はてなキーワード: 証左とは
「偶然似ただけでパクりはしてない」っていう体で事前に法務チェックもやってんのに、そんな迂闊なことやったら「意図してパクったがバレたから変えた」って解釈されて逆にパルワールドがヤバいだろ。
3Dモデルをブッコ抜いて必死に比較してる海外勢もいるけど、このままシラ切り通してれば半年もすれば粘着質な連中は少し残っても風化すると個人的には思う。
ただ、法的に責任を問えないとはいえ他社が超えない常識のラインの外に踏み込んだ模倣パーツがキャラデザ以外にも色々あるのは客観的な事実なので今後の業界の動向が心配だ。
制作コスト上昇は大手企業ですらリメイク地獄に陥るほどの大問題となって業界に負の影響を与え続けている。ソニーのスパイダーマン作ったスタジオもあれだけのビッグヒット連発しても左うちわでは居られないのが何よりの証左だ。
業界全体が競争のために度を超えて予算水準を拡大しすぎている。
そこに、こうやって度を過ぎた模倣で制作コストをそれなりに省いて業界まれにみる大成功を収める企業が出た。
大手企業がいきなり他社の露骨な模倣するとは思わんが、小さな企業ほどどんどんモラルは低下していくだろう。金がないんだから。
厳密に言えばあるのだけど、アーケードスティックとかアナログスティックがないやつだけしかない。
コンセプトとして連射付きコントローラーを出さないっていうのは別に構わないのだけど、それならゲームの中で連打させるな。
ゲームやってるときに一番嫌いな瞬間って何かと言われれば、ボタンを連打している瞬間。
画面の中ではスタイリッシュにキャラクターが駆け回ってるのに、現実に帰ってくると自分がサルのようにボタンを連打している。
それでもゲームデザイン的に突然連打を求めてくるゲームは後を絶たなくて、PS4までは連射付きコントローラーにお世話になりっぱなしで純正DS4を使うことがほとんどなかった。
PS5を買ってもPS4のゲームばっかりだったから今までは問題なかったのだけど、大好きなゲームの新作がPS5でも発売されたのでいよいよPS5専用ゲームに手を出すことにした。
いつものように連射付きコントローラーでプレイしようとすると、「このゲームはPS5専用コントローラーでしかプレイできません」みたいなエラー。
嫌な予感。
アクションゲームなのだけど、案の定、戦闘シーンはサルみたいな連射ばっかり。
それでもそれほどの速さを求められる連打ではないからなんとかサルにならないようにゲーム出来てたけど、とうとうミニゲームで「ボタンを連打しろ!」って出てきてしまった。
一瞬で蛙化。
ゲームを作っている人は何を考えているんだろう。
コントローラーのボタンを連打する瞬間が本当に楽しいと思って作ってる?
スマホのアクションゲームでさえ連打じゃなくて長押しで連続技が出るように改良され始めてるというのに、そんなんだから衰退してるんじゃないの?
長押しとか、リズムよくっていうならわかる。
映画とかでボタンを連打してるときって、大抵思考停止しちゃったバカの描写でしょ。
パチンコで熱くなってるカスとか、自分が悪いのに言うこと聞かないメカに八つ当たりしてる姿なのよ。
なんでそれをゲームでやらすかね。
PS4のときに怪しいコントローラーが増えたのは、公式のルールがニーズにそぐわなかったことの証左でしょ。
だったらサードパーティー製のコントロラーの制約を厳しくする前に、ゲーム側での連打に対するルールを厳しくしてくれ。
メーカーは一度でいいから、必要なボタン操作回数に対してユーザーがどれくらい無駄にボタンを連打しているか調べてみ。
無駄な連打回数イコールプレイヤーのストレス、つまりはそれが離脱率の原因になってるから。
ハロー!きのこ増田だよ!久しぶりだね!みんな元気にしてたかな?
いま話題のオオワライタケさんについて、増田なりに調べてみました!
ヒメノガステル科チャツムタケ属(Gymnopilus)のキノコです!と言われてもなんのこっちゃって感じですね。
増田的には、散歩しているとめちゃくちゃよく見る(朽木とか、朽ちた木のベンチとか切り株とかでよく見ます。公園とかにも普通にある)割には、分類がよくわかっていない(未記載種がいろいろある)マニアックなグループという印象です。
大概は苦くて食用に適さないとされているのでスルーしてますが、中でもオオワライタケは湿気さえあれば冬以外は年中生えてるし、デカくて立派に株立するので栄えます。嘘かまことか幻覚物質を含むとされていたり、名前もキャッチーなので、Gymnopilus界のアイドル的存在ですね。
https://www.hokto-kinoko.co.jp/kinokolabo/album/41991/
国内においては、同グループ内で明確に毒成分が明らかになったものはないと認識してますが、wikipediaによれば、世界中でおおよそ200種以上が記載されている内14種類でマジックマッシュルーム同様の幻覚成分(Psilocybin)を含むことがわかっているらしいです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Gymnopilus
話題のまとめでも言及されていましたが、そもそも「お前のオオワライタケ、本当にそれオオワライタケか?」状態でして。少し解説すると、海外の標本をもとにこれまでオオワライタケとされていた種類が、実は日本に存在しないきのこである可能性が高く、それとよく似た種類が少なくとも5種類は存在すると。まあ、業界的にはあるあるなわけですが。この辺りの事情については詳しい方が分かりやすくまとめていらっしゃるので以下を参照してください。
https://kinokobito.com/archives/8643
というわけで増田的には、よくわからないし不味いし毒ありそうだし食べることはないかなーという感じです。ちなみに増田は過去にGymnopilusの一種をエノキタケと勘違いして佃煮にして食ったことがありますが、美味しくも特別不味くもなくあまり印象に残っておりません。いやあ食欲って恐ろしい。
いろいろ調べてみましたがわかりませんでした!
毒成分は判明していないものの、どうやら毒性はあるらしいとの報告が各所であがっておりまして、この辺りはネットでは詳しい症例までは出てこないので、増田秘蔵のきのこ文庫からかいつまんで引用します。(参照元:毒きのこ今昔 中毒症例を中心にして -思文閣出版)
昭和32年9月16日、新潟県の1家族5人がきのこを夕食に摂食。摂食約5分後に、長男が発病。視力、色覚異常を発症し、全てが赤く見えた。障子の骨、その他直立するもの全て動き、蛇のようなものが多数上昇するように見えた。また女子は耳に異様な音楽を聞き胸騒ぎがした。夫は意識不明となり、精神の異常興奮を認めたが、笑い興ずる様子はなく医師の注射により回復。
その他図鑑によれば、
食後5〜10分で、ふるえ、寒気、めまいなどの表情が出る。多量に食べると、幻覚、幻聴とともなう精神の異常興奮、狂騒状態になる。
とあったりします。怖いですね。
とはいえ、よく見るきのこの割にはオオワライタケとされるきのこと断定できる症例自体がごくごく少数で、記述も断片的なところから、あまり毒性は強く、少なくとも致命的なものでは無いんじゃないかと思ったりもします。こんなことを書くといろんな人から怒られそうですが。
実態として、めちゃくちゃ見かけるし立派でいかにも食えそうな体をしている上、一部地域では食用とされてきた(※後述)割には、症例が極めて少ないことがその証左ではなかろうかと。
無論、推奨はされません。ただ、多くの図鑑などに記載されている通り、一部地域では食べられてきた歴史があるようです。『新潟県のキノコ 松田一郎著 -新潟日報事業者』(絶版)によれば、
食用法としては、苦味が強いので、一度茹でて黄色の汁を捨て、塩漬けにするか流水で2〜3回さらすと良い。肉はしまって美味である。
増田のきのこ仲間にもオオワライタケとされるきのこを食ったという変人がおり、曰く「苦味は感じるが、流水にさらせば食えないということは無い。すこぶる歯切れがよく、旨味も感じた。」とのことです。
どうか参考にしないでください。
様々な批判を拝見しましたが、自分は「食いたい者は勝手に食えばいい。願わくば正しい知識と手順をふまえ、詳細に記録をつけてほしい。」というスタンスです。注目浴びたさにたいして知識もなく安易に食レポを公にすることについては批判されて然るべきと感じますが、それでもなお食ってみたいという人の興味を止めることはできないんじゃないかなあと。
正しい知識があれば公にしていいのかというと、それも正直分かりません。線引きが難しいですね。オオワライタケよりはるかに危険性が高いとされるベニテングタケの食レポはyoutubeにたくさんあがっていますが、増田は楽しく視聴しています。もし仮にそういったコンテンツの影響で、医療機関にお世話になる人が増えたら迷惑かかるだろという意見もありますが、個人的には新たな事例が蓄積されて検証が進むのなら、喜んで健康保険料を払いたいという気持ちです。さすがにカエンタケ食いたいとかいう人が現れたら止めると思いますが。
ぶっちゃけオオワライタケ程度でたいしたことにはならないだろうし、それを食レポしたいバカもいるだろうし、特に止めません。それが批判されるのも当然だし、よくわからないきのこを食べることに関してはやめた方がいいんじゃない?とも思うけど、毒きのこは危険だしよくわからないから絶対に食べないようにしましょう!とか安易に毒きのこを食べる検証を公開するのはやめましょう!と正論一辺倒なのもどうかなあと思ってモヤっとしたのが執筆のモチベーションになっていたりもします。増田自身はほとんどチャレンジしませんが、界隈には積極的に自らの肉体で人体実験を企む変人もそれなりにいます。
子供の頃、あれは「老人は新しいことが記憶できず、昔のことばかり話すんだ」と予想してたんだけど違った
1年前と5年前と10年前と15年前の記憶が並列に存在している感じ?
・時系列で覚える
・思い出せなさかげんで認識する
結構難しいんだよね
たぶんだけど、若者が記憶の距離感が正確なのって毎年イベントが多いからじゃないかな
小中高大、社会人、転職、とイベントが多いしそれに従って関わる人も変わるから
(あとは単純に量が少ないからとかもありそう)
ただこれが30歳を超えてくるとほんとに距離感が薄れてくる、変化が乏しくて
最近は学生と話すときは、話す内容を考えて、その人が理解できるか考えてから話すようにしてる
リーマンショック生まれがもう15歳だからね、東日本大震災生まれがもう12歳だよ
そろそろもうフリーレンみたいなこと言いだす
10年前を「この前」とか言っちゃう
これが60歳になっても変わらないんだろうな、30歳〜59歳が「この前」で、20代が「昔」で、学生時代が「若い頃」
____
もうちょっと考えたけど
1m先のものと2m先のものは差が明確だけど、10m先のものと11m先のものは差が分かりづらいみたいな
雲がどのくらい遠いか、星がどのくらい遠いかわからないのと同じ
分かりやすい比較対象がない場合、長期記憶に入ったら例えば10年前と15年前で差が見いだせないんじゃないかな
思い出そうとするときどのくらい昔だったかはやはり周辺情報(自分の年、時代、関わってた人、場所)で探ってるし
「まるで昨日のことのように思い出す」みたいなのもその証左だよね
熱帯雨林気候で起こるらしいが、時間の概念ってそもそも曖昧だよね
※これは毎日XことTwitterを見ている人間が観測範囲から見えることだけで考えた戯言です
Xは今日も燃えている。その原因の多くは思想的な対立かと思うが、その内容は以前よりかなり複雑化しているように思う。
以前の思想対立の主流は「ネトウヨvsパヨク」であり、匿名掲示板時代からある古式ゆかしい対立である。特に安倍元首相在任時はこれが顕著であった。
今回はこの思想対立をベースにどのように思想が分裂していったかを考えたい(なお、この文章ではあえて思想対立のベースを「ネトウヨ」「パヨク」と記載する)。
基本的に二項対立だった論争は、2020年から旗色が変わってくる。その原因はもちろん新型コロナウィルス感染症、Covid-19である。
ここで生まれたのがみなさんご存知「自粛派vs反自粛派」「ワクチンvs反ワクチン」の対立だ。
この時点では(現在も)多くの者が前者の立場を取ったため、あまり思想ごとの偏りは多くなかった。せいぜい政府の対策の遅さを非難するべく「パヨク」側が前者に立っていたのが目立つぐらいだろうか。
しかし発生が中国・武漢であったとされている点、政府がアメリカ製のワクチンを推進したという点から「ネトウヨ」「パヨク」の一部が「反自粛」「反ワクチン」に移ったことは抑えておきたい。
さて、その前後で起こっていた思想対立といえば「ツイフェミvsアンチフェミ」である。
これは比較的単純で、ツイフェミ陣営は「パヨク」、アンチフェミ陣営は「ネトウヨ」が主であった。というのも、当時のTwitterで湧き上がる論争は概ね「宇崎ちゃん献血コラボ」「温泉むすめ」「ラブライブ!サンシャインのJAコラボ」等に対するツイフェミからの批判が嚆矢となることが多かったので、「左派の表現規制vs右派の表現の自由戦士」という文脈で語られることがほとんどだったためである(そもそも表現規制は右派のお家芸だったのだが…そこら辺は割愛)。
しかしここで一つの変化が生まれる。それがトランスジェンダーを巡る問題である。
人権の尊重を是とする「パヨク」およびそれに準ずる「ツイフェミ」にとって、トランスジェンダーおよびLGBは当然尊重すべき存在であり、欧米各国の動きを見ても当然と考えられていた。
しかし、「ツイフェミ」と呼ばれる女性の一部が「フェミニズム」を掲げている理由は主流左派のそれとは異なっていた。それは男性から性的に客体化される恐怖や怒り、男性嫌悪が行動の原理となっていたという点である。
この視点から考えるに、彼女らにとって身体男性がトイレや銭湯に入ってくるというのは全く受け入れられない。結果的にトランスの排除に向けて「ツイフェミ」は分裂する。いわゆる「TERF」の誕生である。
ここで興味深いのが「TERF」と「ネトウヨ」の合流である。戸籍制度の護持を標榜する「ネトウヨ」にとって同性婚は蟻の一穴となりかねないものとなっており、必然的にLGBTに対しても反対的な立場を取るものがほとんどだった。これが、「TERF」と「ネトウヨ」を結びつけるに至った。本来は対立する思想が各論反対によって一致するというのは興味深い。
(もっとも、ラディカルフェミニストの思想は本質的にかなり保守的であるため、合流は当然という見方もある)
ここまででもお腹いっぱいであるが、今最も新しい思想対立を最後に紹介する。
それが「ウクライナ・ロシア戦争」と「イスラエル・ハマス紛争(パレスチナ-ガザ地区)」の思想対立である。
日本国の立場としては前者は「ウクライナ寄り」後者は「中立」であると筆者は考えている。
しかし「ネトウヨ」と「パヨク」はここでさらなる分裂を迎えることになる。
まず「パヨク」の方は比較的シンプルで、基本的には「ウクライナ寄りの中立」「パレスチナ寄り」となっている。
憲法9条を基にした戦争反対という考えがベースにあり、被害がより深刻な陣営に寄り添うという思想からは当然のことのように思われる。しかし注意したいのが「パヨク」は基本的に「反米」であるという点である。なので米国が支援するイスラエルと戦闘状態にあるパレスチナ(ガザ地区)については積極的に支持できる一方、同様に米国が支援するウクライナは消極的な支持となっている。その証左にウクライナの抗戦を諫め降伏を促す言論は基本的に「パヨク」から出てきている。これが高じた一部の「パヨク」は明確にロシア側の立場を取るものも少なくない数観測できる。
まず「ウクライナ・ロシア戦争」においては基本的に「ウクライナ寄り」の者がほとんどかと思う。というのも、ネトウヨのほとんどは政府見解と一致した親米保守であり、反中・反東側陣営という点から見てもウクライナ支持がほとんどかと考えられる。
だが「イスラエル・ハマス紛争」においてはかなり微妙である。先ほど述べた通り「ネトウヨ」は基本的に政府見解と一致した思想に軸足を置いているため、かなり中立となっている現在の日本の立場には拠り所がない。
もちろん親米保守の立場からイスラエル支持、パレスチナ批判を展開する「ネトウヨ」もいるが、どちらかというとドイツのイスラエル決死支援を嘲笑うぐらいで特に支持を明確にしていない場合も多いように思う。
しかし「ネトウヨ」が親米保守であるというのはあくまで原則論である。中には極右として自民党すら切り捨てる勢力も存在する。それが「参政党」「日本保守党」の支持勢力である。思想の違いは存在するが、共通するのは強烈なラディカル右派であるという点である。
どちらも政府自民党の不満へのカウンターとして存在しており、前者は「政府のコロナ対応」後者は「トランスジェンダー法案の可決」を機に勢力を伸ばした。
当然の如く反「パヨク」や反中反韓ではあるが、日本第一主義の観点から反米(というか反戦勝国)的視点も持ち合わせており、その観点から「ウクライナ・ロシア戦争」においてロシア側を支持する者も多い。
そしてえてして反ワクチンの思想も兼ね備えているケースが散見される。
さて、ざっくりまとめただけでもこのような分類になったが、実際にはもっと多くの対立が存在している(インボイス推進vs反インボイス、AIvs反AI etc…)
ワンイシューでの思想対立が難しい現状において、統率の取れた反対運動というのは以前よりも減少しているのかもしれない。しかし、それに反比例するように炎上自体の回数は増えているように思う。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
なんかゾッとするな。
FIRE+弱FIREで上20%ぐらいが抜けたって考えることも出来るっちゃ出来るが……それにしたってしんどい数字だな。
いやむしろ50代になっても大部分の人が働いてるってことの証左ってことか。
マジか。
俺さっさと仕事降りたいんだけど。
席替えで3回連続くらいで近い席になったから10分休みや給食の時は結構喋ってたし、
気が合って、話しててすごく楽しかったし、自惚れかもしれないがその子も楽しいと思っててくれたと思う。
俺はその女子の事が好きになった。
だけどその子は他クラスのDQN寄りのイケメンが好きだって言ってて、
「面識あるの?」って聞いたら「出身小学校も違うし話した事無いけど」って言ってて。
なんかそれが凄いショックって言うか、結局顔かよみたいな。
俺はその子と一緒に居て楽しいから、仲が良いから、好きになったのに、
その女子にとっての価値判断基準って言うのは仲が良いとかそういうのじゃないんだなあって。
まあ、よくある話なんだと思うけど、中学の頃なんか自分の周りが世界の全てみたいなところがあったから結構衝撃的で、
結局こんなんじゃ生きててもしょうがなくない?みたいな思考になって、全てが怠くなって学校に行けなくなった。不登校になった。
それくらいショックで辛かった。
(ちなみに当時、自分は担任の教師と異常に折り合いが悪かったので、親とか学校への説明は「担任がダルいから行かない」で押し通した)
今思うとこれが人生初の失恋であり女性恐怖症でありミソジニー的思考である原体験なのかなーと思う。
「まあ、あいつはあんな感じだったけど、世の中ああいう冷たい女ばっかりじゃないだろうし、というかむしろあんなドライな奴少数派だろうし、高校生になればきっと楽しくて気の合う彼女が出来るさ」
なんて考えて、中学3年になったタイミングで学校に復帰し、その後高校、浪人、大学、就職と人生を進めたわけだが…。
だけど、大人になってから、Twitter(現:X)なんかで、女性の「初対面で友達枠と恋人枠どちらに入れるか決まってて、友達枠の男から告白されると引く」とか、
「恋愛対象外の友達の男から告白されるとぬいぐるみからペニスが生えてきたような衝撃を受ける」みたいな言説が盛んになされていて、
むしろあの時のあの女子の感覚って女性の中でのマジョリティだって気付いて女性恐怖症的なミソジニーが爆発しつつある。
女性にとって仲が良いとか一緒に居て楽しいとかそういうのはマジでどうでも良くて、結局顔とか金とかしか見てないんだなって。
その血も涙もない感性が本気で怖いし、資本主義と優生思想に脳を焼かれ過ぎてる感覚が人として嫌気がさして、正直自分の中でミソジニー的な意識が芽生えている。
男はそんな事無いじゃん?
まあネットだと露悪的な書き込みの方がウケるから女は顔とパイオツが全てとか言ってるけどさ、
ブスでも仲が良ければ好きになるのが男だし、友達として一緒にゲームとかして遊んでその流れでセックスっていうのに憧れてる男は相当数いる。
俺自身もその後の人生で好きになった子って全員友達で、一緒に遊んだり話したりして楽しいなって思えた子だけで、
もちろんクラスや学年にはその子よりも顔面偏差値が高い、所謂「学年一の美人」なんかも居たわけだけど、
そういう美人でも友達じゃなかったら別に好きとかには全くならなかったな。
俺個人の話から外れて男全体の傾向で見ても、例えばアイドルなんかでも高嶺の花の韓国アイドルよりもAKBとかの方が人気なのは接触イベントでコミュニケーションを重視した方が男に刺さるって理由だろうし、
握手会なんかで会話を重ねて「仲が良い」と男に思わせる事が男から好意と金を引き出せる証左になっている。
(無論、それを「仲が良い」と思うのは完全なる認知の誤認ではあるが)
最近人気のVtuberも要はゲームしながらダラダラと雑談をする「友達ムーブ」が男の性欲に一番刺さるから人気なのだろうと思う。
まあ男って日本だけで7000万人?とかいるわけだから、そりゃシビアな男も1000万人くらいは居るんかもしれんけど、
傾向的には男の方が情に弱いと思ってて、俺はその中でもかなりウェットな性格をしていると思うんだけど、
そういう俺から見たら女性って本当に冷血でドライで怖いし、性格とか仲のよさじゃなくてスペックや容姿で全てを決める感じが本当に下劣だなって思う。
そういうのも俺が不細工だからそう感じるだけで、イケメン側だったとしたらそんな事一切感じないんだろうが、
だからといって「お前が不細工なのが悪い」なんて言われたら反発したくもなる。不細工の何が悪いねん。悪いのは顔だけで全部決めとるお前やろが。
自分はごく初期から「これはアカン」と感想を述べてそのたびに怒られたが
最近は掲載順などでも明らかに低迷、打ち切りラインに入ってしまっている。
まず何よりもアカンのは題材であるMMAに作者の関心が薄そ~なところだ。
作者がその題材を好きなだけで漫画が成功するような甘い世界ではないだろうが
作者がその題材を好きですらないのは現代漫画ではド級のハンデになると思う。
(「なんでそれを題材にした?」の一言だが、ジャンプスポーツ漫画は何故かこれがちょくちょくある。)
作者はUFC(世界一のMMA団体)もRIZIN(日本一のMMA団体)も全く見ていないと思う。
「MMAのこういうとこすき!」みたいなこだわりのディテールが出てきたことがない。
ああこの選手が好きなんだな、あの試合が好きなんだな、という作者の好きが伝わってきたこともない。
思えば前作火ノ丸相撲にMMAの天才のようなキャラが仲間に居たものの
その際もMMAに関する描写やうんちくは非常にフワフワだったから
自分の記憶力が良ければ「この作者がMMAで新連載」と聞いた時点で違和感を持てただろう。
格闘シーンを売りにしないといけないのに格闘シーンで作者の逃げの気持ちを感じてしまう。
少女漫画の女性作家が暴力シーンやスポーツシーンで誤魔化しているのと似たあの感じ。
あれを相撲漫画で成功したベテラン作家から感じてしまうのはいかにMMAに積極的な関心や自信がないかの証左ではないだろうか。
MMAという幅広い技能が必要な競技に置いて主人公がどういう選手で
何で勝負をし何を回避していくのかというあたりもボンヤリしている。
「古武術を授けてくる痴呆の祖父」というキャラがこの漫画の一番の特徴だが
その古武術の内容もあまり考えている感じがせず、MMAの中で生きてこないし逆に弱点にもならない。
だいたい古武術とMMAというのも真島君の時代じゃあるまいし本当に四半世紀は感覚がズレている。
現代でMMAと古武術と言えばヤッチくんらの一連の動画で散々掘られているが
そのあたりを履修している感じも皆無で本当に読みごたえがない。
というかどういう系統の古武術なのかすら明確でないように感じる。(数十年前である真島君以下)
そして連載立ち上がりの数週を使った痴呆祖父介護と古武術が兄弟不和の原因としてしか生きてこない時点で
やはりいろいろと迷走しているとしか思えない。
先輩MMA女子が学校で寝技のスパーリングに誘ってくるのはいいとしよう。
制服のままなのもいいとしよう。
MMAに熱心過ぎる変な子ってことで説明はつく。そういう”ウソ”はいい。
でもブレザー脱がないのはおかしい。
少なくとも関心と想像力があれば描かないよな
ちょっとイライラしてて冷酷な奴が試合相手にケガさせる話なんだけど
ヒールフックは技名も力掛けるところも踵だけど壊れるところは膝だ。
かなりボーっとRIZINだけ見てるライトファンでも知ってるようなこと。
多くの脚関節は膝が壊れる。
脚関節で決着するとタップしてても間に合わずに膝の靭帯やられてることが多々ある。
なのにアスミカケルでヒールフックで決着したら足首が横に曲がってた。
大編集鳥嶋は「作家の描きたがるものではなく作家の得意なものを描かせろ」みたいなこと言ってたけど
描きたがってるもの却下して全然興味ないもの描かせてどうすんだ?
それなら描きたがってるもの描かせてやれよと思うのだが。