はてなキーワード: カウンセラーとは
凄く長くなったので一言でここに表すと努力する力を含め将来への生きる自信がない。
セックスの頻度は週に2〜3回。
旦那はあと数年で精子の劣化が始まる年齢と言われる歳にもなる。二人きりの生活が楽しいので寂しくも感じる。旦那さんは自分の子孫ができることが嬉しいものだと私に説明をしてくれた。発達障害の遺伝の可能性も気にしていないらしい。
旦那の喜びを奪うわけにもいかないが、子供が出来れば家事すらギリギリの不器用な自分に子育てが増える、金銭的負担も増える。寂しいのが建前に見えてしまい悲しくなるほど、自分は子育てなんてキャパオーバーだと嘆いてるのだ。
頼れる家族はいない。親は無自覚だが祖母に入れられた宗教(カルトでない)の思考で出来ており、神の部分を世間や一般人に置き換え整合性の全く人は尊いと言いつつ、家族全体にはモラハラだらけ。私は無意識に罪悪感を感じて生きるようになった。小学校入学頃から対人恐怖になっていた。子供に合わせていい者ではない。旦那の方もよくないようで、酷い過干渉で逃げてきたらしい。
私はわかってくれる旦那一人で満足なのだが、旦那は子もいる家族を作りたいらしい。
子作り目的になってから私は安定剤を漢方薬にしてもらっている。その間に全く関係ないが婦人科に行った時には、排卵されてるのがカメラ?に写っていたが、まだ妊娠しないのである。
こんな時も頭に「貴方がそんな暗いから子供が逃げていくのよ」という母の言いそうな言葉が自動再生されるほど自分はポジティブにならなきゃいけないことに対して異常なノイローゼになり参っている。
自分が変わればいいと頭の声がずっと巡っており、生きてるだけで常に頭に説教めいた言葉が再生されるのだ。頭の中が常に自己啓発本の朗読をしていると言っていいだろう。
カウンセラーも通い、人を変えてみたりも何度かしたが、怒鳴られたり、否定され、その都度話を聞いてもらってるのに我侭だ失礼だと親から冷たく言われ、加えて認知療法しないと一生幸せになれないと脅しのような発言をされたり、治療のことを考えたり行ったりすること、それを思い出すことでより精神的に追い詰められてしまい、もう説教の一言にも耐えられなくなってしまった。
一年前に親から離れたのに今も思い出せば目の前の家事すら手につかなくなる。向上心がなくてはならないと言われる状況なのに、向上心が最も私をパニックに陥れているのだ。
精神医療を先にと提案されることを何度も想像したが、もうどうしたらいいのかよくわからなくなっている。世間的な美徳とされてるものにノイローゼの私には何が落ち着くものになるのだろう。
旦那の幸せを思うと本当に自分は旦那の前から消えなくてはならない。
頭の声を消すために曲を聴けば頭を酷使し、眠れば悪夢を見る。とても一人で生活できる者ではないのは確かだ。こんな自分に悲劇のヒロインぶってると一部増田は言うだろうし、実際昔母に言われた。母が常に一部増田のような発言をする親なのだ。
親の愚痴になりかけているが我慢出来ないことは事実であり非常に情けなく自己嫌。子供の頃から散々自信を持てと言われたが、何かすれば必ずパニックになる私には家事が限界だった。自分の今のポンコツな現状が限界であるし、発達障害の特性だからとか、ベストを尽くしていると医者や旦那は言ってくれる。私はその言葉に甘えているのか?と優しい言葉をかき消すこの正論のような頭の言葉を私はどうしたら良いんだろう。
俺の経験上、仕事とかで心の負債が貯まってくると必ず見る夢がある。
大学を卒業できなくなる夢だ。卒業したのに、卒業資格を取り消されるという夢の場合もある。
例えば、その夢の中の俺は、就職も決まってるけど必修の単位が1つだけ残ってる状態で、その試験日に寝坊してしまって慌てて駅に向かったりする。
現実の俺は学生の頃、大学まで徒歩五分だったのにだ。違和感を感じつつも、とにかくヤバイ人生詰むと思ってるから駅に向かおうとする。
大学の卒業を取り消された夢の時は、仕事中に会社に電話がかかってくるところから始まった。
聞くと、卒業から10年近く経ってるのに、俺が受けた講義の単位が取り消されることになり、ついてはそのままだと単位不足で遡求的に学位が取り消されるという話。
救済措置は用意してやるから、いついつにテストを受けに来いと言われる。
テストを受けに行くと、
・テストの内容が小学校2年の算数レベル。本当に2+3×6=? くらいの内容。
これまた違和感を感じるのだが、夢の中の俺は必死で、何しろ大卒か中退かの瀬戸際、人生がかかってるから解答欄に20と書いた後も、何回も検算している。
大学の卒業を取り消されるかも知れない試験だから、簡単に見えるけど実は微分方程式が必要なんじゃないか、こっちの問題はフーリエ変換するんだっけ、とか混乱している。
先日、メンタルヘルスのテスト結果で産業医だかカウンセラーとのお話し合いを推奨する手紙をもらった。
本当に周りから見てもヤバイと思われて、上司と面談した際にこの話をした。はたまた、常勤なのにほぼ毎日夜中3時とかに電話で起こされるという、明らかに俺より過酷な働き方の同僚にも聞いてみた。
すると、その2人もメンタル不調の時に似たような夢を見ると言っていた。
http://anond.hatelabo.jp/20170402141024
私は中学から相談員や診療内科への受診を続けている。しかしこの悪くない人を探すのが本当に難しい。
怒鳴ったり否定してきたり見下してくる、そういう素振りをしてきたらそれは即やめていいのだ。
それは本当に自分が偉いと思って威張ってる奴だ。
看護師に仕事で関わるけどプライベートでは絶対関わりたくないって言われてる奴でも精神科をやってるおかしな病院もあるのだ。
対人恐怖が悪化するとか、悪夢に出る人間の数が増えるとか、そんなことになって欲しくはない。
貴方は自分が本当に大切でいいのだ。自分の命を守るのが生き物としての本能なのだ。何十ページの道徳の本よりもそれが真実でいいのだ。
いじめでボロボロになってる時に、運悪く性格悪い支援者にぶち当たる余裕なんてない。
起きた事実に重ねて悲しいことが起こり、新しく苦しい症状が増える可能性はいくらでもある。他人事と思っているかもしれないが、常にそういうものとは隣り合わせにある。
私の親は二次被害の担当をしている最悪の存在であり、悪口を言われれば幻聴と否定され、カウンセラーとトラブルがあれば私が悪人にされ、常に明るくなれそんなんじゃ駄目だと精神を追い詰めていた。
私も、家族(母と姉)の精神的疾患に苦しみましたので、放っておけず。
家族が、鬱状態の強いときの「負のエネルギー」に引きづられてしまうので、かなり辛いだろうと思います。
また、ご本人はご本人で、学校に行ったり、友達と遊んだりとやりたいことがあるのに、ふと家の現実を思い出したり、または他の家族の楽しそうな姿を見て比較してしまって、気持ちが暗くなったりするんじゃないかと思います。
なので、家でその様なことがあると、「私は驚きよりも悲しみや怒りや呆れといった感情を強く抱」くのは、当然だと思います。
私もそうでした。
あんたも辛いだろうが、それを止めたり、病院に連れていったり、慰めたりする私の身にもなってくれ。いい年して、それくらいも考えられないのか!
と。
ただ、一つは、ご家族が実際に死んでしまったら、より辛い気持ちに襲われると思います。
精神的疾患は(もしかしたら患者さんご本人の精神的傾向も)、合うお医者さん、合う薬があれば、大幅に良くなることもあることも忘れないで居てください。
それから、これだけの重荷を負って生きている貴方本人が、「抑えていた気持ちが怒りとなって爆発してしまうようになった。自分がダメなことは分かっているけど、それをどうしていいか分からない。」という危険水準に達していることも、まずはご家族の病院に行く際に直接伝えて良いと思います。その際、何も対応しない医者なら、違う病院に行っても良いと思います(行き着く先は、カウンセラー等かも知れませんが、まずは精神科または心療内科から振り分けてもらうルートで良いです。)。
突然思い出しので、しっちゃかめっちゃかだが書いてみる。
数えたらもう5年も前のことだった。
何をしていても頭がボーッとして集中できず、当時の勤めていた職場は勿論のこと、当時住んでいた場所にいるだけで涙と激しい動悸に襲われて、とてもじゃないけど働き続けることはできない状態だった。
朝起きるとうわ言のように、「逃げたい逃げたい」呟いていたり、物を片付けるのさえも億劫で、部屋が物凄くとっちらかっていたのは何となく覚えている。
当時の詳しい出来事は今でも靄がかかったようで、あまりはっきり思い出せないのだ。
やっぱり正常な状態じゃなかったんだろう。うん。
そんなこんなで、何とか頑張っていたものの、ある日限界を突破。
上司に「辛くて耐えられないので辞めさせてくれ」と直談判した。
上司はえらく驚いていたが、「辞めると言わず、とりあえず実家に帰ってしばらく休んでみては」と言われ、実家に帰った。
後から他の人から聞いた話だが、上司は私の様子に全く気がついていなかったらしい。
当時は、迷惑をかけまいと何とか普通に振る舞っていたつもりだったが、それがうまくいっていたようである。
今になれば、「まったく、なにやってるんだ…」という感じだが。
そして、あっという間に適応障害と診断されたのだった。
先生の診察前にカウンセラーさんとはなしたとき「不倫などの特殊な恋愛をしていませんか?」と聞かれたときは、「ああ、そういう理由で疲れる人もいるのだな…」と思ったことだけてはなぜか良く覚えている。
適応障害になったことで、自分から離れていった人も何人かいた。
が、大抵の人は側にいてくれて、それだけでかなり救われた。
当時は一生なおらないんじゃないかと思ったりもしたが、薬を飲んで、きちんと休めば、嘘のように元気になった。
適応障害なんかの精神の病気は、完治と言い切るのが難しいらしく、
寛解(全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること)
という、表現を使うらしいこともその頃知った。
が、勝手に完治したと私は思っている。
当時の仕事は辞めてしまったが、なんだかんだ次の仕事も決まり、今はすっかり元気で何の問題もなく働いているのだった。
あれは、一体なんだったんだろうな。
ただ、それだけ。
母は神経質で物に当たるし、他人の目を非常に気にした。
父は笑わせるつもりで言った言葉はモラハラ発言で、気まぐれで怒鳴りつけたかと思えばおもちゃを買い与える不安定な親だった。
私もネガティブになった。公園にいたら知らない年上の女に絡まれたり、小学校デビューから陰湿かつスパルタそうな教師に怒鳴られたり、同級生に物を盗まれたり、トイレに閉じ込められて出れなかったのを信じてもらえなかったり、散々な目にあった。
私が小4の頃、変わった教師にあった。ポジティブが素晴らしいという本を教室に置き、ゲーム脳というものを信じて学級通信にそんな話を書いたり授業参観で語ったりしていた。
私の家は手伝いや勉強をしても理由こそ謎だが怒るとゲームを捨てるといい出すので、母がそれに影響を受けないかとても心配だった。
母は口からゲーム脳とたまに言うがあまり変化はなかった。しかしこの時にポジティブという宗教にさらにハマってしまったのかもしれない。
この親は根が大変ネガティブなのだが、ポジティブを崇拝することでおかしくなったのだ。
誰かが悪事を働いてもそれを咎めず、むしろその人間のいい所を言うのだ。
テレビ上で悪人だろうと、実の娘を泣かせた相手だろうと、娘に唾を吐いたもの者であろうとだ。
私の前で私が名前を言ってる(方向が名前につくのでその度に言っていた)いじめっ子の名前を出して褒めた時に、私はとても失望した。今も私はそれを憎んでいる。
しかし身内にはそういうそぶりはなく、むしろ性格が悪いと言われたり、ちゃんとしろと言われたり、可哀想な人だと言われたりした。
悪事を行動で判断するのではなく、家族かそうでないかで判断する母の本で、自分を傷つけたものを否定してもらえず、受け取り方が悪いみたいな話をされ、言われたことを幻聴だと信じてもらえなかった。
常に無価値観と罪悪感が私の中にあって離れなくなった。
ポジティブというのは私を咎める凶器として昔から固定されてしまい、今の私は不安障害やフラッシュバック、パニックで泣かずに一日を終えることすらままならなくなった。
医療の場にあるポジティブな発言というものや、熱血という名の冷静さを欠いた医師に怒鳴られたり、否定してくるカウンセラーなど、足を運べば運ぶほど人がますます怖くなった。
ポジティブになれと言われるほど暗い気持ちになりポジティブを投げかける人間はみんな乱暴で冷たく、ポジティブを見てもネガティブな心境にあっても私は苦しむようになってしまった。
ポジティブに対してノイローゼになってしまった私には、ありきたりな物語も電車の広告も、格言も、自己啓発な発言も、傷つくもので、誰にも相談出来なくなった。
誰かに話しを聞いてもらうか、思うままに書き出すのがいいんじゃないか。あるいは思い切って休んで別のことをする。
感覚過敏や情緒不安定、トラウマのフラッシュバッグに発達障害、ヒステリー持ちである
近所の騒音で気が狂いそうだ、窓も閉めててパソコンとエアコンの音がガーガーなってるにも関わらず聞こえてくる車からの音楽、なにが楽だよ苦の根源だよ糞
少しの刺激でパニックを起こす不便な体と人間への不信感、自己嫌悪と無価値観で自分が生きることも他人に何か説教や暴言、ポジティブになることしか見えておらず夫婦関係も育児も放棄した母親、同い年と関わればいじめに合い、不登校になりながらも行く場を探せばカウンセラーや医者からも暴言を吐かれ、神経は恐ろしくすり減ってしまった。過去を思い出して即座に発狂してしまう私は当然働けず、そこから裕福からも当然遠くなり、防音環境とは程遠い暮らしを強いられる
自分がもの凄く嫌いであり、もう生きることに心底疲れ切ってしまった。自分の頭の中も体の感覚も苦痛な一方なのだ。明るさというものが親といることで自分を攻める凶器になり、休まる方法さえわからなくなった。
なのでスイスで安楽死が可能であることをネットで知った。だが精神によるものは受け入れて貰えないらしい。
迷惑をかけない自殺方法なんて、安楽死くらいしかこの世に存在していないのではないだろうか?気を病んでいるものが国籍まで取れる元気があるのか?
いじめられるお前が悪いみたいなことを吐かれる中、死ぬ権利すら与えられないのは何故なんだろう。本当にもう死んでしまいたい。普通でないのはわかってるから、せめて痛みなく死なせてほしい。人よりもう幸せになんてなれないのはわかってる、でもそれ以上に苦痛ばかりで、頭の中の記憶に苦しめられて、刺激に過敏に反応する自分にもう疲れたよ。
「コンビニでエロ本を売らずにおむつを売れ」がTwitterで盛り上がっているけど、コンビニでエロ本を売ることの是非はともかくとして、コンビニのエロ本は全然売れない。
ネットでいくらでも無料のエロ動画がある時代に、割と高い有料の静止画なんて売れるはずがない。保存場所困るし。
買うのはおそらくPC・スマホが使いこなせてないであろうおじいちゃんくらいだ。
もちろん、入荷されたものを店頭に並べないという選択肢はない。
それやってFC(フィールドカウンセラー)に見つかったらスゲー怒られる。
なので売れないエロ本がコンビニにあり続けるのは本部の意思なんだけど、おそらくそれはもうおまじない、あるいはオカルトの話なんじゃないかと思う。
エロ画像見ると脳が活性化して仕事の効率が上がるとかその類のオカルト。
「エロ本があると売り上げが上がる」的な?
「エロ本は客を呼び寄せる」的な?
多分本部の上層部の間で定石になっていて、若手社員が「エロ本置くのやめましょう!」とか提案しても、「それで売上落ちたらお前責任とれんのか!」とか言われてるんじゃないかと。
例えば風俗。男の人。特に迷惑なおっさんとして見たかんじで扱われたい。
女のアタシとしたら綺麗な人というだけで最高である。そのオネエちゃんがアタシにだけぶりっこをする。
そのオネエちゃんがアタシにどんだけ熱心に色恋営業をかけて、私はどれだけそれに騙されるんだろう。
そのオネエちゃんが渡してくれたLineかメールアドレスが私のスマホに着信するのを私はどれだけ熱心に待つんだろう。
そしてその具合がいい人に私はどのくらいで飽きて、他の風俗嬢に行くんだろう。
それを知ってか知らずか私の彼も風俗好きだった。アタシの遺伝子の片隅にある父の血が何故かそれを欲する。
綺麗な女の子。愛嬌のある女の子。彼女たちに昔会って、遊んだ記憶があるような不思議な気分になる。
どんだけ下手糞な会話でもどんだけグダグダなプレイでも喜び愛してくれる。
『女性というモノ』だとしたら確かにとても綺麗な子か自分好みの愛嬌や自分好みのプレイをしてくれる
なんていうか風俗嬢の中に好みのタイプがいたら素晴らしい感情になりそうだ。
人気者の女性と付き合う気分。自分の超タイプを犯す気分。その女性が寝取られている気分。
そんな生意気な女は壊してやれという気分。そんな女性にバカにされる気分。
全部味わう事が出来る。
自分の事だけを愛さない片思いの歯がゆさ。普通の恋愛にはない楽さ。
デート代もかからない嬉しさ。女友達ができたと思える嬉しさ。他人とずっとセフレ関係という気分。
1か月だけでも味わいたい。
どの増田が元なのか理解していない通りすがりの増田なんだけど、その通りだなと思う。一種のトラウマで、これを解消することはものすごく難しい。
私自身、昔は人そのものが嫌いで、一人が良いとずっと考えていた。今は、解決はしてはいないものの「信用できる人、できない人を見分ける努力はしよう」と思えるようになった。
どうやったか。成長するにつれ、単に沢山の人と会う羽目になっただけである。そうすると「大部分の人は怖い」と考えることはどうも不合理だな、と気づいた。そして「大部分の人は好い人であるが、中には怖い人もいる」と変わったわけだ。
一方で、外国人を身近に感じたスタート地点は大学の留学生たちだ。留学できる人なんてのは基本的にはある程度良い家庭で、良い子に育ち、優秀だ。
だから第一印象がとても良いわけだ。この刷り込み(悪い方向で受けるとトラウマ)は強烈で、そうそう覆せない。目で見て、実際に会って感じた外国人像は、テレビやネットの「悪い外国人がいるんだよ」という2次元の情報程度では「外国人はヤバイ」と変換されることはない。
しかしここで、良い人だと思っていた友人の外国人から突如裏切られたらどうだろうか。反応は人によって様々で複雑だが「みんな良い人だ」から「みんな悪い人だ」に180度転換することもある。
冷静に考えれば不合理である。しかし「良い人だと思っていた外国人に裏切られた。だったら他の外国人も裏切るに違いない」という理屈付けでその思考を正当化するだろう。
もし「怖い外国人」やら「怖い異性」やらが、自分が会って目にしたものではなく、単にネットやテレビから得た情報のみによって醸成された場合、同じくネットやテレビの情報で「良い外国人」「良い異性」を沢山見ることで解決するかもしれない。とはいえ、ネットやテレビはその特性上「良くない情報が目につきやすい」ので、テレビやネットの情報の海から一度離れる、ということも有効だと思う。
では二次元情報ではなく実際に目の前に存在する外国人から裏切られたらどうか。これは間接的に説得されても解決しない。
どうすればよいか。これは最初の例の通り「悪くない外国人」と実際に会っていくほかない。トラウマってのはやっかいで、頭で何とかしようと思ったり、人から変えなさいと言われても変えられるもんじゃない。
だからここから先は増田が「どの程度外国人について理解したいか」ということが重要になる。動機が必要なわけ。「別に外国人のことなんか知りたくない」場合、外国人にわざわざ会いたくもないだろうし、これから先も悪印象が変わることはないだろう。異性の場合はどうだろう。「別に知りたくない」というわけにもいかない、知りたいよね?(ゲス顔
「町中でとても良い異性に出会ってしまった」「めっちゃ良い外国人をネットで見かけた」という偶然は期待薄である。もし「このままではいたくない」と思うのであれば、自分自身で動く必要がある。
怖くない人か怖い人かを見分ける方法は、これまた少しずつ「怖くなさそうな人」に会って自分で学んで感じ取っていくしか方法はないのだから。
親に育ててもらったことへの借りを返す必要はない
自己効力感を奪う親の存在は、人生のかじとりをしていく上で大きな障害である
もしほんとうにヤバいときはこちらから連絡するし、逆の場合も親を受け入れる
もう親とはこれくらいの距離感でやっていこうと決めた
人によっては、このような親離れ・子離れのステップはあたりまえで、無意識的に達成されることかもしれない
しかし、親が自分のことを無力化して自己存在価値を高めようとする以上、こちらから決別するしかない
一度開けてしまったくさいものに再びフタを閉じてしまうことは、もうできない
父親は母を拒絶して家庭に居場所を失い、ワーカホリックとなってうつ病で死んだ
母は勉強しかできない無愛想な自分に、そんな様子じゃ社会でやっていけるはずがないというレッテルを張り続けた
そんな自分は社会参加や人との交流を恐れ、もれなくうつ・ひきこもりを経た。うつはまだ寛解への途中である
ところが、いざ働きはじめてみたら意外となんとかなっていて、業務以外の雑談すらできるようになっていた
それと同時に、母に植え付けられたセルフイメージのせいでずっと苦しみ続けてきたことへの憎しみが抑えられなくなった
正直なところ、自分は軽度のASDかもしれない。いわゆる「愛着障害」というものにも該当すると思う
勉強ができることで親が喜んでいると思っていたら、じつはそんなにデキのいい子どもはいらなかったらしい
世間から見ればうらやまれるような大学に入ってしまったが、そもそも母は「学び」や「教育」に価値を見出していなかった
母は死に体の自分に、生産工場で検査をするような仕事ならいくらでもあるから早くうちに戻っておいで、と言い続けた
そんな自分も、なにかの間違いでいい大学に入ってしまったが、本当は大卒になることすらおこがましい存在であると思っていた
ところが就活・社会参加への恐怖とあいまって、母の望まない学問・研究の道に逃げ場を見出し、博士号までとってしまった
ただし心の奥では、また身の丈に合わない経歴をつくりあげてしまった、典型的な高学歴ワーキングプアの完成である、と自虐していた
重度のうつと復帰のサイクルを繰り返していたころ、幸か不幸か地元にある大学の教員ポストの紹介がきた
そのときはうつ症状がマシだったので、ここで逃げ出してはいけないと思い、紹介を受けた
しかし次第に、また自分の能力とは見合うはずのないところへ踏み出そうとしていることを自問し、うつに舞いもどった
それでも、やっとこれで親を安心させられると思い、安堵している部分があった。面接でも、なんとか健常人のフリをして押し通した
しかし母にとって、社会参加ができない無力な自分は実験の「お手伝いさん」しかできない存在であり、大学教員になるなどとは想像だにしていなかった
不安に耐えきれなくなって母にほんとうの気持ちを打ち明けたとき、なんでもっと身の程を知って行動しなかったのか、と責められた
今度も「お手伝いさん」の仕事をするのだと思っていた、こんなことになるなら、もっとちゃんと話を聞いてわたしが食い止めるべきだった、と言われた
自分も同じように反省した。自らの無力さにもかかわらず、できるようなフリをしてしまったことへの欺瞞からくる罪悪感で、心がツブレた
ところが今どうなっているかというと、上司のボスとは円滑にやっているし、決してデキのいいとはいえない学生たちをいかにモチベートさせるか試行錯誤している
ある日、自分は主体的に考えたり行動する能力がなく、いわれたことすら満足にできない無力な存在であったはずなのに、何かがおかしいと気づいた
たまたま自分に合った仕事につけて運がよかっただけかもしれない。しかしこれまでのセルフイメージとは全くことなる自己の振る舞いに、自分自身がおどろいていた
もちろんクスリで底上げされている要素はかなり大きい。ただそれ以上に、自己像が根本から書き換えられていくようなフローがあり、かつてない大きな地殻変動を感じていた
これまでに双極性の症状を示したことはないが、このある種の成功体験がまた新たなうつの引き金となる可能性は当然あり、注意しないといけないと思う
地元に戻り、母から物理的な縛りつけを受けることによって、これまでの精神的な抑圧やダブルバインド的な母のやり口に気づくようになった
それからカウンセラーやメンターの意見も聞き、たどり着いた自分なりの結論が冒頭のものである
まずはその上から目線と高圧的な態度をどうにかしろよ。面倒な上司の見本みたいな態度をふりかざしやがって。
受付員まで無機物より冷たい態度ってどういうことなんだよ!勝手に時間変更しやがって!せめて変更の許可取れよ!
こちらのルールですからの一言だし、なんなの?ファミレスの店員の方がまだ丁寧なんだけど、お前は高校生や中華街の店員以下なのか?
そんな奴が心療内科の受付なんかすんなよ。
医師も医師だわ。そんなにすっぱり切るのが楽しいなら外科医にでもなれや。
朝から不安で吐き気が酷いんだよなにが心療内科だ糞。見下したいだけのやつばっかじゃねーか。なんでこんなはずれ多いの?
精神的に疲弊してる時にハズレなんか引いてられないのがわかれよ!今までも初診なのに怒鳴られたりしたよ?態度が気に食わないとかその日の機嫌が悪いとかなんで客が店員の機嫌の悪さやいばりたがりに金払って付き合わなきゃならないんだよ。
こういうのって学校によって無茶苦茶差があるようだけど、そもそもそんなのが公立で許されるのか??
去年まで高校生だったが、中学も合わせて、先生の講習授業なんて殆どなかったし、
部活は顧問がほぼ口出さず勝手にやってるだけで、負けても慰めの言葉の一つもなかったし、
そもそも顧問の先生なんて、隣に部屋に座ってるだけで、「指導」された覚えがない。
ものをなくした時は自分が全責任を負ったし、カウンセリングはカウンセラーの役目だった。
それが普通だと勘違いしていたし、別にそれで十分だと思ってた。
それぐらいしかやってくれない先生でも、それでも授業などの仕事ぶりを見て尊敬に値すると思ったものだが。
生徒の立場としても、高校教師には授業だけやってもらえれば十分だし、カウンセリングなんてむしろ、言っちゃ悪いがカウンセラーのほうが信頼置ける。
自分は学校で友人関係が上手く行かず、いじめのような取扱も受けだが、だからといって先生のせいだなんて全く思えなかった。
どう考えても、いじめはいじめた奴が悪い。先生のせいにするなと思った。
結局、生徒が求めていないことを、保護者が過剰に要求しているんじゃないかと思う。
公立なんだから最低限やってればそれこそ十分だし、それ以上を下手にやられて生徒の負担が増えたって、生徒にとってはありがたくもなんともない。
そういう声を、保護者はキチンと聞いてほしいと思った。
今19歳、高校卒業したのは去年だ。一年でそこまで大きく変わると思えないから、世代の差は関係ないと思うけど
言ってしまえば学校によって、公立なのに此処まで大きく変わるというのはだいぶ問題なのではないかと思う。
僕は大学受験の受験先も、教員免許が取れることを第一条件に選んだぐらいだ。
学校の先生が、そこまで苦しんでない学校だったから、将来の夢に教員も選択肢に入れた。