はてなキーワード: フィルターとは
間違ったことをするのは悪いことだと思う。
それで損する人や迷惑を被る人がいるのだから本当にそう思うし、正直なくなってほしい。でも一つ間違えたことで村八分かというくらい叩くのはどうなのだろうか?と、ツイッターのあるTLを見ていて思った。
徹夜とか、最低。
無断転載やめろ。
どれも本当にそう思うし、私も全部なくなってほしいと思う。
それが故意ならば最低だと思うしそういう人は好きになれない。
ただ一つだけ気になることがある。
それってどうなの?
マナーという常識は共通認識であるようで、どこか人によって少し違う。
人は、自分が共通認識だと思ってるものについて知らない人を叩くし心のどこかで馬鹿にしたりすることがあると思うけど、当事者だって同じことなんじゃないかな。
仏の顔も三度とは言わないけど、一度限りくらい、許容があってよいのでは。
許せということではなくて、ワンクッション。
最初から叩きまくるのではなくて「それおかしいですよ」と一度きちんととりあう必要性があるのではないかなと思う。
きちんと向き合った上で取り合わなずに態度を改めない人はやっぱりおかしいから、
そりゃあ色々言われるのも仕方がないと思うけど。
無断転載された当事者の方はもちろん、その人を弾糾する権利はある。
そのことについてひどいなあと思ったりするのは個人の問題である。
ただ、個人的には否定して叩くだけの歪な正義感はどうなのかな?と感じる。
勝手に使っているだけなのに
例えば芸能人だとかの写真をアイコンにするのって、大丈夫なの?
もしかしたら自分も知らず知らずのうちに何かしているかもしれない…
マナー守れない人は嫌いだし、そういうのはどうかなと私も思うけど、ただ一方的に批難することって出来るのだろうか?もやもやはするけども。
これはわたしのしくじり先生で、ある経験からすごく慎重になってしまった。
おそらくまだ迷惑をかけなかった(と思いたい)が、初めて足を踏み入れたあるジャンルの、そのジャンルの根底に存在しているあるマナーを守っていなかったこと。
「それまずいですよ」と教えてくれた方がいたので、おそらくご迷惑は最小限に済んだ(と思いたい)
自分は知らないけれど、常識だとされているマナーはどこにでも存在してる。
わたしはこのことを思い出すたびにあんなマナーのなっていない自分しねと強く思ってしまう。
昔はマナーサイトだとか、そういう、ネット上の常識を簡単に一通り学べるサイトが存在していたけど、今の多くの人はそういうフィルターを通らない。今は昔よりも断然気軽に気楽にネット上で人とコミュニケーションが出来る。
でもその分、マナーを知らないままに多くに触れていることもあると思うんだ。
そういう人に、頭から怒鳴りつけるのではなくて、どうか一度チャンスを与えてあげてほしい。
そうやって丁寧に一度教えてくれる人って本当にありがたい存在ですよね。
わたしは衝突も問題も得意じゃないから、面倒で避けてしまうことが多いけど。
それともう一つだけ。
どう考えても違法視聴であるようなことを周囲に分かるように明言しないで欲しいな、とあるフォロワーさんに対してずっと思っている。
ずっとそのジャンルが好きだったので、入ってくれるのは嬉しかったんだけど。
衝突したくないのでスルーを決めたまま2,3ヶ月過ぎた。
おかしいな違法視聴がいけないって常識は結構広く伝わってる気がしたけどもしかして知らないのかな???そんなことはないと思うんだが……
どこかで「それやめたほうがいいですよ」と声をかける勇気をください。
もともと家が政治と近かったんで直接知ってるとわりとそんなふうに感じてる
ただ、擁護のされ方がいっつも典型的モラハラの庇い方なんだよなぁ…
当人が毒舌系を自認して、叩かれ覚悟でやってるんじゃないのかな
で、そういう意味でそんなに間違ってない
なんだろう…、ううん、別にいいんだけども…
ファンの擁護を受けて語ってる人たちは妥当だし、そこだけが発言として存在してたらもっと人気あったんだろうな
ものすごく嫌ってる層(政界にも財界にも年配層にもかなりいる)も、特に当人への嫌悪でもないんじゃないかな…
フィルター除いて発言だけ見てると毒舌は吐くけどきちんと責任取るタイプのように見えるんだ、わりと。
擁護者と込みだと正当化と他人への罵倒がセットのクズに見える…
マスコミの無責任な抜き出しそのものは当人の評価とはわりと切り離しやすいと思う
皆さんは月面基地で排泄物をどう処理しているか考えたことがありますか?
国際協約において、月面への汚泥の投棄は緊急時を除いて禁止されています。
ですから、もちろんきちんと処理をしているのです。
現在月面基地には、国際月面開発機構の職員の他、各国から派遣された研究員などが駐在していますが、その数は全部で約千人になります。
男女比は現時点でおよそ8:2となっています。
みなさんが気になる便器の数ですが、月面に存在する大便器の数は現在わずか30器に過ぎません。
みなさんが想像していたよりも多かったでしょうか。それとも、少なかったでしょうか。
と言っても、基地に滞在する全員がこれだけを使っているという訳ではありません。
20世紀の宇宙開発と同じく、現在の月面基地でも宇宙服を着て活動することは少なくありません。
宇宙服とは小さな宇宙基地であり、基地外活動中に催した場合も対処可能です。
また、閉鎖空間である月面基地で漏らしてしまうと大変なことになりますから、トイレ以外の場所にも、「緊急時」に備えて排泄物を収納するための専用の袋が各所に用意されています。
さて、そうやって発生した排泄物の処理ですが、原則として小は全量、濾過システムで清水に戻して再利用されています。この濾過システム用のフィルターは地球から運んでくる、もっと重要な物資と言っても過言ではありません。
一方、大は真空曝露によって乾燥・殺菌後、全量が農業ブロックで利用されています。
ところで、トイレの別名として「お手洗い」とか「洗面所」という言葉がありますが、実際には「水」はほぼ使われていません。
「行為」の後は使い捨てのペーパータオルで拭き取った後、殺菌灯付きのジェットタオル(月面基地用の専用機種です)で手を処理することになっています。
本当の意味での「洗面台」は、3年前に完成したシャワーユニットの付属設備だけです。
そう、3年前まで月面基地では汗をかいてもシャワーを浴びることもできなかったんです。
たしかに月面基地は完全空調で湿度も安定していますから、汗をかいてもすぐに乾くのですが、それでも、ちょっと嫌ですよね。
文系は専門性がない、供給過多のため、就活は地獄絵図になりがちです。そんな地獄を戦い抜くためのアドバイスをいくつかしようと思います。東大、京大文系のエリート、コミュ力の鬼、イケメンリア充、サイコパスメンタル、とかそういうケースではなく、そこらにはいて捨てるほどいる何のとりえもない文系向けです。
1) 業界
文系には専門がないので、専門を生かせる業界は存在しません。理系であれば、自分の専門が生かせる業界、やりたい分野を手掛ける会社、と絞り込みをしていくことができますが、文系は一から自分がどの業界に進みたいのか?を考えていくことが第一歩です。ここが出来ているかどうかで大きくライバルと差がつきます。
文系は闇雲に何の関連性もない業界を知っている会社だからと、受けまくる人がいますが、これは本当に非効率なので、止めるべきです。業界研究をするにも絞り込みが出来ていれば、エントリーシート、志望動機、面接対策など、業界が同じであれば、ある程度のひな形を持てます。それをガチガチに隙がないように組み上げていけば、そう簡単に振り落とされないはずでしょう。
東大、京大でもない限り、どの業界に就職するにしろ文系なんてパシリみたいなものなので、夢だ、自己実現だ、とか、甘ったれたことを考える前に自分の資質と合いそうな業界を選ぶことが大事です。割り切った性格が持ち味なら金融、ガテン系親父に可愛がられるなら建築、土木、モノ作りが好きならメーカー、体力自慢の体育会出身なら商社、とか決めるわけです。ともかく、飯食っていけるなら、まずはそれでいいんですよ。
凡人はまったく不向きでない業界に潜り込めたら、その業界、会社のいいところを見つけて、そこに前向きになるべきです。否定的なことばかり言えば、完璧な業界なんてないし、嫌になってくるだけです。人間でもそうでしょ? 完璧な異性と付き合って、結婚などまず出来ません。いいところを協調して、踏み切らないと結婚できないし、片目をつぶって、相手を肯定してあげないと、結婚生活を持続できません。
2) 会社
業界が決まったら、大まかに三分類くらいに分けておくといいでしょう。チャレンジ企業群、本命企業群、滑り止め群、とします。これは会社四季報を買ってきて、自分の学歴で判断すべきです。残念ながら、文系は学歴しか売り物がありません。理系のように専門とのマッチングさえするなら、ある程度どこでも受けられるってことはないです。学歴不相応の会社を受けまくっても、時間の無駄で、落ちまくります。
マーチ文系でトヨタ自動車内定、とかは名門野球部のエースとか、オヤジがトヨタのお偉いさんとか、特殊な売りがある人だけでしょう。彼らはそこらの文系ではないです。理系なら、愛知県のショボイ工業大機械出身の上位層でもトヨタ自動車に入る人は一定数います。この辺が文系の辛いところです。
エントリーする会社が絞り込めて来たら、その会社の財務状態を確認しましょう。上場企業なら、有価証券報告書がネットに転がっているので、タダで見まくれます。有名企業でも危険な財務状態に陥っている会社いくらでもあるので、そういう会社は何か特殊な戦略でもなければ、避けましょう。わざわざ泥船に乗り込む愚を侵す意味はないです。例えば、なんで東大理系がソニーなんかあえて入社するのか、私にはまったく理解ができません。学歴バカなんでしょうか?
有価証券報告書にその会社の基本情報がすべて書いてあるので、読み込んでいけば、財務状態だけでなく、株主構成、売上構成、何が強み、弱みなど誰でも理解できます。また、平均給与も書いてあるので、どのくらいの給与水準が確保できるかもわかります。もし、見方がわからないなら、薄い本一冊買って読んでから、取り組んでもいいでしょう。
別に会計を勉強している必要などないです。日本語が読めれば、学校で教えてもらわないとわからないことではありません。こんなものも読めないなら、デスクワークを諦めて、体を動かす仕事をしたほうがいいです。お金の流れが理解できない人は何をやっても出世できません。好き嫌いを別にして、財務諸表も読めないってのはダメすぎです。
3) 面接
応募者にできるのはたった二つしかなく、応募するかどうかを決める、内定を受けるかどうか決める、だけです。「就職はお見合いだ!」っとか言う人がいますが、それは全く間違っていて、企業が選ぶ側であり、強者であり、文系学生なぞ鼻くそみたいな存在のいくらでも代わりのいる駒です。「学生は風俗嬢だ!」っと思います。客は別に誰だって抜ければいいですが、嬢はオッサンに選んでもらえないと、生活できません。人気嬢は東大京大の学生でしょうか?
多くの企業が学歴フィルターで文系を振り分けるので、面接には似たレベルの学生しかいません。要するに面接までこぎつけたら、そこでの立ち振る舞いが合否を分けるのです。当然、イケメン、美女が有利に決まっていますが、身だしなみはしっかりしましょう。日本企業で個性など求められていないので、無難な恰好、無難な立ち振る舞いに終始すべきです。普段はキモオタでも、髪の毛を短くして、きちんと整え、キモイ眼鏡を変えて、きちんと磨いた靴を履いていれば、きもくないです。
特に男性同士の場合は相手がイケメンでも、大して加点しないものです。ウザイ系のイケメンならむしろマイナスです。一緒に働きたくなるやつってガタイがよくて、どっしり構えて、落ち着きのあるタイプでしょうか? 薄っぺらいことをペラペラ話す人間より、朴訥でも論理的に言いたいことを伝えてくる人間を評価します。
面接官はほとんど男性なので、ウザイ系の美女でも加点されますし、性格の良さそうな女性でも、不細工なら、マイナスにはしないにしろ、積極的に働きたくはないでしょう。一般職、名ばかり総合職採用なら、何年かしたらやめるわけですし、だったら、少々ウザイ女でも、見た目さえよければ採用したくなるものです。なので、女性は見た目にこだわりまくってください。メイクをきちんとすれば、強烈にデブでもなければ、それなりに見えるものです。
コミュ障気味の人は家の鏡の前で笑顔の練習、発声練習をして、明るいリア充を演じる努力をしましょう。就職すれば、文系はリア充を装わないと生きていけないわけで、実態はどうであろうが、そこは生きるために演じるのがいいです。家に帰って、着替えて、気の置けない友人しかいない時に本性を出せばいいのです。仕事なんてそんなものなので、割り切れない人間はニートになるしかないです。
マスコミ系などの目立たなければならない業界なら話は別ですが、一般的な会社でギャグとか言っても、鬱陶しいだけなので、あくまで「俺はかなりあんたの会社を勉強しているぜ!」っというアピールをすればいいです。ただし、面接官が明らかにつつかれたくないような話題はしてはだめです。権力者の自己満足で不採算事業をやっていることもありますが、それをつついても、面接官は答えられません。あと、文系は専攻について、聞かれない限りは何も言わないほうがいいです。文系なんて社会に出たら、何の意味もないことくらいは面接官はよく知っています。
■ まとめ
ここまでやっていれば、相応の会社を受けていれば内定は出るはずです。理解すべきなのは自分は何の専門もない馬鹿文系野郎であり、お金くれる人間なら、誰にでも尻尾振らなければならないチワワみたいのものだと割り切って、相手が望むことを真剣に考え、それに沿ったふるまいを心がければいいのです。体育会が就活に強い一因は縦社会を一足先に経験しているため、立ち振る舞いがそつないっていのがあるでしょう。
自分の腕で生きていきたければ、理系に行くべきだったし、エリート気取りしたいなら、東大、京大に行くべきだったんです。バカだから文系を選んで、何の意味もない講義を受け、人生のモラトリアムを楽しんでいたツケを返す時期が来たってことを自覚して、もうこれからはお客さんではない、と覚悟して就活に臨みましょう。何度も言いますが、「お金を払っているなら楽しくて当然、お金をもらうなら苦しくて当然」です。
今日1日を素敵な思いで過ごしたい人は、もっと後になってから読んでください。
お察しかもしれませんが、この投稿が共有されている人は「矢作晃」とある程度、交流がある方々です。
この投稿は、(余計なお世話かもしれませんが)特に 石野 純也 さんと 星川 哲視 さん、あたりに読んで欲しくて書いています。
【1.どう接するべきか(林案)】
子供を育てたことがある人ならわかると思いますが、ダダをこねる赤ん坊にいい顔をしてしまうと、子供のダダはひどくなるばかりです。おそらく最良の方法は無視する、あるいはちゃんと向き合って接する場合には「気をそらす」だと思います。
心をわずらっている彼が、最近、再び暴れているという知らせを何人かから受けて、彼のツイートやらFacebookの投稿、そこでのコメントのやりとりなどを観察しました(ブロックしているけれど、ブラウザのプライベートモードを使うとパブリックな投稿は読めるようです。まあ、そりゃ当然か...)。
自分の不幸のアピールは彼の天賦の才能なので、それを見て「かわいそう」、「何か言ってあげなきゃ」と思う同情心の気持ちはわかります。
でも、彼のことをこれから先、一生面倒をみる覚悟がないなら、そして本当に彼を思いやるなら、そこで突き放すことも大事だと思います。
人間は誰しも「人に認められたい」願望があります。彼は特にそれが強いと思います。
さらに自己肯定力はやたらと強いので、誰かがちょっとでも同調をしてしまうと「やはり、俺は正しいんだ」と、この24時間ほどの爆発を生んでしまうというのが私の見立てです。
同情のコメントがなくても、おそらく愚痴ツイートは続いていたでしょう。
でも、ここまで増長することはなかったと思います。
「それでも彼のことが心配だ。何かしたい」という人はいるでしょう。
そういう人への私のオススメは、他の関連のない話題に彼を誘導することです
彼が好きなアニメやマンガが好きで、そこいら辺の話が得意な人は、その話で盛り上がるのもいいでしょう。
(この記事の末尾に参考になりそうなうつ病対策のページのリンクを貼っておきました)
「彼の原稿が好き」と本心で思っているのなら、それを書くことについて、私がとやかく言う権利はありません。
ただ、彼のことを本当に思うなら、もう少し経ってから、過去形で「好きだった」と書いた方がいいのではないかと思います。
【2.なぜ「過去形」なのか?】
彼が言っている通り、彼のIT関係の執筆の仕事は終わりだと思っています。
ただ、今終わったのではなく、とっくの昔に終わっていたと、私は見ています。
私は彼とは付き合いが古く、同情心や心配さからMacPeopleに彼の連載を提案していたこともありました。「とりあえずお試しで」と特集記事を振った結果、彼は逃亡し、音信不通になり、結局、連絡こずで、私とその編集者で全部を丸かぶりして死ぬ思いをしたこともあります。
その後も、何度か彼に仕事を与えようと、面白い製品発表の声かけを彼にも回したり、自分で企画した重要なイベントに彼を呼んだこともあれば、面白いネタを持っている広報会社の人を紹介したこともそれこそ何度もあります。ムーンライトウェーブの望月さんなどもその一人ですよね。
望月さんなどは本当に彼によくしてくれていると思います。でも、おそらく、彼が呼ばれたイベントを記事にしたことはほとんどないと思います(と、ここは私もまったく人のことは言えないのですが…苦笑)
編集者などにつなごうと呼んだパーティーも隅で昔からの知り合いと話をするばかりで(性格的に無理か、と途中から諦めました)。
ここで聞きたいのですが、そもそも、この中で、誰か彼がここ1〜2年で書いた記事を読んだ人、いらっしゃいますか?
もしかしたら、よく検索すればインプレスかどこかで見つかるのかもしれませんが、彼の最近のPublicへの露出で私が知っているのは有名な彼のツイッターと、あとは Kohichi Aoki と 松尾 公也さんのPodcastくらいです(他に本当にあるのでしょうか?)
彼は同情心集めが得意で、昔から付き合いがあるインプレス系の方々のスネをかじり続けているのは知っています。インプレスの方々が、他の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。それによって彼は自分が「まだまだライターとしてやっていける」という誤解を長く持ち続けてきてしまったこともわかっています(が、その担当が誰だかわからないし、おそらく友達になっていないので、この投稿をシェアできずに残念です。ご存知の方、ぜひ、この投稿をコピペしてシェアしてください)。
しかし、そのインプレスも、昨年、彼が海外で暴力沙汰を起こしてからは彼のことを干している、と人に聞きました(被害に遭われた方は散々でしたね)。
つまり、彼はもうほとんど仕事をしていないんじゃないかと思っています。
もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。
実は彼のITジャーナリスト業だか、ライター業はとっくに終わっていたんじゃないでしょうか(彼が認めたくないだけで)。
そこにまんまとアップルさんが、まるでアップルのせいで廃業したかのように見せたと愚痴る口実を与えてしまったのが今回の事件の全貌だと思います。
インプレスに干されてからなのかは、彼の記事は検索しても出てこないくらいに発見が難しいです。ツイッターでもフォロワーは、そこらの大学生以下くらいですよね。 マスメディアならぬ、ナノメディアに近いのですが、地上波のテレビでも取れない席が自分に与えられなかったと言って彼は愚痴ります。
それくらいに存在感のない記事、読者も求めていない記事、編集者もお情けで仕事を与えて手間が増えただけでもしかしたら迷惑かもしれない記事。
それでも「かわいそうだから何か仕事を与えなきゃ」という不健全な負の連鎖、いつまでもつづけられるわけがないですよね?
そもそも、あの見苦しいツイートの主の記事を載せるなんてメディアのブランド戦略としてもどうなんでしょう。
彼がこの先も「ITジャーナリズムの最先端をつっ走って」まだまだこれからかなり遠い先までどんどん走り続けられると本気で信じている人は、ここにいらっしゃいますか?
このあと、書きますが、彼は自己肯定力だけは強いので、走らせる距離が長いほど、崖の高いところにまで登っていきます。
今、ここで彼に同情して、もっと先にいけるよ的な声をかけてもっと高いところから堕ちさせるのは、本当に彼にとって良いことでしょうか?
だから、無責任に彼に自信を与えるのはやめてほしいと、私は思っています。
自分の人生の大事な時間を彼のために割くのは、時間と脳の無駄遣いなので、私は今回の件を本当に最後にしたいです。
【3.自己肯定力】
私は、何気に彼との付き合いが古いです。
私がアメリカの学生で、彼がバイトで編集の仕事を始めたあたりから知っています。
その後は、海外の取材先で同じ部屋に泊まることもありました。部屋に戻ると、彼が半裸で鼻をほじりながらずっと2ちゃんねるを見ているおぞましい光景を何度か見てきました。消し去りたい私の心の傷の1つです。
そんな私が見るに彼の最大の特徴は:
異常なくらいまでに「自己肯定力が強い」ことです。
彼は、まるで「ポジティブ」であることが悪いことであるかのように、人のことを「ポジティブ野郎」などと呼んでいるようです。
ただ、自分のことをポジティブに分析する能力では、私は彼の足下にも及びません(いつも、自分がダメだと思って苦しんでいる側なので)。
彼のツイートを昔から見ていると、彼の周りではやたらと物が壊れるんです。
しょっちゅう再フォーマットや再インストールをしている印象です。
あきらかに異常な頻度で物が壊れます。
(彼にとっては)もちろん、壊れるものが悪いわけです。
自分の記事が読まれないのは読者が悪いし、
他の人の記事が読まれるのも読者が悪い、そんな記事を読む読者は地獄におちろ、みたいなノリで罵ります。
自分の媒体力とか自分の記事がどれだけ求められているか、といった部分に関係なく、イベントに呼ばれないと招待しない人を罵ります
昔からやっているから俺を呼べ、みたいな考え方です
自分以外の考え方は一切、認めません。
私が何を取材するか、どう書くか、どう考えるかまでいちいち批判してきます。
ITジャーナリストたるもの、スペックシートを接続詞でつなげたような、無味無臭な記事でないと客観性が足りなくてダメみたいな古い自分だけの考えを振りかざして、それに従わない人間を批判します。
ちょっとだけ自分の考えを言うと「私は客観的な記事は存在しない」、実は存在していると思っている人ほど実は危ないという考えの持ち主です。
実はどのニュースをピックアップするかでも主観は入ってくるし、
「褒め 大さじ 3杯/悪いところを見つけ出して批判/スペック 小さじ2杯/個人的感想 一振り」みたいなレシピを客観性と考えるのも間違いだと思っているし、長年、レビュー記事にはシリアスだったMACPOWERで「そのレビューは本当に正しいのか」という自己批判企画をずっとやろうとしていた私的に言うと
作る側は世の中にどんなベンチマークテストがあるかを知っているから、そこに向けて性能などをoptimizeしているのは、日本語入力プログラムだけでないことはみなさんもご存知でしょう
でも、日本では「報道は客観的でないと」という考えがあまりにも広く根付いている。
だから、「あえて最初から主観」を強く出すのが私のスタイルです。
この話をすると長くなるので(すでに長いですが)、私は文字によるコミュニケーションを信じていません。
そういう人もいれば、無味無臭な書き方をする人もいる、そういうバランスがあり、どの記事からどの記事へも1クリックでいけるのが現代人のバランス感覚だと思います。
それをITジャーナリズムかくあるべきの同じレシピでJIS規格された矢作色の世の中になったら、記事は1本読んだら他は読む必要がなくなってしまいます。
ここでちょっと脱線。
みなさんの中で言葉の仕事をしている人は、自分がこう書けば相手に伝わる、と思っている人もまだいるかもしれませんが、25年、執筆の仕事をしていて強く思うのは、読者は自分の知識の範囲やその時の感情のフィルターで、自分で読みものを想像し創造しています。
いいことを書いたつもりの記事でも、それを批判と捉える人もいるし、私の記事とか感想の振れ幅がめちゃくちゃ大きくてすごく面白いです(ただポエムとか言ってる中身も読んでいない、バカの壁[養老孟司読んでください]の人は別としてちゃんと読んでいる人の感想です)
脱線しちゃいましたが、彼は自己固定が強いあまり
業界で起きている時流の変化にも順応しようとしなければ(変わる時流が間違っている)
自分の記事がどんなに読まれなくても、それは読まない読者が悪いので書き方に工夫をする必要もないのです
ある意味、脳内では幸せな人ではあるけれど、脳の中と外とのギャップが、いよいよ、大きくなりすぎて破綻し始めたのが今起きていることです
ここで、誰も見ていないツイッターとはいえ、2ちゃんねらーがRTし始めて、私とかに絡む人も出てきて、
それでも相手にしちゃうと、調子にのるから、表では静観を続けている私ですが、あまりにもな言われ放題みたいなので、いくつか自己肯定をさせてください。
というか、神尾さんも被害にあっているので、彼のことから擁護すると
私は神尾さんのこともよく知っているので、ここで断言しますが、
彼は神尾さんがSさんと交際があるような書き方をしていますが、
よく知っている人間として断言しますが、神尾さんが好きな人やら何やらについて深いコメントは避けますが(いや、いいお父さんです wink絵文字 )
Sさんとの交際だけはないことはよく知っています。
証拠を示せと言われると難しいのですが、
1つは神尾さんは交際相手に関して、好みのタイプがかなりしっかりしていて(というか狭い!)、Sさんは良くも悪くもそこから外れるからです。
2つめは、証拠というよりは、矢作のデタラメな主張を崩す内容ですが、彼はジャーナリストを唱いながらもろくな事実確認も無しに神尾さんがアップルスペシャルイベントに愛人(Sさんのことらしい)を連れてきたと書いていますが、実はこれ、神尾さんにとっても私にとってもとSさんは初対面でした。
音楽の男女デュオが実は別々に結婚相手がいても「実はつきあっているんじゃないか」と噂が立つのと同じで、交際とかの経験が少ない人ってやたらとそういうの勘ぐって噂たてたがりますよね。
まさにソレです。
神尾さんがSさんが近しいのは、今、神尾さんがやっている未発表の?プロジェクトに関係あります。
彼は、いつも「IT業界の中にいる人」や「ガジェットが好きな人」からは真実は見えてこない、とスマートフォンやサービスがもっと一般の人目線で評価させることの重要性を主張していました。
で、若い女の子とつきあわないまでも、おしゃべりするのは好きなので、よく女子高生や女子大生のヒアリングをして探るのが神尾さんのスタイルです(もともと、ドコモの時からそういう仕事をしていましたみたいで、奥様との出会いも...)
実は幅広い年齢層の女性にヒアリングをしていますが、Sさんもそうしたサンプルの中だったのが、色々、話をするうちに本気でライターになりたいという思いを知ったみたく、面倒見よく、いろいろな人に紹介しては、「あの人からは〜〜を学べ」と教育しているようです。私もSさんにデザインについての講義を請われました。
ウェアラブルを筆頭に、今やデジタル製品はどんどん生活領域に入ってきているのに、ファッション誌ではデジタルに詳しい人がまだ少ない。
そんな中、生活者目線で記事がかけるライターを増やす必要がある、というのは神尾さんの強い信念で、近々、発表あると思いますが(って書いちゃっていいのかな?)実は神尾さんは最近、そっち方面での活動に本腰を入れています。
一緒に仕事しているし、(うらやましいことに仕事を振っているので)一緒にいる時間も長いかもしれないけれど、彼とSさんの噂がたつのをみていると
「ん〜、(彼のツボは)そこじゃない」(笑)と心の中でツッコミを入れたくなってしまいます。
まあ、仮に神尾さんは打たれ強いし、いいとしたとしましょう。
それにしても本当に根も葉も無いのに、変な噂を立てられて、好奇の目でみられているSさんの立場はどうなるのでしょう?
彼は精神を病んでいるから、ここは狂犬に噛まれたと思って我慢しろ、というのでしょうか?
九州にいて、なんとかライター業でやっていきたいと思っていた彼女のやる気を見て、神尾さんがライターの顔ぶれの若返り(平均年齢下げることも考えて)東京で仕事できる環境作って、呼び寄せたところで、わめけばいいと思っている見苦しい老害(病害)のために若い才能の1人を犠牲にするのは本当に正しいことでしょうか?
神尾さんが元ドコモでコンサルの仕事をして、という批判もしているようですが、だからこそ、矢作なんかには書けない、会社の裏事情などの視点が書けるのだと思うし、それを是とするか非とするかは読者次第だと思います。
もしかしたら、NDAなどがないものは、disclosureとして記事で関係性を明らかにしたら良いかもしれません。
私もコンサルをしている、ということで彼の批判を受けていますが、一時期、そうでないことがあったのは私の失敗でした(1年半くらい)。でも、そこでも自分なりに中で線引きはしてきたつもりです。
また、それ以後は、実はコンサルティング契約を結ぶときに、コンサルティングをすることになったからには、ソーシャルメディアでは応援するけれど、マスメディアなどでの記事ではとりあげない、ということを約束していますし、そもそも自分が記事を頼まれる業界とは別の業界のコンサルティングが多いです。
どうしても、コンサルティング先のことを記事で書く必要が生じたときは、去年のfashionsnapの記事や毎日新聞か日経産業がそうでしたがdisclosureとして、株を持っているかいないかに関係なく、関係性に関する注意文を示してきました。ここら辺はもしかしたらメディア側でガイドラインを作ってくれた方が良いかもしれませんね。別に神尾さんもそこは否定しないと思います。
ちなみに書いている記事が製品のレビューなどが中心だと、少ないかもしれませんが、トレンドの分析などを記事にする人は、その洞察に価値を感じた相手から講演などの依頼を受けるのは、かなり自然で海外でもよくあることだと思います。私自身は書きたいが、心底のモチベーションではなく「世の中を変えたい」がモチベーションなので、企業の中に入って現状をよくするために手を動かす機会の方が圧倒的に増えています。全部明かせないのが残念ですが、一部は今月26日に発表になります。
【5.私の自己肯定】
つづいて私の方の自己肯定。
彼は自分が正しいと信じていないとやっていけない人間です。
なので、ツイッターの喧嘩でも、やたらと関係のない人にいきなりメンションを送って巻き込んで、その人たちが自分の味方であるかのように見せる演出をします。
私は彼にとっての仮想敵なので、批判される側だけれど、彼がそうやって私の周囲の人間にメンションし始めるのは正直迷惑でした。
ある日、携帯おサイフ系の発表会の実況をしていた時に、たまたま彼の病気が強めに出ていた(私がソフトバンクワールドで講演したことへのジェラシーかもしれません)のだと思いますが、こちらはツイッター実況で言葉もらさないように忙しいのに、彼がやたらとつっかかってきて「お財布いらない?レシートはどうする?」とか言ってきたので、そこで喧嘩になりました。
(ちなみにレシートは、皆さんがアップルストアで日々そうしているようにメールで送ってもらえばいい話ですよね?そういうところ、相手を批判するためなら事実を都合よく忘れるところが多いのも彼の特徴です)
今と同じようにツイッターで暴れ出して、そこを周りの人がなだめて、ほめて、彼が「やった見てくれている人がいる、これは甘えなきゃ」と「自殺してやる」と叫びだして(本当に絶望した人は、言わずにひっそりやっていると思います。彼は構って欲しいだけなんです。かまう方法によってプラスなこともあるけれど、同じ壺の中でいくら上に持ち上げても落ちる距離が長くなるだけ、別の壺に移し替えて気分転換されることが大事)、警察に保護されて、その後は親が迎えに来ておさまったようです。
そこで、私も「もう付き合ってられないや」と思い。
でも、彼のフォローをやめて、そのことに彼が気がついたら大騒ぎするだろうと、わざわざ彼の行動をツイッターでチェックして、彼が海外に行っていてメールとかも増えて気がつかないだろうというタイミングを見計らって(嫌いな奴のために、俺、なんでこんなに気を使ってやっているんだろう。と自分を責めながら)Twitter、Facebook、Instagramなどすべてのソーシャルネットワークで彼をブロックしました。
自分を不快にするものが視界に入らない方が、彼も健全に生きられるだろうという配慮だったのですが、私も誰かをブロックするのは初めての経験でわからなかったのですが、私が彼をブロックしていても、彼がフォローしている誰かが私のツイートをRTすると彼に見えてしまうようです。
もちろん、自己肯定感が強い彼は、私のツイートがRTされてくると、その人をアンフォローして自分の方から改善の道を選ぶのではなく、RTする人たちを「そんなのRTするな」と批判し始めます。
私がティム・クックに遭遇したのが、やらせとか言っているようですが、実はそうではないと証明できるつづきの写真がいくつかあります(あれは実はWWDCの一般開発者のランチ場所で撮影しました。私が話していたら、すぐに開発者たちがよってきて、大騒ぎになったのでその写真があります)。
彼が書いている批判の多くは、彼が勝手に思い込みで書いているだけの事実無根が多く、証拠がそろっているものもいくつかありますが、相手にするのもバカバカしいので、無視しているだけ。
良識のあるみなさんの中にもつきあい長い人多いので、真に受けていない人多いだろうけれど、つきあい新しい方は要注意です。
そんな中、今回、彼が(これまでなんで招待されていたのか不明だけれど、記事は書いていたんだろうか?)今年、地上波テレビでも取れない取材枠を得られなかったことで、「世界一詳しい俺が呼ばれない」と大騒ぎしたようですが、実際のところは既に終わっていた自分の仕事の失敗をアップルになすりつけるためだけの見苦しい行為。
まあ、それも病気ゆえ(実際に通院して薬で治療しているようです)なのでしょうが、病気だからといって周りがどこまで好き勝手に批判されるのを耐えなければならないのか、非常に強く疑問に思ったのが今回の事件であり、無責任な同情コメントが彼を増長させているという事実を知ってもらい、そういうことを同意していただけるならやめて欲しいと思って、この長い記事を書きました。
私は、最近はかなりちゃんとした方々とのお付き合いが多いので、
IT/モバイル業界のあまりにも見苦しい醜態話、およそFacebookでパブリックには投稿できませんでしたが、隠す内容ではないのでコピペしてアングラ掲示板で広めてもらったりする分には構いません(というか私は読まないので、感知しようがない)。
また、彼に親しいインプレスの編集の方や、あまり存じ上げないのですが、 山口 健太さん 中山 智さん といった彼と親しい面々は私自身があまりお付き合いがないので、タグ付けしてみたけれど、この投稿がシェアできていない可能性があるので、どなたかが回してもらえればと思います(もっとも近しい方なら、彼がどういう精神状態で、どう対処したら良いかもよくご存知かもしれませんね)。
近しい方々は、どこかでは彼の問題や、接し方も詳しいと思うので、その辺りの情報共有やアソバイスもいただければ嬉しいです。
また、 narumiさんは、週刊誌的なノリでこの話題をとりあげないか心配で、あえてシェア対象から外しています。
正直、時期がきたら本人にも読んでもらいたいですが、今はまだ暴れだしたら困るのでやめておきましょう。
なお、矢作さんと、それでもお付き合いを続ける方のために、いくつかどう接したらいいかの参考になりそうなサイトを見つけてきたので、以下にまとめておきます(自己肯定力のネガティブな影響については一番最初の記事が詳しいです):
http://www.utsubyou.co/entry/2015/10/20/#more3
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2130663.html
http://mojostyle.net/sigoto-16/
tag: 海老原 昭、 法林 岳之
この記事は、私がつくった「IT系」(何人追加したのかの確認する方法がわかりません)というリストの人にシェアしています。Facebookでつながっていないのでリストに入れられなかった人は、タグ付けしてみました。ウォールに表示されてしまった人は、投稿右上のメニューから「タイムラインに表示しない」を選べばタイムラインへの表示を消せます。もし、タグ付けされている人も読めるようならシェアされていない人は、あとでタグ付けします。
自分は普段、こういう押し付けはしないほうだと思いますが、この投稿が見れている人たちにとって「矢作問題」はそろそろ一段落をつける頃だろうと思い、あえて押し付けてしましました。
甘い。そして甘えてる。数々のコメントを読んで反省したみたいだが、言いたいことは言わせてもらう。
まず学歴ばかり追い求めたヤツが言いがちなのが、俺は努力してきた。それなのにリア充ときたら。あいつらは努力してないのになんで俺よりあいつらを採るんだ。採用担当が見る目がない。企業がクソだ。もうこんな雰囲気にした日本がダメだ。俺こそが評価されるべきなんだ。まぁここまで言ったら極論だと思うけど。でもこの考えは、面接が上手くいかなければ誰しもが一度はどれかのステップまで考えるだろう。他者に責任を求めてしまう悪い癖だ。
この増田は本当に死ぬほどの思いして、勉強して偏差値高い大学に入って、とても努力してきたんだろう。
ただ、君にとっては残念だけど、実力がある人間だけが社会で値打ちがあるわけじゃない。いろんな人が書いていたけれどもコミュ力、コミュニケーション力が必要になるんだ。中には学歴よりも学んだ内容、人柄などを重視するって企業もある。人柄ってのは勉強っていう目に見える努力ではなく、その人が育ってきた環境や性格に反映されるものだから。
というか、疑問なんだけど、"学歴だけ"で選ぶ企業なんてあるのか?もちろん最初の一次選考や書類選考で学歴フィルターにかける企業もあれば、最終選考で枠が1人なのにどうしても2人残ってしまった場合、最後は学歴判断……って企業もあるだろう。あるいは学歴なんて気にしていない。何を学んできたのかだけわかればいい。という企業もあるだろう。
どちらにおいても、"会社に合う人を採用したい!" という基準で選んでいることに違いはないでしょ。だからそこに対して文句を言うのは筋違い。企業は自社の企業理念に従って行動しているだけだから。文句があるならそんな企業を受けなければいい。もっというなら起業すればいいとも言われてしまうよ。
こういうことを書くと「んなことわかってる」って言うんだ。わかってるなら行動しろよ。行動できないから口先だけのヤツになるんだよ。
確かにそうだ。就活ではできる限り自分を大きく見せる。嘘ばかりつく。でもそれは社会において必要なスキルなんだ。取引先や上司の前でも気持ちを押し殺して嘘を言えなければ社会ではやっていけない。逆に言うと、この程度の嘘もつけない人は、ハッキリ言って"いらない"ってこと。
就活期間が短い、という点。
これには深く同意する。確かにこの短い期間で自分の会社を選ぶなんて無茶苦茶な話だ。
でもその環境に対して文句を言ってどうなるというんだ。その中でももう既に内定を決めている人はいくらでもいる。君は10社落ちたかもしれないが、それよりも多く落ちている人だっているかもしれない。でも諦めずに何が悪いか分析して次の試験に臨んでいくんだ。そうしていかなければいちいちこうして立ち止まることになる。期間が短いって言うのにわざわざ立ち止まって就活が嫌だ、理不尽だと嘆く。その文句を言っている間にも時間は過ぎていくんだ。
君は使う側じゃない。使われる側だということを認識しよう。自分を中心に就活を考えるな。企業を中心に考えろ。
社会とは理不尽なものだ。納得できないことなんていくらでも待っている。今回の結果はその第一歩だと考えるんだ。
いいか、十社落ちたって君は嘆いているが、企業なんてまだまだいくらでもある。経産省によるとこの日本には四百万の企業があるんだ。大企業でさえ一万二千もある。二ケタの企業に落ちてすごく落ち込んでしまったのはわかるし、感情的になってこのブログを書き上げたのも理解できる。でもね、まずは日本に文句を言う前に、自分のどこが至らなかったのか、しっかり分析することから始めよう。意外と分からないもんだよ、自分のこと。
そして、君はここまでのコメントを読んで立ち直ってくれた。まだチャンスはある。今までの企業が自分に合わなかっただけだ。死ぬなんて言うな。きっと君に合った企業に出会えるから。
ツイッターが嫌い。ミニブログ?本来ブログってもっと面白いもののはずでしょう。私の周りでブログ書いていた人たちはツイッターに流れてつまらなくなった。面白くなくなったというより頭を使わなくなったというのが正しいのかな。ツイッターのノリに染まってしまった?とでもいうのかな。ブログだとみんな理性を保って自分の言葉で話していたのに。はぁ気持ち悪いなぁ。
なんでみんな一斉にツイッターを使い始めたのかはなんとなくわかる。日本版が出来てすぐくらいに登録した人はなんかオサレなものがあるぜーくらいだったんだろう。そのオサレをオサレに使いこなしている人に憧れている人が参入、オサレに取り残されたくない人が参入、取り残されたけどみんなが使っているから私もーという寂しがりやさんが参入。そういう仕組みでしょ。最近だとインスタもそうよね。
みんながツイッターを使うから私も使う。この流れはわかるのよ。ネットワーク外部性とやらでしょ。習った習った。私だって情報を追いたい人のHPがブックマークに増えすぎてツイッターやってればなぁとは思ったよ。でも情報を追いたい大好きな人のツイッターを見て、その人を嫌いにならない自信が私にはない。私にはツイッターというフィルターを通すと全部の呟きがつまらなく見えるシステムが搭載されているからね。ましてやリア友のツイッターなんてもっと見たくない。ただでさえ普段友達のあら探しにいそしんでいる私は友達みーんな嫌いになるに決まっている。
明日が休みなんで、なんとなくおススメとされるものをやってみた。
と、冗談半分に試してみた結果。
ビクビクした。
さすがに、指示された時以外に声は出さなかったが、ガクガクして、ベッドの上でビンビン跳ねまくってしもうた。(隣室の方すまぬ)
「すげぇ……『イキたい?』みたいな問いに別に頷きたくないのに、条件反射的に身体が動くwwwww」
みたいな風に、ほへーと思いながらガクガクブルブルしてた。
条件付けみたいなのが繰り返されるので、多分聞き続ければガンガンイケるんだと思う。
ただし、脳が反応して、それに身体が応じているだけっぽいので、普通のオナニーとは全く違い射精的なカタルシスは無かった。
でも、ふと思ったんだけど、入れる方の経験はあっても、膣やら子宮なんぞに入れられた経験はないので、
って言われても、「お、おう……(お前子宮内部を検査する子宮体部癌検査がどんだけ苦痛か知ってんのかよ)」って感じだった。
これ他の人たちはそういうのって、どう頭の中で整合性つけているんだろうか。
というか、これ「割れ目をまさぐって……」、「(声優が声を出すフィルター)まで達して……」とか言っているけど、
……ひょっとして、催眠オナニーって未経験者でなければ真に楽しむことは出来ないのか?
そんなことを思いつつ、私は反応し過ぎて筋肉痛気味な身体を休めるべく、PCの電源を切り、布団の中へと戻った。
※ 単に言葉による想起と想起に伴う条件付けの結果でビクビクしていると思うので、細かいこと気にする経験者でもビクビクできます
関東の桜は満開のピークをすぎました。
写真がデジタルになった恩恵の一つは、撮った写真データの合成が容易にできるということです。
桜の花びらが舞い散る様を撮影して、いざ写真を見てみると花びらの少なさにがっくりすることがありませんか?
人の目で見ているときは時間の経過があるので、次々に花びらが舞っていく量を体感することができますが、いざ写真に撮ってみるとその時に舞っている花びらしか写らないので量を感じるには乏しい物になってしまいます。
これは、写真が瞬間を切り取るものであるからこその悲劇と言えます。
そんなときは、カメラを高速連写モードにして3~5枚ほど一気に撮影しましょう。
その後、撮影した写真データをそれぞれ重ね合わせて合成します。
フォトショップでいうところのレイヤーの描画モードや、スマートフォンアプリなど可能です。
そうすると、それぞれの写真の変化があった部分だけが合成されます。つまり、舞い散る花びらの量だけを増やすことができるのです。
ちょっとした角度の違いで背景がブレてしまうようであれば、舞い散る花びら以外の部分は消しゴムで消してしまいましょう。
あとはお好みで合成する枚数を増やしていけば完成です。
手持ちで撮って余計な部分は消してしまえばいいという手軽さです。覚えておくと便利です。
スローシャッターとは、シャッタースピードを遅くして故意に被写体ブレを起こさせるテクニックです。
花びらや桜の枝を故意にブレさせることによって桜の散る様を表現してみましょう。
シャッターの開いている時間が長くなるということは当然それだけ手ブレのリスクが増えます。
そうなると三脚が必須ですが、人通りの激しい花見の季節にはなかなか取り出せません。
そこでオススメなのはスタンド機能がついている一脚です。マイクスタンドの用に一脚の下の部分がパカリと開きます。
注意して使えば軽いミラーレスでなくても数秒は安定してくれます。
次に大切なことは、光量です。
日中の撮影でスローシャッターをすれば当然露出オーバーになってしまいます。
そこで登場するのがNDフィルターです。
減光フィルターとも言われ、文字通りレンズから入る光の量を減らしてくれます。
フィルターには減らす光量に応じて種類が用意されていますが、光量を可変できる安価なものがあるのでひとまずはそれで十分です。
この時、設定をカメラ任せのままにしていると一向に思った通りの写真ができあがりません。
まずはISOを最低感度に固定。
モードをMにしてF値は11を上限に、シャッタースピードを下げていきましょう。
F値の数値が大きくなれば露光量は下がり、シャッタースピードが遅くなれば露光量は多くなります。
まずはその時の散り具合や風の強さに合わせてシャッタースピードを決め、露出が適正になるようにF値を絞っていくのがいいでしょう。
最後のちょっとした微調整は、NDフィルターの明暗を調整することでも可能です。
デジタルになって一番の恩恵は、なにより撮影結果をその場で確認できるということでしょう。
それまでは高度な技術と知識が必要だったスローシャッター撮影も、撮影結果を確認しつつのトライアンドエラーですぐに成功させることができます。
その場合、液晶に写る写真そのもので成否の確認を行ってもいいのですが、せっかくなのでヒストグラムを確認しましょう。
右や左にはみ出してしまっている量が多いと、つまり白飛びや黒つぶれが起きている証拠であり、レッタッチでは情報を取り戻せない状態です。
中央に向かって山型が描かれていれば、あとはレッタッチでどうにでもなります。
ちなみにNDフィルターを用いたスローシャッター撮影にはもう一つのメリットがあります。
それは、動いているものがブレるために写っている人のプライバシーを守れるというものです。
そんな時にスローシャッターで撮影すれば、当然人は動くので被写体ブレが起きて顔の判別ができなくなるというわけです。
スローシャッターを使った写真をうまく撮影するコツは、写真の中にブレていないポイントしっかり写しこむということです。
なぜなら、写真にピンぼけやブレがあると人はその写真が失敗写真だと感じてしまうからです。
例えば揺れない桜の幹、桜の花の背景など、ブレないものを一緒に写しこむことで桜の枝や花の動きを表現しましょう。
つまり、動きを表現したい背景は表現したいものよりも暗いものを選ぶとより動きが表現できるようになります。
これ以外にも、カメラの世界には表現したいことに対するアンサーが沢山用意されています。
手持ちの機材で限界を感じ始めたらまずは色々とためしてみることで更に世界が広がっていくことでしょう。
またそのうち!
■blogspot
Googleが運営しているブログサービス。何か独特なサービスで使いにくかった覚えがある。
アフィ厨の巣窟。同じ空気を吸うのも嫌なので却下!!却下却下!絶対NG!!!!無料だとキーワードにリンクが付くのが気持ち悪い露骨な集金アピールが気に入らないからお断り。
アクセス解析が無料でついてる。それ以外は特に目立ったものがない。
■github.io
ブログサービスでは無いんだけどgithubにブログを構築する。
これがよさそうだけど、利用規約が英語だから広告はっていいのか分かんないし。利用規約が読めない以上は手を出しにくい。
スパムしてないのにスパム認定されて解除してくれなかった経験があるので怖いのでNG。
アカ凍結された時の解除方法を伝授している記事はあてにならん!
■wordpress.com
CMSのほうじゃなくてサービスの方のwordpress.com。機能が少なすぎて選ぶ価値なし。
■アメブロ
ブログデザインがおしゃれすぎて合わない。どっちかっていうと自分の存在に商品価値があるような人向け。一生縁のないサービスなので却下。
ブログサービスじゃないんだけどここで記事を書くってのも手かな。
でも個人的にはブログを作ってそこで記事を書くべきだという信念があるので却下。
転載とか引用しただけの無駄な記事を見るのが面倒でもう見てない。
たまにプログラミングと関係ない職業の話とか哲学とかチラ裏にでもかいてろよみたいなのとかうざいだけ。
プログラミングってプログラミングの仕事している人だけのものじゃないしねどうでもいいんですよ。
ユーザーをブロックリストにいれて記事を非表示にするフィルター機能実装してくれませんかねqiitaのシャッチョサン。
記事なんて自分が愛用しているエディタで書いたほうが早いのでブラウザのテキストエリアでしこしこ書かない。
秀丸でmarkdown形式で記事書いてhtmlに変換すればいいだけ。
markdownで書いた文章もローカルに保存しとけばブログ移転も楽だよ。
だからブログサービスがmarkdownに対応しているかどうかなんてどうでもいいんだよ。
やっぱり無難なのはlivedoor blogかな。
私には「自分らしく生きるって何だろう私って何だろう」と無限の思考の海に投げ出される言葉がある
そして、もし今私と同じ「自分らしさ」について悩んでいる人 、苦しんでいる人にヒントになるかは分からないけれど何か悩んでいることや苦しんでいることの出口に繋がると嬉しい
私を思考の海に投げ出す言葉とは「⭕⭕さんの分も頑張って生きないとね」というような類いの言葉である。(この⭕⭕に入る名前は殆どの確率で亡くなっている人の名前である)
私がこの言葉をかけられるようになったのは10年前母を亡くしてからだ
私はこの言葉をかけられると「私は母の代わりなのか?母は母なのになんで私が母を背負わないといけないのだろう」と当時も今も思ってしまう
この言葉をかけてくれる人は、落ち込んでいるであろう私を励ますために言ってくれたのかもしれない もしかしたらなんと声をかけていいかわからずに出た言葉がこの言葉でそれで言ってくれたのはかもしれない
その人を亡くして落ち込んでいる人になんと声をかけたらいいかわからない気持ちはよくわかる
しかし「母を亡くしてこれから頑張っていかないと!」と思ったことはあっだろうかとも思う ても「母の分も頑張って生きていかないといない!」と思ったことは1度もない
やっぱり私というフィルターを通して
「母」という存在を見られているようでどうも居心地が悪い
そもそも私がどこまで生きたら母の分を生きたことになるのだと思う
それと同時に私は母の分も頑張って生きないといけないほど今頑張っていないのか 私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのか?
私には特技という特技はない しかしたったひとつ言えることがある
それは「どんな困難に直面しても力強く生きてきた」ということである
私の今までの人生はまだ短いけれど、それなりに山あり谷ありな人生を送ってきたと思う
小学生の時には母を亡くした他にクラスの半数から苛められたこともあった
中学校では一時期 思春期故の心と身体の不安定さで学校を休みがちになった
実父には暴言・暴力を浴びせかけられ育児放棄され虐待を受けた 今も親子関係が上手くいかずにほぼ絶縁状態にある
正直 このまま死んでしまって大好きな母の所に逝きたいと思ったことは幾度となくある
しかし 私なりに頑張って周りの人に助けられながらも乗り越えてきた
苛められても小学校に行くことをやめなかった、中学校を休みがちになっても塾の勉強には一生懸命に取り組んで第一志望の高校に入学をした 父親に育児放棄されたことで自分で生計を立てるしかなく働きながら学生をしている もちろんこれからも不器用ではあるが持ち前の強さで生き抜いていくつもりだ
次に私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのかということだがこの答えはNoである
母は私が生まれたときから亡くなるまで私に100%の愛情を注いでくれたそして最後の最後まで病気と闘っていた そんな母の人生を頑張って生きていなかったなんて言わせない
ここまで書くとだいぶスッキリとした気がする
私は負けず嫌いで意地っ張りで頑固で不器用である 正直人付き合いが上手なタイプではない
しかしこれからもきっと今までどおり周りの人に助けられながら不器用なりに強く生きて行くと思う
最後の最後まで頑張って生き抜いた母の分は頑張る分がもう残っていないので頑張ることは出来ないが、自分自身に残された私だけが頑張ることができる残りの人生を他のひとが頑張る分がなくなるまで頑張って生き抜きたい
次に母に逢えるときには胸を張って母みたいに最後まで頑張って生き抜いたと言えるように母には天から私のことをこれからも温かく見守っていてほしい
私には「自分らしく生きるって何だろう私って何だろう」と無限の思考の海に投げ出される言葉がある
そして、もし今私と同じ「自分らしさ」について悩んでいる人 、苦しんでいる人にヒントになるかは分からないけれど何か悩んでいることや苦しんでいることの出口に繋がると嬉しい
私を思考の海に投げ出す言葉とは「⭕⭕さんの分も頑張って生きないとね」というような類いの言葉である。(この⭕⭕に入る名前は殆どの確率で亡くなっている人の名前である)
私がこの言葉をかけられるようになったのは10年前母を亡くしてからだ
私はこの言葉をかけられると「私は母の代わりなのか?母は母なのになんで私が母を背負わないといけないのだろう」と当時も今も思ってしまう
この言葉をかけてくれる人は、落ち込んでいるであろう私を励ますために言ってくれたのかもしれない もしかしたらなんと声をかけていいかわからずに出た言葉がこの言葉でそれで言ってくれたのはかもしれない
その人を亡くして落ち込んでいる人になんと声をかけたらいいかわからない気持ちはよくわかる
しかし「母を亡くしてこれから頑張っていかないと!」と思ったことはあっだろうかとも思う ても「母の分も頑張って生きていかないといない!」と思ったことは1度もない
やっぱり私というフィルターを通して
「母」という存在を見られているようでどうも居心地が悪い
そもそも私がどこまで生きたら母の分を生きたことになるのだと思う
それと同時に私は母の分も頑張って生きないといけないほど今頑張っていないのか 私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのか?
私には特技という特技はない しかしたったひとつ言えることがある
それは「どんな困難に直面しても力強く生きてきた」ということである
私の今までの人生はまだ短いけれど、それなりに山あり谷ありな人生を送ってきたと思う
小学生の時には母を亡くした他にクラスの半数から苛められたこともあった
中学校では一時期 思春期故の心と身体の不安定さで学校を休みがちになった
実父には暴言・暴力を浴びせかけられ育児放棄され虐待を受けた 今も親子関係が上手くいかずにほぼ絶縁状態にある
正直 このまま死んでしまって大好きな母の所に逝きたいと思ったことは幾度となくある
しかし 私なりに頑張って周りの人に助けられながらも乗り越えてきた
苛められても小学校に行くことをやめなかった、中学校を休みがちになっても塾の勉強には一生懸命に取り組んで第一志望の高校に入学をした 父親に育児放棄されたことで自分で生計を立てるしかなく働きながら学生をしている もちろんこれからも不器用ではあるが持ち前の強さで生き抜いていくつもりだ
次に私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのかということだがこの答えはNoである
母は私が生まれたときから亡くなるまで私に100%の愛情を注いでくれたそして最後の最後まで病気と闘っていた そんな母の人生を頑張って生きていなかったなんて言わせない
ここまで書くとだいぶスッキリとした気がする
私は負けず嫌いで意地っ張りで頑固で不器用である 正直人付き合いが上手なタイプではない
しかしこれからもきっと今までどおり周りの人に助けられながら不器用なりに強く生きて行くと思う
最後の最後まで頑張って生き抜いた母の分は頑張る分がもう残っていないので頑張ることは出来ないが、自分自身に残された私だけが頑張ることができる残りの人生を他のひとが頑張る分がなくなるまで頑張って生き抜きたい
次に母に逢えるときには胸を張って母みたいに最後まで頑張って生き抜いたと言えるように母には天から私のことをこれからも温かく見守っていてほしい