はてなキーワード: 効果とは
やったのは二重埋没
こんぐらいだなー
こんにちは、はてな匿名ダイアリーの読者の皆さん。僕は、社会の中で「弱者男性」として生きることについて考えている32歳の独身男性です。今日は、僕が自分の人生と向き合うために実践している方法をシェアしたいと思います。それが誰かの役に立てば嬉しいです。
まず最初に、自分のことを少し紹介します。学生時代からいじめにあい、自尊心を保つのが難しい日々を過ごしてきました。社会人になってからも、職場での人間関係もうまく築けず、孤独感にさいなまれる日が続いています。恋愛経験もほとんどなく、気づけば30代に突入していました。
そんな僕ですが、ここ数年で少しずつ人生を前向きに捉えることができるようになってきました。そのために実践している方法を以下に挙げます。
まずは小さな目標を設定し、それを達成することで自己肯定感を高めることが大切です。例えば、毎朝5分間の瞑想を続けるとか、週に1回はジムに通うとか。自分がやり遂げたことを確認し、「自分にもできるんだ」という感覚を持つことが重要です。
他人の成功体験やポジティブな言葉を聞くことで、自分の考え方や視点が広がります。本やポッドキャストはその良い手段です。僕は自己啓発書を読み、ポッドキャストを聴くことで日常のストレスを軽減し、前向きな気持ちを保っています。
心身の健康はやはり基本です。健康的な食事、適度な運動、十分な睡眠を心がけることで、気持ちが安定します。特に運動はストレス解消に効果的で、自信を持つための第一歩にもなります。
興味を持てる分野を見つけ、それに時間とエネルギーを注ぐことで、生活の質が向上します。僕は写真撮影にハマりはじめてから、日常の中に楽しみを見いだせるようになりました。
時には専門家の助けを借りることも重要です。カウンセリングやコーチングを受けることで、自分の問題点を客観的に見つめ、新しい視点を得ることができます。
一人で悩むのは辛いです。同じような境遇の人たちとつながることで、自分だけが特別に困難な状況にあるわけではないと感じることができます。僕もSNSやオンラインフォーラムで「弱者男性」としての日々を分かち合い、共感を得ることで救われています。
最後に、僕自身まだまだ道の途中です。でも、こうした取り組みを通じて、少しずつでも前に進んでいる気がしています。同じような悩みを持つ皆さんにも、少しでも勇気と希望を感じてもらえたら嬉しいです。これからもお互い頑張りましょう。
読んでくださってありがとうございました。
「子供増やしたかったら子育てで得させろ」って、だから一体それの何処が当たり前なんだ?ちゃんと説明してくれよ
この人に限らず、子育てで得させる事、子持ちを優遇する事が子供の数を増やす事に繋がるのが何故か『当たり前』だと決め付けて、
実際には子育てで得するようになったところで、子供は増えないよ。その方法で本当に成果が出るならばとっくに少子化は解消されている筈だけどそうじゃないじゃん。
少なくとも現代日本において、子供を産んでいないのはそもそも金銭的・時間的その他の余裕がなくて、
「結婚したいけれどできない」「子供を産みたいけれど産めない」が大半です。そんな人達にとって子供を産んだら得する状況がどれだけあろうが絵に描いた餅。
お腹が空いて走れない馬と同じ。まずは餌を与えるべきなのに、餌を与えずに走らせて褒美に人参を与えればゴールすると思っているのと同じ。
例えばさー、テストで100点取ったらご褒美、資格試験に受かったら資格手当、ノーベル賞を取ったら報酬、そんなやり方が本当に効果的だと思っているのか?
そのやり方が有効なのは、本気を出せばすぐ出来るけれど敢えて怠けてる相手に対してだけだよ。そして実際にはそんな人間は殆どいないよ。
テストで点を取れない子供にはまず親なり塾なり家庭教師なりが教えるべきだし、
そんなに難しい話か?
勿論サンクションも同じ。独身税だの子無し税だの、子供を産まない人間に『罰』を与えるやり方では、そもそもその余裕がない人間が大多数である状況においては大した効果はないと思うよ。
「子育てで得する」状況は、ただでさえ余裕がなくて疲弊している人達からさらに活力を奪い、ますます結婚や出産とは縁遠くさせていく愚策だと思うよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4754620118399575488/comment/econcon
econcon 拗らせ具合が深刻過ぎて笑った。子供増やしたかったら子育てで得させろって当たり前の思考だろ。何と戦ってんだこいつ。
精神科医だがこれが参考になるとかブコメで言われまくっていて流石に心配になったのでコメントをいれておく。ここの「躁鬱」が躁うつ病とも呼ばれた双極性障害/双極症のことじゃなくて一般用語としての(病気の固有名じゃない、状態に関する名前としての、精神医学で使うことばじゃない)「躁鬱」であって、かつ読者もそれを理解してるなら以降は無視してください。あくまで医学的な情報の整理で、それ以外の部分についてどうこういう話じゃないし、もともとの増田(この投稿の言及先の言及先)からはほとんど無関係だ。
「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だ
私見ですが、精神医学用語はこれに限らず用語としての意味からずれて用いられることも多くて、ただまあ情動とか行動は多くの人間にとって興味がある/表現の必要があるものだから、それを精神医学が専門用語として独占するべき(他の使い方は”間違ってる”といえるような)根拠もあるとはいえないかなとは思うので、悩ましいところ。躁うつ"病" とか 双極症とか、後から定めたような病名を使うときはちょっと定義を気にしてくれたらいいかな。
おまけ:これはもう我々のほうが諦めるべき使い分けだというふうにも思うが、一応精神医学の文脈では精神病は psychosis の訳語として使われることが多くて、精神疾患 mental/psychiatric disorders とは区別されます
忌憚のない意見を言わせてもらうけどっス、自明ってわけでもないっスよ。
テクニカル系キャラで罠にかけるのは戦略と知識が物を言う場面だから、敵の動きを予測して罠を仕掛けられるなら大きな効果を発揮するっス。
でも、罠には設置場所やタイミングが重要な不確定要素が多いっス。
あなたの見解には一部の真実も含まれているかもしれませんが、孫子の言葉「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」という教えも踏まえて、異なる視点からも物事を見つめることが重要です。つまり、自分の意見を持つことは大切ですが、他者の見解や理論にも耳を傾け、その根底や背景を理解する努力も必要です。
アドラー心理学に対する批判も理解できますが、その中に価値や真理があるかもしれないと考えることで、新たな洞察を得ることができるかもしれません。アドラーの理論が万人に完璧に適用されるわけではないにしても、その原則の一部には重みがあることもあるでしょう。
言い換えると、「孫子は疑いを持ち、自己と敵を深く理解することの重要性を説いています」という一方で、アドラーの心理学も一部の人々には助けになることがあるという点を考慮するのが、公正な視点かもしれません。理論を完全に否定するのではなく、どのような状況で効果的に活用できるかを見極めることも大切です。
「孫子」の言葉を借りて考えると、「善戦者の勝、制人而不制於人」つまり「善く戦う者は他を制し、自らは他に制せられない」という教えがあります。これは、我々が抱える課題においても、他者や環境に支配されるのではなく、自らの道を選び、積極的に未来を創り出すべきだという示唆を持っています。
少子高齢化は日本が直面している深刻な課題ですが、「無子無齢化」といった極端な考えは問題解決の方向としては適切ではありません。我々が目指すべきは、社会全体で知恵を集め、支え合い、持続可能な未来を築くことです。そのために、政策や技術、社会制度の変革を通じて、新しい解決策を模索し実行していくことが重要です。
また、孫子は「知彼知己、百戦不殆」(敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず)とも言っています。つまり、問題や状況を正確に理解し、自らの強みと弱みを認識することが、どんな困難にも対処する鍵となります。現在の少子高齢化に対しても、冷静に状況を分析し、効果的な対策を講じることで新たな道を切り開くことが求められます。
私たちの未来は私たちの手に委ねられているのです。その手中にある可能性を活かし、前向きに挑戦する心を持ち続けることが大切です。
上の階の住人が夜中にうるさくて辛い。
22時くらいから26時くらいまで毎晩大声で話したり歌ったりしてる。
管理会社に注意してもらうよう言ったけど効果なし。寝れずに生活に支障が出始めてる。
引っ越したいがまだ住み始めて半年くらいで、1年未満の退去は家賃2ヶ月分払わないといけないので辛い。
今日も寝れない、どうすればいいんだろう…
日本政府の少子化対策に関する改善案を考える際には、以下のような点が考慮されるかもしれません:
1. **ワークライフバランスのさらなる推進**:
- **柔軟な勤務体系**の導入を促進し、テレワークやフレックスタイム制度を普及させる。
- 育児休暇の取得を促すための**インセンティブ**を提供し、男性の育休取得率を高める。
2. **保育施設の充実**:
- 保育所の**待機児童問題**を解消するため、保育施設の数を増やす。
3. **教育支援の拡充**:
- 全ての子どもたちが**平等に教育を受けられる環境**を整備する。
- 大学などの高等教育機関の**奨学金制度**を拡充し、返済負担を軽減する。
- 地域コミュニティと協力し、子育て支援の**ネットワーク**を構築する。
- 地域の特性を活かした**子育てしやすい環境**の創出を目指す。
5. **意識改革の推進**:
- 少子化問題に対する**社会全体の意識**を変えるためのキャンペーンを実施する。
- **多様な家族形態**を認め、支援する社会制度を構築する。
これらの改善案は、既存の政策を補完し、さらに効果を高めることを目的としています。少子化問題は多面的なアプローチが必要であり、政府、企業、地域社会が一体となって取り組むことが重要です。また、これらの提案が実際に効果を発揮するためには、定期的な評価とフィードバックが不可欠であり、政策の柔軟な見直しと改善が求められます。
ただのレシピ集なのに、有名人の名前が入っているだけで売れる。実際には、料理の腕前はその分野の人たちに到底及ばないことが多い。
一時的な成功体験を元に過剰な期待を抱かせる内容が多い。長期的な視野で考えられていないアドバイスが多く、有効性が疑問。
完全無欠というのはそういうものがあるわけではなく、そういう原理があって知性によって出て来るものである。たとえば、数学の世界では、変換しても問題の本質が変わらなかったら
なんでもやりたい放題じゃんと考えられる。しかし、なんでもやりたい放題な技術は、きれいに出さなかったら効果がない。実関数の世界で、関数がなめらかに全ての定義域をとっていると
f(x)の変数xに何をぶち込んでも変わらないし、しかも、f(x)を何倍しても変わらない。しかもそれに証明はついておらず、原理的なもので、界隈では、完全無欠と考えられている。
テレ東の警察24時が遂に終了との事だが、これ系の番組の初期はまぁ本当に酷かった。
1990年代の後半あたりに始まったのだが、なにぶんにも報道の訓練も体制もない部署の下請けが撮るので問題だらけの映像をそのまま流してしまうというトンデモ状態。
番組終了の理由に撮影に時間が掛かる事、時間掛けても空振りのことも多くてそれで無理をして捏造的な場面を作ってしまうなどが挙げられていたが、まぁそうだろうね。
最初期の番組は兎に角「撮影側が警官と一体になりナレーターで悪を断罪」というモチーフで撮られていた。
このモチーフの元はズバリ時代劇だろう。「この紋どころが目に入らぬか!」「余の顔を見忘れたか?」「おぅ、この桜吹雪が全てお見通しなんだよ!」と悪を断罪!悪人は「へへぇ!」と平伏して視聴者はカタルシスを得る。
だが警察24時で映しているのは近代法が支配する現代の日本である。
もう一つの問題はそんなに判り易い事件は起きないという事だ。フィクションの遠山の金さんや将軍様も数日~数週間に亘る地道な取材や潜入捜査の末に処断してるのに、複雑な現代社会で偶然舞い込んだ事件をその場で処断できるわきゃない。
そこでやはりというか、一番多い交通事故処理を撮影するのが専らとなる。そしてその交通事故をナレーションで「断罪!」してしまうのであった。
例えば首都高で3台ほど絡んでしまった事故処理であれば、「スピード違反が招いた悲劇である!」という風に。
地方の人や免許がない人には判りずらいだろうから説明すると、首都高というのは大部分が60キロ制限になっている。だがこの速度を守って走っている車というのは皆無なのだ。制限速度が遅いのは高度成長期に低い規格で作ったためで仕方がない。道路規格によって制限速度の縛りがあるので自動的に60キロとなってしまうのだ。
それで直線区間では全部の車が速度違反して走っているという状態になっている。路線バスでさえ守っていない。
そこで事故が起きたら警察は原因の一端に速度違反を挙げるのは当然で、それが主原因とは言えないわけだ。
これ以外の事故でも「確認の不注意が招いた事故であった!」とナレーションが次々に断罪していくのだが、事故の原因なんて複合的で、事故処理の警官の確認遺漏で後からひっくり返る事もあるし、その為に当事者はかなりの労力と時間を使う。それをその場のノリだけで断罪しまくっていた。当事者が見たら憤怒間違いなしだ。
当時、日産がスカイラインGT-R(BNR32型)という車種を出していて、これはアウトバーンでも300キロ出る、ガチで早いスポーツカーだった。
そこで交通機動隊や各県警の高速道路交通警察隊がGT-Rのパトカーを導入した、というのが車好き向け媒体のみならず一般ニュースでも取り上げられていた。「GT-R」からは逃げられない、という威嚇効果も大きい。
そこで当然のように24時のカメラマンは高速隊のGT-Rの後部座席に乗り込む。すると通報が入り、現状へと急行するGT-R! 景色は飛ぶように流れ、速度計は190キロを指している。国産車ECU(エンジン制御コンピュータ)のリミッターカットだ!
…という映像を流した。
ところで道交法上の緊急自動車の最高速度というのはご存じだろうか?一般道では80キロ、高速道路では120キロである。但し例外があり、速度違反者を追尾計測するパトカーはそれ以上出しても良い。そうじゃないと速度違反検挙できないからね。
この高速隊GT-Rは追尾計測中ではなくて臨場する為の緊急走行であるから190-120キロで、70キロ超過となり、赤切符+一発免停で、刑罰も6ヵ月以下の懲役又は10万円以下の罰金となる。現行犯人だ。
別に増田はパトカーや消防が速度違反して緊急走行していても構わんのだが、証拠映像を電波に乗せて流してそのままで済むわけがないな。
報道畑じゃ無い奴がカメラ持って取材の真似するといこういう事をやるというリスクの典型例だし、後ろでカメラまわしてるのにマッドマックス1のインターセプターみたいだろー的にアクセル踏んでRB26DETTをぶん回してる警官もアレだし両者色々アホすぎるとしか言いようがない。
ドキュメンタリというのは今では真面目なものだが、昔はいい加減で捏造まみれのものだった。ディズニーが『白い荒野 』というインチキ動物ドキュメンタリ映画で、レミングスは増えすぎると入水自殺する、というインチキ映像を撮る為に崖の上からレミングをポイポイ放り投げて殺していたというのが有名だ。
60年代に『世界残酷物語』という、エログロインチキドキュメンタリ映画がヒットすると、次々に同じような映画が作られ、エスカレートしていった。世界残酷物語の原題は『Mondo Cane』なので、この手の下世話なインチキ映画はモンド映画と呼ばれるようになった。
最初は世界の習俗と題して未開部族の残酷処刑や残酷儀式をでっち上げたものを繋げていたのだが、やがて観客の「リアルな死や本物の死体が見たい」という欲求に応えて、事故や暴動で実際に人が死ぬ映像を繋げたショッキング系映画が作られるようになった。因みに実際の映像だけでは尺が足りないのででっち上げたインチキ処刑シーンとかも紛れ込ませているのが多い。
やがてモンド系もショッキング系もTVが番組化するようになる。モンド系のインチキ成分だけを掬ったのが『川口浩探検隊』などだ。ショッキング系は苦情が来る事を恐れ、人体が千切れる場面や脳が飛び出すシーン等はカットして直前で映像を途切れさせたり、人体破壊の瞬間だけカットして死体を映すなどの手法が取られた。番組名はそのまま「ショッキング映像!100連発」等。
またこれら番組には顕著な特徴があり、必ず番組最後は消防隊や救急隊の訓練シーンで終わる。基本的に下世話な欲求に答える番組であって、その後ろめたさを誤魔化す為に取ってつけた映像を入れるのだな。
警察24時系も必ず最後に交機の訓練映像で終わるであろう。つまりはモンド~ショッキング系の系譜に則ったフォーマットなのである。正義の行使のカタルシスは時代劇から、番組ターゲットが野卑な欲求ではないかとの疑問はモンド系の〆映像のフォーマットで誤魔化し。それが警察24時系の構造だった。
因みにこんな取ってつけたような訓練映像付加手法だが、それを見て正義だと考えるリテラシーの人間もちゃんと居るのだ。今ニコ動が全部落ちていてURLを貼れないが、ニコ動には例えばアメリカで精神に問題がある人間が刃物を手放さず警官隊に射殺される、というようなショッキング映像があるのだが、それには映像最後に州警察の訓練風景を入れてある。単に事件現場で殺人映像が撮れただけなのだが、モンド系フォーマットで最後に訓練風景を取ってつけると正しさが保証されると考えているのだ。あれを本気にする者もいるというのがモンド系ドキュメンタリ的でありますな。アメリカに赴任してて厨房の心根は侵されずと言ったところか。
警察24時系は結局モンド番組なのだが、元のモンド系が虚実入り交じりのインチキ映画だったのは製作費と製作日数の問題でもあった。真面目なドキュメンタリは撮るのに時間が掛かりすぎて一部の意識高い人しかみてくれないからペイしない。だから人目を惹くエログロインチキ映像を撮る。
警察24時も最初期にかなり問題になった筈だ。同乗させてもらった警官が免停とか色々だ。すると地道に長時間警察に同行するしかない。歩留まりが悪くなる。しかも映像にパンチが無い。
ヤクザ事務所ガサ入れとか映像的にパンチがある事件はある。でもそういうのはマジな方の報道部門が呼ばれてモンド系バラエティの取材班は呼んでもらえない。カメラ持ってても素人なんだから。報道マンの暴力性に負けてゴミ扱いされて追い出されてしまう。
そんな状態で視聴率上げようとしたら数多のワイドショーがやらかしたように捏造っぽい方向に行っちゃうのは仕方ないね。
んでもこの手の番組が培養してしまった視聴者は「報道番組がモンド系と違う」ので報道を信用しなくなり、「川口市でクルド人が傍若無人で治安崩壊!」とか「安芸高田市の市長が論破!」というショート動画をクリックしてモンド系の毒に身をうずめるのでした。なんつーかペニシリンが必要だな。
ただただ、あなたの自律性と自立性、すなわち尊厳を冒さないように、侵入しないように自らを自制する事だけだ
何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分の空想が生んだ虚構の事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております。
その大切な大切な彼女の天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女の創作の天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります。
隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います。
彼女は罪人ではないのです。一個のスバラシイ創作家に過ぎないのです。
単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構の世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然と彼女自身の破局を構成して行ったのです。
しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
ただそれだけです。
理不尽に産み落とされ、苦しみ喘いで生きていき、恐怖と後悔に苛まれながら果てていくような、
そんな地獄が、現世には顕現している
「もう無理なのに ですか?」
「後でできないと 知ったら余計に 傷付くんじゃ…」
「そうかも しれません」
「でも 亮介君の 生き方は 亮介君に 決めさせて あげたいんです」
友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じています。セラピストは理論上は、非指示的であり続けましたが、一般の西欧のセラピストと同様、孤独な状態もしくは真空の状態の治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。
友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実の人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない」
友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます。
―中略―
母性的尽力的配慮は相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮は相手を支配したり、奴隷化するものでしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります。
「人」ができることは、本当に少ない、殆どない
神でも仏でもならざる我々の手や腕は、あまりにも短く細い
半径85cmの範囲ですら「すくえない」のが、我々という生き物の現実なのだ
だから、できる事は祈り、願い、目の前にいる相手を「人」として扱う事だけなのだ
「物」ではない、「人」として
それは非常に難しい
生きていることは素晴らしい、働くことは凄い、人に優しくできるのは偉い、頑張っている人は美しい
それに沿って生きる事が善いとされる
苦しんでいるなら無理をしなくてもいい、休んでも良い、人にはできないこともある、人にはそれぞれの価値観がある
「やさしい」言葉がある
これも、また「正しい」のだろう
けど、何もかもに納得できないまま生きていくこともある
何が正しく、何が善く、何が良いものなのか分からずに、それでも人生が続いてしまうことがある
「裸も」
今思えば、いつかこうなってしまうと、はじめから解っていたのだと思う。
でも、もし駄目になってしまうとしても、その前にゴールに駆け込むことさえ出来れば、何も問題が無いとたかをくくっていたんだ
ゴールはまだ見えない。あの頃想像していたより、僕たちは長生きしすぎてしまったんだろう。
一時停止ボタンなんかどこにもなくて、力一杯全部を出し切った、その瞬間に都合よく存在が消えてなくなったりもしない。疲れ切ってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気と書き棒とか自分を守ってくれるものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面が過ぎても、生活は続いてしまう。けして止まらない。
そこからが本当に人間が生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。
ドラマが終わって、興奮から冷めて、何も心を守ってくれなくなって、これからはもっと大変な毎日が続くだろう。でも、どんなに苦しくても、心が死んだようになって、痛みも喜びも何も感じることが出来なくなってしまって、何をしても無意味に感じられて、もうダメだと思っても、諦めないで、自分に耐えて、もう少しだけ頑張って欲しい。
小さなころに見ていた者は、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。辛くなるからって無理に忘れてしまわなくても良かったんだ。僕は気がつくのが遅すぎた。必要なものを、自分で隠していたんだ。でも、こんな僕でもまだすべてを失ったわけではなかった。
時間が過ぎて、僕の事は忘れてしまっても構わないけれど、僕が今ここに書いている言葉のいくつかをときどき思い出してくれるなら、それより嬉しいことはない。
追伸。今までありがとう。
出来る事ならば、誰も憎まないで生きてください。
正しくないことは悪いことだったのか?
それでも正しさを追い求めたり、苦しむことは悪いことだったのか?
諦めたり、やっぱりあきらめきれないことが悪いことだったのか?
善悪の果実を植えておきながらも、そこから取って食べてはならないとも定める、矛盾したことにすら正しさを与える存在であったという
どうか、本当の幸いを与えた給え
といってる老害が多いが
若者が今の楽しみを我慢して、生活の向上も全て我慢して、貧乏になってまで子供3人産んで
何が嬉しいねん何も嬉しくないわw
ワイはもう若者じゃないけど
それぐらいのことはわかるやで
→https://anond.hatelabo.jp/20230507091722
やっと引っ越すことが出来ました。
当時たくさんアドバイスやコメントをしてくださった方たちには本当に感謝してます。ありがとうございました!
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引っ越し先
・築浅
・線路沿い
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(マンションに住んだことが無く、存在を知らなかった。内見時に音の確認もしなかった。ドアを閉めればそこまで気にならないので増田の中ではセーフ。逆にドア開けてるとうるさくて初日にやばいかもしれんと思った。危なかった。)
(たまにやってるアレ。気にはなるしうるさいけど遅くまでお疲れ様です………でやり過ごせる)
・水道の音
(思ったより聞こえるが、聞こえるな〜と思うだけで影響は無い)
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・角部屋
・ペット可
・単身以外もいる(キッズいんじゃん!と思ったけど、間取りが異なり、部屋自体離れてるので今のところなんの影響もない)
・ハザードマップ(階的には浸水しないけどマップの色はやや不安)
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ノイキャン全振り
周りの音が遠くなって水中にいるような聞こえ方になる
これで電車や街中もかなり楽になった
ノイキャンに慣れたら付けてない時のストレスが増すんじゃないかとか、高価で無くした時のショックがでかいとか言ってないでもっと早く買えば良かった
ただ実際、持っていくのを忘れたり、出先でバッテリーが切れてしまうとかなりダメージがある
・耳で聞くお薬
いろんな種類の音楽とホワイトノイズが入ってて音のバランスも調整出来る
音に対するイライラもこれでかなり和らいだ
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でも引っ越して部屋にいる時はイヤホンもホワイトノイズも使わなくても平気で過ごせてる
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対象の人物が嫌い→音も不快→人も嫌い→音も不快の無限ループで凝縮されて、精神が大変なことになっていた。
始まりがどっちか分からないけど、とにかくもうどっちも許せなかった。あのままじゃ本当にやばかったと思う。あ、やばいな とは思ってた。自分でも病的だった自覚はある。本当に大変なことになる前に出られて良かった。
文科省も厚生労働省も現金給付か現物支給は効果ありと認めている様子。
◆こども政策の推進に係る有識者会議の東京大学の山口慎太郎氏は
・現金給付も現物給付もどちらも出生率向上に寄与。しかし現物給付(保育所整備)のほうがより高い
コストパフォーマンス。なぜか? 現物給付(保育所整備)は女性の子育て負担を直接軽減(させる)
夫の家事育児時間が増えることが出生率向上に関わりそうだと言う話も面白い。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodomo_seisaku_yushiki/dai3/rinji_siryou5.pdf
“ 第14節 生涯にわたる人格形成の基礎を培う幼児教育の振興
また,20代や30代の若い世代が理想の子供数を持たない理由は,「子育てや教育にお金がかかり過ぎるから」が最大の理由となっており,幼児教育の無償化をはじめとする負担軽減措置を講じることは,重要な少子化対策の1つです。”
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201901/detail/1421903.htm
…と少子化の理由を“ 子育てや教育にお金がかかり過ぎるから”という事実を認めている。
P153 3 幼児教育・保育の無償化の部分には“ なお、20 歳代や 30 歳代の若い世代が理想の子ども数を持たない理由は、「子育てや教 育にお金がかかり過ぎるから」が最大の理由となっており、幼児教育・保育の無償化をは じめとする負担軽減措置を講じることは、重要な少子化対策の一つとなるものである。”
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/22/dl/2-01.pdf
◆こども家庭庁
現物支給を重視している様子。
“ 理想のこどもの数をもたない理由として、教育・子育てにお金がかかりすぎるからということがあげられる。教育費の負担軽減は少子化対策としても大切。高等教育への修学支援は人的投資としても大事。”
https://www.cfa.go.jp/councils/kodomo_seisaku_kyouka/mMyTNdJo
◆独身者が結婚すれば子供を持つし少子化対策にはいいといって対策したとして、費用対効果はどれほどなのか?
複数回答だけど独身者が結婚しようと思わない理由のアンケートだが(内閣府)
この人たちを結婚させたり、子持ちにさせたりはハードルが高いのでは。
誰かと一緒に生きていきたいと思わないから
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-41.html
結婚願望が弱いまたは無い人、どちらでもいい人が残っている様子がわかる(年齢が上がり諦めたとか失恋で“結婚意思なし”になってそうな人もいるが)
40代まで独身で結婚願望あり/どちらでもいい人になりそうな20代への政策は、マッチングアプリ以外でどんなものがあるのか。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-39.html