はてなキーワード: ウエイトとは
出来てない。
こんなもんを書く奴も正当化しようと頑張る奴も要するに頭が悪い
設定のガバつきへの突っ込みに「想像力の多寡」を持ち出したのはオマエ。
>以上と言うことは大佐でもいいはずだ。
言い訳になってねーぞ。
「大佐以上」って言っておいて大佐だと破綻するなら単に設定がアウトじゃねーか。
何を開き直ってるんだバカ。
そんなラノベ読書暦みたいなもので誇られても笑っちゃうからやめてくれ。
けどそういう設定も何もない。ただ「ぐんのえらいひと」というだけのイメージ。
ただのバカじゃんこれ。
肝心のとこでそうやって逃げを打つぐらいなら最初から逃げてろよ。
だから、その大佐だか少将だかの謎がキモって書き方してねーだろ。
大佐の設定がおかしいのは「何か最大のウエイトの設定を秘めてるから」じゃなくて
で、質問を繰り返すけど
膝を曲げる角度を浅くした。膝の痛みはないけど、あまり効いてはいない感じ。 膝の痛みが無いことがありがたいので、しばらくこれで続けます。
2分30秒だと思って日付と時間の対応表を見たら、3分でゲンナリ・・・。スッゲーきつかった。
その他
インストラクターにフリーウエイトの3種類(デッドリフト、ベンチプレス、スクワット)を教えてもらった。20キロはバーの重さで、重りは一切つけない状態でやった。
デッドリフトのやり方は褒められた。しかしベンチプレスは上手くいかない。バーが安定せず左右に揺れてしまうし、上下も安定せず、右が少し下がり気味になってると言われた。
しかも重さ的には余裕があるので鍛えられてる感じがしない。フォームの練習はなかなか歯痒い。
あと、フロントラットプルダウンもうまく出来ない。背筋を鍛えている感じがしない。
体組成計で計ったら、体脂肪が増えて基礎代謝が減った! 何が起こった!!!
今日は心療内科に行った。何年か前に受診した所とは別の場所。 ここは自分に合っていたみたいだ。
本気で将来について考えなきゃいけない。向かい合いたいっていう気持ちが強くなっている。
出来るだけ外に出るようにしよう。
もう7,8年も前になってしまうが、オンラインゲームで廃人をやっていた。
ちゃんと仕事には行っていたが、仕事以外は全てオンゲーに費やす日々を2年ほど送った。
なお月額課金制でアイテム課金は無かったので、2年間で貯金は増えた。
その2年間は今でも私の人生で、かなり大きなウエイトを占めている。
その後の人生に与えた影響もあるが、そこまで大きいわけではない。
よく当時の楽しかった事を思い出す、今の心の支えとかそこまでではないけれど、当時支えられていた。
毎日いつものメンバーとわいわい遊んで、キャラクターを成長させて、
20代序盤の貴重な時期をオンゲーに費やしてしまったわけだが、無駄な時間を過ごしたとは思っていない。
リアルでは当時、職場の先輩からネチネチとしたいじめに遭っていた。
多分オンゲーが無ければ鬱コースまっしぐらだったと思う。
オンゲーに出会わなくてもだらだら過ごしていただけで、有意義な事をしていたとは思えない。
「有意義な事が出来たはずだ」というのは、過ぎ去ったからそう思うんだと思ってる。
最終的にコミュニティ内の1名から嫌われ、同タイミングで恋愛騒動が勃発して巻き込まれ
それがきっかけでコミュニティがギクシャクしはじめて会話もできなくなり、
辛くて辛くて辞めてしまった。
私はゲームをしていたんじゃなくて、友達に会いに行ってただけだったんだとその時気がついた。
あと楽しかった思い出。
それだけ。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20150805/p1
世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在としての地域社会が消失した以上、そのぶん、それらを親が引き受けなければならないウエイトは増大した。親自身が自由に子育てできるようになったとも言えるし、親自身が子育てを一括して引き受けなければならなくなったとも言える。さておき、育てられる子どもの側からみれば、世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在としての親のウエイトは相対的なものから絶対的なものに変わった。
私もそう思う。
かなり古いけど1996年くらいに出た本で「学校の再生をめざして」という本がある。
学校に過重な負担がかかる前段階として、親の変化を説明してた。
この時からなにか変わっただろうか。
大体上に書かれているとおりで、能力的にもリソース的にも不足している親に「世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在」が全て押し付けられる。その結果として、教育の場は閉じた家庭に限定されるため、教育されている内容に偏りが出やすくなったり、そもそも教育が不足する、と。
そういう子を引き受ける学校には、以前より能力ある教師やリソースが必要となるが、実際には人員や予算は削られていく一方で、雑務や報告義務が増加したりと、負担ばかりが増加していく。
にも関わらず、家庭に親にしても学校における教師しても、「他の人間が関与する余地を排除する」構造になっているため、全面的な責任と裏返しの独占的な支配権を保有することになる。
親も教師も、周囲から能力に対して過大な結果を求められ、責任を負わされ、問題を起こすな周りに迷惑をかけるなと言われ、それでいて自分たちにはそのために必要な能力もリソースも手助けも理解者も足りない。 あるのはただ支配権だけ。
こういう条件で子育てしろって言われた時に、「失敗」する確率は高い。何を重視するかにおいて、「周りに迷惑をかけるな」を重視すると、自分がもつ権力や暴力を持って子供を黙らせるしかないって考える人もいる。被害者意識が強くなると、子供を敵視する人だっているかもしれない。
こういう状況で、子供が発達障害児だったり、親と相性が悪かったりした時に、親はどうすればいいのか。どうすればよかったのか。
そう考えると、毒親もまた被害者ではある。
そういうことはこの年になってわかってきた。
とはいえ、自分は親が自分にした仕打ちを許せるかというと許せないのだが。
だが、親だけを恨むのは筋違いであろうということだけはわかる。
年齢を気にしすぎる その年々でこうであるべき感半端ない 上下関係を気にしすぎる
自分で考えることをしない 常識を疑わない 多数派の流れにのるだけ 自分の考えをもたない 考えがないがゆえにただ感情任せ こうであるべきという風潮に縛られまくり
違いを許容する力がない みんな一緒 同調圧力 出る杭は打たれる 周りの目を気にする
働きすぎて人生や幸せについて深く考えない 人生を仕事にウエイトおきすぎる
女は男にたかる 奢りが当たり前精神 経済的リスクを負わないから積極的に楽しもうともしない 経済的自立心がない
建て前が多すぎて本心がよくわからない もはや面倒くさいレベル 無駄に駆け引きする
原因として考えられるもの: 奴隷養育機関(学校)の教育 テレビ 単一民族国家 バブル老害 女性の社会進出雇用問題 国民性
30代前半M 2014/10月:177/56k → 2015/1月:177/66k 10k増
昔からガリで太りたくても太れなかった。一念発起しいろいろ調べ実行した。
1)胃腸をなんとかする
→ アサヒのビール酵母Z。明らかに快便になり下痢にならなくなった。ちゃんと吸収できるようになった、と思う。
→ 一度に食べ過ぎると必ずお腹こわすので、、食事は朝昼晩+間食2回 2500kcal〜3000kcal スマホアプリ(BeCalendar)でカロリー管理(重要)。
3)筋肉をつける
→ 週1〜2 ウエイトトレ(1回30分程度)
先日、心療内科にてPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されました。
簡単に言うと、過去に強烈なショックを体験した事によるトラウマが原因で
僕自身、自覚している症状がいくつかあって、それについて何度も試行錯誤し
それこそ躁鬱なのではないか、ADHDなのではないか?
様々なケースを想定していたのですが、専門医の判断を仰ぐ必要性が
出てきたので診断を受けた次第です。
さて、こういったメンタルヘルスというジャンルでよく見聞きされる
実際問題、他人に迷惑をかける事は明白ですし、出来ることならば
特に仕事の面においてはチームワークが大事なのでコミュニケーションが
メンタルヘルスで一番のネックは「認知」のフェーズにあると思います。
また、健常者と一緒になると共に、人間のメンタルという何とも体系化することが
厳しい分野というのもありますよね。
実際に専門医の意見を仰ごうにも人によって意見が診断が極端に違う。
セカンドオピニオンが当てになるかどうかすらも怪しいのが実情ではないでしょうか。
当事者の人たちは、大体の人が「認知」フェーズで精神状態が悪化します。
自分でわかっているのに特定の行為が改善されない、それは時として「甘え」だという事実も引き起こします。
しかし、それを改善する方法を知らないのです。どれだけ努力しても改善されない、潜在的な者が邪魔をするのです。
世の中真っ暗ですね。
ですから、専門医の判断というのは、非常に当事者にとってどれだけウエイトが大きいのか、ということを実感しましたね。
最後に投薬ですが、病院に行った時点では朝3錠、夜1錠と処方されました。
一年ちょいで10キロ減らしたので、備忘録にやったことをとりとめなく記します。
自炊できればひたすらモヤシ炒めて食ってりゃいいやと思うのですが、
私は寮住まいなので自炊環境がありません。なので食は全て外食に依存しています。
現状は、大体こんな感じです。
昼・・・やよい軒などの野菜炒め定食or吉野家のコモサラセット
栄養的には全く褒められたものではないと思いますが、こんな感じです。
要は昼の食事に一番のウエイトを持ってくるということです。ここで必要な栄養を取る。
このとき、必ず野菜メニューがあるものを注文し、それを先に食べるようにします。
夜は控えめにして、腹が減る前に寝てしまいます。家事などやることは朝にやる。という感じ。
その他、私には太ってしまう悪癖がいくつかあったのでそれを一つ一つ潰していきました。
×食べるのが早い → ◯とにかくよく噛んで食べる
×食べた後昼寝 → ◯食後5分〜10分は散歩する
×そばは太らない → ◯低GI食品が太りにくいのは本当だと思いますが、富士そばとかは蕎麦粉100%ではないので別
×腹一杯食べないと仕事に差し支えるという思い込み → ◯腹八分でも満腹でも、いずれ腹は減る。あと満腹だと眠くなって仕事にならない。
×夜食べないとお腹がすいて寝れない → ◯腹が減る前に寝る。空腹で寝ると熟睡できる。
要は考え方の問題ってことですかね。食わなくても意外となんとかなるって思えればいいんだと思います。
そもそも太っていると運動することに怪我リスクがつきまといます。
私の場合は最初ランニングから始めましたが、すぐ膝が痛くなりました。
オススメなのは水泳です。水泳でなかなか怪我をするなんてことはありません。
水泳の良いところはやはりカロリー消費効率が良いということです。
別に一キロとか泳がなくてもいいので、500m(往復10回)でもやればみるみる体が変わっていきます。
筋肉も同時に鍛えられるので、そういう意味でも時間対効果が抜群です。
あとは夜泳ぐと、しんどくなって夕飯食べる気がなくなります笑 全身運動だから内臓も弱るのかな・・・。
水泳環境ない場合はウォーキングでもしてください。通えるなら、ちょっとお金かかるけど行ってみるべきだと思うなぁ。
痩せればモテる!痩せればモテる!みたいなことをひたすら自分に言い聞かせてました。
実際モテはしなかったけど、一回one night stand的なこともあったので、まぁ良かったかな?
性欲であれ、ナルシスト根性であれ、原動力になるものは必要だと思います。
痩せると、見た目もそうだし、なにより減量に成功したという体験が自信になると思います。
【追記】
増田は身長175cmに対し、76kgあったものを66kgまで絞りました。
どうもイライラが収まらず仕事に差し支えると思って止めました。
その辺りは個人差があるかもしれません。
なんかすごいコメントついてびっくりしています。そして恥ずかしいです。
これは私のこころの声丸出しです。注意、これは日記です。そして私の恋愛感は一般的でないし、それが正しいとも思うわけないです。
だからタイトルに偏見、また暫定的とつけました。浮気するのもされるのも経験しないとほんとに分からないから、色々学んだと思って記録しました。
昨日、セフレ(添い寝するフレンドいわゆるソフレに近い)と一緒に寝ていて、何故か寝付けなかった。横でぐーぐー寝てる男を見ながら、2時間くらいしか寝れなかった。
いつもなら人の体温で安心して寝れるのに。昨日はお互い気分が乗らずにやらなかった。しかも暑くて狭いベッドでくっつきたくない。
わざわざ仕事終わりに付き合ってるわけでもなく、飲むわけでもなく泊まりに行くのは寂しいから。
まだ好きだけどお互い無理だと思って、遠距離だった彼氏と別れて。向こうは彼女はめんどくさいけど、セックスはしたいから。
夜、ずーっとやっぱり別れなければよかったと考え、でもあのままで付き合っても不毛だってぐだぐだ。
遠距離じゃなく会えてた頃の完璧な瞬間や、一日があって、忘れるどころかまだ変わらず好きだ。でも好きな分、多くの男に共通する思いやりがなく、自分の行動や言動に責任を持たず、された側の気持ちを考えない所に更に遠距離も加えて辛すぎた。
浮気もどうしても疑ってしまう。自分はどうなんだって感じだけど。
一緒にいるときに精神的な支えというか、この幸せがあれば自分は生きていけるなと思った。それまでろくに彼氏もいなかったから、こういうことかと腑に落ちた。皆がこれを求める理由が。
でも同じくらい?匹敵するくらいの精神的ストレスも負うことになると知った。
それが揺らぐと、1人の時より辛くて、他人と関わることだから自分ではどうしようもできない。
長くなるから簡潔に。
元彼や遊びの相手を経験して。男ってどんなに好きでも、それは女から性欲プラス癒し的な何かを得るためであって、それが満たされなければあっという間に好きとかいう気持ちや言葉から生じる誠実さ、執着、責任なんかは彼らの中から消え去ってしまう。
1人の人として、問題に向き合おうとするのは彼らにとってそれを得るための我慢でしかない。
男の言葉を信用してはいけないなんてわかってた。でも、お互い想ってするセックスと性欲だけのセックスの違いは分かる。
彼がどれくらい本気で、またはどれくらい誤魔化してその言葉を言ってるのか。それぐらいは分かる。少なくとも同年代の男なら。
要するに男にとって、女程恋愛とか人との繋がりがウエイトを占めていなくて、本人が意識せずともそこまで頭が回らず適当な関係を築いてしまう。
男が悪いって言いたいんじゃない。
そんな男を好きなのは女だから自業自得。結論は、女というか私もそこを見習う必要があると思った。
男の浮気ごときで過敏に反応したり、彼にとっての一番かどうか不安になったり。そんなの浮気されてても、一番じゃなくても気付かない方がいい。
男みたいな不誠実なものに精神的な拠り所を求めるのは危険というか無謀。
支えてくれなくても、信頼できなくても、たまにそばにいてくれて、寂しさを癒してくれ、セックスも出来る相手が2人くらいいれば、バランス保てるかもしれない。
結局失恋でやけになってるだけなのか?わたし
こんな風にすれていくんでしょうか。
追記
初めて好きな人ができて、結婚する気なかったのに結婚したいと思えるような人に出会った女がいて、その男は前に書いたように人の気持ちを思いやれない男で、でも軽いわけでなく、彼なりに真剣だった。親や親戚にも紹介したし、毎日連絡もとっていた。でもその思いやりがない
無神経な所他にも色々あるのだけど、それに疲れて、お互い、好きだけど一緒にもいれないから、別れた。
その元彼を引きずる女が、好きでもない都合のいい男と寝ている時に、自分なにやってるんだろうと虚しくなって、一瞬の幸せな時にすがって、男を精神的な拠り所にすることの無謀さに気付いた話しです。あれ、やっぱりわかりにくい?
でももう彼氏ができても、この人しかいない!って思えないと思うな。人が交換可能っていうのは分かるけど、そういう絶対的なものだと男を信頼ができないんじゃないか。一度の失恋でも、初めての失恋。
2013年7月 そもそも健康には自信があった。56歳。高血圧と高脂血症で治療中であったが、それほどほったらかしていたわけではない。
まずまず真面目に治療は受けていた。ジムに週二回通って筋トレ(ウエイト重め)とエアロバイク600kcal/100分をやっていた。
また、ソシャゲにはまっており、一日3時間くらいはやっていた。仕事は自営業。基本は座位。一日実働6時間。通勤時間は5分。通勤手段は車。
酒は毎日。焼酎やウイスキーをロックで飲むのが好みだった。たばこはやらない。やったこともない。家族は、父親心筋梗塞87歳発症。
ある日、嫁と市民プールで遊んでいた。ふと真面目に平泳ぎ(唯一人並みに泳げる種目)をしてみたところ、右足に激しい痛みを感じた。
歩くのもやっとという程度。次の日には腫れ上がって赤くなっていた。左足の倍くらいかな。肉ばなれだと思って湿布をはっていた。
この時はこれが大騒動の始まりとはとうてい信じられなかった。
親戚の整形外科に電話で相談してみても、まあ肉離れで全治2か月と言われたので、我慢することにした。
肉離れは二か月たったが、まったく良くならない。埒が明かないので、そろそろとジム通いを再開した。
11月の19日には通常どおりジムワークをやってみた。実はこのころ、体を動かすと動悸が打つようになっていたのだが、息切れまではしなかった。
通常どおり、エアロバイクを100分やってみたが、脈拍は特に変わりなかった。異変は21日朝にやってきた。
朝、顔を洗っていた瞬間、意識不明になったのだ。
気が付いたら、嫁が救急隊に電話をかけていた。やっとの思いでそれを断った。
一週間くらい我慢して仕事をしていたが、体を動かしたときの息切れがおさまらない。とうとうあきらめてこの日、病院に行った。
CTを取ってもらったところ、肺梗塞と、右足の深部静脈血栓症で、いつここからまた血栓が飛ぶかどうかわからないので、入院が必要だとのこと。
即日入院となった。治療は、ヘパリン持続点滴。酸素吸入。5日間入院して、仕事の関係で退院にしてもらった。
退院後、二週間で血栓はやや小さくなっており、CTでは肺梗塞も小さくなっていた。
12月の受診では、下肢の血流はだいぶ改善しており、三カ月分の薬をもらって帰ってきた。
反省。お前ら次のことに気をつけろ。
1)重めの筋トレ良くない。ウエイトは軽めで、その分カールを深くするほうが良い。
2)週二回、多めに有酸素運動をしたからと言って、運動不足ではない、ということにはならない。
3)酒は良くない。特にロックは悪い。酒は身体を脱水にする。水分取るべき。
4)とにかくじっとしているのは悪い。こまめに足を動かすべき。
5)病院で聞いた話。20代でもゲーム狂いが肺梗塞になるらしい。若いからと言って安全ではない。
ま、無事で長生きしてくれ。
一理ある。
争点のまとめを探していたら、このようなまとめをみつけた。
http://hamusoku.com/archives/8232151.html
うーん、消費税も特定秘密保護法も都政とは関係ないし、都が朝鮮学校への補助金を再開するかどうかも、都政のなかのウエイトからすればたいしたことがないし。
結局、争点はなんなんだろうね。
東京の税収は増えたけれども、地方の税収を吸い取ったという意味も大きい。
そこから先、東京の企業が発展したならば、100点をつけたいが、現状ではたんに地方から税収を奪っただけに見える。
単純に、福祉政策を充実させても、ただのばら撒きになると思う。
脱原発は争点にならないけれど、エネルギー問題と、災害対策はどの候補もやる気だろうと思う。
脱原発を抜きにしたって、エネルギーコストを下げないといかんだろう。
省電力、低燃費、そういうことは、長い目で見れば都政の、都民のお金のためでもあり、危機管理のためでもあり、地球環境のためでもあるわけで。
夜間電力の有効利用、オフィスの省エネ化、ピーク分散、エコカー推進、そういう取り組みは、原発再稼働するかどうかとは別に都政がかかわってもいいわけで。
政策間の優先順位のつけ方と、調整力の点で、誰が優れてるかを選ぶ選挙になるような気がする。
猪瀬さんがあんな形で辞めた後釜を決める選挙という意味では、人格で選ぶのが正論なのかもしれない。
あー、もうわかんないや。
いい悪いは別として、世界的に見て日本人は、文化的、社会的、そして言語においても極めて特殊だが、異常にオリンピックが好きな事も特殊。
そんなに努力したら報われる瞬間に飢えているのだとしたら、未だ社会生活、仕事で、健全で公正な環境に置かれていないということか?
実際問題どうなのだろう?
純粋に考えるとオリンピックが好きということはスポーツが好きということになる。ところがどうだ、サラリーマンの大半が休日又は
仕事の後に、スポーツに興じ汗を流しているという話は聞かない。そのような光景はあまり目にすることはない。
その代わりに目にするのは、抱えきれない日々の不満を、アルコールで解消しようとする、お腹の出た酔っ払い達だ。
その横を流行りのジョギングシューズ、ジョギングウェアーに身を包んだ健康志向の誰かが、お気に入りの曲をipodで聞きながらすり抜けていく。
俺は夢でも見てるのか?
マラソン中継を放映している国、それを飽きもせず見続ける国民。私はそんな国は日本以外知らない。世界を知らないだけなのか?
この状況を客観的に見れば、日本人はスポーツを観るのは好きだといえるが、自ら進んでスポーツをする事はあまり好きではないということになる。
中学、高校と部活等を通じてスポーツで汗を流す少年少女は多い。それが例え決められた制度であったとしても、スポーツに興じてることに変わりはない。
この期間で自らが興じるスポーツが好きになる人も多いだろう。
そして、そのスポーツに対するアクションは、”観ること” よりも "する事" の方が大きなウエイトを占めている。
それがいつの間にか逆転するのだ。
スポーツの価値観が、健康的な価値観から余暇的な価値観に置き換えられると言ってもいいだろう。
その背景に見え隠れするのは、 仕事が一番でなければいけない という強迫的なあれだ。こう感じるのは考えが飛躍し過ぎだろうか?
かくして、仕事に疲れ果て、体を動かくこともままならない日本人の、スポーツをしたい欲求を満たす為に、代わりに、スポーツ映像をメディアは垂れ流す。
自分の満たされない欲求を、映像の中の選手に投影する。選手たちは、希望どおりの働きをしたり、逆に残念な結果を出したり、ときに想像を超えた活躍し視聴者を刺激する。
そう、視聴者にはスポーツをする時間も、余力も持ち合わせていないのだ。
「もっとくれ!、もっとくれ!もっと!」「視聴者は欲しがってる、こいつはヤツらの希望を満たすドル箱だ!どんどん垂れ流せ!」そんな幻聴が聞こえてきた。
こんな話がある。
オリンピックの放映権はドル箱ビジネスで、年々高騰している。その対策としてNHKを含む民放6社がお金を出し合い、放送権を獲得することにした。
1976年のモントリオールオリンピックから今にまで続いている。オリンピック期間中、ほぼどのチャンネルを回してもオリンピック放映となるのはその為だ。
各社は特色を出すためにタレントや芸人を起用した演出を模索する。芸能人にとってもオリンピックは稼ぎどきなわけだ。
話を戻そう。映像というのは優れた面も沢山あるが、使い方次第では非常に危険な装置に成り代わる。
昔から洗脳に使われたように、無意識化の脳に直接働きかけるため、思考や行動をコントロールすることに威力を発揮し、中毒性も高い。
これは少なくてもメディアの中枢に関わる人達には常識と言えるものだろう。
だとしたら、結果的にメディアは、 仕事が一番でなくてはならない という強迫的なあれに協力、貢献し、スポーツをすることもできないぐらい疲弊し、時間もゆとりもない国民を作り出してしまった。と言い切るのは歪んだ視点なのだろうか?
しかし、そんな惨めな自分たちに気づき、これではダメだとゆとり教育を推進し、彼らが社会に出ると、ゆとり教育は失敗だった。ゆとりは使えないと大合唱し、元の詰め込み減点方式の教育に戻すのは、なんの三流喜劇なんだか。
http://anond.hatelabo.jp/20130903091459
数日前でしょうか、ITメディアでドランゴが女子マネ&弁当作戦でエンジニアさん達の早朝出勤を促していると聞いて、
面白いアプローチだなぁと関心してたのですが、はてぶコメ見てたら「女性差別」とか「気持ち悪い」とか
中には「これ法律違反してね?」とかとにかく不評コメが多くてびっくりした。
ドランゴの企業文化とか問題対処のアプローチの仕方とかいろいろ変わってて面白いなと脳天気にみてたんですが、
批判してるひとはネタで切れてるんでしょうか?それともマジギレなんでしょうか?
やめてくださいよ!
寒いんじゃ。
殺すぞ!
イメクラなりキャバクラなりはそれが好きなおっさんだけで連れ立って
僕は別にドワンゴで働いているわけじゃないですが、似たような業界で働いている身として今回のドワンゴの対応の内情とか勝手に想像して
(中略)
上記のように、
バッサリ中略させてもらいました。
結局主張の筋に必要なのってこの3行だけだよね。
(あんた「話のウエイト選択がおかしい」「お前の話は聞いてらんねえ」ってよく言われない?)
つまりはこれだけ、
元の記事読んだだけの他業種の人間でも「ドワンゴはエンジニアに早出社を求めてるんだな」ぐらいわかるよ。
そこで「なんで早出社求めるんだ!理由を言え!」なんて反論はついてねーだろ。
誰も聞いてねえポイントを長々語るんじゃねえよ。
エンジニアってのはお前のように焦点定まらない駄脳でも勤まるのか?
これで大抵のブラック企業でしたら残業についてはノーコメントのくせに午前10時までに出社しない社員には罰金とか
そういった罰則規定で早朝出勤を促そうとします。
でもまともな人なら「ふざけるな!」となりますよね。
そして優秀なエンジニアでしたらそんなブラックな職場にはおさらばしてグーグルやらFBなどの外資に転職すればいいわけです。
つまりドワンゴ側としては「エンジニアにはできるだけ早く出社してほしいけど、
でもそれは罰則による強制ではなく、本人たちが自発的に早く出社したくなるようなモチベーションを生み出す仕組み」が必要になってくるわけです。
この段も実はまるまる省略できたよね。
強いて書くにしても「エンジニアの早出社モチベーションをあげるために、」の1行でいい。
うん
だからよお
ドワンゴがエンジニアに早出社させたいのはわかってるし、別にそれはいいんだよ。
批判がついてたポイントはそこじゃないだろ?「早出社させようとするな!」じゃないだろ?
その”解決法”、手段が、キメエ・おっさん趣味・寒い・セクハラじゃん
て言われてたわけだろ。
早出社させたいのはわかった、
なんでそこで「女子マネ&お弁当」になるのか?って言われてんだろ。
焦点じゃねえとこにダラダラダラダラ20行近く使っておいて
じゃねえよ。
なにがどう「以上の理由により」なんだよ。
これっぽっちも繋がってねえし女子マネである理由の説明になってねえじゃねーか。
お前がドワンゴを擁護して批判に反論するなら
そこを述べないと話になんねーだろ?
はなから外部に理解されない内輪に秘するべき奇習なら外部に出さなきゃいいだろ。
ドワンゴとしては「こんなことやっちゃう俺たち面白いwww」と思ったから得意げに宣伝したんでしょお?
だから「きめーよ」「さみーよ」「セクハラやめろよ」つってんだよ。
その金でエンジニアに早出社手当て出すなりリフレッシュ設備や豪華な仮眠設備なり設置すれば?
エンジニアもそれなりに楽しんで出勤してきているし、
なんでそんなことがわかるの?
みんながあの女子マネージャーのコスプレしてる成人女性(プロ)から弁当もらうきっしょいイメージプレイを楽しんでるの?
偉いオッサン主唱の新制度の撮影だったら使用人は付き合わざるを得ないよね?
基本的にセクハラだよね?
思ったんでちゅか。
語尾に(小並感)てつけとくといいよ。
つうかもー別にドワンゴの寒い社内制度なんかどうでもいいんだけど
お前の悪すぎる頭、無駄なことばっかり長々喋って焦点を外す脳味噌のほうに興味が湧いている。
お前一体どんな仕事してるの。
エンジニアってのはそれなりに論理的でスマートな脳みその持ち主がなると思ってたんだが
お前みたいな話がとっちらかるウスラボケでも勤まるの?
う~ん、まず「普通」の意味が人によって違いそうだから、そこを定義しないと何とも。
殺人までいかなくても、チカンレベルでも「普段は普通の人だったのに」と捉える人も「普通の人は超えない一線を越えてしまった」ととらえる人もいるだろうから。
で、この問題を考えると教育レベルの話が意外とウエイトが高くなるかもなぁと思う。
教育課程でどれだけ自制心を養えるかと、自分が同じことをやられた時にどうなるかという想像力を鍛えられるかの。
教育を受けていない人間はそれこそただの野獣だから、”普通”の人間でも躊躇なく人を襲えるだろう。そもそも、人を殺す事の痛みを感じる事もなく。
戦乱に明け暮れて、ろくに教育を受けてない国ならどうか?まあ、自分が殺されたら凄く痛いという想像力はあっても、倫理として人殺しが悪いとは感じないから、
やはり”普通”の人でも結構簡単に人が殺せるんじゃないかな。
じゃあ日本はどうか?大体、年間殺人件数は1000件強くらいという、人口の数を考えれば非常に少ない数で推移している(注)
という事は日本においては「殺したい」と思っても直前で思いとどまる人がほどんどで、
まあ、恐らくほどんとの人は「人を殺しては駄目」という自制心が働いているのだろう。
で、ここで「普通」の意味合いが人によって違うという問題になって、実際に殺人が起きた時、
「殺人を思いとどまっても『殺したい』と(衝動的にでも)思ってしまう事は誰しもあるのだから、それを行動に移してしまう事は普通の人にも十分ありえる」と捉える人もいるし
「『殺したい』と思った事がある人は多数いるが、そこを自制するのが普通の人で実際に行動にまで移してしまうのは普通でない」と捉える人もいる。
これは「普通」の意味合いをどのポイントで捉えるかが違うのだ。前者と後者は同じ「普通」という言葉を使っていても、
頭の中で描いている「普通」の意味に相違が出ている。
だから、そこを理解せずに「~という考え方をしている奴は」みたいな意見を言っても話は交差しないんじゃないかと思う。
で蛇足ながら、上記の(注)の部分だが、
確かに日本では殺人件数は少ないかもしれないが、ご存じのように自殺も殺人と考えるのならば年3万人以上と数字が跳ね上がる。
教育課程で「他人に害を与えてはいけない」という事を教えるのにある程度成功しているのだろうが、
それが翻って「他人に迷惑をかけるくらいなら、自分がその損害を被ろう」と考える人が、想像よりもずっと多いのではないか?
数字だけ見れば本当の普通の人というのは
「アイツを殺そう」と思うより「アイツを殺すくらいなら、自分が死のう」と思う人の方なのではないかと感じるくらいだ。
人の「普通」は誰しも共通ではなく、その人が成長していく過程で学んだ事が集約されての「普通」だ。
日本の普通とアメリカの普通とアフリカの普通とオーストラリアの普通・・・・全部違うだろう。
だからこそ、教育プログラムというのは非常に重要で教育の場は知識を詰め込むだけでなく、もっと大切な事が色々あると思う。
幸いにも人間は本能を理性で制御出来る数少ない動物なのだから。
うちも夫戦力派
頼れる親はいない。
1人目の時はなんでもやったけれど、2人目妊娠判明したのが3ヶ月で、子連れ出産できる病院が近くに無くて、
計算しつくして不妊治療で授かったのに、妊娠高血圧症になっちゃって動けない。
保育所も3月生まれか4月生まれかで入れるか微妙な地域なので「出るな出るな~」って祈ってたのに、結局早産。
時短取らないからって約束して妊娠期間中休み多く貰ったので、1年でフルタイム復帰。
この時点でもうテンパってた。
慣らし保育で1ヶ月、その後も子供が泣くと発熱して1ヶ月は呼び出し。
呼び出しがあると法人提携のベビーシッターサービスを使い、熱があると別の区まで病児保育に朝晩タクシーで送迎。
月々の支払い10万超えてた。いくら正社員だって子育てに使う金銭がウエイト締めすぎ。
産後の肥立ちが悪くて、精神的に抑うつ気味になったりして、働く意味とかキャリアパスとか考えたりして。
自宅で個人事業主として独立。稼ぎは安いが子供の対応ができるようになって、
そして私は降格願を提出して平社員になり、定時で帰宅するようにした。
この苦痛を「みんな なんとかやってるんだから」と括られるのは嫌。
嫌なら産まなきゃいいじゃん、でも後悔すんなよ、とか平気で書く奴に呆れる。
なんとかやれる家庭とやれない家庭がある。親に頼れるか、夫に頼れるか、お金で解決できるか否か。
なんとかできてない家庭もある。子供を保育所に入れていると、驚く保護者に出くわす。
どんな家庭にも時間は流れる、ただそれだけのことだよ。
子育てをするには、多かれ少なかれ、何かを犠牲にしたり、諦めたり、金銭解決しなくてはならないと思う。
でもだからといって、自分の生き方を見て「子供を作りたくない」と思う子作り世代の方がいたとしたら、すごく辛い。
なぜなら、色々辛い選択もしたけれど今は案外幸せにやってるから。
人生って1本道じゃないんだなって、思うことがたくさんある。
主さんには、頑張って欲しいと思う。
自分を犠牲にして何とかしようとするのではなく、子供を守るために会社にハッキリ意思表示することとか、
別のサポーター(夫・親・業者)を見つけるとか。
頑張ると無理は違うんだから。
二人目の壁なんとか乗り越えた同士より
http://anond.hatelabo.jp/20130504121902
そんなの現実には有り得ないよね。
一方で従来の「友好!」路線がもう頓挫してるのも明らか。
要するに0か1かの極端な議論じゃ複雑な現実への答は出ない(あたりまえ)。
じゃあ今日本がやるべきことはっていうと
徐々に中韓に対して冷ややかになることだよ。でしょ?
でもこちらからの好意的な働きかけや何かの供与はもうやめていく。
くれるなら渡す。くれないならしない。
嫌がらせしてきた時は必ず得ではなく損を持ち帰らせる。こちらの身も切ることになっても。
「日本に対して悪意持ってる奴ランキング」なんてものがあったとしたら
で、その2カ国に対して日本はまるで最大の友好国にするみたいな最大の配慮をしてきちゃった。
で、もういい加減無理だってなってる。
でさあ、
増田もそうだしブコメに「鎖国するのか!」的な事言ってる馬鹿複数名もそうだけど、
こういうの絶対わざとやってるよね?
反対側の箱に明らかに非現実的な選択肢をポツンと入れてそれしか無いように言うことで
従来の「何されても無限の友好」路線に誘導したい。
違うか?
じゃ具体的にどうするか?
かんたん。
中韓以外の国との結びつきをどんどん深める。
不遜な言い方になるけど、日本と親しくしたいと思ってくれてる国は世界に無数にある。
もちろんどの国だって何らかの問題はあるけど
抜きがたく悪意マックスの相手より付き合いにくい国はそんなにない。
嫌がらせやタカリをしてくるA子ちゃんB子ちゃんと「友達だし!」って言いながら辛そうに付き合ってるC子。
この子になんて助言する?
「A子ちゃんB子ちゃんは適当にスルーして他に付き合う友達見つけなさい」って言うよね。
クラスにはC子と付き合いたがってる子がそれなりに居る。
で、こういう時のA子とB子の行動はわかりきってる。
「私達を怒らせたらもう誰にも相手にされないよ」
「私達と距離を置く?へー誰とも付き合わないつもりなんだ!」
ってわめくわけだ。
(これって中韓やそのシンパがことあるごとに言う脅しににそっくりだよね。)
まとめると
中韓に対する常識的かつ穏便妥当な対処は「付き合いはしつつそれなりに冷たくなっていくこと」で
それをされると困る奴等が「断交するのか!」っていう極端な選択肢を持ち出して牽制をかけるわけ。
まあ俺がこんな1から10まで解説しなくても
感覚的に見抜いてる人の方が多いだろうけどね、いい加減。
http://anond.hatelabo.jp/20130122033549
元増田です。
トラバとブクマ、ありがとう。いろいろ考えさせられて思い出すことも多かったです。
それでちょっと重要なことをいくつか書き忘れていたので、以下に補足します。
前にも増して読みづらいかもです。そして、前のエントリと印象違うかもしれないので「用心深く」読んでください。お願いします。
*
前のエントリで毎日体罰を受けていたような書き方をしてしまったが、何日かたって思い返すに、そんなに頻繁には殴られていなかった。ことに私に対してはそれほどむけられることはなかった。
私は心身ともにヘタレだったので、こいつを叩くとつぶれる、と思われていたのだろう。先生も人を見て叩いていたのだ。
バレーボールというスポーツの構造上、エースは「トスが上がったら必ず打たなければならない」宿命を担っている。
セッターはその時点のアタッカーの状態、あちらのチームのブロックの状態、ゲームの流れなどを考慮して、その時点で一番点が取れるアタッカーにトスを上げる。エースはレフトから、補助アタッカーはライト、センターから。
補助アタッカーにはクイック攻撃もあるが、エースはほとんど高いトスを打つオープン攻撃。どっかん大砲を撃つ役目だ。
ゲームの中盤くらいまではクイック攻撃なども使えるが、ラリーが続くと必ずボールはエースに上がる。
上がったら打たなければならない。どんなに疲れていても飛んで、打たなければならない。ラリーが続く限り、なん10発でも。打って、決めなければならない。それができるから「エース」なのだ。
もちろんほかのアタッカーを使うこともできるのだが、ゲームの流れで、「どうしてもエースしか通用しない場面」ってあるのだ。
だから、エースってきつい。昔は後衛に回れば休めたが、いまはバックアタックも打つから休みなし。本人が自覚しなくても、構造上チームを引っ張らなければならない。それが「エース」だ。
チーム全員で拾って拾って拾いまくって、粘って敵失を誘うというチームもあるけど、身体能力に優れた選手が一人いればやはりその選手に集中する構造になるだろうと思う。
「キャプテン」もそうだ。
ゲームで、チームの期待が集中したときにそれを受けて結果を出さなければならない。
だから、「エース」や「キャプテン」を練習でいじめぬく指導者は多い。ほかのメンバーがミスしても怒られないような場面でエースが気のないプレイをしたりするとそれはもう怒られる。「自覚」をたたき込むことが練習でのかなりのウエイトを占めているのではないかと思う。
そこにはかなりの不公平感が漂う。不公平であるのはほかの部員もよくわかっている。あるいは、自分たちのミスをかわりに怒られることもある。そんなとき、メンバーは
「ああ申し訳ない、自分たちがふがいないせいで、自分たちがミスしたせいで、エース(キャプテン)が怒られている。次は絶対にエースに負担をかけないようにしなくては」
と考える。こうやってチームのつながりは少しずつ強くなっていく。
体罰が起きていたときに、なぜほかの部員が止めに入らなかったか、といわれている。他ではわからないが、うちではこうだった。
そしてまた、体罰というのはたいていが理由がある。
記事でもあったが、「怒られるのは気のないプレイをしたとき」。理由はちゃんとあるし、その理由は常に筋が通っている。
うちのチームでは、エースがラリーで相手に拾われた、あるいはブロックで止められたときは怒られることはなかった。打ち損ねたとかタッチネットしたとかで、相手にポイントが行ってしまったときでも怒られることはなかった。
でも、苦しくてフェイントでごまかそうとしたり、ただ相手コートに入れるだけだったりするとものすごい勢いで怒られた。「そういう姑息なことをするな」と言われた。
力一杯ぶつかってだめだったらそれは仕方ない。が小手先でごまかしたり逃げたりすることに対しては非常に厳しかった。
大人になって働くようになってから、その意味はちょっと分かる。苦しい中ごまかさず、妥協せず頑張りとおす、みたいなことだった。
いい指導だった、と思う。
*
これって、どう感じられるだろうか。
ゲームでは、時に一人が重責を担わなくてはならないときがある。それに耐えるためにはどうするか。支える周りの人間はどうするか。
試合に負けたっていいのだ。大切なのはそれに立ち向かうことだ。
与えられた役割を担うこと。そして彼/彼女を信頼してサポートし、最後のボールをゆだねること。
それは悪いことではない。
だけど。
それじゃあ身体能力に優れて、夢を持って入学してきた生徒が自殺するのはなぜなんだろう。
だめな人だったんだろうか。
私の先生はいろいろとトラップを仕掛けて私たちの自主性を試していた。見捨てられても食いついてくるか。先生の意図を乗り越えて、自分の意志を通すか。
しかしヘタレであるところの私たちは、その意図を知りつつ、演技をした。自主性をもって動いているかのような演技。だから、空気を読むことは大変うまくなった。先生が望んでいるものを演じるようになった。表面は大変「スポーツマンらしく」なった。が、内面ではもう気力はつき、早くやめたいと思っていた。
今考えると、ため息が出る。
でも、これが現実だ。
もし、このとき先生が「善意」で、どこまでも私たちの演技を許さず、追及していたら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは克己の物語を「美しい」と感じる文化の中に住んでいる。一方、頑張れ頑張れと強いられたあげく、追い詰められた末の死というものの悲惨さもよく知っている。
だからこそその双方を知る人々は口ごもる。
この矛盾は多分、誰でも持っている。そして明確に解決できていない。
だから、思う。
一人を責めても解決しない。
*
教師と生徒が一緒になったいじめを受けていたという増田もいる。
http://anond.hatelabo.jp/20130123190802
http://www.asahi.com/national/update/0124/OSK201301230152.html
生徒はミーティングで部員に「覚悟を決めて、頑張るわ」と話した。 部員から「チームのために怒られているんやから、全員でカバーだ」「助けてやろう」と、励ましの声があがった
いい、チームではないだろうか。
「いいチーム」なのになぜ死んだのか。
「いい人」だからだ。
本気で生徒を伸ばしてあげたいと思い、「本気で」体罰が彼らをよくすると思い込んでいるからだ。困難を克服することが、彼らにどうしても必要だと思っているからだ。
体罰を「誰かをスケープゴートのようにして恐怖の支配をする」という記者もいる。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130118k0000e070251000c.html
私はこれに強い違和感を覚える。
「いい人」だから、善意にあふれているから、何回注意しても体罰を繰り返すのだ。自分のことではなく、相手のことしか考えていないからだ。相手がよくなればそれでいい、と考えているからだ。それがチームの結束を強め、自分で考える力、自分で解決する力をつけると思っているからだ。実際は、そうじゃないのに。
ここが理解されない限り、世間は「体罰いけない」と「現場では体罰あっても仕方ない。頑張れば克服できるはず」のダブルスタンダードを繰り返す。
体罰が法律で禁じられていることは、建前だと思っている。生徒にわからせるには体罰が一番通じると思っている。だから、殴る。善意で。
だから、異常者を切っても解決しない。桜宮高校だけではない。日本全国に法律違反をしてでも生徒を指導しようという「熱くて」「いい先生」はいるのだから。
「いい先生」と、「いいチーム」。
生徒は、「部員の信頼を失うので『キャプテンを辞めたい』とは言い出せない」と言っていたそうだ。
http://mainichi.jp/feature/news/20130110ddm041040111000c.html
信頼を裏切ることは、ときに侮られるよりつらいことだ。
教師もきつそうだと、キャプテンを辞めさせようかと何回か提案していたが、そのたびに「やります」というやり取りを繰り返していたらしい。
折れそうなところを起き上がって、また折れて、起き上がって。
生徒が弱かったのではない。
休まなければならなかっただけだ。
全員部活参加の体育科で、進路に非常に重要な影響を持つ部活動、そして迫っている新人戦。練習試合のたびの詰問、体罰。
「体罰は、やらない方がいい」という結論は同じなのだけど、それは誰かに責任を覆いかぶせるとか、ましてや一つの学校を潰してすむことではないと思う。