はてなキーワード: 黒歴史とは
増田だから恥ずかしくて黒歴史になってしまいそうな話を書いてしまおうと思う。どこかに吐き出さないとしんどい。
付き合って長い恋人がいる。
今までは親しい交友関係がほとんど無に等しかったから恋人しか周りにいなかった。
その中の一人が好きになってしまった。たぶん。でも恋人が嫌いになったわけじゃない。だから今はそのまま何も変わってない。
けれどつらい。その人と付き合えたならという気持ちが消えない。自分かと思うくらい考え方の癖も境遇も好きなものも喋り方も似ている。話していると楽しくて、いつまでも喋れる。もし恋人がいなかったら告白していただろうな…とか考えてしまう。その人が自分を好きだという噂も流れて来たし、自惚れかもしれないがたぶん気持ちを伝えれば付き合えただろう。でももう恋人がいるから知らないフリをして、ただの友達ですよ、それ以上ではないですよというそぶりをしている。楽しく話せる機会があったあとは帰ってから大変苦しくなる。
そのくせ、今の恋人と別れてもきっとつらいはずだ。恋人だって好きだ。長年付き合った情もある。自分の勝手で恋人を傷つけたくないし、会って話すとやっぱり素敵だしかわいいなと思う。これだけ長い間、大した喧嘩もなく穏やかに過ごして来れたのだから将来きっと穏やかに過ごせるだろう。一生懸命頑張っている姿を見て、尊敬できる人だ。
今の恋人との付き合いが長すぎてマンネリしているだけなんだろうか。今まで人との関わりが少なかったから、新しい交友関係が刺激的で一時的に迷いが生まれてるだけなんだろうか。
少なくとも今はたぶんどちらも好きなんだと思う。先に出会ったのが恋人だったから、付き合っている。
浮気は道徳的に、というのもあるけど自分がそんなに器用じゃなくてつらくなるからやれない。どちらか、あるいは両方を諦めるしかない。自分など大して魅力的な人間でもないのにこんなこと考えるのもおこがましいのだけど。
NVIDIAと組んだことが裏目に出る気がして仕方がないのだがどうだろうか。
NVIDIAはGPUでは唯一の成功者になっていてGPGPUだDeep Learningだと元気がいいが、
Android 3.x HoneycombはNVIDIAが driverを公開しないためにAOSPの黒歴史扱いでなかったことになっているし、
TEGRA K1はすぐに後継のTEGRA X1が出てSDKが禄に更新されなくなり、
TEGRA X1は車載メインだが自動運転などさせようと思ったら非力だ。
lainはネットワークに繋がった人類から発生した集合無意識。
脳波と共鳴して意識をハッキングする能力を持つが、人間から生まれたためか悪意の塊で、
玲音の友達アリスがオナニー中の私室に玲音の姿を投影して登場し、ネットにアップロードして神と呼ばれる。
玲音は人間にインスコされたlainで、lainの能力に目覚めたことで一連の黒歴史をネットと脳から抹消することに成功する。
しかし常人の感情がわからなかったので、アリスと自分にだけ元の記憶を残し、能力自慢をしてアリスをさらに混乱させて追い詰めてしまう。
こんなつもりじゃなかった、そもそもlainさえいなければこんなことにはならなかった、全部lainが悪い。
観終わった最初の感想は、漫画『聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。
まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画を馬鹿にするといった内容ではない。
映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、
そのせいで映画『聲の形』(以下、映画)しか漫画『聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、
そしてこの世で漫画『聲の形』が漫画『聲の形』という作品でしか伝えられなかった、他のラブストーリーや青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。
この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、
本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品『聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。
これはステマではない。
なお漫画のネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。
これはステマではない(繰り返し)。
そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。
単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット、再構成されている。
その点だけでも漫画と映画は全くの別物と言っても差し支えない。
しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。
要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。
つまり、私が問題にしているということはその再構成で漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。
制作スタッフは映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。
分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、
生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、
この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。
漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。
主人公・石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズの描写がされており、
小学生時代の石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラスの手のひら返しにも憤慨するだろう。
映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、
石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ちが映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。
漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快ないじめや生々しい描写で刺激しつつ、
当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、
というのが最初の石田と西宮の出会いで、だからこそいじめた本人である自分が友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。
つまり、最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田の心理描写を読者に刷り込ませるためには、
石田の所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ。
それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。
作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、
と判断され軽減・外した、というのが制作スタッフが再構成で行ったことだ。
ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。
そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニの作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、
映画『聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。
でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、
その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。
帰ってレビューに目を通すと、やはり石田の心理描写が把握しきれていなかったり、
障碍者としての西宮の葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、
そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。
西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、
石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、
やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である。
聾唖の人たちからの意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為の副作用となっている。
ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。
これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術・創作の完全敗北と言い換えてもいい。
とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすいコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。
それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。
家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。
一体、映画を見た人の何割が石田と自分を重ねることができたのだろうか。
嫌な汗はかくことができただろうか。
漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田が自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、
前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮の友達になるというスタートで物語が始まる。
石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。
この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分が過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識に石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。
今風にいうと黒歴史を人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。
過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。
それをやらなかった映画が石田に対する感情移入がバラバラなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまったからだ。
普通、そこまで思い返すほどのトラウマや黒歴史を持つ人間は少ないので、
その場合は石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。
そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまりは黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、
どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去と石田・あなたはどう向き合っていけばいいのか。
石田が黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、
最初は不快感を感じていたはずの石田・自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田を応援しだす。
けれどこれからの西宮・未来は泣かせないように行動することができる。
過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。
ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。
漫画では西宮の家庭環境や小学校の教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、
この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。
その最後の結末が、読者のこれからの背中を押す形で終わっている。
生き続ける石田と現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。
そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。
他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、
それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。
「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品の面白さでもある。
◆
『聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。
本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。
消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、
一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ。
そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。
読んでいる人間が石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ。
大ヒットをしている。
そう、思った。
映画館で聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。
ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…
号泣イベントだと思うけど、自分の披露宴含め泣いたことなかったけど、妹の「母への手紙」で号泣した。
「私はお姉ちゃんと比べて出来の悪い子でした、大学も行かず彼氏も作らず」
これは母の言葉だろう。そういう事をいう人だ。でも若干母親disになっちゃってない?
「フリーターになった時に『就職しろ!』と叱咤激励してくれたおかげで…」
結構黒歴史だと思ってたし、プロフィール紹介でも避けてくれていた部分だけど、言ってOKなのね。
こんなスタートで、全部が本音っぽくて、色々と思い当たる節もあって、胸に迫る内容だった。
父が亡くなって、最近母に彼氏が出来て第二の人生をスタートしているけど、
その辺にも言及してた。
自分にはとても作れない内容だった。
自分の披露宴では、まず普段呼んでる「パパ・ママ」はNGだと本で読んで、そうかとお父さんお母さん呼称にしたんだけど
まぁ全く気にせずパパママで呼んでるし、
フリーターのことや母の彼氏のこと、その他色々と自分にとって「当たり障りがあるかもしれない」内容を
素直な言葉で読んでいた。
私はできなかった。
手紙の内容も本当に思い付かなくて、テンプレ集みたいなのを買ってそれに沿った
当たり障りない内容だったと思う。
他人の人生は知る由もないけど、妹のエピソードはそれが実際にあったことだと知っているから
私は号泣だが、母も出席者も大いに泣いていた。
母は私の手紙をどう思ったんだろうなぁ。
ふだん呼ばない「お母さん」とか言ってるし、内容も小奇麗だしで
うすら寒いと思ったのかな。それも含めてお姉ちゃんっぽいなと思ったかな。
うちは両親の仲が悪くて結構崩壊している家庭だったけど、なんでこんなに素直で屈託なく育ったんだ。
凄すぎた。圧倒されたし、正直打ちのめされた。
JCJKが好むリア充映画だと某所で見たが、それは少し違うと思う。
やたら女子力が高く女の子走りしたり頬染めたりカフェ大好きと、THE萌えアニメヒロイン!な三葉がただただ気持ち悪い。
ストーリーは童貞が描いた理想の恋愛のような気持ち悪い歪な青春像。
キャラクターとストーリーという骨子が萌えアニメで、背景美術と音楽、全体のリズムがエモーショナルな作り。
だから「君の名は。」は「一般人も観れる萌え豚・子供向けアニメ映画」であって、リア充映画でもスイーツ映画でもない。
あと、主人公二人が結婚するところは全然想像できない。すぐに別れそう。
まあ、すぐ別れそうな恋愛物語という意味では非常に少女漫画的で、たしかにJCJKが好みそうではある。数年で黒歴史になると思うけど。
意識高い系大学生とプロブロガーの悪魔融合が世の中に大量の「ブログしか書けない人」を作る!!
ttp://www.tm2501.com/entry/2016/09/17/083321
とあるのだが、青二才は自分がシロクマ医師から3年間ブロックされた時の経緯を忘れたのだろうか。
もともとは彼が、安易に意識の高い友人がアホな道を選択したときにそれを後押しするようなことを言いだしさすがにこれはあかんやろという話からシロクマ医師に飛び火したという経緯があるのだが。
やぎろぐと同じ年のころ、お前もおなじようなことやっとったやーん! なに偉そうにいっとんねーん!まず自分の反省しろやー!
バカばっかりの悪友達へ-僕はただ、君の一番の「悪友」でありたいver2.00-
ttp://d.hatena.ne.jp/TM2501/20121017/1350423259
の記事で久しぶりに注目されたTM2501。
犬紳士氏がこの記事についてコメントし、それに対しシロクマ先生がリプライ。
悪友の件でどう揉めたかは下記参照。
で、その時の記事をちゃっかり消しながら
ttp://www.tm2501.com/entry/20121017/1350423259
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/tm2501.hatenablog.com/entry/20121017/1350423259
こういうことを書くのは感心しませんな。
どうやってるのか知らんけどweb魚拓まで念入りに削除申請して消していってる。
どれもこれも、当時内容が変だよって指摘されたら俺は間違ってねえって開き直った記事ばかりだぞ。
今更になってやっぱり間違ってたと認めるのかよ。
しかも、こうやって誰も気づかないようにこっそり消すってのがだせえ。
この時とばっちりで3年間の活動自粛になったシロクマも浮かばれないな。
ところで、この時の
何度も言ってきたが、僕は文章で次々と周りを変えてきた(略)はてな村では「若手三大ブロガー」の一人として、はてな村民予備軍や村民を僕が作ってるし、大物村民達からも注目の的となっている
「宇宙世紀でユニコーンガンダムと呼ばれていたMSが、黒歴史とまで呼ばれる歳月を経て発掘され、月のギンガナム家の施設軍隊で使われるようになった」という設定で、南条光が作成したガンプラ。
宇宙世紀より劣化した西暦の技術で改修されたため、高出力のビームマグナムなどはオミットされており、近接戦闘に特化している。
特徴は製作者の「変身願望」を実現した、ユニコーンモードからデストロイモード改め「ミンナノミカタモード」への変身だ。
本来のユニコーンはニュータイプに対して反応して変身するのに対して、こちらは味方のピンチに反応して変身する。
その仕組みはなんと、バトルフィールド中に散乱した「プラフスキー粒子」を吸収し、自身のパワーにしている。
しかし、普通にバトルフィールドに満ちている「プラフスキー粒子」を取り込むのは難しいため、味方のガンプラから露出したもののみを吸収している。
そのため、南条光以外の2人を先に倒してしまうと、どんどん彼女が強くなって行く。
「もしレミが死なずにオブライトと共に100年3世代を駆け抜けたら」という妄想で、喜多日菜子が作成したガンプラ。
あくまで一兵卒にすぎないオブライトにそこまで極端なカスタマイズをするわけにはいかない、という妙に現実的な妄想のためもあって、通常のクランシェから大きな改良は加えられていない。
しかし、喜多日菜子にとって「本編での悲恋が成就した」という「妄想」は格別らしく、完成度がとても高い。
・棟方愛海:バーガ・ハリBS-R(アルゴン・プロミネンス+アウクソー仕様)
「超帝國の剣聖「アルゴン・プロミネンス」が薔薇の剣聖マドラ・モイライの肉体を介して星団に帰還するも、その桁違いの騎士とての力を制御する気が一切無い彼女のパワーを受け止めきれるGTMは今現在の星団には存在し無かった。
なんと彼女にとってはツァラトウストラ・アプターブリンガーですら役不足で、彼女のパワーを受け止めきれず壊してしまっていた。
しかし、何故かこのバーガ・ハリだけは慎重に扱い、決して壊す事無く制御していた。
彼女のその肉体に宿るいくつかの精神の一つにとって忘れられない記憶であり、決してその他の人格に漏らしたくない自分だけの記憶だからだ。
また純血の騎士を目の当たりにし、GTMコントロールが再び可能となったアウクソーをパートナーにしているが、バーガ・ハリBS-Rからすると、元の持ち主の元カノと、元の持ち主の子供の父親のパートナーという何だか微妙な修羅場に巻き込まれているようで可哀想」
全く進まない話、主人公と敵キャラがひたすら大した奴だ…と言われ続けてるのにとても低レベルな頭脳バトル、キャラから作者の操り糸が見えるかのような展開。
素人が自分の賢さを見せつけようと無理に拗らせた話を作った時に陥りがちなミスが目白多しだ。
雑なら雑なりに話を進めて押し切ればいい、丁寧に描写するなら話の密度をその速度に合わせて濃くするべきだ。
普通の人間が薄い話をダラダラ進めてもオサレじゃないBLEACHにしかならない。
BLEACHが面白かったのはカルピスの原液自体はそこそこの濃さがあった事と薄めていたのがただの水ではなくミネラルウォーターだったからだ。
こんなただ薄いカルピスを水道水で薄めているだけの漫画じゃ20週で打ち切られるのは間違いない。
そして恐ろしい事にこのペースで続けた結果20週しても全く物語は進まないだろう。
それこそ孤児院の中でダラダラと作戦会議をしては「これはもしやまたママの時間稼ぎか」「まるでママ博士だな」「大した奴だ」と言い合ってるままで終わりの時を迎えるかもしれない。
せめて脱出はして欲しい。
あのベルモンドですら一応地下室からは出れたのだからせめて最初の踊り場までは打ち切りの前に辿り着いてくれ。
読者が抱えているこの不安を作者は分かっているのだろうか…。
リジェのファンが現在進行形で黒歴史歩んでてやばい。何がやばいって、黒歴史を歩んでる自覚がないのがやばい。
黒歴史作ってるのはまだ10代の若い子も居るだろうし、成人済みの人も居るだろう。つまり大人も子供も関係なく思考がひん曲がってるってことだ。
過剰な続編への期待と絵師・スタッフへの配慮の無さについては既に文句かましたから此処では言わない。ただ、その思考もファンとしてどうなのって思うし今でも怒ってる。でも今回言いたいことはこんな内容ではない。作品潰しの話。
さて、回りくどい事は書かない。単刀直入に言うと、ディア❤︎ヴォーカリストのファンが過激になってきた。過剰なファンはディアラバ→マジフォーと戦地を動いてきてマジフォーで落ち着いてるのかと思ったら全くそんなことはなかった。2015年のリジェフェスではあんなに穏やかすぎるラブメだったのに、今ではツイッターがファンの間で常に焼け野原。私はディアヴォの続編が欲しいなら円盤積めとは言ったが焼け野原にしろとは言ってないぞ。
ここで出てくるのが「同担拒否」の話題である。私は同担拒否なんて興味ないし寧ろ好きにやってくださいってスタンスなんだが「同担拒否だから同担を潰す」という謎の理念については断固反対だ。同担拒否なら自分でシャッターを閉めろ。潰し合った結果、どちらかがリタイアしたらどうする。売り上げが下がるだろ。潰した方がその分の金を積んでくれるなら全く文句は言わないが、これで売り上げが下がったらただでさえ赤字なのにもっと赤字になるだろ。察して。これで赤字が深刻化して次が無くても文句は言えないぞ。こういう行動と言葉が矛盾してるから何にも考えてないファンは嫌いなんだ。だいたい、誰が何をツイートしようがその人の勝手だろ。裏でぐちぐち文句言う暇があったら大喜利に勝てるようにネタ作れよ。
ツイート拾われなかった→病む は本当にどうぞご勝手にという感じなのだが、中の人がうんたらと文句垂れるのはやめてくれ。拾われなかったのはあなたが大喜利に勝てなかっただけだ。座布団貰えなかっただけだ。彼等もサバイバルをしているように、我等もサバイバルをしているのである。誰がどのバンド担当であろうがリプ送るのもその人の自由だ。拾われた!ずるい!羨ましい!を妬みに変えるあたり流石女という印象。かくいう私も女なので気持ちは分かる。私だって推しにリプ送りまくってようやく拾われたのはラストのノーミートファンミだった。他の人を羨ましい!と何度も思った。でもここで文句言ったところで仕方がない。あなたがリプ送らなければ倍率がー、とか言う奴はチケット戦争に難癖つけてるのと同じである。リプの内容や推しが違うのにという理由で難癖つけてる奴のリプに赤字で採点して送ってやりてぇ。何度でも言うがツイッターは大喜利だ。みんな平等で、面白い人が勝者なのである。タダでこんだけ楽しめてる世界にまずは感謝をしようじゃないか、という考えには至らないのだろうか。恩恵に気付かぬのは悲しきことよ。
次。グッズ。聞いたところによるとwarmsとシュヴェスターはグッズ回収厨が希少らしく、枠に入らないかとスカウトが沢山来るらしい。それで派閥があるとかどうとかなんとか。派閥って何?ジャニーズかよ。6人で固まって愚痴とか言うの?暇かよ。こういうくだらない話題がスレで話題になってるとか「は?」としか言えないし、マジで作品潰すの好きだな。どの作品にも大抵過激な思考の人はいるが、ここまでのぶっ潰しあいはディアラバ以来の酷さだし、マジで引く。ファンが減ったら売り上げが減って作品が死ぬってのが分からないのか。ディアヴォが黒字だったらこんなこと言わないけどね。赤字だから言わざるを得ないと思ってこの記事書いてるんだが、そもそも赤字という自覚はファンにあるのか?
こういうことを大人もやってるってのが信じられない。ストレートに書くけど馬鹿なの?他に噛み付くんじゃなくて自分でシャッター閉めて自衛して見えない状態にするとかできないの?側から見たわけじゃないが、そんな事が起きてるという事実が恥ずかしくて堪らない。どの目線から言ってんだよと言われそうだから書いておくが、仲間の尻拭いは仲間がしなければならないのだ。不祥事が起きたらそれは連帯責任。私達は個名で向こうに把握をされているわけではなく、ファンという大きな団体名で把握されている。だから誰のケツでも拭くのが当然だと思ってるし、不祥事が起きる前に何とか平和な世界に戻ってほしいのだ。しかし、この事を自分の名前を出して言ったところでそれはフェアじゃない。どうせスレに持ってかれるだろうし(叩かれたらどうしようと胃を痛めてるとは言えない)、それなら匿名で愚痴っぽく書くしかないなと思った。
私はスレを見たわけではないし、見たいとも思わないし、見ようともしない。見たらスマホぶん投げると思うから。見てない奴がー、とか言う人に言いたいのは「見てない奴がこんだけ事情把握してるんだから相当燃え上がってるんだよ」ということ。ファンが過激だから、と疎遠になる人がいたらその分の売り上げなんとかしてほしい。私は作品の格が落ちようがファンの質が落ちようが、ぶっちゃけ恥ずかしいだけで然程興味ない。此処で売り上げが減って予算確保できなくて続編できません!ってなった時のファンの怒りが嫌なだけ。おめーーーーらのせいだから!!!って私が噴火するのが嫌なだけ。そうです、自己中です。それで攻撃されるスタッフさんが一番しんどいし心配だし私はスタッフさん&会社クソクソ贔屓厨なのでこのスタンスは一生曲げません。贔屓だけど、なるべく中立な立場から全体を見てるようにしてるし、つまらなかったら「つまらない」ってちゃんと言ってる。
余談ではあるが、私は所謂箱推しに近い形で彼等を追っている。友達が「ジュダ先生めっちゃ余る」と嘆いていて「おう、ごめんな…」という気分になる。何を隠そう私は虫螻だ。私はグッズ厨ではない。グッズは1個あれば十分だし、痛バは年に1度しか持ち歩かない。グッズ交換大変そうだな、まぁ頑張れというスタンス。グッズを沢山持ってるから愛が〜、とかほざく人は好きではないが、グッズを集めることに対して否定的ではないし、応援の仕方は人それぞれという考えである。
しかし!CD買わずにグッズだけ買う人は「理解はできるけど納得はできない」ってやつである。まぁね、CD買わなくてもアプリで聞けるもんね。
馬鹿野郎。
缶バッジ300円のやつ10個買ったら3000円だろ!? 1 枚 買 え る じ ゃ ん
なんでそこを躊躇うの?なんなの?円盤つむつむするのが続編への一番の近道だって知らないの?知らなかったなら仕方ないけど今覚えたよねさぁ円盤買って。「お金がない」は言い訳。稼いで。お金がないなら我慢して。お金を支払って作品を聴くんだから。なんでタダで作品提供しなきゃいけねーーーーんだ。慈善家か。話が逸れたから此処までにしておくけど、もうちょっと利益とかそういうこと考えてほしい。
長くグダグダ書いてきたけど言いたいことは8割くらい書けた気がする。最初は「ぢあぼファン怖くなってきた近寄らんとこ」って気分だったけど最近は「ヒェェァwwwwこあいwwwwww」と笑い飛ばすことしかできなくなったし、この状態がスタッフさんに知られたら…と思うと恐怖でちびりそうになった。ジュダ先生こんな女がファンやっててごめん。
とにかく黒歴史を作りすぎである。もっと周りをよく見て。あと若いからって許される話ではない。若いからこそ此処から大人が根性で矯正しなきゃいけないのだ。その役目を担うはずの大人がドヤ顔で若い子を攻撃してるんだから呆れるばかり。どちらも黒歴史量産機ですか。もうディアヴォは一回全部焼き払って無の地に還したいと願うくらいには手がつけられない状態になってます。みんな頼むから落ち着いてくれ。昔のディアヴォを返してくれ。こんなことになるくらいなら人気にならなければよかったのに。こんなことになるくらいなら続編やらなくてよかったのに。ヴォーカリスト達が悪いわけではないから、此処が更に私の感情を捻らせる。どうしてこうなってしまったんだ。
今はヴォーカリスト達にリプを送るのも躊躇ってる。この炎上に巻き込まれるのは御免だからだ。だから、この事に関して愚痴るのはこれが最初で最後になる。長い文章を読んでくれてありがとう。平和なCR69で会おう。
初音ミクが発売した当時、私は中学生でインターネットはごく当たり前のものとなりつつあった。
でも今の中学生と比較するとやっぱりまだまだパソコンを使えない子もいたし持ってない子もいた、そんな時代。
初音ミクと出会ったきっかけは定かではないが、多分、Flashサイトを見ていた流れで見つけたんだと思う。当時の私の中では涼宮ハルヒの憂鬱と同じぐらいブームだったから。
ニコニコ動画ではなくYouTubeの転載されたもの。曲名は「メルト」
最初は、人が歌った楽曲だろうと思って再生した。人の声とはちょっと違う合成音声に衝撃を受けた。
その後は関連の動画からひたすら初音ミクという単語を追っかけまわし、ひっくり返し、貪るように聴き続けた。
初音ミク、どうやらパソコンで作った声らしい、ボーカルの代用品で歌を歌うソフト、DTM、バーチャルアイドル・・・・・・
色々なサイト、公式ページを読んだけど中学生にはこれぐらいの印象だった。
率直にそう思った
そしてこれは黒歴史になるんだけど、若かりし頃の私は布教活動を始めた。あぁ本当に中学生ってやつは…
お昼の放送に曲をかけてもらおうとCDを持って行ったり、合唱でボカロ曲を推薦したり、休み時間にかけたり…色々とやった。
その甲斐あってか割と浸透したように思う。今でいうウェイ系の子にも認知されていたし、卒業生の合唱曲を桜ノ雨にしたいからみんなで投票しよ!みたいな動きもあったし。(でも卒業式は結局、定番曲になった。本当に良かった)
ボカロの認知度は高いんだ!と思い込み、のめり込み、音楽はボカロとアニソンしか聴かなくなった。
カラオケに行った。ド田舎の中学生には行く機会が限られているからそれはもう歌うぞーと意気込んで向かった。
もちろん歌うのはボカロとアニソン。それしか聴いてなかったからね。
3曲
私の初音ミクのピークは高校1年生ぐらいまで続き緩やかに下降していった。
高校ではオタク友達が出来た。友人らはニコ厨でもあったので話が合わなくて苦労したとかはなかった。むしろ話は合うし私もプレミアムニコ厨になるしゲームも復帰しちゃうで充実してた。ぼっちオタクで死にそうとかではなくてすまない。
ピークは下降したと言いつつも、人間の曲を聴くことは少なくやっぱりボカロ曲を聴いてた。
高校生ともなるとカラオケの敷居は下がり気軽に行けるようになった。数年ぶりのカラオケ、曲を検索してビックリした。
鏡音リン・レン、MEIKO、KAITO、巡音ルカまであった。
曲数も倍以上、知ってる曲はあらかた歌える。
浦島太郎の気分だった。
その後はもうなんかめまぐるしくボカロ曲は増えていくし新しいPも増え、新ボカロは発表されて……
ライブイベントなんかも催され完全にミクさん芸能人です本当にありがとうございました。
今では幅広い年代に知られ、ライブもあり、割と一般の話のネタとしても使える。
ミクさんが受け入れられていくことが、世間がミクさんを広めていくのが嬉しい。
それと共に、ファンの心理として寂しい気持ちが生まれるのはもちろんある。
でも昔の方が良かったとか今のが悪いとかそういう気持ちはないよ。
小さいコミュニティでしか認知されないより大きな世界でミクさんが知られていく方が断然いい。
今では好きなPさんの楽曲を中心としてボカロ曲を楽しんでいます。
これからもよろしくお願いします初音ミクを筆頭としたボーカロイド各位様。
ずっとミクさんを見てた一般人の戯言でした。
その子とはよく一緒に下校していたんだけど、ある日の下校中に彼女が
俺が人が来たらすぐに言えるような形で見張りに立ち、彼女は草葉の陰で用を足した。
その日以来、何故か彼女は下校中に催すことが多くなり、
最初は彼女が完全に見えない場所で背中を向けて見張っていた俺に
最終的にはしゃがんで用を足す彼女の目の前で、向かい合わせで見張るスタイルになっていた。
要は完全に丸見えスタイルである。小学生の性癖なんて、そういった知識がない分、
いつどんなものが目覚めるのか予想もつかない。今思えばアレは彼女に芽生えた特殊な性癖だったんだろう。
その後俺は小5の終わりに転校をし、その後彼女とは一切会うことはなかった。
そんな中、わずかに親交を続けていた当時の男友達数人と久々に飲む機会があり、
幹事はその男友達の内の1人が請負い、旧友に手当たり次第に連絡を取っていくことに。
当然「誰がくる」という情報は流しているもんだから、俺が来ることも連絡内容には入ってる。
俺は心の隅で(あの子今何してるのかな。とてつもない変態になっていたらどうしよう……)などと考えつつ、
(まぁ普通はそんなヘビー級の黒歴史を知っているヤツがいるなら顔を出さないか)と高を括っていた。
ところが同窓会の2週間ほど前、幹事が送ってきた出欠名簿の彼女の名前に「○」が付いていたのである。
これには流石に驚いたが、30手前になって昔のことを掘り起こす程俺も野暮ではないので、
当日はそのことに一切触れずに、普通に楽しもうと思っていた。
同窓会当日。
会社員は休みの土曜日だが、サービス業に従事している連中もおり、
会場の居酒屋に徐々に人が集まってくる感じで同窓会はスタートした。
俺はとりあえず在学中に仲が良かった連中と座り、昔話に花を咲かせていた。
暫くしてトイレに立つと、入り口あたりでキョロキョロしている同い年くらいの女性がいた。
「あの、もしかして○○さんですか?」と声を掛けると、彼女も「あ!?××君!?」とすぐに俺だと気付いた。
彼女は仕事帰りなのか、黒ジャケットに白のスラックスといった感じで、
ショートカットがとてもよく似合う、所謂「カワイイ系」の女性になっていた。
「今は銀行で受付業務をしてるんだ」彼女はハキハキした笑顔でそういった。
いつの間にか隣同士に座り、気が付けば思い出話を肴に、結構な数のグラスを空けた。
(この調子だとあのことを完全に覚えていないか、もしくは俺が覚えていないと思っているな……)
正直少し残念に思った俺もいたが、まぁそれはそれで、と楽しく過ごしていた。
暫くすると幹事が「そろそろ店を出なければいけないので、
2次会行ける人はカラオケに行きましょう」と言い、その場はお開きになった。
俺は少し離れたところに住んでいるのでここいらで帰ろうと考えた。
するとおしっ子が酔いのせいで赤くなった顔で、
「もう少し××と話がしたい。2次会行こう?」と俺のシャツ裾を引っ張った。
正直に言おう。この時点で俺は(今晩は『宿泊費』という出費がかかるな)と確信した。
カラオケに移動する。人数が多かったので、2部屋に分かれた。
おしっ子は女性陣に引っ張られて別の部屋に行きそうになったが、
「××と話がしたい!」と勢いでこっちの部屋に来た。
もう一度正直に言おう。この時点で俺は(今晩の為に今からは水を飲もう)と決めた。
俺とおしっ子も時々歌いながら話をしていた。内容は居酒屋での話から更に進み、男女の内容になっていった。
おしっ子は2年前に彼氏と別れて以来、ずっと独り身だと言った。
「俺もそんな感じで独りなんだよねー」と言うと突然彼女が俺の太ももに手を置いた。
(キタかッ!)と思うと、彼女は俺の耳元で「ゴメン。ちょっとトイレ。どいて」と言って、部屋を出た。
拍子抜けしながらも俺もタバコを吸おうと思い、彼女の後に続いて部屋の外に出た(部屋は禁煙)。
そこに向かっていると、トイレの前で立っているおしっ子がいた。
「どうした?」と声を掛けると、
「うちらのグループじゃないけど、吐いてる女の子と介抱の子がいて、中に入れない」とのこと。
「別の階のに行けばいいじゃん」と提案すると、彼女は「そっか(笑)酔ってて考えが回らなかった」と言い
「じゃあ付いてきてよ」とまた俺のシャツの裾を引っ張った。
(あれれ!?まさかこれは……)と思っていると、彼女は明らかにお酒のせいではない程顔を赤くして、
「そう言えば昔もこんなことあったね…」と言いながら俺の手を握ると、
「今でもまだ見張っててくれるの?」下を向いたままそう言った。
藤島じゅん先生が『シン・ゴジラ』を白米に例えて、「みんな粟とか稗しか食べたことないの?」と『シン・ゴジラ』絶賛の空気に違和感を唱えて炎上した1ページ漫画、通称『粟と稗』。
『シン・ゴジラ』を白米に例えた上で、『いま、会いにゆきます』を酢飯の上に中トロが乗った握り寿司に例えるのはいかがなものかと思う以外は、単に「個人の感想です」としか言いようがなく、絶望的にセンスが合わなかったんだねとスルーして差し上げるべき案件なわけですが、悲しいかな今やハリウッド版を超えるヒット作としてマスコミ様にも認定された『シン・ゴジラ』を称えることは大正義となり、『シン・ゴジラ』を称えないものはヒャッハーされて輸血袋にされて当然と信じるウォー・ボーイズの皆さんによって血祭に挙げられてしまいましたとさ。本当に怖いのはゴジラでなく(以下略
というのは前置きで、その『粟と稗』へのアンサー漫画として発表された直江春巻氏の漫画(https://twitter.com/harumaki_naoe/status/767142043575422976)が、「すばらしい!」「これが読みたかった!」と大絶賛RTされまくってナウなヤングの間で話題になっているのは、正直どうよどうなのよ? 思わざるをえない。
この漫画、ネームの構成があまりにも雑というか稚拙すぎて、プロフィールに漫画家と描いてあるのを見るまでは素人の作品だとばかり思っていた。せいぜい漫画家にあこがれる小学5年生がじゆうちょうに描いた漫画くらいのレベルではなかろうか。いや、一線のプロで活躍する漫画家がその年代でノートに描いていた漫画はもっと上手いのだけど。表現力や構成力という点で比較すれば『粟と稗』の足元にも及ばないといえる。ぶっちゃけ作者が何を主張したいかが上手くまとまっているとは言いがたいので、編集者にネーム全ボツで描き直しを言い渡されてもおかしくない代物である。
正直、これを「漫画には漫画でアンサーを」といって出すのは黒歴史生産以外の何物でもないし、「すばらしい!」「よい作品!」と大絶賛している諸兄に置かれましては、本当に『シン・ゴジラ』の素晴らしさを評価できるだけの審美眼をお持ちなのかと問いたい。問い詰めたい。作品の好き嫌いなんて個人個人の嗜好に過ぎないことに熱くなって、同調圧力よろしく寄り集まってなんでもかんでも持ち上げていると傍目に恥ずかしいことになったり、刃とかはちまとかnetgeekとかに付け込まれて踊らされてアフィの餌になるんだよ。
自分が好きなものを他人が嫌いだったり、逆に自分が嫌いなものを他人が好きでいることを許せない人は、何がどうなればいいんだろう?
そこに誤読や解釈の取違いがあるのなら、それはまっとうに議論を交わせばよいだけの話ではないか。そうして初めて作品の理解が深まるというもので、議論とは相手を叩き潰すことだと勘違いしているブルーヒップなベイビー達は、3年ROMってろと言いたい。おっと勘違いするなよ? 稚拙な意見は口に出すなというわけではないからな。意見をぶつけたけっか、自分の考えが間違っていたと気づくこともまた議論だからな。SNSは自由なトーク・アベニュー、恐れずに発言するといい。ただし発言には責任が伴う。その責任の大きさはフォロワー数には関係ないことをよく肝に銘じておいてくれ。
最後になんでこんなフランクな文体になったのかよくわからないが、とりあえずいいたいことは、好きにすればいいじゃないってことだ。
既婚28♀だけど、
だと思っていた。
これって初体験じゃないんだと。。
お互い初めて同士で、最初はディープキスして服の上から胸揉まれて
ちょっと恥ずかしくて抵抗したらその日はなんとなくそれで終わり。
しばらく日を置いてから下着まで脱ぐところまで進んだけど指入れられて、痛い?って聞かれて
素直に痛いと言ったらその日はそれで添い寝して終わり。
そのあと何回かかけて、挿入。
でもやっぱり痛いし最後までできなくて実家暮らしでお金もないしチャンスも少なくてイチャイチャしたり
オーラルしたり。
そのあと付き合った人は黒歴史のような感じだけど
(避妊はした)
その時は好きだったけど、
今思えば痛いって言って途中でやめてくれるなんてなんて思いやりのある人だったんだろうと。
何が言いたいかって言うと、
自分の中の初体験をキレイな思い出にしたいって気持ちも大きいけど、あれは初体験ではなかったと思うと結構ショック。
スマホ持ってネット界隈の色んな日記やら何やらで見えてきた挿入して射精ってこだわりが強すぎて、どうしてなんだろうって。
女にとっては痛いから良い思い出って人はどれだけいるのか謎だし、
それよりも初めて裸を見せたり足広げたり触られたり舐められり舐めたりした事のほうがその後のどんな事よりも10年経っても覚えてる。
まぁ同一の相手が初体験相手って人がほとんどかもしれないけどね。
何をそんなに?ってまた昔のこと色々思い出してしまった。
騙された。
見事に駄作を掴まされた……。
いや待て途中まではそこまでつまらなくはなかった。
少なくとも最初の章が終わるまではそこそこだった。
あとお屋敷に行ってからもベア子とか可愛かったしまあそこまで悪くなかった。
特に前々から18話がすごいぞーと言われてたから期待してたのにこの18話が今まで一番つまらなかった。
というか俺がリゼロに対して微妙だと感じていたものがつまっていた。
勘違いしていきってる主人公が僕頑張ったんですよーしてヨチヨチいい子でちゅねされるシーンをひたすら長回しで見せられているのは本当にキツい。
自分にもこんな時期があったなあと思うのも辛いし俺の時は慰めてくれる奴もいなかったしプラス方面の結果が出ることなんてなかったのを思い出すのもココロが苦しい、
常に悪い方へ転がっていき転がった先で擦り剥けた心を繋ぎ合わせて自力でトボトボ立ち上がって、遠巻きに俺から距離を取っていた少し数の減った仲間の所へとなんとか帰っていくだけの黒歴史。
だがこのクサレエセヤンキーは何だ。
こいつはあの頃の俺よりもずっとクズな勘違い野郎で口に出したら全部終わっちまうような言葉も平気で言うような腐れKYの居ないほうが良いぐらいの奴なのに次々と仲間を増やして求愛までされて本当にふざけてやがる。
なんでこんな奴が俺よりも救われなきゃならない。
そしてそんな話をひたすら聞かされてるだけの20分を過ごさなきゃならん。
せめて台詞の出来ぐらいは小説として読めるレベルにしろアニメとして聞けるレベルに縮めろ。
与太話惚気話の裏に浮かぶ回想シーンの味気無さはなんだ少しは見ている側の感受性に訴えかけろただの垂れ流しじゃないか。
俺がリゼロのここが駄目だと思っている要素こそがこの作品が好きな連中や作っている連中の一押しだった事それ自体すらも不愉快だ。
いつか面白くなってベクトルがマシな方に向かうと思っていたらこれから俺の感性にとっては次々とマイナスの方向へ向いていくと宣言されたようなもんだ。
こんな事ならもっと早く切っておくんだった。
せめて3話前に切るべきだったのかも知れない。
つまらねーと思いながらも少しは面白いシーンがあるから苦手なシーンも我慢して急展開を迎えるらしい18話を待とうなんて考えるべきじゃなかった。
いやでもこれでスッキリしたとも言える。
自分が駄目だと思った所が作品の売りだと分かったのならもう切るしか無い。
勘違い野郎がヤンキーぶって甘やかされる事がこの作品のテーマなのは薄々分かっていたがその水面下で別の骨太なテーマが組み立てられている可能性なんて考えるべきじゃなかったのだろうか。
いや考えてしまっていた以上は仕方ない。
その可能性を裏切れなかった自分がここまで見てきたのも仕方ないんだ。
割り切ろう。
俺が自分の好き嫌いを知るための機会だったと思うことにしよう。
あばよリゼロ。
あと18話から超面白くなるからと言ってたクソ共、お前らが自分達だけで楽しめるだけの作品と万人が楽しめる作品の区別はできるようになれよ。
そんじゃーな異世界。