はてなキーワード: 黒歴史とは
のんのんびよりでひか姉が自慢げに携帯を見せびらかしてた時も思ったが
田舎の世間知らずの女の子が都会に憧れる気持ちは痛いほど分かるんだけど、
いまどき携帯電話であんなにも嬉しそうな笑顔を見せられると凄く心が痛くなる。
世の中はスマホも時代遅れになりつつあるのに10年位前のガラケーをあんなにも嬉しそうにいじいじするまちちゃんを見ると
何というか見てるこっちまで恥ずかしくなる、という表現がしっくりくる。
どうしてナツやよしおがまちに本当の携帯事情を説明してやらないのか、もどかしさで一杯になった。
あんなにも嬉しそうに文明の最先端であるガラケーにウキウキわくわくしてる横で
ipadでテレビ電話してる文明熊ナツとよしおを見ると何となく心の中がスッとしていく感覚がある。
アニメで一昔前の流行を見ると途端に胸が締め付けられるのは、多分当時何も知らなかった自分の過去とリンクする部分があるからなんだと思う。
そうじゃなきゃ、ガラケー位でこんなにも胸が痛いと感じる事はないはずだ。
当時は実質0円って奴を愛用してたが、3年位前から2代目のスマホを使ってる。
要するにそんな昔の話を今持ち出されたら、そりゃあ気恥ずかしくもなるさ。
多分ね、そういう事なんじゃないかって思えて来たんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160522010905
私は舞台刀剣乱舞については見ていないのでなんともいえないけど、2.5系の作品を見ていて、自分の好きだった原作のある部分が蔑ろにされているように感じられて、自分はめちゃくちゃ憤ってるのにその舞台を見た周りの人はまったく憤ったりせず楽しめていて、なんで!?って思うことはたまにあるよなあと思った。
このなんで!?には、なんで!?原作の○○な部分大事にされてないのになんで平気なの!?とかなんで!?どこがおもしろかったの!?とかなんで!?なんで私は楽しめなかったの!?とかなんで!?なんでこんな風につくっちゃったの!?とかだいたい本当に個人的な気持ちが付きまとうんだけど、でもあるよなあ。そんでもって楽しめなかったことの残念さも相まって、怒ってる人が自分だけなんじゃないかみたいな孤独さを感じたりもする。たのしいはずの趣味の話で。
なんで私は楽しめなかったの!?って思うなら楽しめるように見ればいいじゃんと思うんだけど、実際なるべく自分でもそうしているつもりなんだけど、2.5次元に関してはこれが上手くいかなかったりする。
なんでかというと私の場合は2.5次元作品には漫画なりアニメなりゲームなりで原作が存在するからで、原作が好きであればあるほど、こういうなんで!?のジレンマに直面しやすくなる。
自分の中では理由ははっきりしていて、自分が原作でいいと思っている要素が必ずしも舞台化に反映されないから。
原作にあたる作品を丸々愛しているつもりでも、その作品のどこを一番愛しているのかはその時々によって違うわけだけど、たとえばキャラクターの顔に一番魅力を感じていたら舞台のキャストの顔に解釈違いを感じることが多いし、ストーリーが好きだったら舞台化するために2時間前後にまとめるために端折られる物語になんでそこ削った!?って気持ちになったりするし、キャラ同士の関係性に魅力を感じていたら掘り下げの有無によってそこもっと掘り下げたほうがよくなかった!?と思ったりする。
キャラクターの設定的に金持ちの豪華な衣装のキャラの衣装が安っぽいペラペラの布で作られていると予算かけてくれよと思ったり、見せ場にあたる必殺技的なものが炸裂するシーンの演出がしょぼいとそこもっと熱く演出してください…って脱力したりもする。
なんかもっとほかにもなんで!?と思う瞬間はある気がするけどキリがない。
まあそんな感じのなんで!?って思う瞬間が、自分が原作で一番良い!と思ってる部分だったりすると一気に醒めてしまったり、この舞台微妙だったなあと自分の中での評価が決まってしまったりすることがある。
だからまあだいたい、同じような感じで原作を好きな友人相手だったりすると2.5次元舞台の評価も割と重なりやすく、あそこ微妙だったよね…というような会話がしやすい。それでも絶対許せない!となるかまあ微妙なとこもあったけど楽しかったよとなるかはもう個人差みたいなもので、そこで絶対許せない!となるタイプは今の2.5次元舞台を見に行く客層の中では少数派なんだろうという自覚をするのが、自分が一番楽になる方法じゃないかと思う。
なんといっても舞台を見に行くお客さんはみんな少なくないチケット代を払って劇場に行ってるわけで、それなら少しでも楽しかったと思いたいという気持ちで舞台を見にいっているはずなので、その分楽しむ方にバイアスがかかっているというのはあるんじゃないかと個人的には思っている。
なにが言いたいのか迷子になりかけたけど、だからぶっちゃけありえなかった!って思う人はたぶん限りなく少ないんだけど、2.5次元舞台見に行く中でそういう気持ちになること自体は個人的にはわりとよくあるし私はわりとその孤独に歯ぎしりしたりもするので全くそういう気持ちの人がほかにいないとは言い切れないし、あんまり孤独感に苛まれて好きなものを嫌いになったりすることがないといいなあと思った。
絶賛が多い中で感想をツイートするのがはばかられるなら、もういっそ新しいTwitterアカウントでも作ってどこが微妙だったっていう具体的な感想でもツイートしてみたら、案外同じ気持ちの人からいいねくらいつくかもしれない。
とりあえず次の観劇はなんにせよ楽しいものになるといいねという気持ち。
ちなみに私は去年ぷよぷよの舞台化したやつを見にいって作品の雑さとトークショーで出てきたセガのプロデューサーの態度に最高に胸糞悪い気分で劇場をあとにしたし見に行ったこと自体を黒歴史だと思っているけど、今後これよりも体感でクソだなって思う舞台にはそうそう出会えないなと思っていたりするしこの1年間あれ以上に腹の立つ舞台には出会っていないのでハートは強くなると思うよ。
かってのなろう小説ではお兄さま(魔法科高校の劣等生)に代表されるような圧倒的チートスペック主人公が雑魚をなぎ払いながらやれやれしてハーレムを築いていた。
たとえば今絶賛アニメ化中のRE:ゼロから始める異世界生活の主人公は元ヒッキーである。
ただしホーリーランドよろしく引きこもり鍛錬法により膂力はそれなりにあるのでそこら辺のヒッキーよりは強い。
とはいえ彼の戦闘力がチートクラスかといえば全くそんなことはない。
引きこもりを100人集めて殴りあわせたらトップ10に入れるかもしれないが健康な男子100人を集めたら30位程度だろう。
とてもチートとは呼べない。
死んだら特定の時間まで自動的にリセットされるコンティニュー能力を持っていることを含めてもとてもお兄様クラスには歯がたたないだろう。
なろう小説主人公の凡人化は現代っ子の目標と自信の低さを表しているといえるだろう。
かっての現代っ子は自分が実は特別な力を持っている可能性を信じることが出来たのでお兄様に感情移入が出来た。
また自分が実際それなりに頭がいいと思っていたりその気になれば努力できると思っていたので策士や努力家にも感情移入できた。
自分が努力できるなんて信じられないし頭がいいなんて思ってない可能性なんて感じない。
頑張ってわずかな可能性を開花させるなんてとてもじゃないけど無理なので降って湧いたちょっとした幸運を大事にするぐらいが関の山。
そんな心境が今のなろう主人公に現れているのだ。
若者が根拠の無い自身を持っている姿は実際滑稽ではあるし、後に黒歴史とした笑い者になるのも目に見えている。
それが人生のネタバレ加速によって幼少期から刷り込まれ「根拠の無い自信=人間の恥」とインプットされていったのだ。
そうして若いながら自信もなければ高い目標ももたない「賢い」子供達であふれたのが今の時代なのだ。
だが国全体で見れば挑戦心のある若者の減少は国の将来性が縮められている状態に他ならない。
「恥を知れ」と叫んで回るのをテレビでネットで現実で繰り返し続けた果てにあるのがこれである。
http://animeruze.hatenablog.jp/entry/kappurukyodoakaunto
この記事見てて、「ログアウトしました」って表現があって、いやそんなこと知らんがな、「パスワード入力中です」って表明せんやろ?と思ったわけだが、文脈を見るにそういう事ではないようで。
どうも「ログアウト」というのはアカウント破棄(退会, unregister)の意味で使われいるようである。
それにしても、「止めました」とかなら分かるが、何で「ログアウト」なのか?
について30秒ぐらい考えてみたが、イマドキの子はアプリしか使ったことが無いから、という月並な仮説に至った。
要するに、アプリをインストール→起動→アカウント登録→以後ログイン状態維持になるものだから、普段ログイン・ログアウトすることは無く、その結果、ログアウト(アプリ内のアカウント一覧から消える)=アカウント破棄、と理解されているということだ。
まず「ほーらこんなにエレン先生のエロ絵が!」とかスクショつきで呟いてる馬鹿は、何故R18でゾーニングされているものをいちいち表に持ってくるのか。不適切画像を添付して呟くアカウントとして通報されて凍結されちまえ。
そして未成年はこんな問題に関わっている暇があったらネットから離れて勉強したまえよ。
だいたい教科書の落書きとかいやーんばかーんな絵なんてのはネタ帳に描いてこっそり楽しむものであってだな、承認欲求がほしくてネットに挙げて見せびらかすもんじゃねえんだよ。まだ早い。5年は早い。
ああいうのは自分の黒歴史としてこっそりと積み重ねておいて、数年たってもつきあいが続いている友人にふと「そういやあの英語の先生、俺ネタにしてかいてた」「マジで!? 見せて見せて!」というほほえましいやりとりを経て友情を深める切り札なんだよ! よく考えろ! 友達のほうが大事なんだぞ! わかってんのか! 誰にも見せてない黒歴史ノートの5冊や10冊作っとけ! それがお前の糧になる。
この増田は、オタクを十把一絡げに犯罪者予備軍扱いする奴らと全く同じ過ちを犯してるな。
仮にオタクの中から犯罪者が出たとして、あるいは醜悪な言動を繰り返して憚らないオタクがいたとして、そいつらとお前との間にどんな繋がりがあるっていうんだ?見ず知らずの奴らじゃねえのかよ。趣味が近しいから、アニメや漫画やゲームを愛好しているからって言ったって、これだけ作品数の多い現状、全く同じ作品を楽しんでるかすら怪しい、もしくはヘタすりゃ1つの作品についてファンとアンチのように対立する立場かもしれない。そんなてんでばらばらの集団について、犯罪傾向なり品性なりに直結するような共通性や一様性なんて見出しようがないはずだろ。それをさも同胞であるかのように感じるなんて、錯覚もたいがいにしたほうがいい。好悪の対立する他のオタクとの間でさんざん口喧嘩してきた黒歴史を抱え、また最近の若い子らがカジュアルかつオープンにオタク趣味を楽しむ姿を見て苛立ちを感じずにはおれない、俺のようなオッサンオタクからすれば、オタクが集団として全く一枚岩でないことは自明だ。
こういうこと書くと「切断処理だ」なんだって騒ぎ出す奴もいるだろうが、元から繋がってないもんに切断もクソもねーだろって話。自分の好きなアニメを犯罪者が見てたから何だってんだよ。言っとくがな、お前らが視聴してた何らかのテレビ番組もどっかの犯罪者が楽しんでたはずだし、お前らが好きな何らかの食べ物もどっかの犯罪者が食べてたはずだし、お前らが打ち込んでる何らかの仕事もどっかの犯罪者が携わってたはずだ。たったそれだけの理由で、お前はその犯罪者と同列視されて納得いくのかっての、アホか。
批判にしろ擁護にしろ、個々の案件や個々の人物に対して行うべきことだろ。何故そこに勝手に共通性を見出して、集団に拡大して語ろうとするのさ。そういうの、はてなじゃ「主語が大きい」って、いの一番に叩かれる幼稚な論述の典型だったんじゃねーのかと。
「オタクを犯罪者扱いするな」って話にしたって、本質は「オタクと総称される集団が、そうでない集団に比べ、犯罪率が有意に高いなどという事実はない」という主張なのであって、「オタクは無謬だ・品行方正で犯罪などしない」なんて主張ではない。オタクの中にだってロクデナシは大勢いるだろうが、そのロクデナシ率は非オタ集団の場合と大差ない、という単純な話だ。その単純な話すら通じないアホウが未だ多いから「犯罪者扱いするな」つってるんであって。
そこを取り違って、オタク全体の擁護者たらんとしてる点で、増田は本当に「オタクを犯罪者扱いするな」側だったのか、少し疑わしい気もするが、まあそこは追及しないでおこう。
ともかく、主語の大きさだけで言えば、オタクを犯罪者扱いするのと、増田の考え方は似たり寄ったりだっつーことだ。下手の考え休むに似たりという諺があるように、こんなバカげたフレームで世の中を見ても何ら生産的でない、時間の無駄だから、そんな悩み方をするのはとっととやめてしまえ。
バーチャルリアリティって言われたらバーチャレーシングとか連想するんですけど、なんか黒歴史扱いになってない?ネーミング的に
□見せても恥ずかしくないゲームですか?
有り体に言えばクソゲーですし、下手したらゲームとしての形すら保てていない可能性もあります。
公開配信することなどもっての他です。
ここまでくると、「個人制作だから」とか「無料だから」とかそういう言い訳で中和できるレベルを超えます。
そのゲームに出会ってしまった人はもちろん、それを作ったあなたにとっても幸せな結果は訪れません。
もし、万が一それを売るという暴挙に出るのなら、モノを作ったり売ったりすることについて、あなたはもう少し考えるべきです。
「個人制作だから」とか「無料だから」とかが作り手や受け手にとっても言い訳としては機能するでしょう。
致命的なほど酷くはないので、何らかの尖った要素があれば評価される可能性もあります。
売る場合は、何度も自分自身との対話を繰り返して判断してください。
基本的にモノを売る前段階では、その価値を担保できるのは自分だけです。
ですから、何よりも自分がそのゲームの価値を信じた上で売らなければいけません。
例えば「1000円で売れる」と自分すら思っていないのに、それを1000円で売ってしまえば詐欺とほとんど変わりません。
自分で作ったものなのだから、その価値は真っ先に自分が判断しましょう。