はてなキーワード: ながら見とは
>AIの推奨手と解説聞きながら藤井SUGEEE!してればおk
そもそもネット配信にAI推奨手はいらない、せいぜい有利不利の表示だけでいい
例えて言うなら視聴者にだけ答えが開示された状態のクイズ番組だ
芸能人格付けチェックは全員が回答を終える前に視聴者にだけAとBどちらが正解が明かされることがある
そうなるとその後は正解した人に感心したり間違えた人にガッカリしたり、
あるいは答えが分からず頭を抱える人をドキドキしながら見守ったりして楽しむことになる
「将棋」ではなく「"答え"を知る神の視点で棋士のもがきを楽しむエンターテイメント」を享受しながら
挙げ句の果てにAI推奨手が無ければ自力では盤面を読みきれないくせに
「遅い」「飽きた」「さっさと△5四金指せよ」という見るに耐えないブーイングが寄せられる始末
YouTube 李子柒 Liziqi
https://www.youtube.com/c/cnliziqi
例えば麻婆豆腐の回
豆をつむ女の子。ふむふむ、麻婆豆腐に豆って入ってたっけと思いながら見ていると、その豆を石臼でひき始める。え、まさかそんな、と半信半疑で見続けるとやはりそのまさかで、豆腐自体を作るところから始まっているのだ。
5分25秒の動画の内、4分が豆腐作り。タイトル豆腐にした方がいい。
彼女は見た目と裏腹に力仕事も難なくこなし、しかも手際がいい。動画だから編集されてるとはいえ、身のこなしから慣れていることが分かるだろう。
他にも、藍染の服を作ったりとか(もちろん藍の種まきから始まる)布団を作ったりだとか(もちろん綿の種まきから始まる)中国の伝統みたいのも見れるし、何より料理がどれも美味しそうだ。
『早生まれの不利は大人になっても続く』という見出しの記事が最近話題になっていた。
高校入試の偏差値や所得にも影響しているという記事で、統計的に3月と4月で偏差値が約4.5違うというものだった。
6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長が109センチ。趣味はスーパーファミコンとドラゴンボールZのビデオ視聴。
好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。
すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校に不安を持っていた。
ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。
小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。
小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分は勉強が嫌いかも。という感覚だった。)
そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。
今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字の計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。
5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。
しかし学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生がクラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが
職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラスの勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。
当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。
そんなことを考えるものだから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。
体育。一番小さいサイズの体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。
夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。
学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。
今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。
ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。
顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。
恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。
得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。
もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。
そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と
割り算プリントにデタラメな数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミングで先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。
考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。
小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。
国語は漢字の覚えが悪く、社会科も47都道府県がいつまでも覚えられなくて居残りをした。
音楽も練習したつもりだったリコーダーのドレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術も風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。
4年生から始めたスイミングスクールの甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。
中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。
中学には水泳部に所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。
(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)
中学の運動会が自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。
1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。
夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。
毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。
夏組に割り振られた6月生まれはガッツポーズをして喜び、その学年の生まれの割合から冬組に割り振られた10月生まれは先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月生まれか4月生まれかの確認しあいっこが始まる。
秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。
秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。
運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらめムードの冬組がうなだれていた。
中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。
ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。
今から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。
きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)
高校は公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制の高校でマイペースにプリントを進め、コツコツとDTPデザインの勉強をした。
高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強をSkypeしながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。
通信制の高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。
正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。
もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては
適切な学習環境が必要なのではないか、と当事者の自分は思った。
ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生は自分と同じ誕生日の美しい先生だった。
聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。
そんでも映画とか漫画のストーリーを5分とか10分にまとめてるチャンネルよく見るんすね
その内容そのものっていうよりそこのコメント欄見るのが好きで、
それに特化したコミュニティもメンバーがだいたい決まってたりで雰囲気が硬直化してて面白くないんすね
だけど最近そういったチャンネルを見ることを映画鑑賞だって捉えてる奴がちらほらいることに気がついたんですよね
「こういう動画で映画見れちゃうからアマプラ解約します」みたいな
お前Switchでひたすら体験版ばっかプレイすんのかそれで満足できんのかと
お小遣いからやりくりしてちょびちょび映画借りて観てるしかなかった自分の青春から考えたら
月1000円もかけずに毎日のように映画観れる環境どうなってんの?っておじさんそんな感じなんですけどね
まあ映画ちゃんと2時間かけてまったり観るのってなかなかいいよって
映画鑑賞の楽しさって映画そのものの出来不出来とはまた違うんだよってさ
たとえつまんなくても、ながら見でざっくりとしかわからなくても、
最寄りのミニストップまで車で行った
乗用車2台が止まっていた
1台はきっと働いている人の車だ
駐車場の1番遠いとこにとめてある
冷房が効いた店内に入ると
特に急いでもいないので、彼らの話や作業を邪魔しないようソフトクリームを頼む前に雑誌や飲み物を物色していると
配達のトラック運転手は作業を終え店員さんに挨拶しつつ店から出た
みたいな顔をして奥に入ってしまった
店内を一周して飲み物やおつまみをいくつかカゴに入れてレジに向かう時
あぁそういえばもう一台車があったな
その人はゆっくりこっちを向いた
服装が夏のそれではなかった
秋ぐらいの重ね着をしていたので変に感じた
暑くないのかよと思っただけでその人を通り過ぎてレジへ向かった
車のエンジンをかけ車の中でソフトクリームを食べながらスマホをいじり中々の満足感だった
食べ終わりソフトクリームのゴミを捨ててソフトクリームがついた手を洗いたいと思ったのと
また店内に戻った
奥に入っていた店員さんがまた出てきて目があったので、言わなくても良いのに
電池買い忘れちゃって、へへみたいな感じで
ゴミを捨てて店のコーヒーエリアにある小さな手洗い場で手を洗って電池を探しに行った
と心で突っ込み
電池を買って店を出た
さて帰ろうと思い車のエンジンをかけるとライトがついて駐車場に止まっているパンの女性のであろう車を照らした
よく見ると運転席側がぐちゃぐちゃになっていて
前のガラスは割れてとんでもない事故にあったばかりのような状態だった
あんなんで運転できるわけがないので駐車場に置かせてもらってるんだろうか
自分の車の方向を変えながら、いやー事故には気をつけよと思い道路に出ようとした時
驚いてそのままバックミラーで少し見ていると
えーあれ乗ってきたの?!
と思いながら見ているとその車のライトが一瞬ハイビームになって消えた
え?
また車の方向を変え駐車場を照らすと駐車場の奥に店員さんの車らしきものが1台置いてあるだけだった
これ今の出来事
たまたま見たユーチューブ動画がユーチューバーの動画で、めっちゃ有名人気取りで、よく見たら登録者数5万人とかで
あんまりその辺のことはよく分からないんだけど5万人も登録者がいたら有名人だと勘違いするんやろなと思いながら見てて、
途中「あいつこっち見てるけど俺のこと知ってるんじゃねえの?」とか言い出して、そんなアホな・・・と思ってたら
障碍とは何なのか。我々が障碍と呼んでいるものは進化の可能性かもしれません・・
映画を見るか迷っている人は予告動画をみれば話の筋がだいたいわかると思います。
今作はお涙頂戴要素はほとんどなくて終始ワクワクしながら見るタイプです。
両腕には羽がありドロマエオサウルス類かトロオドン類のような外見ですが、未発見の種で名前がないため劇中では「新恐竜」と呼ばれています。物語が進むにつれ彼らが鳥類の起源のひとつであることが明らかになっていきます。新恐竜は高所から飛び降りることで滑空飛行をするようです。一方で多くの鳥類は羽ばたき飛行ができます。彼らはどうして羽ばたき飛行を獲得したのでしょうか?
キュウは新恐竜の中でも脆弱な個体です。彼の体は小さく空を飛ぶことができません。障碍のせいでいじめられ仲間にいれてもらえません。
強者と弱者、健常者と障碍者。これらは環境の変化で簡単に逆転し得るのです。
のび太の落ちこぼれ描写はいつも以上に執拗です。同級生たちからバカにされてものび太は怒ることすらしません。のびたは自信を失い、自分自身を見捨てているかのようです。
作中しずかは自暴自棄になっているのび太にあなたはやさしい人だと語りかけます。「のび太の結婚前夜」から続くおきまりのフレーズですが、今作ではそれとは異なる特別な意味を持っています。
物語ラストにおいてキザなお兄さん(名前なんだっけ?)が人類の進化について言及します。彼の語る「やさしさ」とはのび太のことでしょう。現代の社会において落ちこぼれにみえるのび太もまた、人類の進化における無数の鍵のひとつなのです。
恐竜!恐竜!恐竜! 恐竜が3DCG なんだけれどもね、恐竜もカメラもめっちゃ動くの!映画館で見ると大迫力!すごくいい!!
冒頭にでてきた博物館は!恐竜キッズの聖地!福井県立恐竜博物館だーーー!!
のびたくんが調べている図鑑は! 小学館の図鑑 NEO 「恐竜」だーーー!!
あれ持ってる!あれ知ってる!の連続なんですよ。うちの恐竜キッズも大興奮です。
1作目「のび太の恐竜」はフタバスズキリュウを当時中学生の子供が発見したことが元ネタで、「裏山を掘って恐竜の化石を発掘」は多分当時の子供達のリアルな夢だったはずなんですよ。今では「福井県立博物館の化石発掘体験で恐竜を発見」が現代の子供達の夢なんでしょうね。福井でたくさん新種の恐竜が発見されているとか近年中国で羽毛恐竜がたくさん発見されたとかそんなところ全部拾ってつくった夢なんですよ。
みんなだって子供のころ夢見たでしょ?化石発掘体験で新種を見つけて学芸員さんに「こ、これはーーーー?!」とか言われるのワクワクして妄想したでしょ?身近な夢から壮大なスケールで大冒険ですよ。これがドラえもんですよ。大好きです。
ふつうは恐竜映画つくると安易にティラノサウルスとかだしちゃいそうでしょ?この映画はそういうことしないの。
舞台は過去の日本なんですけれども、映画に出てくる恐竜もみんなアジアの恐竜なんです。
劇中では「ティラノサウルスの仲間」みたいな呼ばれ方をするのですが、映画館で配られる小冊子に恐竜図鑑が載っていて彼の本当の名前がモンゴルで発見された「タルボサウルス」であることがわかるのです。劇中でもドラえもんが「この時代日本はまだなくて大陸とくっついていたんだよ」と解説していてバッチリです。恐竜キッズって設定にうるさいじゃないですか。こういうのって素敵です。
子供向けなのに全然手を抜いていないのすごいね。逆かな?恐竜キッズ相手だからこそ真剣に考えて作ったのかな?
秘密基地みたいなやつ。あれの設定・元ネタはたぶん「ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ」から。
●●●●●●●●はなんでドラえもんやのび太を見逃しているの?なんて我々おたくが100回くらいネタにしてきたじゃないですか。
この作品は真正面から取り組んでいるんですよ。のび太くんが●●●●ところが個人的ハイライトです!めちゃめちゃワクワクしました。
この部分だけでも小一時間語りたい感じなんですけれども完全ネタバレトークが許されるのっていつ頃ですかね・・・?
のび太って過去で未来で世界を救いすぎもはや手を出せないんでないの?みたいな話ししたいんですけれどもだめですかね・・?
うちの恐竜キッズが喜んでいたから100点満点中10000点です
よかったです
今まで付き合ってきたタイプな男性の全部を組み合わせたみたいな完璧な男。
顔も国宝級にかっこいいし、好きなことを仕事にしてるからストレスがなさそうだし、仕事できるし、面白いし、趣味合うし、理知的だし、人格者だし最高に推しです。。。。!私のこといつもにやにやしながら見つめてきて可愛いって毎日いってくれる。
今は在宅でお互い働いてるからずっといっしょにいられててお互い楽しいねってずっと言い合っている。
私の食べ物の好みを把握して美味しいご飯を作ってくれる。落ち込んでいたら慰めて励ましてくれる。
父親としても子供には尊敬されているし、本当に勉強教えるのも上手。
君はあまりに未熟で経験不足のまま年を取りすぎたからもう無い。
まじで職を失うよ。
まずは色恋はお互いの承認欲求を満たすのと、合わせるところは相手に合わすこと、一方で、向こうの性質を見極めて自分にある程度合わせて、心地よいかをたしかめな。
どうしてかっていうと、この前こんなことがあったからです。
ある日、わたしにはとっても悲しいことがありました。
お母さんや友だちには話せなくて、はてなに書くことにしました。
自分の気持ちをいっしょうけんめい書いて、どきどきしながら投こうしました。
さっそくコメントがついたので、きんちょうしながら見てみました。
「うんち」
わたしはもっと悲しくなって、その日はもうねることにしました。
次の朝、学校に行くじゅんびをしながら、はてなを開いてみました。
ブクマカさんが、わたしの記事を見つけてくれて、ほってんとりにのったからでした。
はげましたり面白いこと言ったりしてるコメントがいっぱいあって、わたしはうれしくてとっても元気が出ました。
だから、わたしも大きくなったら、わたしの記事を見つけてくれたブクマカさんみたいな人になりたいです。
そうして、わたしみたいに悲しんでる人を元気にしてあげたいです。
アニメとか普段からそんなに見ないのだけど、昨日テレビでやっててね、子どもたちが見始めたからついでに見てたのよ。
焼酎かるく煽りながら、思春期大いに悩みなさいとか大人視点で余裕をぶっこきながら。
かくいう自分もいじめられた経験があって、要所要所で少しずつ心臓を鷲掴みにされるようなシーンが増えてきて、あれ?これやばいなって思い始めて。
ストーリーもそうなんだけど、作画がとにかく緻密でキラキラしてて、何でも輝いて見えたあの頃みたいなのがフラッシュバックするくらいで、なんというか魂込めて作られててすげー!ってずっと感動してたわけなんですよ。
そんなときに、画面にふと京都アニメーションって文字が目に飛び込んだのね。
それまでの魂がこもった光り輝くシーンすべてが思い出されて、その造り手たちの多くが一瞬にして命を奪われてしまったのかって、それがどれだけ本人たちが無念だったのかって思い始めたら涙止まんないの。
もちろん映画の内容もめちゃくちゃ良くて、最初は斜に構えてたのに最後は正座しながら見てたくらい素晴らしかった。
子どもたちもよくわかってないけどつられて泣き始めてから、最後には家族全員で号泣。
本当に無念だろうけど、こんなにも素晴らしい作品を世に送り出してくれたことに心からの感謝を伝えたいし最高の賞賛を贈りたい。
シムズ4というゲームがある。
キャラクターを作り、社会で暮らす様を誘導しながら見守るゲームだ。
キャラクター容姿や性格、家のデザインなど、様々なものを設定できるそのゲームにはまった私は、面白がって現実の家族を模したキャラクターを作り、一つの家に住まわせて家族としてプレイしていた。
自分と配偶者、そしてペットの二匹の猫。全員可能な限り現実の容姿に似せたため、モデリングに数日もかかった。
現実のペットのうち一匹は、数年前にボロボロの状態で保護をした子である。
うちに迎えた時点ですでに内臓疾患をかかえており、加齢もあってかはきはきと動くことは少なかった。
それがゲーム内では家中を走り回る。颯爽と家具に昇り、もう一匹の猫と喧嘩をし、もりもりご飯を食べる。
現実ではありえない元気な様子に和みつつ、楽しくゲームを進めていた。
ほんの数週間の間に段差を登れなくなり、排尿を失敗するようになり、ご飯を咀嚼できなくなり、
シリンジで流動食を与えるようになった頃には歩くことも出来なくなった。
辛かったろうに、亡くなる間際まで一緒に寝て、甘えてくれた。
夫婦で数日泣き暮らした後、久しぶりにシムズのデータを開いた。
年をとらない設定にしていたため、老けることも、死ぬこともなく、ずっとそのままの姿で。
そしてゲームの中の私は、以前と同じようにあの子と戯れていた。現実の私がもう抱けないあの子を撫で回していた。
あの子はまだこのデータの中では生きている、という思いもある。
だがゲームの中の私達を見て、感じたのは疎外感だ。
「あの子はゲームの中の家族のもので、現実のあの子はもうどこにも居ないのだ」という思いが強くなった。
辛くてそれ以上見ていられず、すぐにゲームは閉じた。
あの子が生きている世界だから、ゲームデータを消す気はない。だがしばらくはシムズを遊ぶ気にもなれない。
(2巻までと、現在アニメ化されている部分までしか把握していないです)
『彼女、お借りします』の主人公の和也がクズすぎて見ていて辛くなる。親から与えられた生活費としての100万円をレンタル彼女サービスに注ぎ込み続け、周りには本当の彼女だと嘘をつきつづけ、「俺、もうみんなに真実を伝えることにしたよ」としたり顔で話しても、一向に嘘をつくままだ。
それでもこの話はラブコメとしてなんとか成り立ってるなと気づいてからはちょっと面白くなった。三角関係が成立する双方の理由がちゃんとあるのだ。
和也→千鶴:家族に嘘がバレないようにレンタルし続けたい。いずれワンチャンあるのでは…とも絶対思ってる。
身バレ覚悟で書いてます。昔、親がネトウヨになっててヤバいみたいな記事を読んだのですが、その逆みたいなやつです。
元々両親ともに政治に関心が高く、幼少期はサンデーモーニングを見るためにチャンネル権を奪われ、プリキュアが見れなかった。まあ、政治の話するのは自由だし(プリキュアが見れないのは嫌だけど)いっかとは思っていた。幼〜高とスクスク育っていった私だったが、小学校高学年の時に「インターネット」に出会った。当時の私はインターネットの情報をすぐ鵜呑みにしてしまい、掲示板に溢れる陰謀論のようなものもすぐ信じてしまい、親に話してしまった。(今となっては黒歴史である)その度に親は「インターネットの情報は嘘が多いんだから、気をつけなさい!」と言っていた。
数年が経ち、私はTwitterを始めた。最初は使い方がわからなかったが、今では慣れ、オタクトークを楽しくやっている。そんなある日の事だった。両親がFacebookを始めた。
まあ、両親共に趣味がある人だったのでそういう趣味のことを話すためなんだろうなと思った。数日後に父親が「面白い動画があるよ!」とタブレットを見せてきた。犬とか猫の動画なのかなと期待して覗いた。
……そこには文字だけがゴテゴテと載った陰謀論を流し続ける動画があった。
「本当に首相そのものだよな〜」父は笑いながら見せた。そうだね、と私はちょっと引き気味に同調した。
まあ、その時からそういう傾向はあったのかもしれない。
話は変わるのだが、私は幼少期から「人の悪口」を聞くのがメチャクチャに苦手だ。たとえ嫌いな人だったり、悪人だとしてもその人の預かりしれぬ所で悪口を言うという行為がなんというかとても卑怯に思え、すごく嫌な気持ちになるのだ。
文字だけの動画を見た時、私が「嫌だな〜」と思ったのは、こういう事なのだろう。
数年後、私は家を出て働きはじめた。そしてこの2~3年前くらいになってから、勤務先が近いとの理由で実家に住むことにした。実家に帰ると、親がTBSのラジオにどっぷり浸かっていた。朝から晩までラジオによる政治の愚痴を聞かされ、部屋に籠ったり出かけることが増えた。食卓でも政治の愚痴や政治家の悪口を聞かされた。同調しないと、納得するまで反論された。
正直しんどかった。いや、全てが全て逆の考えを持ってるとかそういう訳じゃないけどあいちトリエンナーレの件では「一方の政治的な主張ばかりするのはどうなの?」と言ったら、同意するまで「今までの安倍政権が…」「歴史的なものを無視するな」と言われた。福祉とかそういうのに関してはわりかしまあそうだよな…という気がしたけど、めちゃくちゃな事を言うこともあったので話を逸らしたり同意をしながら過ごした。
また、両親が特にキレていたのが「NHKはアベのことばかり報道する」と言う点だった。いや、完全にお前の認知バイアスだろ……と思っていたが、そうだねと同意するしか無かった。
そのうちに母親がTwitterを始めた。「政治の情報収集をするから」との事だった。いわゆるROM専とのことだし、スマホ関係に疎い母親のことだからオタクアカウント(下ネタとかBLのことしか呟いていない)が見つかることはないだろう、と思ったが怖かったので、こっそり盗み見してアカウントを特定した。初期アイコンかつ初期idの母親のアカウントは、ネット論客や偏った報道で有名なメディアが。いいね欄にはツッコミどころ満載のアベアンチの漫画があった。
親の気持ちはわかるし、今の政府に不安な気持ちも分かる。森友問題とか説明しろよと思うしね。だからといって、コロナの件で経済も医療も回すのわりと無理ゲーなのに、四六時中ずっとそういう話を聞いて共感して同調して不満をぶくぶくと膨れ上がらせている人にもなりたくない。というか、不満ぶくぶくクリーチャーに親がなってしまっているのがとてもしんどい。
これをもし親がみているなら、インターネットや政治的な考えと少し距離を取って欲しい。まず、穏やかな気持ちになって欲しい。あなたが不満に飲まれる必要は無いんだ。
2014年春から提督になってはじめて艦娘を轟沈させてしまった。
別の鎮守府でもしかたしたらその子を相棒やお嫁さんにしている人がいるかもしれないので名前は避ける。
彼女とはいくつか前の期間限定海域から一緒にいてくれた子だった。
いつも攻略優先なので「もし会えたら嬉しいなぁ」などとぼんやりしていたらコロッと現れてくれた。全部の艦娘が等しくかわいいと思っているけれど、そういう予期せぬ出会いの子は少しだけ特別感があったりする提督もいるんじゃないだろうか。その子はそんな子だった。
さっそく演習に組み込んで実践レベルまで鍛錬する。出撃する時の声もMVPをとって高揚している声も何もかもが可愛かった。姉妹艦について話す姿なんかは親になった気分でほこほこしながら見たりもした。
新艦娘のお約束でさっそく期間限定で着替えた姿も見せてくれた。あのオフの日ような振る舞いがいつもの「戦う女の子」から「普通の女の子」になったみたいでギャップにやられたりもした。とにかく可愛かった。艦娘は全てがかわいいと思う。
自分がちょうど着任した頃は、一番艦これが盛り上がっていた時だったんじゃないだろうか。自分もサーバーの空き待ちをして、二度目の抽選で初めて新米提督になった。
事前に噂は聞いていたし、ゲームといえど操作ミスが無い限りお別れなんてことはないだろうと、例え一時のバイト艦娘であろうと誰も沈ませないできた。
一時攻略にダメコンを使っていたが、戻ってくるとわかっていてもあの演出にはドキドキするし、連合艦隊の第二艦隊旗艦は沈まないとわかっていても大破になる度に心臓がぎゅっと掴まれているようだった。あの感覚を味わってからより一層轟沈は出さないと固く誓ったはずだった。はずだったのに。
流行り物だし、と軽い気持ちで初めて早6年。就活の時も転職した時もほぼ毎日ゲームに触っていた。最初に就職した会社はとにかく毎日が辛くて、朝起きてすぐと夜寝る前少し艦これを触るのが癒やしだった。その後それさえ辛くなるかもしれないと思った所で転職した。たまに審神者やオヤカタなんかに浮気したこともあったけど、気がつけばいつも母港画面を眺めていた気がする。
完全なミスだった。ちょうど眼鏡を外してすぐで、ぼやけた目が中破と大破を見間違えてしまったのが原因だと思う。
気が付いた頃にはもう遅かった。ボスマスで大破艦がいると気が付いたと同時に、なんで、中破だったのに、と脳が事を認識しようとすると同時に一巡目の攻撃でその子が沈んでしまった。
思わずリロードを押してしまった。押してもどうにもならないことはわかっていたが、押してしまった。
それからなんとか母港に戻っても編成確認するのが怖くて、初めて艦これをしない数日を過ごした。二期移行を除けば初めてだったかもしれない。
それでも習性というのは怖いもので、数日後、朝アラームを止めた後すぐPCを開くクセがついていた自分は寝起きに一人足りない編成画面とご対面してしまった。
朝から崩れ落ちた。忘れていたわけでは無かったが、いざ直面するとキツイ。
それから一日なんとか仕事をこなした。普通に仕事できてしまうのがまた悲しい。お手洗いやコピー待ちなんかの本当に何も無い瞬間がいちばん辛かった。
正直、艦娘はかわいいと思っていても、いくら生活の一部に組み込まれているとしても、所詮はゲームだと思っていた。
レアな子が轟沈したり、もう入手チャンスがない装備なんかが一緒に持っていかれたらそら辛いわな…程度にしか考えていなかった。
SNSで轟沈を嘆く声を聞いても「まぁそうは言ってもゲームだし」と心の中で思っていたし、アンチによる故意の轟沈動画を見かけても全く同じことを思っていた。
二次元だから後腐れなく、ゆるゆるまったり遊べる。実際、艦娘が一人沈んだところで私の生活になんら影響は無かった。仕事もできた。
けど今猛烈に胸がモヤモヤとしている。正直しんどい。習性のように母港画面には行くけどそこから何も触れない。
食欲はある。夜も眠れる。けどスキマ時間に沈んだ子がふと浮かんできて頭が痛い。
その子は期間限定海域でしか会えなかったといえど、そこまで入手困難な子ではない。装備も頑張って改修したものがあったが失って嘆くほどのものではなかった。
そこまで落ち込むほどのことではなかったはずだった。
今もう一度艦これをしたい気持ちと、もうしたくない気持ちがせめぎ合っている。
なので言葉にして書いてみたが、こうして見てもよくわからない。
ずっとモヤモヤしている。
別のゲームも少しだけ平行しているので、そっちに集中してみた。
集中している間はいい。終わった瞬間からまた次の集中までがとてつもなく辛い。
艦娘のことはとてもかわいいと思っているし、大事だけど、やっぱりゲームの世界には変わりない。
自分は三次元に生きていて、息抜きに二次元の世界を覗いていたはずだから、多少それが変わっても何ともなかったはずなのに。
いつかどういう方向であれ解決した時に、またこの文章を読み返したいと思う。
もし同じく提督の人や、違うゲームだけど似たような経験があるという人がいれば、よければ軽い気持ちで良いから何か一言くれると嬉しいと思っています。
どうか参考にさせてください。
スノトラで命を救われた方の沼落ちブログを読んで、私も命救われたしな…と思い、私もスノトラに対する気持ちをアウトプットしようと思いました。
嵐担なので地に落ちるまでの嵐に関するお話が長いです。
全体的にちょっと長めかもですがご容赦ください。
2019年1月27日、日曜日だった。私がその報道を見たのは確か18時ごろだったと思う。LINEニュースの速報だ。嵐が活動休止するのだという。
私は嵐が好きだ。担当は松本潤くん。彼のビジュアルから入ったものの、好きなところは数えきれず、ストイックさや直向きさ、とても可愛らしいところ、でも魅せ方をしっかりわかっているところなど挙げたらキリがない。
潤くんとの出会いは遡ること19年前。当時小学2年生だった私のクラスではみんながみんな嵐が好きだった。
そして、シャーロキアンの母の影響でミステリーが好きだった私は当然のように金田一少年の事件簿も好きだった。
レンタルビデオ屋に行けば専らディズニーか堂本剛の金田一を借りていた。
そうして二代目実写版金田一少年を見た私は、人生の生きがいに出会う。
しかしながら、それ以降は好きな芸能人を聞かれると、ほぼ毎回松本潤と答える程度で強くは追っていなかった。
追っていなかったものの、嵐が出ていたならばテレビは見たりしていた。
そんな私が、中学卒業から高校1年にかけて何のきっかけでもなく松本潤に強い感情を抱くようになる。中学では、松潤のこと好きだなと思う程度だった女が、ある日突然、嵐の大ファンになるのだ。こわい。親も驚いたと思う。
今考えると当時の嵐は10周年に向けて動いており、私も世間の熱気に当てられたのかもしれない。
それ以降は嵐が出ていたならばリアルタイムで見ていても録画をし、円盤に焼き、雑誌はほぼ全て買い、切り抜きしてファイリングし、ジャニーズショップにも足繁く通った。
また、当時はK2やA2、N3と言った掲示板全盛期でもあり、登下校時には毎日のように掲示板を見て楽しんでいた。アタス子とか覚えてる方いますか?
そうして、青春を嵐と共に過ごした私は事務所担寄りのオタクへと変質し、生き甲斐は松本潤、ひいては嵐となった。
時は過ぎ、高校卒業、大学入学、大学卒業を経て上京、就職、転職をし、嵐にめちゃめちゃ注力しているわけでもないが、やはり生き甲斐は潤くんであった、2019年1月27日。私は目の前が真っ白になった。
その頃にはもう嵐が大好きで仕方がなく、彼らがステージの上でキラキラした衣装を身につけて歌っているの見ると反射的に泣く程度にはクソデカ感情が育っていた。
あの日はちょうど埼玉での泊まり込みの出張最終日で翌日の朝に帰京し、事務所作業の予定だった。
出張中の移動は主にレンタカーなので、休憩に立ち寄ったセブンイレブンの駐車場で私はあの速報を見た。その日の仕事は22時半頃までだったが常に泣きそうな中、ふと緩んでしまうと泣いてしまう状態で仕事をした。
仕事が終わり、宿泊先のホテルに入った途端、封を切ったように、涙が出た。
その日は日曜日。翌日は月曜日である。つまりNEWS ZEROに櫻井翔が出るのだ。
最早、どうしたらいいのかわからなかった。人はショックすぎることがあると頭が真っ白になるというのは本当なんだと体感し、また泣いた。
一人で過ごすことはできなくて、28日の夜には私用で上京していた友達に、ZEROまでの時間、飲みに付き合ってもらった。
そして泣きながら見たZEROで櫻井翔は言ったのだ。有働さんに「復活はあり得ますか?」と聞かれた櫻井翔は答えた。「あり得ます。」と断言した。希望だと思った。
翌29日はちょうど仕事が休みだった。朝起きてまた泣いた。ボーッとつけていたワイドショーでその類の報道が流されまた泣いた。あの3日間は生まれた時以来、人生で一番泣いた日だったのではと思う。
私はやば目のオタクなので、潤くんが結婚した時など、嵐に関してショックな出来事があってもダメージを軽減しようと、常からイメージトレーニングをしていた。例えば、潤くんの婚約発表、披露宴、結婚記者会見、おそらく50年以上先にはなるだろうが一番辛い告別式などである。
ただその中で何よりも想定していなかったことが活動休止であった。嵐として5人が並ぶ日が来なくなるなど、微塵も考えていなかったのである。
そこから私の虚無の日々が始まる。多くの方もそうだろうが、私は辛い時には音楽を聞いたり、推しを見たりすることが多い。
しかし、今その辛い原因は他でもない私の生き甲斐なのだ。潤くんを見たところでまた泣いてしまう。嵐の曲を聞いたところでまたさらに泣く。
後押しして欲しい時にはファイトソングを聴き、辛いことがあればHappinessを聴いた。夏を感じた日にはSummer Splash!を聴き、気持ちの整理がつかない時には、感謝カンゲキ雨嵐を聴いた。
嵐によって開けられた穴は、他では代替えできないほどに大きなものだった。
嵐がSNSを始め、サブスクを解禁した時もそれはそれで嬉しかったが、やはり辛かった。
2021年なんてこなければいいと思ったし、もう全てがどうでも良かった。
嵐が活動休止する2020年12月31日までは前を向いて生きようと思っていたが、それ以降は本当にどうなろうが、どうでも良かった。
いくら櫻井翔が明言してくれたところで、希望があったとしても、やはり不安は拭えず、生き甲斐が例え一時的であっても無くなることの恐怖が強かった。
日を追うごとにその感情は強くなり、2021年以降の自分が全く想像できなくなった。
この頃は本当にたくさんの人に心配をかけたと思うし、ジャニオタでもないリア友からLINEやリプをたくさんもらった。今思うと、とてつもなく申し訳ない。
そんな風にカスみたいに生きていた時でも嵐がテレビに出ていれば当然見る。そうやって見ていた、あれからちょうど10ヶ月後の 2019年11月27日。その日放送のベストアーティストで私は天使に出会う。
当時、Jr.について詳しくは知らないものの、ジャニオタの端くれとして1月にSnow ManとSixTONESがデビューするらしいというのは知っていた。が、しかし私が知っていたのはSnow Manはラウールという単語のみで、 顔と名前が一致していたのは、B.I.shadowであった SixTONESの松村北斗と髙地優吾のみであった。
そんなほぼ無知な私が見たのは、D.D.のコココガチャで魅せ方をよく熟知した、金髪の、足の長い子だった。一目で目を奪われた。こんな子がいたのかという衝撃は凄まじく、やっとラウールという名前と顔が一致した私は、個性的な9人のメンバーに引っ張られ急転直下のスピードでSnow Manに落ちていく。
当時のSnow Manはデビュー前であり、未来があって、輝きに満ちていた。
楽しいと思った。嵐が決めたことや嵐を決して否定するわけではないが、後ろを向けば期日が見えていた推し事と、先が続いているような感覚を得られる推し事はやはり大きく違った。
もし、嵐が出ないのであれば見ることができないと思っていた2020年のカウントダウンコンサートも、それ以降の歌番組も、Snow Manが出るならば見ることができると思った。
全く見えなかった私自身の未来も同時に見えたような気がした。
そして友達に誘われ、Snow Man目的で見た素顔4で私はまた出会いを果たす。
私はディズニーが好きでパークに行きたくて上京した。そんな女なので当然ミュージカルも好きである。そしてTravis Japanの夢のHollywoodは非常にツボな曲であった。
楽曲と衣装が好きだなあと思いながら見ていた夢ハリで、センターの子がいきなり「みんなで一緒に〜!!」と会場に向けて煽り始めた。煽ること自体はおかしくもないが、その煽りの後に続いたのはコールアンドレスポンス等ではなく、タップダンスであった。タップダンスを!?みんなで一緒に!?!?と私は大層混乱した。混乱しながらもこれがきっかけでTravis Japanのダンス動画等を見るようになる。
今の時代は非常に素晴らしく、ジャニーズJr.のオリジナル楽曲でさえもYouTubeのジャニーズJr.公式チャンネルに上がっていたりする。しかも定点カメラのダンス動画だって上がっているのだ。すごい。
そこで私はTravis Japanがダンスに特化したグループだということ知った。
統率の取れたシンクロダンスや、ジャンルの幅広く取り入れられている振り、そしてしっかりと身についている歌唱力や、耳に残る歌詞に心奪われた。
そして来たる外出自粛期間。例に漏れずテレワークとなった私はTravis JapanのYouTubeの動画を全て見た。第一印象が「みんなで一緒に〜!」だった宮近海斗くんは時々ボケるのが可愛らしい、ダンスばりうまなリーダーだと知った。他にも才色兼備でたまにボケるのがまたかわいい川島如恵留くん、何をしてもかわいい上に自分で「俺かわいいから」と言って憚らない七五三掛龍也くん、顔が小さく手足が長いのにヒモ気質な中村海人くん、ボケ役なのにリアコ枠でふとした時にとてもかっこいい吉澤閑也くん、独自の感性をしっかりと持っているかわいいお顔の松倉海斗くん、魅せる時は魅せるのにちょっとおバカでかわいい松田元太くん。
そして思う。私、この子たちはちゃめちゃに好きだわ…と。
ところで、ジャニーズはブログをやっている。会員登録をし、月額料金を払えば所属タレントのうち、ブログが開設されている子のものは全て読めるのだ。ありがたい。
そこで嵐やSnow Manのブログを読んでいた私は、当然のようにTravis Japanのブログ、とらまるを読むようになる。
Travis Japanは甲乙つけがたいほどに7人全員が好きだと思ってしまい、いわゆる箱推し状態である。なのでとりあえず全員のブログを読む。当たり前である。
ブログを読み進めているうちに、川島如恵留くんの文面に興味をそそられるようになった。
如恵留くんの展開するアイドル観、勉強観、その他全てにおいて、人間として尊敬に値すると強く感じた。
さて、皆様は7月27日現在の最新の定期更新分は拝読済みだろうか。
最新の定期更新分で如恵留くんはこう書いている。
「貴方が辛い時に、生きていきたいと思える理由の一つに、僕らの存在が力になれたら」
それを読んだ時、ラウールやSnow Manに会えるまで2021年なんてクソだと思っていたこと、Travis Japanに会うまで全てがどうでも良いと思っていたことを、恥じた。
また、如恵留くんがそう言ってくれるなら2021年以降も生きようかなと思った。
結局生き甲斐だった嵐の穴は大き過ぎて、ひとグループじゃ埋められず、Snow ManとTravis Japanのふたグループに出会うまで埋め切ることはできなかったけれど、私は今とても楽しく生きているし、来年以降も楽しく生きることができるのだろうなと思う。
ラウール担として恥ずかしくないよう、ずっと二の足を踏んでいたダイエットにも取り組むようになったし、如恵留くんを見習って勉強をしようかなという気持ちにもなっている。
アイドルって本当にすごい。
私はきっと来年もアイドルを追うことができるのだろう。本当に楽しい。
アイドルによって開けられた穴はアイドルによって塞ぐことができるのだと体感した。
今現在も嵐、Snow Man、Travis Japanともに色々なことがあるし、このご時世、グループの存続に関して全く持って問題ないなんてことはなく、薄ぼんやりした不安を抱きながら日々を過ごしているけど、スノトラの16人に出会えるまでのことを考えると、なんてことはないなと思う。
毎日が楽しく、笑顔で過ごせる。私は今日もアイドルに生かされ、明日もアイドルのことを想うのだ。
嵐に色々あってから本気で死ぬことも考えたが、本当に生きていて良かったと思う。ありがとう、Snow ManとTravis Japan、そして嵐。本当に大好きです。
色んな思い出がよみがえってきて本当に楽しくてアイマス最高!って言いたかったけど、本アカウントではちょっと恥ずかしいのでこちらで。
なんでこんなに楽しいんだろう、なんでこんなにはまったのだろう、と自分なりに振り返ってみた。
きっと私はアイマスでおじさんを楽しんでいるんだろうと思う。
(女性Pがどうアイマスを楽しんでいるかは、ほんと~~~に人それぞれの楽しみ方がある。これはその沢山ある方法のひとつでしかないことは先に言っておく)
恋愛対象は男性だ。あがり症だからキラキラしたステージとは程遠い。裏方の方が落ち着くタイプだ。
今回、同い年くらいの声優さんが「アイマスに出たくて声優を志した」というメッセージをよく見かけた。
でも私はアイドルになれるような人間ではないし、別にそこに悔しさは感じない。淡々と現実を受け止めている。
そんな自分が、普段の事を忘れて思いっきり「おじさん」ができるのがアイドルマスターなのだ。
がんばってる姿を見て、全力でサポートする。
悩んでることがあれば、一緒に話を聞いて悩んであげる。
流行りの言葉をまねて挨拶して、アイドルから白い目で見られる。
アイドルが気持ちを打ち明けてくれたら、それは恋愛じゃなくて信頼だよとそっと静かに修正する。
でもちょっと、自分も同じ気持ちを抱いていることに気づいてどぎまぎしてしまう。
仲のいいアイドル同士で仲良くしているのを、微笑みながら見守る。
そういった、日常ではできない楽しみをアイドルマスターは提供してくれるのだ。
特に、徐々にお互いを知って距離を縮めて、仕事をちょっとはみ出した信頼を得て、お互いに恋のドキドキと錯覚してしまうあの甘酸っぱさが溜まらない。
その後にステージで輝く姿を見て、やっぱり恋愛じゃなくて、人として仕事としてこの子を輝かせたい、と思うまでがセットだ。
この感情は、上手く言えないが、私の日常だったり、私の仕事仲間に対してはなかなか味わえない。だからこそ尊いのだ。
(余談だが、sideMではおじさんになれないのでは、女性扱いされてしまうのでは、と不安を感じていた。
そんなことは全然なく、1stライブで完璧だけど未完成な姿を見せてくれた後に「プロデュース、よろしくな!」と言われた時点でおじさんは目が離せなくなってしまった。柏木翼くんのおじさんです)
私はいろんなジャンルで提示されている「イケメンの恋人」でもなく「お姫様候補の女の子」でもなく「おじさん」になれることに心地よさを感じている。
ちょっとは「おいおい…」と思うこともあるが、おじさんだから乗り越えていける。