はてなキーワード: 洋服とは
某日ネットで調べ物をしていたら、ある単語が目に止まった。「(増田)のブログ」という、そのまんまなタイトルのブログ。
その(増田)は私のアダ名である。名前由来だが名前が珍しいのでアダ名も珍しいのだ。
ブロガーの増田さんとやらも、私の名前と似ているからアダ名が似ているようだ…が、さすがに同名ではなかった。ブログにフルネームが上げられていたからわかったことだ。一般人が趣味でやってるっぽいブログにフルネーム出すのか。このご時世、せめてボカさないのかと思いつつ、つい読み込んでしまった。
驚いたことに、その増田さんは年こそ違うが顔身長体型と私そっくりで、肝心の内容が…ファッションブログなのである。
毎回毎回、ドヤアァァァッ!と読者モデルかインスタグラマーばりにすんごい決めポーズの写真を挙げている。
私の(ような)顔が。私の(ような)体型で。
ポージングだけは素晴らしく立派なのだが、その、私に似ているその顔を、一切加工せず丸出しで。
ファッションブログ(?)なのに自撮りは鏡の大きさがテキトー。というか小さすぎて玄関周りの靴傘まで見切れており、もはや洋服ではなく「鏡」本体がモチーフな錯覚に陥る。
第三者撮影でも撮影者の影がガラスなどに丸見え。本人より前に置いた荷物がしょっちゅう写り込んでいる。
街で撮ると背景がごちゃごちゃ、あるいは現在地の情報(住所出てる店の看板など)丸出し。
本人の顔の真後ろに各回、社内向けの掲示やスイッチ、消火栓などが丸写り(余白から推測すると、もう少し左右どちらかに移動すれば壁が真っ白な気がする)
レンズの曇りや汚れっぽいのもそのまま(加工ではないボカシと化す)
この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代的国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮と西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮の江華島を攻撃・占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国もジェネラル・シャーマン号事件(1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮の江華島に攻撃・占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮と通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。
当時朝鮮の政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である。清朝から西欧列強の情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策を積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国を夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。
また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国が朝鮮を守ったため、今回も中国が朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国は東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮の認識ですから、親分である中国に自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。
他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはやく開国し明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係を樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月に明治政府が樹立するとすぐに書契、すなわち国書を対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためである。しかし国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。
この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である。日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から、条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係を位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国の王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである。
征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。
1868年以来、何度か日本からの国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いから両国の関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国の官僚同士が険悪となっていた。長崎の出島のごとき釜山の倭館に限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである。釜山の倭館は朝鮮側が日本、特に対馬藩の使節や商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府は対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収し日本公館としたことから事態が悪化したのである。結果、必要物資の供給及び密貿易の停止が朝鮮側から宣言される事態となった。
日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年、朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約、日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉を忌避する朝鮮を、交渉のテーブルに着くように促したのである。
1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本が朝鮮に出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本からの国書を受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊を意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。
国交交渉再開の気運が高まり、1875年に交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚が交渉のテーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山の洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢に朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山は4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍の砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月に派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目で示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。
詳細は「江華島事件」を参照
9月20日、首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島の要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器、旗章、楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件は朝鮮側が日本海軍所属の軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。
明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。
またこれらが満たされない場合、軍事行動も含む強硬な外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見はほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さらに朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強の干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである。
さらにボアソナードのいう軍事行動も含む強硬な外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦や兵士の護衛がつき、威圧効果を朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋が山口県下関に入り、広島・熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのである。さらにいえば、日本の砲艦外交的姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。
ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシアや清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。
以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。
砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。
江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係を樹立すること。
また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮の宗主国である対清朝政策でもあり、清朝の干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀、欧米列強のアジア侵略に対抗するため、清朝は朝鮮やベトナム、琉球などの冊封国を保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジアの伝統的な国際関係をそのまま近代的国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴル、チベット、新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。
この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである。
なぜか朝起きてから出かけるまでにやたらと時間がかかる。仕方がないから出勤2時間前ぐらいに起きることにしているけど、目覚まし時計が鳴ると「まだ寝てたいんだよ!」とキレそうになる。そして起き上がってテレビを付けたりするけどだるい。朝食は簡単にコーヒーと野菜ジュースとロールパンぐらいだし、弁当も作らないし、洋服選びや化粧にそんなに時間をかけているわけでもない。前の上司は朝5時に起きてひとっ走りしてシャワー浴びてから出勤してくるとか言ってたけど、そんなの絶対無理だ。
そして職場に着いてもだるい。休み明けだとチェックしないといけない書類が山積みなので、とりあえずぼちぼちその処理から取り掛かるんだけど、完全に自分の意志とペースで進めないといけない仕事の方がやばい。基本的にぎりぎりにならないとやらないタイプだからね。今の職場はそんなに飛び込み仕事が多くないし、事務量もたかが知れてるからいいけど、忙しい職場だと適応不能。
一番不可解なのは、家で掃除したり片づけたりする時間がないこと。別にダンナも子どももいないし、食事もほとんど自炊しないので、時間に余裕があるはずなんだけど、なぜか部屋は散らかっている。…あ、こうやって匿名ダイアリーとか書いてるからいけないのか。ちなみに最近はスマホやタブレットでSNSをチェックするという暇つぶしができたおかげで、読書もろくにしなくなった。たぶんこうやってネットに費やす時間をほかのことに回せばもう少しきちんとした生活ができるんだろうな。
こんな調子なのでスマホは持たず、ガラケーとタブレットの2台持ち(機械はスマホだけどSIMカードがデータ通信専用)にして、タブレットの電源は通勤時間と昼休み以外極力入れないようにしている。ネットの時間泥棒っぷりは半端でない。もっとも、おかげで退屈な時間を過ごすことが少なくて済んでいるんだけど。私と同じような状況に陥っている人は1時間でも2時間でもネットに割く時間を減らすと、時間を有効に使えると思う。ま、言ってる本人がこんな状態だけどね。
あと、他人のリア充っぷりを見てこっちが凹むようなSNSは極力アクセスする時間を減らすようにしている。が、必ずしもリア充と呼びにくい独身中高年男性が一所懸命日々の暮らしを投稿しているさまを見るとなかなか微笑ましく、「イイネ!」とか押したくなったりする。ほどほどにネットを活用し、ほどほどに実生活を充実させるような時間配分ができればいいんだけど、難しいなぁ。
といかにもなタイトルを打ち込んでみたが、最近徐々にユニクロを買わなくなってきている。
昔は本当お金が無かったので、ユニクロ・GUだったが、最近ようやっと収入が増えてきたので高めの洋服も買えるようになってきた。
また結婚をしてから更に経済的余裕が出てきたので、これまで手に取ることもなかった良い物(といってもたかが知れてるが)も購入出きるようになり、徐々に物の良さというのが分かってきたような気もする。
良い物を作る人、会社にはそれなりのお金を出して支えるべきという祖父の言葉が最近分かってきたような気がします。
とはいえ激安にはお世話になっているので偉そうには言えない。。。
友達の間でなぜか急に流行っているクラウドを流れで使い始めた。毎月の銀行とかクレジットの明細をアプリで見れるやつ。大学時代の同期も、さらにその時の教授まで使っててLINEグループで私だけが使ってないみたいになったので。
・・・結論から言うと、怖くなった。私、これがないとこれから生きられなくなりそう。というか多分生きられない。
今までは、先月勢いで買った靴とか洋服とか、毎月毎月クレジットの請求がいつ来るか不安で仕方が無かった。その日には銀行に残高あるようにしないといけないし。クラウドだとそれがスマホにきちんとくる。しかも何日か前に。これだけでもクラウドあって良かったと思う。
家計簿って言われると何かすごく敷居が高くて今まで出来なかったし、このアプリもそれっぽい名前がついてるんだけど、多分こういう名前じゃないほうがいいと思う。今では分かるんだけど、最初は資産総額とか支出とか収支とかって書かれてるのもすぐに分からなくて戸惑った。そんな難しいこと言わず普通に今月プラスかマイナスかだけ教えてほしい。
インターネットに私のデータが全部あるのすごい抵抗あったけどやっぱりみんなが使ってると大丈夫だなって思う。赤信号みんなで渡れば怖くない?みたいな。私のしょぼいお金なんて誰も興味無いしw
緊張してきた
30にもなって
デートでこんなにどきどきすると思わなかった
というか
彼はみんなにモテる人気者で
私なんか誘われるの想定外すぎる
私は正直オタクすぎる
日がな一日図書館で過ごすのが
何よりも楽しみ
友だちなんて本当にいない
ほんとにひとりぼっち
ほんとにたくさんの友だちに囲まれて、
私が付き合うとしたら
きっととびきりオタクのひとだろうなと思ってた
でもなぜか
人気者の彼に誘われてしまった
誘われたんだから
なんでなのか分かんないけど
誘われたんだから
もしかしたら
お付き合いできるかもしれないって
思ってもいいよね
でもがっかりされたら怖い
おどおどしてたら嫌われるよね
明るくしなきゃ
あーでもうじうじ悩んでしまう
何話したらいいんだろう
水族館に行くみたい
デートの下調べしたいと思って
生き物の生態を調べ始めたら
下調べの方向間違えてたことにあとで気づいた
そもそもお洋服とか
買いに行かないといけない
爪とか髪は切ったから
お洋服を買わないと
ユニクロじゃだめかな……
眼鏡も新しくした方がいいのかな……
中学生の頃くらいから洋服が好きだ。特に中高の頃はファッション雑誌を見るのが好きだった。
ただお洒落なわけじゃない。一種のコレクター的な好きという感じだと思う。
でもマニアでもない。ビンテージのジーンズが好きだったりマルジェラやヴェトモンが好きだったりということではない。
ユニクロで売ってるような服でも好きな服もある。自分が好きな洋服を着てるだけでお洒落に気をつかってるわけではない。
あとコレクター的に好きなのはカジュアル系のものだけでスーツやネクタイを買うときは悩んで買うけど過不足なく買ってるだけだと思う。
流行が終わっても好きな服がある。そういった服が買えなくなるのが嫌。
だから流行が終わりそうなときに買いだめすることがある。買いだめといっても色違いを1着買うくらいだけど。
自分の中での「流行が終わる」には大々的な流行の終わり(例えばここ数年のストンとしたシルエットのMA-1の流行みたいなのが終わるようなこと)だけじゃなくて、なんとなく世間の嗜好とずれたのか製造上の都合なのかわからないけどちょっと前まで普通に売ってたのに最近見なくなったな(例えば80年代には生成りのリーバイス501,505なんてどこでも売ってたけどいつの間にか見なくなった。そういうのを経験してからこう思うようになった)というものも含んでいる。
買い換えが出来なくなりそうだと思ったらその手持ちの服を着る頻度を極端に下げてしまう。ほぼ着なくなる。好きな服なのに好きな服だからこそタンスのこやしにしてしまう。
30歳過ぎて太った。痩せるまで服はあまり買わないようにしようと決心して10年以上たってからダイエットに成功した。
太ってからファッション雑誌を読まなくなったけどdマガジンがきっかけになってまた読むようになった。
特に欧米からのインポート物はかなり高くなってるものが多いと思う。さっきも書いた生成りのリーバイスみたいに好きだった洋服で買えないというものがまたいくつも出てきたのにも気付いた。好きな洋服でこれはもっと高くなる可能性もあるとか廃番になる可能性もあるとか思ったものを買い始めた。
ほとんどの時間をスーツで過ごしているのでカジュアル系の洋服が傷まない。
古い洋服で残っているのは好きな洋服だし、ほとんど傷んでいないし、流行かどうかは自分の基準では関係ない。よく断捨離系で「ワクワクするもの」かどうかを判断基準にするようなことが書いてあるけどこれらは自分にとって「ワクワクするもの」だ。
古い洋服で着用感があるものはもちろんあるけどそういうのは実際によく使っているものであってそれを捨てても新しい似たような物を買う必要がある。(そういったものは思い出が染みついているから買い換えるのにやや抵抗があることは否めないけれども)
最近買った洋服はコレクター的に前から自分の好きだった洋服か実際に今着るもの。捨てる対象になりにくい。
これを書いたのは少し冬物処分しなきゃなと思ってるから。処分の候補は3月くらいから休みの日に着るようにして家族に写真撮ってもらってる。それでもたいして減らない。
別居中の妻に、小学校入学式の1週間前に6歳の娘が誘拐された。
3歳の娘を育てるため、残業も全て断り、保育園の送り迎えもお弁当の準備も全てやった。
途中で娘を返せと言われたが、裁判所の結果、監護権は夫である私に認められて、裁判の結審も秒読みだった。
離婚調停の調停員や弁護士の勧めもあり、月2回の宿泊を伴う面会交流も実施してきた。
そんな状況から数年が経過して、娘が6歳になり、翌週に入学式を迎えた3月26日の日曜日の夕方に事件は起こった。
待ち合わせ場所で待機してるが、時間になっても来ない。そのとき、見たことがない携帯電話番号から着信があった。
「娘は返さない。帰りたくないと言ってるので、私と住みます」それだけ言って彼女は一方的に電話を切った。
依頼してる弁護士事務所に電話したが、休日のため連絡つかず、とりあえず警察に電話した。
警察官に事情を説明したが、警察では何もできないと回答があった。
児童相談所にも連絡した、警察署にも内容証明で告訴状も送付したが、身の危険がある訳でなく、力づくではないという理由で捜査はできないと言う。
通学するはずだった小学校に入学手続きに行くと、教育委員会を通じて転校生手続き済みだと言われてしまった。
弁護士に相談したところ、人身保護請求の申立をしてくれる事になった。請求が認められると、相手側は子供を裁判所に連れて出頭する必要があり、拒否した場合は罰則や逮捕されるらしい。
非常に強制力がある法律なので、棄却されることも多いらしい。弁護士が言うには、子の引渡し仮処分の審判結果を以て、執行官が行う強制執行に相手が抵抗して失敗した場合の最終手段で申立をするのが本来の手順であると説明を受けた。
日本考えて!!
本日、娘と一緒に入学式に行く予定だったのに、直前で誘拐されて、戻ってくるかも判らないなんて。
連れ去りした側に罰則がなく、事実上の連れ去ったもん勝ちになってる現在の法律を考え直してほしい。
いつか戻ってくることを信じてるけど、新品のランドセルや新しい洋服に囲まれた生活が辛い。日本は真剣に考えてほしい。
※追記1
娘は6歳なので、ひとりで行き来していたのでは、面会交流は引渡しもお迎えも電車の改札手前で行ってました。
※追記2
2才の娘が一人の3人家族。
家賃をはじめ、光熱水費、通信代などはその11万円には含まれない。
米はふるさと納税で大量に届いているので、とうぶん買う必要がない。
飲料水は月に2回ほどAmazonでペットボトルのミネラルウォーターを購入。
私の朝ごはんは冷凍していた米をチンしてお茶漬け、もしくは夜の残り物がメイン。
ちなみに朝が早いタイプなので、妻はずっと寝てる。
夜ごはんは、焼きそばとかパスタとか、基本的に1品。栄養バランス?なにそれって感じ。
というか家には寝るために帰ってきているくらいで、日中はほとんど実家で過ごしている模様。
昼ごはんも夜ご飯も、実家で食べていることが多い。だから家の掃除も適当。
少なくとも私個人にかかる食費は月2万もあれば十分に足りているはず。というかその程度のものしか出てきていない。
それでも月11万円じゃ足らないから、もっと金をよこせと言われる。
週末に外食に行ったときや、家族で遊びに行ったときのお金は全部私が払ってる。
病院などでお金がかかったときも、きちんとその分のお金を渡してる。
家族の将来のために貯金も必要なのに、貯金よりも私に金をよこせと言ってくる。
子育てを頑張ってくれているのはわかる。でもそんなにお金かかる?
11万円を何に使っているのか教えてくれ、と言ってもそれは教えてくれない。Why?
今一番もめているのは、先日何の相談もなく洋服とカバンを買って、それが2万円くらいかかったみたい。
とりいそぎその金をよこせと言われてるんだけど、どう考えても納得いかない。
事前に何の相談なく、勝手に好きなものを買って、その分の金をよこせって、なにそれヤクザなの?
他の家庭も同じような状態なのでしょうか。
頼る身内もなく子供の面倒は全て見てきた。
ご近所に恵まれ、(自営なので)昼間から近所をウロウロしている怪しいオッサンでも、
朝まで家の電気が消えることなく時折ベランダで煙草を吸う何の仕事をしているのかわからないオッサンでも、
事情を知る保育園や小学校で一緒だったご家族や先生が良くしてくれた。
フリーランスになってからも仕事は順調で、年収は最高で2000万ほど。
自分にそれだけの実力があったなどではなく、とにかく人との繋がりの運が良かった。
デザインの仕事は好きなので徹夜も苦にならず、そのぶん収入も増え充実した毎日だった。
そんな生活が崩れ始めたのが3年ほど前。
主要取引先の経営が悪化し、月に10件ほど頂いていた依頼も減少していった。
他の取引先も外注を抑えるなどでインハウスに移行し経費を抑える方向へ。
それでも2-3年は暮らしていける貯金額だったので『なんとかなるだろう』程度でしか考えていなかった。
「〇〇税務署です。お宅に出向き税務調査をしたいので△日までに都合の良い日を教えてください」
Q. なんで客にウザがられてん分かってんのに、声いちいちかけてくんの?
A. これは、声かけて店内に一人でも客を足止めしたほうが、確実に次の入店率があがるから。
誰もいないシーンとした店に入りづらいだろ? 誰かが店員と喋ってたほうが、確実にその隙に入りやすいだろ?
なんで、生贄のごとく最初の一人の足を止めて、時間を稼いで入店数を促すために声をかける。
熟練した販売員だと、うまいタイミングで自然と声をかけ会話につなげ、試着まで持ってくテクニックを持ってる。
『何かお探しですか? 』なんて最初から聞くヤツは、ハッキリ言ってテクニックのないズブの素人だ。
ウザい感じで声かけられたら、こいつは仕事できない新人なんだな…と思って、多めにみてやってくれ。
Q. グイグイ服勧めてくるのってなんなの? ノルマでもあるから買わせようとしてんの?
A. これは非常に申し訳ない。確かにノルマ…というか金額目標はある。自分たちが服を売ったお金で会社が成り立ち、自分たちにも給料が分配される。
アパレル販売員はある意味、会社の利益の責任をその肩に請け負わされている末端の存在なんだ。
営業と一緒。だから、どうしてもガッツいてしまうところはある。
ただ、キャリアを重ねるとがっつけばがっつくほど売れないということも身にしみて分かってくる。
売りたい気持ちを隠し、真摯に「お客様の相談に乗る」「必要とするもの、本当に似合うものを進めることで確実に信頼を得る」ことが、
着実に売り上げにつながっていくと身をもって学んでいくんだ。
Q. すぐ「お似合いです」って言うけど誰にでもそう言ってんだろ。
A. これも上と回答がかぶるが、本当に似合わないものは基本絶対に勧めない。
何故なら、ゴリ押しして買い上げてもらったところでクレーム返品になる確率がグッと上がるからだ。
クレーム返品は、売り上げ的にも店の信用的にも時間的にも自分のメンタル面でもマイナスにしかならないので、本当に避けたいところ。
だから、販売員は「わ、素敵ですね!!」という一言に正直という魂を込めていうようにしているし、自分は少なくともそう指導している。
あと、新しいデザインをお客様が試着される場合、初めて目にする姿が〝着慣れてない〟〝見慣れてない〟ことが多く、
戸惑いと猜疑心で本当はそこそこ似合っているのに『似合ってない』と自己判断するケースが非常に多い。
販売員はかなりいろんなケースのお客様と接しているので、着ている本人より客観的に「似合っている」と判断を下していると思ってほしい。
『何故似合っていないと思うのか』というお客様の不安や着慣れなさ、持ち帰って着まわしがきくかどうか…など、問題を一つ一つクリアにして、
一度はお客様が「これが着てみたい」と思った洋服に対する不安を取り除くべく相談に乗るのが、自分たちの仕事だ。
もしそれでも納得がいなかなかったら辞めればいいし、納得がいけば買い上げに繋がる…と自分は思っている。
A. これは一概にそうとも言えない。
「自分はコミュ力がある」「人と接するのが好き」と言うヤツに限って、ものすごいスピードでこの仕事を辞めていくケースを散々見ているから。
どちらかと言うと、販売のコミュ力とスキルは、上手くいった経験より失敗から学んでいくことのほうが圧倒的に多く、
お客様との居心地のいい距離感をつかめる人間というのは実は人見知りの人のほうが確実に接客が上手くなり、成長するので長続きする。
販売員というのは、お客様と楽しくコミュニケーションをとりながら、頭の中では1日の目標売り上げに向けて
「この人でいくら売り上げが確実にどれぐらい取れるか…」というのを心のどこかで冷静にそろばんを弾いている生き物だ。
全てがそうとは言わない。違うという人もいるだろう。
なので、どちらかというと最低限のコミュ力も必要だが観察力・洞察力が求められ、磨かれていく職業だと思う。
☆追記
ブコメでいただいた質問を、トラバで答えておきました。よかったら、併せてお読みください。
はてなには実際にロリィタをやっていた人間は少ないだろうから、何か書いてみます。
自分が一番ロリ服着ていたのは2000年頃〜、今は着てないけどまぁまぁ監視してる感じの30代。
今も残っている初期の写真は服も顔も見るも無残だったけどなんやかんやで雑誌に載ったこともある、そんな増田です。
元増田さんは中学生の時から今まで、ネット上でよくある完璧なもの以外許さない系書き込みを真に受けすぎかぁ
確かに、太って化粧もまともにできてないような人間がロリィタ姿を晒すのは、ただえさえ肩身の狭いのにイメージを落とすからやめろ
というような声はずっとありますが、それって努力の痕跡もないような人を指しているのであって、
まともなコーディネートで清潔感と適当な化粧と髪型があれば非難されるほど否定されることは無いです。
ロリィタ着てなくてももうちょっと考えた方がいいんじゃないですかね…という感じの方が、割といらっしゃるので
そのような方を指すことがほとんどです。
約束事だって、ごっこ遊びの延長戦で「この方がロリィタっぽくね?なんかかわいいから言っておこう」みたいなロリィタネタも沢山あるし
オバロリにしたって非難するときに使うというよりは、自虐ネタ寄りだったりする。
若いロリータの方が人口多く見えるとしたら、それは成人はネットで年を隠すからです。
(今一番の問題は年齢と考えてるんだろうけど25歳はメーカーやアイテムちゃんと選べば本当に大丈夫。全く大丈夫)
そう言った本音というか、日常側の感覚って実際に人と触れ合わないとなかなかわからなくて、
ネットで調べれば調べるほど、彼女たちがネットで演じてる「かわいいロリィタごっこ」が全てに見えてきてしまうように思います。
雑誌やネットで目立っているような上のロリィタには成れないかもしれませんが、
中の下レベルあればロリィタのお友達を作って仲良くなるのには問題はないです。
あと元増田さんは他のロリィタさんからの目を気にされているようですが、ロリィタ自体嫌いな人は一般人は多いので
どんなに可愛い子でも、街を歩けば「ブサイク」「きもい」などと言われますので、気にしてはいけません。
基本的に好奇の目で見られるような行為です。そこにロリィタとして可愛いか可愛くないか、若いか若くないかは関係ないです。
元増田さんはメルカリで中古を買おうとしたと書いていますが、もし買ってみるという一歩が踏み出せるのなら
絶対にお店に行って試着して全身コーデしてもらって買ってください。
たとえ、家で着てみるだけで外に着て行く気が無くても、です。
衣装じゃ無くて洋服ですから、ちゃんと合うものを着ないと当たり前ですが似合わないし可愛くないです。
似合わない服を買ってロリィタが似合わないと判断するのは間違いでしょう。
普段着でロリィタ服を買いに来る人は全然珍しくないですし、予約制のショップもあるので
元増田さんのことはお客としか見てない店員さんに、誠実に服を選んでもらうことができます。
できれば10万くらい用意して、アンダーから靴まで完璧に選んでもらえれば、失望しないで10年の思いに応えれる姿になれるんじゃないでしょうか。
「私かわいいいい!」じゃなくて「以外と普通だな」って思えたなら、それはちゃんと着こなせてるってことです。
ロリィタ服は金を出せば買える、楽しくて可愛くてバカみたいでおかしな目で見られる服です。
思い詰めるほど崇高でも特別でもないです。
モノとして気に入ってたり、思い入れがあったりする。
婚約指輪やスイートテンの指輪は、贈られたモノというより自分の歴史だとも思う。
モノには罪はないから気にせず身に着けたらいいと思う。
でもけっきょく何年も着けてない。
友達とランチしてたら、昔付き合ってた人からもらったリングやネックレスを売ったという話題になった。
私はあれも、これも、まだそのまま持ってる。
でも、そういうのを家に置いておくのはよくない気もずっとしてる。
ものすごく辛かったけど、何年も経つと元ダンなりに愛してくれてたこともわかる。
いつか、いい想い出だけになって、きらきら光るダイアの入っている宝石箱を開けてしみじみしたりするかもしれない。
結婚と比べると恋人というのは儚く不安な関係だ。口にすると壊れてしまいそうで怖い。
私はほとんど誰にもそういうことは話していない。
捨てんかい! 話はリングやネックレスに戻って、友人にこんこんと説教された。
そんなものを置いている家にその人を呼ぶのは失礼だ、
だいたい過去を振り返ってどうする。
失礼というのが効いた。
帰宅してまず目に付く大きなモノ、洋服をゴミ袋に放り込んだ。これで買ってもらった洋服はなくなった。
バッグはないと困るので買い替えよう。
その次の日アクセサリーを整理した。一つ一つに想い出があって、きつかった。
離婚したけど、心のどこかでちゃんと離婚できていなかったのだと思った。
その勢いで宝石の付いていないのを地金買い取りに出した。
そうして片づけてたら元ダンの厄年に母がもらってきたお札が出てきたので、次の日に返しに行った。
3日連続頑張って、1つ区切りが付いたと思ったらクラクラしてきた。
次の日、眠くて眠くてずっと寝ていた。
全部売ったら、もう元ダンから贈られたものは何もかもなくなる。
追記
着ようよ。
今着ようよ。
思い入れがありすぎて、一人だとちゃんとできないかもしれないって思うなら、
衣装の貸し出しから、ロリィタ用のメイク、ウィッグ貸し出し(もしくはヘアセット)、カメラマンの写真撮影までやってくれるサロンあるよ。もう知ってたらごめんね。
メイクしてもらってかわいいウィッグつけてヘッドドレスつけて、
似合わないことなんてないよ。
楽しくて嬉しいよ。嬉しくて泣くかもしれないよ。
泣くとつけまとれるけど、それぐらい嬉しくなるんだよ。
憧れのあのお洋服を着てる自分が、いま目の前の鏡の中にいるんだよ。
見下ろすとあのワンピースの柄があるんだよ。それ着てるの自分なんだよ。
信じられないかもしれないよ。でも現実で本当なんだよ。すっごいよ。楽しいよ。
今着ようよ。後悔なんか絶対しないよ。
オタクをやめようと思いはじめてきている。
というのも、洋服や化粧、オシャレに対して興味を持ち、色んな事が楽しいと思い始めたら、オタクに対して疑問を持ってしまったから。
アニメとかゲーム、漫画のオタクで、前はキャラをイメージしたアクセサリーを可愛い、普通に使えると思っていたけれど今になっては少し恥しさが残る。
グッズのキャラも一つの絵柄から様々な媒体で売っていて、絵柄同じなのに何でだろうと疑問が残ってしまった。
そのような疑問が色々と積み重なって、オタクに対して疑問を持ってしまった。
その時にふと自分は盲目的にオタクをしていた数十年を思い返してみた。
その時、自分にとってはとても処理出来ない、悲しい事があった。
そこからどんどんと飲まれていくように、恋愛ゲームやオタクグッズなどに手を出していった記憶がある。
私は、集めるのが大好きで、キーホルダーなどビニールに入ったまんま保管が多く、溜まっていく一方だから部屋がとてもじゃないけど見せられない状況。
それが当たり前だった。
物があるのが、現実を考えなくても良く、夢中になれる事があるんだって考えられたからかもしれない。
その時私は、その思い出とプラスで自分に対してのコンプレックスや自信のなさが凄くあって、自分に対して不満で、諦めていて、拗ねてる感じでオタクをやっていた感じがするなあと今更ながらに思う。
顔も良くないし、体型だって太っていて、どうせ私なんてとかそんな感じの。
何故か、その人の闇を感じる時がある。
自分で取り返しがつかない劣等感とかコンプレックスや思い出がある気がする。
言葉の端々にそれを言ったり、言葉で出てる気がするからそれ気にしてるのかなって思う。
それを見つめたくなくてオタクをやってますっていう人が多いのかななんて推測してしまう。
それだけでは、その時の私はオタクやめようかなんて思わなかったと思う。
それを知っている自分がステイタスで、好きなキャラクターのグッズを持っている事で相手に認識させる、相手の気持ちを考えもせず一方的なコミュニケーション、前好きだったアニメの話を全く言葉に出ない所など書いてしまえば多くなってしまうぐらい疑問が多くなってしまった。
僕は5年後10年後を考える海がきこえるで言うところの松野タイプではなく、拓タイプなので詳細なあらすじは書かないが、
ざっくり書くと、普段のラフィはサターニャのことをからかっていたずらをするため、雨の日に傘を差し出すラフィを不審に思うサターニャ、
しかしこの日は特にイタズラを仕掛ける気はなくラフィはただ一緒に傘に入って帰りたいだけだった
みたいな感じかなあ
いや、あらすじの何が難しいって、文章にしちゃうと文章にしたこと以外が伝わらないわけじゃないですか
「だってそれにはまだ名前がないんだもん」だのに、ラフィとサターニャの気持ちに名前をつけてしまうわけじゃないですか
だから、僕が涙止まらなくなった理由を書いたしまうのももどかしい
けど、書かないと伝えられないのも、たいへんだなあ
要するに「相合傘で一緒に帰るぐらいサターニャのことが好きなのに、それがサターニャにはうまく伝わらない様」がなんかこう、悲しいんだよ!
わかんないよ、ぶっちゃけ、本当になんとなく見てるだけで、今までの回も飛ばしてる回があるかもしれないぐらい、思い入れがないアニメだから、解釈を間違えている気がしなくもないんだけど、
で、さらに、そのなんか、天使と悪魔の悲哀てきなサムシングが絡むんでしょ?
あーあーあーあーあー、切ないー
いやもう、そのイタズラって具体的になんだよってのが思い出せないぐらいの思い入れしかないのに、なんで泣いちゃうんだろうなあ
今日会社で飲み会だったんですけど、女の子二人がめちゃくちゃイチャイチャするんですよ
大きいところでいうと、枝豆をじかに手で持って食べさせあったり
小さいところでいうと、向かいの料理をとるときにお洋服が料理の皿にくっつかないように手で抑えてあげたり
もう書ききれないぐらいの百合エピソードがあって、ちょっともう心が落ち着かないんですよ
あっ! こういうときはアイマスのアイドルで例えないといけないんですよね
えーっと
みりあちゃんのソロ曲のロマンティクなうって曲あるじゃないですか
あれの
そっかあ、みりあちゃんはみくちゃんと一緒にお歌を歌いのかなーって思ってた
思ってたんだから、仕方ないよね
前を向いたらスプリング
振り向いたならウインター
誕生日プレゼントを贈ると「こんな無駄遣いして」と毎度毎度怒られる。
楽しいはずの誕生日なのに、このことで毎年揉めてしまう。どうしたらすんなりと受け取ってもらえるのか。
自然派アロマっていいわねと言う母に、今年はマークスアンドウェブの500円くらいの石鹸詰め合わせを贈った。すると誕生日当日の夜電話がかかってきて、開口一番、うちはこんなの使うようなセレブじゃないから返品してこいと叱られてしまった。500円の石鹸ってそんな怒られるほど高い?
他にもすごい肌荒れで保湿が必要なのに全然スキンケアしようとしないから、無印の1200円くらいのやっすい化粧水買って渡したら、毎日毎日こんな無駄遣いしてたらうちは破産だわ、みんな一体どこにこんな物を使う金があるのかしらと大騒ぎ。母の生活にはスキンケアという概念がないのだ。
母は70代、戦後すぐ田舎で生まれ、子供の頃は草履を履いて生活し、洋服も教科書も兄弟のお下がりだったらしい。
でもそんな高齢者は山ほどいる。母だけが頑なに服もコスメもアクセサリーも持たないで、外食もせず何十年と貰い物の古着ばかりで生きてきたのだ。
年金受給額は夫婦2人で40万を超える。贅沢は敵という固い信念の元にお金を一切使ってこなかったので貯金もまあまあある。”ちょっといいもの”が憚られる状況でもないだろうに。
そのくせ、子供から誕生日プレゼントを貰ったという友人の話を定期的に私に振ってきては、いいわね、素敵な関係よねと羨ましがる。
「貰い物だから~」で通していた時期もあったけど(ただで手に入れたと言うと喜んで受け取ってもらえる)、毎年は無理だ。どうすればお互い気持ちよく物のやりとりができるんだろう。
どっちも10年以上好き。
好きなキャラ(アイドル)のメンバーカラーというものが存在する。
2次元の方は二次創作もしていて、カラーイラストもよく描くけど、
さすがにアニメOPとかアイドルの歌ってる音楽とか聞けば蘇るけど。
今日、ツイッターで好きなアイドルに会うために、推しメンのカラーの洋服を買ったという実録漫画が流れてきた。
えっと思った。
そんなこと考えたこともなかった。
自分が好きなアイドルと握手したこともあるし、コンサートにも何度も行ってるけど、
びっくりした。
そういえばみんな小物を買うとき、これ◯◯くんの色〜とか、2色並べて△◯カラー!とかやってる気がする。(後者はカップリング)
作中には星が登場するから星モチーフの小物を買ってる人もよく見る。
ふーんと思って見ている。
その小物が、モチーフが、色が、自分の中では好きなキャラに一切繋がらないのだ。
紫のピアスはただの紫のピアスだし、星のついたポーチはただの星のついたポーチでしかない。
それ以上でもそれ以下でもない。
日常とアニメ、日常とアイドルを結びつけることが苦手なのかもしれないと今思った。
自分のどうでもいいどこにでもある下らなくて普通の日常世界と繋がっていると思いたくない。
でも推しの色を見てはしゃぐ子たちが少し羨ましい。
その感覚を手に入れたいような入れたくないような。
友達がいれば、アニメやアイドルといった世界は非現実の夢の世界ではなく
楽しく共有できる自分自身の輝かしい日常の一部になるのだろうか?