はてなキーワード: 木々とは
気付けば脱ヤク中してから1年以上経っていたので、あの頃の限界生活を綴ってみようと思う。
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そもそもODとはオーバードースの略であり、薬の過剰摂取のことを指す。
まだ肌寒いときにはじめたそれは、桜が咲き、セミが鳴き、木々が染まり、気付けばまた寒さを感じる季節まで続いていた。
B3の紙切れ1枚でこれまで生きてきた22年間の全てを否定されるものだから、精神的にかなりボロボロだったと思う。
あれは10月頃だっただろうか。
いつものように面接から帰りスーツのままソファに横たわっていると、ふと薬箱が目に入った。
そこには昔メンヘラを拗らせていたとき処方してもらった精神薬が残っていた。
そんなに多くはなかったと思う。
なんとなく、一気に全部飲んだ。
少しでも楽になれると思った。
*
ベッドに入らないと眠れないタイプなので、酷い眠気で落ちたというより気絶の方が近いのだろう。
やばいと思ってツイッターを見ると、書き込んだ記憶のないツイートが残っている。
するとなんとなく元気になった気がしたので大学に向かった。
その道中で吐いた。
しかし大学で友人とおしゃべりしてまた元気になったと錯覚した私は当時バイトしていた料理屋に向かう。
その日は平日だったので比較的空いており、料理長の作る料理に舌鼓を打ち、日本酒を飲んでかなりハッピーに過ごしていた。
気付いた時には奥の座敷で寝ながら泣いていた。
営業時間が終わって料理長に家まで送ってもらったような気がするし、別の友達に迎えに来てもらったような気もする。
正直ほとんど覚えていない。
*
メンヘラ御用達の市販薬や、海外から取り寄せた精神薬など、色々飲んだと思う。
薬がよく効くような気がしてグレープフルーツジュースと一緒に飲んだ。
飲んでしばらくすると呼吸が浅くなる。
体が痙攣する。
頭がぼーっとするのに眠ることができない。
胸が苦しい。
でも、そんなとき、苦しさや気持ち悪さを感じるとき、「私めっちゃ生きてる!!!!!」と感じていた。
ドエムで良かった〜〜〜〜〜〜!
(ただ一度だけ、よくわからない海外の精神薬を飲んだときは血流がぐわんぐわんいってめちゃくちゃ気持ち悪かったので、あれはオススメしない。)
薬が切れればまた飲んで、その合間にバイトと就活をして、また薬を飲んだ。
飲んでから2日は上手く話せないし頭も回らない。
しかし、そんな生活をしながらも12月中頃には就職先が決まった。
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土日祝休みなんて妄言で実際は盆正月も出勤、賞与は初年度支給無しだし、他にも裏切られまくっている。
特にやりがいを感じるわけではなく、待遇も微妙なのにとにかく忙しい。
上司に理不尽なキレ方をされた日の夜は、また薬を飲みたくなる。
ああ、死にたい。
いや、死にたいわけではないけれど、なんとなくなんで生きているのか分からなくなる。
なんのために働いているんだろうか。
生きるために働くの謎じゃない??
本当にただ事実はそれだけなんだけど、彼女らは最高!と叫ばんばかりに楽しそうで印象的だった。
井の頭公園の池の水は抜かれていて、普段は空の青と木々の緑、底の土を混ぜた濃い色をしているのに、今日は真っ白だ。
真っ白な池は新鮮で、RPGでダンジョンのパズルを解いたら出てくるみたいな、レアで幻想的な景色だった。そういえば4年前も同じ景色だった、と書きながら思い出した。
そんな大雪を控えながら、僕は会社に出勤してたけど、自宅勤務許可が出たので堂々と帰ってきた。会社には2時間くらいしかおらずネットサーフィンしてただけ。最寄り駅まで帰ったはいいが、僕は自宅が前世に罪があるのかと思うほど極寒なので、駅近くのカフェで作業をしていた。カフェに入ったら数人の同じような人が居てあなたも大変ねぇ、と目配せがあったような、なかったような。
雪が強まってきた昼の奥、女子高生たちが入ってきた。このアホほどバカ寒いのに生脚ミニスカートの女子高生が4人。どんな生態してるの。同じ高校生だったときから女子高生のことはわからないけど今はもっとわからない。雪で靴下がビチョビチョになったらしく、「脱ぎたい〜〜〜」「ここで脱がないでよ!」とかって応酬している。耳を逸らしていたので話の内容はわからないが、終始笑いながら話している。ずっと話している。ときおり自撮りしている。テンポよく話している。自然かつ上手に自撮りしている。微笑ましいなーと取引先のメールと向き合っていたら、店内のBGMが切れた。そして、高揚した外国人女性が歌うHappy Birthdayが流れ始めた。PCにめり込んでた顔を上げると、ローソクの刺さったケーキが彼女たちの机に運ばれた。誰か1人が誕生日だったらしい。
僕は驚いた。この警報出る尋常じゃない状態でも彼女たちは仲間の誕生日を祝っている。前から計画していたのだろうか。彼女たちの中には、このオーバーな雪の中なんでわざわざ…、みたいに考えている子は1人もいなさそうだった。みんな心から祝い、心から喜んでいるように見えた。一瞬見ただけだから想像かもしれないけれど。彼女たちはこの異常な気候の中でも、温度が高く、日常を当たり前に続けていた。カフェで友だちの誕生日を祝いながら自撮りをし、止まることなく笑って話す。僕は「女子高生の日常ってこんなに強く、輝いたものなのか!」と感動した。
ふと自分のことを考えると、持ち帰って仕事をしている僕も日常を続けていて。強いというか抜け出せないだけなんだけど、突飛な日だが日常を続けているという点は変わらないなと思った。笑ってるか笑ってないか、自撮りしてるかしてないかはあるけれど。女子高生たちはカフェで笑って自撮りしたように、帰りも絶対雪を楽しむと思うんだよなぁ。非日常を、日常の演出に使うくらい彼女たちは左右されない。こんなに雪が降っても冷えないくらい彼女たちはそのままなんだろう。僕も、「あの日も楽しんでやったぞ」と言えるように、脚は無理なんでせめて心は生でいたいと思う。仕事を切り上げて雪で何か作ったり、その写真を撮って友人に送ったりしよう。「またやってるね」と言ってくれ。
予め宣言しておくと 皆が口を揃えて言う「雪質が最高だから」という理由は当たり前すぎて聞き飽きているだろうから、それ以外のことを書く。
自分はバックパッカーでアジアの遺跡や寺院巡りを中心にいろいろと旅している。寒いところは大の苦手だ。
その数々の旅の中で印象的で記憶に残っているのが5年くらい前にミャンマーかラオスかのゲストハウスのドミトリーで同室だったオーストラリア人との会話。
会話前略
豪人「Yeah! I went トーキョー アァンドゥ ヌィスィクォ」
ニセコが外人に人気だということは当時知らなかったし、確かまだ民主党政権下の円高で訪日外国人客もそんなに多くない時代だった。
(・・・・・逆にバックパッカーにとっては円高の恩恵を受けて非常に楽な時代だった)
東京はさておき、京都でも沖縄でも奈良でも広島でもなく謎のピンポイントの地名らしき名前を言われて混乱した。
最初は聞き間違えかと思ったが何度か聞き直した挙句、北海道のニセコという超マイナーなスキー場ということがわかった。どうやら雪質が良いらしい。
当時は「ほーん、雪質が良いってだけでわざわざ赤道超えてはるばる来るんやなぁ スキーヤー、スノーボーダーの熱意は大したもんやな」程度に捉えていた。
しかし、今年ようやく念願叶ってニセコに行くことが出来たことでほとんどの疑問が解決出来た。 これは確かにニセコに外人が押し寄せるわけだ・・・。
卵が先か鶏が先か、というツッコミを受ける話になってしまうのだが・・・・
スキー場スタッフはおろか 山小屋 レストラン 町中のタクシー ホテル 温泉 飲食店に限らないスキー場周辺の一般住民 ほとんど全てのに対して英語が通じる。
メニューや標識看板、放送などもほぼバイリンガル。 英語が公用語ではないアジアの他の観光地と比べても遜色ないレベルかもしれない。
そのへんのホテルの中にある売店(ビールとかおつまみを買うところ)でも使える
たしか、ゲレンデのレストランはSuicaだのEdyだのiDだのも使える機械があったと思う・・・けどちょっと曖昧。違ったらごめんなさい。
ゲレンデに適切に配置されたロッジの中に暖かくて清潔で広いトイレがあり、かつ十分に数があって全く並ばない。
個室の中もそれなりに広く、重ね着していても快適に用を足すことが出来る。
スキーウェアを着ながら用を足したことがある人にしか伝わらないかもしれないのだけれども・・・
うんこを愛する増田達にはきっとこの素晴らしさは伝わると願っている。
単に広いというと禿山に広がる広大な斜面を想像されるかもしれないのだが
独立した4つのスキー場がところどころで繋がっていてかなり自由に行き来することが出来る(特に東から2番めのヒラフは桁違いに広い。完全立ち入り禁止のとこも勿論あるので全部が全部入れるわけではない。)
コースとコース、スキー場とスキー場の間に生えている木々がちょうど良い塩梅の間隔でコース間滑走が楽しい。
この木々の間隔をうまく伝える語彙力の低さを強く自覚していて、非常に歯がゆい。死語だがボキャ貧。
全部が全部ではなく一部のリフト等は15時半あたりから終わってしまうのだが、かなりの広範囲のコースでナイターが楽しめる。
そして、友人曰く珍しいことなのだがリフトのみならずナイターでも一部ゴンドラが動いている。
朝に羽田から新千歳に飛んで、昼過ぎとかから20時半とかまで滑れる、しゅごい。
他にもフードが着いていて雨風を避けられるリフト(座ってても寒くない)をはじめとするスキー場のインフラ面が他のスキー場と比べて秀逸。
4つのスキー場を結ぶNIZEKO UNITED シャトルは、全スキー場共通のリフト券を持っていれば無料で利用可能。 時間もスキー場によっては23時過ぎまである。
例えばナイターのないニセコ花園リゾート近くの宿に宿泊していても、夜までナイターのあるヒラフで滑ってそこからバスで晩飯食べに行ってからバスで温泉行ってバスで帰ってくるみたいなことが可能。
あとは若干行動に制限が生まれて不自由ではあるが、スキー場とスキー場の間にある宿であってもだいたい近くに停留所はあるので宿の選択肢を広く持てる。
需要があるから供給もあるという話ではあるが、温泉や日帰り温泉を受け付けているホテルが多い。朝6時から24時までやっているところも。
私が行った温泉はすべて休憩室が完備されており、湯上がりにビールでも飲みながら暖かく快適に友人を待つことが可能だった。(仮眠も可能)
余談になるが、温泉が好きなのは日本人だけであって"西洋人は公衆の場で裸になるのに対して恥ずかしいと感じる"という思い込みがあったのだがニセコで完全にそのバイアスが崩れた。
あいつら温泉に酒持ち込んでめっちゃリラックスして楽しんでやがる・・・・もしかして日本に来る人は特別なのだろうか。
もう一つ余談。 温泉等に良く付いている有料のマッサージ機について。
私の観測範囲内では今まで国内旅行においてほとんど誰も使ってるところを見たことがなかったのだが、ニセコでは外人が凄い高い頻度で利用していた。 技術立国、クールジャパン!
コンビニのセイコーマートがあるヒラフ十字路近辺には流しのタクシーが高頻度で走っているし、電話したら各ホテルやレストラン、温泉まで来てくれる。
湯上がりに外を歩くと髪の毛が凍るレベルの外気なのだが、23時を超えて温泉から宿までのわずか数百メートルのためにタクシーが来てくれた時は有り難さで涙が出た(初乗り+割増の660円だけで申し訳ない気持ちだった)
「北海道なんだから当たり前だろ!」と思われるかもしれないが、スキー場から歩いて行ける範囲内で美味しい店が多いという条件って実は意外と難しい。
繋がってるスキー場を渡った上で、理由6のシャトルバス運行をうまく絡めると無料でさらに選択肢が広がる。
"「雪質が最高だから」という理由以外のことを書く" と言ったな あれは嘘だ
正直雪質が良いって言われても初心者だからそんなんたいして違いとかわかんないわー 関係ないわーって思ってたんス
でも、初心者こそパウダースノーで雪質の良いところで練習すべき! こけても全然痛くないし、痛くないからちょっと大胆なことも練習出来るし上達も早い!何より滑るのがチョー気持ちいい!
毎日大量に雪が振るからシーズン中(2月途中くらいから悪くなるらしい)は新雪でフカフカだし、朝に頂上まで行ってそこからヴァージン・スノーのみを使って下まで降りるのが至福の快感。
絶対に人生で一度は行ったほうがいい。凄い貴重な体験が出来る。超絶オススメ!!!!!!思いっきり背中押すから若いうちに行っとけ!!!!
http://tech.s-cubism.jp/blog/archives/3723
以下、ニセコに限らず日本全体に当てはまることではあるのだけれども理由追加。
10の理由と言ったな あれも嘘だ
オーストラリアとは2時間差、ニュージーランドは4時間差らしい。
たしかになーと納得。
日本人が軽井沢に行く感覚・・・というよりは夏にスイスやフィンランドに行く感覚?
自分の経験だけど、今シドニーとかメルボルン等の都市部ではランチでお高くない普通の店でも2000円を軽く超えてくる。(だからこそ日本のラーメンが1杯1000円超えてても人気だったり)
あとは本題と外れるけど、ホノルルのワイキキで丸亀製麺に行列が出来てたりで現在海外における日本料理の一部は所謂日本にとって一昔前のマクドナルド的な存在だったり。
日本人からするとスキー場のラーメン1000円とかカツカレー1500円って 「うげぇぇぇぇぇえ」ってレベルだけど、彼らからしたら安いのだろう。
らしいのでそうなのかな。他の観光地も組み合わせた上で、夏も寄ってみたいって思いました。
おそらく最大の理由。全ての理由を経て、来訪した経験者の満足度が高かったんだろうね。
その満足度の高さが、さらに客を呼び好循環を産み出している最強の状態。
台湾やタイ、マレーシア他東南アジア等暑い国々のお金持ちが涼みに来る とか
そういうのではなく、ニセコは本当に肌感覚として明らかに白人が多いんです。英語も超綺麗な発音でネイティブ。
純粋にスキー、スノーボードが大好きな欧米人が遊びに来てるな!!って今回の旅行で印象を受けました。
若干日本人と比べてマナー悪い部分とかも無くはないんですが(セイコーマートのコンビニの灰皿とかゴミが投げ入れられていて惨状だった・・・・) 文化の違いも体験出来るし素晴らしいところです。
重ね重ね、一度は冬のニセコに訪れて見ることを強くオススメ致します。
乱筆失礼致しました。
気付かぬ間に400近くもブクマが!!
若者のスノボ離れとかウィンタースポーツの国内人口現象とか言われてるけど、なんだかんだ皆さん興味はあるということでしょうか
(それともはてな村の平均年齢が・・・・・ おっと誰か来たようだ)
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0227.html
やっぱ資本の力が大きいんですね。やや不動産価値がバブってるってのも含めて理解が深まりました、URLの紹介、有難うございます。
他の方が指摘されてるように、日本人にとってのハワイみたいな位置付けがオーストラリア人他外人にとってのニセコなのかもしれませんね。
>超マイナーうんぬん
釣るつもりは全くなかったのですが、寡聞に付き大変失礼致しました。
当時まだ若く、関東からちょっと足を伸ばせる範囲の群馬長野新潟のスキー場数個(白馬、湯沢、水上など)くらいしか知らなかったので完全に無知でした。
あとなんか積雪量の関係で新潟とか日本海側が最強で北海道は劣るとか思い込んでました・・・・。
無理に他のスポーツに例えるならばサーフィンをほとんどやったことない人が「青島?どこそこ?」みたいなレベルの話です。
完全に東京中心の悪い意味での中華思想でした、お詫び申し上げます。
釣るつもり・・・・・といえば逆にトイレの項目で、はてな村の皆さんが大好きなうんこネタを振ったのに誰も食いつかなくて寂しいです(`;ω;´)
やはり漏らさないと駄目なのか。
テイストが同じ。
ジブリに映画つくらせたら、どれもこれも自然の森や木々の緑の背景がジブリ感溢れるのと同じで、
ポリゴンピクチュアズに造らせたら、ポリゴンピクチュアズのテイストがでてしまう。
特に3D CGだから、手描き時代よりも余計に似通っているんだと思う。
いろんな人に作らせたCGモデルを組み合わせて1つの絵にする場合、
それぞれのCGモデルの色彩がちぐはぐだと、組み合わせた絵もモザイク状になり変な絵になってしまう。
それをさけるために、全体的に淡い色塗りに仕上げて、かつ、画面全体に特定の色のフィルタを掛けるようなエフェクトで
絵に統一感を持たせている。
世の中が大きく動く時ニートの人たちは自分の現状と比較して死にたいと感じている人もいるのではないでしょうか?
僕はニートです。
なんとなく大学に入り、なんとなく留年して、なんとなく就職し、なんとなく退職して、かれこれ4年ぐらいニートやってます。
世の中にはニート絶対許さないマンがいて、「働かないで食う飯は美味いか?」「早く死ねよ。」とか言っちゃう人もいます。
働いてなくてもご飯は美味しいし、働くのも死ぬのも怖いのでニートのままでいます。
そんな事を言っちゃう人たちも働かなくても十分に暮らしていけるのならば、働かない選択をする方が大半です。
皆、辛いことを我慢して生きているなんて言葉も聞きますけど、辛いこともその耐性も人それぞれです。都合の悪い現実は見ないことにしましょう。
ニートやっていると自己否定を強くしてしまうのですが、これは避けましょう。やめてください死んでしまいます。
今日は早起きが出来た、ご飯を食べた、う○んこがたくさん出た、そういう些細なことでも出来たら自分を褒めちゃいましょう。今日も1日ニートでいてやった俺すごいの精神です。
たくさん外の空気を吸いましょう。玄関先でも部屋の窓からでもいいんです。
秋晴れの空から降り注ぐ日の光が紅葉を迎える木々の揺れる葉の隙間からゆらゆらとこぼれ落ちる様は絶景です。
人の目なんて気にしてはいけません。所詮他人です。その人たちは自分に何もしてこないし、何もしてくれません。だから無視します。やりたい事をやって、やりたくない事はやらなくていいです。
嫌なことは全部無視して生きましょう。生きてるだけで丸儲けです。
世間が、親が、近所の目が許さなくても僕が許します。一緒にニートでいましょう。
そろそろ外に出てやってもいいかなと思えたら外に出ればいいんです。傷ついたらまた部屋に戻ればいいんです。
毎日生きているだけでいいんですよ。自殺は駄目、ニートも駄目とか善人ぶったクソ野郎は無視です。我々は高等遊民なのです。
生きて生きて、生き抜いて、周りの人に迷惑かけまくっちゃいましょう。
人間生きていればなんとかなるもんです。
ニート以外にやりたい事ができたらとりあえずやってみましょう。
そしたら教えてください。
サザエさんのエンディングで家の中に行列で入っていく絵が思い浮かべる、
きっとあの家は空間のゆがみが生じているはず。
完全な平面の時だけ。
歪んだ空間のなかでは
180度以上になったりそれ以下になったりすると言う
一度吸い込まれると、
光すら再び出てくることが出来ないほどの
意外とメンテナンスフリーでいいと思うの。
だって取り替えるだけで済むでしょ?
例コップ的な掃除機で
こまめに布団もケアして吸い込んでいた方がいいわよ。
干せば一番早いんだけど!
まあやっと台風は行ったみたいで
洗濯物が捗りそうよ!
おかげで街はそのせいで
木々の枝や葉っぱで散らかっていたわ。
上昇しちゃうのかしら?
今度血液検査行ってみようかしら?
そう思うほど食べ過ぎちゃうのよね。
すっかり寒くなってきて厚い布団よろしく、
ホッツ梅ウォーラーで埋め合わせ。
これでカロリーを梅パワーで消費するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
日本ミステリ史をまとめようとしている人を見たので自分でもやってみようと思った。
箇条書きでも大体分かるだろう。あと本格中心なのは許してくれ。
◆探偵小説輸入の開始
http://fuboku.o.oo7.jp/e_text/nipponbungakukouza_19270530.html
・神田孝平訳「楊牙児奇獄」1877
・須藤南翠『殺人犯』1888(『無惨』に先立つ創作) "まづ未成品で、単に先駆的なものとしか見られない"(柳田泉)
◆黒岩涙香『無惨』1889 "日本探偵小説の嚆矢とは此無惨を云うなり"
・「探偵叢話」連載開始(都新聞) 1893 ……探偵実話の流行
・谷崎潤一郎「秘密」1911「白昼鬼語」1918 「途上」1920 日本探偵小説 "中興の祖"(中島河太郎)
・『中央公論』「芸術的新探偵小説」企画(谷崎・芥川・佐藤春夫・里見弴)1918
・当初は翻訳を重視
・横溝正史(1921)、水谷準(1922)、甲賀三郎(1924)、小酒井不木(1925)、大下宇陀児(1925)、夢野久作(1926)、海野十三(1928)など登場
・乱歩「二銭銅貨」1923 "これが日本人の創作だろうか。日本にもこんな作家がいるであろうか"(森下雨村)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001826/files/57173_58183.html
◆戦前探偵小説最盛期 "第二の山"(乱歩)"第一の波"(笠井)
・『ぷろふいる』創刊 1933
・蒼井雄『船富家の惨劇』 1935
◇「本格探偵小説」
http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20081205/1228485253
・甲賀三郎「印象に残る作家作品」1925 が初出 http://kohga-world.com/insyouninokorusakukasakuhin.htm
・小酒井不木「当選作所管」1926 (「本格」「変格」使用)
・当時の「探偵小説」という語の広さ……「本来の」探偵小説detective storyとそれ以外を区別
・"理知的作品"と"恐怖的作品"、"健全派"と"不健全派" 1926(平林初之輔)
・本格・変格論争 1931(甲賀、大下)
◆戦時下の中断
◆戦後のミステリ復興 "第三の山"(乱歩)"第二の波"(笠井)
・横溝『獄門島』1948
・『宝石』第一回公募 1946(香山滋、飛鳥高、山田風太郎、島田一男)
・『宝石』第四回公募 1949(鮎川哲也、土屋隆夫、日影丈吉)
・清張『点と線』1958 (表紙に「推理小説」https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAVVEU)
・講談社「書下ろし長編推理小説シリーズ」1959-1960?
参考…
・甲賀三郎『音と幻想』1942 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007753808-00
・"探偵小説を「お化屋敷」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった"(清張)
◇「本格冬の時代」?
・謎解きの興味の強い作品は絶えていない……『本格ミステリ・フラッシュバック』
・清張は謎解きを排斥していない。「新本格推理小説全集」1966 "ネオ・本格"
・「現実離れ」の作品が世に出にくかった……らしい https://togetter.com/li/300116
・風俗を描いただけの謎解きの要素の薄い作品が氾濫していた……らしい?
"社会派ということで、風俗小説か推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ"(清張、1976)
◇複数の対立軸? http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20070314
・「おじさん」――「稚気」
・都会・洗練――土着
・歴史ミステリ、ハードボイルド、エスピオナージュ、「冒険小説」、伝奇小説、SF、……
◆「新本格」以前の非・サラリーマンリアリズムの系譜 "2.5波"(笠井)
・桃源社「大ロマンの復活」1968- (国枝史郎、小栗虫太郎、海野十三、久生十蘭、香山滋……etc)
・雑誌『幻影城』1975-1979(泡坂妻夫、連城三紀彦、栗本薫、竹本健治……etc)"探偵小説復権"
・江戸川乱歩賞の青春ミステリ……小峰元『アルキメデスは手を汚さない』1973、梶龍雄『透明な季節』1977、栗本薫『ぼくらの時代』1978、小森健太郎『ローウェル城の密室』(最終候補)1982、東野圭吾『放課後』1985
・「新本格」の公称は『水車館の殺人』から……講談社文三によるブランディングの側面
・鮎川哲也賞 1990-
・『競作 五十円玉二十枚の謎』1993
・『本格推理』1993-2008
織田信長につかえた森一族に攻め落とされた大変かわいそうなお城ですの。
お城の構造がじっくり観察できました。
構造はいわいる連郭式で、南から北に四段の郭が連なっています。
本丸からは二の丸、三の丸の内部と、三の丸への虎口が見下ろせ、
左側面をさらして通らねばならず、
登坂路を押さえられたら、上の郭に移動することは困難ですわ。
攻め手が奪っても集結場所に利用することはできませんわ。
水不足で苦しむかもしれません。
郭一つに50人ほど詰めることができそうでしたので、
四段と北の丸で250人、踏査できなかった谷を挟んだ西の郭に
350~500人くらいが配置できそうでした。
パンフレットの地図によれば登り口からの本丸までの比高は65メートル。
わたくしの鰭では、寄り道しながら13分で登れました。
※看板によればイノシシとマムシに注意ですわ。斎藤道三ってとっても長生きですのね。
http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/entry-11949051251.html
十五夜、鈴虫の鳴き声に誘われてふらりと外に出た。雲間に見え隠れする満月を眺めながら歩いていると、「女坂」と書かれた石碑がふと目に留まった。
見上げるとそこには確かに急な坂道が続いている。しかし、わずか二十メートルほどの名前をつけるのには遠慮したくなるような、どこにでもあるような小さな坂である。
私はなんだか興味が湧いたのでこの坂を上ってみることにした。
女坂の始まりは、進むのもやっとの急な勾配から始まる。しかし、十歩ほど足を進めるとすぐに平坦な場所になる。
階段の踊り場のようなその場所から右を向くと平坦な土地が広がっている。ここは、どうやら駐車場として使われているようだ。
左を向くと、右にカーブを描きながらさらに険しい道が続いている。そのまま坂を上り切ると分かれ道となり、そこで女坂は終わっていた。
左には街頭の点いたきれいに舗装された道、右には鬱そうと生い茂った木々の暗闇の中に砂利道が続いている。
私はまず、きれいな道を進むことにした。まっすぐな道をしばらく行くと正圓寺(しょうえんじ)というお寺に出た。
門前には湧水を利用したであろう手水場があり、喉を潤すことができる。その隣には「聖天山(しょうてんさん)」と書かれた石碑があった。
聖天山の女坂を登ると正圓寺。なるほど、女が正しいご圓(縁)に導かれ坂を上れば昇天すると。。。ただの下ネタじゃないか!
女坂の名前をつけた昔の人は、よっぽどこの下ネタが気に入ったのだろう。まったく、ウチの近所は昔からこんなのばっかりかよ。
などと考えながら、今度は反対側の砂利道を進んでみることにした。
道を進むとひらけた高台に出た。そこには小さな社があり龍神様が祀られていた。
龍神様を取り囲むように、お稲荷さんやお不動さん、弁財天、お地蔵さんなど小さな祠や石仏がたくさん並んでいる。
なるほど、縁がなかった女はここで龍となって昇天するか、はたまた八百万の神となるということか。
女の道は引き返すことのできない一本道、途中の分かれ道がまさに運命の分かれ道だと諭しているのだろう。
月明かりに照らされた女坂を下りながら、人生の下り坂に差し掛かった気がした十五夜であった。
私はこの時、まさかこの駄文を書いている最中にウンコを漏らすことになるとは知る由もなかった。
完
メルトダウンと聞いて反射的にキノコガウンを想像してしまった。
森の中、木々の切れ間。苔の生えた丸石に囲まれた小さな広場で長老ドワーフが「ぬしこそまさに森の王者よ」と告げると、
そばに控えたドワーフの少女が色とりどりのキノコがびっしりと生えたガウンをしずしずと運んでくる。
少女に上目遣いでガウンの着用をすすめられたヒト種の青年は、彼にとってガウンというよりチョッキのようなサイズに戸惑いながら、キノコの毒の有無をしきりに気にしているようだ。
というシーンまで一気に意識が飛んで行って、フフっと口角が上がったところで、「何がおかしいの!?」と強い反原発思想を持った母親にキレられて現実に引き戻された。
頭の中で自動生成される景色はあんなに穏やかで素敵なのに、何かの形で出力するには自分がポンコツすぎてがっかりだ。
あーもーさっさと寝て夢の中に行きたい。今日は海かな、森かな、山かな、空かな。
そのとき僕は、渋谷のABCマートにいて、彼女はそこでハイカットのコンバースを試しているところだった。
たぶん25歳くらいだろうか。ぼくがみたところ胸のサイズはEより上だと思う。
具体的なサイズは分からないが、少なくともハイスクールの同級生の目線は、彼女の首より下ばかり見ていただろう。
5月末になり、段々と薄着でも過ごしやすい季節になってきている。
玄関を開けて、息を吸い込んだ瞬間、青々とした木々の香りが、これからくる6月の湿気をのせてぼくの鼻腔を刺激する。
彼女は、アスクルが運ぶコピー用上質紙よりも白いワンピースを着ていた。
豊満な乳房が、雪どけを待つウサギのようにその胸元からこちらをうかがっていた。
165cmくらいの彼女が前屈みになったとき、ぼくはたまたま彼女の目の前にいた。
僕は、持てる限りの集中力を持って、隣の棚のVANSのスニーカーの値札に向かおうとした。
英語の試験に挑む中学生が、答案のつづりを何度も確認するように、注意深く集中しようとした。
ぼくは、そのふよふよと柔らかさを感じさせる揺れ方に目が奪われてしまった。
時間にして1秒にも満たない。ウサギはすぐに身を潜めてしまった。
僕には、雪を掻き分けてそこまで向かう勇気はなかった。
ワンピースの下に隠されていた豊かな膨らみが目に焼き付いている。
僕の手にはVANSのスニーカーが入ったショッピングバッグがぶら下がっている。
すごくラッキーな気分になれた。胸チラは偉大だ。
僕は彼女の胸の形を何度も何度も頭の中で描く。
リアルタイムでは見ていないが、2004年ごろにDVD借りてハマり、2008年ごろにまたハマり、今頃になってアニソン三昧のgroovin!から見直し始まった程度のオタクだが、久しぶりにアニメを見直して(まだ途中だが)感想を書かずにいられなかったのでここに書く。
序盤十数話を見返すと、相当丁寧かつカットの使いまわしで上手くクオリティ維持をしていたんだろうと分かる。
登校風景の木々のカット、飴を渡すカット、今見ると使いまわしだが初見ではあんまり気にならなかった。
そしてなぜこれだけはやったのか、今なら分かる気がする。
突っ込みどころが相応にあり、かつ絵柄が安定して可愛く、知世というオタク視点(一部)があり、そしてオタクにとって『身近にいそうでいないが、いてほしい願望』の具現化だったんだろう。
最初はまあ女児向け漫画原作のアニメからすると仕方がない。なぜ不思議なことがあるとすべてクロウカードのせいになるのか。いや、まあそうしないと話が進まないが、短絡すぎるだろう!と今だとツッコんでしまう。
絵柄に関してはオタクにとっては多分言わずもがな。俺の不徳で申し訳ないことに、制作時の事情はよく知らないという点はあるのだが、NHK援助とはいえあのクオリティで70話+劇場2作は驚嘆に値する。よくこれだけ作ったもんだ。さすがマッドハウス(とその下請け)というべきなのだろうか。
知世の存在と存在意義についても、原作漫画よりもパパラッチ的なほうに触れたのが幸か不幸か、良くも悪くもオタク目線(かわいい女の子にかわいい服を着せて頑張っているところを楽しむ)なせいで見ていて面白い。倫理は放り投げた上での意見だが。
最後は、まあ今のピザデブな俺からすると、ものすごく偶像化された『多分(特にそれまでの)フィクション上実在してほしい妹・妹分の理想像』をうまく脚本・アニメ化したことだと思う。
多分ほとんど誰も異論は唱えないと思うけど、木之本桜は理想的すぎる小4であることは間違いない。一部で大好きな性的なことは置いておいて、小4で家族がスーパーマンだらけの中で主人公もスーパーマンであり、加えて謎の使命を背負って2年間を戦い抜く。小学生ならではの破綻した論理を振りかざしながらも、時には周りとかみ合わずいろいろ空回り的に頑張っているといえども、『こんな素直で頑張り屋の小学生』というのがすでに理想化されすぎた小学生である。
まあ、フィクションなのだからしょうがないとはいえ、ご都合だったりいろいろ流れが不自然なのはもう仕方がないだろう。
しかし、間違いなく当時の俺、そして今の俺にとっては、さくらは天使である、しかし小狼がいる以上恋愛がらみはしょうがない、といったん実在性を信じながらもあきらめざるを得ないほどに、不完全なりに完成された物語であったんだろうと思った。
ツバサ・クロニクル…?何のことかな…
久しぶり。元気にしてた?
偶然の出会いだったこともあり、私の口調は妙に馴れ馴れしく、それでいてどことなく余所余所しいものになってしまった。本当はとても驚いていたはずなのに。胸裏を満たした懐かしさと感慨を、薄っぺらい声色で覆い隠してしまった。
唐突に、そして呆気なく別れてしまったあの日から、もうかれこれ十数年。過ぎ去った月日の分だけ大人になったのはあなただけで、私は私のまま、変わらぬ姿のままで、いま再びであなたと向かい合っている。
けれどもあなたは返事をしてくれない。大きなガラスの外壁越しに聞こえてくる小鳥のさえずりだけが、私たちの間をとりなしている。
ふいに私は、今日まで旅をしていたのと口にした。海を渡り、赤茶けた奇岩がそびえる岩石砂漠を仰いだことを。空を飛んで、湖畔に浮かぶ水上の宿で猛烈なスコールに見舞われたことを。多種多様な人々が行き交う大都市の雑踏を前にしたことや、人っ子一人いない秘境の地で一夜を明かしたことまで、流れるように話し続けた。
ただじっと見つめられるだけの沈黙に耐え切れなかったために――そしてきっと互いの知らない時間を少しでも埋め合わせたいがために――語らずにはいられなかったのだ。
どれもこれもが壮大で美しく、圧倒される出来事ばかりだった。おかげで思いがけず国に戻ってきてしまうくらいに疲れてしまったのだと話の終わりに苦笑すると、あなたが腰を下ろしているソファーのスプリングが微かな音を立てたような気がした。
……ねえ、これからどこへ行くの。何か予定はあるの。
訊ねてみても、あなたは決して答えない。口を開く素振りさえ見せてはくれない。
私の衝動は、もしよかったら、と続けかけたところで行くあてを失ってしまう。ぺらぺらとした薄い小声は、今回もあなたの鼓膜を震わせることができなかったのだ。
十数年前と同じ。私の声は、今も昔もあなたの耳には届いてくれない。たった一度きりでさえ。
かなしい。さみしい。くやしい。
思いが溢れてくる。輪郭が滲んで、身体がふやけてしまいそうになる。
けれど、それでもいまは、たとえ僅かな時間だけでもあなたの側に居られるのなら――
私の表を見、裏を見て、少なからずの驚嘆が入り混じった息を漏らしたあなたは、やがて誰に聞かせるでもなくぽつんと一言独り言ちた。
「久しぶりに見たなあ、二千円札」
そうして私を財布に滑り込ませると、ソファーから立ち上がって足早に移動し始めた。程なくして小鳥のさえずりがはっきりと聞こえてくるようになる。春の陽気に誘われたのか、伸びやかな鳴き声は代わる代わるに響いている。突然、少し強く風が吹いたらしい。一瞬止まった靴音の合間を縫うようにして木々のざわめきがざあざあと降り注いできた。
私は再び歩き出したあなたの小気味良い足音を感じ取りながら微睡んでいく。遠くない未来に揺るぎのない別れを予期しながらも、束の間の安らぎに身を委ねてそっと目を閉じた。
昔むかし、大きな山のてっぺんに、これまた大きな大蛇(だいじゃ)が住んでいました。
大蛇は好奇心が強く、山から出てみたいといつも思っていました。
でも山の主としての役目がある為、おいそれとはそんなことはできません。
大蛇がいなければ土はやせ、木々はかれ、鳥もシカももいなくなってしまいます。
だから大蛇はよく、自分の分身として産んだ子にのりうつり、山の外へ遊びに行きました。
ある時は馬を産んで野を駆け、ある時は鳥を産んで大空を飛び回りました。
とりわけ人間はよく産みました。
人間の作る家や城などはどれもこれも大蛇をあっと驚かせるものばかりでした。
でも、そうして楽しく過ごしていた大蛇も、流石に人間を知り尽くして飽きてきました。
「そろそろまた大蛇として山でずっと過ごすのも悪く無いな」。