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はてなキーワード: アニメ映画とは

2016-10-08

[]10月8日

○朝食:なし

○昼食:牛丼、卵、豚汁

○夕食:考え中

調子

おやすみなので、はややーって言いながら、レンタルビデオを見ていた。

4本もまとめて見て、特に面白かったのがズートピアってアニメ映画、とってもよかった。

あの世界観は、いくらでも掘り下げられると思ったので、テレビシリーズとかもやらないかなあ。

バッジとれ〜るセンター

ノー課金

ポケとる

ログボのみ。

ポケモンコマスター

ログボのみ。

ポケカGB

化石秘密ゴーストがやっと1枚出た、やったぜ。

あともう一枚は欲しいなあ。

2016-10-05

聲の形図書館戦争、なにが違ったか

聲の形ヒロイン像が漫画連載当時から物議を醸すことが多い。

まぁ批判の一部は読めば理解できるし、うまく書けているとは言えないと思う。

個人的には聴覚障害を持つ可愛い女の子が出てくるフィクションとして図書館戦争がある。

「え、出てきたっけ?」と言う人も居るかもしれない。そんなあなたアニメ視聴者レインリーの国がそのキャラからまれ派生作品だと、ファン以外にはあまり知られていない。

アニメでは色々な事情があったらしく、メインキャラにも関わらず出演シーンが無かった。酷いと思った。

スタッフも出したかったのか、特典アニメとしてその子がメインの話をアニメ化していた。

アニメ映画では1シーンのみ出てくる。

実写版では続編に登場した。時間の都合上1作目には出なかったのか、それとも「ま、今回は良いよね当たるかわかんないし」みたいな感じで出さなかったのか疑問はある。

方針時代が変わったのか実写でそのキャラクターが登場して、少しホッとした。

ビジュアルもっと聲の形みたいなキャラ想像していたが)

スピンオフでは原作とは全く違う形で記者会見を開き、いわゆる「感動ポルノ」で訴えかけ始めたときは、頭をかかえ思わずテレビを消した。

まぁそんな風にしてあまり原作通り動かせてもらえていないキャラクターなのだが、ここで言いたいのは原作の話。

原作のそのキャラに、聲の形ほど違和感は感じない。

まぁいじめられてる描写が無いというのもある。彼女の周りで色々と問題が起こるというストーリーもあるのだが、彼女気持ち悪いと思うことは無かった。

聲のヒロイン聖者のように描かれていた。無理に振舞っている部分を見抜かれ気持ち悪いと言われるものの、それぐらいじゃ彼女聖女であることに変わりは無かった。

綺麗過ぎて気持ち悪い、といった感情かもしれない。

図書館戦争彼女嫉妬もするし人も避けた。聖者として描かれていなかったし、言いたいこともはっきり言っていた。

彼女の周りには、しっかりとした大人がついていた。

彼女が恋におちた男性は、作中で最も常識のある人だった。

巻数を進めるごとに普通女の子として描かれていたし、ある種それこそ「理想であるかのような状況だった。

ここまで考えて分かったのは、聲の形ヒロインは健常者が障碍者に対する「こうあってほしくない」がつまったキャラなのではないだろうか、ということだ。

健常者の大半は「明るい障碍者」を好むのだ。ある種、自分の都合だろう。

言いたいことを言わない、遠慮をする、引っ込み思案でいつも申し訳なさそうに、そしてなにもかもを許してしまう。

そういう障碍者は多いだろう。そしてこれは障碍者だけではない。コミュニケーションがとれない人の多くはこうだ。

しか世間でそういう人が好かれるのは難しい。もしかしたら聲の形が描いたヒロイン像は、こういうことだったのかもしれない。

また先にも書いたが、聲の形にはまともな大人ほとんど居ない。

ヒロイン自分をおしこめていくだけの環境は整っていたし、いじめがどうやっても解決できないだけの状況になったのも大人責任だ。

しかし実際に、図書館戦争のように理解できる大人が周りに居ること。理解できる人と恋におちることができる状況はありえるだろうか。

もし聲の形原作者ヒロインを「好きになってもらえるキャラ」として描いたというのなら、それはおかしいと言いたい。

だけど「リアルを描きたかった」と言うなら、ヒロインだけを見ると、もしかしたら現実を描いたのは聲の形だったのかと思う。

(ただ漫画全体を見ると付属要素にフィクションが多い。本当に許せるか?という疑問は残る。加害者被害者恋愛ものは時々実写であるので、その辺も考察していきたい)

うん。だからやっぱり好きなキャラクター図書館戦争の鞠江になっちゃうね。

障碍者には言いたいことを言ってほしい。そういうことが言える環境に居てほしい。

聴覚障害を持った、正反対可愛い女の子キャラ

この二人を比べた結果、そういうことを思うのだった。

うそう。図書館戦争の話をすると、この話をしたい。

この記事には「障碍」と「障害」が出てくる。

聲の形に似た「聾」は「つんぼ」と読むと放送禁止用語となる。

このことについて、しっかり考えたことがあるだろうか。

害は果たして嫌なものなのだろうか。なにかに障害があるのは事実なのではないか

龍と耳で出来た「聾」の漢字の何が悪かったのか。

つんぼ何が悪いのか。

いまだに間違って聴覚障害者にまとめて使われる「ろう者」とかも含めて。

言葉狩りはどこまで続くのか、みたいなことを考えるきっかけにもしたい。

2016-10-02

君の名は。MV的って言われて怒る人

よくいるけど、MVとかMV的って言われると貶められた気分になるのかな?

どうしてだろう。

宇多田元旦那紀里谷和明MV出身で、キャシャーンで笑い者にされたからかな?

からMV映画より格下と思ってる人が多いのかな?

でも、別にMV的」とか言う人がいても、貶してるとは限らないだろう。

事実として映画の印象的なシーンで同じバンド新曲が4曲も流れるんだからしかアニメの動きと曲はピッタリ連動する。

監督はできた曲を聞いて、作品をいろいろいじったとも聞くし、曲主体映像作品MV的なアニメと十分言えるし、むしろ褒め言葉だろう。

しろ近年、ドラマ仕立てのMVが量産されてYouTubeを通じてどんどん若い子に視聴されている。

若者映画よりもMV視聴時間のほうが高いんじゃないか

からこそMV的に作られた『君の名は。』が大受けして何度視聴しても飽きない、リピーター大勢出現したんだろう。

これからどんどん同じタイプMVアニメ映画をつくるべきだよ。

日本コンテンツは、超長連載の漫画や、最低でも1クール仕立てのアニメばかりで映画は弱かった。

これらの長い物語映画化しようとすると、どうしても端折る部分が大きくなり、説明不足になりファンは納得しなかった。

でも、『君の名は。』の場合、端折ってるストーリーはたくさんあるが、そこを全てRADWIMPSの歌に合わせてダイジェストで流すことに成功した。

歌と音楽で観客への説明不足を圧倒して、なんとなく理解したつもりになって次の場面に行くことができる。

歌と音楽で圧倒するといえばミュージカルだが、ミュージカル日本人ディズニー映画しか受け付けない。

けどMV映画なら受け付けられるのだ。

2016-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20160929012028

大ヒットアニメ映画と唯一変わりないのは、その後めちゃシコだったことのみである

君の名は批判がしっくりこない理由

それは

君の名は」が

『どういう立ち位置作品』として見ているかが違うからなんだろうなー

と思う

俺は君の名はもっとマニアックな…「劇場版深夜アニメ」くらいのノリで観に行った

でもなんだか「君の名は」の批判って

間違っても増田なんて見ることはないリア充カップル向けの恋愛映画

文学的価値のある高尚な芸術映画

みたいな視点からされてる気がするんだよね

アニメ映画だぜ?

それもジブリアンパンマンドラえもんじゃないんだぜ?

もっとアニメオタク向けの映画じゃねえのかこれ?

結果的には俺の住んでるクソ田舎映画館でも上映される

老若男女の非オタクを取り込む映画になってるけど

新海誠ってそんな映画のつもりで作ってたのかなー?(ちなみに俺は新海誠作品はこれ以外何も見たことない)

例えばアレだ

何年か前にあった「サマーウォーズ」とかい映画

あれくらいの感覚

基本的にはアニメ好きなオタクをメインターゲットにしてるけど、なんかの拍子にリア充(非オタク)にも受け入れられたらいいなー」

くらいの作品

君の名は」ってそういう映画なんじゃねえのかなあ

から俺は深夜アニメ美少女キャラが男に媚びた言動をしても(個人的にはムカつくが)違和感を感じないように

女としての性的価値が云々とかい違和感特に感じなかったし

ストーリーのありきたりさとか矛盾に関しても

「まあこんなもんだよね」

しか思わなかった

2016-09-28

一部はてな民新海誠につらく当たりすぎてて笑う

なんか痛烈に批判してる人が結構いて笑う。

ネット特番とか見てると異様に腰が低くてめちゃくちゃ常識人臭がするけどあっちこちで叩いてる人いるのが面白い


オタク相手だと常識人の方が感情を逆なでされるのかも。

あるいは今時アニメじゃ珍しい、ド直球の恋愛映画を描いたからだろうか。

ここまで明確に恋愛を中心にすえたアニメ映画って珍しいよね。

テレビアニメとかだとラノベ原作とかあるんだけど。それこそ新海誠の好きなとらドラ!とか。

君の名は。」をエロゲみたいという感想について

あいにくの雨模様ですね。おはようございます

さて今朝は君の名はエロゲみたいだと主張する意見について語りたいと思います

まずエロゲ定義として胸部をさわさわするものではなく、この場合ストーリーがあるものだとします。

さて、あなたエロゲをやったことがありますか?

エロゲ会社社長ツイートソースですが、エロゲ売上は5年以上連続で毎年20%前後下がり続けているというデータがあるのだそうです。

理由はいろいろあげられますが、とりあえず「売れなくなった」ことが客観的にある事実なのです。

最近若い子はストーリーのあるエロゲを知らないとは言わないけれど、少なくともブームにはまったく触れてないのでしょう。

大人になってもエロゲをやめられない大きなお友達には、なにかの欠陥があるのかもしれません(それでこそオタクだと言えるでしょう。誇りを持ってください)。

しか大体大人になるとエロゲをやめてしまます

若い子がメインのゲームで、若い子がプレイしない。産業としての終わりを感じますね。

この話から、分かることがあります

それは「エロゲ」を比喩として使う層は、少なくとも10代では無いということです。

5年連続とも言ってますし、U25にはもう馴染みがないのかもしれません。

エロゲを知り尽くしているかのような発言を見てもアラサーがギリでしょうか。

と言ってエロゲをみんながしていた時代なんてありません。09年の感覚によればエロゲの売り上げは1万でヒットレベルです。

君の名は。は動員数700万人を超えました。

エロゲだ、エロゲだ。と騒いでいる人。それを広めたい人が居るようです。

しかしまったくもってその比喩は広く響かないし、自分エロゲマニアおっさんだと認めるようなものなのです。

エロゲプレイヤーとして自信を持っているのなら良いですが、どうも目にするのは「みんなエロゲしてるよね。エロゲみたいだよ。若い子は違和感抱かないのかな」みたいな論調が多く、怖いです。

KOWAI。KIMOI。似てますね。

それと同時にセカイ系連呼している方もいらっしゃいますが、エヴァンゲリオンは今年で21周年を迎えます

若い子は知らない、のではなくそから受け継がれていたものがあり、何度も形を変えたと思う方が自然しょうが、何故「セカイ系」という概念にこだわっているのか。

古い概念で論じている時点で、多分「君の名は。」を語ることはできないと思います

まずRADWIMPSの軌跡みたいなのを掲示板以外で勉強して

BUMPと一緒に語られることもありますが、BUMP世代よりもう少し下の世代配信時代が始まってから出てきたバンドです)

そこから深夜アニメの台頭の歴史みたいなものを考え

(アラサ世代ニコニコMADに触れ、ハレ晴レユカイ文化祭運動会披露した世代です。新海監督の演出ががっつりハマる層だと言えます

ジブリが及ぼした影響などを考察してはどうでしょうか。

テレビで何度もアニメ映画放送されるというのは、子供だけではなく大人まで影響を及ぼしているはずです)

何故エロゲに結び付けるのだ。もっと色んなアニメ映画や本、漫画を読めばいいじゃないか

これが今朝の気持ちです。

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160926174037

原作エロゲーってこと隠してアニメ映画化したらヒットしそうなやついっぱいあるな

クロスちゃんねるとかはて青とかロケットの夏とか

2016-09-26

いや、実際のところ、神木くんみたいな役者さんって貴重なんじゃないか

とくに近頃のアニメはひねくれたような主人公が多いか

自称普通高校生」でもたいていクセが強い気がする

その点、君の名は。神木くんの声はものすごく「普通男子高校生」っぽさがあったと思う

ただ、逆に言えば神木くんみたいな声の持ち主がいたとしても深夜アニメなんかには居場所が無さそうなんだよね

声優一本じゃあ食べていけないんじゃないか

ブコメ

cloq ええ〜なんか〜邦画? って〜いつ何觀ても神木クン? が出てるじゃないですか〜(イラッとする洋画ファン

書き方が悪くて伝わりにくかったかもしれない

神木くん自身実写映画でも出ずっぱりなのはその通りなのだけど

アニメ映画には実写の俳優ではなくてアニメ声優を使うべき、みたいな論調があるでしょ

で、「君の名は。」にアニメ声優を使うなら誰だろうって、向こうの増田コメントにもあったけど、

君の名は。」の主人公を演じることができるようなアニメ声優がいたとして

他のアニメでも仕事を取ることができるかというと難しんじゃないかなあ

と思ってしまったという話

アニメ劇場で見る時代

君の名は、が凄まじい興行成績となっている。

これは普段から映画アニメ積極的に見ていない層まで取り込んでいるからだそうだ。

こうした現象は往年のジブリ映画でよく見かけた。

  

確かにプロットも一捻りした謎要素があり、しかし決して難解ではない(見る前からある程度オチが予想できる)

加えて男女の恋愛も盛り込んでいるのだから女性も話に入り込みやすい。

  

で、だ。

この記録的大ヒットがもたらす今後のアニメ道筋はなんだろうか、と考えた。

主流はやはりTVだ。深夜アニメの数は膨大に膨れ上がっている。

TVアニメの続編、あるいは総集編といった形での映画化結構ある。

ただそれはTVアニメという土台があり、見てくれる信者がいてこそ、採算が取れるからGOとなった。

  

かたや君の名は、はどうだろうか。

新海ファンはいただろうが、限りなくオタク層だ。

宣伝がうまかったにせよ、監督のことを知らなかった人も多いはず。

信者以外の人を大勢動員したことで、つまり単発アニメ映画で採算が取れる可能性が見えたのではないか

  

深夜アニメはもう群雄割拠時代で、時間も人手も足りない。

でも視聴者は高いクオリティを求める。

崩壊寸前の現場は、君の名は成功を見て、劇場で見るアニメ可能性を模索し始めているのではないか想像した。

  

そもそも発声可能上映だとかペンライトがんがん振りながら見るとかある種の「異空間」を演出できるのが、今の映画館の強みだ。

3Dだって4Dだってアイマックスだって可能性はてんこ盛りんぐ。

  

ニコ動コメント打ちながら見るのが新しかった時代は終わった。

これからは、誰かと同じ空間で同じ興奮を味わいながら楽しむ、「ライブ感」が重要になる。

そこにアニメはうってつけだろう。いくらだって演出できる。

  

君の名は、はそういったライブ感とは違うけど、皆が見てるから俺も私もという連鎖に入っている。

この同調感というか一体感への飢えはやっぱり大きい。

  

オタクはもう引きこもっているだけじゃ物足りなくなってしまったんだ。

そして制作側も、あわよくば一般層を引き込める劇場アニメに魅力を感じるかもしれない。

からここ数年のうちに深夜アニメが減って、劇場アニメが増えると踏んでいる。

※まったく制作の懐事情は知らずおそらくだろうと多用してしまうくらいの側の一意見

2016-09-23

感動ポルノじゃないけども

最近のそれなりに売れてるようなアニメ映画を見て来てちょっと思ったことなんだけど。

障碍者感動ポルノとして消費云々の話が色々あるよね。(最近だと聲の形いじめっ子向けの感動ポルノだーとかの話とか)

そこまでとは言わないけど母子家庭父子家庭出汁にされまくってると思うんだよね。

こういう家庭事情が、「可哀想主人公」みたいな刷り込みを植えつけたり、大人っぽいだったり母性だったり性格表現するためのひとつの"属性"としてすごく安易に使われていてなんだか気持ち悪く感じてしまう。

例としては、話題の「君の名は。」とかさ、主人公ヒロインの家庭がどちらも父子家庭だったりするわけよ。

聲の形」も主人公ヒロインの家庭も母子家庭バケモノの子もなんだか不器用な父のいる父子家庭バケモノフィルターを通して面白おかしく書いただけに見えてしまった。

おおかみこどもなんかも母子家庭だっけ。

ほんとにそれ必要かなぁとか思ってしまう。とりあえず親殺しときましょうみたいな感じなわけ?

親を失っている身としては理解できないというか、そういうのを見るだけでなんだかなぁと思ってしまう。

題材や、表現として使いやすいだけなんでしょうかね?

そういうところに目が行く=自分の状況に何かしらコンプレックスがある、ってのはあるけどさ。それにしても、だと思う。

なんだかなぁ

2016-09-21

君の名は。という大ヒット映画をどう見るか

遅れて鑑賞。若い子も多かったがカップル以外の客も増えていて、結構年齢層も公開初週よりは上がって来たのではないだろうか。以下、長い。

さて、売れている映画には二つの心配が付きまとう。

年間とかではなく今までの興行収入ランキングみたいなものを見たら分かると思う。

何故売れたのか?と疑問に思うものまでさまざまだ。

その点において、君の名は。はよくできた映画だったと思う。

少なくとも「スカスカ映画ではなかったし「何故売れたのか」という点でも完璧ではないが、ある程度説明つくのではないか

ステマだけではなく本当に評判が良い映画自分に響かないと、ただ普通にまらない映画を見たとき以上にガックリくる。

というわけで心配1、2はクリアした。

さて、増田自身のことを話すと、結構映画が好きだ。

この映画を見る今日まで、映画通やら映画通という名のアニメファンやら映画通という名のやり○ん騒動男やらの、いろんな批判を見た。

映画が好きな自分からすると、「そうか。食いつける映画なんだな」ということで、自分にとっては逆宣伝になった。

(まぁ信頼する映画通たちは結構試写時点で絶賛してたんだけど)

映画が好きだと書いたが、アニメ映画に関してはもっぱら円盤待ちの人間なので、その自分映画館に行かせたという効果は絶大だ。

映画を見て、その批判を改めて見た。

まず自称新海ファン評の「新海らしくない映画」だが、しっくりこない。

しろ海監督のファンサービスがちりばめられていて、過去作好きこそ振り回される映画ではないだろうか。

キャラストーリー構成から唐突感だったり、詩的な部分だったり、感覚的な部分。とても「新海らしい映画」だと感じた。

しろ新海らしくないというのなら、何らしいのか。

思いつかないので、やっぱり新海らしい映画だった。

次に「若い世代向け」という話。

隣りで見てた50オーバー号泣し、終わった後感想を熱弁していた。50オーバー若い世代という世界には住んでいない。

しかし確かに今まで見てきたアニメ映画とは、一味もふた味も違うのかもしれない。

ニュージェネレーションに対するギャップが、ある人にとっては大きかったのかもしれない。

例えば主役が高校生から高校生しか感動しない。というのは馬鹿な話である

じいさんが主役でも、子供が主役でも、感動するものは感動するだろう。無理なら想像力が欠如している、と言っているようなもんである

次に「RADWIMPSファンしか褒めない」という暴論。

RADWIMPSは嗜む程度だが、あまりRADWIMPSらしくもなかったので、激烈RADファンからすると絶賛はしにくいんじゃないか

自分のような嗜む程度のやつに、ちょうどよかった。

歌もしっかりはまっていたし、劇判にも仄かにRADらしさがあった。しかしやっぱりそんなにRADらしさは無かったかもね。

まりファン以外も満足しているということだ。(ファンもある種の初期RAD感が出ていて嬉しいのかもしれないが)

音楽映画は噛みあえば化学変化を起こす。

ここはとても「邦画」感が溢れていた。秒速~以外に、自称映画通なら何作品か思い浮かべたいところだ。

こういう音楽映画邦画は得意のはず。邦画の好きなところだ。

次に「物語薄っぺらい」という話。

昨今の邦画は設定を詰め込み、それを全て説明しようとしてくる。故に物語に勢いが無くなったりする。

しかしそこまで説明されずとも作りこまれている映画に傑作が多い。本家アカデミー賞受賞作などを見ると、設定をしっかりした上でとにかく勢いが凄くて、設定なんてどうでもよくなる。

その部分がエンタメ邦画には足りないなぁと常々思っている。(無いとは言わないし、説明カットし過ぎてダメなのも邦画あるある

結局作りこみすぎると、ヲタク解説したくなってしまうのだ。(ヲタク脚本家監督

君の名は。はその絶妙バランスにたどり着いた。日本人が受け入れられる塩梅での。勢いと説明狭間だ。

例えば、見てない人には分からないだろうネタバレだが、三つ葉が父を説得するシーンが今作には無い。しかし説得した、と分かる。

映画を見ている最中は、他の展開が忙しくてそこに気付けない。

でも後々…もしかしたら見終わった後で、もしかしたら2回見た後で「あ、そういえば説得してたな」と気付く仕組みになっている。

彗星軌道云々という批判があった。

見ても無い自分が「フィクションからさぁ…」と突っ込みたくなるような批判だったが、見た今なら「あれはこういう意味があったんじゃないかな?」と推測できる部分がしっかりある。むしろちりばめられている。突っ込んだ人はもっとストーリーをみるべきだった。

途中で出てくるラーメン屋おっちゃんも、ナイスだ。

きっとリピーターは血眼で探しているだろうし、他のそういう手品トリックみたいな演出も、多分2回見たいと思わせる構成だ。

男女入れ変わりと聞いたら、転校生を始めいろんな作品が頭をよぎるだろう。使い古された設定に見えるかもしれない。ボーイミーツガール王道だし。

その設定を使ったこういう構成脚本を、薄っぺらいと言うのか。本当にそう思ったのなら絶望的な感覚である。とまで言っちゃう

薄っぺらい」ではなく「説明なさすぎ」の言い間違いじゃないのかなあ。

これくらいで良いと思うけどね。商業映画は。(もう一度見て理解したいと思わせる技は必須

次に萌えヲタ向けという話。

おっぱい揉んだりパンツが見えたりしただけでヲタク向けになるのか。

パンチラは角度的にどうしても見えてるだけであって、逆に見えないのはあの画の中では大きすぎる嘘になってしまう。

パンツが見えないのはギャグだ。リアリティがない。むしろ日常萌えアニメミニスカ絶対見えるパンツを描かないことで、フィクション感をだしている。

ていうかパンツ一瞬しか見えない。コンマ何秒とかしか見えない。騙された。

この理屈と同じで、実際あの状況なら胸は揉むだろ。

そんなわけであがっている批判を見ても、「え?なんでそんな批判があがるの?」というものばかり。

(例えば漫画原作のように<漫画という神>と違うからという批判は、心情的に良く分かる。調理した方と見た方の問題根深い。)

是非まだ見てない人に、見てから判断してほしいと頼みたい。別に批判をする人がわるいわけではない。的外れ批判が溢れているだけだ。

どうも売れすぎて、色んな雑音が耳に飛び込んでくる状況になっている。

だけど是非ポジティブスイッチを使ってほしい。

これを読んでる人は、君の名は。のことが気になっているはずだ。素直に、自分がどう感じどう思うか?と映画で考える良いチャンスなのだ

君の名は。面白かったです。

絶望感と閉塞感。あれを思ってはいけない、感じてはいけない。

そういう空気が付きまとう世界情勢で、映画界、とくに邦画界にもある時点から閉塞感があった。

いつだって現実が向かってきたし、夢物語は無い。そう示してくる話が多く、心の片隅が窮屈な想いをしていた。

若者たち経済が少し上向いても無駄遣いをしない世代になった。夢を見るやつは、馬鹿だと思っていた。

でも「君の名は。」は希望のある夢を見せた。ここまでの大きな夢は、もしかしたらあの時の自粛ムードと共にタブーになっていたたのではないかと思う。

ずっとこんな映画を見たかった気がする。

フィクションからアニメから、一つの大きな嘘を内包することができた。

なにかの穴を埋めてくれたのかもしれない。

その功績はでかいし、言いたい。こういう映画を見せてくれて、本当にありがとう

2016-09-20

君の名は」を富野御大が悔しがるが

隕石割れて欠片が降ってくる、ってつまりそれはアクシズで、核爆発でブレーキを掛けられた隕石の後ろ側が地球の引力に飲まれてるんだよね。

きっと宇宙ではブライトさんが「俺達はシャアの手伝いをしてしまったというのか…!!」って世界が繰り広げられてるよ。

瀧くんはニュータイプサイコフィールドで三葉を救った。

裏設定は逆シャアじゃないか。すべてのアニメ映画逆シャアオマージュを避けて通れない。

2016-09-19

君の名は。リア充映画??

JCJKが好むリア充映画だと某所で見たが、それは少し違うと思う。

やたら女子力が高く女の子走りしたり頬染めたりカフェ大好きと、THE萌えアニメヒロイン!な三葉がただただ気持ち悪い。

ストーリー童貞が描いた理想恋愛のような気持ち悪い歪な青春像。

キャラクターストーリーという骨子が萌えアニメで、背景美術音楽、全体のリズムエモーショナルな作り。

萌えアニメにエモ極振りした結果が「君の名は。

から君の名は。」は「一般人も観れる萌え豚子供向けアニメ映画」であって、リア充映画でもスイーツ映画でもない。

あと、主人公二人が結婚するところは全然想像できない。すぐに別れそう。

まあ、すぐ別れそうな恋愛物語という意味では非常に少女漫画的で、たしかにJCJKが好みそうではある。数年で黒歴史になると思うけど。

2016-09-18

聲の形」を見に行った。初日に。楽しみでしょうがなかった。

実際、コミュ障主人公自分投影したオタクも少なくないだろう。

ちょくちょく出てくるコミュ障小ネタは俺にとってあるあるネタでどうしても自己投影してしまうところがあった。

んで、話が進んでいくうちに息苦しくなってくる。

そりゃ「京アニアニメ映画」なのでハッピーエンドに持っていくために主人公アクションがあった。

それが息苦しくて仕方がなかった。

自己投影したコミュ障主人公が俺からだんだんズレていくことを感じた。

俺は成人を過ぎてもコミュ障で、人と目を合わせて会話もできないし「友達」という概念すら掴めていない。

果てや今年の春は数少ない友人に絶縁されるや、何や。

すべて「嫌な人間関係から目を背けた自分」に罪はあるのだが。

エンディングaikoが流れ映倫マークが写り映画が終わると何もできやしなかった俺だけが残っていた。

2016-09-17

君の名は。を見て思うアニメ映画における暗喩【含むネタバレ

三途の川表現パヤオなんかはしょっちゅうモチーフとして三途の川を出す。

千と千尋」では序盤トンネルを抜けてからの川の向こうは神様の国で魂をとられちゃうし、

紅の豚」では夢のなかで三途の川を迷い、目が覚めたら豚になってる。

もちろん「ポニョ」なんか津波以降は川渡ったあとの死後の世界丸出しだし、宮崎駿三途の川モチーフが大好き。

なんでこんなことを書こうかと思うと「君の名は」を見たからなんだけど、

此処から先は死後の世界…って台詞がでてくるとなんか興ざめしちゃうんだよね~

言わなくてもわかるでしょ!って思っちゃう

ジブリ脳が鍛えられてる人は共感してもらえるのではなかろうか

2016-09-16

オタク流行に目を背けクリエーターは常に流行を追う

アニオタ自分の好きなキャラ否定されたと思い込み被害妄想をしながらも「まぁ確かにちょっとダサいかもしれないけど」と心の中で疑心暗鬼に陥っている横を通り過ぎフィクションリアルを融合することに成功しているらしいアニメ映画を見に行く

2016-09-14

新海誠川村元気RADWIMPSについての勘違い

および、君の名は。が導くポエム評論というライター楽園

http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/09/14/122251

この底の浅いヒョロヒョロな評論考察を読んでイライラしてしまった。ライター仕事ほしくてケツにローション塗りたくって新海と川村野田にケツ差し出して媚びてるようなヌルヌル文章だよ。こんなの。

まあネット巡回して色んな意見をまとめて自分の考えをたとえ薄っぺらい内容でも分かりやすく主張して言っているという部分ではローションライターとしてはいい線いってるんじゃないか

で、内容は

東浩紀渡邉大輔とかはリア充性に注目しているけど、そうじゃない、エンタメ技術論なんだと。うん。その方法論の実現のためにRADWIMPSという存在があると。うん。で、そういう組み合わせを仕掛けた川村元気天才的なんだと。ううん?

ど、どういうことだろう。一体この人は何を言ってるんだろう。

>こういう風にお互いに共通する世界観作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサー仕事」なんだなと思う。そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。

中略

高木正勝山口一郎野田洋次郎中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さら主題歌劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気プロデューサーとしての天才性だと思う。



おうおうおうおう、いぇいいぇいえいぇい。そうね。はいはいはい

なんか知ってるなあ。こういう物語音楽のあり方、なんだっけなあ。昔あったな~、同人誌タイトルで、椎名林檎とかcoccoとかポルノグラフィティとかの曲名同人誌タイトルにしたりさあ。自分の好きなカプのテーマ曲脳内設定したりあったなあ。つか今でも見かけるなあ。

はい。そういうことなんですよ。

結局川村元気においての映画音楽なんてのはこういうことを東宝プロデューサーとしてのスケールでやっているだけで、天才的な手腕でも何でもない。ただの凡庸さゆえにより大きなマーケットに向けての仕事ができるというだけです。村上春樹聞きながらレディオヘッドとか聞いてる学生と似たようなもんなんです。たぶん、人脈つくりや人と仲良くなることが得意なんでしょう。どうでもいいことですが。

本題なんだけど、もうさ、君の名は。の褒め文章、どれもこれも高校生ポエムみたいなのでうんざりする。なにがちょうちょ結びだよ。テーマが結びだ? んな程度のことたいていの物語系のコンテンツ君の名は。以上の水準でやってるよ。挿入歌歌詞考察アニメ映画評論かいな。さらにそんなスッカスカの考察のアホみたいな文章ブコメで称賛するスーパーアホもわんさか。こういうアホどもをあぶりだしたことが君の名は。の最大の達成かもしれんな。あと褒めるべきは、中高生をひたすら甘やかしてうっとりした気持にさせるためだけに日本アニメシーンで最高峰人材が浪費されたのは虚しいこととはいえけっこうな金儲けになったことだけはまあ褒めてもいいだろう。問題はそんな映画についてクソポエムを書いてしまう連中とそれにくっついていくクソオタ。

チャーリーポエムに続けて40のオッサンが「ここはまさに同意」じゃないんだよ。

こういう奴ら明日全員ウンコ踏んでほしい。


君の名は。に前史みたいなものがもしあるとしたら、適当に今考えつくだけでも、書けるだろう。

ニコニコ動画2006年に開始

初音ミク2007年

そして新海誠が作った山崎まさよしPVになってしまったような秒速5センチメートルが公開されたのは2007年ハルヒダンスなんかも当時の中高生にとっては重要なのかな。適当に言ってるだけだけど。

まりアニメ文化PV映像センス親和性消費者リテラシーがこの10年間でとんでもなく浸透し、上昇した。具体的には、自己像を架空世界二次元キャラアニ世界に没入させる技術が今の1020代はそれ以前の世代と比べて圧倒的に優れているわけ。

そしてさらカゲロウプロジェクト告白実行委員会ボカロ小説といった、若者向け物語文化さらにそういうPV的な音楽物語需要さら拍車をかけた。

はっきり言って、やってること同じでしょ? 君の名は。カゲプロとかずっと前から好きでしたとかって。新宿感はストリート感に対応しているし、青春キド胸キュンストーリーだし。

震災をダシにしつつ実際は自分恋愛成就しか興味がないウスラバカのための映画子供背伸びにもピッタリ。




というのはまあクソオタ向けのまとめであって、なんでこんなとてつもないヒットしたかって、結局のところ新海誠のくどい撮影キラキラ画面というのは、大衆にとって衝撃的な画面として映ったってことでしょう。しかも、描かれているものスピリチュアルスケールが大きい。ただ素朴に、「え~。アニメでこんなにキラキラした画面初めて~。すご~い」ですよ。それを映画館の大画面で見るんだからカルチャーショックでしょう。物語の内容がアホみたいな間の抜けた王子様とお姫様のきっしょいラブストーリーだとしてもね。べつに中高生がうっとりするのにはそれでいいんですよ。(本当はよくない) 問題はそんなのでポエムちゃう連中。

田中将賀パンピ向けデザイン安藤雅司ほかのとんでもない水準のリアリズム作画青春キド胸キュンストーリーが、実際の物語としての出来はともかく、予告だけ見てたらとんでもなくヘルシーで健康的な印象でしょ。そういうただひたすらキュンキュンときめきたいっていう大衆の眠っていた願望を呼び覚ますには充分すぎる画面を提示することができたわけ。本当にただそれだけなの。凡庸物語センス新海誠凡庸音楽仕掛け人であるところの川村元気センス大衆向けの子供だましクールジャパンアニメの到達点として結実したというのが妥当見解でしょうよ。

からポエムはもうやめろ、お前ら。きもいだけだから




ブクマとかトラバ読んだよ。

物語コンテンツ需要における文脈や楽しむための作法には積み重なっていく歴史があるんだということさえ理解できないバカが大量宣伝大衆向けの物語でやったか川村がすごいんだと単細胞意見でつっかかってるんだね。ガンダムマクロスをたとえに出して、君の名は。カゲプロが似てると思うのは老いだぞ、とか。このエントリ文意さえ読み取れてないみたいで、これはバカでも分かるように書かなかったこっちが悪いのかな。それともバカなのが悪いのかな。

君の名は。バカにされて頭がフットーしてる人、ケチつけられることがつらい人にオススメなのは川村元気他所の畑で実った果実自分の畑で植え直して大衆に売ることの天才とでも思っとけば川村でも天才扱いできるからいいんじゃない

こっちはライターがフェアな関係であるべき対象天才とか軽々しく言い出したのがイラついただけなんでね。

文脈なんて前提だよって人もいるけど、だったらライターはその文脈歴史として記述しなきゃ。ポエムなんかよりも。

なぜヒットしたのか? 天才プロデューサー仕事からでありますって。ちゃんちゃらおかしいよ。ライタープロデューサー褒めそやしてバカ素人がそれに乗っかって「これが君の名は。の正しい評論だよなあ」って好きなもの同士の特権意識で頷き合ってる気持ち悪い構図になってるんだがら。

このライターの人も君の名は。RADWIMPS音楽で読み解きたいんじゃなくてただ取引先ともっと仲良くなりたいってだけなんじゃないかなあ。業界の仕組みなんて知らないけどさ。

神木隆之介を見ていると

今の時代、やる気のあるオタクは有利だなと思う。

特に役者漫画原作だとかアニメ映画だとか大流行してるし。


監督の方も原作に詳しい人のほうが引っかかりやすいだろうしなぁ。

神のみぞ知るセカイ」が好きだってうその口で、モテたくてクラスでは前に出るタイプだったって言うんだぜ。

2016-09-11

僕がシン・ゴジラについて「はいはい庵野庵野」と言ったのは、庵野秀明作品の中ではあからさまな様式美の詰め合わせでかつ、他作品でやったことのやきうつしだったからだし、そこに熱狂する人はオタクとして強度が… / “東浩紀氏「シン・ゴジ…”

典型的学者気取りのオタクが書いた、わっかりにくい日本語と、エビデンスで取り繕ったクソみたいな文章の好例。こういう文章自己満足でつくることを評論だ、批評だと言う人が嫌いで俺は評論同人への寄稿をやめた / “『君の名は。』の大ヒ…”

アニメについての評論批評を見ても作品面白くなる解釈ができるようになるわけでもなきゃ、アニメの見どころや作画的な技術論がわかるわけでもないことに気づいた途端に急に冷めてしまったのです。あー僕がやりたいのは作品紹介や楽しく見るために抑えておきたい情報であって評論じゃないな~と

オタク文化リア充色や社会派色を帯びて一般化して、オタク時代は終わった」とか言ってる東浩紀に心底言いたいのは「今の20代子どもの頃に押井守アニメエヴァみたいな要素を含んだ冒頭からスタートするミュウツーの逆襲からアニメを見始めてそれがおとなになっただけ」ってことさ!!

支援ブクマ。いいぞ~ころしあえ~ / “「『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか」はどこがまちがっているか - 赤目無冠のぶろぐ” (2

オタク論」は学者ごっこでしかなくて、実際にコンテンツ好きな人コンテンツの話をするためにやってることではないからなぁ~。「評論ごっこ」「論文的なエビデンス漫才ごっこ」であって、もしこれを人文系学問というならこんなもんに国がカネ出してる方が異常。憧れて同人作るのも狂気

オタクという自意識を持たない人をリア充だというならそれってどうなんだろうって感じはあるし、ジブリアニメで育った世代オタクじゃなくてもあんなこじらせたもの国民的娯楽だと言って幼いうちから見せられてるんだからオタクじゃなくてもその基礎的な土台はオタクなんだと思うぜ?


@tm2501 いやだからその事実自体が「オタク時代は終わった」なのでは

@kimiterary だったら、それは20年前(もののけ姫や、ミュウツー邦画歴代ランキングで上位に食い込んで、アニメ映画オタク以外が見に行く時代になった時)に約束された話だから、今それを言うこと自体が遅すぎない?…とは思う。

まぁ、その辺は記事にしたので夜に出すけど.それはね、多分「表面上の言葉でこの言い方をしたら絶対に誤解されるから、俺なら絶対こんな言い方をしないわ」っていうレトリック問題であり、ある種の(正直言って、納得行かないけど)同族嫌悪なんだと解釈してるよ…うん

@tm2501 確かにもののけ姫ミュウツーに「オタク特有グダグダした心理」の描写はないんだけど、その二十年分の変化の集大成として、節目の年と感じてるって話じゃないのこれ。その二十年前にいるのがまさにエヴァなわけでさ。

@kimiterary 東浩紀文脈オタク定義動ポモで扱ったものやそれを論じたゼロ年代ゲンロンとした上で)あるものエヴァでありエロゲなんだろうと思うけど、世の中の人ターニングポイントが本当にエヴァだったのかと言われるとそこにはとても疑問を感じるかなぁ…数字問題として

というか、うちのブログやそのスタンス自体が、「哲学者批評家の言ってることを噛み砕いて、アカデミック言葉を使わないで書く」という部分(本人すらアカデミックでそれをもっとシンプルに言い表した言葉があったことを知らずに書くことは多い)があるからねぇ~うん。

@tm2501 「誰しも土台にオタク的部分がある」のは普遍的にそう。ただ、それを突き詰めても「だからみんなオタクであり同時にオタクではない」みたいなところに帰結するだけで、そこからこぼれ落ちる人間、こぼれ落ちる想像力は確実にあって、で、それらはもはや力を持てないって話なんかなと。

@tm2501 世の中のターニングポイントエヴァだったのかが問題なのではなくてシンゴジラ監督庵野であることがこの文脈では問題なのでは?

@kimiterary あー…直感的には理解したけど、いいアクションを持ち合わせない部分がある話やなぁ~。

@kimiterary あー…うん。(概ね納得)

だとするとすげー個人的な話を主語がでかいままネットに書き込んだ系のことやなぁ~。「お前はそうかもしらんが、一般的分岐はそこじゃないだろ」的なモヤモヤ個人的な話である時点ですでに意味を持たないというかその人の手を離れるわな…

@tm2501 つまりアニメマンガ文化愛好者」としてのオタクと「少数派としてのグダグダメンタリティ所有者」としてのオタク問題。前者がもはやメインストリームに取り込まれた(皆オタクであり非オタ世界)として、後者想像力が表出してくる余地果たしてあるのか、でしょ。

@tm2501 そもそもアレ個人の感想だけどな?

@kimiterary それな(盛り上がってるから真夜中にがんばって記事を書いたけど、結局東浩紀との対立というよりも、EXILEまでオタク的になったという話までの道のりを自分ポケモンとかジブリを使って補填するようなすごく説明的な記事からいいんだけどさ…)

@kimiterary 「後者はそもそもオタクなのか」とはてなブログにいるとすげー思うけどなぁ~。結局、何を議題にしてもグダグダにグズグズに揉めてる印象があるからオタク論争だけでなく、人間関係でも、サイトブログアルゴリズムテクニカルな話でも

@tm2501 ちなみにこんなこと言っておいて難だけどセカイ系とは相性が悪いマンからさほど感慨はない……w

@kimiterary あ、僕もそこはどうでもいい派。15年以上前オタク同士でランデブーしてろ派だし、安易に話に入ると誰も幸せにならないか意図的スルーする

@tm2501 端的に言って本人の能力値がどこでいいからどこかに向けて高くない限り救いようがない人種だけど、わりとそれオタクの本質の1つだと思うんだよな。








@tm2501 てゆーか貴方だしすっげえ雑なこと言うけど、要は1つのテンプレとしては太宰に感情移入ちゃうタイプメンタリティが挙げられるんじゃないの、後者ファウスト系に人生曲げられたマンとしてはこの辺他人事ではない

@kimiterary それ、私には発達障害問題IQの低さと高さが混在した人間宿命や悩み)の話に聞こえるから哲学案件ではなく、精神科案件か臨床寄りな心理学案件な感じがあるかなぁ…。個人的な話でもあると同時に、それらを病気や克服すべき問題定義したのはそっちだし。

@kimiterary そこまで広くくくっていい話だとすると、それは確かに哲学案件


@tm2501 俺としては「病気が治ってしまったら病気が治る前の自分は死んでしまう」みたいな感慨があるからいかに病を抱え続けていけるかの問題自己肯定問題なんだけどなそれ。戯言遣いが言う「変わりたいって気持ち自殺だよね」に未だに取り憑かれてる感。

@tm2501 「太宰に感情移入ちゃうタイプ」の「太宰」に代入出来る解としての庵野なり新海ではもはやなくなった、ってことだと俺は理解してるし、なんならそこに代入できる解って今の世界にいるのか?そもそも求められているのか?ってところで一般化していけそうではある。


はてなブログ投稿しました #はてなブログ

オタク時代が終わったのではなく、リア充オタクな影響を受けた世代大人になっただけじゃないの? - かくいう私もでね

http://www.tm2501.com/entry/2016/09/11/204500

2016-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20160909143008

劇場版あの花興行収入はせいぜい10億円で、TVドラマ視聴率10%以下。ここさけの興行収入10億円ほど。

アニメ映画としてはヒットした部類だが、公開10日で40億円の「君の名は。」とは比べものにならない。

多少なりとも影響はあるだろうけど、ヒットした理由と言い切るのは難しいかな。

2016-09-08

感想】「君の名は。」はちゃんとエロいのが素晴らしい

君の名は。 観た。 マジ泣いた。 感想

観た人はわかると思うけど女性人気が爆発してるわりには「君の名は。」は結構エロいパンチラ、乳揉み、口噛み酒…

しかしそれが結果的には作品の爽やかさに繋がってる というのが素晴らしいと思う。

入れ替わりという題材だからエロスを描かない訳にいかなかったんだろうけど、正面からいたことによって笑いにも繋がっているし

(自分が見た回では2回目の乳揉みが一番の爆笑だった)

エロの上位にロマンチックラブが自然と配置される構造にもなっている。

これはおそらく今までのポストジブリアニメ映画にはできなかった事だ。

アニメエロというのは基本的キモいし、一般向けを狙うなら禁忌対象からだ。

それでも正面から扱ったのは新海の中に逆にロマンチックラブへの強い信仰心があったからできた事だろうし、その方が健全だという確信なんだろう。

アニメ若い世代に受け入れられる土壌が出来たからやっと大衆性の壁を越えたのだと言ってもいいかもしれない。

君の名は比較されやすいのは細田守作の青春を描いた出世作時をかける少女だと思うけど、あのアニメ

高校生の男女を描きつつも「セックスするかもしれないししないかもしれませんが、何か?」みたいなスカした部分があって個人的に少し不満だった。

(まぁ題材が違うし当時はあれくらいが良いバランスだったのかもしれないが)

この映画若者に受けてるみたいだけど、個人的には田舎だったり郊外男子高校生なんかにいっぱい見てほしい。

それで『頑張って女の子を救えば柔らかいおっぱいが揉めるぞ』みたいな気持ちを抱いてほしい。

そういう健全さをもったバランスアニメ映画というのは本当に今までなくて、その誕生を喜びたい。

2016-09-05

君の名は。」を見に行こうか迷ってる

 エヴァにハマったある年の夏、アニメ映画を見まくっていた中オススメされていた「秒速5センチメートル」は当時の自分には輝きすぎてて予告編だけで辛かったし、何より現実路線恋愛話なんだろうと思って距離を置こうとしていた。それでも調べてみれば聖地巡礼というまだ聖地巡礼という行為がそこまで一般化していなかったあの時代にそういう事をしている人が居るという事はそれなりに面白いのとリアリティがあるのだと感じ、見た。まず出た感想が「絵が凄い」だった。それから考察聖地巡礼を通じて「秒速5センチメートル」は遠距離恋愛という距離恋愛構成されている事を理解したし、小説版で補完もした。何度見直したか覚えていない。その後、「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」と見た自分はいつの間にか新海誠作品ファンとなっていた。秒速もあってアニメ業界では有名だったけど一般人にはまだまだ有名では無かったからこの人の作品は凄いんだよと周りに言いまくった。

 でも「星を追う子ども」で流れが変わったと自分は感じた。追っかけていた自分はまずあれをジブリに似た何かだと。それから思考が停止したかのようにあの描写ジブリのアレ、これはあれ、みたいな感じで多くの描写を他の作品で出てきた物と捉えた。もちろん今でもそう言ってる人は居るし、初見であればあの光る石を見て飛行石だと感じる人も少なくないと思う。

 それでも先日の配信で、2度目の「星を追う子ども」を見て自分はある事に気付いた。それは新海誠作品テーマの1つに「生と死」がある事だ。自分が入った「秒速5センチメートル」では死というものほとんど描かれず、生きるの辛いって言いながら生き続ける人の物語だったとも言えるので、これに気付かなかったのも仕方がない気はする。距離恋愛という先入観から前の2作品ともこの状況下の恋愛はなぁ・・・みたいなのが無意識にあった事で、受け取る感情制限されていたのかもしれない。ほしのこえ宇宙戦争、雲の向こうは昏睡状態(と戦争)が描かれ、星を追う子どもでは家族の生死が描かれている。だから自分にとって今まで新海誠作品というもの距離恋愛心理描写テーマになっているものという意識をしていたけど、星を追う子どもを見たことで生と死というテーマもあるのだと気付かされた。また、星を追う子どもは公開が2011年とあの東日本大震災から間もない頃で正直な所、生と死なんてテーマを扱った時期が悪すぎたというか運が悪かった感じがあるのだと思う。自分にとってはあの出来事もあってそういった部分をシャットアウトしていたのかもしれない。断言しておくが被災者ではない。だから日見た時は家族(または親友)を抱きしめたいという気持ちに一瞬駆られた。

 自分にとって「星を追う子ども」はターニングポイントであると感じていたがそれは全く違くて、ただ「生と死」というテーマを強く出した新海誠作品以外の何物でもないという事になるし、その後の「言の葉の庭」も考えてみればいじめの様な生死の関わる話が入ってきたりエンディング距離が生まれるという事は、テーマに沿っていた訳でやっぱり新海誠作品は最高だという事が分かった。このテーマ建設会社Z会CMにも出てきている様に自分は感じるし、どういったコンテンツであってもポリシーを貫いている監督は素晴らしいと素直に思う。

 今回の新作「君の名は。」には予告編を見る限り、恋愛距離、そして生死という新海誠が描くテーマが備わっているように見えた。自分にとって最高の作品になっている事に間違いない。だからこそ新海誠作品に描かれるテーマを今更分かった自分が、見に行って自我を保てるか不安でならない。(隙あれば自分語り 執筆時間30分)

2016-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20160903093606

馬鹿にしているのは、普段アニメを観てる層だろう。

君の名はとかジブリなんかの一般人向けアニメ映画は、数少ない「自分が観てない=馬鹿にできる」アニメから、この機を逃さず馬鹿にして、

実写作品賞賛してアニメ作品を貶す」

という普段と反対のポジションを楽しんでいるのだ。

もっとも、ゴジラの方が君の名はよりもヲタ臭いので、

周囲からどう見られるかについては、本人の希望とはかけ離れたものだろうが。

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