はてなキーワード: カウンセラーとは
母や学校の先生、病院の先生、カウンセラーなどとも相談していますが、なかなか話が進みません。
やっとの思いでよい病院を見つけたのでほかの先生に相談、というのは難しいのですが自治体の相談窓口を頼ってみるのはよいかもしれません。
冷静に腹を割って本心から相談するのがいいとのこと、私もそう思います。近々カウンセリングがあるのでまずはカウンセリングの先生に相談してみようと思います。
的確なアドバイス、本当に助かりました。ありがとうございます。
マジレスすると、まず原則として、ネットの意見よりはプロ(医者やカウンセラー)の意見や貴方のことをよく知っている人(家族、友人、教師)の意見を重視した方がいいと思うよ。
その上で、どうしても医者や家族が頼りにならない・信用ならないと感じるなら、セカンドオピニオンを求めて別の医者や自治体の相談窓口なんかに頼ってみるのもいいと思う。
ただ、ある程度の人数に訊いてみて、みんなが大体同じ答えを返すようなら、多分それが正解だとどこかで割り切って、本心では納得行かなくても他人の意見を信頼してみることも大事だと思う。
ドクターショッピングになってしまうと良いことはないので、そこは注意した方がいい。
とまあ、それはひとまず置いといて、おそらく精神的には健全であろうあなたにはイマイチ実感できないような話をする。
まず、今のあなたと彼氏では、休職や病院通いで健康になろうとするのは無理だ。
彼氏が(もしかするとあなたも)休職や病院が誰かに迷惑をかける行為だと思っている限り。
自分は生きているだけで迷惑をかける存在だと思い込んでしまっている人は、多分小さい頃から、自分は迷惑をかけないことでギリギリ生きる権利が与えられている、というふうに、悲しい思考で生きてきている。劣等感というかもしれない。
そして、何かでつまづいたりすると、迷惑をかける自分は、生きていく価値がない。
生きる意味や目的が見出だせないと、何一つ貢献しない自分は生きる権利がない、よって死ぬしかない、とこれでもエラーが起きる。
人が一人自殺することは結構な人数に負担がかかるんだけど、こういう人は、それよりも、これからかけるであろう迷惑の方が大きいと思ってしまうので、自殺をマジに視野に入れてしまう。
エラーを解除するには、誰かを頼るしかないんだけど、それすらも迷惑をかける行為だと思ってしまう。
この部分が問題で、鬱(のようなものも含む)判明→彼女辛い(迷惑かける)→自分辛いの流れがある限り、仕事辞めたり地元に帰って治療しても、うまく行かない。なぜなら、彼女に迷惑をかけ続けているという自覚を持つから。
あなたが慌てて会いに行って、深刻な顔をして問い詰めたりすると、これ以上迷惑かけるわけにはいかないと、かえって覚悟を決めてしまうかもしれない。
話があちこちに行ったけど、言いたいのは、良好な状態で彼氏とやっていきたいなら、彼氏が鬱でも何でも、マイナスと思われがちなものを背負っていても、それらをマイナスと思わないということだ。
彼氏が生きていても、迷惑をかけてない相手がここにいるよと心から伝えられたら死ぬまでは行かない。
彼氏のことを考えて、自分はそう思えるなら会いに行ってください。
治療することになって、カウンセラー以外に、真に頼れる人がいると、ぐっと元気になりやすい。(カウンセラーまかせで、鬱の人を見てるのが辛い、と思う人がそばにいると逆)
まあこういうことを冒頭の思考をもつ人に分かってもらうのは非常に難しいことなんだけど、できるようにしていくのも治療なのかなと思う。
25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。
面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。
子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。
元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたものを子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手に電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なうつ状態に陥っていた気がする。マインドフルネスや仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。
一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなたは絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。
自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。
ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず、子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母に電話し事情を説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。
義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗だからこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。
離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚したかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれて子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。
離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。
それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。
一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。
俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分の人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供を言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。
相手の気持ちに配慮してたらコミュニケーションなんてできない。
だって自分みたいな奴が他人と接触したら不快感や迷惑や加害を与える可能性が高いんだから、他人への迷惑回避を大事にしたら引きこもって童貞処女ニートしてるのが一番誠実ってことになる。
なのに引きこもってると叩かれるわけで。
どうしろっつうの。
とかこういうことをネットに書くと「他人がどう言うかなんて気にしなきゃいいだけのこと」とかやたら偉そう&強そうに言われがちで、かんたんにいってくれるなあ!って腹が立つ。
もうちょい優しい口調の人とか、或いはリアルで話すカウンセラーとかは「ふだんから気にしいな人はそんなに配慮しなくてもいいと思うよ」とか言ってくれて、それはありがたいんだけど、でも世の中の多くのメディア上は配慮しましょう気にしましょうっていうメッセージの方がずっと多くて、一人二人に「気にしなくていいよ」と言われても、気にしろっていう膨大な説教の方がずっと強く心にのしかかるから気持ちは楽にならないし態度も変えられない。
釘を刺しておかないと悪さをする人が大多数だから、世の中は事前に釘を刺す言説が多く、それでうまいこと回ってるんだろう。
でも刺すまでもなく悪さをしないヨイ子ちゃんは、ただ釘をブスブス刺されて穴だらけになるだけだ。
生きてるだけで辛いし、他の人たちが人生を楽しめてそうなのが羨ましいし妬ましいし、孤独で寂しいし、ニートな自分はクズだと思うし、でも他人と接するのは暴力だしレイプなのですべきでないと思うし、とにかくつらいので、誰か、助けてほしい。
なんつって、本当に他人に配慮してる、自然と悪さをしないヨイ子ちゃんだったら、こんな罵倒みたいな文体で書き捨てたりしないだろうから、語るに落ちてる書き込みって感じだけど。
でも、少なくともこの半年は両親と病院の人とスーパーやコンビニの店員さん以外とは会話してないし、交際したこともないし、就職したこともないので、その辺はちゃんと節度を守れてるから一定の評価はしてほしい。
家庭が不安定で、父は何か気に触ることがあると、声を荒げ、物に当たり散らす人だった。
母は子どもたちを守っては白い肌にアザを作っていた。
そんな家庭で育った私は妙に達観した子供で、大人におもねるのがうまく、空気を読むのが得意だった。
家庭では自然と自分が調整役を担い、何でもない風に明るく振る舞うようになった。
小中学校では同年代の子との付き合いに苦手意識がありつつも、部活の部長も任されたし、友達とはなんとなく合わせてうまく付き合ってきた。
(同級生女子の好む話題に乗れないのと、女子のねっちょりした付き合いが苦痛だった。)
そうやって家でも学校でもいい子の仮面を付けてうまくやってきていたのに、次第に身体の方が拒否し始めた。
大きな物音や男の先生の大きな声を聞くと、震えが止まらなくなった。
次第に朝、息が詰まって動けなくなり、無理やり足を一歩踏み出すたびに涙が出た。
もう無理だった。
当時、たった1年間だけスクールカウンセラーを配置しようという試みが私を救った。
カウンセラーの先生は「とりあえず休もうか」と休学を提案してくれた。
行きたくなったらもう一回1年生したらいいんだよ、フリースクールだってあるし、大検受けたら大学にも行けるよ、と。
「このままだとこの子は死にますよ」と母を説得してくれ、私は1年間の休養を与えてもらった。
そして、母もまた父を説得してくれたのだと思う。
1週間に1回、カウンセラーが来る水曜日には登校して面談する以外は、ひたすら寝て、ひたすら本やマンガを読みまくった。
働く母に代わって家事をしたり、一日本屋や図書館で過ごしたりもした。
誰も何も言わなかった。そっとしておいてくれたことに感謝している。
あるとき、学校に行ってみようかな、行けるんじゃないかなってふと思い、次の春から二回目の1年生に挑戦した。
精神的に不安定になることも多かったが、たくさんの先生の助けや、理解ある友人を得て、休みがちながらも卒業することができた。
大学でもカウンセリングを利用して、自分を噛み砕いて受け入れコントロールする術を身に着けていった。
今では死にたくなることも、精神的に揺らぐこともない。
大人になれないと思い込んでいた、あの頃には信じられない。
一度止まってしまったらなかなか戻れないのが日本の学校制度であり、高校をドロップアウトした者が休学留年してまで、やり直すケースはあまりないと思う。
希死念慮は自覚していなかったが、ここで止まってしまったらもう将来は無いのだから自分は死なないといけないなと漠然と思っていた。
カウンセラーの先生はその絶望をすくい取って「ちょっと休んで、力をためて、それから次に進んだらいいんだよ」って言ってくれた。
この逃げは、将来のことを何も考えていない、その場限りの無責任な勧めだとあなたは言えますか?
追記
「安易に逃げろなんて言うな」って流れにちょっと意見したくて書いてしまった。
もちろん、復学は容易ではなかったし、たった一年で容易に自分が変えられたわけではない。
復学初日の自己紹介で「留年して二回目の一年生です」ってさっさとカミングアウトしたら、周りに無駄に人が寄ってこなくて楽だったのは作戦勝ち。
クラス替え初日、仲良く慣れそうな人を見極めババっと磁石がくっつくみたいに、グループ作る流れが苦手だったので。
女子は初めての昼休みに誰とお弁当食べるかがその先を決定するんだよね。
1年の休学という区切りがあったのも良かったと思う。
母も先生たちも一年休学したところで、そのままドロップアウトして引きこもりコースかなって思ってたと思う。
何よりも自分が一番状況を打開しないと、という焦りがあったけど、区切りがなかったら外に出るのが怖くなって惰性で引きこもっていただろう。
逃げる、休む、戦略的撤退でもなんでも、それは一時的なもので、元に戻る道、別の道を選んでいかないといけないことには変わらない。
少しずつでも挑戦して、自信をつけていくことが大事で、あまりに長い休養はかえって毒になると思っている。
とにかく私は周りの人に恵まれていたのだけは確か。
でも、自分でも心の許せる人を周りに集めて、自分の居心地の良い環境を作るのが大事だと思う。
優しい言葉をかけてくれる人ではなくて、ときに叱ったり発破をかけてくれる人。
ちなみに父自身も癇癪を抑えられない自分が嫌だったのか、少しずつコントロールできるようになり、力も衰えた今ではすっかりおとなしくなった。
私も父を客観的に見れるようになって、距離を保ってうまく付き合えるようになった。
昔のことは許せないけど、父を受け入れることは私の成長の一部となったと思う。
最近「逃げてもいいよ」っていう概念が広がってきた感じがするので、その逃げた先でどうやって振る舞えば良いのかっていうのを自分を例に上げて書いておこうと思います。不幸っていうのは人によって形が違うので、おそらく私の経験がそのまま誰かの参考になるっていう可能性は低いかもしれないんですが、それでも書いておきます。
これすごく辛かったです。私は親に自分が虐められてることも友達が一人もいないことも言っていなかったので、「そんなこと全然知らなかった」と言われたときは期待を裏切ってしまった罪悪感で一杯でした。
私の場合の流れとしてはギリギリに追い詰められた状態での「行きたくない」で翌日も何があっても絶対行かねえぞって感じの態度だったので、それで異常性を感じ取ってもらえたからすんなり休ませてもらえたのかなと思います。なので、開き直って今の自分の心情を親に全て素直に言ったほうがいいと思います。自分に友達がいないこととか、学校が辛いことを親に伝えるのはとてもしんどいですが、それを我慢して学校に行き続けると更に辛いことになると思います。見て見ぬふりはよくないです。
親に伝えるのか悩んでたり、学校に行くのはしんどいけどまだギリギリ我慢できてるって場合でも、とりあえず一旦は「行きたくない」ってことを伝えておいたほうがいいです。冗談っぽくでもいいので。それと、カウンセラーなど第三者にも話してみましょう。自分が今他人から見てどういう状況になっているのか知ったほうがいいと思います。
親が休ませてくれない場合は学校行くふりして別の場所(図書館等)に行くのがベストでしょうか。過保護な親だと学校まで送りそうですが、そこまでやられたら先生に相談するしかないですね…。
・不登校開始後
不登校後、どうやって生きていくのかというのは皆気になるところだと思います。
簡潔に書くと、私の場合は不登校、引きこもり(中学時代)→カウンセリング→高校留学→大学(日本)という流れでした。
不登校を始めた直後は外に出る精神的元気も無いと思うので、ゆっくりしたらいいと思います。親が不機嫌になったり悲しんでたり家の中の雰囲気最悪でゆっくりできないかもしれないですけど、私は自分の部屋に引きこもって一日中ネットやってました。にちゃんのまとめブログ読んでたんですけど、あれは良くなかったですね…。まあ何であれ自分が楽しめることをしたらいいと思います。したらいいって言われても親が許さない場合は……どうしたらいいんでしょうね…。どうやったら親に理解してもらえるか、誰かに聞いてみたりましょうか。
私の場合は、不登校から数ヶ月後にカウンセリングに通い始めました。私が精神的に回復していったのはカウンセラーによるものが大きいと思っています。私が不登校になったことで家族は皆暗い顔をしていて、会話も淀んでいたのですが、そんな中でそれとは関係ない第三者と会話ができたのはとても良かったです。
高校留学についてはあんまり参考になるかわからないのですが、不登校の学生を専門にした留学斡旋会社というのがあって、その会社を利用して留学しました。当時のレートで年間300万くらいだったと思います。学校に通う元気が戻ってきた頃に色々調べて(親が)、不登校からでも通える高校もあることを知りました。なので、多くはないですが留学以外にも通える高校はあると思います(ここ全然具体的じゃなくてすみません……)。今の日本社会だと高校は出ておいたほうが将来苦労しないと思うので、元気になったら高校には通ったほうがいいかなあと思います。でもまずは元気になることが先ですけど。
不登校っていうのは、学校に通っていないという事実よりも学校に通えない精神状態であるっていうことのほうが深刻な問題だと思っています。だから、学校に戻るために元気にならなきゃっていう思考をするよりも、学校云々は置いておいてとりあえず元気になろうと思うことが大事だと思います。
うちの親は不登校に当初理解はなかったものの沢山勉強してくれて、私が元気になるサポートを沢山してくれました。そうでない家庭は、親も子供も大変だと思います。でも、自分が元気になることを諦めないでください。誰かに相談してください。
「逃げていい」の一歩先のことをそろそろ書かないとなと思って逃げた私の経験を書いたんですけど、いざ書いてみると何を書けば良いのかわからなくて内容が乱雑になってしまいました。あと不登校前後のことってあんまり覚えてないんですよね……。参考にならなかったらごめんなさい。
匿名で相談したい人向けに私のメールアドレス乗せておこうと思ったんですが増田ってメルアド乗せていいんですかね。調べてもわからなかったんでとりあえず書かないでおきます。
医者も9割8分は直す気はない。
患者の知能指数にもよるけど時間単価万単位のカウンセラーだと直る可能性もある。
あくまで僕なら
マンガで分かる心療内科(とくに依存症編酒タバコ薬物)、マインドフルネス、小池龍之介、の本を紹介する。
で、その上で別れる。かね。
この流れは別としても貴方自身がマンガで分かる心療内科依存症編酒タバコ薬物は読んどいていいと思う。
あなたに甘えてるんですよ。今の流れでは彼は絶対改善しません。治る道筋だけ教えておいて、失って反省させたほうがいいだけに思えます。
何があってもあなたがいると勘違いしてるから。逆に、あなたはわたしなら改善できるかもと思ってるかもしれませんけど、あまりに近い距離にいすぎます。
こういうのは一歩距離をおいた専門家で何とかできるかもしれない。程度だと思います。
霊感商法とか心理カウンセラーでも見捨ててるケース知ってます。
と同時に、いろいろ日常のことで高ストレス、脳疲労がたまってるだろうから、それは思考を変えるのと瞑想(脳の休息です。霊的世界一切関係ないです)で休ませる。
そのあたりがマインドフルネス。
とくに「周りにどう思われたい」周りの感情はとくに脳疲労を作ります。それプラス瞑想が小池龍之介です。
ただし、マインドフルネス、瞑想は霊感商法や怪しい自己啓発セミナーも手を出しています。マインドフルネス、瞑想周りは本だけ「が」いいです。
ある霊感商法は、瞑想本も確かに色々あるのですが、瞑想させて、先祖のありえない霊障を吹き込んで、不安にさせて金をせびるという手口をとってます。
浮気、暴力DV、継続的精神DV、過度のギャンブル(有料ガチャゲーにハマり過ぎ含む)、過度の見栄っ張りによる借金癖、浪費癖による借金癖、霊感商法、怪しい自己啓発セミナーはまず治らないです。
https://anond.hatelabo.jp/20170822232213
さて、可能性はいくつかありますが、それを明らかにするには材料不足です。
胸の奥のどす黒いものが「もんもん」なのか「イライラ」なのか「ムカムカ」なのか
取りあえず「ありそうな可能性」としては、自分の体験と離れた恋愛話が、非常に作り物臭く空々しく感じられ、
しかし現実にそれを否定し批判するほどの材料も持たないから、そのギャップを生理的に怒りとして表出している。
先行する過剰な自己像と現実の自分とのギャップを、過剰な感情表出によって処理しようとする、と一般化すれば、
つまりそれが、すがすがしいほどよくある、いわゆる「中二病」というやつです。
ああ、別にけなしているわけではなく、それが成長の一過程というやつなので、盛大にイライラモヤモヤしてください。
つーか、するしかない。あきらめて。よくあることです。
ただ、その黒いものがあんまり(創作を読むときだけでなく)日常全般を覆い始め、なんか気力とかもなくなってくるようでしたら、
最初に書くと、メンヘラじゃなくてヤンデレにも近いがする。改善したいけど、改善したくない気もする。何故かは今から書く。
彼氏に好きなアイドルがいること。付き合い始めた当初はなんとも思わなかった。今は大嫌いだ。
タイミングも悪かったと思う。誕生日とか折々にプレゼントらしきものをもらえず、彼は女の子に数万円払っていた。
友達にこの話をしてもそれはひどいって言ってくれたし、彼に伝えた。彼も話を控えてくれるようになった。
でも一度起きた不安は全く消えなくて、彼の横には彼の好きな女の子がいるような気がして、いつも不安になった。そういう恋愛的な気持ちも全くないって言われても信用ならなかった。だって彼女の記念日があってもアイドルにお金使ってるんだよ?
私は容姿も声も可愛くないから、かわいいタイプのその女の子に嫉妬した。努力家で芯を持って頑張るその真逆のタイプの女の子が彼のそばにいることを恨めしく思った。なんども泣いて錯乱したし、彼にも何度か怒りをぶつけた。あしらわれた時もあった。
一度だけ、追うのをやめてほしいと言ったことがある。言うのはちょっと悩んだけど、彼が言ってと言ったから伝えた。そういう趣味は心の支えみたいなものだから無理だと言われた。最後通告された気分だった。
あの頃から依存してたのかもしれない。依存するから、お前も依存しろと無理難題を求めてたのかもしれない。
自分への自信のなさが、女の子への恨みを加速させてる。そう思って、彼に「もう趣味のことは気にしないから、好きといってくれ」と頼んだ。もともと静かなタイプだからそうやって気持ちを伝えてくれることも少なかったから、せめてもと思って頼んだ。冗談ぽく言ったけど、受け入れてくれたはずだった。
以前、よくくだらない嘘をついていたから、嘘もつくなと言っていた。
会った日、早く帰ると言ったから勉強?と聞いたらうなづいた。でも夏休みなのに。なんで?帰った後ラインで聞いたらまさにそのライブだった。待ってよ。今日好きだって言われてない、この間も言われてない、なのにそっちは気にしないって言った私の思いを使うの?嘘もつくなって言ったよね?
絶対にしないと思っていた、腕を切った。そうでもしないと彼の好きな女の子をぐちゃぐちゃにしそうだった。
彼が家に来た。切ったことを怒っていたけど、嘘ついたこととか、反省してた。でももう私もわからない。何を求めてて何をしたいのか。
男の趣味を否定するなってよく見るし重々承知してる。でもしちゃったんだから、せめてもの償いに気にしないようにした。せめて、嘘つくとか、彼女にしないで欲しかった。
どうしたらいいんだろう、とりあえずカウンセラーにはかかろうと思う。完全に依存してるし。でも、どこか依存はこのままで彼が私だけのものになってくれたらなんて思う。
浮気、暴力DV、継続的精神DV、過度のギャンブル(有料ガチャゲーにハマり過ぎ含む)、過度の見栄っ張りによる借金癖、浪費癖による借金癖、霊感商法、怪しい自己啓発セミナーは
むしろ、中途半端に許すというか、怒ったあと普通に接すると、ああ、これぐらいで許されるんだと味をしめる。嘘をつく癖がついてくる。共依存になる。
一歩引いたスタンスの精神病院や心理カウンセラーの管轄であって、恋人、妻、家族みたいな密接な関係だと相手まで苦しめる。
一歩引いたスタンスの専門家以外どうしようしようもない。あるいは大事なものを全部失って一人になってやっと反省するか。
とするとノータイムで別れろ以外の選択肢はない。そもそも、このへんの傾向が見えたら恋人に絶対してはならない。
で、まあ、こういう相手に苦しめられてる奴のなんと多いことか。
自殺するくらいなら逃げろと言われたので逃げたが、
増田さんにアドバイスした人は、本当に「あなたの事を考えて」いましたか?
増田さんと付き合い長い方ですか?
(プロのカウンセラーやお医者様なら、話は変わってきますが。)
増田さんはその方に好感を持たれていますか?(相手にどう思われているか想像出来ますか?)
今も連絡とって密に話していますか?
その人は虚言癖ない人ですか?メンタル系の治療受けたりしてる人ではないですか?
(誰かの相談を受けられるようなキャパシティの充分にある人物か、という意味で。)
アドバイスしてくれた人についてだけど。
「親身になって、自分にとって最良のアドバイスをしてくれた」と思いますか。
初期なので麻酔をかけて数分でおわり。特に痛くはなかった(前日の処置で子宮口にラミナリアという線香状の海藻を突っ込むのだがそれはちょっと痛かった)。
数ヶ月たってやっと体験を思い出にできそうなのでまとめてみたい。
かかりつけの産婦人科で妊娠の確定診断を受けて、中絶希望する旨を伝えるとその場で最短の日程(翌週末)の予約をとってくれた。週二回で一日四名だかなんだか枠の決まっている手術日は、半月先までほとんど埋まっていて、妊娠週数が増すと人工妊娠中絶は費用も身体的な負担も増える形式の手術になってしまうので、自分は最短の日程で予約を入れた。
かかりつけの病院はHPで中絶費用を明示していて、初期の場合の手術費用は22万円だった。妊娠の確定診断の際に中絶手術の希望を伝えたので、手術前の血液検査もしてこの日の支払いは1万円だった。
産婦人科医は(どこもそうなのかもしれないけど)「中絶を選ぶのも女性の権利」という態度を一貫していて、中絶を選ぶことに葛藤があるのかないのかはカウンセラー(その病院では中絶手術を受けるのにカウンセリングの受診が必須だった)が確認するらしかった。
妊娠確定の診断とカウンセリングと手術前日の処置と手術と、二週間で合計4回通院した。
幸い職場は遅刻・早退・休みがとりやすかったのだが、つわりの症状がひどくて直属の上司にばれてしまうのが嫌だったのと、中絶というネガティブな選択について個人的な見解を持ち込まなさそうな上司だったので正直に話した。しかしそれでもそんなに休むのかという印象を与えた感は否めない。
そもそもなんで妊娠してしまったか。コンドームを使った避妊が嫌で(擦れて痛かったりする)排卵日と予想される前後以外は使っていなかったからだ。排卵日付近はコンドームを使ってはいたが、その他受精や着床を防ぐ物理的な手段は講じていなかった。
周期を読んで避けるというのは試したことがあって、効果のある避妊方法に思えた。そんなやり方を続けているうちに、周期的にアウトかも知れない日に膣内で射精してしまった。アフターピルの処方もうけなかった(たぶん仕事が忙しくて忘れていた)。
それとパートナーの性器が大きくて普通のサイズのコンドームがキツそうだった。大きいサイズのものを私が探せばよかったのだが、さぼってしまった(ちなみに後日聞いたところによると、本人は自分が大きいサイズを使うべきと気づいていなかったらしい)。使用は最低限にして負担を減らしたいと私が思っていた。
私の考えは、特定のパートナーとしかセックスしないのであれば性感染症の予防(コンドームの使用)には注意を払わなくていいというものだ。昔は低用量ピルを使っていたが、体質的にNGになってしまいこの数年は選択肢に入れられなかった。殺精子剤を使っていたこともあったが、かゆいのと発がん性があるらしいという情報が怖くてあまり積極的に手を出せなかった。IUD(リング)は形態が気持ちわるいのと、一度相談した産婦人科医が「避妊の成功率は8割」と言っていたのでそんなに低いのなら避妊の効果がないようなもんだと入れていなかった(今回婦人科でもらった資料によれば実際はもっと高かった。この時冊子とか公式な数字の載った資料をもらわなかったことが悔やまれる。)
■なぜ中絶を選んだか
積極的に避妊の手段を取り入れていなかったのは、身近に中絶手術をしたことのある人がいたことも影響していると思う。失敗したら中絶してもいいのだ、と考えていた。中絶したことのある友人はひとつの体験として消化しているように見えた。今回中絶するかどうか悩んでいた時に意見を聞いてみたが、罪悪感は不要だから子供のためとか言わないで自分の好きにしなと教えてくれた。
そもそも、妊娠したくてもできないという場合も少なくないだろうし、昔そういう経験があったので(といっても半年ほどだが)、危機感もうすかったかもしれない。万が一避妊に失敗したら産むか産まないか考えよう、と思っていた。セックスした相手のことを大事にしたいと思っていたので、彼が出産を望むかどうかの意見も考慮しようと思っていた。
妊娠が確定したので、彼と話し合い、彼が望まないとわかったので、それならばおろそうと決めた。自分一人でやっていくには経済的に苦しかった(といっても私は中小企業の会社員なので、生活の水準を下げて子育てすることだけを自分の時間の全てとすればやっていけるのかもしれない)。彼は、もし彼の意見を聞いてそれでも私が産むというのであれば、経済的にも物理的にもサポートするといった。しかしそれは自分の望むものではないと話すので、私は彼にそんな思いで支えてもらうのも、彼と絶縁して子供を産むのも嫌だと思った。
そうして「今回の妊娠は」なかったことにしようと、中絶をすることに決めた。
■手術当日の流れ
朝9時に病院に行った。手術は13時頃らしかったが後ろにずれる場合もあると言っていた。出産や管理入院の方と同じフロアの個室を用意されていた。
彼は手術の日は一緒にいるといって病院には来ていたが、特に何を話すでもなくぼーっと座っていた。私は下着をはずし病院着に着替えてベッドに座ったり寝転がったりしていたが、一度彼が横に来て、何をしたらいいかわからない、点滴の管にぶつかりそうで怖いというので、むかついて蹴飛ばしてその後は同じ空間にいたが接触していなかった。
途中看護師がやってきて、彼に席を外してもらい話をするといい(中絶を強いられているのではないかという確認だと思う)、今回なぜ中絶を選ぶのか質問された。産んで欲しくないという彼の意見を尊重したいので、と答えた。今後交際を続けるのか、避妊方法は考えているのか、決して責めるような口調ではなく質問され、子宮内に装着する避妊器具のミレーナを勧められた(今はそれを利用している)。
手術は冒頭にも書いたが身体的に大きな負担は感じなかった(前日夜からの絶食で麻酔から覚め落ち着いた午後3時ころまで水分も口にできなかったのはつらかったが)。
でも手術台に上るのはつらかった。これでお腹の中の人と別れると思うと悲しかった。悲しくて、麻酔をかけられながら大泣きしてしまった。看護師は、つらいよねといって手を握ってくれて、自分で決めたことなのにつらいとか思っていいのかと思うとすごく心が救われた。
麻酔科医は私が泣いていることに特にコメントはなく、私の目を見て麻酔のかかっていくときの感覚、麻酔にかかっている時間、目が覚めるときの感覚について説明をした。麻酔が入っていくときには針の先に痺れる感覚があるらしく、先ほどとは別の看護師が皮膚をもんでくれていた。手術は婦人科医師と麻酔科医師と看護師2名の体制だった。
麻酔から覚めるとやっぱり嗚咽が止まらず、ベッドに乗せられて個室に戻った時にはすっかり過換気になっていた。看護師にビニル袋をもらい、彼には会いたくない旨看護師から伝えてもらい、夕方に退院した。
産褥シート(夜用ナプキンのもっと大きいやつ)をあてがわれていたのでどれだけ出血するか不安だったが、普段の生理の出血が多いのもあり、大した量には感じなかった。
その後いろいろ思い出しては悲しくなる期間を経て、4ヶ月たった今は、思い出しても泣かないようになった。過換気になったのは手術の日だけだった。最初は毎日通勤電車で思い出して泣いていた。数日に一回、彼を責めるようなLINEを送っていた。一人でお酒を飲んでたバーでさめざめ泣いてしまったこともある。
今は彼と結婚することにして(いつとはまだ決まっていないのだけど)また子供を作りましょうという話をしてあるので、心が落ち着いているのだなと感じる。あの日私の内側から取り去られてしまった人の魂が、もう一回来てくれるといいなと思っている。
治療費がかさむだけではない。
ここでは、自殺や就労不可になる問題に隠れているメンヘラの経済問題について述べたい。
そういった事態になるまで自分を追い詰めてしまう人のブレーキになれたらと考えている。
■自己紹介
その会社で、ゲーム開発のプロジェクトマネージャーをしていたのだが、企画を補佐してくれるものがいなかったため、
PM兼、プランナー兼、アートディレクター兼、クラアント対応といった業務までしていた。
平日だけでは業務が終わらず、土日もメール対応や仕様書を書いていた。
そういった無理がたたり、たまにできた暇な時間も体調が悪く遊びにいくことも家事をすることもできなかった。
自立支援医療制度という精神疾患を患っている人を支援する制度があり、
それらの費用が通常の自己負担額3割から1割になるとは言っても、一回行くごとに1500円、月2回行くので3000円かかる。
ついでにいうと、その手続には、診断書が必要であり、その発行に5000円かかる。
最寄りの病院でない場合は、それに合わせて、交通費も必要になる。
それに加えて、一番大きいのがカウンセリング代による支出である。
私の行くところは、40分で6400円ほどかかる。
カウンセリングなんて、役に立つのかと健康な人は思うかもしれない。
だが、処方箋なんてものは、所詮対処療法であり、心理的な問題を解決することはない。
また、人に話すことで楽になることはたくさんあり、しかもカウンセラーにしか言えないこともある。
見ず知らずの人に、そんなこと言えるだろうか? 困られせてしまうだけである。
というわけで、私はカウンセリングにて、毎月2回20分受けていたので、月6000円が飛ぶ。
東京在住で年収300万いかず、奨学金の返済にも苦しんでいた私には、
例えば、部屋が片付かないため、何を買ったが判断できなくなる。
すると、同じようなものを何回も買ってしまう。洗剤や歯磨き粉が複数ストックされる。
そして、掃除をサボることにより家の汚れが取り返しの付かないことになることも、大きな損失になりうる。
引っ越す時に敷金がもどってこないどころか、6万円近くのクリーニング代などを要求されるてしまことを、
思考がどうかしているうつ病患者の私には想像する気力もなかった。
うつ病になると、冷静に考えてお金を使う判断力が失われ無駄な買い物が増える。
場合によっては、ストレス発散のために、高い買い物をしてしまうこともある。経度の買い物依存症である。
そして、あらゆるめんどくさいことを、お金で解決しようとしてしまう。
駅からも遠かったため、少しでも心理的な負担がかからない場所に引っ越したかったからだ。
上記の様な状態の私はただでさえ貯金がない状態であり、引っ越しにかかる費用はクレジットカードを利用した。
そこらへんの判断も、今ふりかえればどうかしている。
だが、明らかに思考力がまともじゃなかった私には、なんの疑問も感じなかった。
新たな引越し先への敷金礼金以外にも、20万以上つかってしまっていた。
■まとめ
という流れは広く知られている。
だが、それだけではない、
うつ病予備軍の人は、上記の様なうつ病になる大変さを理解して欲しい。
すでにうつ病の人は、私の様な自体に陥らない様に気をつけて欲しい。
私はこれの様なリスクを理解していなかった。この過ちが、後に、大きな不幸をまねくことを私はまだ知らなかった。
その不幸については、また今度投稿する。
指導教官と折り合いが悪くて卒論が全く手に着かず、ついでにその先生が必修科目の担当だったので単位が2(たった2!)足りず留年した私から言えば、すぐさま学生課に行って、相談とカウンセリングを受けてこいというのがアドバイス。
指導教官を変えてもらう、もっと興味の持てそうな習得可能な学科に転科する等、打てる策を打ってもらう。
親身になってくれるかどうかは分からないが、本当に深刻に「このまま行ったら卒業できないばかりか死にそう」的に相談すれば、相手も鬼でない限りは学生に死なれたら困るので、規則の範囲である程度融通を利かせてくれる。
あと、大学のカウンセラーを利用する。これはただなので。(少なくとも自分の学校はそうだった)
時間いっぱい「もう自分はダメだー」的な愚痴を延々言っていた。特に励まされることもなくただ話を聞いてくれるだけだが、学内に友人がいない(察しろ)状態だと仕事でもいいから話を聞いてくれる人がいるのは救いになる。
自分はできれば大学に残りたかったが、そういう事情で無理な気がしたので、「取り敢えず卒業する(卒業証書をもらう)こと」に目標を切り替えた。
成績ボロボロでもしょうがない。教授に何と言われようと、取り敢えず大卒資格さえ取れたらそれでええんである。
自分は就職時に履歴書は入学年から想定される卒業年に2年ばかしズレがあるがすっとぼけて出した。今まで特に聞かれたことも無い。
だから多分大丈夫なので、とにかく頭を下げて辛い時期を乗り切れ。
思うのは、君はむしろ高校中退で終わらないようにしようと思った分だけ、物凄く頑張った方なのだ。挫折して立ち上がれない者も多い中、君はかなり凄い。
他人様が当たり前にこなしていることが出来ないと感じるのは辛いだろうが、その「当たり前」は当たり前ではない。
この世には君の入った大学の入学試験すら通らない人間はいる。勉強をする意志力のない人間と比べられても…と思うかも知れないが、そういう人間の方がむしろ普通なのだ。
君の学友はどちらかというと優れている方の人間たちと思うべきだ。そんな優秀な人間たちについていこうとした分、君のその意志力は凄いのではないか。
優秀じゃないと自分を責めずに、頑張った自分を許して愛してあげて欲しい。