はてなキーワード: 門前払いとは
いわゆるプログラマをしているが、60歳で定年だとしてあと、今の年齢から数えて約30年しかない。60歳で定年するとしたら最後の数年は今ほどのパフォーマンスは出せないだろうし、自分の周囲を見る限り、新しいことができるのはギリギリ40代が限界ではないかと思っている。つまりあと20年しかない。
20年。自由に使える時間としては長いのか短いのか。自分は短いと感じた。
仕事はプログラマをしているが、コンピューターサイエンスの学位はない。
だから外資系企業のjob boardに書いてある必須条件であるCS BSの項目を満たすことができない。これがずっと悔しかった。なぜもっと早くプログラミングに目覚めてCSの学位を取らなかったのか。
CSの学位を取ってマスターまで行っていれば、社会人になってからphpでプログラミングを覚えて、以来ずっと仕事でコードを書いてきた俺には見えない世界が見られたのではないか。研究現場の世界のITはどんな場所なのか。G社やM社やF社やT社で働くというのはどういうことなのか。それを見てみたかった。
仮にCSの学位を取っていたとしても外資系企業にプログラマとして転職できる可能性は高くはないと思うが、門前払いされているどうしようもない気持ちはぬぐえない。CS出身の学生ならだれでも勉強する基本的なデータ構造とアルゴリズムについてもその辺で売ってる本とネットの知識による独学の経験しかないし、webアプリばかり作ってきたせいで知識は非常に偏っている。例えばコンパイラやインタープリタについては全く分からない。
それが分かって何になる、お前の仕事はそのフレームワークに乗っかってひたすらWeb APIを書き続けることだ、という指摘はごもっともだが、それでも自分は勉強してまだ見たことがない世界を見てみたいと願った。
だから、周りに話したら多分笑われると思うけど来年とある大学院のCS系の専攻を受けてみることにしようと決めた。
CSじゃないが学部卒なので受験資格はある。受験勉強として必死にCSの学部生が読んでそうな本を読んで、数学もしばらく触ってないので高校数学からやり直して、自分が院で研究したいテーマについても考えて、面接でどう自分を売り込めばよいか考えて(そもそも院の入試の面接がどんな感じなのか全然知らんが)日々を過ごしている。
落ちるかもしれない。その時は今の職場でまた1年勉強と貯金をしつつまた翌年受ければいい。
受かって無事卒業しても再就職先がないかもしれない。それでもいいと思った。今の職場で、何も変わらない平和な毎日をのほほんと過ごして余生を過ごすよりかは、いっそ何もかもなくしてまたゼロからキャリアを積みなおした方がいい。その方が新しい景色も見えるのではないか。
いよいよiPhoneが防水・防塵に対応するとの事で、これまでAndroidばっかり使っていた私もちょっと興味がそそられます。
日本市場においてiPhoneの人気は絶大でしたが、防水・防塵じゃないという事を理由に使わなかった人は案外いるのでは?
私としてはそれプラス、iPhone独特の修理交換制度が足踏みをさせていたのではないかなぁと。
アップルストアじゃないと修理・交換申し込みができないとか、風の噂で聞いた事があるのですが、それだと不便ですよね。
キャリアショップに持っていっても、アップルストアに行ってくれなんて門前払いされたという話もあったり。
スマホって精密機器なので、多少の汗が内部に入って水濡れ判定されるという話もリアルにあるので、防水じゃないと不安
という人の意見も頷けます。そして上記アップルストア云々の話で更に面倒くさくなっちゃったり。
でもこれでそういう心配もなくなるので、iPhoneデビューしちゃう人も多いのではないかなー。個人的な予想ですが。
私は先月Xperia X Performanceを買ったので、これから最低でも2年はこの端末を使い続けますが、次はiPhoneでもいいかな
もう何年もそうかもな~とは思ってたんだけど、
部署を移ってからますますいろんなことがうまくいかなくなって、
だけど、そもそも自分がなにでこまって、どうしたいのかっていうのが全然整理できなくて説明できなくて、
「何を言いたいのかわからないんだけど」と門前払いされてしまった(感じがした)
(忘れものが多い、散らかってる、人の話を集中して聞けない、スケジューリングめちゃくちゃ苦手、予定通り実行できない、など)
「それで自分が具体的に何に一番困っていて、どうしたいのか」と聞かれると思考が止まったようになって沈黙してしまう。
それを整理するところから一緒にやってくれると暗に期待していた自分に気づいたけど、甘かったね。
明日から夏休みと終わって仕事再開、でも二日間頑張ればよくて、
今月頑張ってみて、だめだったら、もういっかい、自分がちゃんと何に困っているのか整理して、そのうえでもう一回行ってみよう。。。。
職場で実際にあった事を書く。
どっかで聞いた話だなとか実際に知ってる事業所だと思った人は、フィクションだと思おうね!
レディ、ファイッ!
コネで管理職待遇中途入社のモンスター管理職がおよそ二十年近く、女性職員達へとパワハラセクハラを繰り返す
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何人も辞めていったが問題化せず、次第に地元学校の保護者間に事業所の悪評が知れ渡っていく
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保護者質問会で名指しで非難され、地元学校複数の就職担当教師も、就職を希望する生徒に対して難色を示したり、求人の事実自体を伏せたりするようになる
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新卒が入ってこなくなって女性職員専従業務の人手が足りなくなる
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女性職員の仕事ぶりにさらに不満をこぼすようになったモンスター管理職からの当たりがきつくなる
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それまで我慢していた女性職員達もついに我慢の限界に達し、別の管理職へ問題解決を依頼する
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別の管理職はトップに相談しようとしたが、過去に話が漏れて女性職員が犯人探しの名目で詰められた経緯もあり、
過去の失敗を恐れた女性職員達の足並みが揃わずに「トップに相談しろ」「するな」で意見が割れた結果、何もできず終わる
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半年後に娘の愚痴をたまたま聞きつけた女性職員の親が事業所へねじ込んでくる
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トップが知る事態となり状況をこれ以上放置もできず、女性職員に聞き取りの上、モンスター管理職に訓告処分が行われる
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これまでも散々職員への暴力行為などで別の処分を受け、ある意味謝罪慣れしていたモンスター管理職はあっさり謝罪する
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しかし後日、モンスター管理職は訴えと事実とは異なるという主張のもとに女性職員を一人ひとり呼び出して事実確認を行う
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社内のみで収集が付かないので、モンスター管理職と女性職員と社労士とトップと別の管理職立ち合いのもと、直接対決が行われる
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大事になっている以上、女性職員達はモンスター管理職の懲戒解雇を求めていたがそれが受け入れられなかったので心情的にもう仕事はできない、と女性職員の一部が即日離職
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モンスター管理職はそれを聞き、当日有給申請、一週間ほど地元に帰る
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男性職員の手も足りなくなった上、女性専従業務が全くこなせず、繁忙期中は客に謝罪しつつ業務する形に
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別のお偉いさんに依頼して女性職員の自宅訪問させるも門前払い食らう
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社外役員会議を開催する事になり、トップが職員の意見聞き取りを行い、おおむね退職を勧奨すべきという意見でまとまる
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社外役員会議では「これ以上の処分は下せないので退職の勧奨はせず、女性職員達に弁護士を雇わせるよう勧める」という謎結論が出される
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女性職員が復職してきて業務は平常通りとなるものの、トップが「弁護士雇って対応を相談すれば」と通達しかけていたので別の管理職が止めに入る
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残りの女性職員に対して今後の対応方針をトップが指南するが、「何を言われてるのかわからなかった」との談
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人手不足の解消を理由に、もっとブラックで有名な別の事業所の娘であるトップの後妻が、事業所に来るようになる
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後妻、労働力の補充として求められた持ち場を放棄し、自由に職場内を動き回り話しかけまくりきわめてフリーダムに仕事を展開しつつ、実家であるハイパーブラック企業のやり方を推奨したり、この事業所では選択されていない眉を顰めるようなサービスを自分勝手に展開し始め、とてもイキイキ(職員は総スルー)
↓
今ここ
これまで職場の体面をずっと気にし続けていたトップが、いきなり醜聞を恐れぬがごとき対応に出始めた理由がよくわからない。
やるなら自分達で弁護士雇ってやってね!職場関知しないから!で済む話ではすでにないんだが。
後妻は子育て終わってこれまでもちょくちょく旦那の職場で働きたがっていたんだが、内助すらまともにせず働く以前から人格を問題視されていたレベルなので全員から避けられていた。
実は俺も働く気が起きない一人。
どうしようもない事だって分かってるのに何もする気が起きない。
ニートと違ってこちらは何十回も足繁く就職活動をしているが、はや4年。何の成果も出ていない。
また、この状況が続くので障害年金を受給するなどして打開する人が少なからずいて、
俺もその一人になりたかったのだが。
しかし、発達障害はたとえ精神の2級を取っていても障害年金を受給する事が叶わない。
いわば八方塞がりの状態にある。
厳密には広汎性発達障害や自閉症などは一応(働いていれば)3級以上が貰える事例が出来ているけど
俺の場合は違う。
ADHD、俗に多動性注意欠陥障がい(注意欠陥性多動性障害とも)は障害年金の対象になっていない。
また、ADHDはその特性から求人自体が少なく、応募の際に電話面談でお祈りされる事がままある代物だ。
要は何処へ行っても仕事の当てはないし、生活保護的な障害年金の受給も不可能という障がい者差別の中の障がい者差別を
モロに受けてしまっている。
今日の就職状況では発達障がい者のほぼ全てに当たる人が支援A型事業所で日々訓練しており、
パソコン技能やフォトショ・イラレから軽作業等々の職業訓練学校で学ぶ限度の作業を全て熟しており
はっきり言っちゃえばその辺の健常者たちよりもずっと優秀かつ勤勉な人が多い。
例えば、落とした求人企業はてんかん持ちや新型うつ病の人ですら何人と受け入れている実績があるにも関わらずだ。
如何に不公平か。
ハローワークでは、発達障がい者に対して表面上は差別なく色々な求人を紹介してくれるし、求人企業も発達障がい者を受け入れる体勢を整え始めている、と言っているが
実際に応募してかれこれ大手中小問わず22件に応募したが、書類で必ず落とされる。
無論職業訓練の事も資格も豊富に書いてあるし、前職についてもしっかり余白なく書いた。
キャリアカウンセラー数人に修正やアドバイスを貰って出来た自分の中では完璧な履歴書と職歴書を送った。
年齢もまだ30に達していない20代後半。
また、いわゆる大人の発達障害ではなく、先天的な子供の頃からのADHDだったりするので
これまで色んな人に理解されず偏見を持たれながらも一般の学校、大学、大学院まで学んだ。
それでも駄目だった。
ちなみに一般枠で行くと同じ企業では面接まで通して貰えた事がある。
やはり発達障害には求人の門戸が閉ざされているのかもしれない。
だから働く気が起きなくなってくる。
全てが嫌になってくる。
だけど、そうは言いつつも何とか今までやって来れてるのは
訓練している事業所や同じ障害を持つ仲間、家族や医師、障がい者専門カウンセリングのお蔭だろう。
こんなにも優しい人達に支えられてるのに、本当に何年も就活して何も成果を得ていない。
これもう俺に死んで生命保険とかで報いろって言ってる様にしか思えない。
だけど人一倍生にがむしゃらなんです、俺。
アベノミクスで正社員や非正規社員の採用数が爆発的に急増しました、というニュースをちょくちょく見る。
これが身体や知障なら大歓迎なんだけどね。
酷いんだよ。
あいつら目に見えて障がい持ってる奴ばっか優先的に採るけど
俺みたいに脳ミソに障がいのある、目に見えない障がい者は全く障害者枠の意味なく落とされるんだ。
今度また2社に応募するんだけど、また落とされるんじゃないかな。
書類で。
面接だけの奴も駄目だ。
ちょろっと話して後は書類選考になるんだよ。
で、落とされる。
はは、ふざけんなよ!
上手い事発達障がい者だけ抜け穴があるかのように落とされるんじゃ
もう就職なんて無理じゃんか。
実質就職無理な今のご時世なのにうつ病とか軽い障がい者の受給はいけるのに
俺みたいな働けるのに働けない、結果働く気が起きなくなる発達障がい者に対して
このままでいいのかよ。
さっさと就職出来る様にしろよ!それか障害年金受給できるようにしろよ!
働く気が起きなくなるなんて嘘だからな!
俺は働きたいんだよ・・・。
働きたい。
命を捨てるのはさいごでいいんではないでしょうか?
まだ途中ではないですか。
結婚でも就職でもそうですが、それらをするよりもその状態を維持するほうがもっと大変です。
しんどくなったらまた死ぬ死ぬ言うんですか?思うんですか?ってことです。
自分の人生なんだから好きにさせてくれというのなら止める権利もありませんが、
昔のお話をしますと、そもそも「足きり」というものが存在していて、憧れの企業にエントリーすらできなかったんです。
しかも提出書類はすべて手書きに限られていました。なので吟味して選択して絞って受験していました。
なので3社うけて3社合格は当たり前だったんです。
今のしくみでは自分の大学や実力以上の会社でも門前払いを受けることなくネットからコピーペーストで簡単に受験ができるようになっていて
そりゃ100社うけたの200社受けたの簡単にできるでしょうし、ライバルも同様に多いでしょう。
しかも専願なんてのは皆無で実力のある人が複数の内定をもってるの、くやしいけど仕方ないと思います。
自分の実力を鑑みて人材ニーズに合った企業を選ぶようにすればきっと受かると思います。ぼちぼちやりましょう。
親世代の人からみてしくみが違うのにやんや言われるかもしれません。
会社の上司は親世代の人ばかりです。説き伏せるのも勉強と思って感情的にならずに難しいという事実だけ伝えればいいと思います。
自分のペースでやってください。
16歳のとき好きで好きでどうしようもなくてきっと結婚するんだろうなと思っていた彼氏がいた。一つ上、他校の男の子だった。
彼は高校に女友達がおらず、私以外の女には目もくれなかった。けれど大学生になった途端好きな女が出来たから別れて欲しいと言う。泣いた。
ガン泣きしてメールだけ(LINEなんてものはない)は毎日してほしいと言った。してくれた。
その女には恋人がいたので彼はその女を諦め私のところに戻ってきた。でもまたすぐ好きな女ができた。家まで行った。門前払いをされた。
その日はどうやって家に帰ったのかいまでも覚えていない。
私を別れて好きな女2がセックスさせてくれないのだと言って私に連絡をよこしてきた。私は彼に会いに行った。まだ好きだった。
その後また付き合ったけれどダメだった。
それから一年に一度くらい連絡が来て私は彼と会っていた。自分からは絶対に連絡しなかった。断られる確率が100%だからだ。
もうすぐ彼と出逢って10年になる。
彼が好きすぎてどんな男の子に出逢っても彼と比べてしまっていた。お陰で二十歳を超えてから恋愛なんてしたことがない。
そんな私に好きな人ができた。
好きなジャンル、友人経由で知り合った男性だ。年上かと思ったら年下だった。落ち着いている男の人はみんな年上に見える。
異性として見ていなかったので毎日ツイッターで仲良くさせてもらっていた。一緒にゲームもした。
この間一緒に遊んだ時に私がなくしてしまったものを探してくれた。男の人に優しくされたのは久しぶりだった。
友人に報告をすると、「死ぬまで高校時代の彼氏が好きなんじゃないかと心配していたから嬉しい」と泣いてくれた。
正直私もそうなのだと思っていた。上記の彼はそろそろ結婚をしたのではないかと踏んでいる(二年ほど連絡がない。彼が私に連絡をしてくるときは彼女がいないときだと相場が決まっているのだ)。
でも片思いなんて十年ぶりだ。しかも年下の彼とは家が近いわけでもなく、新幹線で片道一時間はかかる距離である。流石に毎日会いたいなんてことは言えるはずもない。
つい先日一緒に遊んだばかりだ。また会う約束をしたいけれど理由が見つからない。
ツイッターでのやり取りが多いためLINEを交換しているけれど送る理由も見つからない。他人に見られたくないのならDMを使えばいいし、私も彼も暇さえあればツイッターを見ている。
ネットの記事では「空リプは脈あり」なんて書いてある。彼は空リプの達人だ。知らない人の名前が私のタイムラインに並ぶ。
理由をつけてLINEやSkypeをしたい。でもその理由が見つけられない。
共通の友人が彼に恋人がいないこと、いまは彼女がほしくないことを聞いて教えてくれた。
私が勝手に好きになっただけなので「私のこと好きじゃないんだ……」なんてことは言わない。
無意味に連絡がしたい。
好きな女の子のタイプが知りたい。黒髪が好きだと言うのならこのブリーチしてある髪だって黒く染める。細い子が好きなら痩せる。私は好きな男のために努力したいタイプだ。
彼はあまり友人とベタベタしないタイプだからそんなことを突然聞くわけにもいかない。
私は彼と手をつないでみたい。
友人には「ホテルへ連れ込め」と言われたけれど、別にセックスはしたくない。二人で並んで共通の話題で盛り上がれたらそれでいい。
駅で後ろ髪を引かれながら「今日は楽しかった。ありがとう」なんて連絡を取り合うような恋愛がしたいのだ。
先述の恋人はネットのオフ会で初めて出会いメアドを交換したので、ネットから始まる恋愛には抵抗がない。でも彼がそうだとは限らない。
http://anond.hatelabo.jp/20160527200729
元増田はほんとに、若人にも、昔の自分にも教えてあげたいことです。
要するに、
逆に、初対面間もないのに好意を示すアプローチをするのは嘲笑の対象で、
よくないマナーだと思っていたのです。
周囲を見ても、フィクションを見ても、そんな感じじゃないですか。
そんな感じじゃないですか(強調)
「好きでもない男子に好かれて困ってるんだよねー」
「そういうのダメだよねー(好意は仲良くなってから示すべき)」
本当は、
「さっさとあきらめてほしいよねー」
が相談してくる側の思いだったのでしょう。
ソウダヨネー。
幸い、恋愛に対する執着心がそんなに強い方ではないので、
よかったよかった、幸せよあれかし、と心から思う境地に達することもしばしあり。
もちろん、ある女性への片思い中は、他の女性はまったく目に入りません。
たとえ、それが何年間にわたるものであっても。
たまに物好きにもありがたくも好意を示してくれる女性がいるのですが、
製造メーカーは「よっちゃん食品工業」っていうのね、知らなかった。
「隠しているが、長年連れ添った彼女がいるにちがいない」
などなどさまざまな憶測が飛んだそうです。
繰り返しますが、当増田は彼女(彼氏含む)いない歴=年齢の男性です。
さて、ここまでいろいろ《過去形》で書いてきましたが、
「こんな僕でも彼女ができました」という話ではありません。
こんな僕でも、30歳を過ぎたあたりから
と気づいてきたという話です。
婚活しようという気もないのが現状です。
鬱陶しくも、いとおしい。
自分は働くことができない。
就職しなければならないが、誰かに雇ってもらえるような能力もない。
頭も悪く、コミュニケーションも非常に不得手だ。一芸に秀でているわけでもない。性格も怠惰で愚鈍、その上卑劣という有様だ。
実際に福島原発事故直後に除染作業員に志願したが、すぐに「君にできる仕事はない」と一蹴された。当時誰でもなれるといわれていた、除染作業員ですらその有様である。
結局、自分はブラック企業すら門前払いするレベルのブラック人材でしかないということだ。
自分には親しい友人がいない。
吐瀉物のような顔にボンレスハムのような胴体を見るだけで、だれもが不快な思いをする。
その上性格も最悪とくれば、親しい友人がだれもいないのも当然である。
後述する「他人に話せる趣味」があればまだマシかもしれないが、それすらないクソ人間と付きあう理由はない。
体力や運動神経もが皆無に等しいため、アウトドアやスポーツも選択肢から外れる。簡単なキャッチボールすら一切できない。
小説や漫画を読むのも非常に億劫だ。満足に内容を頭に入れることもできない。
集中力が持たないため、映画も満足に見られない。30分、いや3分アニメすら集中することができない。
当然内容理解まで及ばない。
自分は学歴がない。人に学歴を伝えた瞬間に失笑されるレベルである。
増田には東大や京大、早稲田、日大のような名門大学卒業者が掃いて捨てるほどいる。彼らの足元にも及ばない。
英語なんてちんぷんかんぷんだ。四則演算も不得手だ。それどころか語彙も乏しく、日本語運用能力も非常に危うい。
なによりネックなのが、怠惰であるため努力が全くできないことだ。幼稚園児の方がはるかに努力家である。
自分には経験がない。職業経験も、いい学校に行った経験も、学校で勉強や課外活動に打ち込んだ覚えもない。
それどころか「友達と遊ぶ」といった経験すらない。せいぜい、時間だけがいたずらに過ぎていく経験ぐらいしかない。
そして流れ流れて気がついたら「何者にもなれない自分」がそこに存在していたのだ。それを依代に、自分は今日々を無為に過ごしている。
お金要らないから働かせてくださいっていうやつを門前払いにするときに
「金を払うとは仕事に責任を追わせるということ、金を貰うとは仕事に責任を負うことだ、金の介在しない仕事は絶対に無責任になる」って説教する漫画があるけど、
いわゆる氷河期世代の俺。
復職できたけど、そこでは徹底的に干された。
おまけに成果主義とかで給料を下げるだけ下げられて新卒より低い給料になったので辞めた。
5年間勤めた。
その後は非正規で何とか食いつないできたけど、正社員雇用は無い。
気がつけば40になってた。
面接官からは「40にもなって非正規の仕事ばっかりじゃ無理だね。」と何度言われたか。
以前の増田にうつ病経験は犯罪歴と一緒というのがあったら、本当にそう思う。
仕事が原因で一度メンタルが壊れただけで仕事は門前払いだらけ。
相手のことがわからないと言われても近寄らせてもらえないんだからわかりようがない。
そのうえ「生理的に無理」とか「キモい」とか門前払いされてばかりいるから、普通に接してもらえるだけで勘違いしてしまう。
で、勘違いしてアプローチしようとすると、調子に乗るなと断られて離れられていく。
結局、適切な距離感が身につかないまま、近寄らないように、不快にさせないように、慎重になっていく。
そしたら奥手だの消極的だなどと罵られる。
学生のうちなら当たって砕けろでもよかったかもしれないけど、そういう経験を積まないまま30過ぎてしまうと、30過ぎのくせにそんなこともできないのか、と落胆される。
どうにもならんよね。
年と性別は察してください。思い出しながら、自分の音楽遍歴を書く。
姉が19のファンクラブにいた影響で、19を聴き始める。真面目に音楽を聴き始めたのはたぶんこれが最初だ。あとは、姉が定期的にヒット曲のCDをツタヤで借りていたので、それをちょいちょい聞いてみるなどしていたが、ヘビロテしていたのは19だった。朝早起きして「音楽」をリピートしながら勉強するのが楽しかった。
中学生の自分にとって326の歌詞はやたらと心地よく、将来は作詞家になりたいなどと本気で思ってしまっていた。
ひょんなことからブルースハープを始めることとなり、その関係でゆずを聴き始める。ゆずのブルースハープのパートはハーフベンドができれば大体の曲はコピー出来るので、ゆずのCDと一緒に楽譜も買い漁った。なお、ギターはFコードをうまく押さえることが出来ず断念している。ブルースハープをやっていくうちにハイロウズと山崎まさよしもちょいちょい聴いていたが、ヒロトは化物だと思った。個人的にはボディは木より樹脂のほうが好き。
また、やはり姉がミスチルのベストをツタヤから借りていたので、その影響で自分もミスチルを聴き始める。ファーストから最新までのフルアルバムとミニアルバムを全部借りて聴いていた。桜井和寿は天才だと思った。
椎名林檎は、中学時代から姉がCDを持っていたので、その影響で聴き始めた。当時好きだった女の子も林檎が好きだったので、相乗効果でやたらと聴きまくった記憶がある。虐待グリコゲンとか発育ステータスとかツアーメンバーにバンド名をつけてるんだぜ!って自慢気に高説を垂れていたので、今思えばとても恥ずかしい。あと、「一期一会」を聴いて、スピッツもちょっと聴いていた。「花鳥風月」と「フェイクファー」でお腹いっぱいになった。
ゴイステは、当時やっぱり童貞ソー・ヤングが流行っていたので、「さくらの唄」をヘビロテした。捨て曲がまったくない!と思った。峯田最強だぜ!って思った。
ちなみに、ゆず/ミスチル/林檎(事変)/ゴイステのヘビロテは、大学の2年くらいまで続く。
どうでもいいが、受験シーズンはなぜか大塚愛にドハマリしてファーストのPretty Voiceをヘビロテしていた。
先にも書いたが、当時はやたら大塚愛が流行っていたからか、可愛かったからか分からないけど夏ぐらいまで大塚愛をヘビロテしていた時期があった。ただ、夏が過ぎたら飽きた。
大学に入ってからは、CDだけではなくライブDVDにまで手を広げるようになっていた。当時は桜井和寿がBank Bandでライブなどをやっていて、ライブDVDを傷だらけになるほど見た記憶がある。東京事変のライブDVDも見まくった。透明人間を見て、ヒイズミすげーってなってた。そこからPE'Zを聴くようになった。
バンプは、先輩が聴いていたからだと思う。ヒット曲バシバシ飛ばしているのに厨二くさい歌詞と曲が、遅れてやってきた中二病患者の自分にとっていい感じでマッチしていたと思う。ただ、ユグドラシルより後あたりから、なんか曲がポップになってやる気がなくなっていった。
ちょっと前に遡るが、ピロウズ15周年だかでコンピレーションアルバムを出したときにミスチルも曲を提供していて、久々に聴いてみたらStrange Cameleonいいなあ、おっ、ベスト出てんだ、んじゃそれ借りて聴いてみようってなったのが最初だったと思う。ベストなんで良い曲ばっかりなのは当たり前だよね。いろいろなアルバムを借りては聴いてを繰り返した。個人的には巴里の女性マリーが好き。
音速ラインは、ナツメが良かったのでちょいちょい聴いてた。ジャケットが盗作じゃねーのって噂にはなっていたけど、そんなのはどうでもよく、逢いたいを聴きながら手塚治虫のMWを読んでいた。
銀杏は、そもそも忘れていた、っていうのはある。銀杏のアルバムが出てから何年か経ってたけど、峯田が新バンド!?んじゃ聴いてみよう、ってなってた。冬の寒空に東京をヘビロテしながらタバコを吸っていたのは本当に良い思い出だった。
あとは、スキマスイッチ/レミオロメン/7188/エルレ/テナー/ART/ブランキー/アジカン/ミドリカワ/時雨など、数えたらきりないけど、なんかそこらへんの所謂ロキノン系をいろいろ聴いて回ってた。十把一絡げにロキノン系で括るのは良くないかもしれないけど、なよいロックでインディーズから上がってきたのはだいたいロキノン系でいいんじゃないかなって今でも思っている。
この頃からだんだんとマイナーなバンドばかり聴くようになったため、メジャーどころはあんまり聴かなくなっていった。
「とりあえずガッツリ邦楽を聴いてから洋楽に行こう!」というなんだか良くわからない縛りを設けて音楽を聴いていた。
きっかけは忘れたけど、どこかの動画でミドリを発見して、後藤まりこYABEEEEEEってなったのが春先での出来事だったと思う。アドレナリンがヒルルク状態のままわりとすぐにライブハウスに赴き後藤まりこを生で見た。パンツが見えるとか見えないとかはわりとどうでもよかった。山本直樹画のTシャツをわりと愛用していたけど、大学卒業と同時に処分してしまった。もったいない。このあたりから、「ライブに行く」というのをちょいちょいやるようになる。
向井については、ちょうど向井秀徳が大好きな烈海王そっくりな奴がいたので、その影響でちょいちょい向井秀徳バンドのCDを聴いて回った。その関係でイースタンとかブッチャーズとかをヘビロテして回った。当時の心境を振り返ると、「アジカン?イースタンと向井のパクリじゃねーか!」というひっじょーに恥ずかしい理論を脳内で展開しており、脳内で展開するだけならまだしもmixiで毎日のように「◯◯はすごい、☓☓はクソ」といった日記を書いていた。すんごい恥ずかしい(ちなみに今はもう退会済み)。今思えば、イースタンもブッチャーズもナンバガも、夏の日の午後とか7月とか透明少女とかすっごいヘビロテしたし人にも勧めたい曲はちょいちょいあるのだけど、アルバムを通しで聴くとすっごいダレる。
どう贔屓目に見てもクッソ痛々しい中二病患者のクソ理論をmixiで展開しつつmixiで情報を拾うという蛇が蛇を食うような生活をしていたある日、ゆらゆら帝国を知ることとなる。経緯は忘れたけど、mixiで「このバンドがおすすめ」みたいなコミュがあってそこから知ったと思う。はねるのトびらにゆら帝の曲が使われていたのは、ゆら帝をちゃんと聴き始めてから知った。メタルとかフュージョンみたいにバカテクではないけど上手い演奏、なんだか良くわからない歌詞と歌、耳をつんさくギター、そして一グラムも人気になろうと思ってないルックスとビジュアル、どれもがやばくて、深夜、学校帰りに「なましびれなまめまい」の星になれたをアホみたいにリピートした。数年に1回くらいのペースで亀川ベースがすっごい変態的になるイメージだった。
もうここまで来ると流れがお分かりかと思うが、亀川千代が灰野敬二にそっくり、という流れから灰野敬二もちょいちょい聴き始める。「わたしだけ?」の捧げるが個人的にはスーパーフェイバリットなのだが、試しに友人に聴かせてみたら大不評であったため、このあたりから自分の音楽の趣味を人に言わなくなる。
そしてCasiopeaだが、亀田誠治って本当に上手いよね。って思っていたのだけれど、2chのスレを漁っていたら、もっと上手い人がいるんだ!?ってなって、どうやらこのテのスレで頂点に君臨するのは櫻井哲夫で、彼はCasiopeaのベーシストらしい、という流れでCasiopeaを聴き始めたのだった。だが、最初に見た動画はライブ中満面の笑みでチョッパーを連発しつつ客席に乱入する変なおじさんだった。このあたりから、所謂「フュージョン」というジャンルに手を染め始め、Jaco Pastoriusに出会うこととなる。
並行してなんかロキノン系もちょいちょい聴いてたけど、もういいや書くのめんどくさい。ベボベの例の動画からヤマジュンを知ってヤマジュンパーフェクトを買ってしまったのが大学生時代最大級の黒歴史ではないかと思う。
当時ジョジョを読んで、なぜか四部だけのスタンド名の元ネタバンドのアルバムを聴きまくった時期もあった。
あと、相対性理論の自主制作盤を買ったけど、見た目がすごくしょぼいCD-Rで、数年後売ろうとしたら「売り物なのか自分で作ったのかこちらでは判別出来ないから買い取れない」と言われたのは良い思い出だ。
Jaco Pastoriusについては多くは語らない。件の烈海王がやたらプッシュしていたので、聴き始めた。彼については、Weather Reportに加入するときも超上から目線で「君の音楽すごく良かったYO」「俺は世界最高のベーシストなんだZE」と言って門前払いされたのは最高にロックだと思う。その関係で、Sex PistolsとかJoy Divisionとか早世アーティストのバンドをやたらヘビロテしていた。
ゆらゆら帝国と灰野敬二は引き続き聴いていたが、ゆらゆら帝国はどうも昔のバンドのごった煮らしいぞという情報をキャッチしたので、このあたりからクラウトロック/プログレ/USパンクやらに傾倒していった。MagmaとかAmon Düülとかいろいろ聴いて、CANはすごくいいぞ、ってなって、当時海外で生活していたけども、ずっとCANの「Tago Mago」と「Ege Bamyasi」を聴きまくっていた。ダモ鈴木を愛でまくっていたし、けいおんのMMDでCANのPaperhouseとか出来ねーかなとか思ったものである。Thiefをヘビロテしながら就活して回った。
当時はやたらとけいおんが流行っていた。けいおんのメンバーはだいたい実在するミュージシャンの名前をもじったものであることは周知の事実だが、HTTのモデルであるP-MODELは知らなかったので、その絡みでP-MODELとヒカシューとPlasticsが競演している動画を見て、ヒカシュー、というか巻上公一YABEEEEEEってなって、オーガス02などを見て、アニメにハマり始めた。あと、テクノ御三家ってことで、YMOもちょいちょい聴き始めたのがこの頃だったと思う。
なぜ古代祐三にハマり始めたのかは詳しくは覚えていないけど、確か世界樹のサントラ動画を見たのが最初だと思う。そこからイース→ソーサリアン→スキームなどといろいろ聴いて回った。並行してファルコムのゲーム音楽にもハマっていったのを覚えている。
バレスタイン城の埼玉最終兵器アレンジのイントロがStratovariusのHunting High And Lowにそっくりとか、偉大なる試練がYngwie MalmsteenのFar Beyond The Sunのモロパクリであるなどといった理由から、ちょいちょいメタルを聴くようになる。
特に事故前のインギーのJet to Jetは本当に圧倒的で、音の弾幕がすごくて、なんだろうこの人、なんでこんなにいろいろ弾けるんだろう、すごいなあって思った。そんなある日のこと、たまたまハンターのアニメを見ていたらEDが思いっきしメタルで、バンド名もGalneryusで「あっ…」てなったりした。バイオリンの名前がバンド名って絶対メタルだよね。
そんなに数は多くないし、XとかIRON MAIDENとか超メジャーなところは意図的に避けてたけど、所謂ネオクラとかメロスピとかにカテゴライズされるバンドをちょいちょい聴くようになった。特にガルネリはANGEL OF SALVATIONあたりから入っていって、Silent Revelationを聴いたら「あれっ、ハンターの人じゃない」ってなって、YAMA-B超SUGEEEEEEってなってちょいちょいコミケでYAMA-BのCDを買うようになった。ジョジョ四部の主題歌はYAMA-Bやってくれないかなって今でも思う。
Jet to Jetの動画を漁っていたら、横山やすしみたいなおっさんが歌を歌ってるぞ!となり、Alcatrazzにハマった。比較的クリアなハイトーンボイスに慣れていた自分にとってグラハム・ボネットのだみ声は最初はハマらなかったけど、聴くうちに良いと思えるようになった。
やっぱり多くは語らないけど、「メタルといえば革ジャン」みたいな風潮にあって横山やすしみたいなリーゼント+スーツ+グラサンで自分を貫き通したところが最高にロックで、聴けば聴くほどハマる声と合わせて、最近のフェイバリットになっている。
振り返ってみると、なんかいろいろな音楽を聴いているなあって自分でも思った。ただ、mixiでクソ理論を展開しまくっていた黒歴史と相まって、自分の音楽の趣味をあまり人に語らなくなったし、ライブにもいかなくなったけど、かなり前から動画で気に入ったらアルバムはレンタルせずにお店かiTunesなどで買うというサイクルは徹底しているため、数多のミュージシャンに対して幾ばくか活動の足しにはなっていると思う。
これからどんな音楽が自分を待っているのか楽しみでしょうがないのです。
え?鷹の爪作ってる人の娘じゃなくて、鷹の爪作ってる人達を鞭で叩いて働かせてる人の娘って事?
確か、女優だかモデルだかになりたいって言ったけれど「消費される側・使い捨てされる側」じゃなくて「使う側の方が面白い」みたいな感じで娘を危なくて汚い道に進ませない方向に成功したんだよね、確か。
彼女はと言うと、成果を挙げてるかというと、門前払いで悔し涙しか…みたいな所までは知ってる。
何か、あのフラッシュアニメって、全部ひとりで声を当ててて…とか、初めは、資金が無い中で細々とやっていく内に、成功したアニメって感じで売ってる印象があったから、私の勝手な思い込みだったんだなって改めて思った。んな訳あるかって話だよなwわざとヘタウマさと素人臭さを出しつつ、大勢のベテラン勢を使ってるわけで。その旨味の上澄み部分を掬い取って生活している人間の娘であってる?
★★★★★
5巻3話。
BJに内緒で通信教育過程を終わらせて高校に入学しようとするが、門前払いを受ける。
BJは学校側に無理矢理ワイロを受け取らせてピノコが入試を受けることを認めさせる。
入試が始まると、ピノコは極度の緊張から体調を崩してしまい、合格することはできなかった。
ピノコは幼稚園からやると言って幼稚園に入るが、ケンカしたり暴れたりしてうまくいかず、もうこなくていいと言われてしまう。
ピノコの可愛さ爆発でした。
全コマのうちかなりの割合をピノコが占めてて、不足してたピノコ分がだいぶ補給できた。
でもBJはそれでも最後まで責任はとろうとしてるんだよな・・・
ピノコいたりいなかったりで。
ほんと収録順勘弁してほしいわ・・・
最後ケンカでボロボロになったピノコと、うなだれるBJが印象的だった。
切ない・・・胸がしめつけられる
ベッドの上で跳ねまわって喜ぶピノコ
通信教育の修了証なんて役に立たないと言われてアッチョンブリケの表情で言葉を失うピノコ
BJが入試の段取りをつけてくれて驚きから喜び満面の顔に変わるまでのピノコ
勉強を頑張るけどそれが夢で今度こそ頑張ろうと思うけどそれも夢で・・・の繰り返しで結局全部夢だったピノコ
手術後、試験らめだったのよねと夢うつつの顔で問いかけるピノコ
せっかく 女医ちゃんに なって おてつらい しようと思ってんらのに
それだけ よけいだ!!
古和医院
ピノコ愛してる
六等星
二度死んだ少年
死への一時間
勘当息子
焼け焦げた人形
アリの足
えらばれたマスク
友よいずこ
めぐり会い
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
上と下
U-18は知っていた
海は恋のかおり
なんという舌
その子を殺すな!
閉ざされた三人
ある教師と生徒
鬼子母神の息子
万引き犬
鳥たちと野郎ども
奇胎
からだが石に…
お医者さんごっこ
ダーティー・ジャック
もともと僕は身長170cmで85kgのおデブちゃんだったんだ。
でも、それからダイエットを繰り返し成功させて今では65kgをキープしているよ!
大きく分けて10kgのダイエットに3回成功しているから、それぞれのやり方と年齢を書くから参考にしてね!
高校卒業までスポーツをやっていたけど大学に進んで飲み歩くようになってあっという間に10kg以上太ったよ。
そのまま社会に出て営業職についたけどその時に人生最大体重85kgを記録したよ!
仕事が終わるのは22時近く。
このままじゃやばいと思って一念発起。
といってもこの時のダイエットは人生で1番楽なダイエットだったよ。
その内容は、仕事終わりの飲み方を変えたというだけのものだよ。
・ビール→ウーロン割
・揚げ物→お新香。焼き魚。
もともと朝ごはんは食べてなかったし、お昼も走り回ってて大して食べないことが多かったから1日の栄養摂取はほとんどが夜。
この頃はまだスポーツをしていたころの体力の名残もあったから半年もすれば10kg落ちんだ。
だけど、それ以上は同じ生活をしていても全く落ちなくなったよ。
つまり、その生活習慣によってもたらされる体重は75kgだったということになるね。
その後更に仕事がデスマーチ化することで日々のストレスが全て食欲に回ったよ。
ストレスを貯める→飲み過ぎる→体が重い→仕事に影響が出る→ストレスが溜まる
身体が少しずつ衰えを見せる中、来年で30歳になるって思ったら今が痩せる最後のチャンスなきがしたよ。
そんな時、仕事中に倒れて1週間ほど寝こむことになるんだけど、そのうち3日くらいは何も食べられない日が続いたんだ。
病み上がりにもおかゆとか煮込んだうどんくらいしか食べられなくて、とにかく胃袋が小さくなった気がしたんだ。
正直、チャンス!って思ったね!
仕事中に倒れたのがよかったのか、上司が急に協力的になって仕事量が激減したから時間的に余裕もできたよ!
その頃から朝昼も食べるようにして、その代わりに夜食をプリン一個にしたんだ。
プリンって驚くくらい満足感があって、しかもコンビニにいけば色々な種類のプリンがあるから飽きないんだよ!
もし物足りなくなったらナッツを少し頬張ってしのいだよ。
というわけでその頃の食生活。
・昼→お弁当(ご飯は半分残す)
・夜→プリン一個。物足りなくなったらナッツを少量
この時は急激に体重が落ちて、3ヶ月で10kg近く落ちたよ。
この頃、ふと気が付くとネガティブなことばかり考えている自分がいたよ。
何をしても無気力。何かに取り掛かろうと言う気が全く起きなかったよ。
せっかく痩せたのにどうしてこんなに喜べないのか不思議だよね。
どうやらなにか良くないことが起きていると思い始めて、まずは夜食を普通に食べるようにしたよ。
そうしたら鬱な感覚はなくなっていったんだけど、食べることの喜びが大きすぎてどうしても食べ過ぎてしまう日が続いてしまったんだ。
気づいたら1年近くかけて5kgもリバウンドしていることに気がついたよ!
この時、無理な食事制限ダイエットは悪影響が強すぎるとわかったんだ。
これが前回書いた通りの内容だよ。
もともとスポーツをやっていたから筋肉を落とすことはずっと怖かったんだ。
だけど、そのことにこだわることが今以上に体重を落とせない理由だとしたら、それは潔く捨てるべき価値観なんだよね。
今年こそ10kg痩せたいあなたに贈るダイエット成功たった一つのコツ
だからここに書かれた内容には「近道」がないんだ。
今までの経験で失敗してきたことを修正した、今できるベストなダイエット方法だからね!
そういえばこんな大切なことを書くのを忘れていたよ!
僕が痩せたい理由!
これでもかってほど沢山の医者を回っても一向に良くなる気配がなく、とうとう外科手術まで決意したんだ。
いざ腰痛の権威と呼ばれるお医者さんへの紹介状まで書いてもらって診察しに行ったら、診察にさんざん待たされた挙句門前払いされたんだ。
もう自分は辛くて仕方ないけど、それってつまりひどい人に比べれば大したことないってことだろ?
痛いとか言ってるくらいなら、とにかく1番負担になる体重をおとさなきゃって思ったんだ。
みんなはなんで痩せたいんだろ。
もしかしたらそれをはっきりさせることが1番の近道かもしれないね!
もう週末だから、来週はダイエットと腰痛に効果のあるウォーキングのやり方でも書くよ!
またね!