はてなキーワード: フリーライドとは
現行制度は貧乏人ほど公共サービスを他人の税金にフリーライドする構造になっている。
これがベーシックインカムになると一定以上の富裕層が本来必要もないキャッシュバックを受けた分、
貧乏人がフリーライドできていた部分が必然的に削られることになる。
ベーシックインカム推進派は一律支給による行政コストの削減によって金持ちにへの不要な支給分は相殺できるというんだが、
そのへんは具体的な試算も根拠もなんもないただの願望。
生活保護は地域によるけど単身10万円以上の保護費がでることからすればベーシックインカム7万円ではとても足りない。
ではインカムを10万円以上にするのか?それとも生活保護制度と併用するのか?その場合は財源はどうするのか?障害者福祉は別枠にするのか?
既存制度と併用した場合一律支給による行政コストの削減はどこにいくのか?ベーシックインカムを使い切って食い詰めた人は見捨てるのか?
もろもろ考えたら、あるところからごっそり金を取って、ないところに手厚く撒く現行制度のほうが貧乏人や弱者にとっては得なんだよ。
ベーシックインカム肯定派に富裕層やネオリベが多いのはそういう理由。
定額支給で弱者を見殺しにする制度のほうが強いやつにとっては都合がいいからな。
本当に貧乏人のこと考えるなら政府には累進課税を強化して富の再分配をうながすよう求めるべき。
所得税法人税が高いと金持ちや企業が外国に逃げて経済と雇用が死ぬなんて言い分を真に受けてたら格差拡大に歯止めがかからない。
全国的知名度のあるタレントAがとある地方でやっている番組ですが、番組内で勝手に鬼滅の聖地認定しはじめてました。
企画の趣旨としては「鬼滅の刃の聖地『っぽい』認定」ということで
公式とは無関係ってことアピールしてるつもりなんだろうけど、そもそもAになんの権限があるんでしょう?
最近アニメにハマりだしてファンからおもしろいアニメ情報をきいてたくさん観てたのは知ってるから、ほかの芸能人とは熱量が違うのは知っています。
ちょっとアニメにハマったら通ぶるのもよくある即席オタクの特徴だから、かわいいもんだと思ってました。はしゃいでるなって。
レイヤー向けに撮影にぴったりなロケ地や観光スポットの紹介ならわかるけど。
調子に乗りすぎじゃない??
呪いとかいうワードチョイスをしている辺り増田も内心では自覚しているんだろうし、酷なことではあるけれど、嫌ならデメリットを甘受してでも「私の作品は二次創作禁止です」って言わなきゃただの我儘でしかないよ。
結局なんで『二次創作を許容しなければならない空気感と文化』ができたかと言えば、個々人で見れば増田のように嫌だと思う人がいても、全体で見ればそういう文化があった方がプラスになるからだよ。
増田が人の作品を勝手に使って二次創作している奴らのことを思ってやる必要はない。
だけど、そうした二次創作を上手く利用して宣伝をしたいと思っている出版社や、二次創作からプロへの道を拓いた同業のクリエイター、二次創作が副収入になってなんとか食いつないでプロをやれているような駆け出しクリエイターのことはどう考える?
増田一人が自分が権利を持つ作品に関して「嫌です」と言えば良いだけのことのために、そうした人々を巻き込んで文化全体をまとめてぶっ壊したいという願望が、増田自身は正しいものだと思っているの?
別に今、増田が行っている方法以外でも創作物を発表することはできるのに、増田は二次創作を許可しないといけないような文化圏の中で発表することを”自分の意思で”選んだんでしょ?
その文化圏の中で作品を発表することのうまみ(商業的利益とか)を得ておきながらそこの文化に反するのはフリーライド的な考え方なんじゃないの?
まあ、ワイは大学を機に上京したから出身の地方から見たらそう見えるかもしれないな。
幼稚園、小学校、中学校は私学だったので、県のお金を使ったのは高校だけと言えなくもないかもしれないけれど。
大学は公立で大学院まで行ったけれど、その辺は稼いだ分が国税に吸われてるからフリーライドでもなくないか?と思う。
それを言うなら、大人になってからは稼いだお金が国税にとられ、地方交付税交付金として出身地方に配られているはずで、言うほどフリーライドではないと思う。総務省には人の金使ってて偉そうな顔すんなよって思う。
学費を幼稚園から大学院まで払ってくれた親に別に仕送りとかしてないのでそこもフリーライドっちゃフリーライドだね。
ただ、「うちの子〇〇に通ってるの」だの「うちの子〇〇で働いているの」だの言えるようにしたのでその分はお互い様だと思ってる。未婚の兄弟とか院生のころのワイとかを表に出すのを露骨に嫌がったのを感がえると、そういうことを言える分だけ投資分回収しているだろって思う。
まあ、この手の問題は女性が就労し始めたあたりから分割して統治せよがずっとされている感じがするけど、今回もそれな。
正直、特別給付金がなくなることに反発を覚えたけれど、夫婦合算での計算になるというのに溜飲を下げた自分がいる。
ここ最近はずっと専業主婦という無償労働者の立場を弱め、鞭を打つような政策ばかり打ちすぎた。
格差が問題だと言いながらも、高所得者の配偶者に稼ぐインセンティブ与える政策はどうなんだろうと思ってた。
何かあれば「私は仕事があるから」と逃げる地域活動やPTAをフリーライドしている我儘なワーキングマザーにイライラしてた。
鞭を打ちながらも実働部隊が専業主婦というPTAやら地域活動やらに余計な仕事を押し付ける行政にも疑問を感じていた。
github見ると中国語だけのプロジェクトもあるし、実際、中国語で検索をかけると色々と出てくる。
Web系のもあるが、元が英語しか対応していないアメリカ産より、中国語だと最初から漢字を使ってもデザインが崩れないようになっているので、
本来は日本で使うには相性がいいと思う。(信条として使いたがらないのはわかる
一方日本はというと、日本でもオープンソースがもてはやされて流行ったが、日本の中でも使われない。
アメリカのプロダクトより高速といったことをしても、おそらく使われない。
デファクトになっているのを使うと習慣はあるが、アメリカはデファクトであると見せるのは上手い。
海外の方が進んでいて、日本は常にキャッチアップという習慣もあるだろう。
それよりも、何より、それ使って俺が儲けられるの?ってのが強くなってきたように思う。
フリーライドして稼げるか。
ATSUGIの件、完全にしっくりくる説明が見当たらなかったので(あんまり探してないけど)、自分で書くことにした。
あれって客体化の話なんじゃないの?
「タイツ」自体の魅力ではなく、「タイツを履いた女性」の魅力を描いたから反発を招いた。ATSUGIは「タイツを履いた女性」を売ってるわけではないし、ATSUGIの顧客は「タイツを履いた女性」を買っているわけではない。「タイツを選ぶ女性」が顧客なのだ。買う主体であるはずなのに、買われる存在として描かれちゃったらそりゃ反発はするだろう。
というところまではたぶんこれまでも言われてることだと思うんだけど。
私が違和感を覚えてるのは以下の2つです。
1.ATSUGIのタイツ萌え絵が批判されていることは、私のタイツ萌えも否定されている/他人のタイツ萌えを否定していい。
2.これはマーケティングの失敗であって、フェミニズムは関係ない。
1.ATSUGIのタイツ萌え絵が批判されていることは、私のタイツ萌えも否定されている/他人のタイツ萌えを否定していい。
そんなわけないじゃん。
ということもそれなりに言われていると思いますが、ここは強く否定したいところなので改めて言っておきます。
問題なのは、ATSUGというの企業が公の立場で顧客というタイツを履く現実の人々に面と向かって、タイツを履いている女性に性的な魅力を感じていますって言ったことですよね。まあ「性的な魅力」と感じるかは人それぞれだとは思うんですけど、私は性的に魅力的な絵が含まれていると思ったよ。特に公式ツイッターの推しの絵師さん?の絵のあのタイツの透け感、めちゃくちゃ魅力的だなと思った。
まあでも公の場で人が人に性的な魅力を感じていますと言うのは良くないんですよ。公の場で女性におっぱい大きいねとは言わないし、男性の乳首がTシャツに浮いててエロいなと思ってもエロいですねとは言わないでしょう。私は言うよ!っていう人がいたらちょっと考え直した方がいいと思うな。ピンポンダッシュで度胸試しするイキリキッズと同じようなもんだと思うよ。
ただ、私的な場で同好の士と楽しむ分には何の問題もないと思います。TPOを弁えようってことよ。欲望の主体には男性も女性もなったっていいし、そこには性的に見られる客体が存在する。その客体が、互いに同意の上で欲望をやりとりする相手なら何の問題もないけど、望まれていないのに一方的にぶつけるのは暴力ですよ。異性間でも同性間でもね。でも、直接ぶつけるわけじゃなくて、こっそり楽しむ分には責められることは何もないじゃないですか。そんなの自由だし抑えられることでもないじゃん。
ただ、インターネットって公私の区別がつけづらいところだし、オタクって身内ノリで暴走しがちだから、気をつけないと人を傷つけることにつながってしまう。これは自戒をこめて。私は今はTPOを弁えて発言には気をつけようと思ってるけど、若いころはイキリキッズだったなという反省もあるし、ときどきこの表現鍵なしのアカウントで言って大丈夫だったかなって反省することもあるので……。とにかく気をつけよう。日々反省ですよ。
あと、人の欲望を全否定してくるやつのことは相手にしなくていい。あなたの欲望はあなた自身のもので、扱いにさえ気をつければ、否定する必要も否定される謂れもないよ。
2.これはマーケティングの失敗であって、フェミニズムは関係ない。
私はフェミニズム詳しくなくて、最近ちょっと別件で気になってたことを調べたときの付け焼き刃でしかないので、以下で述べることについては間違ってたら教えてくださるとありがたいし、この論を自分の意見としてどこかで言いたい方がいらしたら、鵜呑みにしないで各自調べてください。
最初に「客体化」の話だ、と言ったけど、私は、フェミニズムって客体化に抗ってきたんだと思ってます。だから、これはフェミニズムとは関係ないって言ってしまうのも、なんだか違うんじゃないかと思う。
一部に人格否定したり暴言吐いたりするようなのがいるから、「フェミニズムではない」って言いたくなる気持ちはわかるんだけど、それはフェミニズムの問題というよりは、日本人が「議論」が苦手って話なんじゃないかなぁ。なんか、誰かの言動を否定すると人格まで否定されたと思ってヒートアップしちゃったり、人格否定の応酬になっちゃうことってよくあるよね。いやいや事象を批判してるんだって。別に人間として嫌いって話じゃないってば。人格否定し始めちゃったらそれは批判として成り立たないよ。ただ、そこはフェミニズムの根本的な考え方とは関係ないと思うので、フェミニズムそれ自体を否定するのは違うんじゃないかなと私は思っています。
私は今、誰かに「結婚すべき」とも「子どもを産むべき」とも言われず、職場でも特に性別によって差別されているとも感じず、比較的自由に独り身を謳歌しています。この自由は、たぶん誰かが戦ってくれたから得られたものだと思っていて。だって75年前には女性は選挙権すら持っていなかったんですよ。それが、おそらくかなり恵まれた状況だとはいえ、私が比較的自由に生きられているのって、「女性の役割」を押し付けられることと戦ってきた人がいるからだと思う。それを全部否定してしまうのは、フリーライドしてるみたいであんまり好きじゃない。
もちろん普段の生活の場に論争が持ち込まれるのがしんどい人もいると思うので、そういう人はあったかくしておいしいもの食べてゆっくりしててほしいと思うんだ。ただ、自由でいることを目指すことを、否定はしないでくれたらいいなと思う。
今年度初頭から壁の薄いアパートに住んでいる。隣の住人の電話らしき話し声や目覚まし時計の音が聞こえたり上の階から足音がしたりと、この物件はハズレかなと思っていた。
しかし、壁が薄いことのメリットもあり、夏は冷房をほとんど使わなかった。多分隣接する部屋が冷房を使っていたから部屋が冷えていたのだろう。盆の前後は暑くて冷房を使用することが多かったが、隣の住人が盆で外出して冷房を使っていなかったのか、それとも単に暑かったのかはわからない。
今日は外に出ると寒かったが、自室の中はそうでもなかった。もしかしたら隣接住人がもう暖房を使っているのかもしれない。冬も光熱費をフリーライドできるといいなあ。
前回、Twitterに適応できないオタクの行く末(anond:20191011160414)を投稿した者である。前回の増田では、トラバ/ブコメ共に様々な意見を頂き、自身を見つめる良い機会となった。とても感謝している。
前回の投稿からもう1年近く経っているが、その間に、というかつい最近でオタク的消費活動が大きく変わってきたためここに記録しておきたいと思い書くことにした。これが改善であるかどうかはさておき、これから先にまた変化があったら比較できるため、その意味でも詳しく書いておきたい。
書き終えてみて、改めて見るととても長い文章になってしまった。一応内容は節ごとにまとまっているので、読み飛ばして気になる所だけ読んでくれても構わない。
本題に入るが、まず俺はTwitter垢を作成した。俺にとってこれは大きな一歩だった。この大きな一歩に繋がる積極的な変化があったのかというと、そんな事はなく、きっかけは極めて消極的なものであったと思っている。この消極的でありながら重い腰を動かすきっかけについて簡単に説明するとするなら、それは定点観測型の消費に限界を感じたためであると言える。
具体的には、過剰消費による虚無と、巡回サービスの変化がある。それぞれについて軽く書いていきたい。
前回述べたように、俺はtwitterを検索エンジンとして活用し、気に入った作品の二次創作を拾っては消化、拾っては消化して楽しんでいた。自分が発信側になれない一種の「諦め」を持ちながらもそれが一番快適で自身に合っていたからだ。これについて、ブコメで「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」と指摘されたが、まったくその通りだったと思っている。消費する側として一方的に評価、消化しかしなかった事が自身を完璧主義にしてしまい、いざ自分が発信しようとするとそれが頭を持ち上げて邪魔をしてくるのだった。
とはいえ、それでもいいと開き直っていればよかったのかもしれない。今までそうしてきたように、これからもそうしていくことは不可能ではなかった。しかし、ここで虚無感がドッと湧いてきて、とうとう音を上げてしまうことになった。
どれだけ色んな作品を見て、なにかを感じても何も言うことが出来ない。発信する媒体もない。仮に、何か言おうとした所でどうしようもない駄文が出来るだろうが、それを流す場所も無かった。ただただ感情は吐き出される事もなく喉の奥に押し込まれ、SNSのタイムライン同じく次のまた次の情報の波に流されていくのだった。(もっとも、どのタイムラインにも俺は文字通り存在しなかったわけだが)
常に蚊帳の外である事を自覚させられ、これは「お前はずっと傍観者で、何にも関われないし、誰もお前を知らないだろう」といった気持ちを起こさせるのに十分すぎるものだった。
これを読んで考えすぎだろうと思う人も居るだろう。実際そうだと思う。おそらく、一人で消費するということ自体が、考えすぎてしまう原因なのだと思う。自問自答は、最終的には問題から目を背けさせてくれない。そしてこれはコロナ禍の状況によって更に悪化した。そういうわけで、最終的にこれと俺は向き合うことになる。
Twitterをメインにした定点観測にはいくつかの方法があるが、俺は専らRSSリーダーやSlackを用いて情報を集約していた。なぜTwitterクライアントを用いずにこれらを用いるかと言うと、Twitterのタイムラインは9割以上ノイズだからだ。要らない「いいね」が表示され、知らないユーザがおすすめされ、加えて不安を煽ってくる広告ツイートも混入してくる。どうでもいいご飯写真が上がる。クソつまらない診断メーカー。とにかくノイズ、ノイズ、ノイズ。それがタイムラインだと思っていた。(過去形なのは、この認識が変化していった為だが、それは後述する。)
で、これの何が限界になったかといえば、観測に用いていたツールが軒並み使えなくなったことが大きい。特に影響が大きかったのがIFTTTとintegromatの一部有料化である。どちらも、ベビーユーザーとして利用していた。(あまり知られていないintegromatについて説明しておくと、IFTTTと同様の作業自動化サービスである。)
これらの主な利用方法としては、該当ツイートの巡回、検索だった。IFTTTはツイート検索の定期巡回に優れており、integromatは特定ユーザがいいねしたツイートの取得で便利だった。この二つのサービスがほぼ同タイミングで一部有料化を掲げたため、俺は快適な創作ツイートの巡回を諦めることになる。
(IFTTTの有料化について : https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1276755.html )
(integromatについては記事にされていないが、今年Twitter連携機能のみ有料化された。)
結局は無料サービスにフリーライドしていただけなので文句は言わないが、IFTTTに依存しない情報収集を考える事はいいきっかけだったのかもしれない。
こうして心理的、仕組み的に方向転換を強いられてTwitter垢を作成してみることになった。どうせ作るなら少数の人でいいから交流してみたいな…くらいのお気持ち。ちょうど追っていたコンテンツの専用垢としてそれっぽい推しのアイコンを用意し、無難なプロフィールを何度も書き直しながら書いた。恥を忍んで #○○と繋がりたい タグを付け、初心者のフリをしたツイートをした。勢いがあるそのコンテンツは凄まじくて、数時間でツイートは数百のいいねが付いていて、少し怖くなった。恐る恐るフォローすると、フォローを返してくれて、なぜかそれだけで安心した。大げさかもしれないが、久々に新しいアカウントを作って界隈に入るのは、そういうことである。
ツイートにいいねした人をフォローしていくうちに、俺は巨大な相互フォロー網(以下、巨大FF網と書く)に取り込まれている事が理解できた。プロフィールを開く度に見る「○○さん、他○人がフォローしています」みたいな数字がフォローするたびに雪だるま式に大きくなっていく。タイムラインは自分が思った通り煩雑になっていき、一度の更新でシークバーが小さくなった。更新の度に米粒のような大きさになるそれは、俺の心のようだった。
あたふたした俺はくそつまらない無難なツイートしか出来なかったが、それでも反応してくれる人が居てくれたため、徐々に萎縮が和らいでいった。推しについて拙い言葉を書くと、誰かがいいねを送ってくれた。恥を忍んでアホらしいタグを付けたツイートをすると、誰かが返信してくれた。界隈の巨大FF網、その集団意識はそのようにして俺を取り込んでいった。そしていつしか、俺も誰かのどうでもいいツイートにいいねやリプライを送るようになる。しかし、ふとした瞬間に定点観測時代の俺がこう囁いてきた。「それって互助会と何が違うの?」と。
定点観測時代、推し関連のタグでツイートを巡回してる時によくこう思ったものだった。「なんでこのツイートにいいねが沢山付くの?」「この人のイラスト、毎回同じ人が持ち上げてるな」「定型文のような褒め文句…互助会みたい」
はてブにおいては互助会は悪とされている。互助会の人たちで持ち上げられた記事は大体つまらないし、並ぶコメントも「参考になりました!」ばかり。これと同じ感情を定点観測時にTwitterでも感じていた。いいねの数でツイートを巡回していたので、価値のあるツイートだけ伸びてほしかった。どうでもいいツイートが伸びて、それを拾うと、ゴミを拾った気がして、イライラしていた。
しかし、後に巨大FF網に取り込まれた俺はそれを体現するように振る舞っていた。フォロワーのどうでもいいツイートに気軽にいいねやRTを送り、また自身のツイートも同じように扱われていた。気軽な反応は心理的な障壁を無くし、より安心感を強化していく。もはや「価値のあるツイートこそ伸びるべき」といったグツグツと煮詰まった思想は、火が消された鍋のように静かになった。会話をする当事者たちからすれば、そんな事はどうでもよかったのである。
俺ははてブの互助会を擁護したいとは思ってはいない。ただ、互助会がなぜ生まれるのか、その一端は理解出来たように思っている。
評価指標となるいいねやブクマといったものは、当事者間ではカジュアルな肯定に使われるが、観測者側からは質の良さでソートする時の指標として重く受け止められている。そのため価値に見合わない評価を付ける事を当事者間では歓迎され、観測者側は嫌うのではないだろうか。これが正しいかは分からないが、この価値観の違いが互助会の生まれる原因であり、またそれが害悪的であると糾弾される理由ではないか、と俺は薄々感じるようになった。
それでも、どこか脳裏には「質の良いツイートが伸びるべき」という意思は存在したようだが、属する巨大FF網が持つ互助会的文化に、それも破壊されることになる。
ここで述べる"互助会的文化"はあくまで俺の属したFF網で存在しただけで、Twitter全般で起きている事ではない事を先に明記しておく。
それは決まって形式的な挨拶ツイートだった。(以下"おはツイ"と称する)夜明けと共にタイムラインが動き出す時、皆揃って、おはツイをする。これを初めて見たとき、なんだかむず痒い思いをした。形式的な挨拶ツイートと、それにつくいいねのインフレ。ツイートに付けられるタグや画像から得られる情報はほぼ無だった。属する界隈は、某ソシャゲコンテンツだったため、おはツイにはそのソシャゲの推しスクショがよく貼られているのだが、これも理解出来なかった。単なるゲーム画面だ。#○○が今日も□□ みたいなタグがだいたい付いている。なんだそれは?
とにかくおはツイの絶対的特徴として挙げられるのがその情報量の無さと明らかに釣り合わない評価(いいね/リプライ)だった。これが午前中、FF網全体で再生産され続ける。インフレするいいね欄を見ていると、次第に俺は「質の良いツイート」の定義がわからなくなった。
そして、このツイート群がもたらす特異性は、その連帯感にある。すなわち、同じFF網に居たとしても、おはツイをする/しない でうっすらと交流関係に壁が出来上がっていくのだ。それもそのはず。形式的とはいえ、毎朝話すフォロワーと話さないフォロワーが居たら、自然とそうなるのだ。現実社会でそうであるように、Twitter上でも変わらなかった。どんな環境であろうと、挨拶は変わらず有効で、逃げられない。
俺はこのFF網に取り込まれた時点で界隈に受け入れられた、一員だと勘違いしていたがそれは違った。毎朝行われるこの儀式じみた挨拶ツイートをこなしてこそ、この集団意識の一員となれるのである。
先頭で"洗礼"と書いた意味が、ようやく理解出来たと思う。この儀式が内包者のツイートへの価値観を塗り替え、統一しているのだ。誰かがこれを強制したりはしない。だが、いうならば集団意識がそれを催促しているのかもしれなかった。そしてこれを通過した頃には、俺の価値観は一新された。
ここまで聞くと、「おいおいそんな所、面白いのか?」も疑問が湧くだろう。先に結論を言うと、面白い。
たしかに、そのタイムラインは常に情報量の無いツイートで溢れていた。冗長な挨拶周りが毎朝再生産されていた。しかし、これらは俺自身が発信する時の障壁を限りなく低くすることにも作用したのだ。
前回の増田までは、俺は自分の思いを発信するにあたり、「完成された感想文」が必要であると、そう信じていた。自身が求める質と同等のものを発信するべきと考えていたためである。誰が見ても分かるが、明らかにこれは長続きしない。自分の理想と実際の質の乖離に耐えられないからだ。
だが自分がその"レベルの低さ"を許容すると、話は変わる。煩雑なタイムラインを受け入れた時、自分も煩雑な発信が出来るようになるのだ。そしてこれは、"発信したいけど出来ない"を大きく上回る。俺に必要だったのは高等な「完成された感想文」などではなく、低俗な「エモいメモ書き」で十分だったのだ。
ここまで書いてみて、改めて以前の考えが独りよがりであるかと痛感した。消費専門で二次創作を漁っては、一方的に評価したり、ノイズにイライラしたりする。これはこれで楽しかったが、視野が狭くなりすぎていた。
本当に好きなコンテンツを摂取して、発信も含めた消費を楽しむには定点観測では全然足りない。自分がつまらない事しか書けない事を自覚したうえで、色々な人の発信、二次創作を許容して楽しむ。こうした先に、もっと良い発信が出来るヒントがあるのではないかと、今はそう思っている。
先述したとおり、これが改善であるかどうかは分からない。またこの先に、「あの発想はどうかしてた」と目が覚めるかもしれない。もしそうなったらそれはそれでまた書いてみようと思う。
ファシスト(右左どちらも含む)はすぐ
自由をわがままだと断罪するけど自由とわがままに違いなんかないからな
親の介護を介護保険使って施設でしてもらうとか若者から金を奪って日本を弱体化させる自己中心的な悪行だって気付いてる?
田舎から出てきて東京一極集中させてるカッペは、自由な生き方()のために地方を破壊し日本の死期を早めてるって気付いてる?
ブクマや増田みたいな生産性の低いことしてないで、家族のために地域のために日本のために家事労働ボランティアに精を出そうと思わないの?
アルコールやタバコは健康保険を圧迫する害なんだけどまさかやってないよな?
生活習慣病予防のために毎日350g以上の野菜を食べて3メッツ以上の運動をして規則正しい生活してんの?
好きだからってラーメンや揚げ物みたいなもの食べて不健康になるって生産性を下げるわがままな行いって自覚してる?
必要以上の肉食は地球環境を破壊する、つまり日本を破壊する反逆行為って理解してる?ちゃんと健康かつ環境に優しいバランスで食べてる?健康のために肉1魚4で食えよ?
精神の不健康な人間って犯罪者予備軍だし迷惑なんだけど、ちゃんと幸福に生きてんの?
Amazonみたいな外国企業から物を買うとか売国奴だけどまさかAmazonなんか使ったないよな?もちろんスマホは日本企業なんだよな?
日本の農業は危機に瀕してるんだけど食べた応援してる?食べて応援、食べて貢献しろよ?わがままでコーヒーなんか飲まずに日本茶を飲めよ?
子供時代、税金によって無償で提供されていた授業中に寝たりしてないよな?日本人特有の勤勉さでもちろん沢山勉強したんだよな?遊びまわって将来の生産性を下げるわがままなんかやってないんだよな?
同性愛みたいな生産性が低い行いありえないよな?お前はちゃんと異性と18か16で結婚してるんだよな?
貯蓄は経済を回さない自己中心的な行為だからしてないよな?老後も迷惑をかけないように2千万貯めてるんだよな?
もちろん国策であるグローバル人材に育ってるんだよな、つまりビジネス英会話程度はできるんだよな?税金で6年10年は勉強させてもらったたんだからできるよな?まさかグローバル人材になれてもないのに、余暇時間を過ごしてますとか言わねえよな。寝るまも惜しんで努力してるんだよな。
って俺が言ったら「俺の自由はわがままじゃない!!」って発狂したりしない?
結局君らって『自分が出来たこと』は日本のために頑張った褒められるべき行為で、『他人ができないこと』は努力が足りない、わがままって断罪してるだけだろ。
必要に駆られて就職して、たまたま異性愛者に生まれて、たまたま子供を産みたい持ちたいと思ってそうしただけの人間の癖に、「日本のためにちゃんと就職して子供作った僕たち私たちにフリーライドして欲しくない」とか抜かすだろ?でも、ほんとうに日本のために生きてるならラーメンなんか食ったらダメだろ。ネットで遊んでないで勉強するか仕事するかボランティアでもしてる筈じゃん。日本のために生きてなんかない癖に、国家という権威がたまたま自分の行動を「理想的」としてくれたら、「僕は日本のためにわがまま言わずに頑張ったんだ。お前もそうしろ」とか言い出す。日本も褒めてる偉い俺様を振りかざすんだよな。その癖はてなで時間を浪費するみたいな非国民的非生産的行動は、「誰にも迷惑をかけてない」とか嘘をつく。迷惑だから。日本人なら余暇時間も何が日本のためになることか考え効率的に使うべきだろ。それが嫌だとか、我儘以外の何者でもない。
マスクしないこと、ワクチン打たないことにたいして「マスクをするワクチンを打つ私達ファシストにフリーライドしたわがまま」って断罪しだすけど、お前らだってわがままなフリーライダーだって自覚しろよ。