はてなキーワード: めくらとは
そんなんだから男子と対等に遊ぶなんてとんでもなくて、ひどいいじめこそは幸いうけなかったけど狭い友人の輪の中でひっそり教室の隅で過ごす生活を送ってきました。
小学校5年のときに6年生と一緒に清掃をする場所の担当になったんだけど、そこで初めて「イケメン体験」をした。
その人は6年生の男子だったけど、見た目残念な私に優しく清掃用具を渡してくれたり、重たいバケツを持ってくれたりした。
他の男子がガキっぽくからかったりサボったりするのを嫌味なくたしなめたりしながら私や他の女子を守ってくれてたのがわかった。
で、小学校を卒業して中学校に行って、そこでもまた別のイケメンに遭遇した。
その人は小学校のときのイケメンとはまたタイプが違って、初対面の女子でもすごくフレンドリーでボディタッチとかもすごく自然でうまくて、当然同級生の中でも相当評判になってた。
メガネニキビデブオタブスな私なんぞはまさかそんな恋愛戦線に参加できるわけもなく、そっと遠くから見守る程度だったんだけどそれでも委員会とかちょっとした接点があると名前とか覚えてくれててすごく優しくしてくれてた。
今になって思うのがそのときせいぜい10代はじめくらいの年代だったのに、彼らは一体どこで自分を「イケメン」だと自覚していたんだろうってこと。
優しいとか自分に自信があるとかは親の育て方もあるんだろうけど、たった10歳そこそこでそこまで「イケメン」然とした行動ってとれるもんだんだろうかって思う。
あのな、カツラって高いんだよ。
だからな、超良く出来てるカツラとかびっくりするぐらい高いの。
それでな、せっかくだから覚えて帰って欲しいんだけど、カツラには4種類あります。
安い。簡単。気軽。
使ってみたこと無いはてな女子は一度製品調査のつもりで使ってみると良いよ。
簡単。気軽。長寿命。
たぶん想像してる値段はコレかな。
3万円~100万円くらいまで。まあ良く出来てるよ。
高価。寿命有り。
声を大にして言いたいが、テレビに出るような人は大抵コレ。
あのな、「カツラを見れば稼ぎが解る」とか言われてたんだよ。
100万円とか、まあザラだな。
怒らないで聞いて欲しいんだが、女性は自分のハゲを嫌がります。男女差別とか言わない。
女性は男性のハゲを嫌がるじゃないの。女性は自分がハゲ頭になるの、嫌なのよ。
だから、例えば病気で抜け毛が酷くてハゲになった女性向けのカツラは、別に良いだろ?
そして、もしそういう女性が身近にいて、カツラであることがバレバレだったとするな。
その女性に『バレバレのカツラをかぶり続ける意味が分からない』って言う?
それね、『オマエ、ハゲ隠したいのにカネ持ってないの?ハゲな上に貧乏なの?』って言ってんのと同じだから。
ブサイクネタで迫ってくる女性芸人も、すぐ食うデブネタを織り込んでくる一般人も多い。
でもな、やっぱり酒宴で相手から持ちだすんでもなければそれ指摘しないのが一般常識というか、礼儀だろ。
やっぱさ、坊さんでもなけりゃ営業職なりスーツ着る仕事でな、ハゲはキツイのよ。
今でこそボウズとかファッションとしてアリになってきたけどさ、最近よ?
スーツ着てネクタイ締めるのと同じでさ、カツラもかぶるわけさ。
人毛だったりするし。痛みもしますよ。
コレがね、メガネとか靴レベルの装身具ならアリかもしれないんだけどな。
女性同士でウィッグの品質について言い合ったりは、なんかあるみたい。
熟女に「化粧濃いっすねー、ドーラン?歌舞伎?」とか聞かないだろ。
「そんなに濃く塗らなくてもシミ・シワあるのバレバレっスよ?何考えて化粧してんスか?」とか聞かないだろ。
確かに昨今の技術革新は凄い。良いカツラも植毛技術もチョットどうかと思うレベルで上がってきてる。
でもね、そんなに定期的にお金は払えないのよ。カツラには愛着もある。高いし。
オマエさんがハゲになったとき、良いカツラ50万円を5年に1度は買い換えられる富豪なら、不思議に思って当然だ。
カツラは高い。そして人はそんなに定期的にハゲ隠しに大金は払えない。富豪じゃないからだ。
バレバレの相手にオマエが金を出して新しいカツラを買ってやるんでないかぎり、黙ってろ。
ハゲた女性のカツラを指摘するのが人権侵害だと思うなら、男だってそうだよ。
(蛇足。元デブが元デブの写真持って痩身コンテストに出るのと同じで、そういうの好きな人もいる。当然死ぬほど嫌な人もいるからな)
結成秘話を語る際に、もともと彼らが所属していたバンドのことがバッサリと捨象されていた。
ボーカルの絵音と休日課長はインディゴラエンド。いこかはマイクロコズム。
ちゃんまりはしらねーが、彼らの生い立ちをバッサリきっちゃったんだよ。
これはやっちゃいけねーと思うと同時に、悲しくなった。彼らのこの番組への構成への認識に、悲しくなった。
ゲスの極み乙女というコンセプトはこの21世紀も十数年が経過したこのJPOPの地平に本当に当意即妙に馴染んだ。
馴染んだ。馴染んだんだ。それはいいのだが、それまでには曲折が絶対にあって、それがインディゴラエンドでありマイクロコズムであり、そこで彼らが演出していたキャラクターなりイメージなりだったはずだ。その積み重ねの先にゲスに極み乙女があったはずだ。なのに、それはもう捨て去ってしまって、いまNHKでSONGSをやっている。それが悲しい。ことさらに悲しい。
公平を期すために(?)、私の年齢を書いておくと今年30になる。ゲスの極み乙女に注目するにはいささか年を取り過ぎている。でも彼らがそれぞれ元いた環境でやっていたことが、面白い具合にコラボレーションしてキラーボールという曲が生まれて、それを聴いた時、私はそれに感動したのだ。平成の初めくらいからバンドを聴いてヒットチャートを追って、インディーズにそれなりにそれなりに目を向けて年を取ってきた私が面白いと思ったのだ。それはとっても嬉しいことだった。
それが今見たら、その歴史性というか時の経過がばっさり捨象されてしまい、そこには「今」しかなくボーカルの絵音が何か知らんが若い人に何か言っていた。これほど空虚なことはない。彼らはそうした過去を塗りつぶしてゲスの極み多めというスタイルを表出しているが葛藤は無いのだろうか。いや絶対にあるのだろうが、それを乗り越える選択をしたからこのようにNHKで振る舞っているわけだ。蓋をして頑張って、若い人になんか言ってるわけだ。もちろんこの選択に是非を問いたいわけではない。ただこの様態が悲しい。ただそれだけだ。
まず、絵が下手でも面白いマンガがある、ということは絵の上手さは関係ない。
じゃあ、ネームっていったい何なのか、ものすごく抽象的に言えば、それはいつ、どれくらいの情報を見せるか、という技術。
マンガに限らず、面白い話には、適切な情報を伝えるための定型がある。
視線の動かし方で、読者に気持ちよさを伝えられる。単調な画面は(多くの人にとって)つまらない。
気持ちよく視線を動かし、肝心な箇所では気持ちよく情報が入ってくる。これがマンガの面白さの基本だ。
マンガでいう情報とは、キャラクターや状況・世界観の説明だったり、話の展開など。
後からいろいろな技法でこれらを装飾はできるが、まず基本のこの部分ができていないとつまらない結果にしかならない。
ネームより前の基本段階に設定とかテーマとかいろいろあるじゃん、ていうのは面倒くさいのでナシで。
あと肝心の「絵」も情報なのですが、これは複雑すぎるので省きます。
(レイアウトはどうか、ベタ・空白の割合は、線の太さ、ストロークの数は、トーンは、、、)
要するに上記の、「いつ、どれくらいの情報を見せるか」の方法がぜんぜん違う。
マンガはアニメと違って、ただ見てるだけでは話が進まない。読者自身がコマを順番に追い、ページをめくって、物語を組み立てていく必要がある。
そのためには、読者に対し、ページ内でどういう順番でコマを見ていけばよいのか、コマの中の情報はどう受け取ればいいのか、わかりやすく示す必要がある。
マンガ家は普段からこのことに心を砕いているが、アニメやゲームの作者は違う。彼らは、アニメやゲームでの情報の見せ方に心を砕いてきた人たちだ。だから違和感が出る。
マンガは視線の快楽と書いた。では読者の視線はどう動くか、どう動けば気持ちいいか。
視線がどう動くかは、基本的にコマ内のポイント、表情や台詞、擬音などの「点」を順番に見る。
ちなみに視野というものは広いので、どこか一点のポイントを見ながらも、同時に次に視線を動かす先のポイントを探している。もともと視線はスムーズに動きたがっているものなのだ。だから、これらをわかりやすく見せる必要がある。
また、視線の角度(ポイントの配置)がゆるやかだと時間を長く感じ、急だとすばやく感じる。
だからアクションシーンでは鋭角に、会話や日常シーンでは鈍角になるよう視線を誘導する。
このように視線誘導と情報の提供が一体化されることで、読者はマンガを楽しく読めるのだ。
見開きの場合、マンガのページは右ページの右上から話が始まり左下に情報が流れる。そして左ページの右上へ続き左下に流れ、ページをめくらせて同じことを繰り返す。
ページの流れと同様に、コマ内でも情報は右上から始まり左下に行く。
だから、左ページの一番最後の、ページをめくらせるためのコマは、話の次の展開が気になるコマにする。
そして右ページの一番最初のコマは前のページからの流れと、そこから展開が続くコマにしなければいけない。起承転結の「結」と「起」。
そして途中から見てもある程度内容がわかるように、最初のコマ(または複数コマ)は5W1Hが(最低限)わかるコマになる。
マンガは1ページ5~7コマが基本。1ページ5コマと仮定した場合、見開きページでは1コマ目が「結」「起」、10コマ目が「転」になるようにコマごとに情報を振り分ける。
(ここでいう起承転結とは、物語内のサブエピソードやシーン毎の小さな起承転結。これが連続して大きな起承転結になる)
ネームとは、いつどれくらいの情報を見せるか、ということだと書いた。では適切な情報量の目安は何か。
リズムのずれた音楽は聞いてもらえない。マンガも同様。他のメディアも同様。話はリズムが大切だ。
しかし、音楽や映像と違って、マンガは読者の時間を支配できない。
そこで視覚情報の多寡でリズムを作る。リズムのある文章、の絵バージョン。
そしてリズムは一定では退屈で、バランスを考えアクセントも入れる必要がある。こうして大まかな情報量の配分が決まる。そして細かく検討していく。
アクセントにする箇所は他と差別化するために、情報を増やすか、逆に情報を搾る。
大ゴマの場合、前のコマは小さくしてアクセントを引き立たせる。密度の高いコマの前は密度を少なくする。その逆もまた然り。
これらを先ほど書いたページの内容に合わせて配置する。こうしてコマ割ができる。
長々書いたが、超大雑把にこんな感じだということです。
また単純にネームの話にしても、物語情報の部分は上手くいってても、レイアウトや絵の選択を間違える、とかいろいろあります。
(「驚愕のシーンで顔のアップ」という場合、どの程度のアップか、絵の密度、キャラの視線の向き、汗の位置、台詞の有無、など)
そうなってくると、もう複雑すぎてわけわかんなくなるので、個別に作品を掘り下げていくしかないです。ただ、そういう「絵」の情報の選択の基礎になるのは、やはりネーム(何をどう伝えたいか)です。マンガ家によってもネームの扱いが違ったりもしますが。
http://anond.hatelabo.jp/20150910215231
からの続き
自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。
僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端の研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。
いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。
そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語、英語、世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会、政治・経済、倫理、科学と人間生活、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しかし高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省のサイトで過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。
まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文・漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文と漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文・漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから、中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。
英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外を放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。
次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。
日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい。地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。
公民は、現代社会、もしくは政治・経済+倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。
理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。
科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領が改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙なラインだ。これは勉強必須だなあ。
あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須。
まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。
え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもうホントかんべんしてくださいよマジで。マジで……。なんぞこれ……。1ミリもわからん……。死にたい……。
マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分は理系なのだとばかり……。マジかよ……。
嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。
まずは本屋で数Iの参考書を立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学の参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。
参考書とドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。
算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである。
算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスとマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学の最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省の陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。
そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそがギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。
つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズのケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実の認識が必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ。
そのとき「バタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。
そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。
数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。
それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書をパラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学をちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。
よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。
まずはまた本屋で参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学のときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学のときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイトに実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。
いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気でちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師はあくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学や物理の実験を映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端の研究の現場のリポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。
よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽のエネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれたときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。
さらに日本史、世界史、数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。
試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後の若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史」なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代そのものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。
高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。
次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたい。しかしおかげで緊張はほぐれた。
英語はTOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。
そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。
科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。
1日目、無事終了。
2日目。地理。海外放浪のときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。
世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。
地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。
2日目も無事終了。
試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。
1ヶ月後、試験結果が届いた。
全科目合格だった。
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。
数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。
あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。
方程式、定理、法則、電気、磁気、エネルギー、素粒子、宇宙、銀河、太陽、地球、生命、遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力、支配、隷従、社会、自由、イデオロギー、宗教、民族、言語、貨幣、法、国家、議会、政党、福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション、条約、為替、貿易、経済。
時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。
そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。
人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。
それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム。
どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。
だから僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。
セクハラの相手は元友人。私の秘密を知り、それをタネに恐喝をされ半年間以上恐喝とセクハラを繰り返している。
具体的には、パソコンでの作業中机の下にもぐってスカートの中を見られる、太ももを触られる、服をめくられ写真を撮られる、等。抵抗はするものの、脅されたり敵に回すのが怖いため、少し強めに”やめて”という以上のことができない。私が我慢すれば何もかもうまく回るんだったら我慢したほうが楽だって思ってずっと我慢してきた。
”結婚しよう”と言われた時も、彼を敵に回さないため”うん”と言ってしまった。
また、その友人は私に味方を作らせないためか、他の学校関係者や友人との関係も制限され、必要以上に親しくする、楽しそうに雑談をする、笑顔を振りまく、お礼を言う等をすると秘密をバラすと脅してくる。我ながらうまいやり方だと思った。
そんな気持ち悪いことをされている事、それ自体が恥ずかしいのでしばらくは誰にも言えなかった。
それに、何より
”ブスの自意識過剰”
というふうに、思われることが本当に嫌だった。
もし私が美人だったら
って思ってもらえるかもしれないけれど。
というわけで、地元の友人には恵まれているのだけどやっぱり一部の人にしかこのことは言えていない。
っていうかこういう目に遭うまで、”セクハラや粘着をされるのは美人だけ”っていう偏見が私の中に少しばかりあったので尚更。
さすがに最近はエスカレートしてきて、もし勝手な行動をしたら撮った写真を学校の人達にばらまくということをほのめかされているので勇気を出して学校側に相談。これは立派なハラスメントだそうで、校長の判断によっては停学や退学などの処分が下るそうだ。
でも、処分が決まったあとも怖い。
私は例の制限のせいで、現在学校内に親しい友達は無し。その元友人は普通に友人関係を築いている。
そのことからきっと、もし停学・退学の処分が下っても、学校の皆からしたら私が彼を停学・退学に追い込んだ酷い加害者ということになるんだろうな。
彼は上手くやったなって思う。やり方もそうだけど、ターゲット選びも含めて。
反対している人間の全員が全員、「戦争法案!」「徴兵制!」などとやっているわけでもないだろう。
結局、民主主義だなんだ言ったところで、すべての情報が開示されているわけじゃないんだから、今やっていることが是か非かなんて、判断の下しようもない。
今は、隠された裏の事情が分からないまま、それを各自が想像で補って賛成だの反対だのやっている。賛成派は「中国が!」って思ってるんだろうし、反対派は「アメリカの覇権維持に自衛隊を使うなんて!」って思ってるんだろう。でも、実際の所は分からない。
もし、隠された裏の事情が分かれば、安保法の整備は今やっておいて正解だって思うかも知れないし、逆にこんなの絶対許せないって思うかも知れない。
安倍内閣は、国民に対して本当のことを言わないままに、安保法制を成立させようとしている。それだけは確かである。多くの人がその気配を察しているから、これだけ反対意見が出てくるのである。
政治をやっている以上は、国民に開示出来ない情報もあるんだろう。それをどうこう言うつもりはない。問題は、事情を伏せて事を起こして、結果責任を負う人間が誰もいないということだ。
今回の安保法制のおかげで自衛隊がどこかに派兵されていって、戦闘に巻き込まれて戦死者が出たとする。そうなったとき、誰がその死に対する責任を取るのか?
どうせ靖国神社に御英霊だなんだって仰々しく奉って、「この死は無駄にいたしません」とかなんとか、しかめっ面の一つも作って、結局は誰も具体的な責任を取らないまんま、話を終わりにしちゃうんだろう。
それが透けて見えるから腹が立つし、信用ができんのだ。
新国立の問題だって根は同じだ。誰も責任を取らない。この国の中枢にはびこる「無責任の体系」が存続する限り、同じようなことは今後も続いていくだろう。
「事情は言えないが、ともかく俺に任せてくれ」と言われたとき、「よっしゃ、任せた」と言えるのは、そこに信頼関係があるからだ。
日曜の満員。押し込まれて奥へ。この人が痴漢だとは全く気づかなかった。不覚。
そこからすぐにスカートめくられ触られる。抵抗するも無理。もちろん声は出せない。いや、悔しいね。
書くと悔しさ3倍。結局20分近く触られっぱなし。お尻、前、胸とフルコース。こういう人は押し付けもする人多いけど、今回はしてこなかった。
前の人、絶対気づいてたのに笑ってたよねあれ、
触られてる時なに考えてるんだろうって思う。
昔から声なんてだしたことないから、そもそも声出そうとすら思ってない。
というか、気づかれたくないってのが強いんだな。そりゃそうよ。スカートの中て入れられて胸も触られてるのを見て欲しい人なんていない。
昔は、どうして声出せないんだろ、ってずっと頭のなかぐるっぐるしてた。
今は、なんでこんなことされてるんだろ、って感じ。私こんなことされるようななんか悪いことしたかなって。
愚痴です。
当方30代前半、既婚子無し。夫の両親と同居中。
中途で入って1年めくらい。社員は私を入れて10人足らずの事務所です。女性は私一人です。
もともと仕事自体がそれほど難しい内容でなく他の社員さんでもできることを社長の意向で電話や入り口の受付は女性がいいというくらいの気持ちで入れたらしいです。
最初の面接のときから見た目や態度について気を使ってほしいようなことは言われたので、自分なりに努力はしています。
ですがスカートの丈についてもっと短くと言われたり、メガネはプラスチック製フレームは禁止と言われたあたりからちょっと?と思うようになりました。
社長が言うには「社会人としての服装のマナー」がそのスカート丈やメガネフレームの素材なんだそうです。
最近ややエスカレート気味になってきて、飲み会(回数がかなり多い)に強制参加になったり、その場合にはかならず社長の隣に座るように指示を受けるようになりました。
私は既婚だし舅が食事の用意にうるさいのでできたら早く帰りたいのですが、病気などでもないなら会社行事を優先しろと言われて仕方なく従っています。
他にも私が普段使用している電話をわざわざ社長が兼用にしたり(使ったあと加齢臭が残って不快)、事務所に一つしかないトイレに私の後にわざわざ入っていったりということをされてかなり精神的につらいと感じることもあります。
ただ仕事内容はたぶん他の会社の事務職さんよりかなり楽ですし、残業もほとんどなく飲み会のない日は定時上がりが普通です。
先日かなり社長や他の中年男性からの行為をつらく思い姑に相談をしたところ、「条件がいいんだしそれも給料のうちと割り切れば?」と言われました。
確かにこちらが不快と感じることは多いですが、世間一般のひどいセクハラのように胸や尻を触られたりホテルに誘われたりという直接的なものはありません。
ですが給料のうちと割り切るのもなんだか腑に落ちない気分です。
夫は自営業なのでやや収入が不安定なところもあるので仕事はすぐにやめたりということは難しいのですが、今後やはり我慢をしていかなければいけないのかと思うとかなり気が滅入ります。
女の子に女装を強要され全身をコーディネートの上、人の多い繁華街を連れ回されたい
(ううこんな人がいっぱいいる所に来たら絶対女装がバレるよおお……)
と生きた心地がしない状態で女の子に「大丈夫似合ってるからバレないよ」って慰めにもなってないお褒めの言葉を頂きたい
そして唐突に人気の少ない裏路地に引っ張られたと思ったらスカートをがばっとめくられ
「女装を人に見られて興奮したんだ?」
と薄布の下で元気ハツラツにスタンドアップしていた我が分身を白日の下に晒されたい
耐え難い羞恥にもじもじしているとスカートから手が離れていってちょっと名残惜しいかもと思ったら
2月の初めくらいから精神状態が最悪になり、日常生活はひどい有様だった。
食欲も無くなり痩せた。ちょっと前までは過食ですごい太ったのに。
体が重く、将来の色々な不安にがんじがらめにされ動けなくなる。
何もしない日々がどれだけ続いただろう。
何もできずに焦り、体調が悪くなる、悪循環。
ただ、こんな状態でも、人を好きになったりはするんだな、と。
正直なところ、振られてもいいやって思ってた。
片想いしている状態が辛くて、吐き出せたらいいなくらいな、救いを求めるような気持ちで。
「私で、いいんですか?」
「(いやむしろ、僕でいいんですか?)」
一歩踏み出した自分には自信を持ちたいと思う。
そんなにすぐには変われないと思うけれど、少しずつ、変わっていきたい。
女子高生という子どもが、電車内という社会で、痴漢という性被害に遭うことについて https://note.mu/ogawatamaka/n/n209d5eb2807f
反応ブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/ogawatamaka/n/n209d5eb2807f
痴漢の話題だとだいたいそうなんだが、それでもぼくはやってないシンドロームというか、冤罪被害だってあると水かけ論を仕掛けてくる男性が一部に発生する
なぜか被害者の告白に同情をよせることも忘れて「俺たちだって被害者予備軍である」と主張する一群がいるのだ。
冤罪被害の話なら、別の場所で増田やnoteにでも書いて、そちらでまた議論したきゃすればいいと思うのだが、
なぜか、現実の被害者の前で、実際に冤罪に巻き込まれたわけでもない人が被害者ぶっているわけだ。
この痴漢問題に関して、男女両者の間で齟齬が起こるのはなぜなんだろうと考えると、
男性から見た場合、自分の性衝動にある種の後ろめたさを持つ男性が、彼らの性衝動の存在を非難されてるように感じているという側面があるのではと思う。
一方で女性の多くは、ごく子供のころからライトな性被害にあっていて、さらにその被害をライトに扱われてきたという側面がある。スカートめくりやらブラ紐引っ張りとか、そういうやつ。
スカートめくりの犯人の児童は、もちろん先生から怒られたりかコワモテのクラスメイトに追いかけられたりする。
そしてなぜか、被害者であるはずの私たちまで、隙がある方も悪いとかスカートめくられたぐらいでいつまでも泣かないの、とか、まぁそういった感じの割とひどい扱いをうける。
個人経験で一番ひどかったのは、スカートめくりの執拗なターゲットにされて泣いて担任教師に訴えたが「○○くんはあなたのことが好きなんだから」とか言われたことだ。
このごろは、先生によってはかなりきちんと対応する場合もあるようだが、加害者へ罰と被害者へという注意喚起のバランスがものすごく悪いと大人になった今では思う。
反応ブコメにも同性の女性から心ない言葉を投げかけられるという報告があったが、小学生には性被害のセカンドレイプなんて概念があるわけもなく、
そういう被害にあうのは私が悪いからだ、と、思ってしまうのだ。
子供のころから男からの性被害体験を積み重ねてきた側と、痴漢冤罪におびえる人が話をしていたら、そりゃかみ合わない。
冤罪をことさらに言う人は、女性のほとんどが実際に何らかの性被害に会ったことがあるということを頭に置いておいてほしい。
数で比べても不毛極まりないけど、実際に痴漢冤罪で捕まったことがある男性の数と、痴漢されて泣いたことがある女性の数の差を考えてみろ。
noteは、男性にも痴漢被害者がいるという話で締めくくっているが、やはり少数派なんだろうとは思う。だからこそ想像しろよ。頭の上に乗っかってんのはカボチャか何かか?
最後に。
痴漢の話のときに決まって出てくる、満員電車が悪いと思い、口に出す人たちに
あんたらが満員電車に乗らなきゃ、少なくとも冤罪被害者にはならねーよ、という言葉を送る。
痴漢が電車の中でしか起こらない犯罪だと思っている、想像力ミニマムのおめでたいカボチャ頭に幸あれ。
結局、性犯罪をどう減らすかなんてことには興味がまったくなくて、「自分が冤罪被害者になる可能性」からしか物事が考えれられないから、そういう些末な想像しかできないんだ。
「男向け」「女向け」にみる区別アレルギー 〜ダサピンク現象のズルさと危険性 - YU@Kの不定期村
「ダサピンク現象」なる言葉はもはや単なる侮辱語でしかない。「セクシスト」「ミソジニスト」とかと同じ。
そんな言葉を面と向かって投げつけてくるような人間とは関わるだけ損なので、まじめに取り合わないほうがいい。
>男性の“決めつけ”を批判する単語が、使用者の“決めつけ”の上で用いられる。
同意する。
「ダサピンク現象とはおっさんの『女性向けならピンクだろ』といった思い込みで残念なものが作られる現象」とか言ってる奴がいるけれども、
それなら単に「おっさん案件」とでも呼べばいい話。ダサもピンクも関係ない。
エスパー魔美にもあったように、
たとえおっさんが飲んだくれてハナクソほじりながら偏見と思い込みでデザインしようが傑作は傑作だし、
若い女が入念にリサーチして寝食忘れてデザインしてもダサいものはダサい。
「まるでおっさんが思い込みでデザインしたかのようなダサいピンク色だ!」って、それはおっさん差別だろう。
角川文庫の「女を読む。女が読む。」は2013年と2014年で2つのサイトがあるが、
id:pokonanはどういうわけか2013年版の画像を持ってきている。
http://www.kadokawa.co.jp/onna/
http://www.kadokawa.co.jp/onna2014/
2014年版ならそもそも「ダサピンク」という中傷は必要なかったのにね。
Twitterで「ダサピンク」を検索すると暗澹たる気持ちになる。
「めくら」や「きちがい」が言葉狩りにあったように、ピンク色自体が不穏当とされる日も遠くないだろう。
「ダサくないピンクもある」?
それの応用系だか発展形だかわからないけど
自分の会社の消費者はひとりでも多くほしいが、自分の会社の労働者は少なければ少ないほど良い
と考えているよね。
世の中、労働者に払う給料が回り回らないと消費者もいなくなるのに、なぜか経営者はそれは気にならないらしいよ。
究極には、盗んだカネで自分ちの製品を買ってくれても構わない、と考えているんだろうか。
まあ、労働しないでもカネが貰える(誰だか分かるよね)存在は確かに存在するので、「回り回って社会が成り立つ」という理論は論破されてしまうんだろうけど。
だれかサスティナブルとかナントカの外国語のめくらましでも利用して、回り回るほうが当たり前だ、という動きを作ってくれないかと思う。
いままで30年くらい生きてきて、触れずに過ごしてきたことをちょろっと後悔した。
いや、後悔と言ってもぜんぜん遅くないというかむしろ早いほうだと思うんだけど。
なにしろ、客席の平均年齢が70歳くらい。(中には90歳くらいでは?という人も)
若い人は着物をお召しの人(習ってるっぽい)や外国人観光客が多かったね。
で、何がいいって、なんつーの。まず、フィジカル。
想像してた倍くらい動きがゆっくりで、想像してた倍くらい声がでかかった。
あれアスリートよ。オペラ歌手とかもすごいけど。また質が違う感じ。
あと鼓もすごい。音も信じられないくらい響くんだけど、すごいのが誰もタイミングを合わせようとしないの。
タイミングが合ってないのに誰もあわてない。
合ってないんだけど、合ってる。
何言ってるかわかんねーと思うけどそうとしかいいようがない。
売店で、謡本ていう台本みたいなのが売ってる。
(そこの版元が創業350年とかちょっと意味分かんないくらい歴史が長い。)
それ買ってパラパラめくってると、何言ってるかわかる。
逆に言うとそれがないと何言ってるかわかんない。
(狂言師だけは例外でなんとか現代人にも聞き取れること言ってたけど)
で、館内でも謡本開いてる人がそこかしこにいる。
舞台が進行していくと定期的にページをめくらなきゃいけないんだけど、
みんな気を使ってかそーっとめくる。
静かなシーンで、館内の色んなとこでパラパラいうのが聞こえてきて、それがなんだかすごく粋なんだよ。
舞台上の能楽師にしてみれば、謡本ばっかり見てる人に思うところがあるかもしれないけどさ、そう思ったわけよ。
話の内容も謡本のおかげでよくわかったよ。
なんつーの、すごく引き算的というかさ、ま、このへんはおれの陳腐な言葉を尽くしてもしょうがないよな。
過去みた娯楽のなかでぶっちぎりで平均年齢高かったけど、だからって二の足踏むのはね、もったいないですよ。
長々と回しもんみたいなこと書いたけど、館内の人口ピラミッド考えたらさ、いてもたってもいられなくて回しもんになりたくなっちゃったんだよね。
だからとにかく、観にいこう世!ってことです。
25歳の男ですが、結婚について考えがまとまらないので書き出してみます。
①女性側の思考への猜疑
みたいな?多分これが本音なんだろうなと感じている。(男の、『二次元美少女、パイパンロリ、オレだけを好きな美少女、三次元はカス』と同じくらいの意味の無い話ではないよね?)
とすると、オレみたいなブサメンに片足突っ込んだ底辺フツメンくらいだともうトキメキとかは絶対ないんだろうなとは思う。
イケメンが好きなら、絶対オレなんて見ないんだろう。ハゲが無理というなら正直髪に自信が無い。
年収600万も、がんばれば30代後半には行けるかもしれないが、確率10%くらいだろうか。
じゃあ、無理じゃん。と感じている。努力できるラインにも立てない。
容姿を清潔にと言うが、だいたいスーツしか着てないし、美容院でセットシテもらってるがそれでも底辺フツメン。
電車に乗って、「ああ、これが世の平均点ですね、佐野史郎が偏差値60くらいのレベルですね」って感じで、そういうフツメンって多分女は見向きもしないだろう。
じゃあ、コミュニケーション?と思うのだが、いわゆるいじられキャラにしかなれない自分としては厳しい。
仕事でがんばっている、夢を持っているか?というのがまたときめくらしいが。いや、、、どうでしょ、、、。
スキルをコツコツ積んではいるけど、がんばって並のレベルについて行けるけど、手を抜いたら2年以内に解雇でしょうね、程度の能力しかないので夢とか持てないってのがリアル。
でも逆に感じるのが、「女性は結婚できないとヤバいのに、その条件で結婚できるの?」ということ。でも、ぶっちゃけ女ならセックスで釣れるんだろうなあ、余裕で彼氏くらいはいつでも作れるんだろうなあ。とは感じる。
多分、それで釣れる男の中から結婚できそうな相手を探すのであって、セックス相手としても申し込みが無い自分には推し量れない世界なんだろうなあと感じる。
②結婚への猜疑
結婚に対してデメリット情報が氾濫している。メリット情報は抽象的なものが多い。
月の小遣い3万というのはまあ耐えられるかもしれない。
しかし、エロ動画やエロ漫画が見れない、オナホールもダメとなると、これは辛いと思う。個室ビデオにでも行くのだろうか?
これはキツい。
しかし、メリットも普通にある。家族がいると社会保障なりローンなりが会社から支給されると聞く。
また子供を養うにも奥さんがいないと厳しいだろと感じる。よつばとみたいにはいかないだろう。
仮に独身で子供がいたとしても、子供のためにお母さんがいないとまずいと思って必死に婚活するだろうし。やっぱり子供を持ちたいなら奥さんが必須でしょう。
がしかし、奥さんは多分オレを必要としないんだろうな、いらないんだろうなとは感じる。どー考えても人間性的に欲しい人間じゃ無い。
③カノジョすら面倒くさい
なんとなく、
飯を誘って→カラオケ行ったりして→ノリでセックスして→なんとなく付き合う。
このストラテジーを試して、メールの仕方覚えたり、セックスの経験積んだり、トークの仕方を練習したり。
『彼女の作り方』というゲーム自体が面白かったのであって、『彼女』自身にはまったく興味が無かった。
面倒くさいメール作り、面倒くさいデート、面倒くさい会話、面倒くさいセックス。
ただただ面倒くさかったが、「オレは世の平均的な遊びを攻略できるぞ」ということを確認したくてやっていた。
当然、彼女もまったく美人だったりかわいいとかも無い。山瀬まみとか、みたいな、そういう感じのばっかりだった。
彼女達は、なぜ付き合ってるのが楽しいかとか意見を言ってくれてたけど、その一つとして共感できなかった。むしろ、「その程度のことが楽しくて付き合ってるのか、くだらねえ」と感じていた。
「いっしょに居て楽しい、幸せをいっぱい共有できたら~」と言っていたが、そりゃそうだろ、こっちはあんたを楽しませるために肯定し続けて話聞き続けてやってるだけで作られた楽しみを享受させてやってるだけなんだから。
④レンタルでよくね
ヘルスなら5万くらいでリアルではオレなんか見向きもしない美人とセックスできる。
会話の楽しみを得たいならスカイプで学生と普通にいくらでも会話できる(面倒くさいとしか思わないが)。
20後半の女性は結婚とか意識しだしてだるいけど、20前半ならノーケアな女性とつきあえる(レベル高い女はオレでは絶対無理だが)。
セックスよりオナホとネットでオナニーを充実させる方が性衝動だけなら100%正しい。AVレベルの女とやれるなんて相当金積まないと無理だし結婚なんて100%無理。
2次元美少女なんて高望みすらできないがAV女優レベルの容姿の女と結婚できますっていうなら、その場で一生奴隷でも良いですっていうくらいに結婚はしたい。
超絶美少女となら、二つ返事で結婚したいよ、みづなれいとか希志あいのや原サオリレベルの女ならどんな扱いされても一生つくせる自身あるよ。
こう考えてしまうと、セックスとか精神的な充足とかはほぼレンタルで済ませる方法を考えた方が遙かに良いし、しかも効果もものすごく出る。
当たり前だが、同級生の親は皆結婚していた(離婚とかシングルとかもあるけどさ)
そう考えると、オレが結婚できないのはちょっと大丈夫なのか?とも感じる。
結婚しないと生涯にわたるメンタル保全とかリスクあるんじゃないの?
結婚できないってのは結婚したいと思える女性とつきあえない生物的な淘汰じゃないの?
そういう考えは常にある。
常にあるから、なんらかの明確な答えが欲しくなるんだけど。
若さに甘えて結論出さずに来たけど。
25歳。
焦るべきならば焦るべき年齢なんだろうと感じる。焦って効果は無いかもしれないが、なんらか自分が見えてない答えがあるのかもしれない。
焦るべきか分からないことに焦っている。