「アナーキー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アナーキーとは

2024-10-02

カルトと強い繋がりのある政党支持したり、政治汚職を許容したり、パワハラ政治家を支援したり、差別インフルエンサー支援したり

お前らって左翼よりもアナーキーに国を破壊する方向性推し進めてるよな

2024-09-20

暴力は仕組み化できる

って書名が見えてさ、アナーキーすぎるだろって思ってよく見たら、

努力は仕組み化できる

だった。

アナーキーなのは俺だった、なお未読。

2024-09-14

にんげんのかんがえかたっていっぱいあってたのしいね

1. 古代哲学宗教
2. 中世近代哲学
3. 近代現代哲学思想
4. 科学技術の発展
5. 心理学自己啓発
6. 芸術文化
7. 人類学コミュニティ
8. 倫理学道徳哲学
9. 政治哲学社会思想
10. 科学哲学認識論

2024-07-22

外国人プロテスタント牧師が言ってたよ

日本神様おかしいです

だって、みんなお正月かにお金を払って願いを叶えてもらおうとしま

本当の神様は、お金と交換で願いを叶えてくれるようなものではありません

日本人って無宗教なようで、都合のいいときに都合のいい所だけ都合のいい宗教信者だよね…😟

ちなみに、普通キリスト教教会運営は日曜のわずかな寄付教会全体で運営費を分配しています

当然、そんなお金だけで暮らしていけるわけもないので、牧師さんとか、牧師さんでなくても家族とかみんなが普通に働いてます

普段サラリーマンをしながら牧師をしている人たちが大勢ます

日本のお寺とか神社は、兼業サラリーマンしなくても食べていけてる人たちがいます

みんな、お墓の維持費とかを檀家さんとかから徴収しています

おみくじお金も取りますし、地鎮祭とかでも多額のお金を取りますよね

教会牧師さんの家を活用したりしています

お寺や神社はもちろんですが、もっと怪しい宗教は巨大な御殿とか仏像とかが建っています、そんなのおかしいです

宗教関係者も、信者さんたちも、みんな同じように毎日働くべきなのです

プロテスタント合理的禁欲資本主義の元になったというような説があります

しかし、今のアメリカでは資本主義から宗教禁欲の要素がなくなり、欲だけになってしまいました

とんちで有名な一休さんだって史実あんアニメのようなものではなく、あれは民の間で伝わった話が元になっています

一休宗純は、托鉢をもらって悟りを目指して修行する、という特権階級のような考え方に疑問を持ち、

自分で畑を耕したり、寺に仕事を持ってきてはみんなで内職をする、というような活動をしていたと聞いています

俺たちは悟りとか修行とか高尚なことをしているのだから働かない、托鉢で生きさせろ、という考え方がそもそも煩悩なのではないでしょうか

一休宗純イエス・キリストは少し似ているところがあります

両者とも乞食のような恰好をして、売春婦障害者を引き連れて、街を練り歩いたりしています

二人とも民衆から隔絶された宗教施設にいるような宗教家ではなく、民衆の元に降りてきて、民衆と共に生活しています

大きな違いは、イエスユダに裏切られましたが、一休さんの凄い所は晩年成功したということでしょう

二人ともどこかアナーキーであり、権威常識に反抗するところも似ているように思えます

私は宗教家としても一休イエス尊敬しています

宗教家は民と同じレイヤーで民と共にあるべきなのです

デカ屋敷王様椅子のようなものに座っている教祖だの自称神だのがいる宗教は本当の宗教でも神でもないのです

2024-07-21

ぼかしよる

前述のとおり、性交渉の回数やパートナーの数が多いほどHPV感染機会が増え、子宮頸がんリスクが増加する可能性は否定できません。

その一方で、経験人数が少なければHPV感染しないというわけではありません。また、まれですが子宮頸がん特に腺がんの中には、HPVが検出されずHPV感染以外の原因が疑われるものも報告されています。このことからも、性交渉経験がなくても子宮頸がん発症する可能性がまったくないと言い切ることはできません。つまり子宮頸がんは性活動が活発でなければ発症しないわけではないことを知っておくことが大切です。

コンドーム継続的使用することで、子宮頸部がHPV感染する機会が減少することは報告されています1)。しかHPVコンドームカバーできない肛門などにも存在するため、完全な予防策ではありません。

アナーキーセックスの回数が多ければ多いほど感染リスク高いってことだよなあ?

可能性はゼロではないといっても経験人数が1だと0.00001%だけど、10人だと0.00005%になるみたいな違いはあるんじゃないの?

日本産婦人科は他の医者と違って、女の健康はどうでもよくて、女が出産することを奨励する畜産科だから

アフターピルもなかなか許可しなかったし、絶対ぼかしてるけど

ヤリマン病気だよねこ

2024-07-20

日本奴隷はいたらしい

魏志倭人伝によると、邪馬台国女王卑弥呼が亡くなった際に100人以上の奴婢をいっしょに葬ったとされる。

卑弥呼以て死す。大いに冢〈ちょう〉を作る。径百余歩。徇葬〈じゅんそう〉する者、奴婢百余人

https://museum.bunmori.tokushima.jp/museum_documents/museumnews/mnews014/014_2-3_cc.html


飛鳥時代においては中国を範とした律令国家が形成され、その中で奴婢制度が定められた。(大宝律令 701年)

これは延喜格(907年)まで続いた。

https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E0000017-14-3.pdf

公的身分としての奴婢制度は廃止されても、飢饉借金を苦にした人減らしのための人売りは長く横行した。

鎌倉時代の『吾妻鏡』延応元(1239)では、人身売買禁止原則と、飢饉におけるその緩和特例が見られる。

A 寛喜三年餓死のころ、飢人として出来の輩は、養育の功労につきて、主人御計らいたるべきの由、定め置かれおわんぬ。

B およそ人倫売買の事、禁制ことに重し。

C しかれども飢饉の年ばかりは、免許せらるるか。

D しかるにその時減直の法につきて、糺し返さるべきの旨、沙汰出来の条、はなはだその謂れなきか。

E ただし両方和与せしめ、当時の直法を以て糺し返すに至っては、沙汰の限りにあらざるか。

 延応元年四月十七日   平 

             散位(太田康連)

             前甲斐守(大江康秀)

             前山城守

             前大和守(宇佐美祐時)

             沙弥(二階堂行盛)

https://wallerstein.hatenadiary.org/entry/20081121/1227250694

戦国時代に至るまでも人身売買は横行した

閑吟集(1518年)に成立した小歌歌謡

人買船は沖を漕ぐ、とても売らるる身ぢやほどに、静かに漕げよ船頭どの


この状況は豊臣秀吉人身売買禁止令を出すまで続き、以降は年季奉公制が主流となる

ただし、性奴隷については以降も活発に人売り人買いが横行したらしい


これから読みたい日本における奴隷制度の本めも

雑兵たちの戦場

・〈身売り〉の日本史: 人身売買から年季奉公

人身売買奴隷拉致日本

室町今日ハードボイルド : 日本中世のアナーキー世界

2024-07-14

anond:20240713135951

まともな感覚持ってたら左に傾倒しないだろ。

つーか日本にはリベラルいないよ。

リベラルのフリしたラジカルとアナーキーだけだ。

2024-05-20

anond:20240519131611

子どもいないパターン&地方なので年収7割掛けくらいだけどうちも全く一緒。離婚して気づいたのは、既存男性社会ルール意識的に抗えるくらい頭が良くて実行力のある人は年収高いし会社でもいいポジションについてるってこと。下方婚層の夫は既存ルールから逸脱できない。例外芸術家活動家タイプアナーキーな人だけ。

2024-05-17

自意識というのは基本的キモいのです。

から大人社会的人格や建前やマナーなんかで、キモい自意識を隠して生活することができる場=社会を作ったのです。

自意識キモさというのは、統制された社会の美しさの裏返しなのです。

まりそのキモさを受け入れ、積極的に表出していこうとする姿勢は、反社会的アナーキー姿勢ということです。

一部のアーティストはそれを芸術昇華し、社会の美しさに対する疑問として提出するでしょう。

また社会よりも個人を重視する視点を持つ人は、それを日常的に表すことで、社会の中での個人重要性を主張するかもしれません。

動物身体にこびりついた自意識の扱いは、個人社会関係性を測る物差しでもあるのです。

知らんけど

2024-04-07

一番面白い増田ブクマカ売国先生ではあるんだが

増田エゴサして拾ってくれるし、大喜利力もそこそこあるし、一貫した大喜利姿勢も高評価ではあるんだが

idアイコンアナーキーさと本人の真面目キャラがチグハグなのが残念ポイント

2024-03-08

国境廃止委員会

私は国家解体国境廃止を訴えている地球市民の1人である

私のことをアナーキスト批判する国家主義者右派左派わず)が存在するが、私から言わせれば国家主義者ほどアナーキー存在はいない。

彼らは国家主権絶対性を訴えるあまり国際社会における無秩序混沌から目を逸らすのである

国家主義者はその国際社会アナーキ性を正当化し、その中で秩序を構成するための自国軍事力経済力発言力向上も正当化するのである

力こそが秩序を決めるというのならば国際社会世紀末である

そのようなことが許されるのであろうか。

国家主義者と言うと自分と縁遠い人間想像する人もいるであろう。

しかし、自分国家主義者である自覚のない無意識ナショナリストは溢れている。

一例を挙げよう。

国力、殊に経済力的側面から少子化解決を訴える人間がいる。

から言わせれば彼らは真性ナショナリストである

我らのゆりかごは既に増えすぎた人間を抱え切ることができなくなっているのにも関わらず、相対的人口数低下に危機意識を持ち、人口増加を願うのならばそれはナショナリズムによるものである

他にも例を挙げればキリはない。

私はここ、はてな匿名ダイアリー国境廃止委員会本部及び国境廃止委員会日本支部設立宣言する。

国境廃止され、国軍廃止され、通貨廃止され、現状の国家ローカルガバメントとなることを目指す。

特に国軍廃止世界同時に行われなければならない。

我ら人類が保持することを認められた暴力装置警察権力のみであり、軍事力保有など決して認められないものである

なぜならば、人の命を奪うことは究極の不可逆的行為であるからである

国家国家の争いにより政治権力のない庶民子供たちが屠られたとしよう。

例えその後に国家国家和解しどれほど強い友愛が築かれようと、かつて失われた命が再び息を吹き返すことはもうないのである

唯一の例外は旧国家勢力の打倒のための一時的軍事力である

我ら国境廃止委員会を支持する世界市民主義者過半数を超えた時にも、反世界市民主義者が率いる国家とそれを支持する国民存在するであろう。

国境廃止委員会を支持する旧国家国境廃止委員会フォースプロバイダーとして旧国軍提供せよ。

国境廃止委員会の下におかれる国家解体軍事委員会提供された連合軍フォースユーザーとして組織国家主義者を破砕するのである

最後に。

地球市民主義欧米主導のグローバリズムとは異なるものである

我らは公用語という概念を持たない。

我らは地球における多様な文化を、それが個人自然権侵害しないものである限り否定しない。

私はお雑煮と言えば味噌仕立ての汁に丸餅とカブ鰹節である

しかし、だからと言って醤油仕立ての雑煮餡子の入った雑煮否定することはないのである

我らは皆同じ地球市民であるとともに多様なことな文化を持つのである

我らは国家解体し、現状の国家地球の一地域とする。

つの地球に一つの議会を。

つの地球に一つの行政府を。

つの地球に一つの最高司法機関を。

つの地球に多様な文化地域を。

地球市民の、地球市民による、地球市民のため世界政府を。

私はここに国境廃止委員会設立とその総裁への就任宣言し、地球市民のため職務を全うすることを厳かに誓う。

God bless earth

God bless people world over

2024-02-17

今後3年以内に起こることは「ミニコミ媒体の復活」なのではないか

①生成AIの影響で真偽が判断つかない情報や、無意味・無内容な情報が、加速度的にSNSなどに溢れかえる

➁もはや、オープンSNSインターネットはスカム情報で溢れかえりナンセンスで役に立たないものになる

オンライン/オフラインわずニッチフェイス2フェイスコミュニケーション流行

ニッチコミュニティを横断するミニコミ媒体需要が復活する

意味のある情報」が人の手に戻ってくる時代と考えると、インターネットがより身近になる、人間中心的テクノロジーになる契機なのかもしれないよね。もはや、「ただの情報」がスカム化して意味をなさなくなり、「人とのつながり」みたいなコンテクスト重要になる。

この話はなにも生成AI話題に出すまでもなく、そもそもインターネット広告モデルの持つ情報流通脆弱性の話なんだけどね。

まりインターネットはすべてをフリーにした。そういったアナーキー価値観草の根的に生まれ世界だった(cf.自由ソフトウェア運動)。だけど、それじゃビジネスは成り立たない。

そこで、インターネットがたどってきた道はこうだ。

アナーキストたちは採算度外視で(そもそもそういう商業主義否定するんだからそりゃそうだ)市場を壊していく。「無料アクセスできる」情報には誰も金を払いながらない。だって、値段をつけて売られてるものが、ネットならタダではいから

そのため、商業主義者たちは考えた。「つまりエンドユーザーには無料で届けなければ太刀打ちできない。なら、エンドユーザー商品にして、toBエンドユーザーを売ればいいんだ」。これが今日まで続く、インターネットで主流の「広告モデル」によるコンテンツ生産だ。

しかし、インターネットの「広告モデル」は、これまでのメディアのそれと大きく異なる。なぜならば、トラフィックのすべてが事細かに分析対象となり、しかもそれがリアルタイムで見えてしまうから。つまりウェブコンテンツは「この特定ページのこの部分にこのくらいの時間滞留する。だから、ここに広告を置けば見えやすい」ということが分かってしまう。

これは大問題だ。クリエイティブっていうのは、コミュニケーションっていうのはそういうもんじゃない。数字言葉に現れない絶妙な采配。そこにしかクリエイティブは宿らない。なのに、それが許されなくなってしまった。

そうなるともう、アテンション・エコノミー問題につながる。さらに注目を、さらに注目を、そんなことをしているうちに「何に注目したらいいか」をゆっくりと捉える時間がなくなり、「安易な刺激」に逃げるようになる。

タイパ」という言葉最近話題らしいが、あんものは嘘っぱちだ。「安易な刺激」のイテレーション周期をいくら速めたところで、そこに「意味」はない。TikTokを2時間見る時間があれば、映画館に行ったり、コンサートに行ったりして、「意味のある体験」をしたほうがよっぽどパフォーマンスはいいはずだ。

そして、「タイパ」という言葉流行さらに「生成AIによる情報のスカム化」は、いわばこの「無意味な加速」の極限であり、ピー状態である。つまり、このバブルはあっという間に弾ける。徐々にその加速が無意味であることに気が付き始める。(cf.寝そべり族、Doomer、だめライフ

からこれからは、「ミニコミ時代」だ。自分たち時間を大切に、自分たち価値を大切に、自分たちいのちの使い方を大切に決められるオルタナティブライフが求められる。そうした血の通ったネットワークが求められる。そこに必要なのは、内部の結束と、外部への発信としての「ミニコミ」なんだとおもう。

2024-01-15

ダウンタウン、好きだったんですよ。

蛇足を補足しました***************************

https://anond.hatelabo.jp/20240116110533

訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24

https://anond.hatelabo.jp/20240124115643

以下本文*************************************

中学生就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。

東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだビデオを送ってもらってクラス友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回からごっつええ感じパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏デート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。

面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツ面白かったんだけどね…。

松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間バラエティ番組で、コント企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃん簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。

  • 割とたまにスベっていた

彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利番組ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃん面白かったが、同時にそこそこの打率ドン滑りもしていた。大喜利センスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタント打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。

この「松本ファイトスタイル大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。

松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタ悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑い世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう

ベストセラーエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生中学生相手塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。

知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあい出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。

  • 自分が一番正しい!と言い放つ人だった

松本人志と高須光聖放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます

高須氏に諫められた後の松ちゃん聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須ちゃん松ちゃんだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…

音楽番組HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。

そもそもあの番組歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティスト創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんトークギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。

そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。

  • 映画は向いていなかった

ごっつええ感じTV局との複数もめごとで終わり、コントDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。

まり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミ的外れ評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。

そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。

頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙コメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。

それまでの芸人世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。

でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人対峙自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。

発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディアデイリーで流れていくウェブ世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。

若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑い権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちハラスメントしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。

爆笑太田じゃないが「椅子からコケ王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。

松本人志がお笑い世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助レギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いバラエティ番組マストゴーオンだ。M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

2023-12-14

anond:20231214111306

みんな平等共産主義でも行政機関は残る

統治はしないといけない

アナーキーなら国家ではなく自治都市になる

どのみち支配階級はそんざいする

2023-11-02

左翼人達ってアカって人達のことで、中国とかソ連とかの社会思想を信じてアメリカとか資本主義に反対してるんでしょ?

それとも

ゲバ棒黄色ヘルメット火炎瓶投げてた人達とか

アナーキー無政府主義者とか

マリファナドラッグフリーセックスラブ&ピースな人たちの後継なの?

現代左翼がどういう人達なのかよく分からない

なんかアンチ日本って思想が強いのは感じるけど

2023-10-04

anond:20231004141043

これ人権侵害でしょ…

アセクシャルニューロダイバーシティ知らないのに人権語らないでほしいわ。これを危険とか言ってるの、同性愛危険だと言ってる中世と一緒

ただ、恋愛をしない、恋愛できない、恋愛したいという欲求がない、他人を愛することも愛されることも拒むという者は「人間的にアナーキー」な危険存在であり、擁護されるべきではないと思っている。

核家族破壊する

私は高校卒業後とっととフィンランド留学し、そこで知り合ったスウェーデン人男性結婚

口論の際に夫から暴行を受け、彼から助けてくれた女性存在きっかけでレズビアンとなり、スウェーデン人女性結婚した。シリア内戦で両親を失った幼児国教会洗礼を経て養子に迎えた。

その後離婚日本でその子と2人で暮らしている。

現在法律事務所で勤務しながら難民支援男女平等推進活動を行なっている。

私の究極の目標日本人全員の人権意識向上と個々の尊重であり、そのために重要なのが「核家族破壊」だ。

スウェーデンで知り合った女性活動家たち(スウェーデンにもまだまだ男女不平等歴然存在する)から核家族破壊」が「個人尊重」に繋がると教わり、目から鱗だった。

ある人が異性を生涯にわたって愛し続けられるわけがなく愛は流動的である。それを無視婚姻という制度によって無理矢理縛り付けるのならばそれは人権侵害である。そして男女不平等社会においてこの人権侵害被害を被るのは概して女性である

よって男性による女性子供への家父長権的抑圧体制である核家族を完全に破壊し、常にその瞬間に愛するパートナーと愛を育み、子供はその都度自分選択自由にどちらかの親と生活を共にする。そういう流動的な家族が最も望ましい。

なおちびまる子ちゃんサザエさんなどで見られる三世帯やそれ以上の家族形態問題外アフリカアジア日本などの人権後進国では親族一同が同居する家族もあり、林修が「一族バスケットの中でスクスク子供が育てられる」などと宣っていたが核家族を遥かに凌駕する人権侵害であり到底許すことはできない。親族一同の同居や交流犯罪であり、最も影響力を持つ者は刑法によって裁かれるべきだと思っている。令和のうちに子供たちが「親戚」や「親族」という存在を知らない、影響を受けない社会になってほしい。

もちろんレスビアンゲイカップルも、彼らが養子を持つことも擁護されるべきと思っている。ただ、恋愛をしない、恋愛できない、恋愛したいという欲求がない、他人を愛することも愛されることも拒むという者は「人間的にアナーキー」な危険存在であり、擁護されるべきではないと思っている。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん