はてなキーワード: 初等教育とは
そろそろ戦後80年にもなるし「軍隊らしさ」をアップデートしよう
まずもって軍は役所で軍人は公務員です。何をしていいかはすべて規則に定められています。
その原則がほとんど守られず、士官学校も出ていなければ戦時国際法もわかってない有象無象が大量にいたのが日本軍です。
そろそろ忘れましょう。
アメリカ軍で士官として入隊した場合、その生涯の半分が教育期間になります(司令クラスになるとちょっと話が変わる)
軍では職種の変更に際して必ず専門の軍学校かカリキュラムに入ります。
歩兵士官として初等教育を受け、昇進するにも転科するにも必ず学びなおしです。
ちなみに自分で手を挙げて脇道にそれることも可能で、空挺降下やレンジャーの資格を取りに行く士官もいます。
「戦闘機のパイロットは士官しかなれない」という原則があります(艦長や戦車長も同じ)
これは司令部から孤立した状況において、他人を殺害してもよいという判断を下せるのが士官以上に限るからです。
(士官は戦時国際法や国内法、軍の規則について学んでいるため)
軍では全ての責任が指揮命令者にあります(もちろん個別の犯罪行為は別として)
兵隊は自己判断で発砲すらできません(とはいえ撃たれたら撃ち返してよい:レギュレーションあり)
男女平等が達成されたと判断するためには、さまざまな側面から計測可能な基準を設けることが重要です。以下は、そのために使用される主な指標と基準です。
### 5. 法的権利
これらの基準は、多くの国際機関や研究機関によって使用されています。例えば、世界経済フォーラム(WEF)の「ジェンダー・ギャップ指数」、国連の「ジェンダー開発指数(GDI)」および「ジェンダー不平等指数(GII)」などです。これらの指数は、各国の男女平等の進展度を比較するための有用な指標を提供します。
tribird 学校指定の学生服やかばんはいいの?この人はどこまでなら許容できるんやろ。
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ultimatebreak
ultimatebreak そんなこといったら義務教育そのものが人権侵害になってしまわないか・・・?
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n_vermillion
n_vermillion 田舎の中学校だったけど、部活が強制入部だったのに入りたい部活がなかったのは理不尽だったといまだに思っている。新規に部を立ち上げるぐらいの柔軟性はあっても良かったと思うんよね。
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hiro7373
hiro7373 反論多いけど、会社で考えたら普通に嫌かな。何で学校だと許容されるんだろうね コメント
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f_oggy
f_oggy こういうの見ると別け隔てなく受けられる義務教育って大事だなって思うわ
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chinu48cm
chinu48cm 行かない自由はあるぞ。熱出ていけなかった勢ですし
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sekreto
sekreto 体育祭ならわかる
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yoiIT
yoiIT 「喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。」ヒロト
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tuuz
tuuz 歳を重ねるほど思うということは嫌でも思い出してしまうトラウマになるような出来事があったんでしょう。でも楽しかった人も多いから具体的に書かないと同情してもらえないよ。
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ftq
ftq 歳を重ねてから思うことか?もっと早く気づけよ。参加するという選択をしたのは誰?
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lifefucker
lifefucker この辺の感覚は学校や教師や時代によって分散大きいだろうな。なのでブコメもバラける
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nakag0711
nakag0711 教育というのは生徒を一人前扱いしないであれこれやらせるわけで、形式的には人権侵害の面があるが、だから止めろと簡単には言えない
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nagahitoo
nagahitoo 年重ねてるのにまだ学生時代のこと繰り返し思い耽ってるの…
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ringonouen
ringonouen いや人権侵害なんか無いほうがいいでしょ。個人の人権侵害してまで県外に出る必要もない。トップブコメが軒並み「それ含めていい経験」みたいな論調なのが解せない
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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rain-tree 個人の宿泊旅行が一般的になった今は本来の役目を終えたといえるかも。だが最初はそうでなかったから公教育の枠組みの中で全員に機会を提供する意味があったし、或いは恩恵を受けた同級生が増田にもいるかもしれない
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cl-gaku
cl-gaku 重ねるほど薄れるんじゃないのか
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sumanhoho
sumanhoho 部活も修学旅行もお金ないと出来ないよ(実体験)
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quick_past
quick_past 嫌でも参加すれば、後でいい思い出になる。なんて言い方よくあるけど、参加しようがしまいが、いい思い出もわるい思い出もあるし、人生なんて比較対照しようがない。毒親の虐待すら肯定しうる考え方。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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songe どんな齢の重ね方やねん
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PrivateIntMain
PrivateIntMain 修学旅行はさておき、部活は特段の事情が無い人は全員どこかに所属しないといけないとか謎すぎるだろと思って適当にやっていた。まああれも人は1人じゃ生きてけんのよって教育だったのだろうと勝手に思っている。
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pekee-nuee-nuee
pekee-nuee-nuee 生徒本人の希望制にしたら良いし、金の話は公立校なら公金で負担してやるべきだ
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eiki_okuma
eiki_okuma うちの中学、海岸から島まで6km遠泳させられたが……なんだかんだ泳げるようになったので良かったとおもう 絶対大人になってからやらないし……
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mirakukira
mirakukira 子供時代に仲間と一緒に何かをするという経験を積んでおくことは大事だよ、そういう仲間増田にもいるでしょ
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wuzuki
wuzuki 理由は分からないけど、修学旅行に行かなかった同級生いたな。私も身内の不幸と重なって行ってない修学旅行がある。まぁ、そのときは苦手な子と同じ班だったから行けなくても別に良かったけど。
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LethalDose
LethalDose 楽しくはなかったけど、家族旅行をしない家だったので、そういう行事がないと交通機関の使い方がわからなかったかも。本でなんとなく方法は理解していたけど。
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keren71
keren71 高校は任意だった。修学旅行に海外とか選択肢がある学校は羨ましい限り。
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Karosu
Karosu 修学旅行は、乗り物の乗り方を体験するという意味で必要かな。部活は入りたいっ部活がないなら、自分で部活を作れることを示すならば教育的に悪くはないと考える。
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ayumun
ayumun 修学旅行は当日病欠できるから、休もうと思えば休める
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atoh
atoh 中高ともに部活必須でなかったのは幸運だったな。部活してないと受験面接の時に部活やらなかった理由聞かれたりするんだって?大変やな。 増田 部活
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mtoy
mtoy 嫌なことから全部逃げて、人生がうまくいくとは思えない。嫌なことを経験してそこから学べることも多い。俺も部活は嫌いだったけどやってよかったと思っている。
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corydalis
corydalis 黎明期は日本人も娯楽が少なかったし江戸期同様生まれた土地で一生過ごす人も多かったので意義もあったが、今となっては修学旅行親のカネを旅行業者に流すためだし部活はお守りを教員にやらせてるだけ。やめるべき。 自民党の悪政大人とは世も末老害犯罪これはひどいあたまがわるい
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daysleeeper
daysleeeper なにをいまさら。自分は部活嫌で帰宅部、修学旅行も運動会もバックれて全く参加してないけど、授業はふつうに出てたし、ふつうに卒業して、いまもふつうに社会人です。サラリーマンではないけど。後悔もゼロ。 増田教育
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inuinumandx
inuinumandx ワイ中学も高校も修学旅行京都だったの。だから、別の所行きたかった。京都いい所だけど…見る所大体一緒じゃん。あとお金ないとつまらない。
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minaminoani
minaminoani 片田舎の公立校だが中高と部活が強制だったことは無かったなあ。今から思えば不思議だが、修学旅行はクラスメイトに恵まれたせいか、嫌な思い出がない。あの頃のまま育てば陽キャになってたのかなあ。
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um-k3
um-k3 あと「皆仲良くしよう」とかいうイジメの発端になるクソな考え方な。早く「皆仲良く」なんて無理だと気づいて、嫌いでもいいけど事務的な対応だけはしようねって教えるようになればいいのに
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natumeuashi
natumeuashi 嫌な経験や理不尽な思いもしてみないと想像すらできないから、若いうちにできるのは貴重だよ。(学校の教師はそんなこと微塵も思ってないのが胸糞だけどー‥)
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listeningsuicidal
listeningsuicidal 部活はそう思う。中学は特に選択肢だいぶ限られてたし。
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MacRocco
MacRocco 歳を重ねるほど思うけど、校則違反とかちょっとしたことでガチギレする教師達ってすべからく頭おかしいと思う
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hate_flag
hate_flag 修学旅行はあんまり行きたくなかったが行ったら楽しかった。でも部活動は運動部しかない上に全員強制参加で「殺す気か」と思った。幽霊部員になるというライフハックを学んだのでヨシ!
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kagerouttepaso
kagerouttepaso 年代にもよるのかも。上の年代は体育マットで簀巻きにして殺されてもオタクならしょうがないって価値観だもんね。
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plmoknijb
plmoknijb 集団行動とか社会規範ニガテだけど義務教育あれこれは辛いことも含めて良い経験になったと思っている。なお高校は行ってない。大学は集団行動とか社会規範への不思議を紐解きたいという興味で選んだ
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dazz_2001
dazz_2001 修学旅行は社会経験の一環だからなぁ。飛行機に乗った事がない。電車に乗った事がない人とかね。プールやスキー学習とか。学校のスキー学習がなかったらスキーとかやっていないので感謝している…
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beed
beed 条件的には他の授業と同じだろうと思うが。音楽や体育、数学やりたくない人もいるだろ。自分が嫌だったものだけ切り出して人権侵害とか言ってもなぁ。
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kettkett
kettkett 確か体調不良で行けなかったんだけど。詳細思い出せない程度には記憶から消してたんだなと。このまま忘れてしまいたかったなあ
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kalmalogy
kalmalogy トップブコメ、一定理解は示すが修学旅行の積み立てできなくて行けない家庭もあるから強制感を出せば行かせてもらえるような書きぶりもどうかなぁ。ケチりたい親、下手すると子供にバイトさせて賄うよ?
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katte
katte まあ強兵のために作られたから。
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exciteB
exciteB 年を重ねると、「生み落とされたこと」が圧倒的に人権侵害だとよくわかる。結局は老化して病気で死ぬ。
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Baybridge
Baybridge コロナで修学旅行行けなかった世代が大卒就職するまであと数年。/コンプレックスになる人と開き直ってネタにする人どちらが多いんだろう。 増田旅行人生
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ykktie
ykktie 高校の修学旅行のときは精神状態が激悪で、前髪を伸ばして周りから目が見えないようにしてたくらいなのに、何故か嫌な記憶がない。というより昔過ぎて細かいことは忘れたのかも
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porquetevas
porquetevas 小中学校つまらなすぎて行きたくなかった。この世の理不尽さを学べたことだけが良かった点
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oeshi
oeshi 表向きには示されてないけど行きたくないって言えば行かなくても良くなるんだよ…ちなみに一部底辺校では面倒だし仲間で行った方が楽しいから行かないって子が結構いるんだよ…
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lavandin
lavandin 小中と修学旅行がホントに嫌で嫌で高校でも行きたくない!!と騒いだが、実際行ってみたら面白すぎてなんだかんだで別の国だけど海外住んでるから必要だったかな。でも妹は体調崩して海外ダメになったし一長一短
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sukekyo
sukekyo おれは学生生活って強制的な人権侵害があったのは絶対に良かったと思ってる。「行きたくなかった」「嫌だった」って感情や記憶も込みで大事。いろいろな気づきや思いや考えを得られるから。今後も続けるべきと思う。
2024/02/19 リンク yellow18yellow 3 clicks
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rakugoman
rakugoman 若い頃から最適化されてると、つまんない人間になるぞ。本当に歳を重ねたのかい?
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tome_zoh
tome_zoh 部活は機会や課外活動の場の提供という意味で意義あると思うけど、全力以外認めないみたいなのやめてほしい、特に強制所属なら。やる気がないとかゆるくやりたい子の逃げ場はあっていい。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellow
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north_god
north_god 参加してつまらなかった、嫌な思いをした、は次の反省点として向いてない事はやらないとか能動的な選択に繋がるが「〇〇やれなかった」はただの後悔にしかならない。一生向いていない事を切り捨てられんよ
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellow
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tokitori わかる~。代表学年だけのとこもあって地域性あるんだろうけど、卒業式とか何で関係ない学年が出席して馬鹿みたいな余興みたいなのせないかんのだよ、とか小学4年生の時には思ってた
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deep_one
deep_one 修学旅行がなんなのかいまだに分かっていないようだ。/「全員参加の部活」がやりたいことはわかるんだが、あれは「本気で部活する人」の妨げにもなるのよね。うちの学校は確か「本を読むだけ」とかの部活があった。
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edam 学校が嫌だった過ぎて子供産んであんなとこ入れるの可哀想は結構ある思想だと思う。
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valvelde 修学旅行を希望制にするなら毎日の授業も希望者だけでいいはず
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ledsun それを言い出すと「義務教育は人権侵害」も言えちゃうぞ
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hobbiel55 それが人権侵害なら、教室にみんなで閉じ込められて勉強させられるのも人権侵害にならないか? educationtravelanond
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keidge 確かにまともに集団生活する機会なんて学生時代くらいしかないよね。私も苦手なタイプだったけど、得られるものは多いと思うよ。知識より経験の方が何倍も強いのが現実だし。
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zubtz5grhc 学校に通わせられるのも働かされるのも金がないと生活できないのも人権侵害だわな。私は考えるのをやめてるが。
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mtk_inrs そう、希望制にすると親の都合で行かせてもらえない子が出てきてしまうかもしれないからね、、DX進めろ進めろ言うけど当たり前のように家にWi-Fi飛んでない家庭もあるからなかなか
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rna 初等教育全般が人権侵害的と言えばそうなんだけど、一定の知識とスキルを身につけないと本人が自分の権利を守れないからなぁ。軍隊教育由来の部分とか時代に合わせて何が必要かは再検討が必要だけど。
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songsfordrella
songsfordrella 高校の修学旅行、おそらくは外で干したのだろう宿泊先の宿の布団がブタクサの花粉だらけで、ひたすらくしゃみをしていた記憶しかない。そんなしょうもない思い出でも今となっては懐かしいもんです。
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chihiru
chihiru 中学の修学旅行は積立式だったけどそのお金を親が出してくれなかったようで不参加だった子がいたな…お金のことよくわかっておらずみんな当たり前に行くもんだと思ってたから少しショック受けた当時
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mur2
mur2 拒否すれば参加せずにすんだのでは?/自分もSoundCloud聴きながら2時間でも3時間でも長風呂してしまうのでいつも最後に入るようにしてる。
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unakowa
unakowa いじめられていたら話は違うが、そうでないなら集団 Permalink | 記事への反応(0) | 19:51
約三ヶ月前、社会人生活に区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である。一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。
ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。
書き上げたのは本日12/12だが、推敲の関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。
私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。
あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコンは事務所に1台あるかないかだった。各学校にコピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。
学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言や暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である。
さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記で表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事のひとつである。残念ながら、教育そのものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。
要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員を指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元な行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。
彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議・交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。
本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。
これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。
私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織の迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。
トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員のエピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。
教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体の学校教育に関する意思決定と事務(企画・調整・一般的な管理行為)を行う組織である。
第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育、学術及び文化に関する事務を管理し及びこれを執行する。
教育長が責任者となって所掌事務や教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議(議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。
かつての戦争の折、行政の暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政の主体から教育の機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。
実際のところは、市区町村の本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である。役所の中に多くある部署のひとつとして位置付いている。
(指導課)…都道府県教委が教員の中から高査定者を人事異動させる
(学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム
(学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営
そういうわけで、私の場合は上記でいうところの指導課(各学校の指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒で教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。
それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校の教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。
最後は課長級職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育の仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。
タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校で教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局に課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。
教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスクに腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。
社会教育課の事務スペースで、複数の職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性・女性の職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。
話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後は男性職員が女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばして事務室を出て行った。
『なんだ、こいつらは?』
心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。
社会教育課、という部署名は伝統的である。霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間の無駄であると考えた。
だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長机から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事で問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。
私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区は関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。
・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった
・監視の意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した
といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。
ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。
話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。
(次part)
大学受験一発逆転組。
初等教育、中等教育で常に一定の成績を取り続けることが出来なかった人を排除する仕組みが必要。
日本ではなぜか一発ペーパーテストを過度に尊重し、日頃の成績を軽視するどころか馬鹿にする風潮まである。ちなみにペーパーテストを無意味だと言っているのではない。アイビーリーグの学部生たちもペーパーテストは受験する。
大学受験一発逆転組が大学で全く勉強に打ち込まないことは大学職員や教員の間では既に知れ渡っている。
世の中には「小中高と全く優れた成績を取らず、大学受験期のみ猛勉強して大学に進学し、大学進学後も講義には全く出席せずに学外活動に力を入れてきた」という経歴を辿った上で実社会で活躍する者は多くいるが、彼らが活躍するフィールドは起業やビジネス、芸能界においてであり、ならば大学に進学させる必要はない。時間は有限なのだから大学で彼らの言う無駄な時間など過ごさせずとっととビジネスや芸能の世界に進ませれば良い。学術分野においてはそのような人物は少ない。もちろんゼロではないが。
G7において日本の大学の論文引用数は最下位である。ドイツやフランスにおいて「(日本の)小中高(に相当する教育機関)と全く優れた成績を取らず」という人間はその時点で高等教育から排除されている。
よく「推薦入試や内部進学組は勉強ができない」ということが言われるが、これは全くの間違いである。だいたいこういうことを言い出すのは大学教育に全く関わったことのない人間だ。慶應義塾大学を例に出す場合、文理、学部に限定されず成績、学力の最底辺は内部進学組であるが頂点も内部進学組である。学部からの外部生はその間に分布しており、どちらかと言えば最底辺の内部進学組に近い。
うちの高校は普通科しか無かったし(今は国際情報とかあるんだったかなあ。しらん)
大学も文系学部のみだったんで授業の選択の幅全然無かった。経済みたいな理系文系の学科も無いから授業も無い(初等教育が算数の授業やってる程度じゃないかな)
まあ流石に語学は色々選択出来たから面白かったけど、ラテン語とか取る勇気無かったし
そもそも入ってから「国文じゃなかった。社学の方が良かった」って思った。社学の授業受けたら明らかにこっちが面白いと思った
かと言って学部変わる程の熱意も無かった
基本やる気も無かったのでゼミは近現代という体たらく。これが漢文や中古とかだったらまだ格好つくけど
近現代の作家で卒論書いて大学出て後の人生の何の役に立つというのか
ご指摘には一理あると思いました。確かに、文化的な背景や他のカリキュラム量などから他国の教育を同様に取り入れることは難しいでしょう。
一方、初等教育であえて情緒的な作文技法に誘導する必要があるのでしょうか。いくら文化的に相性が悪い可能性があるとは言えいずれはロジカルな作文が求められる彼らに対して、他国よりもレベルは落とすにしても初等教育の段階でその素地を作る必要があると思います。
勘違いしないで欲しいが、ロジカルライティングやその教育が不要だと言いたいわけではない。
むしろよく使う業界なので、教育できるならやってもらった方が良いと考えている。だが、
(1)言語は文化と密接に関わっているため、他国の教育がそのまま適用できるとは限らない
(2)日本語で必須となる漢字教育などカリキュラム量に大きな差がある
(3)その中での「初等教育の一例」を理由として、文章力の低下の原因とするのは無理がある
と言いたいんだ。そういう帰結をするのなら、小さい頃からロジカルライティングをやっているはずのアメリカで
https://anond.hatelabo.jp/20230712112116
この「完全にお局様と化してつらい」って話で思い出した事がある。
はてブで『管理職でも無いのに部員の進捗管理したり仕切ったりするな。』っていう、例によって、はてブらしい優しくも厳しすぎるコメントに星が大量についていたが、これについてだ。
話はこうだ。うちの娘はアメリカで小学校に通っている。幼子の頃からいるのでコミュニケーションの問題等はないのだが、娘からすると教室でちょくちょく他の生徒がうるさ過ぎると感じるらしい。(はっきり言って娘だってめちゃくちゃうるさい方なのだが)
それほど時には凄い騒ぎになるようだ。それが気になるらしく娘は皆に先生の話を聞こうなどと注意していたらしい。
これを聞いて皆さんはどう思いますかね?創作に良く出てくる委員長タイプの人間なんだなとか思う人も居るかもしれないが、基本的には娘は「良い子」だねって事になると思う。
ところが娘はこれを先生に怒られたそうなのである。曰く、「子どもを注意するのは先生の仕事なので、あなたはやってはいけない」ということであった。
これを聞いて俺はすごく教えられたと思いましてね。まだ大学を出たばかりのような若い先生だったけど、ここまでビシッと言えるのは凄いと思った。そんな騒がしくなるくらいなので、先生もあまりやる気がないのかと思っていたんだけど線引きが違っただけのようだった。
それ以来、俺も同僚や職場のことには意識して世話を焼きすぎないようにしている。皆で助け合うことは良いことだけど、職場やあるいは教育現場の中にはまず第一に根底に契約や役割がある。
なので先のブコメに今は同意なんだけど、俺のようになかなかそこから抜けれないことは多いと思う。それは元を正せば、一般的な日本の教育現場の中では色々な責任が曖昧になっているから。
日本の初等教育、中等教育は素晴らしいんだが、その辺りの責任関係の曖昧さは先生の過剰負担とかにも繋がってくる課題だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230712112116
この「完全にお局様と化してつらい」って話で思い出した事がある。
はてブで『管理職でも無いのに部員の進捗管理したり仕切ったりするな。』っていう、例によって、はてブらしい優しくも厳しすぎるコメントに星が大量についていたが、これについてだ。
話はこうだ。うちの娘はアメリカで小学校に通っている。幼子の頃からいるのでコミュニケーションの問題等はないのだが、娘からすると教室でちょくちょく他の生徒がうるさ過ぎると感じるらしい。(はっきり言って娘だってめちゃくちゃうるさい方なのだが)
それほど時には凄い騒ぎになるようだ。それが気になるらしく娘は皆に先生の話を聞こうなどと注意していたらしい。
これを聞いて皆さんはどう思いますかね?創作に良く出てくる委員長タイプの人間なんだなとか思う人も居るかもしれないが、基本的には娘は「良い子」だねって事になると思う。
ところが娘はこれを先生に怒られたそうなのである。曰く、「子どもを注意するのは先生の仕事なので、あなたはやってはいけない」ということであった。
これを聞いて俺はすごく教えられたと思いましてね。まだ大学を出たばかりのような若い先生だったけど、ここまでビシッと言えるのは凄いと思った。そんな騒がしくなるくらいなので、先生もあまりやる気がないのかと思っていたんだけど線引きが違っただけの違ったようだった。
それ以来、同僚や職場のことには意識して世話を焼きすぎないようにしている。皆で助け合うことは良いことだけど、職場やあるいは教育現場の中にはまず第一に根底に契約や役割がある。
なので先のブコメに今は同意なんだけど、俺のようになかなかそこから抜けれないことは多いと思う。それは元を正せば、一般的な日本の教育現場の中では色々な責任が曖昧になっているから。
日本の初等教育、中等教育は素晴らしいんだが、その辺りの責任関係の曖昧さは先生の過剰負担とかにも繋がってくる課題だと思う。
モラトリアム期間に慣れ親しんだオタクコンテンツから離れて早10年。久々に時間ができたので話題の「ぼっち・ざ・ろっく!」を見ました。
驚きました。面白い。
ストーリーやギャグの魅せ方が上手い。作画もクオリティが高くて、何より音楽が良い!これが現代アニメか……(「Hot knows...」 や「私の恋はメガラバ」みたいな二次創作が見当たらないところにも時代を感じました)。もちろん手放しで礼賛できるコンテンツなどこの世にはなく、作品独特の違和感・矛盾は存在します。それらのほとんどは「脱臭」の一言に集約され、きらら系コンテンツの宿命か、すでに論考がいくつも転がっていたので論をそれらに譲るとして、私がここで語りたいのは曲中歌の歌詞。メロディーラインや編曲のクオリティの高さはリョウ先輩が天才だからで済みますが、ぼっちちゃんが悩んだ末の自分らしさにしては歌詞の踏み込みが足りない。経験に裏付けされたリアリティがない。フレーズがふわっとしていて、今の流行りにおもねったファッションみを感じる。真のぼっちは、ロックは、孤独は、そんなものではないはず。
久々に孤独に浸りたくなったおじさんが、酒に酔った勢いで自分の好きなぼっちな曲を残します。おじさんは自分語りが宿命なので仕方ないね。なぜ全てボカロ曲か? 10年前の孤独なオタクは友達がいないのでロックを知る機会がなく、ボカロしか聴かないんです(偏見)。
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/25096.html
作詞:nyanyannyaさん
ぼっちちゃんがぼっちをこじらせてリスカしだしたら書きそう度:★★★★
さっそくロックではない曲から紹介。ほぼ同名の梨本Pの曲とは別です。どっちも知らない? 10年前寝てました? ぼっちは精神が崩れるし、不健全なオタクなので、自分の気に入った自傷フレーズをメモして歌詞に並べてしまいます(偏見)。厨二病感あふれる歌詞の中で最高に孤独を感じる一節が
『生まれる以外何か悪いことした?』
彼女(彼)は自分なりに他人に迷惑をかけないように人生をかけて頑張って、努力して、その終点がこれだったのでしょう。作者の生き様が透けて見えるところがお気に入りです。「善いことをしてきたはず」というエゴが、最高に孤独ですね。
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/25140.html
作詞:Neruさん
作者のNeruさんは「ロストワンの慟哭」や「脱法ロック」が有名なのでみなさんご存知ですよね。知らない? 初等教育受けました? ぼっちは常に厨二病で、人から見られることを気にする自意識過剰な異常者なので、人生を劇場に例えがちです(偏見)。人生の一番底感あふれる歌詞の中で最高に孤独を感じる一節が
『教室の隅で読書をする 凛とした長髪のあの子は 僕が恋してると囃し立てられて いじめに遭いました』
歌詞は基本的に抽象的・婉曲的なのに、ここだけリアリティが突出しています。これ絶対作者の体験談だろ。いじめた方かいじめられた方か、傍観者か。ぼっちは社会と無関係でいることすら許されない。他人が傷つけられて自分が傷つき、孤独を深めていくところが最高に孤独ですね。容姿端麗な作中のぼっちちゃんは絶対に書かない歌詞ですが。
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/3300.html
ここでいきなり重音テト(≠ボカロ)曲を紹介。UTAUはジェネリックボーカロイド? 死にたいようだな? ぼっちは常に社会的弱者で、虐げられているのに反抗できない精神的弱者なので、いじめエピソードに事欠かない(偏見)。色とりどりのヤンキーヘイトの中でも最高に孤独を感じる一節が
『法律が許すのなら 何度だって殺してやる 大げさに聞こえるなら 君は今も理解ってない』
「怒ってない」から「許されてる」わけではないのは作中の歌詞のとおり。前段だけなら「ファッション孤独」でしょう。後段の独特な凄みがこの歌詞の真骨頂。加えて1:36からの歌詞はとても辛くてとても好きな歌詞なので、ぜひ動画で確認してください。
結局のところ作中のぼっちちゃんは設定上、いじめや「病み」と無関係な美人さんなのでこんな歌詞は書かないでしょう。ただ、歌詞はもう少し、作詞者の「ぼっち」な実体験、言ってしまえば「こじらせ」がにじみ出た方が好みです。私の。ちなみに私が結束バンドに10年後に歌って欲しい曲は「ナンセンスの塊」(はるふりさん)です。
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/3699.html
もっと孤独を感じたいので、みなさんの好きな孤独な歌詞があればジャンルに関わらずどんどん教えて下さい。「生きてる」を実感しましょう。
https://www.afpbb.com/articles/-/3455010
男女平等かつLGBTQ解放の観点からの解決策は、スポーツにおける性別情報の取扱の禁止だと思います。つまりあらゆるスポーツにおいて男女LGBTQ混合で行いますが、守旧的な「混合」、つまり「男子2女子2」とかそういう意味ではありません。真の意味で性別無関係に、いかに競技で勝つか、もしくは、いかにスポーツを楽しむか、だけが目的となるでしょう。
女子サッカーなんて、「女子」だなんて、いかにも伝統的価値観だしな。ダメです。
ただし新しい価値観の定着には時間がかかりますし、現時点の女子トッププロ選手のキャリアを破壊してしまう可能性があります。これは良くない。
ただ、スポーツは、20代後半〜長くても40代くらいまででトップクラスとしてのキャリアを終えることがほとんどと思うので、他の職種と比べてターンオーバーが速いというメリットがあります。
まずは初等教育において全ての体育科目や部活を男女混合とすることから始めて、小学一年生から男女混合でやっている世代が入っていくごとにその競技を男女混合にしていくではないでしょうか。
ところでそれをする上で、更衣室やトイレはどうしましょうか。と、このことを考えること、それも、教師、生徒、そして社会がちゃんと参加した議論で決めていくことで、社会としての男女平等やLGBTQへの国民の態度の取り方がきちんとしていく、ということではないでしょうか。
ただし、現時点の女子トッププロ選手のキャリアを守るために変革のスピードを緩めると、現時点のLGBTQスポーツ選手が苦しむということがあり、この点をどうすれば良いのか、識者のお考えを教えてください。