はてなキーワード: 慣性とは
エスカレーターに対して歩き移動を抑制する根拠はほとんどがデザインの失敗の問題であり、利用者に求める方がおかしい話だから
・メーカーは立ち乗りを推奨している
エスカレーターが利用されて何十年経ってると思ってんだ?
歩いて移動してる人が当たり前にいる現実がある中で必要な耐久性を確保してないメーカー側の無責任のツケをユーザーが払う必要がどこにある?
・片側立ちは効率が悪い
部分的には事実だが、実態とは異なってると体感では思っている。
歩行のトラフィックが半端に多い時(エスカレーター片側の運搬量より若干多い)は片側にトラフィックが集中して無駄な行列が発生しているのは事実だが、
通勤ラッシュなどの確実に混雑する状況では片側立ち+歩きの列が自然に発生しており、利用者の心理状況に応じて最適化が行われている。
片側立ちで待つのがイヤな人は待ってない。
・事故が多い
物理的には始点と終点以外は慣性が働くだけの階段だ。それでエスカレーター歩行で事故が多くなると言われても不思議なことで、
日本エレベーター協会は事故原因に占める割合が多い項目として下記の原因を挙げている。
1)手すりを持たず転倒する(両手に荷物など)。
3)踏段上を歩行し、つまずき転倒する。
5)逆走して駆け上がり(又は駆け下り)、転倒する。
3)踏段上を歩行し、つまずき転倒する。 はエスカレーター歩行が明確な原因だが、階段歩行より有意に危険なのか検討されたかを見ていない。
おそらく降順なので第三位の原因なのだろうが、大問題といえるかどうかは微妙なところだ。
めちゃくちゃ雑に類推して原因の20%だとしても、2018年調査の608件中の120件だ。
日本中の69,907台のエスカレーターで1年中利用して120件。現状でもめちゃくちゃ安全な乗り物じゃないだろうか。
「F1マシンはトンネルの天井を走れる」という話を聞いたことがあります。
F1マシンには強力な空力パーツ(前後についてる羽根みたいなのとか)が装着されていて、この空力パーツは自重よりも大きいダウンフォース(車体を地面に押し付ける下向きの力)を発生させることができるらしいです。
もちろん、飛行機がじゅうぶんに加速しないと宙に浮かばないのと同様に、F1マシンの羽根も(飛行機とは正反対の働きだけど)じゅうぶんな速度で風を受けないと自重以上のダウンフォースを発生させることはできません。が、それはともかく、理屈の上ではF1は天井に張り付いて走ることができる。
そこでふと疑問に思ったんですが、空力的に天井に張り付くことが可能だとして、エンジンを始めとした自動車の様々な機構は、上下逆さまになったままでも動くんでしょうか? 重力に依存した仕組みがあった場合、逆さまにしたら正しく動かないのでは、と思うのです。
車体を逆さまに保つ方法や天井にくっつける方法は置いといて、自動車は逆さまでも動くのか考えてみたいと思います。
木下サーカスには、巨大な球形のケージの中を数台のバイクが縦横無尽に走り回るエキサイティングな演目がありますね。オートバイにできるなら自動車も同じことができるかな? と思ったのですが、よく考えたら、サーカスのオートバイはF1の天井走りとは条件がいささか異なることに気づきました。
サーカスのオートバイが球体の中を自由に走り回れるのは、遠心力を利用しているからです。高速で円運動をすることでオートバイを球体の内壁に押し付ける方向の遠心力が働きます。じゅうぶんな角速度を得て遠心力が1Gを超えたとき、オートバイは逆さまになることができます。
サーカスのオートバイにとって遠心力は常に「主観的に下向き」の力で、それはライダーにも車体にも、ねじの一本に至るまですべてに働きます。
どうやらサーカスのオートバイは(技術的にはきわめて高度なことをしているものの)物理的には平らな地面の上を正立して走っているのと同じようですね。私の疑問の参考にはなりません。
自動車の中で重力に依存する機構がないか考えてみます。エンジン関係や駆動系はそのほとんどが回転運動であり、重力はほとんど関係なさそうですが……。
エンジンのピストンは上下運動をしていますが、燃料が爆発する力に比べればピストンの重さはまったく問題にならないくらい小さいし、複数のピストンが対称的に動作しているので、ピストンじたいの質量の影響はどっちみち相殺されてしまいます。
そもそもシリンダーの向きが上下ではないエンジンもたくさんありますね。V型エンジンにはバンク角がありますし、水平対向エンジンはシリンダーが寝ています。そしてなんと(自動車ではありませんが)、飛行機のプロペラエンジンには、クランクシャフトをシリンダーが360度ぐるりと花びらのように取り巻いた星型エンジンがあるくらいです。これはもう上下関係ないですね。
しかし、ウィキペの星型エンジンの項目には興味深い記述がありました。
放射状にシリンダーが配置されるため、時計で言う処の3時と9時(水平)よりも下側に配置されるシリンダーはエンジンオイルが重力で燃焼室に垂れ落ちるオイル下がりが発生しやすくなる。
燃焼室とクランクケースの位置関係から「オイル下がり」と表現しているのでしょうが、クランクケースから燃焼室にオイルが入り込むことは一般に「オイル上がり」と言いますよね。星型エンジンではピストンの番手によって現象の呼び名が変わってしまうのでしょうか。なんだか違和感がありますね。
話がそれましたが、逆さまのエンジンでも星型エンジンの下部ピストンと同じでオイル上がりは起こりやすそうです。
ああ。待て。待てよ。
オイルパンってエンジンの一番下にありますよね。いや、エンジン内の循環はポンプで圧送しているはずなので、まさか重力でオイルパンに集めているわけではないと思いますが、ストレーナはオイルパンの一番底に口が開いていてオイルを吸い取っています。車が逆さまになるとストレーナは空気しか吸い込めなくなりますね。
つまり車が逆さまだとエンジンにオイルが回らなくなる。時々ひっくり返してやらないとエンジンがこげついちゃいますね。ハンバーグか。
ほかにもデフやミッションなどオイルがひたひたに溜まっているところはありますが、こういうところは密封されていて循環せずにいるので、車体がひっくり返っても影響はなさそうな気がします。
燃料にもエンジンオイルとまったく同じことが言えます。燃料ポンプはガソリンタンクの底に口を開けています。車が逆さまになると空気しか吸い込めなくなって、完全にガス欠したのと同じ状態になりますね。潤滑なんかを心配するまでもなく、燃料の供給がなくなってエンジンが止まってしまうほうが先ですね。
と、ここでまたふと疑問が。飛行機の背面飛行は燃料の問題をどう解決しているのでしょう。
調べました。吸入口がタンクの底にあるのは同じなのですが、吸入口を逆止弁のついた小さな小部屋が取り巻いていて、背面飛行したとたんに空気を吸い込むようなことはなく、この小部屋に燃料がある限りは背面飛行できるようです。勉強になった。
タンクの中を小部屋で区切るというアイデアは自動車でも採り入れられているようです。背面走行に耐えるような機構ではないにしても、傾斜路や急カーブで強い横Gがかかっても燃料供給が途切れないような工夫はされているようです。F1なんかは絶えず強烈なGがかかっているので何か特別な工夫がありそうですね(知らない)。
まあ逆さまでは動かないとわかったのでこれ以上考えてもしょうがないのですが、せっかく始めた考察なのでもう少し続けます。
冷却水も、循環にはウォーターポンプを使っているものの、重力に依存した設計が随所にありそうな気がしますね。ラジエーターは、上部のアッパーホースから戻ってきたクーラントがラジエーターコアの中を流れ落ちて行き、底部のロワホースから出ていく、という仕組みの車が多いです。
流れ落ちるのにポンプの負圧だけを使っているのか重力も援用しているのかは私にはわからないのですが、ともあれ、車が逆さまになった途端に冷却経路にエアを噛んでしまいそうです。いただけないですね。
影響なさそうな感じ。
足回りは、F1のように空力だけで天井に張り付くことができるならば通常のサスペンションと同じという気がします。
よく「バネ下荷重は小さいほうがいい」と言われます。背面走行車は小さいを通り越してマイナスという究極のバネ下荷重とも言えますが、足回りの性能に関係してくるのはおそらくバネ下の「慣性質量」だと思うので、やはり正立している車とあまり条件は変わらないですね。
フルードの出入り口がリザーバタンクの底にあるのでエア噛みが心配。
車の構造物は基本的に車体に固定されているので逆さまになってもほとんど問題はないと思います。フロアから吊り下げている排気管は荷重が逆になると何かにガチャガチャ当たりそうな気もしますが。
車内については、一番厄介なのはドライバーですね。通常の三点式シートベルトだと天井に落ちてしまうでしょう。四点式や五点式でもかなりつらいものがあると思います。ジェットコースターのように肩をがっちりホールドする仕組みがないと運転操作ができ文字数
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee
共同通信社は30日、憲法記念日の5月3日を前に憲法に関する郵送方式の世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。
改憲なくとも法を生かせば緊急時に行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去の公害の教訓を思い起こしてみると立法・行政の不作為が目立つ。
憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法を指導する上位の規律が必要で、「今まさに緊急時だシフトチェンジしろ」
と行政や立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法の役割なのかもしれない。
という趣旨。
+++++++
「内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権が内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から
公害立法の歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法の余地もある。
実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。
そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在の感染症コントロールの問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。
だから、問題はできることをしない、立法不作為・行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。
しかし。
改憲の世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。
もちろん、行政・立法の性善説に立てば。。という留保はつくが。
というのも、水俣病を例にとって、公害の被害を振り返ってみると。
なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。
漁業法による禁止措置と漁民への補償、食品安全法による有機水銀に汚染された可能性のある魚類の販売禁止、
すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。
こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年。
国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限を行使しなかった、というのが結論。
1970年代、公害の社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として
そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。
法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政の責任が厳しく断罪されたわけだ。
ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず
なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題。
そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、
シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか。
かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線の駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、
通勤している乗客が枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について
非日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、
惰性で日常の論理で動こうとする「慣性(イナーシャ)」が働いているといったが、
ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。
この問題が解決されない限り、改憲による緊急事態条項の検討など、全く意味をなさない。
日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。
いや、だけど一方で、
緊急事態条項のようなシフトチェンジのトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。
どっちなのだろう。
そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長のインタビュー記事を目にしたからだ。
尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン
――東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。
尾身 医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります。
――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?
尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います。
これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応の問題ともつながっているように思えた。
それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存の立法・行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。
改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。
危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつの方法。非常時のガバナンス体制を整備する。
米国のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のように。
そうすれば、現在の河野太郎のような感染症の素人が新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。
彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、
ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民の心配に答えるのは基礎自治体の役割だ。
危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、
集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチンの効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。
目的とロードマップを国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定がベースとなったリーダーシップが重要だ。
ガバナンスの基本は、法、規則基準、科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。
これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国の行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して
説明責任(財政とリソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。
テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。
いずれにしても、緊急時のガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。
現在の菅政権は、こうしたガバナナンスの観点から落第点であり、
首相が何を考えているかわからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。
急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。
国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップに注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップの問題に錯覚してしまうが
本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンスの問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて
どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。
国民にとって予測可能でなければ、国民自身が計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。
(水木しげるの漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウルの本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップを象徴する話だと思う。)
緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガーが必要なのではないか。
そこに非常時へのシフトチェンジが記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。
もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさんが首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、
それが立法や危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味、大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領の権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダーの聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。
日本の政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。
そんなことをインタビューの印象として持った。
最初のバイクレースおわって人間おいつめて殺して次の街?にいったらゾンビたくさんいたってところまで
おつかいだらけってのもうざいしそれより何より基本的な操作システム全般がうざすぎるからやめた
以下うざかったポイント
・拾えるものの印が背景にまぎれてすんげー見づらい・探しにくい このせいで最初に地面に落ちてる包帯さがすチュートリアルで10分くらい迷ったわ
・ホイール操作がうざい クラフトするのにどんだけコントローラ同時押しせなあかんのや
・いちいち長押しさせるのがうざい 暴発防ぐためだろうけどアクションするためにいちいち長押し要求されるからうざい
・車の防犯サイレンがうざい スクラップっつー身も蓋もない名前のアイテムを拾える車は防犯サイレンがプープーなってんだけどこれがすげえうるさい
・もろウィッチャーの感覚のパクリのクソ追跡モードがうざい お前超人かよ
ウィッチャー3以上にクソだわ
ウィッチャーエンドになった
太陽の石クエストの古代の地下墓地が。フィリパと別れた後すげー迷った
エルフが呪いかかってた醜い怪物をケイアモルヘンにつれてくムービーでアプリが落ちた
ラスボスと戦う途中で1,2割体力削ったら次の場所に移動して戦うはずなのにそのイベントが起きないバグもあった
アイテム拾いたいのにロウソクをつけたりけしたりするアクションが最初から最後までうざかった
完全に意味ないし ロウソク付けたら宝がみえるようになるとかもないし ただの宝拾いの邪魔でしかない
華麗にステップしてよけて斬りつける、ができないからホントストレス
せっかくステップして敵の死角に移動しても、斬りつけるときに無駄にくるりんと回転してきるっつーモーションが入るせいで敵が体勢立て直しちゃう
ロードもクソ長いし
思ったように操作できない
オープンワールドっていうけどいけるとこいけないとこの管理甘くてそこちょっとのりこえればいけるだろとかそういうのができない
それなのに回転回避するだけで衛兵がおってくる 剣ぬいてない 眼の前で前回りしただけなのに
専門用語とか多くてまともにストーリー追ったり本とかの用語辞典を読む気にならない
まあお話としてはそれが正しいんだろう 作中キャラは当然のようにわかってるから用語説明とかあったらおかしいし
入れないドアも多いし
https://togetter.com/li/1683384
上記まとめ内ではスクロール芸と言っているが、自分もこういう技術の正式名称は知らない。
Webページをスクロールしていくと、それに連動してアニメーションが動いていくようなやつだ。
俺個人の意見としてはこの手の演出は苦手だ。世の中から無くなってほしいとすら思っている。
・重い
・読みにくい
という3点にまとめられると思う。
数年前に作られたような似たページだと、まあ重い。
それこそ、自分が以前勤めていた会社のHPもスクロールとアニメーションが連動していたが、
あまりに重くてページが開くのに10秒か20秒も待たないといけないという有様だった。
スペックの高いPCやスマホを使えばいい?それはそうかもしれない。
しかし、現実として常に最新のデバイスに切り替え続けるという人は、いわゆるオタクの領域だ。
一般的には同じPC、同じスマホを2年から5年くらいは使うだろう。
当然スペックはどんどん型落ちになっていくわけだが、それが大多数。
なのに最新スペックを要求されるような派手な演出をするのは得策ではないと思う。
背景がうねうねしていたり、スクロールするに従って新しい文章が横から出てきたり。
アニメーションのほうにばかり目が行って、読みにくいったらありゃしない。
この手のページで伝えたいことって、大半は文字情報になっている。
なのに、その文字情報を追いづらいページ構成になっているのはなぜなんだ。
だから俺にとっては一番の問題だというだけで、他の人にとってはそうでないかもしれない。
これのなにが問題か。
前述の読みにくいにも関連することなのだが、
読んでいる最中の文章を、画面上の自分の好きな位置に置くことができない。
特にPCの場合は、画面の中心かつブラウザの中心でもあってほしい。
しかし、この手のページだとそれができない。
文章の区切りごとに次ページへ行くかのようなスクロールを強制される。
画面の端の方に書かれた文字を読まなければいけないのはなかなかのストレスだ。
自然と1、2行ごとに少しずつスクロールするという癖がついている。
なのに、このページではそれを許してくれない。
「この画面ではここからここまで読んでね」
「それを読み終わったら次はここからここまでね」
しかも厄介なことに、慣性を効かせるのがかっこいいと思っているのか、
少しだけスクロールすると元に戻されるような動きをする。
この手のページ、演出は無くなってほしいという個人的願望をここに書き捨てておく。
この悩みは結構大きくて、たとえば自分の趣味や転職活動のために情報収集のために
たまにはさ、
知らない街の知らない大きな書店で
プディングが突然食べたくなる現象の青木まりこ現象になりがちなほど、
リアル書店に行ってきたわよ。
すっかりオンラインネットチューモン的なアマゾンでお馴染みで、
なんとか歩けたけど、
あの物量で攻められたら守れないわ!
ってよく分からないけど、
あんまり面白そうな本に出会わない自分好みの検索結果しか反映されないマイハート。
物理的な本の手触りとかものとしてのありがたみを感じるんだけど、
いかに宇宙空間でもエンターテインメント性を欠くことなく生活できるかってことに重きを置くべきだと思うし、
エンターテイメント性には困らないのかもね。
よく知らないけど、
きっとそう言った物は二の次でネッツでエンターテイメント性は調達してねってお達しかもしれないわ。
でね、
つまり炭素が循環する世界的なことを語ってる研究はなかったのよね。
野菜は育てられるとしても、
野菜ばかりじゃタンパク質不足に陥る問題はやっぱり昆虫食これしかりだと思うんだけど、
あ!じゃ
ああ大きな書店にまできてもまさかの青木まりこなのねって少しがっかりだったわ。
私もう一つあるの。
これは絶対出てくると思うけど、
今現在二酸化炭素であふれる世の中は地中に埋められた二酸化炭素を探すSF!
すっかり空気は綺麗になったけど、
過去地中深く埋められた二酸化炭素を求めて世界を駆け巡るカーボンハンター!って
ありそうじゃない。
近い将来そう言った未来もマジありえるかも知れないし。
前書いたっけ?
端っこに浸ける重りのカウンターどうやって持ち上げんだよ!って問題もあるし、
巻き尺みたいに巻き取られないかしら?とか
仮に上手く軌道エレベーターが成立するとしても、
まあちょっと宇宙コーナーの書店の棚には私の探していた本はハヤカワだったけど、
私喰らったんだけど、
思わず手帳買っても私手帳を超つけないのよねーって話をしていて、
ついには今年は手帳を買わなかったわ!ってところまで話したの。
本当のことを言うと、
手帳のことを忘れていて思い出した途端ほら!
あー、
いきなりもう書かなかった日1日目を迎えて、
本当に私の今年の目標は達成できるのであろうか?って
今年こそは今年こそは、
手帳をなんとか充実させたいところね。
あー思い出した途端にそうよ。
うふふ。
これっきゃないでしょ!ってことで今朝はこれで玉子キメました。
ホッツヒーコーと一緒に頂くと美味しいわよ。
ミントの葉っぱも少々適宜入れてみたわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここ10年20年で幸せのかたちは多様化した、というのは今更言うまでもないね。結婚しなくてもいいよね、ひとつの会社を勤め上げなくてもいいよね、みたいなのはその一例。いいことだと思う。
ただ、その前提とも言える「幸せになりたい」という思いは変わっていないと感じる。みんなそれぞれの方法で幸せを追い求めている。
そこで考えたんだが、あと一歩進めば、別に幸せにならなくてもいいんじゃないかって話にならないだろうか。そうすれば不幸だからと自死を選ぶこともなくなる。幸福も不幸も生も死も積極的に望まず、惰性で生きたり死んだりする。
なんかもう、そんなもんでいいんじゃないのかな、と思ってきた。だからといって心安らかになるとかではないんだが、どうだっていい。どこへ向かおうとも慣性に身を委ねたい。
一週間もなんかよくわからん代車に乗っていて馴染みそうになっていたので、久しぶりのワゴンRに「こんなに重いんだっけ?」って思った。アクセル踏んでも急に加速しない。でもチェンジレバーは軽い。
ブレーキ……かかりが昔よりも微妙に悪くなってる気がするんだが、点検では引っ掛からなかった。確か去年の車検の時に直してもらったしな。代車のブレーキは踏むとギャン!って感じで利いたので、娘が車酔いしていたし、運転している私までちょっと酔った。
久しぶりのワゴンR、乗っててすごく重い、重いと感じた。まずエンジンの音が重いのとハンドルが重いしアクセルも重い。乗ってると急に自分までおでぶになった感じがしてしまう。燃費の悪い音がするー、と思いながらGSに寄って2000円ぶんだけガソリンを入れた。
先週、ディーラーに車を預けた時、確かガソリンの残量は4分の1くらいだったと思うんだが、何しろ燃費が悪いので、工場に行って帰って来たら燃料は尽きてしまったらしい。
やっぱり、ガソリン代と環境のことを考えたら、この車はもうダメなんだろうなぁ、と思いながらたまにアクセル踏んで慣性で走る。こんなことしてガソリン代の節約になるのかは知らんけど、エンストしやすくなるのはどうやら確からしい……。
信号待ちしていると、代車のカンカンカンカスンカスンという間の抜けたエンジン音が懐かしくなる。間抜けだし、停車時間が長いとカスンってエンジンが止まって私みたいにいまだ古い車に乗ってる人間は不安になってしまうのだが、それは省エネの音であり省エネによる一旦停止なので問題はないのだ。本気のエンストとどうやって区別するのとか思うけど。でもほんと燃費いいんだよなあ。
代車を借りたとき、ディーラーが給油してくるのを忘れたというんで夫がGSに給油しに行ったら、千円分入れるはずの所をGSの従業員のミスで満タン入れられてしまったのだが、それからちょっと遠出とかもしたのに、代車返却するまでに燃料のメーターは殆んど減らなかった。代車の燃費がいいところは良かった。軽いせいで急発進急停止しがちなところはあれだったけど。
銀行へ行って、私の口座から車屋の口座へ、夫名義で60000円振り込んだ。ちょっと大きな金額を一括払いするのは気分がよく、私はこういう時の為に節制した暮らしをしているんだと、誰も誉めてくれないけど誇らしい気分になる。夫名義なので、さすがさすが!と言われるとしたら夫なんだけれども。
残高を見て、このぶんなら来年末には車を買い換えてもいい気がするなあと思う。でもそしたら払い込んだばかりの一年点検の費用とか、来年の車検の費用が無駄っぽくなるよなあ、という気がする。夫ともまた衝突するだろう。だから点検に金を遣うなんて無駄だって言ったんだ!とか。びた一文出さない癖に口はよく出して来る。車のことは俺の領分だと言わんばかりだ。
しかし、車関係のことはほんと、ディーラーにも修理工場の人にも私はナメられまくりでまともに話を聴いて貰えたためしがなく、夫を通した方が何でもすんなりいくから仕方がないなと思う。
車を買うとして。個人的にはラパンが乗り回し易くて好きなんだけれど、自分一人で乗るならともかく子供を乗せなきゃならないので、あんまりちっちゃい車は不便。ラパンの後部座席、見るからに乗り心地悪そうだしな……。
周囲を見ると、子持ちの女性は大体、子供をのびのび昼寝させながら海まで行けそうなでっかい車に乗っている。私は運転が上手くないという自覚があるので、そういう大きい車は手に負えないから欲しくないな。
やっぱり私の愛車くらいの大きさの車が私には合う。ただ、なんの変哲もないワゴンRを修理しながら大事に乗るというのは、ディーラーや整備士さんにはあんまり理解されないらしく、丁寧に乗って長持ちさせる気があるならもっと高くていい車を買った方がいいのかなと思う。
十数年前、愛車を買った時は車なんて動けばっていうか私に動かせられるなら何でもいいと言って予算の範囲内でディーラーに選んで貰った。試乗もしなければ納車当日まで実物を見もしなかった。却ってディーラーに「女の子がそんなこと言うなんて……」とドン引かれて、納車のときディーラーは私が「やっぱり気に入らない」って言うんじゃないかとビビっていた。
そんな私が、今は買うなら高くていい車がいいなんて思っているとは。
あの頃は、自分の買い物を合理的判断と思って悦に入っていたけれど、私は間違っていたなと思う。自分が物を捨てられない質だということを忘れていた。捨てたくないなら、誰が見ても「それを惜しがるのはまあ分かる」と思うくらいのものを買うべきだった。まあ、今頃気づいてももう遅いんだけど……。
イベントサイトで「もくもく会」とか調べると各地でやってる。最近はコロナでリモート開催が多いので、逆遠い場所のコミュニティでも参加しやすくなってる。まあ自習するだけだが、知り合いできると楽しいよ。
https://connpass.com/dashboard/
あとは書籍やチュートリアルをコツコツやるか、動く慣性サンプルをチュートリアルとかGitHubからダウンロードして改造しまくるといい。作りたいもの決まってるなら、よく似たサンプル探していじりたおすのが早そう。
何やっていいかわからない場合はRailsチュートリアルやるのがいいかな。https://railstutorial.jp/
アプリならFlutterとかでいいかなと思ってる。ここは自信ない。
Udemy(https://www.udemy.com/) の中で評判いい講座をやるのもよいと思う。毎月セールやってるのでセールで買うこと。かなり安くなる(普段が高い)。ちなみに明日までセールしてる。ただ、無料のチュートリアルやってからでもいいかなと思う。
参考になれば。
大学四年生。就職しないと金がなくて死ぬけど、就職したくなさすぎて困ってる
死にたくはないけど、それと同じくらい自由を差し出したくない。
小学校、中学校、高校、大学とどのコミュニティでも問題を起こして爪弾きになる程度に社会性がない自分に、定年まで40年も同じところで働き続けることができるとはとても思えない。
学校と違って企業での人間関係の失敗はいつまでも尾を引くだろう。であれば自分を殺すことが必要になるわけだが、そんなことを40年も続けられるわけがない。
人間関係を絶対に失敗するので、人との関わりはなるべく持たないようにしてきた。そっちのほうが気楽だったし。けれど企業じゃそうはいかないだろう。人を避けてちゃ仕事にならない。
恋人と結婚したいし、子供も欲しい。それなら安心させられるだけの金と社会的信用が要る。果たして自分の命ひとつ守れそうにない自分に、そんなものを背負う資格はあるのか。あるわけないだろ。
結婚とか育児とか、贅沢なものを得ようとしているんだから、当然コストはかかる。自由を売って金を得なくてはならない。
でもさーーーー、マジで嫌なのよ。いやわかってるよ、そんなん言ったって働かなきゃ困るのは自分なんだからつべこべ言わないで働け、働かないならさっさと死ねっていうみんなの気持ちは。けどそんなマッチョな思考ができるなら最初から悩んでないわけでさーー。
「こいつは就活難航しそうだなー」と思ってた友達もそろそろ内定が出始めている。みんなちゃんとエントリーをやめないので、きちんと賽を振り続けているのでなんだかんだ報われる。偉い。
一方自分はと言えば、エントリーひとつするのにも「ここで働く羽目になる可能性があるわけか……」といちいち悩む。そもそも労働自体したくないと思ってる自分が、貴社で働きたいんですと言い張らなきゃいけない。面接官だって人だ。そんな簡単に騙せるわけない。説得に足る理由はあるか? いやない。だって働きたくないもん。
なんだかんだ言いながら働かなきゃ……って言ってちゃんと内定とって働いてる人たち、本当にすごいなと思っている。自分はそんな納得してないのに割り切るようなことはできない。
これで就職できなくて来年の4月から無職になったとしたら、そのまま慣性に任せて死んでも仕方ないよな、と半分は本気で思っている。
恋人との未来とか、自分自身の命とか、守りたいものはあるけれど、でもそれを全部捨てて無かったことにしてもいいやと、どこかで自暴自棄な自分がいる。
いやわかってるよ、やらなきゃいけないのはわかっているけれど、分かったらできるかと言われれば別問題じゃん。
週5の労働といつまでも続く面倒な人間関係なんてコストを支払わなきゃいけないほど、命って高いものなんですかね。金持ちになりたいとか人を顎で使いたいとか思ってなくて、ただ生きていたいだけなんですけど。
大学四年生。就職しないと金がなくて死ぬけど、就職したくなさすぎて困ってる
死にたくはないけど、それと同じくらい自由を差し出したくない。
小学校、中学校、高校、大学とどのコミュニティでも問題を起こして爪弾きになる程度に社会性がない自分に、定年まで40年も同じところで働き続けることができるとはとても思えない。
学校と違って企業での人間関係の失敗はいつまでも尾を引くだろう。であれば自分を殺すことが必要になるわけだが、そんなことを40年も続けられるわけがない。
人間関係を絶対に失敗するので、人との関わりはなるべく持たないようにしてきた。そっちのほうが気楽だったし。けれど企業じゃそうはいかないだろう。人を避けてちゃ仕事にならない。
恋人と結婚したいし、子供も欲しい。それなら安心させられるだけの金と社会的信用が要る。果たして自分の命ひとつ守れそうにない自分に、そんなものを背負う資格はあるのか。あるわけないだろ。
結婚とか育児とか、贅沢なものを得ようとしているんだから、当然コストはかかる。自由を売って金を得なくてはならない。
でもさーーーー、マジで嫌なのよ。いやわかってるよ、そんなん言ったって働かなきゃ困るのは自分なんだからつべこべ言わないで働け、働かないならさっさと死ねっていうみんなの気持ちは。けどそんなマッチョな思考ができるなら最初から悩んでないわけでさーー。
「こいつは就活難航しそうだなー」と思ってた友達もそろそろ内定が出始めている。みんなちゃんとエントリーをやめないので、きちんと賽を振り続けているのでなんだかんだ報われる。偉い。
一方自分はと言えば、エントリーひとつするのにも「ここで働く可能性になるわけか……」といちいち悩む。そもそも労働自体したくないと思ってる自分が、貴社で働きたいんですと言い張らなきゃいけない。面接官だった人だ。そんな簡単に騙せるわけない。説得に足る理由はあるか? いやない。だって働きたくないもん。
なんだかんだ言いながら働かなきゃ……って言ってちゃんと内定とって働いてる人たち、本当にすごいなと思っている。自分はそんな納得してないのに割り切るようなことはできない。
これで就職できなくて来年の4月から無職になったとしたら、そのまま慣性に任せて死んでも仕方ないよな、と半分は本気で思っている。
恋人との未来とか、自分自身の命とか、守りたいものはあるけれど、でもそれを全部捨てて無かったことにしてもいいやと、どこかで自暴自棄な自分がいる。
いやわかってるよ、やらなきゃいけないのはわかっているけれど、分かったらできるかと言われれば別問題じゃん。
「機動戦士ガンダム00」という作品がある
2007年から放送された、TVガンダムシリーズの中で初めてのハイビジョン制作・一期と二期の分割放送など新たな試みが取り入れられた、完結から10年経つ今でも高い人気を誇る作品である
僕はこの作品を初めて見た時、本当に驚いてしまった。「TVシリーズなのにこの作画の良さはどうなってるんだ!?最近のアニメはクオリティ高いって聞いてたけど劇場版やOVAでもないTV作品でもこんな凄いのか!?」ともう興奮した。
西暦2307年、地球上の国家は大きく三つの超大国家群に別れて終わりの見えない争いを続けていた。そんな不安定の情勢の中、突如機動兵器ガンダムを所有する私設武装組織「ソレスタル・ビーイング」が現れる。彼らは世界から戦争行為を根絶するためにどのような理由があろうとも全ての戦争行為に対して武力による介入を行うと宣言した。何だこの掴みは!?こんなガンダム見た事が無いぞ!世界各地で戦うガンダムから始まる1話はWっぽいかな?
今でこそもうそういう物だ、と認識しているけど主人公の名前が「刹那・F・セイエイ」でその口癖が「俺がガンダムだ…」などともう序盤からインパクトが凄かった。主人公達以外も模擬戦男「パトリック・コーラサワー」、口から名言が飛び出す男「グラハム・エーカー」、ところがぎっちょん「アリー・アル・サーシェス」など、視聴前から存在だけは知っていた愛すべき敵役キャラクターも次々と出てきた。序盤からこんなに印象的な敵役がどんどん出てくるガンダムは中々無いと思う。
また、当時僕は活躍されている声優さんについても疎かったので、出演されている人達も「あ、ガンダム00に出ていた人だ!」という感じで覚えていた。宮野さん、神谷さん、吉野さん、中村さん、浜田さん。皆僕にとっては「00の人」だ。
作画が良い、キャラクターも個性的。これに加えて音楽まで良いんだから堪らない。あの川井憲次氏だ!特徴的なコーラスは一度聴いたら忘れられない。僕が川井さんの曲を聞いたのは00が初めてだったのでやっぱり「00の人」だ。
他にもMSのパイロットがヘルメットを被ると音がこもったり、動力炉から漏れ出る特殊な粒子が慣性や重力に作用するガンダムタイプは同じMSと兵器でも三代国家群の機体と挙動が全く異なるなど、細かい所にも力が入っていた。
トランザムというパワーアップも良かった。機体色が赤く変化し、残像が残るほどの高速戦闘が可能になる機体の性能を三倍に引き上げるド派手なシステムだ。赤くて三倍…シャア専用?3倍界王拳?V-MAX?オマージュですよ。
大分後になってトランザムはスライドで誤魔化してるだけだという意見も聞いたがそれがどうした!動いてカッコイイからそれで良いのだ!それにスライドじゃなく普通に動いてる戦闘シーンも多いのだから問題ない!発想の勝利だ!
ちなみに僕は一期のキャラだと人革連の強化人間こと超兵1号「ソーマ・ピーリス」というキャラが好きだった。ガンダムマイスターアレルヤとの因縁や、上司であるセルゲイ大佐との触れ合いなど、色々と先が気になるキャラクターだった。
一期の物語は三大陣営の連帯に生まれた国連軍によりソレスタルビーイングの実働部隊プトレマイオスチームが壊滅し、その国連が地球連邦政府と名前を変えた数年後の世界を舞台に続編を匂わせる形で一旦終了する。
という訳で一期を見終え二期も見た。UVERworldの 『儚くも永久のカナシ』、良い曲だ…もうOPからこれは凄い!と惹き込まれた。やっぱりこれが僕の初UVERworldだったので、僕にとっては『00の儚くも永久のカナシの人達』だ。
二期では遂に満を持して作品のタイトルを機体名に冠する「ダブルオーガンダム」が登場し、一期でソレスタルビーイングの技術が流出した影響でMSの性能が格段に向上した世界で一期より激しい戦いが繰り広げられる事となった。
僕も実際に見てこのガンダムは凄い!と思ったが、やはりリアルタイムで見ていた人達からの評価もとても高く絶大な人気があったらしい。F91から19年ぶりに“ガンダム”完全新作映画が00の続編として製作され、人気を博した。
スロー再生でも目が追いつかない程超高速でありながらみっちりと描き込まれた戦闘シーンや、映像作品では初となる地球外生命の登場など、19年ぶりの完全新作劇場版というファンの期待にも負けない非常に濃いガンダムだった。
そしてその劇場版から10年経った現在、40年以上続くガンダムシリーズで00は初めて舞台化された作品になり、ガンダムマイスターとしてソレスタルビーイングに加入したグラハムが主演の続編が製作される事も既に決定している。
アナザーガンダムでありながらガンダムシリーズ初のTV版の続編としてOVA作品が作られたWの人気も凄いと思っていたけど、00も凄い。ガンダムWとガンダム00はゲーム作品で共演した時も濃密にクロスオーバーする事が多いらしい。
正直な話、僕はこの作品の欠点があまり思い付かない。強いて言うなら一期で登場した一部のキャラ達が二期で退場する際に「え、そんなあっさり?」と思ったくらいで、全体的に非常にクオリティの高い作品だったと思っている。
主観的に見ても客観的に見ても非常に評価が高い、この「機動戦士ガンダム00」という作品。ここからが本題なんだけど…僕はこの作品が大好きか?と考えると案外そうでもない。嫌いではないし好きな方ではあると思うけど。
これは作品の美点欠点の話じゃなくてあくまで僕の好き嫌いの話だけど、僕はこのガンダム00という作品でソレスタルビーイングという組織は最後に壊滅してしまう物だと思っていた。武力介入の際に、目の前の武装勢力の駆逐より人命救助を優先してしまう心優しきガンダムマイスター「アレルヤ・ハプティズム」というキャラクターが居た。彼はガンダムマイスターとして初めて民族紛争には武力介入し人革連の基地へ爆撃した際自分を指し「稀代の殺人者」という言葉を使った。家族を自爆テロで失った過去を持つガンダムマイスター「ロックオン・ストラトス」はその自爆テロの計画犯である傭兵サーシェスにお前も同類のテロリストだ、と煽られた際に「咎は受けるさ」と言い、戦いの果てに亡くなった。
ソレスタルビーイングのメカニック「イアン・ヴァスティ」は自分達は犯罪者であり、戦争をなくしてから罰を受けると言った。これは最終的にソレスタルビーイングは今度こそ本当に壊滅してしまうのだろうな…と薄々僕は思っていた。
二期のラストでかつて憧れた存在であり、自分を拾ってくれたある意味恩人でもある相手を激戦の末倒した刹那は、「自分達は武力を行使してでも抑止力となって生きる」「存在し続けなければいけない。未来のために」と決意する。
僕がこの最終話を見た時には「00は劇場版もやる」という話は既に出ていたので「そうか、今度こそそっちで完結するんだな」と思った。というか逆に「00というガンダムの劇場版が今度公開される」と聞いてTV版を見ていたんだろうか?
劇場版00が公開されてから1年以上経ってようやく僕は視聴出来た。新型主役機クアンタや金属生命体ELSの話は事前に聞いていたのでとてもワクワクしていた。もう凄かった!ただでさえ高品質だった作画の劇場版クオリティだ!
最後はELSとの最終決戦から50年後、離れ離れだった刹那と作品のヒロイン「マリナ・イスマイール姫」がイッツタイムナウしてやっと出逢えたところで終わる。若イオリアとE・A・レイはおまけというか00の前日譚みたいな物だから置いておく。
…ソレスタルビーイングは特に壊滅しなかった。劇場版00の公式ガイドブックに収録されている水島監督と脚本の黒田さんの対談によると「劇場版が決まらなかったらTV版には別のルートもあった」「劇場版は監督が目指したAルートでBルートもあった。どちらも描いている事に大きな差はないけど、死ぬ人がいた」「25話を見直したけど、冷静になってみると、マイスターが死んでもきれいに収まる」との事なので、本来ならマイスターが死亡する筈だったのかな?と思った。
TV版の一期から劇場版まで3年以上作品を応援し続けた作品のファンの事を思うとそれはあんまりな気もする。ただ僕個人の好みからすると、00は作中で匂わされていたソレスタルビーイング壊滅オチの方が好みだったかもしれない。
ここまで書いて、僕は「00の事が大好きではない」と言いながらやっぱりそれはそれで好きなような気がしてきた。「大好き」でないだけで、実は結構気に入っているんだろうか。色々と言いたい事はあっても、やっぱり好きなのかもしれない。
最近公式に配信される機会があったのでまた一期を少し見返した。今のアニメに慣れた目線から見ると作画に関しては思い出補正がかかっていたな、と思ったがキャラクターや音楽の魅力は変わらなかった。何と13年も前の作品だ。
機動戦士ガンダムが40年以上愛されたように、機動戦士ガンダム00もこれから長い間愛される作品になると思う。これからも僕は「00の事がそれなりに好きなつもり」のファンとして00が好きな人達と関わって行けたら良いな、と思った。
【追記】
勢いで書き上げたけど、00が好きな理由は書いても00の事が大好きではない理由は殆ど書いていない事が分かった。壊滅すると思っていたソレスタルビーイングが物語のラストまで普通に健在だった、というのは間違いなくあると思う。
僕がこの作品の中で好きになったキャラクター達があまり良い結末を迎えられなかったり、僕が思っていたのと違う方向に行ってしまった事が「それなりに好き」でも「大好き」ではない大きな理由だと思う。メカニックや戦闘は文句無し。
アンドレイ・スミルノフというキャラクターが居た。ソーマの上官セルゲイ大佐の実の息子であり、幼い頃に軍人であった父セルゲイが作戦中に母を戦死させてしまった事で父を恨み、また父であるセルゲイもアンドレイと向き合う事を恐れたため10年以上父と疎遠であったという、一体どこの富野主人公だ?という青年である。声優さんもブレンパワードで伊佐未勇を演じた白鳥哲さんだし、00の中でも富野チックなキャラクターだと思う。グラハムも台詞は富野っぽいかな。
幼い頃に母を亡くし、また父ともろくに顔も合わせないという親をやってくれる人が居ない環境でアンドレイは育った。彼が父であるセルゲイ・スミルノフと顔を合わせたのは、両親と同じ軍人としての道を歩み、現在父が暮らす士官用宿舎に超兵ソーマ・ピーリス中尉の招聘に訪れた時だった。そこで彼が見たのは、自分と近い年頃の女相手にまるで父親のように振る舞う実父の姿で…これ、ブレンパワードの勇なら「父親ごっこはやめろー!」って叫んでいたと思う。
セルゲイ大佐は軍人として素晴らしい人物で、ソーマにとっても良き上官であり、身寄りのない少女の身元を引き取り人間らしい生活を取り戻させてあげた本当に良い人だと思う。実際視聴者からの人気も高かったし、僕も好きだ。
ただ実の息子とは言葉も交わさず何も父親らしい事をしなかったのに、赤の他人にまるで本当の父親のように愛情を注いだのは…実子に親らしい事をしてあげられなかった代償行為だと思うんだけど…貴方は何をやってんです!?
大佐がそうやってソーマと疑似的に親子関係を築く事で親心を満たしていた数年間も実の子供は親の愛情に飢えていた訳で…セルゲイ大佐の事は好きだけどアンドレイに恨まれても仕方がない、と思う。大半の人は恨むと思う。
その後、セルゲイ大佐は長年の親友が地球連邦政府に対しクーデターを起こし、大佐自身もそのクーデターに関与していたと思われた事から実の息子であるアンドレイに殺害された。大佐自身はクーデターを肯定しなかったが、連邦の軍人として食い止めようと友人へ何かをした訳では無い中立的な立ち位置だったので、人によっては消極的に肯定していたと思われても仕方がない状況だったと思う。アンドレイはセルゲイ大佐がクーデターに関与していたと判断した。
その後、アンドレイは二期の最終決戦でソレスタルビーイングと対峙し、宙域に撒かれたGN粒子の作用もありセルゲイ大佐と疑似的な親子関係を築いていたソーマ・ピーリス(本名マリー・パーファシー)と対話する。そこで彼は「父は何も言ってくれなかった、言い訳も、謝罪も、僕の気持ちなんて知ろうともしなかった」と悲痛な胸の内を明かした。父親が本当は自分を思っていたと聞いて「言ってくれなきゃ何も分からないじゃないか」と彼は子供のように泣いた。
…声は伊佐未勇だけどエピソードは同じ作品に出てくるジョナサン・グレーンみたいだ。間違いなく00で僕の一番好きなキャラクターだと断言出来る。富野風作品なら主人公かライバルかどっちにしてもメインキャラクターになれてたかも。
そんな彼だけど、昔は00のファンから嫌われていた…ような気がする。人気キャラであるセルゲイ大佐を殺したのもそうだけど、その動機が一方的な逆恨みだと思われたのかな。僕は擦れ違いの原因は親である大佐側だと思っている。
それと一期からメインキャラである沙慈・クロスロードの婚約者であったルイス・ハレヴィに横恋慕していたのもあると思う。沙慈とルイスは何年も離れ離れなのに、アンドレイは上官と部下の関係でルイスと近い距離に居たからかな…。
そんな彼も劇場版00で行われた地球外生命体「ELS」との最終決戦で戦死を遂げる。その彼の最期を見て「号泣した」「二期では嫌いだったけど劇場版で好きになった」「何度見ても涙腺が緩む」という人も大勢居たらしい。
僕はアンドレイが好きなので出来れば彼には生きていてほしかった、と思った。劇場版で死んだのも00ファンに嫌われていたから…と考えるのは邪推だとも思う。00ファンに高い人気を誇ったグラハムだって劇場版で一度死んだんだから。
余談ではあるけど、グラハムもELSとの最終決戦において肉体的には完全に死亡したけど、続編では疑似的な蘇生を果たしている。ならアンドレイも…と思わないではないけど無理だろうな、と分かっている。そこまでの人気が無いから。
ここまでアンドレイについて書いていて思ったけど、やっぱり僕は00の事が好きなんじゃないだろうか…?アンドレイというキャラが好みのドストライクなので、そのアンドレイを生み出してくれた00という作品の事もやっぱり好きなんだろうな。
【追記2】も書きたかったんですが、文字数制限に引っかかってしまいました。こんなにこの作品について語りたい事があるとは思わなかった…ような気もしているけど、ひょっとして人間が普段考えている事を文章にするとそれくらいの文字数になってしまうのかな…と思った。機動戦士ガンダムシリーズはとても好きな作品なので、00についてもまた機会があれば日記に書きたいです。4クールと劇場版に加えて外伝や裏設定など、本当に幾らでも語る事があるなあ、00。
機動戦士ガンダム00について書いていて改めて思ったんですが、やっぱりこの作品はとても面白いです。面白いと思うし、「かなり好きだ」とも思うから、どうしても引っかかる所があるのかな…。書き出す内に好きになってきた気がする…。