はてなキーワード: 饅頭とは
『このマンガがすごい!2023』の4位になったらしい名作なんだ
月曜にジャンプラで電子版が公開されてたので読んでみたが、めちゃくちゃ面白い!!
そして、続きが読みた過ぎるし、電子版じゃなくて紙の単行本が欲しいわ!ってなったので本屋に行って4巻を買ってしまった
単行本買ったのなんて鬼滅の最終巻以来だよ(ブームの中、最終巻だけ買った)
こんな面白いマンガ、読まずに過ごしていくのは絶対に損だと思うので、プレゼンしていくぞ!
読んだことない人への布教のつもりだから勿論ネタバレには気を付けるけど、面白みの紹介のためには序盤数話分はどうしてもストーリーに踏み込む必要があると思う
そこは申し訳ない
https://shonenjumpplus.com/episode/316190246999430065
…では、いいかい?
「話」と意味は変わらないのだけど、「話」よりも「噺」のほうが「語って聞かせる物語」的なニュアンスが強い漢字となる
現代で「噺」の漢字が使われる場面は「噺家(はなしか)」くらいかなと思う
「噺家」とは物語を語って聞かせる職業の人で、ほぼ落語家と同義語
これは主人公の少女「あかね」の、「あかねに関する物語」という意味と、「あかねの語る落語」という意味のダブルミーニングだと思う
長くなりそうだから章立ててくよ
じゃあ序盤のストーリー、少しだけ要約するよ
志ん太は落語家の階級としては中堅で、最終ランクである「真打」への昇進を目指している
中堅どころなので稼ぎはよろしくなく、妻、つまりあかねの母の稼ぎで家計が成り立っている
父はヒモだとクラスの男児にからかわれてケンカするほど、あかねは活発で気が強く、父を大切に思っている
そしてあかねは家で練習をする父の落語が大好きで、幼いころから父の真似をして、落語に親しんでいた
志ん太は家族のためにも、真打へ昇進するための最終試験に挑むことになる
落語家一門の「阿良川一門」の重鎮たちが揃う中、昇進試験の落語を行ったが、阿良川のトップ、阿良川一生がなんとその日の受験者を全員破門にする
それ以降、志ん太は落語家を続けられなくなり、一般企業に就職し、経済的にはむしろ裕福になった
そしてあかねは高校生になり、父の落語を認めさせるためにも、落語家への道を進んでいく…
というのが第一話
まず、落語マンガではあるのだけど、バトル物かと思うくらい、ライバルやラスボスの描き方がうまい
最後までラスボスがヴェールに包まれてわからないようなマンガも多くあると思うけど、このマンガは第一話からラスボス阿良川一生がはっきりと描かれ、そこに向かってあかねが成長していくような熱い展開となっている
ラスボスを隠すパターンは謎解き感が演出されるのに対して、ラスボスがはっきり序盤で出てくるとそこに到達するときの盛り上がりがすごく熱くなる
父はその後もちゃんと生きているはずだが、マンガではその後単身赴任として描かれず、バトルマンガで言えば「父は阿良川一生に殺された」状態
まあ落語家としては殺されたんだけど
ラスボス阿良川一生と父、またあかねとの因縁がこれ以上なくはっきりしてて、かつ、阿良川一生は落語界最大の重鎮
それに加えて、志ん太の元師匠で、今のあかねの師匠である阿良川志ぐまも、何やら阿良川一生と因縁があるようで?ここははっきり描かれていない伏線になってそう
おそらく中ボスという感じで、あかねと年齢は近いけど、天才的な実力で若くして中堅ポジションに昇格したカリスマ落語家で、阿良川一生の弟子
この辺の演出は本当にバトルマンガ王道物って感じの熱さがあってすごくいい
ジャンプと言えば努力→友情→勝利だけど、あかね噺もそのパターンが組み込まれている
そしてそのサイクルがめちゃくちゃスピーディに展開する!
あかねが壁に当たる→兄弟子のふんわりした助言→あかねの解釈、努力→成長!
だらだら失敗したり、だらだら修行したりしない
何か掴んだ描写があったら、その後の練習は描かず本番に移るので、ダレるタイミングすらない!
こんなにグングン成長していく様子が、読んでて気持ち良くないわけがない!
ここの展開の速さが、このマンガにぐいぐい引き込まれる最大の要因だと思っている
ここまで読むと、王道バトル物をスピーディな展開で飽きさせないだけなのかな、って感じたかもしれない
当然それだけじゃないんだわ
ちょっと専門的になるけど、ここを書きたかったからこの増田を書いているので頑張ってついてきてね
このマンガの最大の魅力は「劇中劇」がふんだんに盛り込まれながらストーリー展開するところだ
「劇中劇」とはなにかというと、「作中作」とか「物語中物語」とかいわれるように、お話の中にさらにお話が入れ子になっている構造を指す
「あかね噺」という物語の中で「饅頭怖い」という落語が語られれば、それは物語の中の物語なわけだ
で、その劇中劇がなんだってんだよ、と思うだろうけど、劇中劇で語られる物語が、外枠の物語とリンクすることで、物語中で語られない意味合いを伏線として提示することもできたり、外枠の物語で登場人物が感じていることを劇中劇の人物がリンクすることで強調したりすることもできる
つまり劇中劇を上手に使えば、本編で深く語らない内容を読者に伝えることができるようになる
「あかね噺」は落語マンガなので当然、物語中に落語を演じる場面が多く出てくる
もちろん知らない人のために、最低限の演目の内容紹介はある
さらっと読むにはそれでじゅうぶん足りているし引っかかりもない
しかし、この劇中劇である落語が分かると、めちゃくちゃマンガの解像度が増すんだ
読者もyoutubeなどで探せばどの落語も全編視聴することができるし、その演目の見せ場や意味も読者はネットで調べて知ることができる
ぜひ、一度マンガを読んだ後、時間がある時に扱われている落語を視聴してもらいたい
そしてもう一度マンガを読んで欲しい
例えば冒頭の場面、あかねの父、志ん太が寄席で演じて、さらに帰宅後にも練習する演目は「大工調べ」という落語だ
これは経済的に貧しくて家賃を滞納した人物が、大家に商売道具である大工道具を取り上げられ、大工の棟梁と一緒に大家に道具を返してくれるよう交渉するという話だ
これは、落語でほとんど稼げない志ん太そのものの立場と重なっているし、商売道具を取り上げられてしまう未来を暗示しているとも読める
(その後最終的には奉行所までいって道具は取り戻すストーリーなので、最終回では大工の棟梁=あかねが父の落語を取り戻す、つまり父の落語(のもっと上の師匠の落語?)を継承するエンドの暗示かもしれない)
日々真面目に働かない亭主がある日、浜で大金を拾ってきて、大酒飲んで寝てしまったので、妻が大金を拾ったのは夢だということにして金を隠し、亭主が真面目に働くように訴える
その日から更生し、財を成したある日、あの時は夢ではなく妻がお金を隠して亭主を騙したことを告白し謝るが、亭主はお前のおかげで身を立て直せたのだと感謝する
そんな人情話だ
これがなかなかすごい
志ん太は芝浜の亭主とは逆で本当にまじめで、家族のために昇進したいと、真面目に芸に取り組んだ試験だったのに、その挑戦は夢と散るという、芝浜のストーリーとは逆の構造を見出せすことができる
しかし、経済的な意味では芝浜と同じで、落語なんて食えないことをやってたのが、夢から覚めてサラリーマンになって稼ぎが増えた、とも言える
この場面の志ん太と、芝浜の対比を考えるだけでいくらでも飲めそうな話になっている
これはこんな話
みんなが何かしら怖いものがあるだろう、と言いあってた時、何も怖いものなんかないと言い張る男がいたので、さらに追及すると、本当はまんじゅうが怖いと言い出した
そして寝込んでしまったので、もっとからかってやろうとみんなでまんじゅうを買い集めて、男の枕元に並べた
起きた男は、怖いーとおびえるふりをしながら美味しくまんじゅうを食べてしまった
怖い怖いと言ったらみんながまんじゅう持ってくるだろうと思っただけで、本当はまんじゅう大好きだった、という話
つまり、怖いものなしの無敵感満載の男が躍動する滑稽話なんだけど、これをあかねが初舞台で堂々とやるわけさ
いやもう、これで終わらずずっとこの調子で色んな落語が出てくる
マンガ読む→落語見る→漫画読み直す→落語見直す→また漫画読み直す、ってサイクルをずっとできる
紙で欲しいね、これは
あとはですね
「三方一両損」って落語があるんだけど、あれ、序盤の掛け合いは面白いんだけど、後半のお奉行様が出てくるところは別に面白くないのよ
それがこのマンガで、真面目過ぎると面白い、みたいに書かれてて、ああ、確かに、そう見ればそうかも、ってなった
おかげでイマイチわかってない落語についてもちょっとわかった気がする
マンガから落語、落語からマンガ、どちらも理解度が増すってめっちゃ得だよね
もう少し魅力を語るならば、落語ってひとりの人物が複数のキャラクターを演じ分ける形態だけど、落語の語りを声色も何もないマンガで見せるわけなので、表情の描き分けなんかも面白い
絵の技術、というか、マンガの技術もしっかりある人じゃないと、このマンガは面白く描けなかっただろうなってのはちょっと思います
作画の馬上鷹将先生、ありがとうございます!
まあそんなわけだ
読んでみて
ツイッター見てたら、白饅頭とかいう人のnoteで「独身40代が狂う」という趣旨で書かれていたらしく、その記事に関するつぶやきがたくさん流れてきた。
わかってる。わかってるんだよ。
わかってるけど、目を伏せてるのに、目の前に突きつけてくるなよ。
突きつけられたら自分は正気じゃないのか、とぐるぐるぐるぐる思考が巡り気が狂いそうになる。
帰りもコンビニかスーパーにしか寄らずに帰宅して、スマホゲームをするかNetflixを見ている。
20代の頃は資格の勉強とかしてみたけど、今はもう軌道が見えていて、何を足掻いてもこの軌道かちょっとずれたところにしか行けないんだ、と希望が持てない。
勉強はした方が良いだろうけど、希望も興味も持てないし、だらだらと流される日々。
このままだとダメだと思ってもやる気も起こらない。きっと、1年後もそう。2年後、3年後も同じ生活をしている。
50歳になったら?60歳になったら?そのとき、自分の周りには何がある?誰がある?
こんなの考え始めたら正気でいられないだろ。
デビッド・ライス氏と白饅頭氏が互いを批判する文章をブログ,SNS上に投稿している。しかし,以前からこの両者の発信する文章を読んできた私としては,両者の主張は根本的なところで対立はしておらずむしろ同じ方向を見据えて書かれているように見えた。
ではなぜ,ライス氏と白饅氏は対立するに至ったのだろうか。結論から書けば,両者は主張の内容は近しいものだが,その主張をどのようにして一般に発信するべきかという点において大きな価値観の相違があった。その相違にばかりに注目し批判を繰り返した結果,現在の不必要な対立を生じさせたと私は考える。
両者は互にレッテルを張り合い,主張をよく確かめずに感情的な言葉を投げ合っているように見える。しかし,ライス氏と白饅頭氏は現代の言論界において重要な役割を担っており,こんなところで格を落とし合っている場合ではない。
実際に両者がブログ,SNSに投稿した文章から,なぜ不毛な対立が生じたのかを見ていこう。
ライス氏は2022年11月2日,自身のブログ「道徳的動物日記」に,『「女性差別的な文化を脱するために」オープンレターについての雑感』というタイトルの記事を投稿した。その中で,氏は白饅頭氏の言説について
“弱者男性論者たちはアカデミシャンではなく、コンプレックスや差別を煽ったうえでnoteやYouTubeで言動を売って稼ぐ「商人」だ」”
と批判した。
弱者男性論者である白饅頭氏がアカデミシャンではないというのは事実だ。彼は学部卒で,大学等には属さず個人で発信を行っている。「商人」というのもやや悪意のある表現ではあるが,noteや書籍を販売しているとい点では間違った表現ではない。
だが,アカデミシャンでないことも「商人」であることも,白饅頭氏の論を誤りだとする根拠にはならないはずだ。ここでライス氏が批判しているのは言説ではなく,白饅頭氏の立場と手法だ。氏の言説が誤りだと主張するならば,具体的に彼の文章を引用するなりして,どこがどう誤りなのかを論理的に説明するべきだろう。
また,ライス氏は2021年4月3日に現代ビジネスに『「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由』という記事を寄稿した。その中で,
“弱者男性論でおこなわれているのは、「女性」(または「フェミニスト」「リベラル」)という属性を仮想敵にして、自分たちのつらさの原因はすべて彼女たちに責任があると主張することで、弱者男性である読者たちの溜飲を下げさせるための議論だ”
と書いた。ここで批判されているのは“溜飲を下げさせるための議論だ”とあるように,弱者男性論の主張する内容ではなくその目的だ。もちろん,その弱者男性論によって留飲を下げている男性も少なからずいるだろう。
しかし,それが決定的に弱者男性論を否定する根拠になるだろうか。卑小な目的で立てられた論であろうと,それが誤りだと証明するには論を構成する根拠や理論についての誤りを指摘するべきだ。
上記のように,ライス氏は弱者男性論を批判しながらも,その批判内容は専ら論者や読者の問題を指摘することに終始し,弱者男性論を構成する根拠や理屈についての矛盾を殆ど指摘していない。
ライス氏は上記の記事の中で,弱者男性論がある程度は妥当であることを認めてすらいる。しかし彼はその妥当性を認めながら,それが社会に与える悪影響のみを強調し,弱者男性論をこき下ろしている。これはややバランス感覚に欠けた主張だと言える。
なぜ彼はこのような一方的な主張をしたのか。それは,彼がネット論客と呼ぶ者たちによる弱者男性論が盛り上がりを見せていたからだ。ライス氏は先ほど引用したように,ネット上で学位を持たない者が政治的な主張をし注目を集めることに対し強い拒否感を持っている。彼からすれば,学位を持たず大学にも属さない者の発信する政治的主張はSNS上でフォロワーに対してアピールするだけのものにすぎず,学術的な裏付けのない稚拙な主張に過ぎないようだ。
たしかに,ネット上で政治的発言をするアカウントの発信する内容は仲間内に向けてのアピールに終始しがちな傾向があることは否めない。
しかし,白饅頭氏の発言のほとんどは客観的な妥当性を意識しているものだ。彼のどの主張にしても,必ず明確な根拠を示しながら筋道を立てた発言を行っている。弱者男性論にしてもそうだ。
SNS上には白饅頭氏と同様にアンチリベラル的な主張をするアカウントが数多く存在し,数万のフォロワーを獲得しているものもいるが,彼ほどの存在感と影響力を有している者は他にいない。それは,白饅頭氏の発言する内容がアンチリベラル層だけでなく,中立・一般層にたいしても説得力を持っていることの証左と言えなくもない。
ライス氏は白饅頭氏のTwitterやnote上での発言を批判している。ライス氏によっては,SNSのような誰でも発言が可能な空間では論理的に正しい意見よりも大衆の感情を煽る意見の方が支持を得やすい。だから白饅頭の主張は誤りであるにも関わらず支持されるのだという。
しかし,白饅頭氏が発言を行っているのはTwitterやnoteのような誰もが発言できるメディアに留まっていない。現代ビジネス,プレジデントオンライン,BLOGOSといった,中立性を保ったある程度格式のあるWEBメディアにおいてもその主張が掲載されている。これは,彼が一般メディアからもある程度の評価を獲得している根拠であり,仲間内に向けて偏った発信ばかりをしているというライス氏の主張を否定するものになる。ちなみに,現代ビジネスにはライス氏も寄稿している。
ライス氏は学術的な背景のある言説を至上のものとし,ネット上での言説を程度の低い物と見なす価値観を持っているようだが,これは偏った価値観だろう。
ネット上では素人の発言が可能だが,それに対して専門家が批判を加えることも可能なのだ。生半可な言説では,素人がネット上で自らの論が正しいと広く認めさせることは,実際のところかなり困難だ。ネット上で政治的主張をするアカウントのほとんどは仲間内で価値観を確認し合うことしかできないのが現実だ。
そんな中で,広い層からの支持を集め,書籍を出版するまでに至った白饅頭氏の言説は,一考に値するものであると判断されるべきだろう。たとえ学位がなくとも。
それに,学術分野での肩書を持つ者の発言が必ずしも正しいとは言い難くなってきているのはライス氏も理解しているはずだ。実際に,彼のブログでは大学に属する研究者の著書や発言の誤りを指摘する記事が多く書かれている。
ライス氏は,ネット論客の主張は仲間内へのアピールばかりで発展性も新規性もないと言うが,学術の世界ではそうでなはいと言えるだろうか。学術界でも,特定のコードに反する内容の主張が正当な理由なしに発表を拒否されるという事例が少なからずあったはずだ。
ライス氏は学術的であることを重要視しているが,それだけを至上のものとし,そうでないものを見下すような態度はそれこそ閉鎖的で彼の指摘するネット論客の悪い特徴と同じだ。
2022年12月20日,白饅頭氏はライス氏のツイートを引用リツイートしこのように書いた。
“社会正義の総本山アカデミ屋を称揚する奴がいうのマッチポンプ感があって草”
たしかに,社会正義を定義しがちなアカデミア出身のライス氏が,社会正義に疑問を呈する内容の本を紹介するというのはやや疑問を生じさせるものかもしれない。
しかしながら,ライス氏は普段からアカデミアの主張する社会正義について無批判だったわけではない。彼のブログを読めばわかることだが,学術的な地位のある人物の著書についても内容に疑問を感じる点があればしっかりと指摘をしている。
ライス氏はアカデミアを重要視こそしているが,かといって盲目的に信奉しているわけでも無い。
“いやだから、君のような人文アカデミア礼賛ネット論客が「露悪的なおもしろさ」とか語るのダブスタもいいとこでしょ。”
白饅頭氏はライス氏を“人文アカデミア礼賛ネット論客”と呼んで揶揄している。これは,ライス氏が人文アカデミアについて批判的な視点を持ち合わせていることを無視した発言だ。
“インテリの本って普通に読みにくくて面白くないという根本的問題があるんだよな。
おもんなくてわかりにくい文章を書いているだけの分際で「高尚なことをやっている」とのぼせ上がっている奴らの商売が破綻するなんて当たり前でしょ。
「本当に頭のいい人は一般の人でもわかりやすく説明する」みたいな論調には与しないまでも、かといって「複雑なものを複雑なまま理解するのが知性だ」みたいなのも、インテリの自惚れが含まれていないわけではないだろう。“
これは名指しこそしていないが,ライス氏の著書に絡めた発言ととることができる。たしかに,ライス氏の著書は硬い文体でやや学術寄りの内容でもあるため,読むために労力を要する。
だが,ライス氏の著書はより厳密な内容で社会について論じたものであるという点から,白饅頭氏の著作よりも優れていると言える。本自体の売り上げで言えば白饅頭氏のほうが圧倒的ではあるが,それは彼の知名度と,内容の易しさによるところが大きいだろう。ライス氏の著書は本人の知名度も低く,厳密で硬い内容であるために気軽に手に取れる本ではないものの,より厳しい視点を持つ読者にとってはライス氏の方が優れたものとなるはずだ。
白饅頭氏は難解な内容について“インテリの自惚れ”と言っているが,これはただの暴言だ。ライス氏の著書が難しい内容となっているのは,学術的な視点からより厳密に理論を展開しようとしているからであり,アカデミア出身としての自負心と責任感によるものだろう。アカデミアを腐したいあまり,不適切な言動をしてしまっている。
“ 世間知らずのインテリくずれがパソコンカタカタで俺に勝つなんて甘い。フォークリフト乗ってから出直せ。”
“世間知らずのインテリくずれ”とは,おそらくライス氏のことだろう。しかし,ライス氏は大学院を卒業した後企業勤めやフリーターをしながらブログを執筆していたため,白饅頭氏の言う世間知らずは根拠のないレッテル張りだ。インテリという言葉には明確な定義がないためはっきりとしたことは言えないが,少なくともライス氏は修士課程を卒業しているという点で学部卒の白饅頭氏よりも学術的な視点でのアドバンテージがあることは確かだろう。インテリくずれという揶揄も,適切な発言とは言い難い。
白饅頭氏はライス氏を頭でっかちで世間知らずな,大衆の苦労など知らない嫌味なインテリなのだと思い込んでいる節があるように見える。
しかし,ライス氏のブログを読めばわかることだが,彼は社会に出て様々な苦労や葛藤に出会い,しっかりと現実を見据えたうえでその経験を活かしながら発言をしている。決して白饅頭氏が言うような,苦労知らずや頭でっかちではない。
白饅頭氏はライス氏のブログや著書に関して,“つまらない”や“わかりづらい”,“売れない”と評している。たしかに,ライス氏の硬い文体は読む人によってはつまらないと感じるかもしれない。だが,社会について論じる以上は厳密かつ真剣な文のほうが望ましいというのも,一般的な考え方ではある。ライス氏の文章はライトな読者層にとってはつまらなく感じるかもしれないが,言説に対してより高い基準を求める読者にとっては大いに満足のいくものであるはずだ。
白饅頭氏はより広く読まれることを目的としだ文章を書くため,その内容を可能な限り平易なものにしている。彼からすれば,ライス氏の文章はわかりづらく自己満足的なものに見えるのかもしれないが,分かり易さを求めることで論理的な強度が低くなることも事実だ。ライス氏の文章は批判的な視点を持った読者に対しても説得力を持つように書かれているため,どうしても文章が複雑化することは避けられないだろう。それをわかりづらいの一言で済ませるのは不当な評価だと言わざるを得ない。
白饅頭氏の著書がライス氏の著書よりも売れているのは確かだが,市場での評価が必ずしも言説の正しさを格付けするものではないはずだ。先程も書いたように,白饅頭氏の本が売れているのは知名度と平易さによるものが大きく,世間で売れる本の殆どがそうだ。
白饅頭氏は読みやすさを重視するあまり,学術的な厳密性を軽視しすぎている。たしかに厳密性を求めた文章は難解で読みにくくなるが,一定レベル以上の読者はそう言って文章を求めるようになるにも確かだ。白饅頭氏の文章は新規の読者を獲得すことには適しているが,高い基準を求める読者からは不満を覚えられる内容だろう。
また,白饅頭氏はアカデミアに対して偏見を抱いているようにも見える。彼の発言を見ると,アカデミアとその出身者はアカデミア内でのコンセンサスに沿った発言しかできないと思っているようだ。
しかし実際には,アカデミアとその出身者には多様な背景と思想をもった人々がおり,時には学会での権威に背くような意見発表されているということは彼が知るべき事実だ。
これまで書いてきたことからわかるように,ライス氏が重視しているのは学術的な姿勢と厳密性だ。一方で白饅頭氏が重視しているのが人気と分かり易さだ。両者が重視しているものは両立が困難であり,それゆえに互いが敵対的な姿勢を取るようになってしまったのだろう。
くだけた表現をするなら,ライス氏は「ガチ」であり白饅頭氏は「エンタメ」だ。どんなコンテンツであっても,ガチとエンタメは対立しがちであると同時に両方が必要とされるものだ。
ここで,格闘技の興行を想像してみよう。コアな格闘技ファンを満足させるためには,当然実力のある選手同士の対戦を見せなければならない。しかし,実力があっても知名度は低いという選手が多い。知名度の低い選手では,新規のファンやライトなファンを呼び込むことができない。そこで,実力はともかく知名度のある選手の試合も組まなければならない。
実力のあるガチの選手と知名度のあるエンタメの選手,共に興行を成り立たせるために必要な存在だ。白饅頭が朝倉未来なら,デビッド・ライスはヴガール・ケラモフだ。
ライス氏のような,学術的な背景から厳密な文章を書ける作家も,白饅頭のような分かり易くて売れる文章を書ける作家も,言論の世界を成り立たせるために必要な存在のはずだ。
両者は現在のリベラルやネット世論に対して同様の疑問を呈することもあり,思想的な共通点もあるように見える。冷静な対話を重ねれば,互いの考えについて理解を示し合うことも可能なはずだ。
ライス氏と白饅頭氏はこれから日本の言論界をリードする存在になり得る作家であり,こんなところで小競り合いをして格を落とし合って欲しくない。
確かにコンテンツを攻撃されたからって不正会計告発で逆襲するのは筋違いなんだけどさ
筋の通った主張同士で闘うフェーズはとっくに過ぎたんだよ。
というよりもフェミがオタクの主張に向き合わなかったからこんなことになっている。
青識や白饅頭がどれだけむかついたとしても、彼らの主張には一定の理がありそれなりに説得力があった。
そして彼らはフェミの主張をしっかり読み込んで解釈したうえで持論を語っていた。
一方フェミは、彼らの主張を読み込んでその理屈の不備を指摘するようなフェアな議論をせず
外見をディスったり取り合う価値がないと貶めたりするばかりだった。
https://gendai.media/articles/-/102974
力の暴走をどうコントロールするのか、虚偽の告発をどう検証するのか、落としどころはどうするのか、告発を受けた者の人権や権利とはどう折り合いをつけるのか――といった論点を含む内部批判のブレーキを「MeToo」はすべて失った。
本事件に対して、共感のおもむくままナイーブに「推定有罪論」に加担してしまった人びとは、草津町長の言うとおり、なんらかの言明を出すべきだろう。それが「法治国家」の仲間に戻るために必要な矜持である。
それらを一切せず「異論や批判を向ける者はみな二次加害者・差別主義者だ!」などと居直ってしまうようであれば、それはもう私たちの社会の秩序とは相容れないものと言わざるを得ず、消え去ってもらうほかない。
あたかも自分は公正な人間であると言いたげな文章だがそれなら疑問がある。
暇空茜は低く見積もっても7割は「法に従った手続き」を取っている。
だが、YouTubeによる情報公開の中に3割ほど推定有罪を前提とした論戦をはっている。そして実際に訴訟を起こされている。
ならば、白饅頭はその暇空茜の推定有罪の部分はちゃんと批判すべきではないか。
これは民事による敗訴がなくても今この場で白饅頭が批判すべきことではないのか。
7割守ってるから草津の件でイキってたリベラルどもよりましだという相対的な擁護はできても、ここまで強気な発言をしている以上もはや白饅頭が暇空茜の言動の一部について厳しい姿勢を取るのは義務ではないか。
誤解のないように最初に書いとくと、俺自身、「現代」の先鋭化した「フェミニズム」「ツイフェミ」には反対だし、個別の論者も言ってることとやってることがちぐはぐ過ぎるしカルト化しているとも思う。ただ、対抗する動きとして出てきたアンチフェミニズムはどうかというと、ここ最近のネット論壇は一見説得力があるけど、どこかおかしい議論を展開する論客が支持を集めているように思う。
特に影響力のある筆頭としては白饅頭氏あたり?アンチフェミニズムにとどまらず女性憎悪を煽るような言説を(有料Note内で)ばらまいてるし、支持者も少なくないぽく見える。小山晃弘氏は女性の立ち位置に幾分理解を示してる分はマシだけど五十歩百歩。他にもその手の論客を挙げればキリがないのだけど、彼らの共通項を一つ上げるなら「疑似科学」や「疑似論理」を用いて巧妙に「だから女性が悪いのだ」「男性は迫害されている」という方向に持って行きたがることに尽きる。たとえば「現代日本では女性の幸福度の方が男性の幸福度よりも高い」ので「男性の方が差別されている」のだ、という一見もっともらしい言説が彼らの間では普及しているけど、全くもって論理的じゃない。
実際問題、幸福度に大きく寄与しそうなファクターとしては孤独でないってことが挙げられると思うのだけど、女性の方がコミュニティを作る性質が強いので男性より幸福度が高いかもしれない、とかいくらでも他の可能性は思いつくのに、女性を仮想敵にする言説ばかりをやたら量産している。あるいは、進化心理学を援用した男女の性差議論もだいぶ怪しい。そりゃ、そういう風に説明しようと思えば説明可能かもしれないが、どう考えても反証可能性がない。
もちろん、他の哺乳類でも男女の能力に性差があるように人間でも男女の性差は色々あるのは間違いないけど、彼らはとかく議論を単純化して女性を悪魔化する方向に持って行きたがる。「女性の他責性は本能的なものだ」みたいにね。それでいて、白饅頭氏も他の論客も不要な分断を埋めようみたいなことを嘯くわけで、分断を煽ってるのは一体誰なんだろうとは思う。下手したら、今のいわゆるツイフェミよりも性質悪い存在になりつつあるんじゃない?くらいには思ってる。
amunku 草津市県内ワースト犯罪件数だったとこでしょ。犯罪どころか揉め事も多いのかって思っちゃうな
ndns 事の真偽は関係なく、極めて愚かな住民投票とその結果だからその街全体が嫌われるという当然の末路。地方とか田舎とかは関係ない。
mopo123 セクハラ温泉か。旅館が風呂に盗撮カメラ仕掛けたのもここだっけか?追記:細かな事情が分からんのは町民だって同じでしょ?その状態でリコールかけたんだから、町民の民度はそんなもんだよ
aki_minori 異物を排除する田舎の論理が悪い方向に出ちゃった感じ。ただ、断片的な情報だけでも、この町議の言ってることを丸のみはできないと思う。
hisa_ino たかが一町議をリコールまでして「今すぐ」辞めさせたい、というのが異常で引くわ。住民の意思なら次の選挙でいくらでも示せるんだし。要は町長の報復なわけでしょ。それに乗っかる町民もなあ…。
sisopt “個人の自由意志を舐め過ぎ”とかいうブコメは村社会の同調圧力を舐めすぎ。
zambia とりあえず消滅可能性都市から消滅都市へようこそ。それが町議の狙いでしょ?
T-3don 草津のイメージ回復的には、大差で否決してようやくイーブン、くらいの状況だった思うが。ブランド価値を守るチャンスを住民自ら踏み潰した、と見なさざるを得ない。今後選択肢からは外れるなぁ。 news
dd369 グン○ーとは言いたくないけど言ってしまう。香港のように人権が通用しなくなった未開の地を女性は捨てた方がいい。 社会local
questiontime 個人的にはこれで草津温泉に行くことはなくなったけれど、この結果を見て草津を優先するのもいるんだろう。客がそんなのばかりになったら女性はもっと住みづらくなる。悪循環。
satromi 草津みたいな人が来る観光地でさえこれか。田舎は恐ろしい。
zyzy これは流石にちょっともう草津そのものを異常視せざるを得ないし「おかしいっていうなんてさべつぅなにかあるはずぅ」っていう権利は、こういう迫害をしない人だけが持っているからね。裁判回避やった時点でアウト 考え方
cotbormi 住民もクズだから逃げな。そんなクソ田舎捨てな。 これはひどい
kohgethu 田舎なんてどこもかしこも案件か。クソが。/そんな「男性だけが楽しめればいい」という考え方でやってると、本当に温泉街が寂れるぞ。
ustam 草津タウンこの…。旅行先、移住先から草津町は永遠に除外だな。町ごと地図から消えてなくなればいいのに。セクハラの有無はわからんし、実際虚偽の可能性もあるけど、裁判の結審を待たずにこのようなやり方は異常。
korilog 9割賛成はすげーな。性被害を訴えると町の9割が敵になる。やっぱり田舎は怖い。
wwakainkyo 町議会がおかしいだけと思ったら、草津町そのものがおかしいのか。草津温泉に行こうという気が失せるな。(中途半端な田舎だとよくある、地元有力者が根回ししたら決まる構図)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASND66WZ6ND3UHNB00J.html
hammam 恥を知りなさい草津町民
shun_libra 議会はその自治体の民度を表すからなあ。こういうクソ動議が起きるような町じゃ、町民の男尊女卑志向も相当ヤバそう。
emt0 温泉に罪はないし、ここ最近の復活は素晴らしいが、これじゃお金落としに行く気が失せるわ。仕方ないが所詮は群馬の山奥のムラ社会か
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASMD261GBMD2UHNB00M.html
RCHeLEyl だよなぁ。これが通るなら草津で性犯罪被害に遭っても、加害者が「嘘だ!でたらめだ!」って言い張ってセカンドレイプを起こされ、社会的に排斥されかねない。
mkotatsu 事実はどうなんだかよく分からない問題だけど、ポスターやビラを見るだけでは、はてなの大好きそうな「田舎の嫌な所」のかたまりっぽい。その割に擁護コメがあるから余計に草津にはちょっと近寄らんとこ感
hevelo 野蛮なクソ田舎滅びてどうぞ
zyzy 草津はヤバい以外の感想が出ないのよなぁ。もう女性たちは全員逃げだせるようにしておいた方がよさそうなレベルで。 考え方
gomaberry 「小さな町だからリコールされた女性の人柄をみんな知ってるはずだから当然」という不自然なコメントがヤフコメに大量についていた。地元紙に同様の文面のチラシが折込されたそうだ。組織的犯行。あの群馬だもん。 ドリル優子慰安所中曽根中の人一太カルト下村
siiko どっちの主張が正しいかも分からないのにリコールを主導する町、賛成に丸付けちゃう住民
watapoco 行政も住民も気持ち悪すぎて絶対行かない場所になった。ちなみに気持ち悪さは性被害で告発されたことではなくその後の対応。
papercup140 田舎の議会は恐ろしい…。草津町民を責める気にはあまりならない。
mopo123 草津町民というセカンドレイプ民。覚えておこう。
napsucks 田舎に対する偏見が裏打ちを得て強化されていく。。。
domimimisoso 草津の真相がどうあれ、「田舎の女性議員は町長に密室セクハラやられても解任運動が恐くて声を上げられない」というメッセージを全国に放ったのは間違いない。
uunfo 草津温泉に入ったら何されるか分かったもんじゃないな
kyasarin123 さすが温泉街(ピンクコンパニオンとか)ですね。爺ィ連中の民度低すぎ!!
sykuma 東京の区議会でこんな事やったら秒で蒸発するレベルの炎上になるのにな。結局、地方は年寄りが堅持している昭和文化と心中していくしかないんだろうな。
daigo0117 田舎は外から入ってくる価値観に排他的だし、老人は新しい価値観を拒絶する。改革は難しいだろうな。。
ryun_ryun 田舎の人間は性格悪いからね。地方擁護派の俺としてもその点は擁護できない。
yuzuk45 大都市以外ではこれがこの国の意識のスタンダードだろう 女性地方政治
yuzumikan15 傍聴席にいたセクハラ男性たちって住民なんだよね?温泉好きでいろいろ行くけど草津温泉には絶対に行かない。
nenesan0102 ブコメにもあるけど、こんな場所なら女性たちが逃げ出して当然だと思う。
m_h そりゃ田舎(地方)から若い女が減るわってかんじですね!
kaz_the_scum 日本の田舎っぽさを色濃く感じる。私にとって鹿児島の志布志はあの事件の土地というイメージしかないんだけど、温泉に行かない私にとって草津はこの事件で温泉から上書きされたわ。
iasna 田舎クソ恐ろしいな
ipinkcat 田舎ってダメなところを煮詰めたようなクソみたいなオヤジしかいないけど、草津町はクソの中のクソだな…。
Rinta いかにも田舎のえらい人たちと言う感じ。自民党はそーゆー人達の総本山だなと思う。
napsucks 面白いメタ構造。田舎に対する偏見が強化されるな。
skgctom 都会にこういう老害がいてもいずれは若者たちの声が高まり死に絶えるからいいが、地方だと老害の価値観に迎合した準老害だけが残って出世していき、そうでない有能な若者は地元を出て行くからな…
punkgame 田舎で大事なのは人間性や手腕よりも、家柄や権力。そしてそれを煽てておこぼれをもらう奴ら。この手の爺さんたちは非常に邪魔で早々に消えて頂きたいのだが、こいつらの子孫は若いくせにこれを引き継いでいるので、 30年経っても田舎が東京レベルになるのはまだ無理だと思う。
xorzx こんな地方は滅ぶべき。少子高齢化で20年後には半数の自治体が消える。
tokatongtong 草津っていうのはそういう場所だったのか。絶対行かねえ。
zyzy 草津から来たという男性がいたら警戒して距離をとり、警察に連絡する準備をしなければいけなくなるレベルに酷い。 考え方
kingate いや。これが普通の田舎だよ。よく知ってるよ。警察もグルになってることがほとんどだからね。警察ったって署長以外は基本地元の持ち上がりなんだし。糺す方法なんて強制移民以外無いよ。マジで。
gomaberry 草津は女性が行ってはいけない危険な町だな。県知事あの人だっけホラ、安倍晋三のツィッターの中の人だった例の…
takashi1982 草津に行くたびにこんな下品な議員や町長がいても温泉は素敵ですね嫌味を言い続けていきたいと思った。他界した曽祖母の町も同じで、田舎のそんなところが本当に嫌だと思っているので住めないよなぁ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/dd949f8ef142ba996f362f990583c350a037de09
Unimmo セカンドレイプの町だとまでは言わないが、きわめて程度の低い町として、心から蔑んではいる。 田舎者
Gim 筆者の意見に反対だ。裁判で係争中なのだから、リコール自体を判決後にするのが、日本人の常識であり、草津の温泉街のドンの非常識を咎められない事が、正にセカンドレイプの町の称号に相応しいと言えよう。
RCHeLEyl 白カビ饅頭案件。1人しかいない女性議員の訴えを否定する文章を街中に張り出し、更に公の場で糾弾している。そういう風土のところだと、性犯罪被害を訴えてもセカンドレイプ食らって加害者勝ち。近づかない一択。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.media/articles/-/78575
hatarakutoshika 未開の地グンマーではこれが日常
nyama02 魔女狩りの話?群馬って中世だったんだ、ショック
taguch1 草津の人の知性は地に落ちたけど。まぁ裁判でやれ。税金でアホなことすんな。
xevra 何のエビデンスも付けずに一方的な中傷になっているのが怖い。「何のどういう行為が問題で、証拠はこれ」ってなってないと判断できないはずだが。田舎は恐ろしいわ
kyasarin123 草津よいとこ一度はおいで〜!行かねーよ!わー田舎住みたくねー
awkad 田舎バカにするなというが田舎じゃないとなかなかこれは成立しないからな。ここまでいかなくてもこういう空気は田舎にはある。だからそれが嫌な人間は都会へ行く。そうじゃない人が残りこういう空気が強くなる悪循環
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sleeptreewinter/status/1335232610331631617
domimimisoso これから全国の田舎の町長は女性議員にセクハラやり放題です!っていうメッセージだね、こりゃ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/708288354939338752
いいお刺身の柵があったのでゲットよ!
これは半分はお刺身で切って残りの半分は漬けにするわ。
漬けってやっぱり横着せずに合わせ調味料を煮立たせないと行けないみたいな理由はよく分からないわ。
今になってその謎を解こうとしても、
これはもう先人の知恵としてそう言うものだと思って実行する方が考えるだけ無駄よね。
なんかもう夜には眠くなっちゃって寝ていたわ。
寝るに限るわ。
まあそんなことより、
1玉1ドルはゆうに超えていてなかなか買えないもう高級フルーツの域よね。
あと長ネギかな。
それでベーナーの鍋をこしらえて冬の美味しい味覚を満期するわ。
1週間で伝統の継ぎ足しベーナーの濃いスープが出来るんだけど、
これで作るおじやは最高よ。
あと饂飩もそれで締めを作るのもね。
肉しかりきっと野菜からもたくさん美味しい旨味成分エキスが溶け出しているので、
そう言うことになっているからしばらくはお粥研究の第一線からは遠のいてしまっているわ。
まあそれでお粥つくれば一石二鳥の研究結果もとい一石16鳥ぐらいの16匹分の鶏肉を出汁のスープが出来ているようなさまだわ。
寒くなるけれど、
夏と違って保存もきくからそれはそれで鍋長い期間楽しめるのよ。
春はあけぼの冬は鍋に限るわ。
ってぐらい冬の下の句は鍋に限るにしてもいい季節だと思うし、
いろいろな具材がいまは食べ時期ごろよ。
たくさん野菜を食べるなら今がチャンスなので、
あんま話し変わるんだけど、
ビリヤニ沼にはまったらはまったで大変そうなので
見ても見ぬふりをしていて
決してスパイスなんか買い集めようとは思わないし、
オニオンとトマトで味が旨味が決まるならスパイスはできあい既製品の市販品で投入すれば、
はまったらはまったで大変なので目論まないわ。
逆にいったら、
日本の生米をそのバスマティ米の用にパスタのように茹で方でアルデンテでいいんでんて?って思うし、
そう言う茹で方したお米なら、
本格的なビリヤニ憧れるわー。
お店の味をお家でも再現できたら美味しいわよ。
まあしばらくは動画で欲を満たすわ。
あの沼ったら大変なビリヤニの作り方動画はしばらく見ないことにしたいけど、
こないだインド祭があって言ってきたので
それはそれでしばらくビリヤニもういい!って嫌いになるぐらいで
でもこれってべ、べつに饅頭嫌い!って言ってるわけじゃないんだからねっ!って言いたいぐらいなこんな世の中にまともなビリヤニの食べられるお店の少ないこと少ないこと、
たぶんだけど、
一度バスマティ米で味わってしまった米はウォークするぐらい美味しいし、
以前マーケットのフードコートに謎のインド料理レストランがテナントあって
美味しいビリヤニを食べられていたそんな何でも無いようなことが幸せだったと思う昔を懐かしむばかりよ。
インド人現地シェフはテナント料が高い高い!っていつもぼやいていたけど、
たぶん日本でレストラン開業できるよ!ってそそのかされてやってきたけど、
自分のお店を持つどころか、
マーケットでのテナントに入店して思ったよりテナント料が高かったって想像を絶していたのかしら?
そう思うと気の毒だけど、
もうあの味のビリヤニの美味しい旨味が味わえないと思うと淋しいわね。
32件ハシゴして分かったわ。
凝ってるところもあれば手軽に作ったものもあったりして、
この季節になると
鍋を作りながら
あの頃の美味しいビリヤニのことを思ってやまないのよね。
シェフ元気かな?って今でもたまに思うわ。
うふふ。
玉子とレタスサンドのが今日なかったので期間限定よろしく終売なのかしら?
名残惜しいわ。
美味しいものには終わりがあるのよ。
この時期安定的にまあそこそこ買えるグレープフルーツがデトックスウォーター界隈では重宝されているので、
昨日の文化的な行いのつもりで、
搾りマジ果汁じゃなくて、
半月切りの輪切りにしてこしらえた、
ピンクグレープフルーツウォーラーね。
もう物の値段が色々高いわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ゆっくりはゆっくり霊夢・魔理沙という名前の首だけ饅頭のようなキャラにSofTalkで喋らせるミームから来ており
そのミームの定番台詞「ゆっくりしていってね」を語源にしている
その謎を探るべく我は古のインターネッツの密林へと思考を飛ばした
それらはミームではるものの、動画投稿者がこぞってクローンするようなものではない
バーボンハウスはAA系のミームであり「ゆっくりしていってね」と直接は言わないものの類似の空気感を漂わせる
ゆっくり「動画」と括ってしまったから出てきた発想のようにも思えるだろう
何しろゆっくり自体がミームなので、ゆっくり実況、ゆっくり解説、さまざまな形態があるにしろ、まとめるなら「動画」とするのは妥当ではあるはずだ
カウンターにショットグラスを模した旦をシュッとやってガシャンとなるAAはおそらく後付けだろう
元は単に「やあ (´・ω・`)」の顔文字がいたくらいでAAの域ではなかった
一方でゆっくりはどうだろう
今や動画の印象が強いが、「ゆっくりしていってね!!!」こそAAが発祥ではないか
これはどうしたことだろう
視点を切り替え、ゆっくりが対談形式のフォーマットであることに注目してみよう
このジャンルで他に存在感があったものは、やる夫とやらない夫のミームだろう
しかしこれを2ちゃんの外に持ち出して成功した例はほとんど見られない
対として据えるにはいささか弱い
いや、ちょっぱや動画とかいう強さゼロの独自概念を冒頭に挙げてきた人間の言うことかという批判は甘んじて受けよう
ここで腹を切って死ぬことでみかんの密林旅を終えることをどうか許してほしい
そろそろみかんの季節ですね、ということだ
バタリ
今日は忙しいみたいというか、
隣の会社のお手伝いよ。
人員が欠けると私が借り出されるその仕組み改善した方がいいんじゃないの?って思うのよ。
電話苦手だなぁ。
そう思うのよね。
電話得意な人っているのかしら?
直接対面で人と話さなくちゃいけないので、
疲れる~。
電話なんて誰が考えついたのかしら?って
あー電話怖い。
直接マジックポイントをジワジワ削られる感じがするのが
そんでマジックポイントがなくなると
ヒットポイントも削られる気がして、
って気がしてって言うよりも
確実にそうだと思うのよね。
疲れるわー。
うかうかしている間に、
また電話がかかってきて、
真面目に電話には出るわよ。
まったくだわ。
うふふ。
またちょっと違うタマゴサンドと違うボリューミーなタマゴがセクシーヤミーよ。
熱々だと熱いので湯冷ましで一旦玉露でも煎れるんかーいってぐらい温くてもいいけど、
煎茶は限りなく熱湯にしないと美味しくないと思っているので、
冷めるまでほどよい飲み頃まで待つわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!