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2024-11-04

日本現代小売業界における10大事

2024年現在から過去数十年を振り返った際の重要イベントトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。

1位 大店法の緩和と廃止 1991年

大型店舗新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され

2000年廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本進出したのがトイザらスであるしかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイドである。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外風景は、これによってもたらされた。

2位 主要EC各社によるサービス開始 1996年

楽天市場サービス提供1996年Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマース食品スーパーコンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。

3位 ジャスコ設立 1970年

岡田卓也社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社誕生

大店法緩和以降(第1位参照)の小売業郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。

4位 セブンイレブン豊洲開業 1974年

米サウスランドから前年にライセンスを取得したイトーヨーカドー国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装オープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデル確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。

5位 海外大手小売業進出撤退 2000年

2000年フランス大手スーパーマーケットカルフール日本進出千葉県幕張市に店舗オープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマート日本進出した。しかカルフール2005年イオンに売却され、ウォルマート2018年西友経営から手を引いた。

両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内リアル小売業日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。 

6位 ユニクロの全国進出 1998年

ユニクロフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールユニクロファンには懐かしい店舗スタイル1985年にすでに最初店舗オープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿オープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的ブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品ジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスジーンズとか売っていたのだ。

7位 スマートフォンによるECモバイル化 2010年

スマートフォン発売当初は、国内はいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話主体であったが、2010年iPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、EC担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。

今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。

ネットリアル統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。

また、このモバイル化とほぼ同じタイミング東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないか個人的に思う。

8位 ペガサスクラブ設立 1962年

小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である高度経済成長期以降、アメリカ小売業モデルとした、日本小売業組織化大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。

9位 ダイエー松下戦争 1964年

松下(現在パナソニック)製のテレビを、ダイエーメーカー設定を下回る価格販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。

10位 百貨店各社の統合 2007年

大丸松坂屋統合によるJ.フロント リテイリング阪急百貨店阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越伊勢丹経営統合した。この一連のイベントは、統合のものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。

今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位百貨店であったが、売上高としては1991年12兆円をピークとして現在まで半減している。

ランク

スーパーマーケット紀伊国屋オープン 1953年

日本における初のPOSシステム開発 1971年

マツモトキヨシ 上野アメ横オープン 1987年

マイカル経営破綻 2001年

主婦の店運動 1949年

2024-10-28

多分選挙が一番楽しいのは地方都市郊外くらいだと思う

ロードサイドのチェーン飲食ちょっとだけあるところだと近くの小学校行くのに一緒に自動車回してもおかしくないしその後すぐにチェーン飲食に向かうとかできる

イメージ的には御殿場くらいの感じ

逆にめっちゃ都会だと自動車乗って家族一緒に行くってことにそんなに意味いか個別行動の徒歩で普通にしんどい

2024-09-03

anond:20240902125427

から2番目について。

マイカルダイエーが立ち行かなくなったたのは知ってると思うけど、マイカルダイエー駅前などに多層階のビルを建て、そこに食品のほか衣料や生活雑貨場所によっては家電を加えてワンストアで済むように作った店が多かった。でも平成になってロードサイド専門店、たとえばユニクロしまむら洋服の青山あたりの専門店カジュアル衣料やスーツなどの顧客を奪うようになり、くわえてヤマダやケーズのような家電量販店が家電顧客を奪いはじめた。特にダイエー家電販売では有数の存在だったんだけど、価格競争についていけずあれよあれよと傾いていった。一言で云えばダイエーマイカル専門店に勝てなかった。それが90年代後半から2005年くらいまで。

ヨーカドー創業者がうるさい人で財務体質がよく同時にロードサイド専門店が攻めにくい首都圏の肥沃な市場を押さえてて、イオン創業家が「大黒柱に柱をつけろ」と店の閉鎖と移転を厭わない家風で号令をかけて地方競争の少ないところにバカかいSCを作っててそこにテナントを入れ賃料収入があった。ので専門店の攻勢を受けても自社の店の売り場を再構築する余資があってマイカルダイエーとは違う道を行くことが出来て、ヨーカドー赤ちゃん本舗ロフトを自陣営引き込みイオンウエルシアを拡大できた。

増田のいう中型スーパーというのがイマイチよくわかんないんだけど、食品いくらかの生活雑貨肌着などの実用衣料を売ってる店を指すのだとしたら、ヤマダやユニクロなどの専門店に勝てない分野を削ぎ落したらああなったにすぎない。

食品は日銭が入るからどこも強化したい。問屋に対してはやはり規模がデカいと値引きしてくれるから和歌山地盤オークワ名古屋名鉄パレを買ったり、新潟原信ナルス群馬のフレッセイと統合したりしている。この流れはしばらく続くと思う。

2024-08-24

カプセルホテルだと思ったら違った

完全に日が暮れるまでに峠を越えられるかなと思って、うねうねした山道を車で登っていたらゲリラ豪雨がやってきた

このまま走り続けて、スリップして山から真っ逆さまに落ちるなんてことは嫌だったし、路肩に車を停めてこんな山奥で待つのも嫌だった

からロードサイドに「カプセル」と書かれた看板が目についた途端、すぐにハンドルを切って敷地内に入った

建物に入ると、中は雨の音なんて聞こえなくて、静まりかえって真っ暗だった

おひとり様ですか」と声をかけられて振り返ったら、壁が半円形にくり抜かれてそこから光が漏れていて、カウンターらしきものになっていた

奥にいる人の顔は見えなかった

ひょっとしたらそういう所に間違えて入ってしまったのか、でも「カプセルホテル」と書いてあったような、と思いながらも、連れがいると言うわけにもいかず、「はい一人です」と答えた

「32番どうぞ、奥へ」とカウンター差し出された手の下には32と書かれたカードキーがあった

突き当たりのドアを開けると、細い通路が伸びていて、左右にはカプセルホテルにあるような小さな個室がぎっしりと並んでいた

なんだ、やっぱりカプセルホテルじゃないかと思って32番に入ると、ほとんど音もなく上からドアがゆっくりと閉まり、中は密閉空間になった

天井は座ってぎりぎり頭がつかない程度の高さで、個室の壁に細いテーブルがついていた

iPhoneで目覚ましを設定したときのような音が小さく鳴ると、壁の一部がスライドして開き、回転寿司ベルトコンベア的なものに載った丼が滑ってきて、目の前で止まった

このときようやく、自分カプセルホテルと間違えてカプセルラーメンに入ってしまたことに気づいた

最近流行っているのは知っていたが、こんな山奥にまであるとは思わなかった

ラーメンは熱かった

真っ黒なスープに大量の白髪葱と柔らかなチャーシューが浮かんでいた

スープはどこか甘酸っぱい気もしたが、それを上回るコクがあって不思議バランスを保っていた

腹が減っていたので思わず麺をすすり上げた直後、耳をすましたが、周囲からは何も聞こえない

他のカプセルでも今この瞬間、自分と同じように麺をすすっている人々がいるのか、それとも自分以外に人がいないのか、見当もつかなかった

空腹が満たされると急激に眠気がやってきて、いつの間にか寝入っていた

チェックアウトして外に出るとすでに蒸し暑く、昨夜の雨が嘘のように晩夏青空しかなかった

2024-05-06

ある田舎国道バイパス沿いにトラッカー向けの定食屋があった。今はもうない

白飯うまいというのがウリで、実際に美味かった。おかず類はとにかく味が濃かった。コップはワンカップの空き瓶だった。店内にはなぜかクレーンゲームの類がたくさんあってギラギラしていた。

その近くにはエロ下着屋があった。入ったことはないのだが、深夜帯によく流れていた素っ気ないCMからするとでかい倉庫みたいな店内でまんこ乳首丸出しになる原色下着ワンオペで売ってるらしかった。誰が買うのか不思議だったが後年利用したことがあるという人に遭遇した。ふつうのおばさんだった。夫婦のお楽しみグッズらしい。聞いてもないのにその話をしてきた。

その店ももうない。

あいうクソみたいなロードサイド光景が嫌いじゃなかった。でもなくなってもそれはそれでなんの痛痒もない。

2024-04-19

夜のロードサイドみよし

札幌に住んでいたころ夜に車で通りかかった山がちな区にあるロードサイド独立店舗の「みよしの」が、

客の入り方といい窓の切り方といい光の洩れ方といい外からも感じられるような静かさといいあまりにも「ナイトホークス」で感じ入ってしまたことを思い出す

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2351970

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9_(%E7%B5%B5%E7%94%BB)

2024-04-13

anond:20240412233453

スタバも何年か前からロードサイド店が増えて都会にある店ってイメージ消えたな

高速道インターチェンジ前だとマクドナルド並みに出店してる地域もある

2024-03-25

中年というか30代付近になると多分、イオンしかない田舎みたいなルーチンでの生活というのをセルフで構築してしまう。

その結果、その中の一部意識が高い奴の中に田舎にいても毎日が輝くかどうかは自分次第とかいう糞のような結論に行き着き、田舎子育てを始めてしまう。

の子供は何をするにもイオンロードサイドしかねぇ田舎でおうちの中と外の人間ギャップに苦しみ、ヤンキーコミュニティに染まるか、どうやってこの地獄から抜け出すかを考えるようになる。

意識高い田舎移住の子供の行動範囲には、親父とオカンに連れて行かれる山やら川やら良うわからん意識高い自然派人間達の意識高い店屋という場所存在しているが、そこの家主に外の世界から来た人間を見てよりこじれるのが、田舎移住の子である

2024-03-18

イオンモール立地規制した青森県八戸市20年後どうなったのか

anond:20240313123638

青森県八戸市(はちのへし)。

県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路工業港を有し、東北新幹線八戸駅東北自動車道八戸線三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。

しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドー2024年の夏に閉店する。

八戸市映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。

2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長イオンモール反対を表明するも次の選挙市民の支持を得られず落選

イオンモールを待望した市民は、官僚出身新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端イオン開店した。

さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センター建設土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。

その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。

車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。

街の顔である中心市街地は、税金補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。

かつて市民デパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。

古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。

市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。

中心街仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルマンションはいくつか建設された。

市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーユニバース本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパードラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターサンデー、ヤマダ、ケーズデンキユニクロGUしまむら、西松屋ワークマンもある。日常の買い物には困らない。

しかし、市民は屋内一体型モールイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターボーリング場や、未来書店や、東京アパレルテナント東京話題のある飲食店フードコートが欲しかった。

前置きが長くなったが、この街歴史をみるとする。

明治大正

鉄道忌諱と中心街の大火

明治時代日本鉄道東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。

当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念軍部要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅現在本八戸駅を開設する。

そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまり市街地から離れすぎた立地のため、郊外地方空港様相であるかのように、22万人都市玄関口としてはお察しくださいの状態である

大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。

昭和

中心市街地の復興産業の発展と栄華

太平洋戦争では基幹産業日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害ほとんどなかった。

市の北側位置する旧日本軍飛行場基地米軍接収され、3,200人の米兵により飛行場拡張基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。

八戸中心市街地は、戦後しばらくして、東映東宝、テアトルなどの7つの映画館開店し、地元百貨店開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー地元資本ファッションビル開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。

八戸昭和30年代に新産業都市指定され臨海都市建設工事が始まり八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場八戸火力発電所、非鉄金属精錬所、鉄工所、造船所が建設された。

漁業栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑区画整理が次々と進み新興戸住宅地住宅団地郊外市街地は拡大し、市営バス路線網を拡大し小中高校増設を続けた。

一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。

青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。

平成

大店法改正の波、産業構造転換と商業施設郊外

1991年長崎屋郊外移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋開店

1994年 年末三陸はるか地震震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害

1995年 隣町にイオンモール下田開店現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。

1996年 中心市街地のニチイが閉店

1997年 中心市街地の市民病院郊外移転し、いよいよ中心市街地の危機地元紙で叫ばれるようになる

1999年 八戸臨海部神戸製鋼敷地ピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントイトーヨーカドーホームセンター、のちにヤマダ電機スーパー銭湯開店

2000年 人口過去最高の24万9000人になる

2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める

2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン市民映画館開店

2009年 臨海部八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店

イオンモール立地攻防

2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる

当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼ区画整理し、中心街から八戸市病院移転した付近に立地計画

市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。

しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。

地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街シャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り八戸三社大祭という由緒ある山車祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶

かに市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。

その後、市長は1期で落選し、新市長が当選立地規制条例を制定

2012年 郊外イオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)

中心市街地活性化施策

新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設

2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店

2016年 ガーデンテラス竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビル拠点開設

2018年 市営の八戸まちなか広場 マチニワ屋内広場が開設

令和期

少子高齢化人口減少時代水産業斜陽化、縮小する経済

2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園建設

2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町竣工 13階建で2階以上はマンション

2021年 中心街に新八戸市美術館竣工

2022年 地元百貨店三春屋コロナ経営不信でで閉店

2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定

2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)

2024年夏 イトーヨーカドー八戸沼館店が閉店予定

2025年 青森銀行とみちのく銀行合併青森みちのく銀行設立予定

おわりに

東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーホームセンターがあちこちにできた。

中心市街地は市営の観光施設や屋内広場箱物と、市営書店ができて大変モダン空間になった。

地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンファミマが合計6店舗できた。モスドトールしかなかった街中にタリーズができた。

しかし、市経済の低迷も相まって中心街商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルマンションへ建て替えが進む。

商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモール建設してもよかってのではないか

結果、GMSは衰退し臨海部ヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部シンフォニープラザ2012年開店イオン田向(リテール)のみになる。

よく巨大郊外モール撤退したあと社会問題になるため開発抑制必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベル規制誘導しない限り、一自治体規制をかけても無意味だった。

結局、市民1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。

中心市街地の地権者コンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化施設建設資金が投入され続けている。

2050年までに、八戸市人口社会保障人口問題研究所推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)

人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住コンパクトシティ形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからイオンモール下田に通うことにになる。

せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離イオンモールに遊びに行けただろう。

2024-02-29

海外での外食

様々な要因で外食価格が上がってきている。増田は既婚者で子供二人も居るので買い物とかで出かけて昼食や夕食を外で食べようとするとなかなか辛くなる。

一昔前はフードコートでそれなりに安く済ませるorちょっと豪勢に入っているテナントロードサイドファミレス等って感じだったが、今じゃサイゼリヤガストもしくはクーポン前提でファーストフード店って感じだ

ただ海外だと出先での外食はどんな感じなのか。やっぱ日本同様にたまの贅沢みたいな感じなのか実は安いのか。そして何を食べているのか。正直今の日本だと選択肢も少なく家で作っていった方が安いが公園ピクニックならいざ知らずイオンショッピングモールに買い物では弁当と言う訳にもいかない

いまいち調べ方も分からAIに聞いてもイマイチだったので有識者居たら教えてください。もしくは本や資料あれば紹介してください。読んでみます

2024-02-17

商業施設栄枯盛衰

イトーヨーカドーイオンも閑散度は似たようなもんだ、というブッコメに★が多く集まっていて(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/735015)、それを書いた人がどの立場でそう感じているのかは分からないのだが、それはとても正しい。ロードサイドだって平日はガラガラだというブッコメもあり、それもとても正しい。ただまぁ一方で平日は都心ファッションビルデパートだって閑散としてるし休日駐車場の入庫行列するようなショッピングセンターだって閑古鳥なので、そこの時間帯を比較することには、本件を読み解くためにはあんまり意味はない(このご時世に小売って厳しいよなーという文脈なら検討に値する視座ではある)。

まぁ、今のところはイトーヨーカドーが劣勢でイオン好調であるGMS世界というか小売業は本当に栄枯盛衰の移り変わりが速い業界で、イオンがいつまで好調を維持しているかも分からない。分からないが、これまでのところはイトーヨーカドーが降り、イオンが勝ち残っている。ヨーカドーが降りざるを得なくなった理由はいくつかあるが、それは客足以外のところにある。

「賃借」か「自己開発」か

イトーヨーカドー駅前店舗は、多くが賃借ビルの一棟貸テナントである。これはイトーヨーカドーが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃には効率経営が高い(BS圧縮したまま事業拡大できる)として称賛されていた。少し話はずれるが、イトーヨーカドー地元商店街対立図式は、単なる客のパイ争い以上に「駅前再開発」に絡むものから、要するに再開発の線引きエリア外の商店主が怒っていたという側面もないこともない。

話を戻して。ただし賃借方式だと賃料を支払い続ける必要があるため、薄利な小売店にとっては経営のかじ取りが難しい。イトーヨーカドードミナント出店(回りをイトーヨーカドーだらけにして、低価格の目玉商品を大量投入して周囲の競合を脱落させる手法)が上手だったと言われているが、それは当該の前項記事にもある通りhttps://toyokeizai.net/articles/-/734323?page=2昭和時代ダイエーとの比較においてであり、駅前地域旗艦店GMSを置き周囲にSMを置くという手法は、次項に説明するが、消費者の買い物行動の変化に伴う商圏の変化に付いていけなくなっていたのだろう。ドミナントの難しいところは、囲い込んで他に選択肢を無くさせる過程の「手段」において安売りキャンペーンを続ける必要があるところで、そこも賃借だと館全体の利益を圧迫することになるというリスクもある。

また、イトーヨーカドーGMSであることをアイデンティティにしてきたためか自社のPB衣料品ライン損切りがかなり遅れたのだが、アイデンティティへの固執に加えて、もともと店舗が賃借であるためテナントを入れると自前で仕入れ商品販売や自社PB商品を売るよりも利ザヤが小さくなってしまうのがその理由だと推測できる。PB衣料品昭和の頃は「衣料品は腐らないから賢い」と称賛する人もいたんだけどね…。

一方でイオンは(買収や方針転換もあるので全てではないが)多くの施設が賃借ではなく自社開発だ。拡大戦略の初手から自分土地調達自分建物も建てる戦略発祥地方都市からということもあり「田舎の安い土地二束三文で借り(または買い)自前で建物を建て、広大な駐車場を持つ巨大スーパーGMSというよりも巨大スーパー)をあちこちに作っていった。

自前開発なので建物を建てたコストが償還できればその館の運営はかなり安定的に行えるようになる。またちょっと話はずれるが、イオンGMS店舗イオンモールも建物の作りはかなり安普請というかお金をかけない割り切った作り方をしていて、SCの競合であるららぽーとはもちろんゆめタウンよりも安普請。清掃などの館のマネジメントお金をかけていない(全てのイオンモールがこの限りではなく都市部店舗などはもう少しハイグレードになっているが)。この割り切りが、ある意味イオン現在までの堅調さを支えていると思う。

このイトーヨーカドーは賃借店舗が多かった、というのが、まぁ10年以上苦境が続いている最大かつほぼ唯一の理由じゃないかと思う。そして一つ歯車が狂うと、どんどんうまく行かなくなっていく、経営って本当に難しいな。

商圏の変化への対応

住宅郊外化が進んだことで商圏(客がどのぐらいの範囲から来るかの推測で店の形態ごとに違う)が変化した。スーパーマーケットの商圏が拡大する。毎日の買い物に車を使う人が増えて、駅前出店を中心にドミナント出店をキメてきたイトーヨーカドー駐車場の確保に苦慮することになる。イオンはハナから広大な駐車場が付いている。スーパーマーケットの商圏が拡大すると、駅を中心にした半径に「ドミナント城」を構えていようがあまり意味がなくなってくる。

そのタイミングイオングループは巨大スーパーの次の拡大策としてショッピングセンター開発を本格化する。イオン建物を自前で建てているのでテナントを入れたらまるっと賃料が入ってくる。ヨーカドーが賃借部分をまた貸しするのと比べると旨味が大きい賃料収入になる。要するにイオンモールは実は半分不動産事業デベロッパーである一般的デベロッパーが作るSCにはコアテナント・キラーコンテンツとしてスーパーマーケットを誘致するのが常なのだが、イオン自分がコアテナントであるのが最大の強み。

このビジネスモデルイオンは全国の「ここに商業施設は建つのか」という郊外ロードサイドバンバン巨大なイオンモールを作っていく。同時期にSC競合である三井ゆめタウンバンバンSCの出店拡大を行っていった。これで「家族日常の買い物」という消費行動における商圏が変化する。まずは商圏がいったん拡大(毎日の買い物でも車で30分のSCに)、そしてSCの出店が増えることで「道路網に沿うように」商圏が縮小(もう少し近いSCができたね)という順番で商圏が車前提に変化していった。ここでチェックメイト感は正直あったと思う。他デベロッパーのコアテナントでイトーヨーカドーが入ることはもちろんあっただろうがやはり賃借モデルなので利益は(イオンと比べて相対的に)小さくなってしまう。

イオンさらドミナント戦略も巧みで、多様な店舗ラインナップを作ることで出店用地を比較的選ばずに囲い込みができるようになっていたのもデカい。巨大SC、巨大SM、安売スーパー、小型店、コンビニなど、他の小売店の買収も効率的に使った出店戦略が巧みだった。イトーヨーカドーが、買収したSMチェーンを集約化する(「鳩のマーク」に変えさせるのが象徴的)のと逆に、ラインナップ自体を増やす方向に舵を切ったのが成功の要因だろう。敵がどこに出店しても、何らかのカードを切ることができる体制を作った強さ。イオンは買収したチェーンのブランドをしばらくそのまま使っていたりが全然平気なのだが、買収された店舗じわじわと数年かけてイオンに変貌する。怖いね笑。

商売うまいといえばイオン食品PBトップバリュ複数ラインアップを出しているがこれも恐らく同様の「多様志向」を捉えた戦略で、セブンアイおよびセブンアイプレミアムでやってきたイトーヨーカドーとの経営方針の違いが出ていると思う。ネット民に不評な「黄色トップバリュ」だが(美味しくないよね笑)価格訴求に全振りする商売上手ぶりは、要するに下請企業との関係を保ちながら「安いものが買いたい」客を掴めるし、グリーンアイという単なるグレード分けではないような見せ方がうまい消費者をよく見てるよなぁと感心する。会社として戦略的柔軟さがある(というかイトーヨーカドーが柔軟さがなさすぎるというか)


消費嗜好の変化、その他いろいろ

これは私見だが、「車で肉や野菜を買いに行く」ライフスタイルが定着した理由には、日本人共働き化も大きいと思っている。あなたも私もそうだが、働いている人たちは平日に買い物ができないからだ。休日デカスーパーに色々なものをまとめ買いする、という行動様式自体米国SCを生み出した国でもある)などを中心にすでに存在していたライフスタイルだが、これが日本に定着したことで、自転車で買い物に行ってる場合じゃねえ!という感じになる。一週間分の買い物は重い。保育園学童から子供を連れて帰る足で出来る買物はたかが知れている。

当該のブコメにもあったが、イトーヨーカドーがかつて誇っていた衣料品ニーズは、ユニクロなどのカテゴリーキラーが現れたことで魅力がなくなってしまってたがそれに気づけないままたぶん10年以上ぼんやりしてたと思う。IYGはぼんやりついでにそごう西武を買収して案の定うまく行ってなかった。よりによってそれを買うのか笑、という感じは正直あったけど、駅前旗艦店が華やかだったころの夢を組織が忘れられなかったのか。一方でカテゴリーキラー業界は活況を呈して、駅前にはヨドバシカメラが続々と出店していっている。栄枯盛衰…。

実はネットスーパーイトーヨーカドーの方が先んじて頑張っていた。頑張っていたが、どうも、生鮮品の配送は本当に儲けが出なかったらしい。また足元ではそもそも店員がいない」問題が起きていて配送している余裕がなくなっているという話もちらほら。

生鮮品の配送については巨大な「生協」という存在がいる。実は生協も、いくつかの狂信的ナチュラル生協以外は生鮮品の扱い量はそれほどは多くはないらしいのだが、卵や牛乳などを定期配送してくれて安全基準も高い生協の生鮮宅配が一強で、他の小売はどこも大苦戦しているよう。イオングリーンビーンズという宅配サービスを始めたが、さてどうなるかとワクワクドキドである

2024-02-04

anond:20240204144220

ワイは文京区住みやけどめったに都心行かないか仕事引退したら地方ロードサイド沿いに住みたいやで。

2024-01-12

anond:20240111103032

男だとか女だとか気にしてる暇なんかねえよ、時給が下がるだろうが。

こちとら時間じゃなくて配達一件ごとにいくらで働いてんだよ。

早く配達すればするほど時給換算で給料良くなるのにそんなどうでも良いこと気にしてる暇なんかあるわけねえだろ。

いか? 配達員が気にするのはな、受領先(ピック)と配達先(ドロップ)が当たりか外れかと単価だけだ。

外れのピック先ってのは受け取りに手間が掛かるモール店舗とかな。モール入って上まで登って受け取って下まで降りてと面倒で時間もかかるから時給が下がる。

後は日や時間帯によるが調理待ちが発生しやす店舗は避けたいね

当たりの店舗は人によるだろうが俺はロードサイド店が好きだな。ぱっと入って受け取ってすぐ出発出来る、楽でいい。

そして外れのドロップ先だがなあぁ!!!! てめえだよタワマン!!!! めんどくせえんだよタワマンマジで!!!

なんでオートロック二回も鳴らさないといけないんだよ! なんで特定エレベーターじゃないとその部屋にたどり着けないんだよ!

場所にもよるけど防災センター登録とか必要だったりとかめんどいし!!

あとあれ! レジデンスタイプのマンションのやつ!! メインエントランスから入ってグルっと回って奥にある棟まで運ばないといけないやつ!!!!! だるい!!!

タワマンの民はさあ! お金持ってそうなイメージあるけどチップ全然もらえないからね!!! むしろ普通マンションのお客様の方がくれたりする!!

さて、配達依頼がスマホに来ることを「鳴る」って言うんだがその時次の情報が画面に表示される

配達単価」「概算距離」「予想時間」「ピック店舗名と住所」「ドロップ先住所(大雑把)」「ピン位置で示されたマップ

これらの情報から瞬時に受けるべきか避けるべきかを判断しないといけない。

その地域での経験が無ければどれが外れかはわからない。時間によっては外れでも受けないと干される。

単価が良ければ時間がかかっても受けてもいいがドロップ先が僻地だと帰りが空荷だ。(僻地は依頼が入りづらい)

そういう諸々を考えないといけないのに男だとか女だとかさあ、そんなどうでも良いこと気にしてられるか!

ていうかこっちから全然わかんねえよ! 本名登録してるっぽい人少ないからな!

2023-12-30

逆に東京文化はなんだと思っているか

スーパーセンタートライアル増田がバズってるけど、東京に住みたくて住んでる人間としてどの辺に東京文化的な良さを感じているかを書いてみたい

美術館とか博物館とかそういうのじゃないやつだ 東京/都市部文化という話になると馬鹿の一つ覚えみたいに美術館博物館を挙げてきてそれはただの消費だろバーカバーカみたいに言ってくる奴が後を絶たないが、はっきり言って意味不明ですね

言うてまあ、ノアスミスがだいたいのところは説明しちゃってんだけどさあ ここでは彼が語っていない部分を俺の主観に従って書きたい

参考: 「東京は新しいパリだ」/ノアスミス https://note.com/econ101_/n/nc0b8535512ac

俺が思う東京文化はなんと言ってもまずは地形だ

東京っつうのは江戸の跡地だから江戸時代の街の構造現代まで影響を残している まあ当たり前のことだけど、当時は基本的高台武家だの大名だのの屋敷があって低地には庶民生活の場があったわけだ(上野とか入谷とか鶯谷とかがきったねえ街になってるのはそういうことだよね)

東京高台っつうのはいわゆる武蔵野台地のことで、これは江戸城つまり皇居を端として西側に広がっている 台地と低地の境目部分は坂の多い街になっていて、そのへんはたぶん武家庶民生活が混じり合う地域だったんじゃねえかなという気がする そういうところは面白い街が多いように感じる 上野もそうだし、神保町とか御茶ノ水とか飯田橋のあたりとか、汚ねえけど日暮里の方とかだ 街ごとに個性と特徴がある 歴史を調べると色々な人間エピソードが出てくる そういう街にある商店街構造とか神社とか古い建物とかがどうしてこうなったんだろうと考えながら歩いてる文化っぽい気がするわけだ

あと武蔵野台地でも神田川目黒川が入り込んでるあたりは川に向かって低地になっていて、その周辺にはやっぱり下町と同じ町民文化臭いが残っているように思う 中目黒とか江戸川橋とかだな

完全に高台の方で旧東京市に含まれるあたりは分かりやすハイソな街が多くて、土地持ちの家に生まれただけの勘違いセレブママみたいなのがベビーカーチワワで風を切って歩いてたりしててまあいけすかない でも旧華族庭園屋敷に由来する施設がたくさんあってそれはそれで文化だなとは思うわ

江戸城の下町や旧東京市を越えた地区における文化はおそらく近代というか戦後にできてきたところなんだろうと思う その中でも、どっかのデベロッパー計画して作った街じゃないところは文化を感じますね 中央線沿線とか蒲田とかの大田区の方ですね ちょっと左巻きがキツいところもあるけど独自文化歴史になってるのはいいですよね

逆に東急とかがデザインした系の街はいまいち気に入らないんだよなあ 最近湾岸エリア再開発系もそう あんなの地方ロードサイドジオラマ東京近郊に持ってきただけだろって思う 麻布台ヒルズとかも同じだ 高級ロードサイドしかないだろ 文脈がないロードサイドなんてマジで文化の欠片もないと思うわ

あと東京郊外ダメっすね 歴史を上書きしてニュータウンを作りまくったけど新しい歴史根付くことはなかったって感じがする

要するに、歴史裏付けられた発展が俺に響くんですよ

その中のカスみたいな一部として自分がいると実感できれば、その流れに貢献しようとか思えるわけです

そういう意味では東京である必要特になくて、西日本の方とか、やっぱ何かしらの城下町が多いけど、東京に比べると規模は小さくてもそういう街ってたくさんありますよね そういうところも興味深いんですよ そういうところに住んでたらそれはそれで俺は満足だし文化的だなって感じると思う

でも仕事がないとか関東実家事情とか考えると住めなくて、結局東京以外に現実的選択肢がねえなってなる そういう感じなわけです

東京に住んでても美術館だの博物館だのにはたまにしかいかねえけど、かといって文化摂取してないとか郊外暮らしと変わらないとかは全然思わないんです

2023-11-14

anond:20231112145956

zenkamono 「田舎には月収25万の仕事がない」とあるが、看護師公務員ならそこそこ人数が必要とされつつそれくらい収入あるし、中小企業勤めでも夫婦フルタイム共働きなら容易に世帯月収25万クリアできるぞ。地方都市ベスト

まりにも給料安すぎるでしょ…

takanq 月給25万変に正社員とかこだわらなければ、工場期間工ロードサイド飲食店の深夜バイトなどで稼げばいけるよ。これらが車で60分以内にない田舎はゴメン...

それを一生続けるイメージなの?地方はそういうもんなの?

2023-11-12

anond:20231112214740

へぇ、でもまあロードサイドに店が充実してるくらいのところなら大丈夫なんじゃない?

エン転職とか見てみたら松屋現場正社員でも30歳で年収500万とかもらえるみたいだし。

anond:20231112145956

最寄りのデカい駅までは車で10分、徒歩なら30分。国道沿いにロードサイド店が充実しており自転車で買い物も不可能ではない。

全然田舎じゃないじゃんいい加減にしろ

地方移住は金かからん

11/13追記

コメント読んで気がついた。

すまん、田舎じゃなくて地方都市になるんだな。その辺の感覚わからんかった。

故に大雪対策とかも今の所必要ないし、光熱費都内とほぼかわらない。ガスがLPで割高くらいか。車の維持費なんて安い軽買ったらそれほどでもないだろ?ガソリン保険メンテ駐車場で月3万かからない。家賃9万のとこに住んでた俺が同じ広さで駐車場付で4万だよ?ぼろいけど。

なので人付き合いも都内と変わらん感覚だな。都内から引っ越したっていうと驚かれる位。

仕事夜勤メインの介護職。誰でも無資格スタートできる簡単未来の無い仕事だ。選ぶ会社を間違えず仕事と割り切って自分時間差し出せばそこそこの金が入る。但しキャリアアップは諦めろ。未来は無い。

文化って話がデカすぎたな。ここにはライブハウスがなくて、小さな映画を上映する映画館がなく、富士そばもなくて、ミニストップもなくて、好きな洋服屋もない。赤羽吉祥寺中野新宿三丁目もないのだ。あるのはイオンモールとその他バカかいスーパーだ。全て徒歩では行けない。

人生後半戦なのでこれくらいの暮らしで充分。子供も嫁もいないから楽だわー。老後は無視して今日も楽しくやってるっす。

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数年前に東京ど真ん中から

近畿田舎引っ越した。

海も山も川も車で20ちょっと

最寄りのデカい駅までは車で10分、徒歩なら30分。国道沿いにロードサイド店が充実しており自転車で買い物も不可能ではない。

しかに都会と同じ文化水準で物事を楽しもうと思ったら金も時間もかかる。しか田舎特有暮らしさえすれば金かからんぞ。

家は多少ボロくてもあきらめろ、それだけで家賃都内の半分以下だ。車の維持費も諦めろ、無けりゃ死ぬ。その代わり深夜のタクシー代が消える。これでトントンくらいだろ?

文化的な欲求は諦めろ。ライブ美術館もない。その代わり年間5000円程度で借りれる畑があちこちにある。野菜でも育ててろ。釣りに行け、河原バーベキューでもしてろ。地域温泉を片っ端から入ってけ。バカデカ駐車場バカかいスーパーを楽しめ。それだけで休日の予定は全部埋まる。思いのほか楽しい

車社会なので当然外で飲む機会は激減する。その代わり家飲みを極めろ、食材も安い。少し足を伸ばして道の駅にいけば新鮮な魚が都内より遥かに安く買える。

都会的暮らしは一切あきらめ、田舎の楽しさを見い出せば月給25万でお釣りが来る。都会の暮らし田舎でなぞるな、田舎暮らしを学びなさい。不便を嘆くな、不便を楽しめ。

2023-10-08

群馬の「マイケルソフト・ビンボウズ」というPCショップ(閉店)が海外話題

今日はとっくに閉店した日本パソコンショップ海外流行ってるというワケわからん現象を紹介するよ。

群馬県新前橋駅にほど近いロードサイドに「マイケルソフト・Binbowz」という中古PCパソコンパーツショップが嘗てあった。店のロゴWindows95&98のロゴを軽くいじったもので、見つかったらMSに張り倒されるのが必至な物件だ。

ここは2001年に閉店してしまったのだが、英語圏でジワジワと人気となり、2年半ほど前にYoutubeにアップされた動画で火が付き、Tiktokなどへも延焼していった。

BinbouwsがWindowsパクリというのは判っても、それが貧乏意味中古屋が客を貧乏扱いしているとかというのは日本語出来ないと判らないハイコンテクストなのだが、それでも延焼するほどのカロリーがあったようである

 

WEB1.0ホームページBuzzfeed発見BBCパーソナリティツイート

元々は米本社の方のBuzzfeedが書いたオモシロ記事ツイートらしい。

これは今は見つからないが、この写真BBCパーソナリティーのジェレミーヴァインが「これは草」って感じでツイートした。

https://twitter.com/theJeremyVine/status/526706980644466689

 

この元のBuzzfeedが出した写真だが、『アルフの部屋』という個人ホームページ2001年に掲出された記事から写真を持ってきたようだ。

https://alf-s-room.com/etc/nandarou/binbows/index.htm

管理人許可を取ったか不明だ(多分取ってない)。

 

Youtube

Youtubeでのbuzzりの切っ掛けはNick Robinsonという日本オタク(Wapanese、またはweeb;註:侮蔑的語彙)がアップした「The mystery of "MICHAELSOFT BINBOWS"」という動画だった。

https://youtu.be/yDzAAjzbV5g?si=cZYz8odZyVWmK3c7

 

binboは貧乏の事で、日本語は平板イントネーションなのでマイクロマイケルが似た音に聞こえる…みたいな説明をくどくどとしている所は笑いを誘う。

そして遂にストビューを歩き回り続けて根性建物を見つけ出した。今のBinbows跡地はここである

https://maps.app.goo.gl/rC36U3xbrq6Zfyhv5

外壁が剥されて痛々しい状態だが、これは311地震の爪痕かと思われる。

また、今ではgoogle maps登録されているので「michaelsoft Bonbows」で検索すると跡地が出てくる。名跡なのでありがたい処置である

尚、古い日付を見ると、テナントが全て抜けてしまった時の画像が表示されるが、「集募トンテナ」となっているのが確認できる。流石はBinbows跡地というべきか。

 

これでグズグズと種火で燃えていた貧乏ミームの火力が急に増して、検索すれば判るが、VR用の3Dモデルとかシティーズスカイライン用のMODデータとかがアップされてワケが分からない状態になっている。

また、アリエクでBinbowsTシャツを売っていた中華業者も居た。

 

因みに当店は無くなったがホームページは残っている。

https://jeji.neocities.org/~binbows/

チルダユーザーネームというのが古さを感じさせるURLである

 

聖地巡礼

そんなNick Robinsonだが、この夏に遂に聖地巡礼を果たす。

https://youtu.be/QRIklga9IBQ?si=KvdrKGQ-sJgIx50o

不思議な事に壁で塞がれていてBinbowsへの扉は無かった。

どういう事だろうか?

Nick RobinsonはBinbowsタンというキャラまで作ってTシャツなども作り儲けようという気満タンのようだ。ちょっと欲しい。

因みにこの跡地のビル、駐車スペース不足のせいかテナントが入らずに苦労しているようだ。

Binbowsの呪いかもしれない。

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