いわゆるプログラマをしているが、60歳で定年だとしてあと、今の年齢から数えて約30年しかない。60歳で定年するとしたら最後の数年は今ほどのパフォーマンスは出せないだろうし、自分の周囲を見る限り、新しいことができるのはギリギリ40代が限界ではないかと思っている。つまりあと20年しかない。
20年。自由に使える時間としては長いのか短いのか。自分は短いと感じた。
仕事はプログラマをしているが、コンピューターサイエンスの学位はない。
だから外資系企業のjob boardに書いてある必須条件であるCS BSの項目を満たすことができない。これがずっと悔しかった。なぜもっと早くプログラミングに目覚めてCSの学位を取らなかったのか。
CSの学位を取ってマスターまで行っていれば、社会人になってからphpでプログラミングを覚えて、以来ずっと仕事でコードを書いてきた俺には見えない世界が見られたのではないか。研究現場の世界のITはどんな場所なのか。G社やM社やF社やT社で働くというのはどういうことなのか。それを見てみたかった。
仮にCSの学位を取っていたとしても外資系企業にプログラマとして転職できる可能性は高くはないと思うが、門前払いされているどうしようもない気持ちはぬぐえない。CS出身の学生ならだれでも勉強する基本的なデータ構造とアルゴリズムについてもその辺で売ってる本とネットの知識による独学の経験しかないし、webアプリばかり作ってきたせいで知識は非常に偏っている。例えばコンパイラやインタープリタについては全く分からない。
それが分かって何になる、お前の仕事はそのフレームワークに乗っかってひたすらWeb APIを書き続けることだ、という指摘はごもっともだが、それでも自分は勉強してまだ見たことがない世界を見てみたいと願った。
だから、周りに話したら多分笑われると思うけど来年とある大学院のCS系の専攻を受けてみることにしようと決めた。
CSじゃないが学部卒なので受験資格はある。受験勉強として必死にCSの学部生が読んでそうな本を読んで、数学もしばらく触ってないので高校数学からやり直して、自分が院で研究したいテーマについても考えて、面接でどう自分を売り込めばよいか考えて(そもそも院の入試の面接がどんな感じなのか全然知らんが)日々を過ごしている。
落ちるかもしれない。その時は今の職場でまた1年勉強と貯金をしつつまた翌年受ければいい。
受かって無事卒業しても再就職先がないかもしれない。それでもいいと思った。今の職場で、何も変わらない平和な毎日をのほほんと過ごして余生を過ごすよりかは、いっそ何もかもなくしてまたゼロからキャリアを積みなおした方がいい。その方が新しい景色も見えるのではないか。
その短い人生をなぜ目を犠牲にしてどこの誰が作ったかもわからない体に毒しかもたらさない悪魔の供物に心奪われるかが俺にはわからんね。 俺もPHPを仕事で書いてるけど、この言語を...
人生は短いから、自分の商品価値を上げるためではなく、 自分自身が価値を感じることをやるべきでは? そのために適当に頑張って、お金を貯めた方が賢いのでは。 脱サラして念願の...