須)
それでもミスはするし、
仕事でミスしない人なんていないししょうがないし(会計とかはダブルチェックして会計士にさらにチェックしてもらうしその過程で間違い発見なんてよくある)
そうは頭ではわかってるんだけどうーんっていう。
自信は経験に基づくというし、
昨日は出来なかったけど今日出来た事を自分で見つけてあげて自信つけていくのがいいのかなと思う。
仕事出来なくて辞めさせられるかもしれない、人間関係悪化するの嫌だと思うと本当に怖いんだけどね。
こういうことを書くのは本当無責任で簡単だなって思うんだけど、実際仕事でストレスは感じるだろうし。
逃げたいし。
カウンセリングって精神科医のいるお医者さんでのカウンセリングだよね。
嫁にすらいいとこ見せなきゃいけないみたいな感じがあるらしく、
本文そのままの意味。
鬱予備軍というか常にSNSで死にたいだ寂しいだ吐いただ学校に行きたくないと呟いている知り合いがいる。
確かにその子は家庭環境が複雑で同情されるべき部分もある。だからこちらも出来る限り話を聞いてきたし言葉を選んで声をかけてきた。
でもその子の症状がこちらから見ても余裕がなさそうなので、病院に行ったほうがいいんじゃないと提案した。だが、でもでも……と駄々をこねて病院に行かずまた夜中に鬱な発言を繰り返す。
君は元気になりたいのか?
構って欲しいのか?
こっちはな、あくまで友だちであってカウンセラーではないんだ。君の話を聞くこちらだって負担なんだ。まさかこっちになにも精神的影響がないとでも思っていないんだろうな?
フラッシュバックになるとは、叱られたショックが死ぬほどにつらいと過剰に傷ついているのかな。
ショックは「死ぬほどツラい」と仮定して、その原因は「叱られた行為の問題性の過大評価」と考えた経緯と、その対処法(新しい傷を増やさないためにできること)を以下を考えた。
増田は、叱られると「フラッシュバックがあるくらい辛い」から、きっと叱られるような不快なことをしてしまった相手は「自分と同じくらい辛い」と考えて、そんなに酷いことをしてしまった自分はなんて悪いことをしてしまったか、とより深く傷つき、負のループに入っているのかもしれない。
でも、叱られた行為は、「自分が殺される程」や「その人が自殺する程」の悪い行為でない。そういう取り返しのつかない重大なことではなく、悪いことをしたと謝ったら取り返しが効く程度だと思う。
(謝ったら取り返しが効くと考えた根拠は、取り返せない程度であったら、周りの人はもっと早くにとめるか、あるいは二度と声をかけない結果になっているのが、自然かと。)
もし、この「問題性の過剰評価」が正しいとしたら、対処法は過剰に評価しないこと。つまり、本当はどれくらいが適当な問題性であったか(つまりその叱られる行為が、相手にとってどれくらい不快なことか)、意識的に言葉にしてみてはどうだろうか。
不快度を言葉にするというのは、例えば「2度と関わり合いになりたくない」という重さから、「コーヒー一杯おごって」の軽いものまで色々な表現があるはず。
客観的な「相手の不快さ」を推量する作業をすることで、自分の失敗の問題性を自覚し、そんなにショックを受けなくてもいいと、考え方を変えられるかもしれない。
この不快度の推定量は過少でも過多でも良くないので、自分以外の視点もあると良いように思う。より客観性を高めるため、信頼できる家族や友達を使うのも手だけれども、カウンセラーが使えるはず。
(カウンセリングを受けるときに、「叱られたことがフラッシュバックする。それは自分では𠮟られたショックが死ぬほどつらいからで、死ぬほどと思う原因は相手の不快度を過剰推定しているからだと思うけれども、どう思いますか?」と切り出せば、話に乗ってくれるかも?)
この一連の仮定が正しく、自分が過剰に傷つかなくなることができたとしたら、古い傷のフラッシュバックはあれども、新しい傷を増やすことはなくなるのではないかな。
瞑想やってないゼブラのせいですっかりネタ臭がついたけど、瞑想はあなたのようなそういうのにおすすめ
スピリチュアルじゃなくて、脳の構造をいじって未来のこととか過去のこととか妄想とかしない脳に出来るから
ヴィパッサナー瞑想について、本は色々出てるけどスマナサーラという坊さんの本がおすすめ
繰り返しで効果は高まっていくけどちゃんとやれたら一回で効果わかるよ
そういうくだらない思考やネガティブ感情が心に入ってこなくなって、意識は冴えてるのに無敵の膜が張られてるみたいな状態になる
普段ムカついてるようなことをされても我慢するのではなく怒りヶ生じずそこに心が止まらなくなる
もちろん過去のことなんかどーでもよくなるし無駄な感情や思考が起動しない
この分野についてはカウンセラーなんかより仏教のほうが圧倒的に優れたメソッドを持っているから
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
最初に謝罪なのだが、実は元の記事は二、三年ほど前にここに書いたが全然反応がなかったものの再投稿であった。
黙っていてすまん。
相変わらずどころか、加齢のぶん状況が悪化してるわ。
ザッと見た反応には共感も叩きもあるが、とりあえず前と違ってガン無視されなかったというだけでいくばくかの慰めを得ることができたので、そこんところに大いに感謝したい。
それでも叩いたり説教した奴はとても憎いがね……。
ところでこの記事のタイトルはイリヤの空UFOの夏が元ネタだ。
俺の発言がかつてないほど話題になって調子づいたので、その反響に対する自分語りを長々追記する。
悪いが、提案や説教に対して、でもできないよおと拗ねる内容だ。
返事しやすいことにだけ返事しているから、クリティカルな指摘はスルーしてるかもしれん。
・俺の求める優しさとは何か
・宗教
・創作
・風俗
・会おうかと言ってくれる人について
・無職で生かしてもらってんのがこれ以上ない優しさ
・働け
沢山ツッコまれている、「お前の求める優しさってなんだよ」ということを考えてみた。
自分の中でもふわっとしてるので、とりとめなく羅列する書き方になってしまうが。
たぶん俺が欲しているのは、物理(経済)面と、精神面の両方とで、自分の生存に罪悪感と不安を覚えなくていい状態ができてほしい、ということに近い。
居場所を作ってほしい、支えができてほしい、許しを与えてほしい、関係を持ってほしい。
こんな存在価値のない無能が生きていて申し訳ないとか、人と会話して申し訳ないとかの自罰的な気持ちと、その反動で貯まる攻撃的なルサンチマン、更にそれらからくる社会活動・経済活動のうまくできなさから解放されたい。
生きている現在と、生き続ける将来に安心したい。なんとかいい感じに暮らしていけそうだとほっとしたい。
物理面の安心は、セーフティネットや、俺でもつとめられる安定した職や、日本の将来の暗さの解決なんかが欲しいってことだろうか。
精神面の安心は、流行っている言葉で言えば自己肯定感が欲しいとまとめられるかもしれない。
個人でも、思想でも、社会システムでもいいから、俺に優しくすることで自己肯定感を育て直す手助けをしてほしい。
俺が幼稚だという感想も見たが、育て直しを手伝ってほしいってのを望むくらいだから、そりゃ幼稚なんだろうな。
他人を頼るなって意見も多く、そうできるにこしたことはないけど、自己肯定感を独力で育てるのそうとう厳しくないか。
厳しくてもやるんだよ、甘えるなっつーのが人生の現実ですか? こらこら、しばくなしばくなww
ついでに言えば、自己否定感をもたらす色々なものから守ってもほしい。
守ってほしいというとお姫様気取りかよと言われそうだが、人間には防壁が必要だ。
思想も信仰も密な人間関係も、外部の影響で精神が動揺するのを防ぐファイアーウォールになるというのが役割の一つだと思う。副作用として悪質なそれらにハマった人も、防御機能が働き意見を変えづらくなるってのもあるが。
ネット越しのあれこれを見てると、ファイアーウォールの十分でない俺の精神はどんどん腐っていくのを感じる。
だが他に気軽に寂しさを紛らわす手段もないので延々ネットを見ている。
そもそもこういう記事を書くこと自体、優しい言葉と厳しい言葉を両方飛ばされるかただガン無視されるかのどちらかだから、俺みたいな拗ねてこじらせた脛齧り野郎はやらないほうがいいんだ。
共感が10個あっても叩きが1個あったら叩きばかり印象に残る性格の奴が、運がよくても半々、そうでなければ袋叩きになるような愚痴をネットに書いてその反響を追うのはよくない。カウンセラーにでも愚痴るべき。それはわかる。
カウンセラーに愚痴っても淡々と聞かれるだけで虚しさが募ってきたから、我慢できず書いちゃうんだけど。
言ってみりゃ、BUMP OF CHICKENのリリィみたいな存在に出会いてえんですよ。
弱音と苛立ちをこぼしても「そういうところも全部かわいい人ね」って言われてえよ。
無職なのでスポットライトも浴びてないしがんばって自分を唄ってもいないけど。
人に優しさを求めるならまず自分が周囲に優しくしろ、というコメントも多かった。
この場合、俺が他人に送るべき優しさってなんだろうな。俺が求めてる優しさは上で書いた感じだが。
オタクやリアルの方では、人の愚痴にはできるだけ親身に乗っているつもりでいる。いいと思った創作者に長文感想を投げたりもする。落とし物を拾う手伝いとかする。
どれも迷惑な押しつけかもしれないし、性根の腐り具合が滲んでるかもしれないけど、いちおう些細な優しさだとする。
たとえば仕事がきついとか、上司がセクハラしてくるとか、金がないとか、親との関係が悪いとか、モテないとか、ネットで叩かれたとか、そういう愚痴に俺ができるのは「大変だよな」「そいつマジクソファッキン口からウンコ漏らし」「思いつめない方がいいよ」などを言うだけ。作品への感想も結局は面白かったと言ってるだけ。
しばらく泊めてやるし旅費も出すからろくでもない家と会社からは逃げてきなよと言うとか、出版関係者とコネがあるから紹介してあげるとか、そういうちゃんと役に立つ対応はできない。
俺は地方民なので、知人はみな地理的に遠く、日常的に会って一時的にストレスを紛らわしあうこともできない。(俺と会ったらむしろストレスが溜まるかもしれないが、一般的にはそういう優しさもあるだろうってことで)
生活に将来性がないので、他人の自己肯定感を育てられるほど長く密な関係を築くこともできない。
お金も社会的安定も能力も甲斐性ない人間は、責任のある優しさ、問題解決能力のある優しさを人に与えられないんじゃないか。
だから俺も優しくされないのか?
服を買いに行くための服がない問題みたいだな。
フェミニズムについて書いた部分もあれこれコメントされている。
元の記事でフェミニズムとマチズモの双方を俺の敵対陣営として書いたが、根源的にはフェミニズムは悪ではなく、公正さを目指すって意味ではむしろ善なる思想だとは思っている。
しかし、昨今俺に最も自己否定感や罪悪感をもたらしてくるのがフェミニスト的な言説だから敵視しているのだ。
俺のガバガバなメンタルファイアーウォールを突き破ってくるんだよ。
そういうのは真っ当なフェミニストではなく一部の過激派だとか、フェミを名乗るミサンドリストだとか、脳内フェミだとか言われるのだが、とりあえず確かにツイートやブログが見えるから脳内妄想ではないとして、一部過激派やミサンドリストと「真っ当なフェミ」なるものを区分するのは非常に困難である。
自己否定を煽られたならミサンドリーだとするなんてのは、俺に/男に都合のいい意見しかフェミニズムと認めないなどという傲慢極まるスタンスになるのでありえない。
そしてフェミニズムも色々な考え方があるっぽいから、明らかに罵詈雑言を投げてるタイプくらいしかミサンドリーだと断じきれない。
そもそも疑問なのだが、ミサンドリーの入ったフェミニストが見分けられたとして、フェミに耳を傾けましょうって立場の人間が「ミサンドリーフェミの主張は無視していい」なんて言うのはアリなのか?
ミサンドリーの奴らは、男によっぽど嫌な目にあわされたとか、別に大した理由はなく性格が歪んだとかで男に憎悪を抱き破壊的なことを言うわけだが、そこで他人が聞く耳を持たなくていいのは破壊的な部分に限られていて、あいつらがどんな被害にあったとかどこに男女不公平を感じるとかの指摘を無視することに正当性はないのでは?
たとえて言えば、テロリストのテロ行為は許すべきでないが、なぜテロリストがテロ思想に走ってしまったのかという部分は着目するに足る、みたいなのと近い。
ミサンドリーフェミニストは言論テロリストだしその論調と主張手段は責められて然るべきだが、あいつらが語る己がテロリストになってしまった理由については、ある程度の誇張を割り引くとしても聞いてやるのが、フェミ親和派としちゃあ正しいのでは?
男性への不公平感や抑圧感が嫌悪憎悪のレベルに達することで「あいつらはミサンドリストだからフェミニストではない」と切断処理の対象になってんのって変な気がする。
などとやたら長く書いたが、どっちにしろミサンドリストもフェミニストも嫌いなんだ俺は。
だって俺が男である以上、体格がいいとか化粧しないでいいとかヒール履かなくていいとか生理がないとかガラスの天井がないとか性暴力を受けづらく与えやすいとか性別由来の既得権益を得てはいるし、どんなフェミニズムであれその権益の使い方や再分配をよく考えましょう配慮しましょうと啓蒙してくるわけで、それは公正ではあるけど「ああ、男である俺は不当な利益を貪ってんだな、反省しなきゃな」みたいな気分にさせられるから、そりゃあ嫌いになる。
そのくらいの自省要求にすら耐えられないほどクズなんすわ、悪かったな。
しかし考えてみれば、ネット議論は幾らでもある中で俺が特に精神をかき乱されるのがフェミ主張ってことは、否が応でも目に入ってしまうくらいフェミニズムがネットに行き渡り無視できない勢力にまで育ったわけだから、フェミにとっちゃ順調っちゃあ順調なんじゃないの。
さっきちょっと信仰と書いたが、宗教を勧めるコメントも多かった。
わかる。
持たざる者が精神的救いを求めるなら、宗教が王道と言っていいと思う。
自分でも、上手くハマれればとても楽になれそうな気はずっとしている。
結婚式でチャペル行くのも葬式で数珠握るのも地鎮祭も、もちろん新興宗教の類も、くだらないしキモいと感じられる。
だから楽になるだろうことは分かっていてもやりたくない。
この場合の宗教はいわゆる神様を拝む系の宗教を指しているので、科学信仰や宗教嫌いも宗教であり~みたいな話は今回はなしで。
実はすでに、病院とカウンセリングには学生の頃から通っている。
病名はついているが、憂鬱とイライラと胃弱くらいしか自覚症状がないのでピンと来ていない。
延々経過観察されている。
薬は全然効かないので、現在は憂鬱が激しい時にその場で飲む薬しか処方されていない。
障害年金はもらえそうにない。
実はこれも嫌々ながらやったことがある。
某NPOの臨時作業員というかお手伝いみたいな感じで数か月混ぜてもらった。
でも、NPOの人らが輝いた眼をして、力強い握手と共に「増田クン、まずは元気な挨拶からがんばろう!」と言われた一日目の時点で内心もうダメだった。
いや挨拶はしていた。どっちかというと丁寧にしていたつもり。小学校でクラスの挨拶名人賞を受賞していた、昔取った杵柄だ。
ただ全盛期を過ぎた今の俺の挨拶はオドオドさも香るスタイルになってるから、エネルギッシュな人たちからすると元気よくと言いたくなるのは分かる。
でも俺とは求める心地よさが違うのだなと感じた。血圧が俺より30くらい高そうだった。
あと単純にボランティアの具体的な活動でも俺はグズで気が利かなくて、役立たずとして混じってるのがキツかった。
ワンシーズンの活動が終わったあと、臨時お手伝いの立場ながら打ち上げに呼んでもらえたので優しくしてもらったとは言えるんだろうけど、その最後の打ち上げの席も辛かった。
気力体力行動力の消耗がヤバかったし、がんばって書いても読者が少なくてあんまり褒めてもらえないので悲しくなった。
小さいものを一つ作ることはできても、それを複数作ったり書き続けていくのはひどく大変だ。
内容が多少まずくても創作できる人はそれだけですげえよ。42.195kmを走らず歩ききるだけで凄いようなもんだよ。
風俗。
俺の「童貞」という悩みを噛み砕いて言えば、「コミュニケーション能力と、アイデンティティのかなりの位置を占める男性という属性の二つが、他人(特に男性)から被害を受けやすい女性から受容されたことがないことによる、不全感や許されていない気持ち」が問題なので、お金で受け入れさせたところで解決になる気がしない。むしろその手段を取ることで罪悪感が増しそうで怖い。金という暴力で女を従わせたってことになる。
なんて言ってみたが、風俗でいいから一回ヤってみてーという即物的な気持ちもモチロンある。
でも実家暮らしだと、家族に風俗行ったとばれないかという心配事もありなかなか行けない。
男性性なんかにアイデンティティの重きを置くなって意見も見るが、その重心バランスはセルフコントロールムズイでしょ。
はてなの内外で、首都圏だったら飯奢ったり遊んでやるよと言ってくれる人をちょっと見た。
とてもありがたい。だがすまないことに、前述の通り俺は地方民である。
まあそうじゃなくても、こんなクズ of クズな記事書いといて非匿名で会うなんて、恥ずかしさと怖さでできやしないが。
知人に首都圏在住者が多いのもあり、そっちで暮らしたい気持ちは大いにあるが、以前親に話を振ったところ良い反応をもらえなかったので無理だ。
自殺企図したことがあるため、離れた場所に行かせるのは心配らしい。
「30代になって親の顔色をうかがうとか幼稚すぎる」と言われるだろうが、親と話し合ったりお願いしたりということが物凄く苦手でダメだ。一度話を振っただけでとても勇気を出したくらいだ。
無職でもその年まで生かしてもらえてることが最高に優しくされてるだろというド直球。
就職しろというド直球。
養ってくれているお父さんお母さん、医療保険を使わせてもらってる社会、ありがとう! 年金くらいは払ってます!
腕力なくて荷物を落としそうになって迷惑かけたバイト先、一回寝過ごしたらもう顔見せるのが怖くて連絡を絶ったバイト先、寝坊した上道分かんなくなって面接キャンセルした就活先、集団ディベートで変なこと言う俺と同じ組になった就活生、興味ある職種を答えられず困らせたハロワの相談員さん、ごめんなさい!
こんなに迷惑をかけても、直接的な刑罰とか咎は負わされてなくてこの社会はクズにも優しい!
その辺はマジその通り。
なのに、こんなに優しくされてるのに、なんでか人生がうまくいかねえし外に出るのが辛いし社会や他人と関わるのも不安だし心身落ち着かねえしで自分じゃどうしようもねえし辛いので、もっともっと優しくされたらうまいこといかねえかな、誰か救ってくれよっつー夢想を書き殴ったのが元記事なわけ。
自分じゃどうしようもないとか甘ったれてんじゃねーよ人は自分で何とかするしかないんだよとか、むしろ優しくされすぎたのが悪いんだよとかの声も拝聴しております。
書きたかったのはだいたいこんな感じだ。
自己卑下してかわいそうぶることで批判を避けようとしているのが鼻についたら申し訳ない。
卑屈さによる防御は卑怯なのだが、いったん頭に浮かんだ卑屈さや恐れを脱臭するのもこういうクズ人間のエッセーみたいな文章ではニュアンスを損なうのでは、と考えるとよくわかんなくなった。
よくわかんなくなったということを言い訳にして、卑屈さを大量に残して責めづらくする予防線を張り、そして予防線を張ったことについての予防線を更に張る卑怯な書き方申し訳ない。
また2年後くらいにどうなったのか報告してほしい
毎日楽しく過ごしていたのだが、ただなんとなく自分のことを他人に語ることに抵抗があってイヤだった。
自分の行動や考えを知られるのが怖いという漠然とした恐怖が一番近いだろうか。
その言葉についての私の理解は、相手から情報を引き出して判断材料を増やすことで、相手より優位にコミュニケーションを進めるための「攻撃」だった。
親や級友やその他大勢から、相手の知らない自分の時間について質問されるたびに、既に相手が知っている当たり障りのない内容や虚実織り交ぜた返事をしつつ、
同じように「そっちはどう?」と聞き返して逆に有利を取りに行くという方法を自然と選択するようになり、私は息をするように嘘をついて、精神的な安定を得る子供になった。
ありもしない失敗談を語ったりもしていたので、自分を良く見せようという心理とも、また別なものだろうと思う。
「お、新しいTシャツ?」
「うん、赤いのと迷ったんだけどこっち買ったんだ」(別に迷ってない)
といった具合に、それらの嘘はそれが露呈したことも問題になったことも一度もないような、実にどうだっていいものばかりである。
それでも、自分がウソをついているということは、他人もそうに違いないと考えていたので、周囲の人の話は常に疑い続けていたし、
自分が聞かれてイヤだということは、他人も聞かれたくないに違いないのだと想像していたことで、歪みは確かに存在していた。
そんな私も、成長し恋人が出来た。
当然自分の知らない時間の相手の行動について、何を言われても半信半疑のため可能性は大きく広がったままであり、
浮気している可能性を疑わなかった瞬間はないし、人間関係というのはそういうものなのだろうと思っていたので、
それを疑問に思うことも、相手を信じられないことを辛いと思ったこともなかった。
また、相手を大切に思えば思うほど、相手はきっと聞かれたくないだろうと考えて、
相手が「昨日○○してきた」と言ったような時に、詳しい様子をたずねることをグッと我慢するようになった。
「お前は他人に興味がないのだろう。」と言われることがよくあるが、そういうわけではなく、興味はあっても聞くことを我慢しているだけなのだ。
そのフラストレーションは、よくこれまで盗聴器を他人に仕掛けるような行動に出ず踏みとどまっていられたものだと感じる程度には強い。
様子を聞かれることで、相手から興味を持たれていると実感する。という構造を理解できていなかったので、
「私に興味がないんでしょう!」と言われ、なぜそんなことを言われてしまうのか困惑したこともあるが、そもそも感覚が大きくズレていたのだった。
また、愛想を尽かしかけた相手が私への興味を失ってアレコレ聞かれなくなったことで、自分を想って聞かずにいてくれているのだと感じ、
私は逆に相手からの愛情を強く感じ、二人の関係が大変良好であると勘違いするという盛大なすれ違いも幾度かあった。
現在、私はカウンセラー相手に偶然「親や彼女からでも、今日何してた?って聞かれるのってすごくイヤですよね」という話をしたところから感覚の違いに気付くことができた。
関係性の遠い相手から聞かれると警戒するのは割と普通のことのようだが、親しい相手からでも警戒し反射的にウソを吐いてしまうというのがカウンセラーから見た特異な点のようだった。
その後、普通の人の思考パターンを知ったことで相手に合わせたコミュニケーションの取り方を選び、適度に「今日どうだった?」と聞くことができるようになった。
自分自身は今でも聞かれると素直に答えることに抵抗があるので、話の中にウソをバラ撒く癖はまだ治っていないが、それでもまあ、理解した上でなんとかうまくやっている。
もしかしたら、私が一番根本的にわかっていないのは、他人を信用するという感覚そのものなのかも。と最近思い始めた。
とりあえず私の場合は、普通の人の考え方の理屈を知っただけで対応できるようになったので、本当に些細なキッカケがあれば改善されることも多いのかもしれない。
しかし自分の中で疑う余地のないほど当たり前な感覚を、敢えて否定したり他人に説明する機会はなかなかないので、偶然カウンセラーが気付かなければ私の歪みはもっと長い間そのままだっただろう。
聞いた話では、こういった自己の情報を相手に渡すことにとにかく不安を覚える秘密主義的な性質を持った人間は、一定数いるのだそうだ。
もし私と同じような感覚を持っていて、そのことが一般的な感覚ではないとまだ認識していない人がいたら、いずれどこかで大きなコミュニケーションエラーを発生させる原因になってしまうと思うので、
無限に配慮すべきっていうなら、「成功者の話を聞くと自慢にしか聞こえず、自分と比較してみじめになり死にたくなります」って言われたら、一切成功者は話したらいかんって事にならない?
若者層の自殺が多いニュースの反応だからいかんの?なんか釈然としないなぁ…
圧倒的成功者だから全力で殴っていいという判断で、意識高い軍団が一斉に殴りかかっている感じが見ていられない。
このメッセージがネガティブに届く人がいるってのはわかるし、自分は決してこんな事は言わないよ。言わないけど。twitterでのこの発言がこんなに殴られるべき話かね?と思う。
カウンセラーに自殺したい念が抑えられない人が相談しにきて、このアドバイスを貰ったって言うんなら、そりゃ批判されても仕方ないかもだけど。サッカー選手のニュースに対しての1発言だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20170531070452
俺の経験談が少しでも助けになったら幸いだわ。
すぐに距離を取るのは難しいからそこまでは無理強いすんな。母親から電話がきてあれこれ新しい問題でできて大変だなんて話きいたら増田もやっぱ黙って聞いてられないだろう。
俺も一時期さんざん両親に付き合って役所やら警察やらNPOやら出向いていろいろ相談したけど、結局どれもこれも本人たちが自分の意思でやってくれないと何もできないわけよ。そこらへんは増田も分かってるっしょ。
とりあえず連絡がきても、ヘルプに行く回数を減らしていくんだ。「仕事が忙しくて」とかいろいろ理由いえば親も無理に頼めないだろ。それに実際毎回実家にいく余裕もないだろ?
残酷なようだけど、半年もすれば「あ、俺がいってもいかなくても問題まったく進展しないわ」ってことに気がつくから。
俺は母親の話し相手になって愚痴きいてたけど毎回聞いているとこっちが耐えられなくなったので、実家近所の高齢者向けのNPO見つけてそこのカウンセラーに隔週で相談にいってもらうようになって多少マシになった。両親もとりあえず悩み事を話せる相手ができるだけで多少はストレスもマシになる。
また自己管理が出来ず遅刻は日常茶飯事、部屋は汚部屋が当たり前
このへんは全部自分がだらしなくて怠けてて、食欲とか衝動がおさえられないのかと思ってた
まあ何とかギリギリで大学も卒業して、就職して自活してたんだけど4年前になんか辛くなっちゃって首吊りと練炭自殺しようとしたけど救急車呼ばれて助かっちゃったんだよね
そこからちょっと入院して、メンヘラ病院とカウンセリング通いが始まった
1年通ったあたりで両親の離婚が実はめちゃくちゃ悲しかったこと、そのとき離れて暮らすことになった父親のことがすごく好きだったこと(何故か大嫌いだと思い込んでた)、母の再婚相手と仲良くしなければいけないのが苦痛だったこと、母が過干渉なことを自覚できた
その話をしたあたりでカウンセラーにもう大丈夫なんじゃない?過食とかの自傷もおさまったでしょ?と言われ、おさまってないのにハイと言ってしまった
そのあとそのカウンセラーの先生に治療目的じゃなくて習い事感覚で自己啓発のグループカウンセリングはどう?と言われてそっちへ行くことになる
そこで知り合った2人は病気とかじゃなくてなりたい自分があってそれに向かって頑張るって感じだった
医療関係者以外に自分の辛かった気持ちとか聞いてもらうのは初めてで絶対話せないと思ってたんだけど通っていくうちに話せるようになった
グループカウンセリングで話せることが増えるにつれて今まで空回ってる感じしかしなかった人との会話が出来るようになって、友達も出来た
部屋の中整理して時々なら綺麗な部屋を保てるようになった
でも通っているうちに金銭的にもきつくなってきたし、行くたびに他のメンバーはちゃんとがんばってるのに私は...って思うことが増えてきてしんどくなっちゃって行かなくなった。
それから今まで何もしてこなかったんだけど自傷が治ってなくて日常生活に支障が出まくりなんだよね
過食でお金が飛んでくから昼の仕事じゃおっつかなくて風俗で時々バイトしてるし
過食するくせに自分の見た目にこだわりがあるから毎日自分の姿を見るたびに鬱になって何も手につかないことがある、だから仕事も家事も効率が悪くてもっとやりたいことあるんだけど出来ない、時間ばかり過ぎていく
六月。陽が紫陽花色の残滓を残し沈んだ直後、入れ替わりに空へ現れた低く大きな月と、
明滅する黄ばんだ街灯に照らされる薄暗がりの中、セーラー服を着た少女が廃品工場の敷地に積みあがった錆びたガラクタの山を睨み付けていた。
帰宅途中、自転車で通りかかってその様子を見つけ、なんとなく立ち止まって彼女を眺めている私に気付いたのか、
彼女は一度、背後に停めてある彼女の銀の自転車越しに私の方を振り向いたが、すぐに興味を失ったように視線をガラクタの山へと戻した。
肩までかかるまっすぐな黒髪と、やや度の強い眼鏡をかけた彼女について、名前はわからなかったが、私は自分が彼女の同級生だという事をなぜか知っていた。
私は、人気のない工場の入り口で自転車に跨ったまま、声をかけるでもなく、しばらく彼女の背を眺めていた。
「ねえ。」
不意に彼女が口を開いた。
その言葉が私に向けられたものなのか確かめる間もなく、聞いていようがいまいが関係ない一方的な様子で、彼女は続けた。
「ユキのこと、覚えてる?」
ユキという名前には聞き覚えがあった。タニムラユキ。緩くパーマのかかった、明るい栗色の髪が印象的な少女。
タニムラさんは、私と彼女の前年度の同級生で、明るく活発で誰にでも分け隔てなく接するタイプの、少し勉強が苦手な子だった。
成績が良く控えめな性格の目の前で背を向けている彼女とは好対照な性格ながら、傍から見ても二人は特に仲の良い友人関係だったように見受けられた。
タニムラさんは、五ヶ月前、ちょうど冬休みが明ける頃に亡くなった。
朝、ご家族が起こしに行くと自室で首を吊って亡くなっていたそうだ。
遺書のなかった彼女の死は、二年生への進級を控え、進路や勉強についての悩みが原因の突発的な自殺として片づけられた。
私も通夜に参列し、学校では命の大切さを説く授業が行われ、現在も一部の生徒にはカウンセラーによる面談が継続的に実施されているはずだ。
もちろん覚えている、と私が口を開きかけた途端、彼女が先に口を開いた。
「ユキ、自殺する前日に『明日先輩に告白する』って言ってたんだ。」
「先輩?」
間抜けな私が、今夜初めて声を発して聞き返した。タニムラさんの死は、実は失恋によるものだったのか。
聞き返されたことが不快だとでも言いたげに少しの間を置いて、彼女は続けた。
「……シュート先輩。サッカー部の。このことは多分……ユキのご両親も知らないと思う。」
シュート先輩について、名前を聞いても顔が思い浮かぶほどの接点はなかったが、
私はその名前が、スポーツがとても得意で容姿の整った、女子生徒から人気のある一学年上の男子生徒だという断片的な情報は持ち合わせていた。
「ユキが死んだ少し後、私、シュート先輩のところに話を聞きに行ったの。
少しでも、亡くなる前のユキの様子を聞きたくて。
そしたら、部室の中から『マワしたのがバレるかと思って焦った』『まさか死ぬとは』って……。アイツら、笑ってた。」
ごくありふれた、思春期の精神的な揺らぎに勢いが付きすぎて死んでしまったのだとばかり思っていたタニムラさんが、
彼女の気持ちを踏みにじる、俄かには信じがたいような乱暴を受けたことを苦にして亡くなっていた、ということか。
「許せないって思った。絶対に、絶対にこいつらに復讐して、ユキの仇を取ってやるんだって……。」
絞り出すようにそう言うと、彼女は手に持っていた、どこかのご当地ものらしいキャラクターのマスコットを、潰れるほど強く握りしめた。
マスコットを歪め、ガラクタの山の頂上を睨み付けたまま、彼女はさらに語る。
「その後、シュート先輩やサッカー部の事を調べたら、結構いろんな噂があった。
だから、アイツらに近づいて、油断させて、証拠をタップリ掴んで、
卒業まであと少しの……そう、ユキの一周忌に秘密を全部バラ撒いて、あいつらの人生をグッチャグチャにしてやろうと思った。」
「……そのために私は、都合のいい女になろうと思った。
無条件に愛して、尽くして、学校でも街でも家でも、いつでも呼び出せて、身体を使わせる、そんな女……。
男って面白いのね、最初は皆に使わせていたのに、何度も繰り返して、それでも私が離れないとわかると、
段々情がわいてきたみたいに、逆に独占したがって、優しくするようになるの。」
シュート先輩のその行為はとても認められるものではなかったが、その心情がどこか理解できるような気もしてしまった後ろめたさを、私は沈黙で隠した。
「それで、これからは、部活を引退して、私が勉強をサポートして、いい大学に入学を決めて……その後、その後全部台無しにしてやるつもりだったのに……!」
彼女の語気が強くなり、嗚咽が混じり始める。不意に振りかぶるように上げられた右手に握られたマスコットが、更に変形した。
「なのに……なんであっさり死ぬのよ!なによ、遠征帰りのバスが事故って!!」
「なんで、遠征先で私に、プレゼントなんか買ってんのよ……!!!」
事故?サッカー部のバスが?そんな話を、私はまだ聞いていなかった。
しかし言われてみれば、昼間救急車が妙にたくさん走っていて、学校の教師陣の様子が慌ただしかったような気がする。
驚き、展開を吞み込めないでいる私を置き去りにするように、彼女は続けた。
「夕方、病院で先輩のお母さんに会って渡されたの、この人形。『あの子が、あなたに。いつもありがとう。』って。」
「何よそれ!!ざまあみろ!自業自得だ!死んで当然だ!因果応報だって!
私が!ユキのために!言って……!笑って……!こんなもの、投げ捨ててやらなきゃいけないのに!!」
腕を振り上げたまま髪を振り乱す彼女の声は、最早完全に泣き叫んでいた。
「どうして、捨てられないのよ……!こんな……ものが……!!」
泣きじゃくり、肩を震わせながら、力なく彼女の右手が降ろされていく。歪んだマスコットを握りしめたまま。
「どうして……」
うなだれ、小刻みに震える彼女の背と、同年代の人物から発せられたあまりに強烈な感情を前にして、
己の幼稚さが急に恥ずかしくなり、かける言葉も見つけられずただただ見つめるばかりの私を、
先ほどよりも濃さを増した夜と、少し高くなった月が見降ろしていた。
昨日風邪をひいて20時間ぐらい寝ていたら色々な夢を見たのだけれど、その中でも印象に残っているものを文章におこしてみた。
でも頭の中の映像ではもっと迫力あったんだよなー。うーん。やはり夢の話はしょうもないか。
昔、カウンセリングに通っていた。
カウンセラーはスピリチュアル系の人だった。過去から未来、思考を読み取られていた。
カウンセリングの一環で日記をとあるサイトに投稿していた。カウンセラーも返信を含め時々投稿していた。
ある日、カウンセラーが匿名で投稿したのだろう、自分に似た支離滅裂な文章が投稿されていた。理解に苦しんだが、初めて自分の意味不明さに気づいたりもした。
その内容は過去から未来までの自分の事が書かれていた。その時は未来にどこかのサイトでこの件を書くんだなと思い絶対書くものかと決意していた。が、
先日友人と二人で行き付けの居酒屋でご飯を食べていたら、隣の男二人組が相席を求めてきた。一人は塚本高史のようなチャラ男のイケメンで、もう一人はドランクドラゴンの塚地のような不細工な男性だった。暇だったのと、ご飯代を出してくれると言うので話しに乗ることにした。二人組は33歳。私達よりも9歳年上だった。
チャラ男は見た目通りチャラかった。塚地似はそんなチャラ男のチャラいエピソードと自分のモテなさの比較で笑いを取っていた。そして、今まで自分が女性にどんな酷い目にあってきたか話すので、同情してしまい、いい人だと思った。
飲み会が終わり、LINEとFacebookを交換し店を出た。家に帰るとLINEが来てて、チャラ男からはまたご飯行こうとシンプルなお誘いメッセージ。塚地似からは私の容姿を大げさに褒めるメッセージと一緒に今日の楽しさの感謝のメッセージがつらつらと書かれていた。何回かLINEを往復したが、塚地似からは誠実でまめで優しく情熱的なメッセージが何通も届いた。うっかりときめいてしまいご飯に行く約束をした。
ある日、一人でその居酒屋にご飯を食べに行った。大将とは顔見知りでカウンセラー席で話していた。チャラ男と塚地似も常連らしく、大将にこの間のことをからかわれた。そして、塚地似には気をつけろ。といった。
塚地似は女癖が悪く、出会った女にまめに誠実そうに口説き、何回かセックスした後に捨てるという事を繰り返しているらしい。女は最初の誠実さと酷い仕打ちに耐えられず、高確率でメンヘラ化するらしい。それだけならまだしも、3ヶ月前に上司の娘と結婚したばかりだという。それなのに、女癖は治るどころか酷くなっているらしい。
話しを聞いて引っ掛かりそうになった自分に情けなくなったし、塚地似に猛烈に腹がたった。不細工なのに調子に乗っているからだ。不細工から誠実さを抜けば不細工が残るだけ。誠実で真面目であるからこそ不細工にも恋愛を享受できる権利が与えられるのではないか。と思った。
大将いわく、チャラ男の方は彼女がいないときは色んな女の子に手をだすが、彼女がいるときは一途だそうだ。
イケメンはチャラくても良い。イケメンなのだから。遊ばれたって顔がよければ納得できる。
誠実なフリした不細工は許せない。性欲が有り余った不細工は一人の女で我慢できないのなら24時間オナニーしていればいい。
もう二度と不細工な男の誘いには乗らないと決めた。誠実そうでまめな不細工は遊んでいるし、誠実でもまめでもない不細工には存在価値など無い。
だって女のその話には何の解決のための提案もアクションもないんだもん。
毎度毎度「痴漢は悪い!」って吠えてて状況が変わるの?
そうしてはじめて協力なりコミットなりを呼び掛けるもんだろ。
女「痴漢にこんな目に遭わされた」
男「それで?え、話それで終わりなの?うへ」
男「あなたは悪くないよ… とか言って慰めるのは夫かカウンセラーの役目じゃね?
そんなことを無関係の俺が聞かされて気分悪くなったり一緒に怒ったりしても
社会に生産される良い価値はなんにもなくない?「寄り添い」って嫌な気分が2人分になるだけで意味なくね?
つうか他人を自分の嫌な気分や辛い思い出の吐き出し場所にするのやめれ」
女「監視カメラ大増設、男女別車両の徹底!確定した痴漢の厳罰と晒し者化を!」
男「話が見えてきた。いいね!賛同します!協力することあったら言ってよ!」
ってことなのよ
伝われこの思い
大学時代うつ症状を発症してからここ10年程ずっと何事にもやる気のない日常が続いている。
正確に言うと、漫画を読みたいとかゲームしたいとか旅行に行きたいとかやりたいことはたくさんある。でもまずやらなければいけないことが手につかないのでそれらをやっても楽しめない。
大学も何とか卒業させてもらってそのころは景気も良かったから運よく就職もできたが、ずっとこんな感じなので休職を何度か繰り返したのち退職。その後、1年くらい何もしないで過ごしたのち、人手が足りない知り合いの会社にお世話になる。
ここでは2年間普通に通い続けることはできたが相変わらずの日々。
結局何も変わらずスキルもつかずに将来が不安になって一念発起して転職を決意。
幸い、ここでも運良く拾ってくれる会社があり今はそこで働かせてもらってる。
自ら行動を起こし環境が変われば何か変われるんじゃないかという希望があった。
昔カウンセラーに、「やる気がないときには休めばいい。時期にやる気は戻る」みたいなことを言われたけど、もうずっとその状態だけど一向に復活する気配がない。
どうしたらいいのかわからない。
<追記>
肝心なことを書いてませんでした。
今の状況はつらいです。
別に死にたいという感じでもないですけど生きるためには働いて生活費を稼がないといけない。
こんなつらい状況を維持するために一生働き続けないといけないなら生きててもしょうがないなという気持ちにはなります。
それと働きたくないわけではないです。自分がやってる仕事の分野は好きです。
ただどうしようもなく気力がわかないんです。
現在29歳で大学3年生の者です。将来のことを不安に思うお気持ち、よくわかります。
参考になるかもしれないと思い、いまの自分について書かせていただきます。
私も1つ目の大学を中退し、その後3年以上のニート生活を経て、2つ目の大学に入りなおしました。幸い、親に理解してもらえたため、就職のことは考えず勉強したい分野(社会学)の学部に入学することができました。
現在、ゼミで毎日楽しく論文を読んでいるのですが、大学に入りなおしてみて知ったことは、20代後半から30代で大学に入りなおす人間は意外に多いのだな、ということです。4年以上IT企業で勤めたのち、表象について勉強するために大学に入りなおした先輩もいれば、ダンスの勉強をしに高校卒業直後から渡米したのち、日本で大学を卒業した先輩もいます。
私自身はそのような一芸や社会人の経験もなく、ただいまやっている勉強が好きで勉強をしています。もちろん、すぐさきにある就職という将来から逃避しているのかもしれません。
けれども就活はリクルート主導のものだけではないと信じて、今から自分のやりたい仕事(勉強をし続けられるような職種)を探しながら大学に通っています。
また、大学には就職課や学生課の職員さん、カウンセラーさんなど相談できる相手がたくさんいますし、教授たちはそれこそ、社会に出ているようで出ていない、ニートの先輩がたともいえる存在です。そんなすてきな出会いが大学にはたくさんあるので、直接将来の職業にはつながらなくとも、生きることのヒントがたくさん転がっているように思えます。
ぜひ、就職のためではなく、勉強でもサークルでもアルバイトでも、楽しいことをするために大学に入ってみてください。
もちろん、大学に入れば先の人生が見える、というわけではありません。でも、世の中には意外にいろんな生き方があるとわかるだけでも、すこし心が楽になると思います。
教育機関において『いじめなんて存在しないし、解決させる気も無い』という事がいじめに関する報道で明らかになっているのにも関わらず、
実際に自分の子供がいじめに直面すると、学校に相談しようとする親の多いこと。それは明らかな間違いで、愚策としか言いようがない。
以下のワードでGoogle検索をしよう。この国の教育機関のいじめの扱いが手に取るように分かる。
『大津市中2いじめ自殺事件』、『金銭要求「いじめ認定困難」=教育長が見解、原発避難-横浜』、『学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント』
特に最後の文部科学省が掲載しているのはお笑いものである。教員は生徒に講義と学習のアドバイスをおこなう賃金しか貰っていないわけで、親身にいじめ問題を取り扱える訳が無いのである。
また、ポイント3は、いじめの原因は家庭教育の在り方にあるみたいな擦り付けだ。既に教育機関ではなくそっちで落とし前付けてこいと言っているのだ。
そもそも家族は、本人がどの様ないじめ・発言をされているのかを本人からしか聞くことが出来ない。もし本人になんらかのバイアスがかかって「気にしないで」と言われたら家族教育もクソも無いのだ。
そして、「生きることの素晴らしさ」を教員が教えるというポイント4。それは無理な話だ。教員が教えられるのは、「ユーチューバーにはなるな」「勉強しろ」「遊ぶ時は車に気をつけろ」だ。
そして、ポイント5。地域社会(笑)。地域社会が出来るのは、せいぜい未成年飲酒や喫煙しているアホな学生のツイートをRTしたり、それを見つけたら学校に通報するぐらいである。
今の教員が学校に通ってた頃なんて、教師が生徒殴ってるのが当たり前だったんだし、子ども同士の暴力なんて「悪ガキがやらかしたんでしょ」ぐらいにしか思ってないだろう。
子どもがいじめと思われる行為(子どもにとって不愉快と感じる出来事)が発生した場合は、まず学校(教師や校長)ではなくカウンセラーに相談するべきだ。
休みが無いブラック職の人間(教員)に心理的な問題が介在するいじめ案件を扱える訳がない。今の給料では自分のクラスと授業を受け持つだけで限界だろう。