私には「自分らしく生きるって何だろう私って何だろう」と無限の思考の海に投げ出される言葉がある
そして、もし今私と同じ「自分らしさ」について悩んでいる人 、苦しんでいる人にヒントになるかは分からないけれど何か悩んでいることや苦しんでいることの出口に繋がると嬉しい
私を思考の海に投げ出す言葉とは「⭕⭕さんの分も頑張って生きないとね」というような類いの言葉である。(この⭕⭕に入る名前は殆どの確率で亡くなっている人の名前である)
私がこの言葉をかけられるようになったのは10年前母を亡くしてからだ
私はこの言葉をかけられると「私は母の代わりなのか?母は母なのになんで私が母を背負わないといけないのだろう」と当時も今も思ってしまう
この言葉をかけてくれる人は、落ち込んでいるであろう私を励ますために言ってくれたのかもしれない もしかしたらなんと声をかけていいかわからずに出た言葉がこの言葉でそれで言ってくれたのはかもしれない
その人を亡くして落ち込んでいる人になんと声をかけたらいいかわからない気持ちはよくわかる
しかし「母を亡くしてこれから頑張っていかないと!」と思ったことはあっだろうかとも思う ても「母の分も頑張って生きていかないといない!」と思ったことは1度もない
やっぱり私というフィルターを通して
「母」という存在を見られているようでどうも居心地が悪い
そもそも私がどこまで生きたら母の分を生きたことになるのだと思う
それと同時に私は母の分も頑張って生きないといけないほど今頑張っていないのか 私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのか?
私には特技という特技はない しかしたったひとつ言えることがある
それは「どんな困難に直面しても力強く生きてきた」ということである
私の今までの人生はまだ短いけれど、それなりに山あり谷ありな人生を送ってきたと思う
小学生の時には母を亡くした他にクラスの半数から苛められたこともあった
中学校では一時期 思春期故の心と身体の不安定さで学校を休みがちになった
実父には暴言・暴力を浴びせかけられ育児放棄され虐待を受けた 今も親子関係が上手くいかずにほぼ絶縁状態にある
正直 このまま死んでしまって大好きな母の所に逝きたいと思ったことは幾度となくある
しかし 私なりに頑張って周りの人に助けられながらも乗り越えてきた
苛められても小学校に行くことをやめなかった、中学校を休みがちになっても塾の勉強には一生懸命に取り組んで第一志望の高校に入学をした 父親に育児放棄されたことで自分で生計を立てるしかなく働きながら学生をしている もちろんこれからも不器用ではあるが持ち前の強さで生き抜いていくつもりだ
次に私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのかということだがこの答えはNoである
母は私が生まれたときから亡くなるまで私に100%の愛情を注いでくれたそして最後の最後まで病気と闘っていた そんな母の人生を頑張って生きていなかったなんて言わせない
ここまで書くとだいぶスッキリとした気がする
私は負けず嫌いで意地っ張りで頑固で不器用である 正直人付き合いが上手なタイプではない
しかしこれからもきっと今までどおり周りの人に助けられながら不器用なりに強く生きて行くと思う
最後の最後まで頑張って生き抜いた母の分は頑張る分がもう残っていないので頑張ることは出来ないが、自分自身に残された私だけが頑張ることができる残りの人生を他のひとが頑張る分がなくなるまで頑張って生き抜きたい
次に母に逢えるときには胸を張って母みたいに最後まで頑張って生き抜いたと言えるように母には天から私のことをこれからも温かく見守っていてほしい