はてなキーワード: 相談とは
担任教師とは、現代教育界におけるスーパーヒーローであり、彼らの役割はただ教室で教えるだけに留まらない。実のところ、担任教師はカウンセラー、社会福祉士、進路アドバイザーなど多岐にわたる役割を兼任する、福祉教育系の超上級職なのである。
担任教師は、生徒の悩みや問題に耳を傾けるカウンセラーとしての役割を果たす。恋愛問題から家庭内のトラブル、そして進路の悩みまで、何でも聞いてくれる。その相談内容はまるで有名芸能人のゴシップのように多岐にわたり、時にはドラマのような展開になることも。
生徒の家庭環境や社会的背景にも敏感な担任教師は、社会福祉士の役割も担っている。生徒の貧困問題や家庭内暴力、虐待などに対応するため、まるで敏腕探偵のように情報を収集し、適切な支援を行う。その対応力はまさに超人的で、地域の福祉機関との連携もスムーズにこなす。
生徒の将来についても担任教師は大きな役割を果たす。大学進学、就職、専門学校など、様々な進路の選択肢を提供し、その一つ一つに対して適切なアドバイスを行う。進路相談の際には、まるで株式アナリストのような情報収集能力を発揮し、最新の情報を提供する。
担任教師は、教育の正規過程を通っていないため、時には定石無視・法律無視も辞さない。そのため、彼らの行動はしばしば福祉教育界隈の特殊部隊と称される。彼らはルールや規範に縛られず、生徒のために全力を尽くす姿勢が求められる。
担任教師の一日は、朝の挨拶から始まり、授業、カウンセリング、福祉活動、進路指導と多忙を極める。まるで一人で何役もこなすスーパーマンのように、彼らは生徒のために日々奮闘しているのだ。
以上のように、担任教師は現代教育界における多才で多忙な超上級特殊職であり、その活躍はまさに教育界の縁の下の力持ちである。
婚姻届ツイートしてから私にも旦那にも誹謗中傷がめっちゃ来るようになった。
クライアント様にも「そのあたり解決してから一緒に仕事しましょう」って言われるようになってしまい、本来得られるはずの収入を潰されてるよね、と旦那に相談。
事実無根とは誰もが解っていても渦中の人とは接触したくないんだよね。そりゃそうだ。
色々と証拠固めしつつ法的に準備を整え、最近ようやく目処が立ってきた。この時点でほぼ2年。長いわ・・・
Xに開示請求しても通らないので、Xと連携してる国内サービスに開示してもらう手段を取った。
結構びっくりしたんだけど、そういう開示のために匿名化ツール経由してても特定する技術があるんだね。知らなかった。
実は私以外にも被害相談が結構あったようで、身元隠してしつこくやってて悪質性が高いから、各位連携して取れる手段はとりましょうという事に。
時間もお金もかかるけど、ひとまず信用を回復できれば後からお金は回収できるから、と説得された。
実際、特定と措置が進んでからは誹謗中傷がピタッと止まったし、クライアント様からも明るい返事が聞けるようになった。
こういうのって大抵知人が犯人なんだけど、私の場合は知人(男性)+全く知らない扇動された(?)人数人だった。
顔も知らない無関係の女に2年も怒れるなんて異常だね。
示談は逃げられやすいとの事だったので、それぞれの職場と生活圏をロックアウトしてから旦那が詰め作業をやってくれた。
知人とは言っても何度か仕事したことある程度で接点薄いし、何がそんな癪だったのか解らない。まぁ解りたくもないね。
全方位怯えさせてたし、コンプラ的にもこの件で退場してもらう事になると思う。
ようやくだ~長かった。
治ったら良い考えも浮かぶさ
相談所に行けば見つかる
数年前から何かある度に体の塩分バランス的なものが崩れるようになった。
最初は大体喉が渇く。喉が渇いたから水を飲む。飲んでも渇きが癒えないなと思っているうちに頭が痛くなる。放っておくと気分が悪くなって立ち上がれなくなる。
水を飲んだりポカリを飲んだりしても全然だめ。経口補水液すら効き目を感じない。塩。とにかく塩を舐めるしかない。
冬でもカフェイン入りの飲み物を飲んだりしてちょっとトイレが近くなるともうダメ。塩をなめなきゃいけない。
夏なんて毎日のように気分が悪くなる。毎日梅干を食べカップラーメンは汁まで飲んでもまだ足りないので塩を舐める。
医者には相談してみたが「気のせい。塩舐めるのやめな」としか言われなかった。
気のせいってなんだよ。気の持ちようで気持ち悪さが治るのか?
試しに何度か塩を舐めず過ごしてみたが普通に吐きそうになるくらい気持ち悪くなって手がガタガタ震え出したのでやめた。
しょっぱいものが好きなわけじゃない。むしろあんまり好きじゃないし、毎日塩を舐めてるのでしょっぱさに心底うんざりしてる。
塩を舐めない生活がしたい。でも塩を舐めないと立っていられなくなる。辛い。
先日今後2度と妻とセックスしない事が決まった。
自分が思っていた以上に衝撃的で悲しかったので、せめて自分への慰めに長くなるが文字にして残そうと思う。
増田はアラフォー、妻は30代半ば、数年付き合って5年ほど前に結婚した。
付き合ってる時はデートの度にしてたし、結婚して1〜2年目もコロナ時期と被ってたからやる事もなく、少なくとも週に1回くらいの頻度でやっていた。
3年目くらいに子供が欲しいねという話になり、増田としては同じくらいの頻度でしようと思っていたのだが「疲れている」「気分が乗らない」といった理由で断られる事が増えた。週1回が隔週になり月1になり隔月になり、そして4年目は1度もセックスすることはなかった。
子供は欲しいというが、この状態じゃできるわけもない。この時点で増田はもう自分とはしたくないんだろうなと諦めていたので、シリンジ法とかを調べて今年の正月に妻へ話をした。
男としての自分が終わるようで悲しかったが、増田も子供は欲しかったのでその提案をしたところ「普通にしよう」という思いもかけない言葉が妻から出てきた。
やばいくらい嬉しかった、大好きな妻とまた昔のようにできるのだ。もう20代じゃないし体の負担もあるだろうけど週1くらいはしようねと約束し、次は妻から誘ってもらうということでその日はやらずに寝た。
思えば付き合い始めてから妻から誘ってもらう事など殆どなかったので、次に誘いがくるのがめちゃくちゃ楽しみで寝付けなかったのを覚えている。中高生が初めて彼女とセックスする約束をしたような感覚だ、脳汁がやばかった。
翌週になった。
しかしその週は妻が体調を崩したので誘われず、それはしかたない。1月は体調が戻らなかったのか誘いはなかった。
2月、誘いは無し。うちの親が入院したりで増田もバタバタしててタイミングが悪かったのかと思う。
3月、4月、誘いは無し。妻も仕事をしてるし年度末年度初めで忙しかったのかもしれない。ちょっと焦ってきたが誘いを待つという手前こっちから言うのも悪いなと思ってたので待つ事にした。
GWは妻1人で妻実家に帰るのでリフレッシュしたら5月はあるだろう……と思っていたが5月も無し。
そして今月、詳細は省くが本当に些細な事で増田がブチ切れてしまい、感情の発露が止まらず約束を守ってくれない事にひどく傷ついているといったような話を妻へした。我ながら子供のような癇癪を起こしてしまったので、そこは良くなかったと思う。でもどうしようもなかった、半年近く誘われなくて悲しくて仕方なかったのだ。
妻は驚いたような申し訳ないような顔をして、その後手紙で謝罪があった。文字で残す事で今後の戒めとしたいとの事だった。
仕事の疲れを言い訳にして約束を守らず申し訳ない、何も言われないのを良い事に日々の家事や生活の事も甘えていた、子供は欲しい、今後は自立して信用されるようにする、これからも仲良く一緒にいたい。
要約するとこんな感じで、残念ながら増田が欲しかった性行為をするという言葉はなかった。
手紙を読んだ後再び話し合いの場を設け、今後我々はセックスせずに産婦人科と相談して子作りをするという事で同意した。
妻の顔は心なしかホッとしているように見えて、深く傷ついたが言葉にはしなかった。
淡々と話し合いを進めたが冒頭のとおり個人的にかなり衝撃的な出来事で絶望感がある。正直死にたくなっている。
妻の事は変わらず愛しているし、仕事も優秀な部下がいてくれて楽しい。日々は充実している、と思う。
しかしもう妻とセックスする事はないんだなと思うと、果てしなく辛い。
本当は薬でも勃たなくなる歳までしたかった。
妻とするのは本当に幸せだったのだ、でも、妻はそうじゃないんだなと実感する毎に死にたくなってくる。
諸所の事情で産婦人科にかかれるのは10月くらいになりそうで、それまでお互い不妊治療についてや良い産婦人科を調べようと話してある。
もし、万が一、ないとは思うんだけど、10月までに妻が約束を違えて何も調べていなかったら、年内にできるだけ迷惑のかからない方法で死のうと思う。
生命保険もかけてから3年以上経ってるし、いくらかまとまった金が遺せるから安心だ。
それまではただひたすら、不妊治療について調べる事でこの希死念慮と付き合っていくつもり。まだ見ぬ子供の事を考えている時だけがまだ生きる希望になる。子供って偉大だな。
あくまで炎上へのリスクヘッジ的な目的では雇うべきでは無いって話ね
他の理由でなら別に何も言う事は無い(って言うけどこれ絶対聞かないアホや人文系のアホ出るよね)
そいつらよりAIに聞いた方がよっぽどマシやぞAIの専門家雇うべき
https://togetter.com/li/2385037
こちらで人文系の専門家を雇ってれば炎上は防げたみたいな事が言われてる
この手の発言は社会学なり人文系なりで今までネットで何度も言われていたが
なぜならば人文系や社会学の人達は今まで何度も何度も問題をスルーしてきた前科があるからだ
そんな前科者を雇ってしまったとして問題を確実に指摘して貰えるという保証があるだろうか?
例えば草津町の冤罪事件…はてなでならもう言わなくても分かるかもしれんが
草津町長に誹謗中傷をしてしまった人達やそれをロクに謝れない人達
そしてそのロクでもない人達をきちんと批判出来なかった人達が人文系や社会学の中には沢山いる
上のリンクやブコメにも過去のやらかしを全く忘れたかのように人文系が頼れるかのように言うクソボケお仲間が沢山いる
その人が権力のある社会学者だからとロクに批判する事が出来ないという事を言ってた人もいた
人文系や社会学の人達はちょっとした事で口を噤むケースが普通にあるという事だ
もし企業で問題のある動画を製作してしまったとしてその動画の関係者の中に重要な人がいたとしたら…
問題点を相談するために雇った筈の専門家達はロクに指摘できない可能性が高いという事だ
もしくはちょっとした個人的な思想が関係して言わない可能性だってある
Xで問題のある同業者に軽くエアコメ皮肉を言う事も出来ない奴らが仕事でならきちんと指摘出来るなんて事ある筈も無かろう
ここでマトモな専門家を雇えばいいなんて言う奴が出るかもしれないが
問題のある動画か自分で判断出来ない企業がどうやってマトモな人文系・社会学の専門家か判断出来るって言うんだよ
chatGPTなどに企業の内部情報を聞く訳にはいかないなんて意見もあるが
刑罰が厳しくなってるし、世間の目も厳しいんだから、すぐ止めろ、絶対にするなって口うるさく言ってたのに、
「俺は地元民しか知らない警察が取り締まらない道を使ってるから大丈夫」って豪語して、
毎日会社帰りにいっぱい引っ掛けての飲酒運転を絶対に止めなかったバカ親父が、
警察に検問でノーシートベルトで止められて強行突破しようとして自滅事故。
一発免停で会社からは即日懲戒解雇食らって40年ためた退職金も夏のボーナスもぱぁ。
母ちゃんはそんな親父に見切りをつけて家を出ていくって言い出して、財産分与を受ける為に弁護士に相談し始めたらしい。
バカとして産まれた奴は死ぬまでバカとしてしか生きられないんだな。
それでも母ちゃんは離婚したら他人戻れるとして、そのバカの血を引いた俺はどうすればいいんだよ。
責任取ってくれよ。
応援団員が目当てか、
チアリーダーが目当てか。
「春の大学野球シーズンに入ってから、朝日新聞の記者になりすまし応援団に取材を申し込む事例が増えていたそうです。
記事が掲載されないことを不審に思った大学側が朝日新聞に連絡。
警察が野見山容疑者の自宅を捜索すると、元朝日新聞社員の名刺や『報道』と書かれた腕章などおよそ40点が見つかっています。
野見山容疑者は犯行を認め、こう供述しているそうです。『フリーランスより朝日新聞の記者を名乗ったほうが取材を受けてもらえやすいと思いました。
応援団やチアリーディングを撮影しました』と。野見山容疑者は名刺を偽造していたとみられます」(全国紙社会部記者)
冒頭で紹介したとおり、野見山容疑者の職業は消防士。
「幼少期をタイで過ごした野見山容疑者は、世界各国の自然に魅了されカメラマンになったそうです。ドローンでの撮影を得意とし、旅行した国は70ヵ国以上。
腕前はプロ並みで、メディアにもたびたびとり上げられ映像作家としても活動していました。
東京や神奈川に展開するタイ料理店の経営者でもあるんです」(カメラ誌編集者)
警察は、野見山容疑者に余罪があるとみて捜査を進めている。
最適なディアウォールアジャスターを選ぶことは、DIYプロジェクトの成功に不可欠です。
おすすめのアジャスターについては、多くの専門家がLABRICOやディアウォールのアジャスターを推奨しています。
プロジェクトの最終的なビジョンを明確にすることが効果的です。
完成した時の満足感や、作業を通じて得られる新たなスキルを想像することで、ホームセンターへの一歩を踏み出す勇気が湧いてくるかもしれません。
センターでの買い物をより楽しくするために、事前に必要な材料のリストを作成し、新しい工具や資材を探索する楽しみを見つけることも一つの方法です。
さらに、ホームセンターの店員さんに相談することで、プロジェクトに対する新たなアイデアを得ることができるかどうか悩んでいます。
それ自体が楽しみの一部です。
ホームセンターへの訪問をプロジェクトの一環と捉え、新しい冒険として楽しむことが大切。
別に見下してませんよ。
あなた方が勝手にコンプレックスを刺激されて見下されたような気持ちになっているのではないでしょうか?
ネットは無料で出来て、怒りは貧乏人の娯楽ですので、こうやってイライラするのも楽しみの一つなのかもしれませんが
そんな悪癖からは一度離れて、運動することをお勧めします。ジムで汗を流しましょう。お金がないなら家で自重トレーニングしましょう。
実体験に基づく教訓。
俺はある地方都市在住のしがないSEで、子育てを終えて余裕出てきたから、ボランティアとして公民館で子ども向けのプログラミング教室を細々とやっている。
そんな俺に興味を持って話しかけてきたのは公民館を管轄する生涯学習課のAさんだった。
Aさんは役所の職員には珍しくパソコンが得意で、プログラミング教育にも高い関心を持っていた。
俺とAさんはすぐに意気投合して、もっと多くの人がプログラミングに触れ合えるようにするにはどうすればいいかを語り合った。
Aさんは40代の係長で、これまでの経験から学校や地域に多くのツテを持っていて、補助金にも詳しく、何より情熱と多くのアイデアを持っていた。
この人とならどんなアイデアでも実現できそうだ。
そう思って色んな事業をいっしょに考えた。
そして補助金をとって、いよいよというタイミングで、Aさんが全く別の部署に異動してしまったのだ。
ショックだったが、Aさんは「予算は取れているし、後任にもしっかり引き継ぐ。自分もいつでも相談に乗る。」と言ってくれたので、信じることにした。
だけど、この後任というのが本当にどうしようもないボンクラで、こちらの話を理解する能力が全くないやつだった。
こいつをBさんとしよう。
Bさんは30代と若いのだが、パソコンもExcelの関数すらろくに使えないレベルで、すぐに「それはどういう意味?」と聞いてくる。
それに答えて何度説明しても用語を覚えない。覚える気が全くない。
そのくせ、こちらを見下しているのがありありと見て取れる。
Aさんと雑談してた中で聞いた話からすると、たぶん年収はこちらの方がかなり上だと思うんだけど、そんなことは関係なく、どうも民間企業を全て見下しているようだった。
そんなBさんとはまったく話ができなかった。
会話が成立しない。
困ってAさんに相談して、Aさんから話してもらったが、改善はされなかった。
やはり直接の担当者でないから限界があるのと、どうやらBさんは、役所内でも優秀だと知られているAさんのことを一方的にライバル視しているようで、Aさんの反対をやりたがる傾向があるらしかった。
そもそも俺も働いているし、Aさんも新しい部署での仕事がすごく忙しそうだったので、Aさんと話せる機会は減っていった。
しかたなく、Bさんがわかってくれるまで話そうと、我慢強くコミュニケーションをとってきたが、ある日Bさんの上司から「もう少し接触を控えてほしい。」と言われてしまった。
なんでも「毎日通常の業務だけでも深夜まで残業してるのに、増田さんがしつこく連絡してくるので負担になっている。」と上司に訴えたらしい。
俺はその上司に「でもAさんは同じ仕事を勤務時間内に片付けた上で私ともっと密にやりとりしてくれてましたよ?」と返したが、その答えは「彼は特別だから。」だった。
その後、俺とAさんで考えていた事業は、しょうもない営利目的のプログラミング教室が落札していった。
意図的に俺を外すために入れたのだとわかる項目がいくつもあった。
きっと、役所側は何もしなくていいですよとうまいこと丸めこまれたんだろう。
結果的に、そのプログラミング教室は業務を表面上カタチだけ実施して、ホームページに大袈裟に実績として掲載したが、それっきりだった。
市も「補助金使ってこんなことしました」と宣伝したが、その後には何も残らなかった。
俺とAさんなら、と思わないことはなかったが、もうどうすることもできなかった。
俺は今でも、以前と同じように公民館で細々とプログラミングを教えている。
よく考えたら、これで満足だし、これを望んでやっていたのだ。
Aさんがいなければ、別に何か大それたことをしようなんて気持ちは無かったのだ。
よくわからない虚しさがあるだけだ。
その人がいないとできないことは、はじめからできないと思ったほうがいい。
これが今回の一件で得た教訓だ。
これを書いた増田です。
この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。
結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。
ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科の病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています。
辞めるつもりではあるけど。
とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。
今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。
パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。
別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。
相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。
親家族にパワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。
きっといつか好きな人にちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。
あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。
危惧は結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。
今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。
あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。
最後に
こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣にレスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます。
長くてごめんね。
ここに書いていいよって言われて救われました。今後も沢山書くからな
これを書いた増田です。
この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。
結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。
ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科の病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています。
辞めるつもりではあるけど。
とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。
今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。
パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。
別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。
相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。
親家族にパワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。
きっといつか好きな人にちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。
あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。
危惧は結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。
今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。
あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。
最後に
こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣にレスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます。
正規になるとオーバーワークになることは明らかなのかな。周囲を見てて分かるからためらうのか、漠然と不安なだけなのか分からんかった。
前者なら、別のところへ転職活動してみてもいいんじゃない?声はかかったが残業時間がネックで断った、残業少ないところを探してるって。
後者なら、まずは声かけてくれた上司に相談だと思うなー。ハードワークで体に症状が出るって結構なトラウマになるものだよ、ためらう理由として打ち明けてもいいと思う。
夫が食後に具合悪いを全面に出して何度も何度も何度も測っていた体温をご覧ください→我が家の旦那すぎてww
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2384268
平熱ツイで話題の夫、妻の方が遥かに稼いでるのに家事育児せず生活費六万しか入れずFXに金を溶かし壁に穴を開け妻に暴力を振るい夜中にピアノの音を響かせていた。それでもDVと認められず離婚できないらしい… https://togetter.com/li/2384694
ちなみに、弁護士や警察に相談しても妻の方が稼いでいるのがネックになってかえって離婚できないという八方塞がりな状況らしい
女割()
「体調不良=発熱」という思い込みだけなら、単に知識のことだと思うが、全般、人情に欠けていることが気になる。万が一仮病だとしても、仮病をするだけの何らかの理由があり、そこにはツラさがあるのではないか。
かつて、女性に優しく、夫婦が揉めていれば必ず妻の味方をすると語られていたはてブ。
それは間違いだったのか、それとも、変わってしまったのか。
はてブ民曰く、妻の方が遥かに稼いでるのに家事育児せず生活費六万しか入れずFXに金を溶かし壁に穴を開け妻に暴力を振るい夜中にピアノの音を響かせる夫が「体調不良を訴えても妻に労わってもらえない可哀想な夫。これだから男は辛い。男性差別」であって、
それに日々耐えながら病院行けと勧める妻は「体調不良の夫を労わらず笑い物にする冷酷非道な男性差別者」らしいぞ
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
みなさまへ
参考になるご意見がいくつもありました、本当にありがとうございました!!
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今回、折り入って相談がある。私は今、地元の市役所の臨時職員として働いてる。
民間企業で喩えると、契約社員の立場が最も近い。社会教育(生涯学習ともいいます)の分野で働いて1年と少しだ。
先日、職場の上司の方々に呼び出しを受けた。それで、小さい会議室で正規職員のお誘いを受けた。
その人たちは、私のことを評価してくれていて、お褒めの言葉をもらった。リップトークかもしれないけど。
「あなたを評価している」って言われた。「正規職員の採用試験を受けてくれるなら、推薦するよ。若いうちに受けておこうよ」というお話だった。
※うちの市では、臨時職員が採用試験を受けるには、上司の推薦状が必須らしい。「そこにいい内容が書いてあったら、試験に受かるよ」って……言われた
でも、私は断った。
市役所の臨時勤めの職員になったのは、新卒で勤めていた民間企業でオーバーワークになったからだ。
営業・企画の仕事で、仕事は面白かった。でも長時間労働がたたり、生理が止まるなどしてメンタルも身体にも異常が出てきた。それでやめよっかなと思って、思いきって退職した。2年も働いたのでもういいかなって。
その後、趣味であるアニメや漫画・小説とかの趣味と両立できる仕事を探したところ、ハローワークで臨時職員の募集を見つけた。採用試験を受けたら、するりと通過して今に至る。
毎日定時帰りになったから、おかげで毎日2h以上は自分の好きなことに熱中できている。
上司の方は、私のことを真剣に考えてくれてる。それはわかる。不安定な臨時職員よりも、正規職員の方が私の将来のためにいいよね。そんなこと、わたしでもわかるよ。
有給だって、初年から20日あるもんね。40日まで繰り越しできるって、年配の職員が前に話していた(自虐気味に、「使いきれるわけないだろ」って……)。
でも、正直不安だ。また、オーバーワークになってしまうのでは? という不安があって。実際に、一般事務もイベントの仕事関係も、今より多くの仕事が振られるのは間違いない。
これまでは祭典関係は事務補助・当日補助だったけど、正規職員になったら私が主担当間違いなしである。
すいません。