はてなキーワード: 讃岐とは
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/5230903.html
http://himasoku.com/archives/52137451.html
http://world-fusigi.net/archives/9732146.html
このスレ何個かのまとめサイトに上がってるんだけど、半分素人の俺から見ても、讃岐直島三宅家の史料だとわかる。
瀬戸内海歴史民俗資料館から1978年に史料目録も出てるから、この史料の近いところで調査の手が入っている史料なんだと想像できる。
だから大切に伝えていってほしいんだけど、なかなか1にこの気持ちを届ける方法がなくてもどかしい。
どっかで1が見てくれたらいい。
何個かまとめサイト上がっているからどのサイトにコメントしていいか迷うけど、この史料、讃岐直島三宅家の史料だよ。天領の村役人の家。
『讃岐国香川郡御料直島三宅家文書目録』って本が瀬戸内海歴史民俗資料館から1978年から出てるけど、1があげた史料の三宅岡右衛門とか出てくるんだよね。如上の『讃岐国香川郡御料直島三宅家文書目録』が瀬戸内海歴史民俗資料館の収蔵史料の目録なのか、三宅家所蔵の史料の目録なのか知らないんだけど、史料の状態見る限り未整理(史料番号などが確認できない)だから、1978年の調査に漏れてる史料なんだと思う。
こういう史料は、来歴がわからないとコメントされている通りちり紙になっちゃうんだけど、この史料は40年ほど前に調査されている。だから調べようがあるし、他の史料とも突き合わせて調査できるいい史料。もし1が見てたらなんだけど、大切にしてほしいと思います。また困ったら瀬戸内海歴史民俗資料館に聴いてみるといいかも。
新横浜から3時間くらいかけて岡山に、そして1時間くらいかけて高松に、そしてバスに乗ってシン屋島水族かンゴ新屋島水族館に行きましたわ!
前回行った時はことでん屋島駅で頭のおかしなババアに絡まれたので怯えていましたが今回は大丈夫でしたわ。
新屋島水族館は2015年頃に閉館騒動がありましたがその後元気にリニューアルしたりしていますわ。今回は面白イルカショーのステージが8月15日にリニューアル公開予定ですわ。つまり今回はイルカショー無しですわ!どうせリニューアルじゃなくてもコロナで中止に違いありませんわ!ちなみに平日に行くと普通のイルカショーでしたわ。
さっき書いた気がしますわ!anond:20200724211708
マナティーはここと美ら海とバナナワニ園で見ることができますわ。確かバナナワニ園だけAmazonマナティーですわ。こっちはアフリカマナティーとかなんとかですわ。
わたくしは亀頭が好きなのですがアカウミガメとアオウミガメとタイマイがいましたわ。タイマイは水族館によくいるようなそうでもないようなそんな感じがしておりますわ。
ポストカードを買って水族館を後にしましたわ!ゼニガタアザラシが傘を持ってるやつですわ!
途中のお土産屋さんで屋島狸を買いましたわ!完全にタヌキックマスターの影響ですわ!ちなみにわたくし、タヌキックマスター様の影響で狸の剥製を購入しておりますわ。
屋島狸はなんでも日本三大狸らしいですわ!あと2つは?ですわ!!いやほんとに胡散臭すぎですわ!そんな争うほど勢力があるんですの?
あと半額になってたポストカードセットを買いましたわ。
その後、屋島寺宝物館に行きましたわ!仏像的なものとか焼き物?的なものとか、源平的なものとかがありましたわ!
駐車場のところの売店でたぬきうどんといいだこおでんを頂きましたわ。いいだこうどんを頼めばいいところをタヌキックマスターの影響で以下略ですわ!
ちなみに雨で霧も凄くて景色的なものはよくありませんでしたわ!
その後バスに乗って四国村に行きましたわ。四国村に入る前に併設のわら家で釜揚げうどんを頂きましたわ!
四国村に入りましたわ!四国村は昔の(昭和とか?)建物を現存する間に複製ではなくて移動させてきたものらしいですわ!大抵なんとか文化財でしたわ!入り口すぐのかずら橋を渡るのにびびりまくりで4分半かかってましたわ!手すり!掴まずにいられない!ですわ!!
途中の四国村ギャラリーでピカソのCG差分があって草でしたわ!
お食事付きでしたわ。牛とか刺身とかでご満悦でしたわ!とんかつはありませんわ!
調子に乗ってお酒を頼みましたわ!川鶴の生貯蔵酒ですわ!よく知りませんが香川の日本酒ですわ!
その後お部屋に戻りまして一本飲んで温泉行ってもう一本飲み始めて今に至りますわ!
おやすみなさいませ!
水500ml110円
飲み物129円
ポストカード(相合傘)120円
宝物館500円
たぬきうどん400円
わら家 釜あげうどん470円
四国村1000円
金陵 上撰 國の光300ml 380円
県花ラベル 綾菊酒造 綾菊 純米吟醸 金ラベル オリーブ 300ml495円
森まさこ氏の無罪を証明は法曹としてありえない、少なくとも即座に訂正しなっきゃやばいレベル。翌日になって「いい間違えました」とかじゃ済まされない。
どれくらい酷いかを他の分野で言うと。
最初、罪をと言ってそれを無罪になおしての無罪の証明なので二段階でやるよ。
くらいかな?
まあローソンで間違えてファミチキ下さいは俺も言ったことあるし、飲み屋の与太話とかじゃなくて、ゴーン氏の会見を受けて日本を代表する立場の法務大臣がまさにゴーン氏の批判を裏付けるような発言を公開の場して、即座に訂正されない時点で、「あとでまずいと気づいて訂正した本音」と言われてもしかたないよ。
元うどん県民として思いを語っておきたい。
ここは大した問題じゃない。讃岐うどんに厳密な定義なんてない。讃岐にあるうどんが讃岐うどんである。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/092000706/
この記事に出てくる「本場さぬきうどん協同組合」は、讃岐うどんのブランド化をちゃんとしたい派閥だから定義にこだわる。確かにそういうスタンスの県民はいるが、実際の店は好き勝手にやっている。
ただ、香川のうどん屋は丸亀製麺よりはるかに安いので、あえて量も質もよくない丸亀製麺を選ぶ理由はない。だから香川に出店した店舗は軒並み潰れた。
っつーか市街から離れた栗林公園のさらに南に店出して客が入るわけないだろ!あの出店計画はマジで謎。はなまるうどんはちゃんと商店街とかで生き延びている。
これもそんなに問題じゃない。俺たちは加ト吉の冷凍うどんでもおいしく食べられる。
ここはちょっとカチンとくる。なぜなら讃岐うどんの形態は多種多様だからだ。麺通団も言っているように、セルフだけが讃岐うどんでもない。
麺通団は作る側の立場でもあるから、小麦の扱いや製麺方法の違いにこだわっている。釜揚げした直後から麺の品質は下がるとか、細かな技術論は色々ある。どの店にも一家言はあるものだ。ぶっちゃけうどん県内でも冷戦状態にある。丸亀製麺はその一部に過ぎない。ターゲットが大きいから目立つだけ。
まじでやめてほしい。「お茶碗持って製麺所」とか大嘘を書き散らすのは勘弁。炎上に追従するマスコミがこのあたりを全然追求しないのも残念。事実関係に関しては麺通団のほうが正確である。
今回の炎上というかアンチ丸亀製麺の根本ってここだと思うんだけど、麺通団もいらんことまで書くから議論が錯綜してしまっている。
BLOGOSの取材(というほどでもないが)でも、誤った歴史認識に答えていない。
https://blogos.com/article/405108/
取材では、あわせて
・讃岐うどんの歴史が間違っているとの指摘があるがどう考えるか
全く許していない。前述の取材に回答しないあたりダメダメ。丸亀市に店舗がないこと自体は別にどうでもいい。
地域を代表するものが、 (すでに廃止された) 古い地名を名乗っていることに疑問を持っている。
讃岐うどんって言うなよ、クソが。 それは「香川県のうどん」だ。
讃岐と呼ばれていた頃と同じうどんなら讃岐うどんって言ってもいいけどさ、讃岐うどんってのはイリコの生臭さと噛み切れないほどのグニャグニャした (少なくとも食べなれない人からすると) クソまずい食い物なんだよ。
旅行客が食べて「美味し~~ (^^♪」って言ってるのはカスタマイズされた香川県のうどんなの!!
特にバスツアーとかで寄る店は観光客向けに調整してるから、味が美味しいかまずいかは知らんけど平均的な讃岐うどんではない。
でも、それも含めて旅の醍醐味なんだから、美味しいものを食べに行くっていう感覚はやめろ。 まずくてもそれを楽しむんだよ。
讃岐うどんかどうかはともかくとして、しいて言えばつるやのうどんはまああまあおいしいです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4674644977268989730/comment/mamezou_plus2
名物(常食を除く)だからな。日常食でそんな不味い物が残る訳ないだろ。日本人喰意地はってんだから※讃岐うどんブームは麺通団が発祥
旅行客にとっては「よその地方の」ものを食べているという話をしています。
食い物のおいしさを絶対的な指標で測れるという間違った考えを持っている人のことを想定していなかったので、そういう人にとってはわかりにくい文章でしたね、すいません。
私が名古屋へ行った時もあらゆるものが塩まみれで呑み込めませんでしたが、駅ナカで食べた串カツはたぶんよそ者向けにカスタマイズされていておいしかったです。
しかし、名古屋の料理はガチでしょっぱいわ~というのも貴重な異文化体験です。
日本国内でさえ様々な価値観があるというのが旅行体験として重要なのです。
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遠方へいってまで食べるのが普段食べているものの上位版に過ぎぬというのはつまんなくない?
普段よりおいしいものが欲しけりゃ地元にもちょっとした高級店くらいあるだろ。
結果的によそ者にとっても美味しいことだってあるだろうけど、よそ者向けにカスタマイズされたものを食って満足するのってあほらしいなぁと思うのだった。
追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄や石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士のあいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。
「本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。
三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。
治部少は石田三成(1560生)のこと。
「島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。
関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。
「佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。
「白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。
大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。
「津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。
火災のときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所七不思議」として知られている。
「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。
明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。
亀山とは、現在の三重県亀山市にあった、東海道の亀山宿のこと。
「伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠・伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。
「京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。
坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。
祖父が江島生島事件の江島の弟だったため甲斐に流罪となり、南柯は甲斐で生まれて岩槻藩士の養子となった。
儒学を学んだ南柯は、藩の要職を歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。
「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。
改鋳されたものが現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。
「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。
本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。
「原宿の山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。
「延寿太夫」とは、歌舞伎の伴奏音楽として発展した浄瑠璃「清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。
「鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。
一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在の岩手県一関市にあたる。
「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別に許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。
「建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。
これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。
八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの。地名から「松江城」とも言う。
熊本藩の本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である。
その気兼ねもあったのか、城は未完成で放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年に落雷で消失した。
「乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明。
保土ヶ谷とは、現在の神奈川県横浜市にあった、東海道の程ヶ谷宿のこと。
「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿の本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。
「花見寿司」は程ヶ谷宿の名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。
挙母城は、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。
「海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名家当主の名跡で、落語家のことではない。
「だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。
「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣は1827年に焼失している。
松平定信に「昌平坂学問所で朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。
京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。
川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。
「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。
「茶壺」とは、二代目藩主・京極高豊が好んで収集した、陶工・野々村仁清の茶壺のこと。
「多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀家当主の名跡。
三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在の広島県三原市のこと。
その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。
三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用を許可された「葵の御紋」。
日光東照宮の工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。
「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。
第六代安中藩主・板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。
「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。
「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。
「更科の蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。
「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。
「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。
森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、
更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、
蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、
同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。
奈良生まれの儒学者・森田節斎の言葉であり、高取とは現在の奈良県高取町にあたる高取藩のこと。
「山のお城」は高取城のこと。
日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。
「谷の昌平」とは、幕末の儒学者・谷三山(1802生)のこと。
若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。
新城は、現在の愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主が安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。
「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在は存在しない。
「太田白雪」(1661生)は、地元の名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。
「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。
「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家は土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。
下総は下総国のことで、現在の千葉県北部と茨城県西部のあたりを指す。
「久保木蟠龍」とは、儒学者の久保木清淵(1762生)のこと。
伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。
「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。
そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。
しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。
悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎の演目になっている。
「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。
「佐野の桜」とは、旗本・佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。
「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。
秋元とは、現在の埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。
「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。
「岩田彦助」(1658生)は、川越藩の家老を務めた儒学者のこと。
「河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。
「千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。
「不動並木」とは、谷田部藩主・細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。
「広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物。
「飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学の知識を得ていたとも。
徳山は、長州藩の支藩で、現在の山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。
「藩主墓所」は、徳山藩毛利家の菩提寺である聚福山大成寺にある歴代当主の墓所のこと。
地元のうまい讃岐うどん屋、うどん各種確かにすごくうまいんだけどおでんが輪をかけてめちゃくちゃうまい
讃岐の人はうどんを待つ間におでんをつまんで待っている、という現地のスタイルを
問題はおでん食べた後もうそれで充分、というくらいに腹がいっぱいになってしまうということだ
そもそもおでんのうまいその店はうどん屋さんであるのでおでんのみ、
同様に置いてあるいなりずしのみというオーダーはできない
しかしどうしても食べたいものすごくうまいおでんを食べてしまうとうどんが全て食べきれない
うどんを全て食べきるためにおでんをセーブする、という選択がなかなか難しい
さらにこのお店はとても景気のいい盛りのうどんでそれがますます完食を難しいものにさせる(意地で食べるが)
とうふと地元の牛を使った牛すじ2本、大根を一つ、稀にこんにゃくか練り物をひとつ
これと普段の盛りの半量のうどんで充分だなあ…と思いつつなるべく頑張ってうどんを食べきる 朦朧として店を出る
複数人で行ったときはあらかじめ麺を半分大食いの人に食べてもらうということができるが
いつも都合が合うわけでもなくその店に半うどんや小盛り等のメニューはない
だから本当にたまにしか行くことのできない店 いつも混んでいて入れない時もありますます遠いうまいうまいおでん
標高40メートル前後の平坦地がどこまでも続く大阪北部のベッドタウン。万が一淀川や神崎川が氾濫したとしても、千里丘陵に被害は及ばない。急傾斜地も少ないので、土砂災害の危険も少ない。ただ、6月の大阪北部地震の震源地に程近いことには留意。
大阪・天王寺から南部の一帯(ただし大和川沿いは除く)。JR阪和線から東側一帯の広大なエリアは基本的に地盤が強い。生駒山の稜線群からも離れているので、土砂災害の危険性も低い。
3.京都市北区
京都御所と船岡山に挟まれた一帯。周囲を山に囲まれている京都盆地の中では、標高が比較的高く、山の麓や鴨川・桂川の河道から少し離れているあの辺りが一番安定している場所。
伊丹空港から西側一帯は、地盤の固い場所がどこまでも広がっている。神戸のように山が市街地に迫っていないので、土砂災害の危険性も低くなる。
5.徳島平野
徳島平野内を流れる吉野川は古くから氾濫を繰り返していて、逆に治水がしっかりしている。今回の豪雨でも高知や愛媛が甚大な被害を受けていても、徳島は特に被害は無かった。
広大な讃岐平野の中央に位置する地盤の強固な丘陵地帯。この辺りは水不足はひどいが、近年の豪雨の増加によって、あまり欠点にならなくなりつつある。
https://anond.hatelabo.jp/20180307150402
諦めるのが早すぎる。高い目標の下方修正はいつでもできるが、京大をまた目指しはじめても低い目標を上方修正するのはきついぞ。
年間1-2人だけ京大に行く公立高校に通い、高校1年の4-12月に個別指導の英語だけを週2時間/高校3年の9月-本番まで河合塾の京大数学と京大英語コースを受講、最後の冬休みは河合塾の京大演習コースも受けた。それ以外は独学。結果京大法学部に現役合格した。学校に特進コースはなかったし、クラスは文系と理系の二分のみ。部活には休まず通い(運動系だったが大会は存在していなかった)、高校3年の夏休みとか1日2時間くらいしか勉強してなかった(結果死んだので河合塾行き)。その際のノウハウを共有するから参考にしろ。
学校の定期試験は無視しろ。残り2年間で京大の学力に到達することだけを考えろ。定期試験で点数がとれようととれまいと京大の受験には関係ないし、学校はお前の受験結果に責任を持たない。また、センターはともかく二次試験は完璧を目指すな。京大に入りたいなら合格ラインに達してさえいればいい、たしかせいぜい6割くらいだ。
今の段階で京大受験に必要なセンター科目・二次試験科目を絞れ。そして今後2年間の勉強計画を立てろ。ただし総合的な勉強量は考えておこう。センターで日本史・二次試験で世界史を受験する方針を高校2年で立てた結果2年以降の世界史を完全独学でやり(2-3年は日本史の授業だった)、地獄を見た。普通なら世界史・地理か日本史・地理を選ぶ。このあたりは独学の悪い所で、適宜誰かに相談して方針が変じゃないかどうかを確かめるのは大事。
京大に受かるためには数学に限らずそれ以外の勉強が不可欠。京大を目指していたなら過去問くらいは開いたことがあるだろうが、京大の二次試験は異質だ。ほぼほぼ全ての回答が記述式。これで面食らう人間が多いが、実際のところあれはセンター試験を選択肢なしで解くだけな問題も多い。センター試験の数学がたまに突飛な回答をするのを思い出せ。センター試験レベルの知識が習得できれば、京大の問題は実のところ解けてしまう(勿論一定以上の応用力は必要だが)。とにかく基礎を固めろ。突飛な英単語やドマイナーな歴史知識は不要。
基礎的な勉強は学校で買わされた教科書・文法書・参考書を利用すればいいが、京大レベルだと不足する。今すぐ2ちゃんねる(今では5ちゃんねる)の大学受験板に飛び、各科目の総合スレを開け。そこには10年以上前から構築された知のノウハウがつめこまれている。具体的には各スレのテンプレにある参考書一覧のことだ。俺が受験生だった10年前と比べると今のインターネットはクソまとめアフィリエイトサイトで溢れてしまってるが、あそこに書かれている参考書一覧は今でも変わらず良書だけを選んでいる。各科目、高校3年の夏くらいまでにそこに書かれた京大レベルの参考書を数冊、2周~3周解いている状態を考えろ。それを目指して、どの参考書をいつまでに解いていればいいかを逆算してみてくれ。ギチギチに詰め込む必要はない、むしろゆったり考えろ。あくまで、手持ちの範囲・出来る範囲でスケジュールを組め。
勉強量だが、俺の場合は高校2年の段階から大体1日2-3時間を毎日やっていた。朝起きて1時間、部活が終わって帰宅し、風呂に入って寝る前に1-2時間。試験前はもう少し勉強量を増やした記憶がある。これを基本毎日やること。どこまでやるかじゃなく何分やるかを意識しろ。だが飽きたときはやらなくていい。俺は何度か小説にはまって(ラノベだと戯言とか禁書とかイリヤ、文学方面だと村上春樹や夏目漱石)、後で書いてる散歩だけしかやらない時期が何度もあった。毎日2時間くらいネットサーフィンしていた気もする。ただ高校3年の秋以降は4-5時間に跳ね上がったかもしれない。流石に焦った。
忘れずにやってほしいのが、毎日の各科目ごとの勉強量をメモしておくこと。今すぐ新しいノートを開き、1行目に京大の受験に必要な科目を全て列挙しろ。現代文、古文、数学1、数学A、数学2、数学C、日本史、世界史、生物、英語、英単語etc...そして2行目から、毎日どの科目を自主的に何分勉強したか書いていけ。これをやっておくだけでもモチベーション維持が随分違う。「あの科目しばらくやってないな」というのも一目でわかるから万遍なく勉強ができる。
個人的におすすめなのが、朝か夜に必ず1時間散歩して単語帳or一問一答を声に出して解くことだ。運動しながら勉強をすることで脳が活性化して記憶に定着するとかいう理屈があるらしいが真偽は不明。ただ、散歩することで運動にもなるし、つまらない暗記ものをやるときに家で寝てしまわないという利点がある。勉強の気分転換にもなる。ただ夜にやるときは安全と、女性の場合は治安等に気をつけてくれ、責任は持てない。俺は一度だけ国道沿いの深さ1.5mの側溝に落ちた。
勉強の基本は繰り返しだ。 ただし、漫然と繰り返すな。問題文の頭に○や×、△などで解けたかどうかをチェックしておけ。2周目以降、一度でも正解した問題は飛ばせ。でも解いてからしばらく時間(1ヶ月~半年)が経ったら念のためもう一度解け。たとえば1周目に間違えて2周目に正解したら「×○」、1周目に正解して2周目・3周目は解かなかったが4周目にケアレスミスで間違えたら「○ - - △」みたいな感じに書いていけ。
とにかく「その問題で何回間違えたのか」が視覚的にわかるようにしろ。そうやってチェックをつけていると、「参考書を開いたら、どの問題がミスりやすく、どの問題が得意なのか」、要は復習時の要チェックポイントが一発でわかる。こうしておくと、最終的には数学1A全ての復習が1時間で終わるようになる。
おそらく学校でチャート式を買わされてるだろう。買ってないなら買え。一年間でとにかくそれで勉強を繰り返せ。
勉強方法の基本は写経だ。例文に書いてるやり方でひたすら問題を解く。まずは例題の回答方法を一字一句写経しろ。そして同じ解法で一字一句同じ書き方で解け。数学が苦手なやつによくありがちだが、解答で途中の解法をすっ飛ばすのはNGだ。理由は以下の3つだ。①理屈を何度も書いて覚える必要があること②採点者にとって「すっ飛ばしている部分を回答者が理解しているかどうか」がわからないので×にせざるを得ないこと③京大数学の記述問題は「計算を間違えていても、理屈があっていれば部分点をくれる」ということがままあること。
京大数学を解いたことがあるなら2完とか3完とかいった言葉を聞いたことがあるだろう。あれは全5問のうち3問は全部解答できたという意味であり、つまりは多くの受験者が5問のうち2-3問しか完答できていない(完答できなくても点数は獲得している)ということだ。数学は論理でできている。故に京大数学が重要視しているのは解法の論理を理解しているかどうかという点だ。
だから、とりあえずわからない問題は悩む前に解答例を見てやはり写経しろ。お前の頭で考えるな、答え(=解法の論理)は先達が既に考えてくれる。言っちゃ悪いが高校数学レベルの問題なんてチャートに書いてることがすべてだ、俺は黄色チャートで乗り切った。
もしどうしてもわからない単元がある場合は、このサイトのpdfに載ってる当該単元に関わる章を全部読め。当該サイトは、「1+1がどうして2になるのか」という説明からはじまった高校数学に関する説明を全部やりきる『高校数学+α』というすごい本の全文をpdfとして配布している。最初から通読しようとするのはきついので無理しなくていいが、わからないことがあればこの本を読めば絶対にわかる。
英語は現段階であれば文法書を何周もしておくこと。細かいことは言わん。何周もしろ。あと、英単語帳は今から3ヶ月で一旦全部暗記しろ。高校3年にもなって英単語帳を一からやるのは馬鹿らしすぎるしリソースの無駄遣いだ。1日1時間やれば3ヶ月でどうにかなる。
英単語をはじめて覚えるときに絶対忘れちゃいけないのは「1日でも時間を空けるな」ってことだ。毎日やれ。英単語帳はどれでもいい、どうせ全部覚えるんだから変わらん。覚え方だが、とにかく音読しろ。「accept」という単語があるなら「アクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取る……」と5回〜10回音読して次の単語に行け。黙読は絶対にやるな、音読して単語の意味を音としてインプット・アウトプットすることに意味がある。ページ単位で考えずに時間で考えろ、10分で一度音読できる範囲まで音読しろ。次の10分で同じ範囲をもう一度最初からやりなおせ。次の20分では新しい範囲で同じことをやれ。最後の20分で全部おさらいしろ。1セット1時間を目処にするといいだろう。これで1日100単語はインプットできるはずだ。勿論翌日には半分以上忘れるしすぐに思い出せない。それが当たり前なので気にするな。大事なのは復習だ。翌日は一度読んだところを20分かけて再度音読しろ。絶対だ。1日後というのが重要で、詳細は忘却曲線でググれ。残りの40分は新しい範囲に時間を費やせ。これを毎日やれば3ヶ月で1冊丸暗記できる。忘れたら忘れたで構わん、再度読み直せ。1週間スパンくらいで全体を再度復習するといいとは思うが、その日に覚えたことを翌日復習するというのを徹底するなら復習頻度は気分でよしなにやれ。
京大英語の恐ろしいところは、主要な問題が英文和訳と日本語英訳だけというところだ。文法の基礎(センターで満点を狙える程度)をがっつり固めるのは当たり前として、それ以外に和訳英訳の練習が必要だ。和訳で絶対におさえておくべきなのが伊藤和夫『英文解釈教室』。今からでいいので買って少しずつ、それこそ3日に1問・1問解くのに1時間かけてもいいから触れておくのがいい。解けなくても、やるときは1時間やれ。解説は精読しろ。
それ以外では、学校での課題・夏休みでの宿題で長文演習問題が出てきたら、全文を和訳するといい。「受験に関係ない宿題をこなす」が「京大英語の演習をおこなう」に変化する。
英訳は逐語訳ではなく意訳の力が求められるのでかなり難しい。そこでサンプルとしておすすめしたいのが『英文対照 天声人語』。天声人語自体の良し悪しは知らん。俺も普段読んでるわけじゃない。ただ、日本語の意を汲み取って逐語訳ではない英訳を集めてるサンプルケース集としては有用だ。
しかしながら、英訳も和訳も独学には限界がある。なのでここは他人を利用しろ。赤本の過去問でもなんでもいいから、演習を解いたものを大人にチェックしてもらえ。一番いいのは京大英語講座に行くことだが地域的な問題で行けない場合もあろう。英語教師にチェック依頼するとかがベターだ。
現代文は知らん、息抜きに小説たくさん読むとかするといい気がする……とぶん投げるのもよくないのだが、いかんせんこの分野は扱いが難しい。なので俺が楽しかった参考書だけ紹介する。
石原千秋の『大学受験のための小説講義』『教養としての大学受験国語』はすごい。大学に入ってから知ったが、石原千秋は文学理論を日本文学に当てはめることほぼほぼ初めて行った研究者で(大学時代の知り合いに教えてもらった知識なので間違ってたらすまん)、現代における漱石研究の第一人者。この人のテクスト読解はすごく楽しい。趣味になるが『謎とき 村上春樹』も最高。
評論系だと『MD現代文・小論文』が主要なトピックスを抑えててよい。大澤真幸が「自由の牢獄」について言及していたので俺はミヒャエル・エンデを知った。ただ(内容ではなく出版年月が)少し古いので一度書店で立ち読みしてみるのがいいかも。
古文・漢文は、基本文法・基本単語をマスターするのが前提として、あとは慣れの部分が大きい。漢文には正直そんなに力入れなかったので割愛するが、古文は小学館の古典文学全集シリーズのうち、平安時代あたりのものを1冊でいいので(たとえば源氏物語の1巻だけとか、当該シリーズ26巻の『和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』とか)読み切る。当該全集は各ページ三段組み=原文・訳文・注釈が同時にチェックできるので、原文を読む上で圧倒的に優れている。文法を暗記しようとか、知識をあまさず覚えようとかしなくていい。でも注釈は全部読め。どの原文がどの訳文と対応しているのかを常に確認しろ。そうすることで時代的な知識を知る事ができるし、何より「古典作品を読んだ」という自信がつく。
日本史・世界史だけは例外的で、高校の授業を一字一句もらさず板書すること。どの事件にどんな背景があって、それがどういった結果につながっていったのか、そういった歴史の流れを理解するのは、教科書・参考書で独学するよりも先生の話を聞いた方が圧倒的に楽。豆知識が記憶の定着に役立つ(先生によるかもしれないが)。複雑な範囲(日本史の近代とか)は自作フローチャートを作れ。骨子の流れを覚えたら参考書で補強。本気で独学すると山川出版『詳説 世界史研究』で死ぬ。575ページあった。
それでもなお世界史を独学すると言うなら、世界史は参考書として『タテから見る世界史』『ヨコから見る世界史』を押さえておくとベター。物事を俯瞰して押さえるのが大事。あと論述対策しておくこと。
生物は正直センターレベルだと独学することがない気がするので、やっぱりセンターで80-90を狙って勉強するのがいい。
政治経済は、申し訳ないが大学時代で知識がアップデートされすぎたのでどう勉強したのか覚えていない。すまん。
後半飽きてしまった部分があるので雑な投げ方していたところもあって申し訳ないが、最後に1つだけ。
俺が挫折を味わったのは京大に入ってからだった。六法の講義が何一つわからないのに周りの人間はすらすらと解いていく。60点で可をとるのが関の山だったのに、その横では「80点に届かないから問題解かなかった(ロースクールの受験には学部成績が影響するのでそういうことが往々にしてある)」という会話がなされている。俺は2回生のときに法曹を目指すのを諦めた。
でも、それと同時にもっと楽しい事・面白いことを沢山知る事ができた。政治学からは価値判断と切り離した広い視点を持つことを学んだし、小野教授の政治思想史からは人類史に通底する観念とその変遷の奥深さを知った。プログラミングにはできないことも多いがそれ以上にできることが多いという、応用力の幅広さに助けられた。京都では、自転車を走らせればすぐ史跡や寺社仏閣に行ける生活が待ってるし『四畳半神話大系』が最高に楽しめるようになる。そんな環境で、自分と同じ興味を持った人間と同じ話ができるというのが何よりすばらしかった。大学時代に比べたら、高校時代の記憶なんてほとんどないし、社会人になってから大学以上に楽しい環境にいたこともない(今の環境がだめという話ではないが)。
京大に限ったことではないと思うが、大学は、色んな学問を研究する色んな人間がひしめきあった結果、知的興奮の機会に満ち溢れている場になっている。もし京大に行けなかったとしても、早稲田や慶応等のある程度一流と言われている大学であれば、絶対にそんな魅力を味わうことができるはずだ。
そしてなにより、今度どうやっていくかに関わらず、勉強を楽しんでほしい。英語の長文演習問題はするする読めるようになるとめっちゃくちゃ面白いし、小説や海外ニュースも読めるようになる。源氏物語は第1帖「桐壺」を全部読むだけでもうるっとくる。高校数学を一種の論理パズルと考えたとき、京大数学の演習問題が異常に楽しいというのはやったことがあるならわかってもらえるはずだ。
健闘を祈る。世界は広い。