http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20150805/p1
世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在としての地域社会が消失した以上、そのぶん、それらを親が引き受けなければならないウエイトは増大した。親自身が自由に子育てできるようになったとも言えるし、親自身が子育てを一括して引き受けなければならなくなったとも言える。さておき、育てられる子どもの側からみれば、世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在としての親のウエイトは相対的なものから絶対的なものに変わった。
私もそう思う。
かなり古いけど1996年くらいに出た本で「学校の再生をめざして」という本がある。
学校に過重な負担がかかる前段階として、親の変化を説明してた。
この時からなにか変わっただろうか。
大体上に書かれているとおりで、能力的にもリソース的にも不足している親に「世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在」が全て押し付けられる。その結果として、教育の場は閉じた家庭に限定されるため、教育されている内容に偏りが出やすくなったり、そもそも教育が不足する、と。
そういう子を引き受ける学校には、以前より能力ある教師やリソースが必要となるが、実際には人員や予算は削られていく一方で、雑務や報告義務が増加したりと、負担ばかりが増加していく。
にも関わらず、家庭に親にしても学校における教師しても、「他の人間が関与する余地を排除する」構造になっているため、全面的な責任と裏返しの独占的な支配権を保有することになる。
親も教師も、周囲から能力に対して過大な結果を求められ、責任を負わされ、問題を起こすな周りに迷惑をかけるなと言われ、それでいて自分たちにはそのために必要な能力もリソースも手助けも理解者も足りない。 あるのはただ支配権だけ。
こういう条件で子育てしろって言われた時に、「失敗」する確率は高い。何を重視するかにおいて、「周りに迷惑をかけるな」を重視すると、自分がもつ権力や暴力を持って子供を黙らせるしかないって考える人もいる。被害者意識が強くなると、子供を敵視する人だっているかもしれない。
こういう状況で、子供が発達障害児だったり、親と相性が悪かったりした時に、親はどうすればいいのか。どうすればよかったのか。
そう考えると、毒親もまた被害者ではある。
そういうことはこの年になってわかってきた。
とはいえ、自分は親が自分にした仕打ちを許せるかというと許せないのだが。
だが、親だけを恨むのは筋違いであろうということだけはわかる。