リアルタイムでは見ていないが、2004年ごろにDVD借りてハマり、2008年ごろにまたハマり、今頃になってアニソン三昧のgroovin!から見直し始まった程度のオタクだが、久しぶりにアニメを見直して(まだ途中だが)感想を書かずにいられなかったのでここに書く。
序盤十数話を見返すと、相当丁寧かつカットの使いまわしで上手くクオリティ維持をしていたんだろうと分かる。
登校風景の木々のカット、飴を渡すカット、今見ると使いまわしだが初見ではあんまり気にならなかった。
そしてなぜこれだけはやったのか、今なら分かる気がする。
突っ込みどころが相応にあり、かつ絵柄が安定して可愛く、知世というオタク視点(一部)があり、そしてオタクにとって『身近にいそうでいないが、いてほしい願望』の具現化だったんだろう。
最初はまあ女児向け漫画原作のアニメからすると仕方がない。なぜ不思議なことがあるとすべてクロウカードのせいになるのか。いや、まあそうしないと話が進まないが、短絡すぎるだろう!と今だとツッコんでしまう。
絵柄に関してはオタクにとっては多分言わずもがな。俺の不徳で申し訳ないことに、制作時の事情はよく知らないという点はあるのだが、NHK援助とはいえあのクオリティで70話+劇場2作は驚嘆に値する。よくこれだけ作ったもんだ。さすがマッドハウス(とその下請け)というべきなのだろうか。
知世の存在と存在意義についても、原作漫画よりもパパラッチ的なほうに触れたのが幸か不幸か、良くも悪くもオタク目線(かわいい女の子にかわいい服を着せて頑張っているところを楽しむ)なせいで見ていて面白い。倫理は放り投げた上での意見だが。
最後は、まあ今のピザデブな俺からすると、ものすごく偶像化された『多分(特にそれまでの)フィクション上実在してほしい妹・妹分の理想像』をうまく脚本・アニメ化したことだと思う。
多分ほとんど誰も異論は唱えないと思うけど、木之本桜は理想的すぎる小4であることは間違いない。一部で大好きな性的なことは置いておいて、小4で家族がスーパーマンだらけの中で主人公もスーパーマンであり、加えて謎の使命を背負って2年間を戦い抜く。小学生ならではの破綻した論理を振りかざしながらも、時には周りとかみ合わずいろいろ空回り的に頑張っているといえども、『こんな素直で頑張り屋の小学生』というのがすでに理想化されすぎた小学生である。
まあ、フィクションなのだからしょうがないとはいえ、ご都合だったりいろいろ流れが不自然なのはもう仕方がないだろう。
しかし、間違いなく当時の俺、そして今の俺にとっては、さくらは天使である、しかし小狼がいる以上恋愛がらみはしょうがない、といったん実在性を信じながらもあきらめざるを得ないほどに、不完全なりに完成された物語であったんだろうと思った。
ツバサ・クロニクル…?何のことかな…