はてなキーワード: フリーライドとは
森元氏の発言及びその謝罪会見が袋叩きにされている一方、色々とアクロバティックな擁護も出てきて、基本的に「はあ? 何言ってんだよ?」という感じではあるんだけど、もうちょっと微妙に気持ちの悪い感覚があるので整理しておく。
…
以下は意訳なんだけど、
・「確かに発言そのものは問題、その反省を込めて、だからこそ現在の職責を全うしてほしい」
・「自責の念が強すぎて、むしろああいう感じの会見になってしまった」
・「そもそも、当該の発言が批判されているのはマスメディアの切り取りが原因で、ちゃんと全文を読めば森元氏はむしろ女性の活躍に期待している」
…という感じで、どれだけ多次元的な擁護の理屈をひねり出せるか、未知の競技が芸術点を争って火花を散らす。
どこかのバカがトンチンカンなことを言い始めたとき、たまたまそいつが権力を持っていたりすると周辺が頑張って支援しようとすること、それ自体はどの共同体でもあるんだけど、今回のケースで特に気持ちが悪いな、と思ったのは、なんていうか、擁護してる人たちに発言のリスクを取ってる自覚が全然感じられないことだな、と俺は思った。
一つの発言に対する基本的な反応が批判的なトーンで形成されているとき、逆に支持を表明することはいわば逆張りなわけで、自分にも延焼するリスクがあるわけじゃんな。っていうか、俺なんか小心者だから、多数派と同意見です、って口をそろえるときでさえ「でも、本当にこっちが正しいってことでいいのかね?」とかって不安になったりするんだけど、まあ置いといて、とにかくマイノリティに乗っかることには、本来危険が伴う。
じゃあ、今回森元氏を擁護していた人たちにその危険を冒している覚悟がうかがえたか、っていうと、あんまりそういう感じもしないんだよな。「まああいつら、まともじゃねえもんな」っていう色眼鏡はガッツリかかってるんだけど、それだけじゃなく、擁護って選択肢が普通に合理的な判断として成立してるっぽい。「ここはしっぽ振っといて全然安パイでしょ」的な感がある。
これは「(私の立場的には)ここはしっぽ振っといて全然安パイでしょ」と補足されるんだろう。政治的にはそりゃそういう判断もあるだろうけど、極論さ、「数字の2は偶数だけど(私の立場的には)奇数です」ってことはないわけじゃない。今回の件って、ある意味森元氏本人の発言以上に周縁部の度が過ぎてるというか、言論って空間において、逆張りするのがそんなノーリスクでいいんか、と俺はシンプルに驚いた。
まあ、会長は辞意を表明されたので、その辺の合理性の判断も実際に正しかったかどうかはまだわからないんだけど、例えば客船が航海中に大洋のど真ん中で船体に大穴が空いて物理的にはこれから沈みます、ってとき、普通は真っ先に脱出しようとするんだけど、「いや、大穴が空いたからこそ頑張って航海を続けてほしい」って船室で言い張ってたやつがいて、そしたら船が奇跡的にそのまま進んじゃって…みたいなことが、計られつつあった(というか、今回は無理かもしれないが、似たようなことはこれまで何回か起きていた)としたら、なんかすげえな、と思った。
…
良識ってやつはたぶん、「いや、あの発言は普通にクソだぞ」ってことをずっと言い続けないといけないわけで、大変だけど大事だよなあ、と思う。
非難というカウンターがないと、奇態な理屈でこねられた擁護ってなんとなく霧散してうやむやになるんだろう。だから、「お前あんときこんなこと言ってたよな。そのケツ拭いてから死ねよ」ってのは前提として大事なんだけど、ここから全然話が変わるんだが、それはそれですげえ怖いことだな、って感じもするんだわ。
それは、健全性をこの社会にもたらすってことの裏表として、悪辣な言動を割りの合わないものにする、非合理的な行為として定着させることがあるからで、それが達成されるまで、いわば双方で自分の主張に対する賭け金を釣り上げ続けてる状態に突入するわけじゃんな。今回の事例は、(俺の眼には)「健全性」対「時代錯誤で調子っこきのジイサン&とりあえず擁護しとけば最後は結局得になるでしょサポーター」って構図に見える。今回はたぶん後者が降参するだろうし、その方がいい。でも、将来的には別の局面で、「おいバカ」「なんだバカ」って言い合ってる状態になって、お互い自分が合理的だと思ってるわけで、それがどっちかが血反吐はいて「すいません、もう勝負続ける体力がありません」って土下座するまで続くのかよ、と思うと、それもすげえな、と思う。
…
いや、なんで体力切れ前提なんだよ、そうじゃなくて純粋に客観的な大義が達成されて悪弊が倒されるんだよ、って反論もあるだろうし俺もその方がいいと思うけど、なんかそう前進的な事例ばっかりでもないっていうか、なんか、最後のゴール地点に到達するまで、どれだけ精神上の流血があるんだよ、と思うと勝手に結構げんなりする。ぶっちゃけ、今回の事例は問題として解法がちょろい方だよな、これ以上の難問、対立を人間の知性は解けるのかな、その論争に参戦するのってお互いに言葉でしばき合うより良いことなのかな、とか思っちゃう。
…
たぶん、俺みたいな「この世に正しさはもたらされるべきだけど僕は疲れるのも自分が誤答するのもイヤなので何もしません!」みたいな連中に負けずに戦ってきた人たちの手で、普通選挙とか女性参政権とかアパルトヘイト廃絶運動とか成されてきたんだろう。後から「お、なんか世の中平等になってんじゃん。すげーな」とか言ってフリーライドしてる立場なので申し訳ないな、ってのと、でも疲れたくねえしな、ってのがいま一人の市民として結構あるな、というのが今回の森元氏の件で思った。
[B! togetter] 「自分は平気だから」という理由で家事をせず妻にも強制しないタイプの夫、かなり多い模様→どうすればいい? - Togetter
y_as ひろゆき「うちの妻は掃除好きなんですよね。僕が嫌でやりたくないことを彼女は好んでやってくれる」妻「好きじゃねーよ!」
sand_land 「自分は気にしない、気になる人がすれば良い、分業、適材適所」と言う人は往々にして、「気になる人」の提供する快適さにフリーライドしている事を自覚した方が良い。
mame_3 「炊飯器に一人分にも満たないご飯を残す」「冷蔵庫の牛乳パックにチャプチャプと音がするくらいの一口分を残す」「使い終わったトイレットペーパーの芯をトイレの中に置きっぱなし」削ってくるよね、こういう人。
dimitrygorodok いわゆるフリーライダー行為だし、家庭内の信頼関係醸成の邪魔にしかならないからいずれは高い代償を払う羽目になるのは明白。
kappateki 会話しろと言われてるけど要求したら平気って言われたんだろうし、要求高すぎるのではってのもこの人の場合ワンオペ育児の「乳児と幼児1人で風呂に入れる」「子守しつつ料理」に手を貸してほしいって程度じゃん…?
camellow これが怖くてルームシェアとかできなかった。トイレも風呂も掃除しなくていいという人と一緒になったらこちらが負けるの目に見えてるから。相手の意も汲む姿勢のある人とじゃないと共同生活はできない。
KoDoKu_Si 発達障害気味の孤独死予備軍男性宅を訪問すると高確率で部屋に虫が湧いているレベルのゴミ屋敷なのだが、話を聞くと「ずっとママ(母親や熟年離婚で逃げられた嫁)にやってもらってた」と口を揃えたように言われる
Aikoku_Senshi 受動型アスペルガー男性のご家族から「結婚後/出産後に豹変した」とよく聞く話で、本人としては「言わなくても嫁がやるのが当然」なのだろうhttp://htn.to/hdqcZEjybHエネルギーを離婚に向けて逃げられる準備を推奨している
diabah_blue うちは家事タスクをやっつけた方が相手の前でポーズを取り「ババーン!」と言っていいというシステムにしてる。自分がしたときは口にすることで満足感が得られるし、してもらったときは感謝を伝える機会になってる。
dogdogfactory 自分もそうだけど、やらない人は気にならないんだよ。ゴミが溜まっても床や換気扇が汚れてても。「家事を止める」をやってもダメージを受けるのは増田のほうで妻じゃない。気になるほうがやるしかないんじゃない?
k-wacky76 「公平感」という名の「どっちが得してる楽してるって発想」してるうちは、永遠にもめ事は解消しないぞ。相手に期待するな。出来るときに出来る人がやればいいのさ
screwflysolver 家事の分担自体より、それについてうまく話し合えない(増田の関心事を妻が蔑ろにする?)ことが不満なのかなとゲスパー。「私はやりたくないから君が全部やって」って言われちゃえば逆にスッキリしたりして。
zataku 「ちょっと手伝ってー」や「(今日は)自分がやるね」「ありがとう/ごめん」等日々のやり取りが気軽に出来ない状態なら、コミュニケーションが上手く取れてないかも。あまり重く考えずに軽い声掛けから初めてみては
hara_boon よくある相談の男女が逆になったバージョンぽい。結局家庭によるがFAなので、周りがどうとか考えずに夫婦間で話し合うしかない。結局気になる側が損するので、どこまで妥協できるか、を探っていくしかないと思うな
kawacchosan 同じような悩みを持ってて、同じように昔増田に書いた。あれから数年経ったけどあんまり解決してない。人は変わらないので、得意不得意で分業していくぐらいしか思いついていない。一緒にがんばりましょう
kitayama 多分だけど、綺麗さのレベルが違うんだろうな。ゴミ一つ落ちてないか、散らかってても気にならないかとか。そこ話してみてはどうだろう。
woodnotexx 精神論になってしまうが「すべての家事は自分でやる」と思い込んだほうがいい。妻に頼む気遣いややってくれないときの苛立ちというストレスがなくなり、月に一度でもゴミ出してくれたらありがたく思えるようになる
ameshonyan そんなに家事してもらいたければ家事好きな人と再婚すれば?としか言えないな。30年そうやって生きてきた人はもう変えられない。
そして、これらのうち重複するのは(つまりどちらの記事の人気コメにもスターをつけていたのは)以下の140人だった。
全体が952人のうちの140人なのでわずか14.7%である。
aco0, agnusdei28, aki-akatsuki, AKIMOTO, am1130pm2330, amtmt, ardx, Arturo_Ui, atahara, baronhorse, Baybridge, catryoshka, charleyMan, chuff_chuff, damedom, differential, dimitrie, drunkghost, dusttrail, eartht, emmie714, everybodyelse, ewiad420, ezmi4, far_niente, fried-tofu, fu_kak, furseal, gdsk, ghosttan, gorokumi, grandao, graynora, grisella, h1roto, hara_boon, haru-k, hatechan09, hinatadegorone, hirarino, hiSAtO, hitoyo14142, hogetahogeko, honeybe, hryord, humid, ipinkcat, ippeichangg, irasally, itacon, IvoryChi, Jinmen, kagecage, kanagawakama, kanicrap, kaorm, kareha98, ken-baan, khtokage, kico_wm, kidspong, kogumatan, kokekokekoke333, kpen, kumpote, kuniku, kuroi122, lavandin, layback, m4i, maaaaago, mak_in, mamikri, maroon, mawhata, MIchimura, MiG, Mikael4747, mimo_duck, misomico, mkotatsu, moandsa, mobile_neko, motiri007, mrescape, msdrmgmg, mtmt_id, nacady, neko_no_muzzle, nekowolf, Ni-nja, nicoyou, nippondanji, nobori_lupin, north_god, octa08, otsuno, Outrast, p-2yan, pandachoco, pandaman47, pega2s, pikopikopan, piripenko, plutonium, praty559, red_snow, rgfx, sabacurry, sachi_pop, saori-yamamura, sato0427, satovivi, shields-pikes, smallpalace, sociologicls, solailo, srng, straight_hair, susuharai, tapi423, tarako3016, tea053, tkggohan, torico16, tsubaki315, utabuti, uunfo, vkara, vlxst1224, wa_oga, waihasaruya, wantocat, white_cake, white_rose, wisboot, wuzuki, yamasei03, ykkkws, yumenoa
もちろん、この140人だって即ダブスタと判断できるわけでもない。
この二つの記事の人気コメントは、単純に正反対の内容というわけではないからだ。
真のダブスタはてなーをあぶり出すには、さらなる精査が必要となるだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1662758
家事といっても色々あるが、一番議論になるのが掃除だと思うので、掃除に絞る。
俺もまさに、妻と俺との間で価値観のギャップができており、お互いに不満がある状態だ。
まず、仮に部屋の汚れ具合を10段階に分けて考えてくれ。
この時、レベル1をすでに「汚れている」と感じる人と、5くらいで感じる人、
10になってようやく感じる人など、この価値観は完全に個人差がある。
男女では女性の方が綺麗好きなイメージはあるけど、そこも個人差あるだろう。
しかし、おそらくその価値観は自分の生育した家庭環境・しつけによるところが大きい。
親が5で掃除する家で育てば、子も1〜4は掃除しなくてもいい、と自然に認識して育つ。
もちろん、1でも気にする人は神経質、10まで掃除しないのはズボラ、といったような世間一般の評価はあると思う。
しかし、必ずしも1や2で掃除する人が偉いというような論調には反旗を翻したい。
妻が2で掃除するなら、6で掃除したい俺は「フリーライド野郎」なのか?
そんな意見には納得できない。
だったら、間をとって4で交代で掃除すればいい。
しかし、この手の妥協案で2を求める側が納得することは少ないと思う。
何故なら、俺にとっての掃除は6の状態を3にすることなのである。
これを埋めるのはなかなか容易ではない。
もちろん、この件に関して数値の低い状態を保ちたい側が損をしていると不満を持つ気持ちは理解できる。
しかしやっぱり、それを保ちたいのはあなたでしょ?であれば基本そのコストを払うのはあなたであるべき。
何故なら自分は6で何不自由なく育ってきたわけだから、2で育てたいというのは妻側のエゴ。
もちろん、6→3で暮らしたいというのも俺のエゴだから、そこは話し合いで妥協点を見つけるべきだとは思ってる。
ただ、数値低い方が偉い、子供のためだから正義、という無条件の価値観の押し付けはおかしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1662758
「「自分は平気だから」という理由で家事をせず妻にも強制しないタイプの夫、かなり多い模様→どうすればいい? 」の上位ブコメ。
・・・と、すべてが「家事をしなくても平気な夫」を責めるブコメばかりがスターを集めてて、上位以外にも家事をしない夫を批判するブコメだらけ。
いっぽうでつい半月前の
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210114084501
「夫婦関係のこと・いろんな意見を聞いてみたい」での上位ブコメを見ると・・・?
気になる側が損するので、どこまで妥協できるかを探って
多分だけど、綺麗さのレベルが違うんだろうな。
・・・と、「気の持ちようだ」「気にするからだ」「自分が家事を全部やるつもりでいろ」等、悩んでる夫の責にする全く逆のブコメばかりがスターを集めてて、あげく集中砲火浴びた夫増田は謝罪にまで追い込まれてる。
なんで同じ悩みに対してこんな真逆の論調になるんだろう?と2つの内容を比べると、性別が違うんですね。
性別が入れ替わっただけで、たった半月の間にこれだけ論調が変わるわけですよ。
特にクソなのが
上では
「会話しろと言われてるけど要求したら平気って言われたんだろう」「言われたんだろう」「だろう」
と「妻は夫に要求したけど拒否されたんダー」と家事しない側(夫)が悪いと妄想してるのに対して、
下では
「うまく話し合えない(増田の関心事を妻が蔑ろにする?)ことが不満なのかなとゲスパー」
と「夫がうまく妻に要求を伝えないから悪いんダー」と家事してる側(夫)が悪いと妄想してるブコメにスターが集まってること。
勝手に妄想してとにかく夫の責にしたがる様があまりにもクソい。
とにっかくはてなーって、男が悪い・女は悪くない、男を叩いて女は擁護の結論ありきなんだよねぇ。
上と下の上位ブコメそっくり入れ替えてみろよ。どんなにクズいこと言ってるかよくわかるから。
しかもこいつら普段は「男女平等」だのと平等主義者を装ってる・・・もしかしたら本気で自分を平等主義者だと思い込んでて自分の差別愛好性に気づいてないのが恐ろしい。
ここまで言ってもまだ色々言い訳して逃げようとするんだろうな。
いつもの茶化し、些細な誤字指摘、 大喜利、スルー、そんなとこで。
自分が性差別主義者だと自覚したうえで差別発言してるなら、改善の余地があるからまだいい。
明らかに矛盾した言動をしてるのに差別主義者だと自覚してない、指摘されても目をそらして耳をふさぎ自覚したがらない人間は改善の余地が無いから本当に邪悪。
お前らのことだぞ、はてなー。
「ブクマカは一人じゃない」「意識共同体じゃない」とか言ってる人、俺は「上位ブコメ」の話をしてるんだぞ。スター(支持)が集まる傾向が対象の性別によって真逆になるって話をしてるんだ。
そういうとこだぞ
「上位ブコメがそうなったのは偶然、たまたま、タイミングの違いだ」みたいな意見があるので参考1
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201122013307
参考2
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/78575
ざっと見ただけで過去にも同様の「女に甘く男に厳しく」のブコメ欄が何度も繰り返されていて、とても「偶然・たまたま」とは言えないんだよねぇ。
偶然・たまたまなら、男女逆の「男に甘く女に厳しく」のブコメ欄も同等あるべきだが、無いんだよこれが。
あきらかに「女に甘く男に厳しく」の偏り・バイアスがかかってるんだよね。
今更だが「同一人物の2つのブコメが矛盾することだけがダブスタだ」と狭く捉えるブコメが多い。
夫の「妻が家事をしてくれません」に『お前がやれ』とわざわざ言いに来るような奴が
妻の「夫が家事をしてくれません」に『お前がやれ』とは言いに来てない
妻の「夫が家事をしてくれません」に『大変だね可哀相だね』とわざわざ言いに来るような奴が
夫の「妻が家事をしてくれません」に『大変だね可哀相だね』とは言いに来てない
コメントしたらダブスタになると自覚してるからこそ黙ってるに過ぎない
逆にダブスタじゃないと自覚してる者だけが両方にコメントを残せる
両方にあるコメントだけ比較するのは生存者バイアスのような歪みを生んでる
追記があったけど、一番知りたかった「なぜ本人にやらせないのか」がわからなかった。ほっといたらやらずじまいで、注文した品物が届かずに終わるとしても、夫のお金で夫が買って夫が損するだけのような。(夫婦の収入は共同財産→自分の損という考え方もあるけどね)
損と言っても、高価で届かないと直ちに困る洗濯機とか冷蔵庫とかじゃないし…
とは言え、身内に増田と似てる、何でもサッと対処する人がいるので、対処しない様子を見るのがイライラするんだろうなと想像はする。
そういう人の周りには自分で対処しないで、ほっといたらやってくれるのにフリーライドしてる人もいる。
自分も先送り癖があるので、サッと対処する人が近くにいる時は凄く緊張して、絶対にフリーライドしないように気をつけている。多分、こちらの能力が低いので、凄く気をつけてても気付かないうちに対処してもらってるだろうから感謝は忘れない。が、その人がそばにいないでダラダラうっかり先送りして少額の損してるときは気楽なのも事実。
人生ままならぬ。
トラバはしない。
増田とはリスクの考え方が違うから、利益の考え方も違うんだな。自分にとっての利益は増田にとっては利益じゃない、それだけだ。
前提として、交通事故が怖いから車に乗らないとは自分も思わない。だが、交通事故に例えるなら、生きて生活することはすでに車に乗っている状態だと思う。交通事故のリスクを下げるために安全運転するのが、コロナのリスクを下げるために自粛するのに相当する。
まず、
若い人はかかりにくく症状が出にくいと言うが、何%かはかかるし何%かは症状が出たり、重症化したり後遺症が残る。自分が当たらない保障なんかない。かかった若い人だって「まさか自分が」と思っただろう。宝くじで5万円当たった事があるので、コロナだって当たるかもしれない。0.02%のガチャが出るまで引き続けて当てた事もある。感染者が増えればガチャ試行回数が増えるのと同じで、コロナに当たる事もあるかもしれない。
また、
自分が自粛することで、感染拡大がわずかに抑制され、自分が感染するリスクもわずかに下がるはずだ。
第1波と第2波が収まったのは、非常事態宣言での行動制限と、お盆休みで会社は休みだが帰省した人は少なかったからだと思っている。増田は違う意見かもしれないが。
大勢が同じ行動をすると大きな効果が出る。今のところ、それなりに大勢が自粛すると、それなりに効果が出ているのだと思う(それでも酷い状況だが)。大勢の人と書いたが、個々人がやっているのは1人が自粛する事だけだ。
だが上記2点はただ、「自分はそう感じる」というだけだ。増田はただ、「そう感じない」というだけなんだろう。
自分が上記のように感じるのは、自粛が苦ではないせいもあるだろうと思う。自粛にデメリットがなくメリットがある。苦だったらまた別の感性で別の理屈をひねり出していたかもしれない。
増田を「自粛してる人にフリーライド」と批判する人もいるかもしれないが、自粛しない人(自粛のメリットよりデメリットが大きい人)はある程度必ず社会に含まれる「織り込み済み」の要素なので、気にしなくていいと思う。
ただ、自粛する側としては、
「フリーライダー含めた社会全体の、感染拡大阻止してんだぜ!老人や病人や、自粛できないエッセンシャルワーカーも、自粛しない選択した人もみんなまとめて俺が守ってるんだ!俺SUGEEEE!」
とドヤ顔を心の中でするくらいはいいんじゃないの、と思っている。
(トラバはしない)
二期の告知がでてからアニオタ内で「あのラブライブの2期」みたいに騒がれだして、「なんかそんなんあった気するけど流行ってたの?」って思ったもんだよ。
円盤の売上とか知らねーし。一期放送時の2013年ってまだ「みんなご存じラブライブ」って感じじゃなかったような…リアタイだとたまこまーけっとのほうが話題になってた印象がある
で、まあ「それは僕たちの奇跡」がオリコントップ3とかになって驚いた。
一期でエモい青春群像劇みせてオタコミュニティ内で盛り上がりが過熱していたところに曲を投下したら見事にスマッシュヒットしたって流れが、Nizi Projectが終わってから「Make You Happy」でブームを世間に周知させたのとなんか重なる。
あのころローカルアイドルや地下アイドルのムーブメントを反映してアイドルを取り扱うドラマやアニメが散見されてたから、ラブライブもその一つとしか思ってなかった。
アイドルが飽和してどんどん奇抜な方向に流れていた時代にラブライブが流行ったのは、シンプルな成長ドラマとそのハイライトとして歌唱シーンを使用することで楽曲と物語の相互作用を図った点が見ていてわかりやすかったからだと思う。
アイドルブームも今は昔で当時勢いのあったグループが続々となくなる今、真っ当にかわいくて前向きであることを前面に出すNiziUの原点回帰的なコンセプトはなんかあのころに似ている気がする。
まあバックストーリーを売りにするのはかつてのモーニング娘。やAKB、ももクロもそうだったんだけど、「あどけない女子が一つのグループとなって活躍する」ってだけのシンプルなストーリーを1クールのテレビ番組としてパッケージングしちゃったってところで、これラブライブの感じに近いんじゃないかって思う。娘。やAKBは一筋縄じゃなかったし、ももクロの物語はあくまでメンバーの発言やファンの口コミでしか存在しなかった。
でも、そう考えると生身の人間の生き様をこんな風に消費しちゃっていいのかっていうリアリティショーへの疑問も当然感じるんだよね。
NiziUは古くはアクターズスクール、今でいえばTWICE等のK-popといった、ローティーン女子が主だった支持層になるタイプのグループだと思う。
ダンススクールや雑誌モデルに憧れる延長上にいるアイドルの系譜な。
そういった方面を意識し一時代を築いたE-girlsが2020年12月に解散。またNiziUと同じく韓国芸能事務所が協賛するオーディション番組発のIZ*ONEも今年4月で活動終了。
ファン層が被りそうなグループの終焉とデビューが重なったためにそれらのファンからの注目を集められたことがヒットを加速させたと思う。
そうはいってもNiziUは洗練されたK-popを歌い踊るのに、発展途上にある粗削りさや初々しさを売りとする極めて日本的なキャラクター像ももっている。
八頭身美女やいかついアイメイクのラッパーが一瞬の隙もないパフォーマンスやトークをするようなのがこれまで日本で話題になったK-popアイドルとすれば、それまでなかったような柔らかさをNiziUからは感じる。
その日韓エンタメのハイブリッド感が新しいし、それが日本の大衆にうけている一番の要因かもしれない。
個人的にはモーニング娘。とNiziUってそこまで被らないと思う。
今の娘。はベテランで洗練された9~11期メンバーとフォトジェニックな12期~14期、新人の15期という世代間でのカラーの違いがあって、それぞれのジェネレーションの交わりが垣間見える。
そして意外と今のハロプロには隙はない。研修生上がりとそんな連中に圧倒されない子で各グループが構成されているのでデビュー時からタレントとして完成されている。
もはやモーニング娘。は「あのポンコツがこんな立派に成長しました」というような見方をするものではない。それは道重さゆみの卒業で終わった。
つんくが癌で一線を退いたあたりから心なしかハロプロにおけるオーディションのあり方は変わった。それがいいとも悪いとも思わないが。
芸能経験に乏しい子がスターダムを駆け上がる成長ドラマの一面があるNiziUとは対照的である。インタビューでもはにかむばかりで月並みなことしか言わないNiziUの様な初々しさは娘。にはない。
NiziUがジャイアントキリングを目指す新興クラブならモーニング娘。は伝統あるスポーツ強豪校のような魅力じゃなかろうか。
毛色が違うので両者は共存する…というかハロプロ好きはかっこよさやかわいさを評価しているのではなく”ハロプロらしさ”を支持している奇特なオタク共なので、いくらNiziUが魅力的でもそうは簡単になびかないと思う。岡村靖幸のファンが久保田利伸にフリーライドしないのと同じだ、「縄跳びダンス」程度の奇天烈さで彼らは満足しない。
おうワイがしっかり差別してやるわ
家族側がクソだとしてもお前自身が恥ずかしくない人生を送ってるなら、落ちぶれているとしても、家族がクソだからこそマウントがとれるわ。
恥ずかしい人生を送ってる分際で恥ずかしがりたくないとかクソかよ。
役所は役所だからそんなクソなんか居ない前提で運営してるけど、クソにいい思いさせないからって役所が愚かってことにはならん。
むしろクソが無限にフリーライドでいい思いをしないように、確認作業をいれていくのが役所の仕事だ。
常人ならば超えれるハードルぐらい超えてくださいね、とお前は言われてるの。
それができないでゴネだすんだからな。
ほんこれ。
自粛でコトを収められれば人権制約も少ないまま、将来的な経済的コストも安上がりで済むんだけど
といって増田のように既存の社会保障制度や治安維持にフリーライドされては社会が持たない。
効率を重視すれば中国みたいに人権抑制が強まるし、自由に全振りすれば社会保障が底抜けになる。
そして我々民主主義国家では自由に全振りする権利も留保されている。
特に年金なんかは世代間扶養方式だし、若い人は放り出す方にインセンティブがあるんだよな。
その結果アメリカのような、ある種の修羅の国になるわけだけど、そちらを国民が選ぶのならどうしようも無い。
ほんとどうしたらいいんだろうね。
https://anond.hatelabo.jp/20210111000145
30代です。これへの反応を読んでびっくりした。
本当に自粛している人・自粛することで悩んでいる人っているんだな…。
自分はインドア派だし文化系。飲み会したい!とかでも全くなくて、酒の場は苦手。
でも老人や自分のことを「普通」と思っている人ばかりの排他的な今の社会が嫌い。親とも縁切っちゃった。だから他人のために自粛してやる義理はないと思ってる。
年収は1本ぐらいある。風俗とか水商売ではなくて、Web系の仕事に従事。けど税金は最低限しか払ってない(消費税ぐらい)。社会に対してフリーライドしている自覚はある。
でも税金ちょろまかしていることは公言してなくて、普段はすごい小市民感出してる。
最近は医療従事者の友達に、「ありがとう、本当に大変な時期だけど頑張ってね(何ならお互い頑張ろうねとか言っちゃった、売上上げる以外に自粛一切頑張ってねぇわ)」とか言ってギフトとか送ってあげたりしてすごい喜ばれた。
でも自分はそういう、手の届いて実感のある程度しか優しくしてあげたくないんだよなぁ。
もっと大きな社会と関わったこともあるけれど、「30代自営業独身」みたいな属性って、何ならコロナ前は独身税の議論がされていたぐらい社会の味噌っかすだからなぁ。今更、頼られてもって感じだよな。
今の世の中を見ていて、自粛云々で悩むのが一番ストレスフルで、自分が満足するように振る舞うのが一番ストレスないと実感しているよ。
今時期に「自粛することでベッドを圧迫しなくて済んで自分が万が一の時に死なない可能性が上がる」って寝言言ってる人、もう東京ではそういうフェーズ過ぎてるから。。。
今なんて都心住まいで車持っているので、どこに行っても空いていて最高だよ。もちろん横浜・熱海ぐらいなら越境するよ。越境して食べるハングリータイガーうめえうめえw
水族館、映画館、お笑いライブ、音楽系ライブ、深夜のクラブイベント、普段なら予約の取れない飲食店、そういう店のテイクアウトなどなど…開けざるを得ない店はみんなマジで感謝してくれるし歓迎してくれるよ!
行ったお笑いライブなんか、公演終わりのカーテンコールで主催者が「この時期来てくれて本当にありがとうございます」って言って泣いて感謝してくれた。
だって国が補助出してくれない限りは、みんな売り上げるしかないもんね。
でも自分、すっごい風見鶏なので、「社会のルールなんて違法にならない程度で破ったもの勝ちだ」という世の中から「社会のルール守ったらトクだな」と思ったらすぐにそうすると思う。そして色々出掛けていることはSNSには絶対に書かないなあ。でもみんな若い人遊びまくってるよね〜実際。
先週も下北沢でこれから飲み会って感じの若者たちがウコンの力買ってて、元気だなぁwって思ってた。いま東京ってそんな感じだよ。先日はバスにノーマスクじじいがいてさすがにすごいビビったけど。
この10年ほど、「社会のルールなんて違法にならない程度で破ったもの勝ちだ」って国のリーダーが率先して示してくれているのに、なんでみんな見習わないのか分からない。。。
依然ルール破った人勝ちの世界が続いてるけど、あなたまだああいう政治家の実績作りのために、知らん老人のために、知らん人のために自粛するの?
でもコロナに罹ったら医療従事者の友達のツテを頼って大病院に入ってバッチリ処置は受けると思う。
今はもう、都民を巻き込んだロシアンルーレット状態だから、自粛していても、1回のコンビニ・スーパー来訪で感染する人もいれば、そうでない人もいるしね。
だからもう、みんな1回は罹る前提で考えたほうがいいんじゃないかな?自分はそうしてる。
気をつけて自粛して、1回スーパー行って感染するよりは、好きな所に好きな時間に行って好きなことして罹ったほうが後悔ないでしょ。
あと、新宿伊●丹って毎日コロナ罹ってる人出てるけど、あんまり公表していないように、大きい箱モノ系施設の人は、もう罹っても言えないフェーズに来てるから。うちの恋人も、そういう系のところで働いてて去年の春に39度の熱が出たけど「自分がコロナだったら自分のせいで全館閉鎖って責任取らされるから病院には行かない」って言って報告もせず病院にも行かずに家で苦しんでた。まぁ正解だと思う。
かく言う自分も去年の初めにずっと熱が出て、咳が2ヶ月ぐらい止まらずにいたけど病院には罹ってない。ふたりとも自力で治したよね。っていう感じで、罹ってる人は多分いま発表されている人の3倍ぐらいはいるんじゃないかな?
自分の周りでコロナ陽性まで出た人何人かいるけど、みんな会食とか飲み会とかクラブでDJしてるんだよね。
だから食事だけ気をつけてりゃいけるんじゃないのかな?って思ってる。外出を控えるとかは無駄に思えるね。
私は平均年収1000万近い大手SIerで部長職をしている。最近課長以下を含む30代以下の若手が「こんなご時世だしテレワークを」と言い始めた。
もちろんコロナの関係でテレワーク推進はわかる。ただし、そもそも「テレワークをしたいだけの人」なのか「このご時世なので次善の策がテレワークに過ぎない」のかによってその人のビジネスマンとしての一流度合いがはっきり分かれることに気づいた。その理由を以下にあげる。
結局テレワークしたい連中というのは家でサボってスマホでもさわっていたいというのが見え見えである。一方で出社という緊張感を仕事のモチベーションにうまく変換できているようなメンバーはテレワーク推進下にもかかわらず万全の対策をした上で出社によってメリハリを付けて、最低限のテレワークで済んでいる。もちろんサボっているようなメンバーには折を見て電話をかけるなどして緊張感の維持に努めているが、やはり出社して自分から仕事の申し出をするようなメンバーとは差がついてしまう。
テレワーク派がよくいう「集中できる環境で仕事に没頭できるため生産性が上がる」という意見は大間違いである。そもそも一人でプログラミングしているような作業は生産性が高いように見えて単なる自己満足にすぎない。一番の生産性というのは会社の利益であり、結局は顧客の元に足繁く通い仕事をとってくることに尽きる。それができない人材が結局プログラミングのような誰でもできる単純作業を任されるだけであり、その人の生産性というのはたかが知れている。
平社員は一人分の仕事をすれば十分であるが、管理職になると組織として利益を上げることを求められ、目標となる数字は平社員の10倍や100倍となる。参考までに私の半年間の目標値は30億ほどであり、課長職でも3億程度は要求している。30億という数字は実に平社員の200倍以上である。テレワークとはこれだけの生産性を要求される管理職の時間を奪うということを意味している。たかだか年間1000万程度の生産性の人間が3億の生産性を上げる人間の時間をより奪う行為というのがどれだけ犯罪的かというのがわかるだろう。そして一般にテレワークを好む人間は平社員に多い。つまり役に立たない人間が一流ビジネスマンの時間泥棒をするだけの行為なのだ。
おそらく3流ビジネスマンが図星を疲れてあーだこーだ反論してくるのは目に見えているが、テレワーク推進派はこういった生産性の高い人材にフリーライドする傾向があり、一流ビジネスマンの人々は内心「うんうん」って思った人が多いのではないだろうか。
- 以上 -
なんで政治家から一般庶民まで会食や旅行や映画や初詣をやめられないのか分かる?
それは人間関係を維持するコストを払わないやつは差別されるからだよ
頻繁に飲み会してる連中の輪に、飲み会を一切しない人間が入ろうとすると露骨に嫌われる
人間関係を維持するコストを払ってないのにフリーライドしようとしているからだ
まあ卑怯者なんだよな
自分は金払わないのに「あの人はどう?」とか「あの店どうだった」とか「あの映画どうだった」とかタダ乗りだけしようとしてるんだから
増田みたいな限りなく無意義な、でも無料のもので時間を潰すことより
金払って映画行くとか、金払って外食するとか、金払って趣味でも作った方がいいのかもしれない
ただ、金を使って有意義とされることに取り組むと、使った金がなくなる
金は使い始めるとあっという間に減るものだ
だからできるだけ使わない方が良い
金を使わないことによって、金を稼ぐ必要がなくなる
が、自分が買い支えなければならないと思うほど必要なものは無い
こうして、娯楽に金を使う誰かにフリーライドして生活必需品だけを買い、老後のために貯蓄し、最低限の労働で生きることに、自分自身意義を見出せているかと言うと、全く見出せていない
じゃあ金を使えば有意義になるのだろうか
きっと金を使って得られるのは、お客様として承認されることで満たされる承認欲求だけだ
ドルオタは金を使ってドルオタというアイデンティティを買い、ドルオタとして存在する事を認めてもらっている
そこでこう思う、では社会参加することを有意義だと思わなければそれで済むじゃないかと
金を払って承認欲求を満たすキャバクラの客のようなことをするは虚しいことだ、そんなの必要ないと思えば、お金を払わずに済む
働かないこと、余暇を生むことを最優先し、結果生まれた余暇もまた「金を払わない」ために無為に過ごす
なんと無意味なことだろう
しかしこうも思う
お金を使って意味のあることをしなければならないのではないか、そのために労働な汗を流したほうがいいのではないかという焦りを感じるのは、資本主義に翻弄された考えに過ぎない
金を沢山稼いで沢山使うこと
金を大して稼がず対して使わないこと
両者に優劣はない。どちらもただ生まれ死ぬだけまでの通過点に過ぎない
こうして考えることもまた無駄なことだ
この年末年始にひとつも商売のことを考えない人は小売業に向いていないし、
この年末年始にひとつも建築のことを考えない人は建築業に向いていないし、
この年末年始にひとつも金融のことを考えない人は金融業に向いていないし、
この年末年始にひとつも客のことを考えない人はサービス業に向いていない。
とは言わないのに、なぜIT系エンジニアだけそう言われることが多く、しかも一定の妥当性を認めてしまうのか。
それはIT産業が、従事者の好奇心にフリーライドして成立している業態だからに他ならない。
そう考えると、他にこのような言説が成り立つような業態は全て、従事者の好奇心・嗜好性・サービス精神・使命感・自尊心・ほか色々なものにフリーライドして支払うべきコストを支払えていないと言えないだろうか?
たとえば、
この年末年始にひとつも医療のことを考えない人は医療従事者に向いていない
この年末年始にひとつも子供のことを考えない人は教育者に向いていない
この年末年始にひとつも学問のことを考えない人は学者に向いていない
この年末年始にひとつも絵を描かない人はイラストレーターに向いていない
この年末年始にひとつも筋トレをしない人はスポーツ選手に向いていない
この年末年始にひとつも練習をしない人はピアニストに向いていない
この年末年始にひとつも小説を読んでいない人は小説家に向いていない
成立していると思うなら、その業種についてフリーライドを認めていることになると思うが、どうか?