はてなキーワード: インカレとは
3月も後半にさしかかろうとしている。まずは大学に合格して、新生活に胸を踊らせている人も多いのではないだろうか。顔面レベルが高い、または普通であれば楽しい大学生活を送れるかもしれない。だがブサイクかつ女である者、恐らく思い描いているキャンパスライフは送れないかもしれないと忠告しておく。
大学生になると顔面ジャッジが高校の時よりも如実になる。例えばサークル。まず新歓ビラを貰えない。もしインカレに入ろうとすれば、まず大学2回生以上の男たちに品定めされる。顔面レベルが高い女子以外は断られるなんてことはざらだ。新歓にいってもまずブスに周りの人間は興味が無い。美人な同期はちやほやされて自分は見向きもされないなんてこともある。当たり前だブスなんだから。こういうことはバイト先でもある。自分より可愛い子が自分より確実にいい扱いを受けて、幸せそうなところをブスはじっと指をくわえて見ているしかない。就活だってそうだ。1番大切なのは中身などではなく外見なのだから。
大体のブスは大学に入りこれらの洗礼を受けている訳だが、死にたいと思いつつなんとか生きている。女は人生イージーモードだと言う人がいるが、それは美人か普通レベルの顔面の女の話でブスは関係ない。女でありかつブスならばハードモードもいいところだ。
ブクマの上位に挙がっていた「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない 」って記事だが、
これに同意できない。(記事のURL:https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899)
痴漢とか、通り魔とか、「おかしてー(犯したいの意)」とか言うのが駄目ってのは同意、当たり前だが。
元記事はかなりまとまりがなくて、主張が曖昧なので批判しにくいが、
・付き合いたいのなら容姿のことに言及するのは方法として上手くない
とか多分そんな感じのことを主張していると思う。
(注:元記事はモテ戦略をメインで扱っているが、容姿への言及自体の悪性も割と強く主張している。)
で、考えるまでもなく、これらの主張の正当性は状況や人に依存する。
見ず知らずの人に急に「かわいい」とか言われても怖いだけなのは当然。
でも、インカレサークルの新歓で気になる異性にアプローチすることは自然なことだ。
普通手っ取り早く好みの異性を見つけるための場所だろう(知らんけど)。
また人の恋人観なんてのはかなり多様で、精神的に分かりあうのを大切にする人もいれば、
とにかく好みの容姿を持つセックスの相手を見つけたい人もいる。
後者の場合だったら、欲望むき出しのアプローチがむしろ上手くいって、
丁重に接するのは面倒がられるだけかもしれない。
例えば元記事の場面でもこういう風に盛り上がる場合もある訳だ。
先輩「かわいいねー」
後輩「えー、そんなことないですよ」
先輩「いや、かわいいって!」
後輩「そうですかー笑?ありがとうございます!」
後輩「はめないでください笑」
飲み会の場でこういう軽薄なやり取りは、アイスブレイキングの機能もあるし、
なにより彼らはこれを楽しんでいる。楽しんでいる人にとっては、
勝手に慮った態度で冷や水を浴びせてくるやつの方がよっぽどキモい。
ここには「本当は君はこんなコミュニケーションを求めてないはずだ」っていう
決めつけがあるし、実のところそれは自分の願望を投影してるだけ。うっせぇわって話。
あと元記事には「かわいい」と言うのは「やりたい」と言うのと同じなんて書いてあるが、
これは目を疑うレベルの妄言。美しいものに感動したことはないのだろうか?
また馬鹿らしいだけでなく、容姿に言及する人を性欲に支配された粗野な人であるかのように
TikTokの性的なコメントだっていつも不快なわけではなく、喜ぶ人だって沢山いるだろう。
それを容姿への肯定と理解して喜ぶ人もいれば、内容はどうであれバズることに快感を感じる人もいるし、
twitterに裏アカ女子なんてのが沢山いることからしてもこんなことは明らかだろう。
ただ勿論、容姿への言及に傷つく人もいて、だから問題は傷つく人がいるからやめるべきなのかということ。
世間には快より不快の除去を優先するのが当たり前と考える人が結構いるが、そんなルールはない。
そして容姿への言及によって生じる快不快はどちらもときに重大で、人生を変えてしまうほどの影響をもつこともある。
これは相対的な立場をとって、どっちつかずでごまかそうというのではなくて、私たちは容易にそういう人たちを想像できるし、
場合によっては知ってさえいる。
キモくて性的なコメントであれ、容姿を褒められ、それをきっかけにファッションや美容に興味が出て、
自己変革に成功した人だっているだろう。「良心的」な人間の「良心的」なコメントでのみ人は良く変われるなんてのは
人間のアンビバレントなあり方を無視している。キモいけど嬉しいことだってある。
で、ここまで来ると、この問題はよくある多様性の受容の議論と相似であることに気づく。
つまり、自分にとって不快だけれども、他人にとって快だから存在を受け入れようという話。
だから私は人には容姿への言及をする自由があり、それは悪いことではないことを受け入れるべきだと言いたい(一応言っておくと私は他人の容姿には基本言及しない)。
勿論、同じ論理を使って、容姿への言及が不快な人にとっては「容姿への言及があること」が不快で、「容姿への言及がないこと」が快なのだから、
容姿への言及をしたい人は、「容姿への言及がないこと」を受け入れるべきだと論理的には言えるのだが、
実際にその論理が受容され、浸透することはないだろう。
なぜなら容姿への言及は明白な悪でなく、人のコミュニケーションの自由(≒言論の自由)が保証されることは明白な善だからだ。
ヘイトスピーチでさえ直ちには規制されなかったのだ、言論の自由の価値は理念的にも実際的にもどこまでも重い。
一応注意しておくと、「容姿への言及の自由を受け入れろ」ってことで、「自分に向けられたそれを受け入れろ」って話ではない。
つまり、あなたが容姿に言及されて不快であれば、それに苦言を呈すのは自由だが、
相手が社会的な悪事をなしたわけではなくて、相手があなたにとって不快な発言をしたに過ぎないということ。
そしてそれを喜ぶ人もいることを認めるべきだということ。
自分にそういう発言が向けられるのを予防したかったら、そういう禁止令を確立しようとするのでなくて、
つまり、そういうことを言う人間と同じコミュニティに属さないというのが一番簡単だろう。
あとはそういうのが嫌な人間だということを常々アピールしておくとか。
(注:会社で上司から言い寄られるとか、バイト先の客がしつこく絡んでくるとかは対処しにくいが、
これらは粘着的な気質、ストーカー気質の問題で、容姿への言及がなくなったところで解決しない。)
こう言うと、「何故被害者側が労を取らなくてはならないのか」とか
そういう人は世界が自分のためにできているわけではないことを受け入れなくてはならない。
元記事のような主張を、何故か個々人の精神を尊重するヒューマニズム的な考えと捉える人もいるようだが、
とかなんとか色々書いた挙句、私の根底にある考えがうまく表せていない気がするのでここに文脈を無視して書くが、
私は他人と関わるときにしばしば生じる想像を超えた事態――例えば、人と話すうちに一度も考えたことのない内容が口から流れ出たり、他人の思いがけない側面が表れたりするーー
に遭遇するとき、強く人間の魅力というものを感じる。異質な人間を許容することはときに誰も悪くないのに悲劇をもたらすことはあるけれども、
これは今の異常に厳しい未成年淫交犯罪の罰則の直接的原因でもある
ちょうど氷河期第一世代の中には、反社的な方面で起業しようとした連中がいた
いわゆる関東連合とか言われる層だ、スーパーフリーみたいなインカレサークルとか裏原ブームとか色々あったけど
そん時に当時の女子高生や未成年に人間とは思えないくらいエゲツない事しまくって大問題になった
だから今は、それこそこの間まで高校生だったみたいな大学2年くらいの奴が後輩のJKと高校のノリで遊んだだけで、別に何にもしてないのにまるで鬼畜の所業のように警察が速攻しょっ引くのは、こういう背景があるんだが
残念なことに、シンママとかの連れ子がチンピラやDQNの変態セックスやレイプ被害に遭っているという面は、認知件数に対して親権が強すぎて警察が対処し切れていない面がある
某大でインカレサークルに入ってると某女子大と知り合うようになる。たぶんインカレ入ってなくても界隈で有名なのとかはTLで視界に入る。
彼女らはなにかと某大の男に囲われがちで、それ自体は男女比狂ってるから理解はできる。
ただ気に食わないのは、言動の節々から自分たちは某大の女子版なんだぞみたいなやけに高いプライドを感じることだ。勘弁してくれ、偏差値は10くらい違う。男も男だ、変な勘違いを助長させるんじゃない。
サークル内でほかの女子大に対して変な優越感を出してこないでくれ。大して変わらないから。
某大では男も女も天上人でもない限り自尊心ボコボコにされて謙虚にしてんだよ、その隣でキラキラ自信ありげに仲間だね!みたいなのやめてくれ。
東大卒で地方出身です。我ながら性格が悪いと思うが、元増田について、色々と納得できないので、ネチネチと指摘しておく。
増田は、「東京の国立大学」に入学し、その後、東京で育った子供が与えられる塾教材を見て、「私も東京に生まれていれば東大に受かったのに」と書いている。
東京の国立大学は東大の他に、東工大、一橋大、お茶の水、東京医科歯科大学、東京学芸大、農工大、芸大、電通大といったところがある。インカレサークルで東大生と知り合ったとあるから、恐らく増田はお茶の水ではないかと思う。
大前提として、東大の入試問題は比較的オーソドックスである。お茶の水の学生が、高校や予備校の教材を見て、「これが有れば合格できたのに!」と思ったことに対して共感ができない。育った環境の中でお茶大には合格することができたが、その先の東大との差を埋めるものは教材なのか。教材を見て、その差をうめるための何かを感じ取れるほどに受験をやっていた人間ならば、東大の入試は、赤本やチャート式で行けてしまうものだと思う。そんなの嘘だろ、と思うかもしれないが、東大の中の人間には入試はそのように見えているのであり、そう見えていないのはあなたが「わかってない」からである。冗談抜きに「ドラゴン桜」を読んでみよう。あれはよく書けている。
入試問題の癖とかアドミッションに関する諸々に対する最適化という意味では、都市部の塾予備校や中高一貫の進学校にメリットがあるのは事実で、たとえば、「予備校に行っていれば早慶の受験対策ができたのに!」「あの高校からであれば指定校推薦取れたのに」とか、「もっと視野が広がる環境であれば海外大学を受けていたのに!」と思うのであれば理解できる。が、繰り返しになるが、お茶大と東大の差を環境で埋める、というのは理解しづらい。
一方で、そもそもお茶大でないとするならというのもあるが、こちらは更に納得感に欠ける。東工大や一橋大や外語大であれば、東大と本質的な入試難易度の差は無いので東大に入らずそれらの大学に行ったことを環境のせいにしないだろう(これらの大学の学生には自分が東大生に劣っているとは思って欲しくない、という私の勝手な願望もある)。学芸大電通大以下であれば逆に偏差値が違いすぎて環境云々の差以前の問題であるし、普通の感覚ならこれらの学生は自分が東大にはいることを想像しない。
増田がお茶大なら、という前提のもとで穿った見方をすれば、かの学校の校風やら学内のなにやらに、地方出身のぽっと出の真面目な学生が影響されてるだけのように思える。負けず嫌いなのはいいが、ぜひこの先の人生を間違えて欲しくない。例えば学歴ロンダリングだけを目的に仕事をやめて東大の院に入りなおす、とかそういうのはやめよう。書いてて酷いと思うが、上記が私の結論である。
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
はじめに軽く自己紹介。地方大M3(医学部3年)の20歳。人生崖っぷち。
表題を見て不快になった人は、この記事を読まないよう強くおすすめする。医学部事情を知らない方は特に。ますます不快になると思うので。
もともと文系学部志望で、就職するなら公務員か裁判官かな、とぼんやり考えていた。仕事をしながら趣味に興じる生活に憧れていた。
特定防止のためぼかすけれど、この趣味は小学校のころから熱を入れて取り組んでいる。今では生きがいだ。
収入は別に多くなくていい、ただ一人で生きていく分くらいは稼ぎたい。その上で、趣味の結果が出ればいいな。そんな感じ。
でも、親はそれを拒絶した。高一のとき、学校へ出発する前、私は軽い気持ちで「法学部ってかっこいいよなあ」と言った。
これがいけなかった。
「文系行くなら自分の金で行ってね」という投げやりな言葉から始まり、三日三晩(文字通り)怒鳴られた。
お前は欠陥品だから、就職できるわけがない。こういうことを平気で言われた。
私の親は差別用語をよく使う。「欠陥品」はまだ全然ましな方で、放送禁止用語を駆使して私の不器用さや容姿をなじる。兄(現役ストレートで医学部を卒業し、今は研修医をやっている)と比較して「一勝一敗」と嘲るのが最近ではお気に入りなようだ。
もっとも、被害にあっているのは私だけではない。母親が結婚して以来、ずうっとそういう調子だったらしい。典型的なモラルハラスメントだ。
我慢すればいい、と母親は言う。修行だと思って我慢すれば、社会に出ても耐性がつく。そう繰り返し教わってきた。この母親も私の文系学部進学には消極的で、「あんたを雇うような会社はどこにもない」が口癖だった。別に会社勤めを目指しているわけじゃないのに。
小さい頃からずっとそうだった。
なじられ、比較され、叱られる。
何かやらかせば「欠陥品」。
度重なる暴言からくる自己肯定感の欠如は、私の性格を決定づけた。
今では誰に褒められても、「ああ、社交辞令だな」としか思わない。それどころか「馬鹿にされているんじゃないか」といらいらしてくる。
男性に好意を向けられても、ぞっとする。付き合っても長く続かない。結婚したら、この人もモラハラするのかなあ。そんなことばかり考えてしまう。
凡人なりに頑張ったおかげで、通っていた高校(公立)の中では上の方の成績をとれた。
違う、と答えたかった。私は自分の居場所を得るために、学費を出してもらうために、進学するんです。こう言えたらどれだけ気が楽だったろう。
受験勉強がきつかった。頑張っているのに上がらない成績が恨めしかった。最後まで物理と数学で伸び悩んだ。結局第一志望(兄の出身大学でもある)のオープンでA判定はもらえず、今の大学に入学することになった。
後から知ったが、冠模試のオープンは判定が辛いらしい。現役生で安定してAを取れる人は限られている。
公立高校かつ塾なしの私は、そんなこと全然知らなかった。親はB判定とかC判定とかを見る度に、やっぱり馬鹿は治らないなあ、高齢出産がいけなかったのかな、というようなことを言ってきた。
今でも、もしあそこでチャレンジできていたら、と思う。多分私は、一生このことを後悔するのだろう。
でも、他にどうしようもなかった。浪人するくらいなら死んだほうがマシだ、こういうことを何度も何度も、親に吹き込まれていた。
浪人している同期を見ると、ぬるま湯に使ってるやつらはいいよな、と思う。
人より時間と金をかけてもらってるくせに、自分の努力(笑)で大学に受かった。
努力は必ず叶う。
どの口がきいてるんだよ、と思ってしまう。
志望を下げずにチャレンジした同期は、受かったり落ちたりした。自分より成績の低いやつが、自分よりいい大学を受け、合格した。
私は見事、医学部に現役合格した。しかし、もう兄には決定的に勝てない、一生格下として扱われるだろうということに参ってしまった。
大間違いだった。
医学部は人間関係をしくじると大変らしいと聞いていたから、周りに合わせてニコニコしていた。でも、駄目。中高みたいに腹を割って話せる友達は一人もいないし、異性はもちろん同性の集団にも馴染めない。
会話が怖い。
高校までと違い、癖の強い人がたくさんいる。
人を平気で馬鹿にしたり、傷つけるようなことを言ったり、仕事を全然しなかったり。
後輩を何人酒で潰したか、自慢げに話す人もいた。
どうかしている。
友達がいないわけではない。
でも、その人たちにとって私はn番目の友達で、せいぜいご飯を一緒に食べたり、授業を隣で受けたりする程度の間柄だ。
所属していたインカレサークルも、授業が忙しくてほとんど行けていない。
何より、授業がきつすぎる。
友達が少なく医学部部活にも入っていない私は、いつも特定の子に情報を流してもらっているけれど、もしその子に切られてしまったら、留年一直線だと思う。
欠陥品なのだと思う。
欠陥品は医学部では生きていけない。
噂が一瞬で広まるような村社会では生きられないのだ。
多分、他の学部でも生きづらいと思う。
でも、ここよりは絶対マシ。
公務員としてしっかり働きたかったし、法律にかかわる仕事にあこがれていた。
全部過去の話だ。
もう取り返しはつかない。
やめればいい、という人がいるかもしれない。
無理に決まってるじゃん。
退学したいなんて言おうものなら、家から追い出されて、野垂れ死ぬのがオチだ。
親にとって私は「アクセサリー」で、マウンティングの道具でしかないんだから。
というわけで毎日、心の中のガソリンをちびちび燃やしながら、なんとか生きている。
アフターコロナの世界が来たら、マジで生きていけない気がする。
そしたら、私みたいな欠陥品は真っ先に解雇されるだろう。
正直、全部めちゃくちゃになってしまえばいいと思っている。
地震でも戦争でもパンデミックでも何でもいい、頼むから全員不幸になってくれ。
全員苦しめばいい。
倫理的に欠如しているだろうか。
恨むなら私を大学にぶち込み、今もなおモラルハラスメントをしてくるうちの両親に言ってほしい。
十分恵まれている方だ、とのたまう人は、頼むから毒親のもとで育ち、理不尽で閉鎖的な学部で6年みっちり洗脳されてくれ。
画面に向き合っていると、CBTやOSCE、ポリクリなどの試練で頭がいっぱいになる。
乗り越えられる気がしない。
高いビルに登ったり(高所恐怖症で辛いけど)、ホーム柵のない私鉄を探したりしている。
私の家庭が損害賠償で懲りるなら、案外ありかもしれない。
万が一、残り3年半生き延びることができたとしたら、クソハイポ病院でセコセコ貯金して、バイト医になろうと思っている。
でも結局は、そんな度胸も生まれず、カスカスに使い捨てられてしまうのかな。
医学部なんて入るんじゃなかった。
絶対に逃げてください。
もし医学部に入りたいなら、できるだけ立地がよく、風通しのよい医学部を目指してください。
情報はインターネットでも手に入るし、身近に医学生がいるならなお良いと思います。
それを活かすも殺すもあなた次第です。
私も、せめて大阪万博までは生き延びれるよう、頑張りたいと思います。
毒親のアホー!
早慶は落ちた。
みんな国立に受かったことを褒めてくれたけど、4年間ずっとずっとMARCHに行けばよかったと後悔し続けた。
大学辞めようと、入り直そうと何度も思った。
うちの大学には田舎の自称進学校からの成り上がりとか、埼玉の陰湿な女子校上がりの子とか、頭いい都立高校の落ちこぼれとか、微妙な人材の集まり。
サークルもインカレなんかなく、つまらなかったから大学から近くない都心に引越して私大の子たちとばっかり遊んだり、インターンに行ったりしていた。
大学の授業なんて先生がホワイトボードに書くこと全てメモする必要なんで全然ないと思うのに、真面目にノートにカリカリして課題の話で盛り上がる人たちが大嫌いだった。
家が遠くて通学が大変とかバイト辞めたいとかそんな話ばっかり。
人数も少ない学科で女子ばかりでグループに分かれていつも授業受けててお前ら中学生かと。
自分は話す人がいなかったわけじゃないけど、わざわざ人と時間割決めるとかダサいと思ってたから1人で授業受けてた。
就活も、周りの人は公務員や教員志望ばかりでインターンも行かずのんびり真面目に勉強している人たちが多くてしんどかった。
10人中10人がMARCHとうちの大学かだったらうちの大学を選ぶと思うけど、わたしはMARCHに行けばよかったとずっと思っていた。
最後の最後に、東大とか早慶卒がいっぱいいる第1志望の大手企業に就活で行ったら、人事の人がたまたま同じ大学で気に入ってもらえて、内定をもらうことができた。
もう半年後には卒業するけど、これからもっともっと広い世界に出るのだから、自分の大学をちょっとでも好きになれるように社会人として羽ばたいていきたいな。
私は都内の理系大学に通う4年生だ。大学へは1時間半かかり、一人暮らしすべきか悩むラインなのだが、この距離なら実家から通う方が格段に経済的なので、実家暮らしのまま大学も4年目に突入した。
実家暮らしは快適だ。衣食住は保証されているし、幸いなことに両親の仲も良い。金銭的にも、一人暮らしだと毎月数万の家賃+光熱費+食費がかかるのに対し、実家暮らしなら毎月せいぜい1万円の定期代しかかからない。一人暮らしだとバイト代からある程度の生活費を補填する場合が多いが、それもしなくて良い。
実家暮らしは最高!と信じ続けていたのだが、去年あたりからそれのほころびに気がつき始め、このコロナ禍でいつにもまして自宅にいることが増えた今、確信するようになった。これは、茹でガエルになって腐っていくやつだ、と。
タイトルは、自分の状況を見て「理系男子+実家+一人っ子」という組み合わせにしてみたが、実家に住んでいればある程度は誰にも起こりうる話だとは思う。しかし、この組み合わせは特にたちが悪い。
一人っ子だときょうだいがいる場合よりも家族から寵愛を受けて育つ、というような話は私には検証しようがないので分からないが、家庭内で近い世代の人がいないことで、家の外で同級生などとコミュニケーションを取りづらくなる、というのは実際起きることだと思う。親との接し方は、きょうだいとの接し方とは異なるわけで、一緒に遊んだり、時には争ったり揉めたり。一人っ子だとその経験が皆無だ。小学生の頃も、友達の家に遊びに行って兄弟喧嘩を目撃すると、これはマズいことになったな…と本気で心配したりしていた。そのような「雑な」コミュニケーションの取り方を覚えられずに成長してきてしまったのだと思う。例えば、友達に連絡する時もダル絡みのように、用件もなくLINEを送る、なんてことはまず考えられない。何かちゃんとした用件がないと連絡しても煙たがれるよな、と想像してしまう。(それでも、ありがたいことに何もない時でも比較的気軽に連絡できる友人が何人かはいる。本当にラッキーなことだ)その結果何が起きるか?LINEをほとんどしないのである。現代においてそれは、交友関係の狭さに直結する。
また、一人っ子で実家暮らしの際のもう一つの実際的な問題として、両親に行動をほぼ完璧に把握されてしまう、ということがある。例えば夕飯にしても、きょうだいがいれば毎晩ある程度の余裕を持って夕飯を作るだろうが、一人っ子だと毎日、今日は夕飯は家で食べるのかと確認される。そして現代の東京では、「遊ぶ」は多くの場合「食べにいく」「飲みにいく」ことを意味する。これだと突発的に友達と食べにいくこともなかなかしづらい。また、私はほぼ下戸である。「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」だ。テンションについていけない場合が多く、周りが酒の勢いで盛り上がっていても特段楽しくもない。
また、休日の行動も、友達と出かける場合は家にいないわけだから、どこかに行っていること自体は筒抜けだ。また、母親がやけに勘が鋭いのと人間関係の記憶力が良く、私がいくつか的確な質問に答えてしまうと、自分の周りの人間関係を如実に把握されてしまう。相手の性格やステータスなどについての評価を下されることも多く、居心地悪いことこの上ない。これも、きょうだいがいて親の関心が分散されていれば、実家暮らしだとしてもこれほどではないのだろうと思う。神経質な私は、交遊は無難な範囲に納めておこう、と無意識のうちに決めていたようだ。
そしてこのような状況は、恋愛関係の問題になってくると致命的となりかねない。
結局この4年間で、女性と正式に付き合うことはできなかった。まず、デートするための口実づくりのための心労が半端ではない。休日に出かけるとなると、大抵の場合、誰と会うの?などと親に聞かれる。そこで、「おんなのこと二人で遊びにいく!」なんて言おうもんなら、相手はどんな人か、どんな家庭か、写真見せてくれ、などと質問責めに合うことだろう。(実際に言ったことはないので分からないが。さすがに少しは気を利かせてくれるとは期待したいが、わざわざ確かめたくはない。)なので、デートの約束が取れた時は、親には適当な友達の名前を出しつつ、あまりにお洒落すると突っ込まれそうなので、友達と会う時にも着そうだしデートでも通用しそうな組み合わせの服を頑張って揃え、親に言うアリバイはどうしようかな、と考えながら家を出る。ストレスがすごい。そこまでしてもなお、勘の鋭い親にはデートに行っていることを見抜かれているのだろう。だったら自分から言えばいいのだろうが、この微妙なバランスを崩したくがないために、デートのたびにこういう流れになるのだ。
ところで、あまり口達者ではなくても、イケメンというわけではなくても頼れるテクニックとはなんだろう。そう、酒の勢いだ。酔いが回ってくれば、ちょっと恥ずかしい話だってできるし、そのまま話し続けて夜遅くなれば、じゃあこれからどうしよっか…ともなるだろう。しかし自分は下戸なのだ!そして、「今日は泊まってくる」なんて家に連絡できるわけがない。付き合えたところで、そういった困難がデートのたびに起きるのが予想できてしまうと、こちらも消極的になるわけだ。
単純接触効果というか、男女同士で定期的に会っているだけで好感が生まれ、好意に発展することもあるだろう。ところがどっこい、理系の学部はほぼ男子校なのだ。あいにく私は異性愛者なので、キャンパスライフを楽しんだところで恋愛的な出会いはほとんどない。いわゆるインカレ的なサークル活動もしてこなかったので、そもそも同年代の女性と会うことがほとんどないのだ。
そして今、問題は新たな局面に入った。感染症の蔓延により、自宅待機を余儀なくされているのだ。なに、「どうせみんな自宅待機なんだから、実家でも一人暮らしでも変わらなくない?」だと?甘い。世の一般的な一人暮らし大学生は、既に夜な夜な飲み会に出歩き、コロナなんて気にせず外出しまくっているのだ(私見)。コロナを広めにいくような行動はやめろよ、とは思うが、納得できるところはある。若者は統計的には重症化率が低く、感染しても軽症で済む場合がほとんどと知られている以上、一人暮らしで親と接する機会がなければ、普通に出歩くのもうなずけるのだ(大局的に見ると、重症化のリスクが高い人にまでウイルスの蔓延を広めているので、大いに賛成はできないが)。しかも、コロナで客足が減った飲食店や施設は空いているし、割引をしていることが多い。このチャンスを逃すのはもったいない、と思うのがむしろ自然だろう。しかし実家暮らしで生真面目な私は、自分から親にウイルスをうつすなど考えたくもない。そうなると、感染状況が落ち着くまでは、友達とカラオケや密な飲食店に行くこともしたくない。また、実家だと電話するにも家族に気を使わないといけない。深夜には話せないし、自室で話していても声が漏れるので、軽い雑談はできても、ぶっちゃけ話やゲスい話など、本当に盛り上がるような話は決してできない。
…………………分かっている。こう書いても、「結局はあなたの社交的な性格の問題でしょ?」と思われることは。性格がもっと外向的だったら、もっと要領がよければ、同じ環境でも全然違う状況になれるのかもしれない。しかし、環境が人を作るとも言う。この状況でどうしたら穏便に暮らせるか無意識に最適化した結果が今の性格、今の状況なのかもしれない。一人暮らしを始めれば、このような足かせから解き放たれるのかもしれない。
しかし、もう遅い。大学生活は終盤に差し掛かり、どうせコロナは年をまたぐであろう。実家引きこもり生活は卒業するまで続き、修士に進学するのでそのまま2年間続くかもしれない。今からでも、少し無理してでも一人暮らしをしてみた方がいいのかもしれない。環境が人を作るのだとしても、人が環境を作ることもできるはずだ。
もしタイトルに書いた条件があなたにも当てはまるなら、ぜひ私よりもマシな大学生活を送ってほしい。実家が近くても、一人暮らしができそうなら、ちょっと背伸びしてでもそうした方がいい。実家暮らしになるのであれば、自由度を増やせるように、早いうちから終電での帰宅などを繰り返して、自分が外出していても親に気にされない状態を作りだそう。そしてそして、女子と会える場をなんとかして見つけてほしい。